竜闘虎争 3






『侵食領域へ突入と同時、体内へ毒素の流入を確認。1秒ごとの汚染率を3%に削減。全性能を用いての継戦可能時間、57分31秒。以降侵食領域内に留まれば戦力の低下、及び生存活動へ多大な悪影響を被る。留意してほしい』


 毒素とは魔族の勢力圏である魔境に蔓延する大気の事である。それを呼吸するというのは、人間は毒を体内に入れるのと同義なのだ。逆に、魔族にとっても人類圏の大気は毒に汚染された空気と同じとなる。

 早口に、要点だけを掻い摘んで述べる魔力派共鳴式魔導管制杖“ドゥーチェ”の提言に、紅き戦乙女はあくまで軽い調子で囀った。


「私のお風呂タイムとほぼ同程度か……風呂上がりの牛乳をクイッとやりたくなったよ」

『つまらない諧謔を口にする暇はないはず。真面目にやって』


 私はいつだって大真面目さと嘯いて、物理法則よりも上位に位置する、理論体系の曖昧な“メンダシウムの法則”に従い飛翔する。

 最大速度、音速の実に二十倍。時速約二万キロで疾駆する真紅の航空騎士は、地上三百メートル上空を切り裂く戦闘機のように、体を地面から水平にした体勢で大気の壁を突破した。


 極超音速飛行によって生じるはずのソニックブームは、しかしほんの僅かにも発生していない。国是によって皇族でありながら軍人となったアレクシアの演算補助宝珠、ドゥーチェが主の魔力で相殺しているのだ。

 仮にアレクシアがその気になったとしたら、地球上のどこであろうと一時間もあれば容易に到達できる。それだけの速力を三秒の加速を経れば発揮できる能力がアレクシアにはあった。――にも関わらず標的と定めた大魔獣に一向に近づけない。大魔獣は遥か遠方に鎮座し、悠然と巨峰の如く佇んだままだ。

 それも当然だろう。燃え盛る紅蓮の炎の如き猛々しさを持つ航空騎士が標的としているのは、現在確認されている中でも数少ない世界型ワールド・タイプにカテゴライズされた大魔獣、“小さなアルベド”とも称されるイスイヴトプスである。


 精霊種であれば人工であっても宿す空間拡張・改竄の力を、規格外の規模で保有する白き異形の竜は、生命を乱造する工場としての特性とは別に、空間系魔術に傑出した適性も有していた。

 これにより自身に接近を試みようとしている特大の魔力反応体、誰の目から見ても脅威であると判じられる存在を察知したイスイヴトプスは、彼我の距離を結ぶ直線上を常に遠大な距離間隔へ拡大し続けている。空間の拡張を強引に継続して成されている以上、実質アレクシアがイスイヴトプスに到達する事は永遠に無いと言えた。


 アレクシアがその事に気づいたのは、飛行を始めて10秒と経たずしてだ。


「チッ、デカい図体のくせして随分と消極的だな。大魔獣が聞いて呆れる」


 露骨に舌打ちして悪態を吐いたアレクシアは、秀麗な美貌を苛立ちに染め両腕の武装に魔力形質“レッドカラー”を叩き込む。

 抜群の頭脳と知性を持ちながら、アレクシアが好むのは自身の力に物を言わせた力押しである。だがそれは、何も思考停止の末に齎される行動選択ではなかった。

 メンダシウムの法則――人が発見して提唱した物理法則とは異なる、再発した神々の御世にて、概念位階の礎となりし神王が嘯いた法則がそれである。

 曰く、メンダシウムとは嘘という意味。嘘の法則。魔法、魔術、魔力、それらが発現し連結し作用する現象の悉くは、相性の相関こそあれど、より大きな魔力ウソを前にすれば露と消えるのだ。


