誰だって死にたくない、だから僕は自分を選ぶ







 そして、僕は漕ぎ出した。狂い果てた闘争の世界へ。その航海は波乱に満ちていて――もう陸は見えない。







  †  †  †  †  †  †  †  †







 魔導十一式バトル・スーツの上に鎧を着る。先日見繕ったばかりの、簡易な鎧姿だ。


 バーゴネット兜を被り、バイザーを下ろすと視界が狭まる。息苦しさを感じた。兜の通気性が悪いのではなく、単に緊張から来る呼吸の苦しさであるのは分かっていた。

 空気を鉛のように固く、重く感じてしまっている。無理にでも肺に酸素を取り込まないといけない。深呼吸をして、鉛を肺に呑む心地で息を吸い、吐き、吸い、吐く。落ち着いたか、アルトリウス――自問に自答する――勿論だ。


 それは強がりでしかない。渾身の、自身に向けられた鼓舞だ。


 案内人はマーリエルだった。見知らぬ人から案内されたら余計に緊張するだろうという配慮だったらしいが、そんなものはまるで無意味で。自室から表層第三階闘技場の待合室まで、どこをどう歩き、どのように移動したのかコールマンはまるで覚えていなかった。

 すっかり見慣れた真っ白な部屋にいる。自室と大差ない内装だ。しかしその待合室には多数の武具が飾られていた。この中から武装を選択しろと、そういうことなのだろう。武器防具しか目立ったものはなく、後は簡素なソファーと時計があるだけである。座る気にもなれず、立ったまま思考した。


 試合開始まで、後三十分。突然の試合日程の調整は、しかし無理もなく済んだようだ。というのも、元々予定されていた試合に欠員が出たから、代わりとしてコールマンが出ることになったのである。

 ……同郷のエイデンが、自殺したから。彼の穴埋めとして、試合に出ることになったらしい。そのことを直前になって知った。自分の試合の予定が大幅に前倒しになったことへ不満があると思ったのだろう。言い辛そうにマーリエルが教えてくれたのだ。

 エイデン。元の世界では近所に住んでいた少年だ。それだけの仲で、親しく会話した覚えはない。なのに物言えぬ悲しみがある。もしかするとこの世界の"アルトリウス"とは親しかったのかもしれない。「なんで自殺なんか……」そう呟く声は、自分でも驚くほど弱々しかった。


 彼が何を悲観したのか、分からなくもない。元の世界でも気の弱い性格だったことは知っている。彼は戦うことを強要されるこの環境に耐えられなかったのだろう。自ら進んで訓練を積めず、かといって試合やダンジョンで生き残れる自信もなく。故に……自ら命を絶った。そうとしか思えない。

 アルドヘルムに殺されたのだ、と思った。奴が自分達の村を焼いたから、故郷を奪われたから……エイデンは死んだ。

 畜生、と口の中でアルドヘルムを罵倒した。よくも、よくも僕の・・友達を……! その憎しみは無意識に口を衝く。自覚もないまま、それを当然のもののようにコールマンは受け入れている。その悪態に自覚はないまま。


 コールマンは緊張を怒りで塗り潰した。憎悪で自らを激励する。首に提げ、鎧の内に秘めた宝石に意識を向けた。

 初の起動には魔力を込めればいい。今はまっさらで、最初に魔力を通した人間を持ち主だと認証する仕組みらしかった。

 ダーム・デュ・ラック・マーリン。魔力波共鳴式魔導管制杖と書いて、インテリジェンス・デバイスと読むのだったか。それの名前が、英国に縁深いアーサー王伝説の"湖の貴婦人"と、"伝説の魔術師"の名前が繋げて付けられているのに可笑しさを感じる。自分の名前もまたアルトリウスで……愛称はアーサーだ。狙ってつけた名前なのかと思いきや、この世界にアーサー王伝説はないらしい。つまりは偶然のようだ。

 そんな馬鹿げた偶然があるものかと思ったが、マーリエルがそんな下らない嘘や冗談を言うとも思えない。まあそれはいい。今はささやかなことだ。問題は、これの人格がどういったものか……不安半分、期待半分。なんにせよ起動しないという選択肢はない。もう試合開始まで間がないのだ。


