エピローグ
recall
「どうしました? ミズ・レンフィールド」
社務所から戻ってくると、彼女は広場に向かって佇んでいた。
瞳の先には参拝客……いや、浴衣を着た二人の幼子の姿があった。姉弟だろうか?
弟の頬には涙が伝ったような跡がある。姉がその頬に手を当てた。
「はがね、おこってる?」
「……うん」
「けいが、ぶったから?」
「……うん」
「けいのこと、きらい?」
弟は、憮然として頷いた。
けいは泣きそうな顔をした。それから弟の身体を目一杯抱き締めた。「ごめん、もうぜったいにぶったりしないから」「きらいにならないで」
弟は一瞬戸惑ったようだ。だがすぐに安心したらしい。姉の頬に頬を寄せ、ぎゅっと背中に手を回した。二人はしばらくそうしていたが、やがて姉が「行こう」と促した。仲睦まじく手を繋ぎ、拝殿のほうへ駆けて行く。最後に弟がちらりと振り返った。
女史は、弟に向かって穏やかに微笑んだ。
「……遊んであげていたのですか?」
「ええ。Magicを少々」
「マジック? 手品ができるのですか?」
「てあらい程度には」
手洗い? ……手習いか。
ふと池を覗くと水面が落葉でいっぱいになっていた。こんな状態だったろうか?
彼女は姉弟のいなくなったほうを眺めながら、ぽつりと零した。
「考えていマシタ。娘のコトを。あの子が大きくなっていれば、今頃」
「……あれぐらいの年頃なのかも知れませんね」
無性にやるせない気持ちになった。
私は、女史に向かって頭を下げた。
「……? なぜ、ニシザキさんが、謝りますカ?」
不思議にそうに尋ねてくる。頭を下げたまま答えた。
「その男のしでかしたことを、同じ国の人間として情けなく思うのです。それに……日本が条約に加盟してさえいれば、少なくともこんな事態には」
そう、このような若く美しい女性が、二十代の貴重な時間を浪費することなどなかった。愛娘と引き裂かれる悲劇を防ぐことができたかも知れないのだ。日本人として、それを申し訳なく思う。
だが彼女には理解できなかったらしい。毅然とした態度で言った。
「顔を上げてくだサイ。国とニシザキさんは何の関係にアりません。私はアナタに、とても感謝しています。それに」
彼女は、柔らかな笑みを浮かべた。
「あの男にも私の国の血が流れています。半分は私の国のセイです」
「……一体どこにいるのでしょう。貴女が探しているという男は。一年程前にそれらしき人物を見たという人間はいたのですが」
「……どうせ、どこかでコイビトでも作って、楽しくやっているのでしょう」
そう吐き捨て、広場の方角に目をやった。
太鼓と銅拍子がリズムを奏で始めていた。
「呉葉風流舞ですね。始まったようだ」
「くれあ、ふりゅうまいん?」
「いえ、呉葉、風流舞。ダンスです。昔からこの神社で祀られている……ええと、プリンセスと言えばいいのか。それを、ええと」
説明に手こずる。この女性はまだ日本語がうまく話せない。わずか半年でこれだけの言葉を覚えた執念は驚嘆に値するが、それでも神道の概念は理解できないだろう。かく言う私自身、とても理解しているとは言い難い。適切な訳し方が思い浮かばなかった。
しかし、彼女は私の説明などもう聞いてはいなかった。
「くれは……」
ただ一言、呉葉姫の名を呟いた。
いや、それは恐らく姫の名ではなく……。
次に聞こえたのは彼女の母国語だった。上手く聞き取れなかった。しかし意味は何となく理解できた。彼女と出会ってから、何度か同じ言葉を耳にしていたからだ。
私は苦笑し、肩にかけたカメラを掲げた。
「どうですか、ミズ・レンフィールド。その楓の前で写真でも」
彼女は少し戸惑ったようだ。首を傾げ、浴衣の胸元に手を当てた。
彼女は何も観光に来ているわけではない。必死だ。張りつめたその横顔をカメラに収めてみたい気持ちはあったが、だからこそ、そうすることはできなかった。私の道楽に付き合わせるわけにはいかない。それは彼女の真剣を愚弄する行為だ。
だが今日は秋祭りで、彼女は気晴らしでここに来ている。一枚ぐらいならば許されるだろう。
彼女は乗り気ではなかったが、私が「是非」と頼み込むと、渋々ながら楓の前に立った。花紅葉と浴衣姿。落葉で染められた池と玉砂利。
今日一番見たかった画をファインダー越しに観賞する。
笑って欲しいと頼むと、彼女はぎこちなくはにかんだ。
広場から人々の歓声が上がった。境内は幸福と賑やかさで満ちている。
しかし、それでも、彼女のつぶやきが耳から離れなかった。
『必ず見つけて見せるわ。愛しいクレア。私の可愛い娘』
私は、惜しみながらシャッターを切った。
(了)
秋子さんの楽しい日常 大淀たわら @tawara
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