 即ち如何に強大で出鱈目な力を発揮する輩が居たとしても、自身の魔力が上回ったのなら、顕現している不条理をさらなる理不尽にて打破せしめる事が叶うのである。


 魔道に携わる者は口を揃えて言う。――如何ともし難いモノには純然たる“力”であたれ。力及ばざれば即ち死あるのみ。

 魔力発現不調症に似た、されど治癒不能とされる特異な体質を持ったアレクシアには、体外に魔術式の類いを一切放出できない欠陥があった。故に手札の少ない彼女は、技術で打開できかねる状況に対しては力押ししかできない。だがしかし、規格外の魔力量を誇る天賦の超人たるアレクシアなら、その力押しこそが常に最適解として作用するのである。


「さては恥ずかしがり屋さんを気取る気だな? ハッ……初心な奴。愛らしくて抱き締めたいな――!」


 獰猛に気を吐いたアレクシアが、演算補助宝珠“高貴なる者の唇”を起動した。右腕に着装したスリムなフォルムの手甲を鋭銀に輝かせ、触れた魔術式へ物理的に干渉する。

 紅蓮の如く紅い女騎士は手甲に覆われた右手で、拡張されている空間そのものを鷲掴みにした・・・・・・。そしてそのまま飛翔すると、彼女に掴まれた・・・・空間が拉げ、引き千切られるようにして轟音が轟き次元が揺らぐ。


「そォォらァッ!」


 裂帛の気合と共に引き千切った空間を手の中に握り締め、球状に圧縮すると眼前に放り出しそれを殴りつける。するとアレクシアの最大戦速を遥かに超える速度で空間弾とでも言うべき無色の砲弾がイスイヴトプス目掛けて突き進んだ。


 体長69m、体重110t以上はあろうかというイスイヴトプスが哭く。サイレンにも似た耳を劈く哭き声を上げながら、九つある尾と首の内三つを巡らして、拡張された空間を握り潰し、貫く理不尽を直視する。首長竜のように長い首をピンと伸ばし、愛嬌のある丸い頭と三対六つの紅い瞳でアレクシアを睨みつけた。

 四足歩行の恐竜が如き体が強張り、三つの口腔が開かれる。撃ち出されてきた空間情報の砲弾――干渉式砲弾に対し、イスイヴトプスは赤子の鳴き声のような咆哮を上げ、幾重にも重ねた曼荼羅の文様を描く結界を展開して防御した。曼荼羅結界、第四位階相当の魔術である。それが完璧に干渉式砲弾を防ぎ切り、役目を果たすやガラス細工の如く微塵となって砕け散る。


 超音速で接近し懐に潜り込んだアレクシアの拳が、異形の白竜の胴体の中心を殴りつけた。ゴッ、と人の拳が生んだとは思えない、重い打撃音が鳴り響き、イスイヴトプスの巨体が僅かに地面から浮く。連続して拳打を放ち、その小山のような体を拳の形に陥没させていった。

 堪りかねた白い大魔獣は、丸い体の全体に散見される小さな穴を開放した。砕け散った曼荼羅結界の破片がきらりと月光を乱反射する中、音を立てて飛び出したのは飛空能力を持つ魔物の群れである。濁流の如く吹き出た魔物の群れに押し流され、懐からの離脱を余儀なくされたアレクシアは顔を顰めた。こんなところで未知の魔物だと、と。

 羽化したばかりの成虫のように白い人型は、さながら羽を有したマネキン人形だ。ザッと見ただけで百は超えている。だが困惑はない。アレクシアにとって、相手がなんであってもやる事、やれる事に変化はないのだ。


 即ち近寄って、殴るのみ。


『現出した空間断層、露出した虚数空間を閉鎖した。周辺環境への配慮もしてほしい』

「私の尻拭いが君の役目だろう? さあドゥーチェ、此処から先はいつも通りにやるぞ。私が奴のケツにブツを突っ込み――」

『ボクが貴女のケツを持つ。………皇女様のものとも思えない表現だ、貴女に憧れる帝国民が聞けば卒倒するね』

「戦場でぐらい羽目を外しても文句は言われんさ。ましてや此処は王国、誰も聞いちゃいない」


 舞踏会でならお姫様らしくするのも吝かではないがなと軽口を叩き、方舟エファンゲーリウム帝国の第一皇女は魔力炉心に火を入れる。もう一つの演算補助宝珠、左腕着装の"卑賤なる者の拒絶"を起動した。