 コールマンは魔力を湖のように蒼い宝玉に流し込んだ。キィン、と金属同士を打ち付けあったような感覚が脳裏に鳴り響く。これがインテリジェンス・デバイスが起動した感覚か、と理解した。魔力派共鳴式魔導管制杖が起動する。


『魔力波長登録完了。所有者を魔力波長登録該当者で固定。魔力波共鳴式魔導管制杖、ダーム・デュ・ラック・マーリンの人格を起動し――ガ、ピッ――エラーを検知、修正、を――』

「……?」


 なんだ? 様子がおかしい。

 勘弁してほしかった。まさか不良品を掴まされたのか? コールマンが眉を顰め反応を待っていると、やがてデバイスは沈黙した。

 いよいよ本格的にまずいと焦りはじめてしまう。補助なんてなくても自分だけでやるつもりではいたが、便利な道具をせっかく使えると思っていたところにこの不調である。予期していなかった肩透かし感に、意気が挫けてしまいそうになった。

 自分以外の力に頼ろうとしたからだ。やはり独力で当たるしかない――そう思い掛けた時だ。


『……ん。んんぅ。んぅー。……こほん。おはよう、そしてはじめまして。目覚めは奇妙な心地だね。昔から生きているようでもあり、たった今生まれたばかりという感覚もある』


 男とも女とも取れる、中性的で耽美な声音が胸元から発された。

 少年のようでもあり、少女のようでもあり、老人のようにも、老婆のようにも感じる。共通するのは確かな知性を持つ、賢者のように落ち着いた声の響きであること。

 コールマンは鉛色の吐息を吐き出す。よかった、壊れてはいないようだ。


『わたしはダーム。あるいはマーリン。気品溢るる貴婦人として、もしくは紳士的な賢者と認識して接してくれたまえ。何せこのわたしは割かし高性能だからね。男性人格、女性人格、どちらの扱いでも一向に構わないよ?』

「……はじめまして。私はアルトリウス・コールマン。私が現在置かれている状況について説明したい。構わないかい?」


 ファースト・コンタクトは、ひとまず成功、ということにしておこう。にしても彼……彼女? は随分愉快な性格をしているらしい。

 ……"彼"で通すとして、彼の戯れ言は聞き流す。構っている暇も、余裕もない。するとマーリンは愉快げに笑った。


『おや? 楽しいお喋りタイムは無しか。たった一度しかない初対面、ふいにするのは勿体ないぜ? 君が特別遊びのない性格なのか、単に切羽詰まっているだけなのか。前者であれば詰まらないマスターだ、でも後者であれば人間臭くて実にいい。今は余裕がないだけだと希望的観測で見るとして……いいよ、説明を聞こうじゃないか』

「話が早くて助かるよ。愉快なトークはまたの機会に回してほしい。でもその前に言っておこうかな……私は君のようなタイプは結構好きだよ」

『わお。そりゃあいい。忠義の尽くし甲斐がある。俄然やる気が出てくるぞ』


 はっはっは、と陽気に笑うマーリンに、コールマンは苦笑する。

 賑やかな相棒だ。彼に命を預けることになるのだが、大丈夫だろうかと一抹の不安がよぎる。何せ立ち上がりからして不調があるようなデバイスだ。

 とりあえず様子を見ながら、コールマンは掻い摘まんで現状を伝えることにした。余分な主観や些末事を口にする意味はない。合理的にいこう。


「説明はいたって簡潔さね。つい先日、故郷の村を焼かれた。そしてこの発掘闘技都市に拉致されてくるなり登録者とされ、この私はたった数日の訓練のみで早くも実戦投入される。実戦まで残すところ後三十分もない。以上」

『うんうん。……うん? あれ、それ詰んでない? わたしがどう補助しても詰んでる気がするよ? いきなり鉄火場に放り込まれたわたしの心情は、さながら長年連れ添った伴侶が不義を働いている現場に居合わせたが如くなのだけど?』

「私の人生は既に崖っぷち、断崖の果てにあるのは天国か地獄さね……いずれにしろ私に崖の先へ跳ばないという選択肢はない。死にたくなければ跳ぶしかないのさ。……手を貸すんだ、マーリン。私が生存する未来のために、君にはその全知全能を振り絞ってもらう。伴侶の不義は自らの手で糺すに限るものだろう?」

