(2)消えた盃

 直会には祭りに携わった多くの人たちが参加する。必然的に多くの食器類が必要になってくる。会場となる斎館は宿泊所としても使用されているため最低限のものは備え付けてあるそうだが、それではとても足りないので不足分を社務所の物置から運び込んでくるらしい。この作業をマスターと秋子さんが担当していたそうだ。

「成海さんを迎えに行く前ですね。ここに着いたのが八時半頃でしたから、それから十五分ぐらい社務所と斎館を行ったり来たりしていました」

 秋子さんが指を左右に振った。運んできた荷物はひとまず玄関に積み上げていたそうだ。なくなった紙箱はそのなかに含まれていたらしい。

「海月堂で買ったものだけど、秋ちゃん覚えてる?」

 宮司の息子……嘉時さんというらしい……が尋ねた。秋子さんは「覚えてますよ」と肩幅ぐらいの大きさを胸の前で示した。

「これぐらいの大きさのやつですよね? 運んだのはお父さんだと思いますけど玄関にあるのは見かけました」

 宮司の妻が「ほら見たことですか」と宮司を睨んだ。宮司は悔しそうに顔をしかめたが特に何も言わなかった。

「私は途中で下に降りたので後のことは知らないんですけど……」

「そうですね。秋子さんが成海さんを迎えに行ったあと私が中身の検めていました。景色さんたち到着したのが五十五分頃。全体の打ち合わせが九時からでしたから、そのまま皆さんと宝物殿へ移動して……」

「その間になくなってたの?」

 尋ねると、マスターは首を振った。

「いえ、一度戻ったときにはまだあったのです」

 九時からの打ち合わせは五分程度で終わったそうだ。打ち合わせと言うより参加者の確認を兼ねた軽い挨拶だったらしい。場所は宝物殿の前でこれは斎館の反対側。拝殿を正面に見て左側の奥まった場所にある。例の丸太が保管されているのもこの建物だそうだ。

「神饌の準備について詰めておきたくてね。挨拶が終わったあと宗助さんと話しながら一緒にここまで来たんだ」

 そう説明したのは嘉時さんだ。

「玄関の前で五分ぐらい立ち話をしたんだけど、そのときはまだ紙箱はあったよ」

 マスターが、ええと同意する。

「だったらいつなくなってたんです?」

 秋子さんが当然の疑問を口にする。

 嘉時さんが言うには二人で話をしていたところ丸太を運搬していた一組が転倒してしまったのだそうだ。慌てて駆けつけ、脚を押さえるひとりを抱え起こした。転んだ拍子に脛を強く打ったようだが幸いなことに怪我などはなく、そのひとはすぐに作業に復帰した。しかし、その後もマスターたちは持ち場に戻らず、そのままの流れで丸太の積み込みを手伝っていたらしい。

「二人して何をやっていると思ったら。それで荷台に上がっていたんですか?」

 宮司の奧さんが呆れ顔で言った。マスターは「ええ、まあ」と頬を掻いた。

 二人は運ばれてきた丸太と幟を荷台の上から引っ張り上げる役をしていた。

 そこに儀式殿から出てきた奧さんが声をかけた。

「いえね、一回その盃を見せて貰おうと思ったんですよ」

「? なんでだ?」

「だって折角皆さんにお出しするものじゃないですか。あっちの柄のほうが良かったのかしら。こっちの柄のほうが良かったかしらって考えてたら、もう一回物を確認したくなって」

「お前またそんなどうでもいいことで……」

「どうでもいいとは何ですか。つまらないものを出して恥をかくのは貴方なんですよ?」

 宮司はなおも不服そうな顔をしていたが、反論が出る前にマスターが話を引き継いだ。

「奧さんに斎館まで来て貰う必要はありませんでしたから私ひとりで戻りました。そしたら紙箱がなくなっていて……」

「ええ、二、三分ぐらいでしょうかね。玄関を眺めていてもちっとも風祭さんが戻って来られないから軒先まで行って声をかけたんです。そしたら困った顔で出て来られて。ええ」

 当然、斎館へ運んだのは記憶違いで社務所に置いたままではないかという話になったが、そんなはずはないということで二人の記憶は一致した。では玄関に置いたままというのが記憶違いで秋子さんが奥へ運んだのではという話にもなったが二人で屋内を探してもそれらしきものは見当たらなかった。その後、宝物殿で運搬を指揮していた宮司を呼び出し現在に至る、ということらしい。