 錆色の手甲は魔法・魔術・物理を問わず干渉する魔導結界を備え、主に盾として運用される代物である。だが素直に盾としてしか使わないわけではない。時として固い盾が鈍器として用いられるように、打撃の武具としても用いられるのだ。


 相も変わらず拡大され続ける空間を突き破りながら飛翔する。アレクシアの周辺にある世界そのものが鎖となって全ての行動に制限を掛け、絡みついてくるのを強引に突破し、紅蓮の姫騎士はドゥーチェの管制に耳を傾けつつも全知覚を己自身に集約する。


『演算開始。――羽つきのマネキンもどきを“汚物”と仮称する。規定軌道上を進行すると七秒後に左後方より汚物が三体接近、その三秒後に魔物と交戦中の王国軍三個小隊の直上へ位置が移る。出来れば援護を。カウントダウン開始。7――』

「注文がそれだけとは謙虚なものだ。が、敵の機動データと魔力波長の収集も忘れるな。身体陵辱呪詛と精神汚染波のカットは自分でやる。そちらは自分の仕事に専念しろ」

『了解。……3、2、1、今』


 イスイヴトプスの胎内から放出されてきた羽つきのマネキン――“汚物”が武器もなしに躍りかかってくる。腕と足は二本ずつ、両手を広げイスイヴトプスに近づけまいとするかのように抱きついて来ようとしているのだ。

 左後方から襲来したそれに、やや緩めているといえ自分の速度に追いつける速力に驚きつつも冷静に対処。両手を前に突き出して空気の壁に触れて・・・・・・・・急停止するや、全身にかかるGを心地よい負荷として甘受しつつ両脚を広げて駒のように回転する。開脚したままプロペラのように両脚を旋回させ、先頭を突き進んできた“汚物”の頭部へ薙ぎ払うような蹴撃を浴びせた。そして同時に掛かってきた残り二体の両腕を脚で捌くや回転したままほぼ同時に蹴り飛ばす。

 三体の“汚物”が見えない壁に弾かれたように落下するのに、アレクシアは徒手格闘術の奥義の一つとも言える“遠当て”を披露する。再び急停止して流れるような所作で拳を連続して虚空に突き出したのだ。超人を超えた魔人の膂力と、確かな技巧に裏付けされた拳の空気砲は、巨大な弾丸となって三体の“汚物”を木っ端微塵に破砕して貫通。そのまま地面まで威力も弱まらずに着弾した。


 丁度、王国軍の三個小隊が交戦していた家屋ほどの巨大な溶解粘体スライム鉄礬柘榴石カーバンクルが直上からの空気砲を受け爆散する。

 士道無効化能力――物理による攻撃の悉くを無効化するはずのスライムすら、極まった打撃を受けて一撃で死んだのだ。王国の兵達は空を見上げて喝采を上げる。「アレクシア皇女殿下!?」「バカ! “アールナネスタ大尉”と言え!」

 勇名轟く航空騎士である。帝国は元より、王国にもこの顔を知らない兵はいない。それらの声に微笑だけ落としてアレクシアはよく透る声で告げた。


「これは命令ではない、私は貴君らに要請する。ここら一帯から全兵退け! イスイヴトプスの領域で死ねば汚物に成り下がるぞ、私の仕事を増やしてくれるな!」


 先程までの軽い調子を一切感じさせない、威厳の籠もった一喝だった。要請だと断りを入れておきながら、拒否を赦さない威風が彼女にはあった。

 王国兵の判断は早い。数百年前に斃されたイスイヴトプスとの戦闘記録を知る者がいたのだろう。その能力の厄介さを知る故に、隊長らしき男はアレクシアへ敬礼すると、隊を引き連れ迅速に退いていく。