『む。……ふむ。なるほど、了解した。このわたしをマーリンと呼ぶ君のために、負け戦を勝ち戦に変えてみせよう。君の生存に全力を尽くすと誓うよ、マイ・マスター』


 先程の不調とは別に、コールマンの頭にあるのは、彼は全てを打ち明けるに足る存在なのかという懐疑だ。

 製造したのはどこで、その最優先順位に設定されているのは誰だ。この都市から支給されたデバイスを、どこまで信頼して用いてもいいのか。

 その疑問は、しかし今は捨て置いてもいい。彼は最大限の力を尽くすことを約束してくれた。今はそれだけでいいのだ。他は余分である。緊張に固まった体を揉みほぐし、再度深呼吸をする。そんなコールマンにマーリンが質問を浴びせた。


『マイ・マスター、質問だ。君はどれほどの能力を持っている? 魔力量、魔力形質は把握した。その技量について知りたい』

FlammaTonitrus誕生ortusの三つの魔法が扱えるだけだぁね。後は剣の振り方、槍の突き方、受け身の取り方を知ってるだけ。他はなんにもない。経験もね」

『……不躾だが、どれほどの時間、訓練に費やしたのかな?』

「魔法に二日。後は数時間のみさね。それが?」

『……普通の村民の子として生まれ。荒事には無縁に育ち。訳も分からないまま連れてこられた先で、現状を正しく認識して悲観せず。必要な訓練を積んで魔法を会得した……? たった二日間の独学で? それも三つも……』

「そうだけど、それが?」


 当たり前のことだろう。命が懸かっているのは明白なのだ。現実逃避している暇はなかったのである。ならやれることをやらないでどうする。

 そう言うコールマンに、マーリンは唐突に笑い声を上げた。


『は、ははは……! 君は強い人間だね!』

「莫迦を言うんじゃないよ。私はこの上なく弱い。弱いから必死なのさ」

『力の話じゃない。人間性としての、人間の本質としての強さだ。理解力に長け、行動力に富み、それでいて生きようとすることに真摯だ』


 ――紳士……? 僕は確かに英国紳士の卵だけど……って、真面目でひたむきって意味の『真摯』か。発音が同じ言葉はやめてくれよ……。


 不意の賛辞に、照れを感じる前に戸惑ってしまう。そんなコールマンにマーリンは高揚し、興奮していた。熱に浮かされたように彼は告げる。


『僥倖だ、これは運命だよ! はは、何年待ったか・・・・・・! まさか気紛れに乗っ取ったデバイスの持ち主が、こうまで見込みのある人間だとは思いもしなかった……このわたしをして運命を感じずにはいられない!』

「……? 何を言って……」

『おっと。うっかり口を滑らせてしまった。忘れてくれ、ともかく全力で君に力を貸させてもらうよ。尤もこのデバイス以上の性能は発揮できないけどね。歯痒いが、仕方ない。では作戦会議だ』

「待った。その前に君の持つ知識はどれほどあるんだい? まさか赤子同然ではあるまいね」

『安心してくれていい。君が知ってることは概ね知っているよ。ただこの都市のことについては無知だ。世俗には疎い身の上でね。――後、最上位に君臨するデバイスわたしへの命令権は君にある・・・・。他の命令は全て白紙にしてあるよ』

「……なんだって?」


 訳の分からないことを口走っていたが、最後に関しては聞き流せなかった。

 信じられない思いで自身の胸元を見詰める。設置されていたソファーにどっかりと座って反問した。


「それは、本当なのかい?」

『もちろん。偽証ではない証拠は用意できないけど、信じてくれるかな』

「……無理だね。君はこの都市で製造されたのだろう? どんなに言葉を尽くしても、安易に信じられるほど私は動物的直感に身を委ねられない」

『……それもそうか。残念だが、それも仕方ない。では実績を以て信頼を勝ち取るまでさ』


 ちらりと時計を見る。後二十分か。細く、長い息を吐き出す。


「無駄なお喋りはここまでにしよう。戦術を決めたい」

『オーケー。と言っても現状の君だと執れる戦術は限られている。そして選択の幅は余り広げるべきでもない。選択肢は必要だけど、それを取捨選択して咄嗟に使い分けられるほど、今の君には力がないだろう?』

「……そうだね。欲張るべきではない、か。考えてみれば当然だぁね。道理だよ。じゃあその上で君の知恵を借りたい。私はどうするべきだい? 考え付くものがあるなら聞かせてくれよ」


