(6)複雑な肖像
「ちょっとコウ。これ全部開けんの?」
「残しといても仕方ねえだろ。今日中に使い切ろうぜ」
「つかアンタ買い過ぎでしょ。加減ってもんを知らないわけ?」
「んだとコラ。任せるっつったのお前だよな? 昼間の決着つけんのかコラ」
「まあまあお二人とも。今夜は成海さんもいますから。心配しなくても使い切れますよ。あ、お父さん。ライター持ってきました?」
「はい、こちらに。秋子さんこそバケツは用意したんですか」
そうでしたと口に手を当てる秋子さん。慌てて店の裏手へ周ろうとする。
「秋子さん、俺が取りに行くよ」
彼女は振り返り「大丈夫です」と白い歯を零した。
「もうすっかり良くなりましたからっ」
後ろ向きに駆けながらグッと両腕でガッツポーズを取った……瞬間「わわっ」とバランスを崩して派手にこけた。本当に大丈夫なんだろうか。心配にはなったが当の本人はお尻をさすって照れ笑いをしていた。調子が悪そうな様子はない。夕食は引くほど食べていたし問題はないのだろう。
その間にも鋼さんは電灯の下で包装を開き中身をずらりと並べていた。顎に手を添え「フフフ」と口の端を釣り上げる。
「今夜の俺は花火職人サマよ。とっておきのライトショーをお披露目することになるだろうぜ」
「なに? 自爆でもしてくれんの? 哀しいわ。死んだら二度と姿を見せないでね」
腰に手を当てたマスターが呆れた。
「まあ、周りに民家がないので騒ぐのは構いませんが。火傷だけは気を付けてください。あとお店と駐車場に焦げ跡を付けないように。雑草は焼かないこと。時々車が通るので煙が充満するような真似は控えて。もちろんあなた方も道路に飛び出さないよう十分に注意しながら……」
「わあってるよ宗助さん。何年やってると思ってんだ?」
「何年たっても分かって貰えないから言ってるんですがね……」
「まあ、そいつが焼け死んでも自業自得だから。ほい、成海。これなんかどう?」
慶衣さんが花火の一本を差し出してきた。礼を言ってそれを受け取る。暗がりの中、細長い棒切れをじっと眺めた。さほど長く火が灯るわけでもないだろう。点火して十秒もたてば燃えかすになっている。たったそれだけの些細な楽しみ。でも今はわくわくする気持ちが大半を占めている。一体どんな色を見せてくれるのだろう。
「お待たせしましたー」
秋子さんが小走りで戻ってきた。バケツを受け取り、花火を一本手渡した。彼女は満面の笑みで「ありがとうございます」と声を弾ませた。俺は頬を指で掻く。
マスターがライターのスイッチに指をかけた。
「では、どなたから点けますか?」
お互い顔を見合わせた。遠慮したと言うよりマスターの質問を素直に受け取ったという雰囲気だった。ややあって鋼さんが、さも当然というふうに言った。
「成海で良いんじゃねえの?」
慶衣さんも自然に同意する。
「そーね、成海でいいわよ」
「ささ、成海さん、遠慮なく」
秋子さんは、どうぞと手のひらを向けてくる。
見返すと、彼女は元気に頷いた。
「分かりました。では成海さんから」
カチリと音が弾け、オレンジ色の炎が灯った。俺は、温かなその光に花火の先端を近づけた。なぜだか無性にどきどきした。やがてしゅわっと音が弾け、火花が暗闇を照らし出した。
「本当に、ありがとうございました。何とお礼を言ったらいいのか」
駆けつけてきたその女性は、かすれた声で深々と頭を下げた。秋子さんは恐縮した様子で「いえいえ」と手を振った。そんな彼女たちのやり取りを娘の楓ちゃんが不思議そうに見上げていた。
楓ちゃんが口にしていた暗号のような言葉の並び。それは彼女が両親と一緒に見たという地図記号だった。遊びと学習を兼ねて親子で地図を眺めたことがあったらしく、どうやらそのときに覚えたようだ。ただ楓ちゃんは記号が場所を示していることは理解していても、その場所が何であるかまでは全く分かっていない。丸や二重丸で表現する場所があることは知っていても名前や役割までは説明できないのだ。まあ、まだ三歳なのだから理解できなくて当然なのだが。