 それを最後まで見届ける間もなく“汚物”が飛来する。それだけではない、地上に多数のゴブリン・メイジ、上位個体のセージまでいて、魔法や魔術による攻撃の準備を開始していた。

 上空から見れば一目瞭然だ、イスイヴトプスは自身の領域内にいる全ての魔物を集中してアレクシアにぶつける気なのだ。自らの生み出した魔境を引き千切り、干渉式砲弾に転換するなどという離れ業を見せられた時点で、そうしなければならない脅威であると認めているのだろう。


 虚空に残留する曼荼羅結界の破片を意識に留めつつ身構える。百を超えるすべての“汚物”が両手を繋ぎ、網のように広がりながらアレクシアを取り囲んで捕獲を試みてきているではないか。


「お手手を繋いで仲良しこよし、か? ――突破する。ドゥーチェ、“汚物”の力は未知数だ、観測を怠るな」

『了解』


 アレクシアは足裏から赤い魔力をジェット噴射するや一瞬にして加速する。そうして四方八方に広がっている“汚物”の中心を強引に突き破った。

 鋭銀と錆色の篭手を纏った両腕を振るい、点の軌跡に逆らわぬ拳打を正面の“汚物”に放つ。一撃で屠り囲いを破るが、隣の“汚物”が手を伸ばしてアレクシアの左足を掴んだ。

 接触した瞬間、ノイズが頭に奔る。不快感に顔を顰める間もなく飛翔するが振り払えない。アレクシアの足を掴む“汚物”を基点に全てのマネキンもどきが虚空に引き摺られ一つの線を描いた。


 不規則に加減速し、幾何学的な機動を取っても“汚物”は離れない――いや、“汚物”の手がアレクシアの足と同化し始めている。

 自身の体と一体化していくものを、トカゲでもないのに振り払える道理などあるはずもない。イスイヴトプスが下腹部から白濁とした液を噴射し、地面に広がっていく様を視界の隅に捉えつつ舌打ちする。ドゥーチェが警告を発した。


『マスター! 急いで足を切り離して! ソイツがマスターの肉体を取り込もうとしている! 取り込まれたらマスターの力そのものがイスイヴトプスのものになるよ!』

「抵抗は?」

『してる! してるけど、抗魔力じゃ無理だ!』

「分かった、いいサンプルが取れたな」


 アレクシアは即断即決する。躊躇なく左膝から下に莫大な魔力を叩き込むや、自身の足が炭化するのも厭わず大火炎を迸らせた。

 ショック死してもおかしくない激痛に襲われながら、しかし眉一つ動かさずアレクシアは無理矢理に“汚物”との同化を断ち切る。

 そして自身の炭化した足を振り払うや炎が奔りアレクシアの足を再構成した。顕となった素足の上に防護術式甲冑バリア・アーマーが再度纏われる。振り払われた“汚物”が追い縋ってくるのを背後に感じつつ、地上から放たれてきた炎、雷の閃光を躱した。一度では終わらない、秒間十条を超える稲妻と火炎、高水圧の噴射が迸り、アレクシアは右回転に螺旋を描きながら最小の機動で回避した。


 ゴブリン・メイジの魔法は、直撃を食らってもダメージはない。しかし上位個体セージは第五位階相当の魔術を平然と連打してくる。それは流石に喰らうわけにはいかない。士道と魔道、双方で第四位階に位置するアレクシアといえど消耗してしまうだろう。


 地上から魔法と魔術が撃ち上げられるのと同時に、イスイヴトプスが九本の尾を鞭のように撓らせ打ち付けてくる。柔軟な城塔の如き質量の乱打である、赤騎士は舌打ちして大きく回避し、内一本の尾に手をついてバク転の要領で虚空に逃れた。

 直後、イスイヴトプスの下腹部から白濁とした液体が漏れ出ていたのが、大魔獣の領域全土に広がった。するとアレクシアが来る前に戦死していた人間の兵と、魔物の全てが溶けていく。そしてアレクシアの真下にある白濁とした海より長い腕が伸びた。