 訊ねはしたが、彼の意見はあくまで参考にするに留めるつもりだった。丸投げはせず自分で考え、検証するつもりだったのだ。

 しかしマーリンの告げた作戦にコールマンは唸らされる。暫し思考を巡らせて――それしかないと、思った。







  †  †  †  †  †  †  †  †







『さあ! さあ! さあやって参りました! 今日も今日とてこの闘技場にて鎬を削り、切磋琢磨する登録者達の試合の時間です!』


 鋼鉄の柵に遮られた東門の内に、コールマンは立っていた。

 遂にその時間がやって来たのである。強まる心臓の鼓動を鎮めようと胸に手を当てるも、鼓動は一向に弱くならない。マーリンが囁き掛けてくる。『怯まないように脳内麻薬でもドパドパする?』などと。


 御免被る。こんな時にラリってどうするというのか。この状況では悪くない状態なのかもしれないが、前後不覚に陥りかねないのは最悪である。というか人為的に脳内麻薬が分泌できるのか……まあ考慮はしておこう。もし必要だとマーリンが判断したらやってくれてもいい。

 『わたしはやらないよ? 狂戦士には用はないからね。さて、君のデビュー戦だ。勝って終わるか負けて終わるか、見物だね』無論、勝つ。痛いのも、死ぬ危険があるのも、どちらも拒絶する。ただでさえ辛いんだ、家に帰りたいんだ、父と母に会って、怖い夢を見たんだと"今"この時のことを全て笑い話にしてしまいたい! いつか帰れるかもしれない。その時のために、決して手を抜いたりはしない。


 『望郷が根源にある感情か。いいよ、可能か不可能かを論じるのはナンセンスだ。モチベーションが高いのは実にいい。強い原動力は善きにしろ悪しきにしろ、なんらかの結果を手繰り寄せるものさ。停滞した世界に一石を投じるのは、えてして強い感情なのだからね』――五月蝿い、僕の心に土足で入り込むな、マーリン!


 強く命じ、心の中を探る手を払い除ける。不愉快な感覚はそれで消えた。

 舌打ちする。お陰様で緊張は解けた。狙ってやったふうには感じなかったが怪我の功名だろう。なんにせよ、マーリンはいい性格をしているようだ。まさか人の心の内を探るなんて……。

 しかし命令権は機能しているらしい。心の声を拾われていただけならいいが……いずれにしろ、余計なことを知られてはいないはず。そんな反応はなかった。コールマンが異世界の存在だと知ってしまったら、なんらかの反応はあるはずだから。だが、もしこれでマーリンに知られていたら、彼を通して都市にコールマンの素性が知られかねない。そんなことになったらコールマンがどうなるか、何をされるか分からず、不安で仕方がなくなるところだった。


『今日の試合は新米登録者同士によるもの。所詮は素人、詰まらない試合しか見られない――そう思われた方もいるかもしれない。だがしかし、それは大いに間違いだ! その甘い認識を、彼の少年・・・・が正してくれる! 東門よりきたるのは"コールマン"――十四歳の少年だ!』


 鋼鉄の柵が落ちる。スライドして地面に消えていく。前に進めということだろう。腹を決め、進み出る。

 得物は長剣と長槍、そして短槍。腰のベルトに吊るした鞘に長剣は差してあり、利き手である左手に長槍を、右手に短槍を握っていた。好奇の目が四方八方から突き刺さる。空には燦々と輝く太陽があり、浮遊する台があった。仮想空間で飽きるほど見た、審判役の男が立っている。

 観客席は満席ではない。しかし意外と盛況だ。全体の半分と少しほど席が埋まっている。悪趣味な暇人どもめ、と口の中で悪態を吐いた。


 人の目の多さに圧倒はされなかった。仮想空間で再現した大歓声で慣れてしまったのだ。その本物と偽物の区別などどうだっていい。外野はあくまで外野でしかないのだから。


『なんとこの少年、この闘技場にやって来て以来、右も左も分からない中で精力的に訓練に励み――そしてたった二日で三つの魔法を習得! 既に魔法使いと名乗る資格を手にしている! 分かるかな? 半月から一ヶ月は掛かる工程を、たった二日で終わらせているということだ! "コールマン"は非凡さを示した……あるいはいずれ、彼の名は歴史に刻まれる時が来るかもしれない。我々はともすると、歴史的な瞬間に立ち会おうとしている可能性がある……そしてそれが事実となったのなら、後世こう語り継げるかもしれない。私はあの"コールマン"の初陣を目撃したのだ、と!』