「僕と宗助さんが斎館を離れたのは十五分から二十分の五分程度かな。その隙に誰かが持ち出したってことになるけど」

 俺は、マスターに尋ねた。

「それって高価なものなの?」

「直接は見ていませんので分かりませんが。でも海月堂ですからねえ」

 その海月堂が分からない。口ぶりからすると値の張るものではなさそうだが。

 俺の疑問を察したのか、秋子さんが指を一本立てた。

「八色で個人が経営している雑貨屋さんですよ。値段の割に良いものが置いてあることで評判ですが別にブランドものってわけじゃないです。うちのお店にも置いてあります」

 海月堂。そう言えば『風祭』のどこかで見かけたような……。納戸だっけ?

 奧さんが顎に指を添え、中空を見上げた。

「新聞紙にくるまれた小さな盃が十五枚ぐらい入っていたでしょうかねえ。全部売ったとしても大したお金にはならないでしょう。盗むなら他に価値のあるものはいくらでも」

「なくなって困るものでもないの?」

「まあ、代わりのものはありますから」

「じゃあ、やっぱり誰か手違いで持ってっちゃったんじゃないですか?」

 秋子さんはあっけらかんと結論を述べる。俺が「誰かって誰さ」と尋ねると、うーんと腕組みをした。

 宮司がきょろきょろと辺りを見回した。

「景色さんたちはどうだ? 四人とも姿が見えんが」

「景色さんと山下さんには打ち合わせが終わってからすぐに買い出しに出て貰いました。嘉時さんと話をしていたので出発したところは見ていませんが……」

「あ、私、慶衣さんたちが坂から下りてきたのは見ましたよ。九時過ぎくらいでした」

 秋子さんがはいはーいと手を上げた。嘉時さんが肩をすくめた。

「どっちにしろ僕と宗助さんが斎館に来たときには四人ともいなくて紙箱はまだあったんだ。関係ないよ。なくなったのは松原さんが転んだときだ」

「外部の人間の仕業ってことか?」

「内部の人間の仕業かも知れない」

「……嘉時。お前、氏子さんを疑うのか?」

「可能性の話をしているだけだよ。今も境内にひとはたくさんいるんだ。僕らが目を離した隙に持ち出すのは不可能じゃない」

 それでもなあと宮司が諫めようとしたとき奧さんのところへ年配の女性が駆け寄ってきた。雁首を揃えて何の油を売っているのかと不審に思ったのか、宮司や嘉時さんを怪訝そうに窺ったあと何やら奥さんに耳打ちをした。奥さんが「ええ」「わかりました」と頷くと彼女はさっさと踵を返した。宮司は、儀式殿へ戻る女性を見送りながら「どうしたんだ?」と尋ねた。

「いえ、白衣の一枚に破れが見つかりまして。他の衣装も大急ぎでチェックして貰っていました」

「お前な。そっちのほうがよっぽど大事じゃないか」

「ですから確認して貰ってたんじゃありませんか。他に破れているものはないそうです。もう一度念入りに見て貰って何もなければ縫って終わりです。大したことじゃありませんよ」

 奧さんはきっぱりと言って、つんと澄ます。

 宮司は溜息を吐いた。

「まあ、そっちはお前に任せる。盃の件は考えても分からん。誰かが間違ってどっかに運んじまったんだろ。そのうち出てくる。宗助くん、とりあえずあるもん使って準備してくれ。秋ちゃんと高砂くんは宗助くんの手伝い。嘉時は……ああ、そう言えば新聞社から連絡あったらしいぞ。たぶん秋田さんだ。お前から電話入れといてくれ」

 宮司は手を叩いて作業に戻るよう促した。

 