 長い、長い腕だ。ひたすらに長く、巨人よりも更に大きい、小山の如きイスイヴトプスに匹敵する巨大な腕。白い異形の竜がサイレンのような鳴き声を上げるや、人間のそれに酷似した腕が地面に手を置き、白濁の地面から巨大極まる人間の頭がよじ登るようにして浮上してくる。


「――“白濁の生体工場アルベド・リスペクト”か」


 イスイヴトプスの尾を両腕で掴み、満身の力を込めて引き千切りながらアレクシアは生命創造の権能を目撃する。

 これまで彼女は無駄に飛び回り、雑多な取り巻きの魔術を回避していただけではない。イスイヴトプスが拡張・拡大した空間を破壊して魔境を打ち消していたのだ。人体へ深刻な悪影響を与える領域をそのまま放置しておくことなど愚の骨頂だ。


 無造作に拳を振るい地上のゴブリン・セージを間接的に殴り殺しながら、アレクシアは唇の端を歪める。


 白く染まった地面から顔を出したのは、人型の上半身のみ。ただしそれだけでイスイヴトプスを優に超える巨体だ。ただし――その人体を構成しているのは、全てが人間と魔物の死体である。無理矢理に形も大きさも違う生命体を組み合わせ、溶接したような不細工な代物だ。


「マネキンもどきが“汚物”なら、あれは差し詰め“大便”だな」


 口汚く独語しながらもアレクシアは一瞬も止まらない。急降下して地面すれすれを飛行するや空を攻撃できるメイジ、セージ種のゴブリンを薙ぎ払っていく。

 地上付近に降下するや、蜘蛛女アラクネがこれ幸いと襲い掛かってくる。自動車並みの大きな蜘蛛の上に、女の上半身を縫い付けたような怪物だ。鉤爪のついた足で地面に抑えつけようとしてくるのを躱し、すれ違い様に足を掴んで地面を引き摺る。続けて襲撃してくる岩石を削り出したような魔物、古石妖スプリガンが岩剣を振り被った。

 力任せの鈍重な魔物だが、その膂力だけは遥か格上のアレクシアにすら通じるものだ。慢心して受け止めてやる義理はない、スプリガンの岩剣にアラクネを叩きつけ、女の上半身と蜘蛛の体を切断させる。死の間際、アラクネの下半身に当たる蜘蛛の体が糸を吐きアレクシアの腰に着弾させた。


 自身を捉える糸を手刀で切り離し、上空に飛翔していくアレクシアへ、大鬼オーガ牝鬼オグレスが青白い粘体を投擲してくる。スライムだ。アラクネの糸を切断した挙動の後の隙を見逃さないそれに、アレクシアは舌打ちする。こちらを丸呑みにせんとする二体のスライムを蹴り飛ばすも、接触の瞬間に脚部を覆う防護術式甲冑バリア・アーマーが溶解する。それを再構築しながら火焔を纏った拳で、落下していくスライムを消し飛ばした。


 直後、畳み掛けるように“大便”が醜悪な腕を薙いだ。巨体に見合わぬ速さは音速に10倍する。その面積の大きさから回避が間に合わない。


『避けて!』


 ドゥーチェの鋭い警告を無視し、アレクシアは火焔を纏った両腕で受け止めた。避けれるなら避けている、避けれないから受けたのだ。だが、“大便”の膂力は城塞を持ち上げるほどの怪力を誇るアレクシアを容易く薙ぎ払う。

 大型車両に跳ね飛ばされた子供のように弾かれ、血反吐を吐きながら虚空に飛ばされたアレクシアの背中に、異形の白竜が変形させた白い尾を触手の如く突き刺し地面に撃墜させる。そのまま白濁の海に縫い付けるや、アレクシアを取り込もうと白い海が津波のように競り上がり殺到した。