 観客席がどよめき、東門より姿を現した少年に対して品定めするような視線が向けられる。

 煩わしい、鬱陶しい。兜の下で唇を強く噛む。そんな煽り文句なんかいらない。非凡だろうがなんだろうが、そんな評価はいらないんだ。さっさとはじめろ、そうしたらすぐに終わらせてやる。お前達の望むような接戦なんて演じない、勝つか負けるか、伸るか反るか、勝負は短期決戦で決めるのである。

 素直に思う。審判の男の声を耳に入れるのも不快だ、と。渋面を作ったままマーリンに訊ねた。


「マーリン、外野が五月蝿い。特にあの男だ。遮音できるかい?」

『む? なかなか聞かせる・・・・煽りだと思うけど……』

「ショーとして演出されるのは不愉快だぁね。こんなもので集中を途切れさせはしないけど、聞いていたいとは思えないね」

『いいけど。じゃあ、あの男の声だけ遮音するよ』


 審判の声が消える。周りのざわめきはそのままに、本当に特定の個人の声だけが聞こえなくなった。言っておいてなんだが、本当にできてしまうと驚いてしまう。

 なるほど、便利だ。ともするとコールマンよりも、このマーリンの方が高性能ではないかと思える。いや実際にマーリンの方が優秀な能力を持っているのだろう。魔道位階に在る魔導師の補助もおこなえるのだ、魔法使い如きのコールマンより上の能力があってもおかしくはなかった。

 思考を切り替える。切り札は魔法だ。集中力こそが要訣となるからそちらに注力しよう。マーリンの補助があればしくじることなくやれるはずだ、コールマンが余程無能なミスをしない限りは。

 手にしている武骨な短槍を改めて握り直し、コールマンは自身の対戦相手が出てくるだろう西門を睨み付けた。無理に敵愾心を燃やす。憎むべき敵だと思えと、自分に言い聞かせた。


『対して、西門よりきたるは"コールマン"と同郷の大人の男。その名はマイケルだ。彼はどこまでやれる? 少年に子供と大人の壁を教える試練となれるか……それとも才気煥発の少年"コールマン"の踏み台となってしまうのか! いいや違う、才ある者が必ずしも勝つのではない。大人の意地を見せてやれ!』


 ――待て。そういえば、登録者は最低一ヶ月の訓練期間があるんじゃないのか? まだ一ヶ月どころか一週間も経ってない。なのになんで試合なんてやらされているんだ? 僕は……あの村の人は、なんで一ヶ月も待たずに試合なんかを……。


 そのことに、はたと思い至る。昨夜眠りにつかされて以降、心身ともにこの試合に備えることに没頭していて、今の今まで失念していた。

 閃きにも似たイメージが脳裏を過る。何故か……ダンクワースと呼ばれていた紳士の顔が思い浮かんだ。言語化できない、筆舌に尽くしがたい悪寒を感じたあの視線……。根拠もないままに、咄嗟に観客席を見渡す。人の顔を一々識別するのも難儀で、体に強化魔法"誕生ortus"を叩き込んで視力を増幅し目的の男を探す。

 すると――いた。貴賓室らしき席に……テラスのような、一般客の入れないスペースにダンクワースがいる。傍らには幼い少年がいた。人形のように愛らしい、錆びた金属じみた髪色の少年が。


 無機質な瞳で、ジッ、と西門の男を少年は見詰めている。その耳元にダンクワースが何事かを囁き掛けていた。悲しげに、嬉しげに。


「っ……」


 その鳶色の視線が、ふとコールマンに向いた。

 一瞬、目が合う。感情というものがまるで感じられない眼差しに、総身に鳥肌が立つ。思わず目を背けた。見てはならないものを見た気分だった。


 目を背けた先に、西門から現れた男の姿が目に映る。

 全身甲冑フリューテッドアーマーを纏い、肉厚な長剣を抜いて右手に提げている。そして彼は、貴賓室に向けて何かを叫んでいた。錯乱している。

 なんだ? どうしたんだろう。彼の声は観客の声に掻き消されコールマンまで届かない。何を叫んでいるのか――いや知る必要はない。ただでさえ同郷かもしれない相手だからやり辛く感じているのだ、変に何を言っているのか聞いてしまったら、思い切ってやれなくなるかもしれない。


