(7)心に光を照らして
「えー、おあちゅまりのみなしゃま……本日は、どうもおちゅかれ、おつかれ……」
「おい、このオッサンもう酔ってんじゃねえか!?」
「何で始める前からべろんべろんなんだよ!」
「おめえ宮司だろうが! 最後まで仕事しろ仕事を!」
斎館の大広間。面前に立った宮司にブーイングが浴びせられた。宮司は真っ赤な顔で「うっせえバカヤロウ」と返したが叫んだ勢いで転びそうになったので腕を掴まれ強制的に退場させられた。「誰か代わりに挨拶やれー」と野太い声が飛ぶ。直会の会場には筋骨隆々の男たちが大勢座っている。そんな中、立ち上がったのは氏子の代表らしき痩せた中年だった。
彼はとろんとした目つきで「えー」と発した。
「おあちゅまりのみなしゃま」
「あんたもかよ!」
一同ツッコミ。細長いおじさんは幸せそうに「うへへ」と笑うと大人しく席に戻った。「誰かまともに挨拶できるやついねえのか!」と怒号が飛ぶ。もう挨拶は抜きでいいんじゃないかと呆れたが、その発想はないらしい。すると誰かが「秋ちゃんがいるぞ」と言い始めた。すると「そうだ秋ちゃんだ」「秋ちゃんにやらせろ」と賛同の声が上がる。
「え、私ですか?」
隅でちょこんと座っていた彼女は目をぱちくりさせた。皆は面白がって「頼む、秋ちゃん」「もう秋ちゃんしかいない」「よっ呉葉姫!」と囃し立てた。秋子さんは「ホントにやるんですか?」と戸惑いながらも立ち上がった。
拍手と注目が浴びせられる。彼女は緊張した面持ちで、すうと息を吸った。
「おあちゅまりのみなしゃま」
「噛みっ噛みじゃねえか!」
どっと笑いが起こる。秋子さんは赤面し、こほんと咳払いをした。
「えー、お集まりの皆さま、今日はお疲れさまでした。いやー……柄にもなく緊張しちゃいました。呉葉姫なんて大役が私に務まるかどうか不安で不安で。昨日なんか緊張で食事が喉を通らなかったくらいで」
「あれでかよー」
茶々を入れたのは鋼さんだ。秋子さんは「あはは」と髪を撫でつけた。
「でも私に姫役が務まるかどうか不安だったのは本当です。踊りの練習もたくさんしました。あと図書館で姫の文献を調べたりもしたんですよ? 先生の授業より難しい言葉がいっぱいで寝るのには丁度良かったです」
その軽口がまた笑いを誘った。
「さて呉葉姫がどういったひとだったのか。調べてみてもよく分かりませんでした。何しろ古い伝説ですからほとんど資料が残ってないみたいで。どんな事情があって、どこから流れ着いたひとなのか。いくつかの仮説は挙げられていましたが確実にこれと言えるものはないようです。たぶん姫の正体はこれからも永遠に分かることはないでしょう。でも……私が気になったのは姫の正体じゃありません。一番気になったのは、どうして姫が玉手箱を開けてしまったのかということです」
彼女は銀のペンダントに指で触れた。
「皆さんもご存知ですよね? 彼女は母親から一つの小箱を授けられていました。決して開けてはいけないと言われていましたが故郷が恋しくなった彼女は言いつけを破って箱を開けてしまいます。結果大波と嵐が吹き荒れて彼女は命を落としてしまった。……でも、これって不思議じゃないですか? どうして彼女は故郷に帰らなかったんでしょう? 帰ればいいじゃないですか。浦島太郎じゃないんですから。実際に帰ることができるかどうかは別にしても帰ろうとすることはできたはずなんです。でも彼女はそうしなかった。それよりもお母さんとの約束を破ることを選んだんです。不思議じゃないですか。どうして彼女は故郷に帰ろうとしなかったのか。何か帰れない事情があったんでしょうか? かも知れません。けれど私はこう思います。彼女は故郷に帰るつもりがなかった。だからお母さんとの約束を破ったんだって。それはなぜ……」
秋子さんは、会場に座る人たちをたっぷりと眺め回し、腕を広げた。
「きっと楽しかったから。村のみんなと一緒にいることが楽しかったからです。たくさんの友達や尊敬できる先生。弟や妹みたいな子供たち。お野菜をくれる気さくなお爺さん。お喋りなおばさんや、気の弱いお姉さんもいたかも知れません。ひょっとしたら……好きになったひとも」
気のせいだろうか。
彼女はもう違うほうを向いていた。
「そんな愉快なひとたちと一緒に過ごす毎日が楽しかったから。楽しくて楽しくて仕方がなかったから。だから故郷に帰ろうだなんて思わなかった。私は、そんなふうに思うんです」
彼女は胸に手を当てた。
「姫と村人の繋がりは今もまだここにあります。彼女が祀られて千年たった今も私たちが受け継いでいるんです。私はその繋がりを大切にしたい。ずっとずっと大切にしていきたい。いつまでも、ずっと続いて欲しい。心からそう願っています」
秋子さんは身を屈めグラスを手に取った。
「秋祭りは飽き祭り。一年の収穫に感謝し、飽きるまで賑やかに楽しむお祭りです。どうか皆さん遠慮なさらず、今夜は存分に御馳走を食べ尽しましょう!」
ではご唱和ください!
彼女の一言を合図に、皆が一斉に盃を掲げた。
秋子さんはその言葉通り存分に宴を楽しんだ。心ゆくまで御馳走を楽しみ、みんなと賑やかに騒ぎ合った。その幸せそうな姿を眺めていると不思議と昼間の言葉が思い出された。
『まるで本物の呉葉姫のようだ』
千年前、海の彼方から現れた異郷の少女は八色の村に福や富を授けたと伝えられている。
きっと彼女は、いつも騒がしくて、いつも笑っていて、周りのみんなが自然と笑顔になってしまうような、そんな女の子だったのではないだろうか。そうやって幸せそうに笑っている村のひとたちを見て、余所からやってきた旅人が『姫が富をもたらした』と間抜けな勘違いをしてしまったのではないだろうか。
「踊りましょう、成海さん!」
宴もたけなわになった頃、秋子さんが俺の手を握った。
「踊るって……俺、踊りなんかわからないよ?」
「いいからいいから!」
秋子さんはぐいぐいと手を引っ張った。斎館を出て、まだ参拝客で賑わう広場を横切った。何事かと目を丸くする人々の隙間を俺たちは手を繋いで駆け抜けていく。やがて辿り着いた池のほとりで彼女は身体を斜めに倒した。俺は慌てて腕で支えた。反動でくるりと反転し、その勢いにまた引っ張られた。それはとても踊りと言えるようなものではなく繋いだ手をただ振り回したり、くるくると廻ったりするだけのものだった。楓を見物していた参拝客が、ばたばたとはしゃぐ俺たちに好奇の視線を向けてきた。俺は羞恥を感じたが、秋子さんには気にする様子はなかった。俺も段々と楽しくなってきて、もう周りは見えなくなっていた。
くるくる廻る。くるくる。くるくると。
「あのさ、秋子さんっ」
融けて流れていく綺麗な景色。踊る彼女が俺を見つめる。
俺は、彼女の瞳を見つめ返してこう言った。
「誕生日、おめでとう!」
秋子さんはぱちくりと瞳を瞬かせてから、その日一番の笑顔を見せた。
「はい!」
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