『マス――』


 ドゥーチェの呼びかけが途切れる。アレクシアが呑み込まれたのだ。

 だが、


「――後に控える本命、魔族のために温存しておきたかったが、やむを得ないか」


 爆発したように白い海が吹き飛ばされる。その中心にいたアレクシアは忌々しげに顔を歪めていた。

 自身を貫いていたイスイヴトプスの尾を捩じ切り、その鋭利な先端部分を掴んでいる。それを放り捨てながら強張っていた表情を緩め、胸の中心に風穴を空けた美貌の皇女は口から血を垂らしつつ壮絶に笑う。


 仕留め損なったと見るや“大便”が追撃してくる。無数の人間と魔物で構成された巨腕を振り下ろしてきた。それを見る事もせず、アレクシアは一瞬目を閉じる。自己へ埋没し、頭の核となる炉心に意識を潜らせ、そっと意識の手を伸ばすと炉心の奥にあるスイッチに指を這わせた。


 入れ替わる。切り替わる。人体を構成する全ての要素が塗り替わる。エファンゲーリウム帝国第一皇女にして帝国軍が誇るエースが一人、アレクシア・アナスタシア・アールナネスタの全身を太陽の如き炎が包み込んだ。




「“神人化ユーザー・プロミネンス”」




 都市全土が白熱する。夜の闇が駆逐され、周辺一帯の無機物、有機物問わず溶解させる炎の柱が翔び立った。


 光が瞬いたと思った瞬間に、“大便”と謗られる魔物の腕が肩口から蒸発する。

 赤い大紅蓮。人型の太陽。燃えるように赤かった髪は炎の帯と成り、全身が焔のように揺らめいていた。

 防護術式甲冑バリア・アーマーは無い。人体の黄金率を完璧に再現した肉体が、白く光る炎となって惜しげもなく晒されている。腰元まである紅い髪もまた轟々と燃え盛る劫火となり、体を隠すように纏っていた。

 

「すまないな。本当ならお前の自慰オナニーを手伝ってやりたいが、こちらも時間が押している。早々に逝ってしまえ――」


 聖火の化身。第四位階の魔導騎士アレクシアが有する最高戦力たる切り札。

 悠然と嘯かれるのは下品な台詞だ。如何にもな女騎士、高貴な印象に反した物言いは、しかし不思議なほど様になっている。

 虚空で静止した小さな太陽は、瞬く光の残影を残して空を駆ける。瞬きの間もなく“大便”に接近するや、そのままの勢いで突撃した。彼女が外部に発せず、体内と皮膚表面に留めた自由電子の散乱光――太陽表面の電気的に解離したガス層の熱“太陽コロナ”は、ただ触れさせるだけで強大な武器となる。

 単純な突撃機動を受けた“大便”は、その体積の殆どを蒸発させられ、形を維持できなくなったのか轟音を立てて地に伏した。


 サイレンが鳴る。イスイヴトプスが恐怖の絶叫を迸らせたのだ。


 八本に減っている尾と四本の足を動かし、地響きを立てて逃げ出している。小さな山のように魁偉な体躯の持ち主が、比較して蟻のような大きさの人間に恐怖して。

 空中に散乱させたままだった曼荼羅結界が元の形を取り戻し、空間断絶の護りを形成するやアレクシアを封じ込める防壁とした。

 だがアレクシアは炎熱の篭手と化した左の手甲、“卑賤なる者の拒絶”を以て曼荼羅結界に触れるとものの数秒で術式の結合を解除する。そうしてイスイヴトプスの背後を取るとそのまま臀部へと突っ込んだ。


 身悶えするような悲鳴がイスイヴトプスから発せられる。


 生きたまま体内を高熱の塊に掻き乱され、内臓の悉くを破壊し尽くされ、そして喉元まで競り上がると一気に頭の一つを突き破って飛び出されたのである。

 イスイヴトプスは確かにこの時に死んだ。だが上空で静止したアレクシアは、摂氏百万度を超える自身の手に掴まれてもなお、原型を留めているイスイヴトプスの心臓を鷲掴みにしたまま嘆いた。