 間もなく始まるのだろう。そんな雰囲気を感じる。そこで、あ、と声を漏らした。審判の男の声を遮音していたら、開始の合図が聞こえないのではないかと。自分の間抜けさに舌打ちしマーリンに言った。


「……マーリン、遮音解除」

『あ、気づいたね。言われなかったら黙ってようかと思ってたのに』


 そこは言えよと内心呟く。やはりこのデバイスはいい性格をしている。

 ふぅ、と息を吐いた。畳み掛ける、一気にやる、迷わずやる。魔力炉心あたまを働かせろ、魔力を廻せ。術式の構築は済んでる、その発動のタイミングはマーリンに言えばノータイムで繰り出せる。

 いつでもいい。緊張はしてない。やるぞ、必ず。何――こんなもの、七歳の頃に経験したヴァイオリニストとしてのデビュー時に比べたらどうってことはない。大丈夫だ、大衆の面前で手にしたヴァイオリンを弾くよりも、よほど簡単なことなのだから。


『両者準備は整ったかな? 整っていなくてもはじめるぞ! ……では不肖このアダルバード・バークリーが審判役を務めさせてもらう。それでは――』


「I'm going to do it. (やってやる)」

『アイムガナドゥーイ……? 何、その言葉……』


 マーリンが訝しげに、コールマンの言葉を鸚鵡返しにする。何か物問いたげな雰囲気を感じるも、コールマンは黙殺して。

 審判の男、アダルバードが謳うように掲げた右手を振り下ろした。


『――はじめっ!』


 コールマンはゆっくりと走りはじめる。たっ、たっ、たっ……助走をつけながら全身甲冑の男に向けて駆け出して、マーリンに囁き掛けた。

誕生ortus。投擲動作の補助、頼むよ」全身に赤い魔力レッドカラーが纏われる。自分でやるよりも術式が構築されるのが遥かに早い。効率も、精度も段違いだ。間合いを見計らい、人に向けて攻撃する躊躇を噛み殺して、左腕の振りと共に気合いを一閃する。


「ぜ――りゃッ!」


 長槍を全力で投擲する。弾丸に比する超速で飛来していく投槍の軌道は水平――身体能力を強化した故に、化け物じみた膂力で一直線に飛んでいく。

 全身甲冑の男は面食らったようだ。混乱していたところに飛来したそれに、まともに胸部に叩きつけられる。男はよろめいた。甲冑が陥没している。貫通しなかったのが甲冑その物の強度が原因なのだとしたら厄介だ。予想通りとはいえ仕留められなかったのが残念でもあり、殺してしまわなかったのに安堵を感じもする。だが、まだはじまったばかりだ。先制攻撃から畳み掛けるのだ。

 もしかすると、死んでしまうかもしれない。死なないでくれと願う気持ちは強くあるが、それで手を抜いて負けてしまうのは嫌だった。我が身可愛さで、他者を害する自分に心が引き裂けそうになるのを堪える。外道め……自らを罵倒する声が聞こえた。自分の声だ。


 それがどうした。外道でいい。死にたくない、痛いのも苦しいのも嫌だ。他人よりも自分の身の安全を優先して何が悪い……!


Tonitrus!」


 マーリエルが言っていた。魔力波長は個人を特定する、生命認証などにも使われるもの。個々人で波長の異なるものだが、その性質は常に外部に発されており、その波長の及ぶ範囲は自分の領域になるのだと。

 故に駆けた。短槍を左手に持ち換える。そして自身の魔力波長の範囲――半径三十メートル以内に全身甲冑の男を捉え、男の頭上で魔法を使用した。術式が発動し赤い雷を発生する。落雷が広範囲に向けて叩きつけられる。地面を耕す絨毯爆撃だ。男の絶叫が聞こえる。それを掻き消すようにコールマンも叫んだ。聞きたくない、聞きたくない――! 魔力の三割を消費して赤雷を一分間落とし続けた。