彼女が挙げていたものを順に説明すると『×』は交番。『◎』は市役所。『お日さま』は工場で、『ご本』は図書館になる。『鉛筆』がよく分からなかったが秋子さんと検討した結果、博物館だろうということで落ち着いた。スマホで楓ちゃんに確認したところ「えんぴつ!」と指を指したので間違いないだろう。そして楓ちゃんの母親がいたという、まるのところ。地図記号で『○』は町村役場を表している。つまり八色町役場だ。二人で転入の手続きに出向いたそうだが窓口で書類を書いている隙に楓ちゃんが外へ出てしまったらしい。町役場から海水浴場までは徒歩で数分。三歳の子供でも十分に歩ける距離だ。浜に迷い込み、波に攫われそうになったところを秋子さんに保護された。
海水浴場から町役場に連絡して貰ったところ話はすぐに通じた。向こうでも何度も呼び出しをかけ、これはいよいよ警察に連絡しなければと慌てふためいていたという。
迎えに来た母親は楓ちゃんをしっかりと抱き締めた。「よかった」と頭を撫で、涙を隠そうとしなかった。秋子さんは母娘の姿を嬉しそうに見つめていた。まるで自分が抱き締められているみたいに。
「古宮流九十九式……大・車・輪ッ!」
「バッ……あぶな! 振り回すな、バカコウ!」
「バカヤロウ、今夜の俺はまだまだこんなもんじゃないぜ!」
奇声を発しながら花火を振り回す鋼さん。その背中を慶衣さんが蹴り飛ばした。遠巻きに観ていた秋子さんが「あはは」と笑った。その手には小さな紐が摘ままれている。線香花火だ。形の定まらない不規則な光が秋子さんの頬を照らし出していた。松葉を見つめるその横顔は、嬉しげにも、楽しげにも映った。寂しげにも。哀しげにも。複雑な肖像は否応がなしに昼間の表情を思い起こさせる。母娘を見つめる、胸の締め付けられるような笑顔。
花火の先端は、やがて静かに膨れ上がっていく。
(……それでも、会いたいんだろ。お母さんに)
重みに耐えるだけの力を、朱い蕾は持っていなかった。
数日後の朝、俺のスマホに着信があった。珍しい番号だった。不安を覚えながら画面をタッチすると甲高い声が筐体を震わせた。
「あたし、あたし! お久しぶりねー、成海くん」
耳から離し、返事をした。
「……どちらさまでしたっけ」
「え!? 成海くん、あたしの番号残してないの!? あーたーし! あたしだってば!」
「おお、まさか噂に名高い振り込め詐欺のお方?」
「誰が詐欺よ!? 茅野! 茅野花彩! 前に一緒に穴掘りしたじゃん!」
「冗談だよ。ちゃんと登録してるよ」
電話口の声は「君が言うと冗談に聞こえないよ」とぷりぷりした。
茅野花彩。夏休みの初めに知り合った中学生だ。呉葉神社の松林で失踪した叔父の絵を探していた。騒がしい声を聞くのはそれ以来になる。
「ホントは秋子さんに連絡したかったんだけどさー。秋子さんってば携帯持ってないじゃん? で仕方なく成海くんに電話したんだけど」
「伝言? 何を伝えとけばいいの?」
茅野は「いやね」と切り出した。
「叔父さんの家を掃除してたら古い写真が出てきてさー。カメラやってたおじいちゃんのみたいなんだけど、そこにね、秋子さんが写ってるの! 私もうびっくりしちゃって! だってもう二十年とかそんな前の写真なんだよ? そこに秋子さんと同じ顔した女のひとが立ってんの! 何これタイムスリップなの? って目を疑っちゃったんだけど、これたぶん秋子さんのお母さんだよね? あ、成海くん秋子さんのお母さん見たことある? もうね、すっごい美人。やっぱり親が綺麗だと子供も綺麗に育つんだねー。はあ羨ましい……って成海くん、聞いてる? もしもし? もしもーし?」
茅野が筐体の向こうで繰り返す。
その騒がしさとは裏腹に、俺の頭はフリーズしていた。辛うじて生き残っている回線が何とか役割を全うしようとする。舌が震えた。
「……聞いてる。誰が写ってるって?」
「聞いてないじゃん!」
茅野は、だーかーらーと語気を強くした。
「秋子さんのお母さん! 呉葉神社の境内で撮った写真が叔父さんの家に置いてあったの!」
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