「何だったんでしょうね?」

 畳に紙箱を下ろしながら秋子さんが小首を傾げた。がちゃりと陶器の触れ合う音。食器類はこれで最後だ。腰を下ろして一息吐いた。秋子さんも部屋の隅にちょこんと正座する。俺たちがいるのは斎館の一階にある和室だった。直会はここで開かれるらしい。大宴会場というほど広くはないが、こじんまりともしていない。中程度の大きさだ。部屋の奧には神棚。隅に座布団と長机が積まれていたが明らかに数が足りていなかった。不足分を運んでくるのも今日の仕事のひとつだろう。もう片方の部屋の隅には黒いナップサックが転がっていて、これはマスターの私物ではないかと思えた。中身は財布や車のキーと言ったところか。あんな話を聞いたあとでは少々不用心にも感じる。当のマスターは嘉時さんとどこかへ行ってしまった。

 俺は、ひいふうみいよと紙箱を数えた。十五箱。

「……何かしっくり来ないよね。タイミングにしても、なくなった物にしても」

 秋子さんは手元の紙箱の蓋に触れた。

「玄関にあったのは間違いないですよ?」

「うん、マスターも嘉時さんも見てるからね。勘違いじゃないと思う。でも仮に境内にいる誰かが箱を持ち出したとして……何の意味があるのかな。今持ち出したって邪魔になるだけでしょ? みんな働かなきゃいけないんだから」

「それなりに大きな箱ですからね」

「しかも中身が安物で金にならない。換えの利くものだから妨害にもならない。意味がないよ」

「外から入ってきたひとがたまたま目に付いたものを盗ってったんじゃないですか」

「だとしても、どうしてあのタイミングなのさ? 打ち合わせのときで良かったじゃないか」

「それもそうですね」

 二人が斎館を離れたのは転んだ人を助けに行ったから。つまりはただの偶然だ。しかも作業をしていたのは目と鼻の先で心理的にも盗みを働ける状況ではなかったはず。

 それに外部の仕業という話なら、気になる点がもう一つ……。

「? 成海さん」

 考え込んでしまっていたらしい。目の前で「おーい」と手が振られていた。俺は「なんでもない」とその手を下ろさせた。

 今話しても仕方のないことだ。準備に移ろうと紙箱の一つに手を伸ばした。

「……うっわ」

 しばらく使っていなかったからだろう。埃っぽさに呻いてしまった。中に入っていたのは一枚の大皿で奧さんが言っていた通り古新聞に包まれていた。高価な品かどうかは分からない。

「これ、洗って使うんだよね?」

「もちろん。奥の炊事場で。ここで出してから運びましょう」

「箱ごと持ってけばいいんじゃないの?」

「狭いですから。運べないことはないと思いますけど立つ場所なくなりますよ。……にしても古い新聞使ってますね。これなんか私の誕生日の二日前ですよ」

 と感心したところで「あっ」と彼女は口を丸くした。俺もそう言えばと顔を上げる。秋子さんは膝を付けたまま、ずいと瞳を寄せてきた。

「成海さん。夜は来てくれますよね?」

「……うん、迷惑でなければ」

「迷惑だなんて。成海さんが来てくれたらみんな喜びます」

「ありがと。着替えてから行くよ。この格好だし。……荷物も取って来なきゃ」

 荷物という言葉に察するところがあったのか。秋子さんは、ふふと笑みを漏らした。口許に両手を当て「楽しみにしていますね」と声を弾ませた。


 取り出した食器類は小分けにして炊事場へ運んだ。俺が洗い、秋子さんが拭き取るという作業を繰り返しているうちにマスターが戻ってきた。でも、またすぐに席を離れると言う。訊くと家に忘れ物を取りに戻るだけとのことで三十分もしないうちに帰ってきた。皿洗いが終わると今度は三人で斎館の掃除に取り掛かった。秋子さんが「どっかにあったりしませんかねえ」と襖やら物置やらを漁りまくっていたが盃らしきものはついぞ見つからなかった。

 そして慶衣さんらも戻り、皆で配られた弁当を食べているときのことだ。嘉時さんが現れ、畳の上に紙箱を置いた。

「……どこにあったのですか?」

「下の公園の歩道。道の真ん中に置いてあったそうだよ」

 海月堂と書かれた紙箱を開けると白い陶器の盃が重なっていた。

「数は揃っているし損傷もない。確かにうちのもので間違いないようだ。捨てたと言うより借りたものを返したって感じだな。狐につままれた気分だよ。参ったな。うちはウカノミタマは祀ってないんだが」

 嘉時さんは苦笑したが、冗談が通じたひとはいないようだった。

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