 轟音が轟く。アダルバードが囃し立て、観客がコールマンを讃えている。それも聞きたくない! 更に吼えて、最後に大雷を落とした。


「はぁ、は、ぁ、はあ……」


 肩で息をする。砂塵が舞い上がっていた。

 アダルバードを見上げる。まだ試合終了とは言わない。まさかまだ相手は戦闘能力を喪失していないのか……? あの甲冑はそんなに頑丈なのか。

 クソッ、早く終わってくれ――祈りながら、追撃する。


「マーリン、相手の位置は分かるかい?」

『倒れていたのが、立ち上がったね。覚悟が決まったか……走り出そうとしてる。立ち位置は変わってないよ』

Flamma!」


 近づかれて堪るか。砂塵に向け、右手を掲げて炎の渦を噴射する。走り出そうとしているなら、こちら側から放射して近づけないようにするしかない。

 生きながらに焼かれる痛みに男が悶え苦しんでいる声が響いた。耳に残り続けるような叫びだ。歯を食い縛る。更に三割魔力を消費する。ずっしりと頭が重くなっていくように感じた。疲弊していく。魔力は最低でも一割は残さないと立っていることすら儘ならなくなるかもしれない。

 一分間、Flammaを使い続け、魔力の残り四割……後、三割しか使えない。炎の嵐に砂塵までも払われ、そこに剣を支えにして立っている男がいるのが見えた。


「っ……倒れろよ……なんで立っている……!」


 甲冑はその殆どが破損している。火傷も酷い。地面はクレーターばかりで、炎の渦の通った軌道上の地面が抉れていた。

 だが男は立っていた。普通の人間なら跡形も残らないのが、甲冑の恩恵か活動能力を保っている。保ってしまっている。その目がギラギラとした光を放っている気がして、コールマンはたじろいだ。

 魔法使い如きの魔法では倒し切れないのか? 魔導師の魔術でないと……。いや! ダメージは負わせられている。後一押しだ、後もう少しで倒せるはずだ! 自分にそう言い聞かせ、コールマンはTonitrusを使おうとして――男が、ほの暗い魔力の靄に包まれたのを目視した。


誕生ortusだね。魔力形質はブラックカラー。苦手な属性はないが、得意な属性もないありふれたものだ。……来るよ』

「……!」


 男もまた、最低限の訓練は積んでいたのだろう。同じ魔法を修めた者として見切れる。術式の構築精度が甘い。練度が不十分だ。

 だが大人の身体能力を強化したのだ。田畑と向き合って生きてきた大人の膂力が、如何にコールマンが肉体錬成を経ているとはいえそれに劣るものではない。その速度は不十分な強化だけでコールマン以上の脚力を叩き出していた。


 ドンッ、と男の足元の地面が弾けた。無策で突進してくる。剣を大上段に振りかぶり、叫んでいた。


「うぉぉわぁあああ!!」


 喘いでいるような、喚いているような、憎しみに染まった雄叫び。コールマンは牽制として雷撃を放つ。それはまたも男に直撃し、その胸部の甲冑を完全に破壊した。その衝撃によろめきながらも、瞬く間に男が接近してくる。

 腹を決める。当初の作戦通りにやるしかない。ここに来るまでに試合を終わらせるつもりだったのに、と歯噛みした。短槍を接近戦用の武器に選んだのは体格の問題だった。取り回し易い武器として、短槍を選んだのである。

 それを中腰に構え、穂先をまっすぐに男へ向ける。男の腕と、長剣の長さを足したものより僅かに間合いが広い。長剣の間合いに入られるより先に、渾身の力を込めて刺突を放った。


「ぎ、ぐっ」


 男の腹に短槍の穂先が突き刺さった。突進の勢いの強さも手伝い、穂先は根本まで埋まっている。自身の手に伝わる肉を貫いた感触に、コールマンは途方もない嫌悪感に苛まれつつも踏み込んだ。剥き出しの胸に蹴りを放つ。

 クリーンヒット。もんどり打って転倒し、地面を転がった男に向けて魔法を……。


「え……」


 転倒した衝撃で、破損していた男の兜が外れた。露になったその顔は――火傷などで爛れ、髪も焦げてしまっているが、見間違わなかった。分からないはずもなかった。それは、マイケルだった。元の世界で何度か見た程度なのに、分かった。分かってしまった。マイケル、それは、エイデンの父親――