「その巨体で人間並の心臓が一つとは……どうやって血液を全体に行き渡らせている? どこかに本命を隠しているのか、単純に不死・・なのか。いずれにせよ困ったぞ。私では殺し切れん」


 相性が悪い。言ってしまえばそれだけだった。

 みるみる内に再生していくイスイヴトプスを見遣りながらその事を確信する。

 体内をぐちゃぐちゃに掻き回してやったのに、もう元の姿に戻っている。驚異的な生命力、いや再生力だ。

 このまま続けても負けはしない、しかし勝てもしない。アレクシアは放出系の魔術や魔法が使えない故に、どうしても攻撃の範囲が狭くなる。イスイヴトプスは嘗て総体を一撃で消し飛ばされてやっと死んだというが、それは事実のようだ。


「……マリアなら単騎で殺れるが、私には無理だ。ドゥーチェ、魔導兵はどこで油を売っている?」

『都市の中心部上空で、魔族と交戦中』

「この手の輩は奴らの管轄だぞ。まったく困った奴らだ。仕方ないから……さっさと選手交代といこう」


 ――故に、アレクシアは早々に諦めた。イスイヴトプスは自分では殺せない、なら殺せる連中へ任せるに限る。

 まだアレクシアの欠陥に気づいていないから、イスイヴトプスはアレクシアを恐れている。今の内なら背中を向けても追撃はない。そう判断したアレクシアの動きは早かった。一気に高度一万まで飛翔すると、都市の中心部目掛けて急降下していく。


 逃げるアレクシアを、イスイヴトプスは呆気にとられて見送り――そして、アレクシアに自分を殺せる手札がない事を漸く悟って悔しげに吼えた。


 その咆哮を背にアレクシアは視認する。機械化魔導兵と戦艦を相手取る溶岩の魔人を。にやりと嗤い、アレクシアはその背へ両腕を伸ばした体勢で突貫する。

 筆舌に尽くし難い凄まじい威力の打突を受け、魔族の上半身と下半身が泣き分かれる。四散し、離れた座標に溶岩の破片が一つに集約されると、殺気走った眼光で乱入者を睨み……次の瞬間には驚愕と狂喜を滲ませ目を見開いた。


「――魔導兵! コイツは私が引き受ける。お前たちはイスイヴトプスを殺れ!」


 魔導兵の一軍は戦艦から命令が届いたのだろう、アレクシアを一瞥すらせず飛び去っていく。戦艦からの通信が入った。増援感謝する、我々はグラスゴーフ全土の雑魚を間引きにいく故、後は任せた、と。

 愛想もなく手をひらひら振り、アレクシアは溶岩の巨漢に向き直った。そしてさっさと終わらせようと動き出そうとし、止まる。思いもよらないことに、魔族が語りかけてきたのだ。


「やはり来たか、アレクシア。野蛮人め。こうしていれば必ず現れると分かっていた」

「――む、私を知っているのか?」

「ああ、ああ! よぉく知っているとも! 我が弟の仇! ようやくこの手で討ち果たせる。貴様によって我が家門は零落した……その屈辱も、纏めて晴らさせてもらうぞ!」

「………? ………ああ、どこかで見た事があると思ったら。なるほど私を一度殺してくれた・・・・・・・・・・男の、穢れた血族か。フフン、あの男はそれなりに具合が良かった。私とした事が、気をやってしまいそうになったが……お前はどうだろうな?」


 不倶戴天の敵同士、そこに親族の仇の有無が絡めば戦意も一層燃え上がる。

 アレクシアの挑発に、火山が噴火するようにして魔族クラウ・クラウが吼え猛った。無尽蔵の殺意と憎しみを交え、人間世界の悉くを燃やし尽くさんと怒号を発する。


「血が穢れているのは貴様らだ、魔人!」

「よろしい、ならば汚物決定戦と洒落込もう。勝利万歳ズィーク・ハイルだ、負け犬には相応の餌をくれてやる」







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