「ぎぃ、ぃああああッッッ!」

「っ!?」


 マイケルが跳ね起きて、剣を振りかぶってまた突っ込んでくる。充血した双眸に理性はない。怒り、憎しみ……自室の鏡で見た、コールマンと同じ目。

 男は、父親は、叫んだ。


「エイデン……エイデンを、殺したなァッ!!」

「――」

「よくも、よくも、よくもォォオオッッッ! 赦さねぇ、ダンクワース、お前をこの手で殺すまで、死んで堪るかァ!」


 その気迫に、気圧される。最悪のタイミングで気圧された。短槍はマイケルの腹に刺さったままで抜けていなかった。だから長剣を鞘から抜いたのを、マイケルのあまりの気迫に圧され取り落としてしまう。

 あ、と間抜けな呟きが漏れた。――コールマンは、上手くやりすぎたのだ。手加減も、容赦もなく、呵責なき猛攻を加え過ぎた。それが我が子の死を伝えられたらしいマイケルを追い詰め、理性が飛ぶほどに激情を燃やしてしまったのだ。


 剣が、振り下ろされてくる。


 ――回避を――防禦か?――どっち――躱せない――なら防ぐ――素手でどうやって――躱さないと――


 脳裏に二択が過る。しかし判断が遅かった。

 ここでも、災いがある。動きやすさを重視して、軽装の鎧姿だったのが誤りだ。魔法を重点に置いていたのだから、多少の動き辛さは容認して重装の鎧兜で身を固めるべきだったのである。

 だから些細な攻撃すら安易には受けられない。それが判断に迷いを生じさせた。素手だから防げない、だから回避運動を取るべきで。回避を選ぶには、初動が遅すぎた。回避行動は半端に終わる。辛うじて身を捻っただけ。


 灼熱の線が、肩の先の上から下まで駆け抜ける。


「ぅ、ええ……?」


 間抜けな呻き。

 困惑の色に染まったそれは、しかし刹那の瞬間に激痛に変わった。


 右腕が、ぼとりと地面に落ちた。


 血が勢いよく噴き出す。激痛に脳を焼かれた。傷が激烈な痛みを訴えた。


「う、ぎぃぃいゃあああ――!?」


 混乱と痛みに彩られた叫びが少年の口腔より迸る。

 胸元に衝撃。転倒したコールマンは、マイケルに体当たりされたのだと悟るのにすら一瞬の間を要した。その一瞬の間にマイケルが馬乗りになってくる。

 剣の切っ先がコールマンの顔を睨み付けていた。無慈悲な鋼の視線。それが死を鮮烈に意識させる。コールマンは本能的に暴れた。強化されていても身体能力ではマイケルの方が上だ。しかしそれほどの差はない。顔の真横に剣が突き刺さる。闇雲に暴れ、失った右腕で殴ろうとしてしまう。しかし腕はなくしているのだ。反射的に左手で地面の土を掴み、それをマイケルの顔に投げつけた。

 マイケルが怯み、腰が浮いた。そこへ脚を抜き、マイケルを蹴り飛ばす。


 よろめいた男の下から逃れ、コールマンは必死になって立った。左手で右肩に触れる。血で滑り、肉の切断面の感触がした。ひ、ひ、と喉が引き攣る。

 コールマンはマイケルを直視した。体勢を整え今に襲いかかってきそうだ。少年の理性が弾ける。恐怖が臨界点を突破した。


「ぁああああ!!」


 言葉にならぬ叫び声を上げる。マーリンが何かを言っていた。落ち着け、魔力を使いすぎるんじゃない――それはコールマンの耳に届かない。

 手元に武器がない、右腕もない。今度近づかれたら今度こそダメだ、死ぬ、死にたくない――死にたくない!


Tonitrus! Tonitrus! Tonitrusゥ!」


 赤雷を乱発する。急激に遠退いていく意識が、まるで死に引き摺られるかのようで、更にコールマンの恐怖を煽った。

 限界を迎える。相手がどうなったのかすら認識できないまま、コールマンは精神疲弊マインドダウンを引き起こした。その場に崩れ落ちる。少年は――まだ十四歳に過ぎない少年は、それであっさりと意識を手放した。


 アダルバードが試合の終了を告げる声がしている。コールマンの初陣は、この世界への門出となる戦いは、そうして幕を下ろしたのだ。







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