(7)人生の意味を問いかけるように
県立八色高等学校。秋子さんたちが通う高校だ。曰く『風祭』から自転車で十五分ほどかかるらしい。俺たちは全力で七分だった。海から四、五キロ離れた山のふもとに白い校舎が佇んでいるのが見えた。のんびりとした校風だそうだが、そんなものは見た目だけでは分からない。でも飾り気のない校舎の上をゆったりと雲が流れていく様を眺めていると、それも理解できるような気がした。
のんびりしているのかも知れない。
「成海、こっちだ!」
学校は孤立しておらず周囲は住宅が密集している。鋼さんが示したのは南棟の裏手だった。向かう先から楽しげな音色が流れてくる。
桐ちゃんは、秋子さんが友達と歩いている姿を頻繁に見かけると言った。そして八色校の生徒だと認識できていた点から考えても、それは彼女が制服を着用しているときだ。
だが果たして登下校の時間だろうか? 俺は否と結論付ける。もし登下校の時間に彼女を見かけていたのだとしたら、秋子さんは自転車通学ですかなどと尋ねるはずがない。当然知っているはずなのだ。自転車から降りて歩いていたとしても必ず車体は突いている。では他に制服を着て、友達と歩いている姿を見かけるとすればどこか?
学校だ。桐ちゃんの自宅は、八色校の校舎が覗ける位置に建っている。
「あれ? 古宮さん。それに、高砂さんも」
秋子さんを捕まえることが目的だった。なので必ずしも桐ちゃんの自宅を特定する必要はなかったのだが、彼女の家はあっさり見つかった。南棟に面して立ち並ぶ住宅の一棟。その庭先で彼女はプランターに水をあげていた。帰宅後に着替えたのだろう。シャツにハーフパンツというラフな出で立ちだった。茹で上がった卵みたいな俺たちを見て目を丸くした。
「どうしたんですか? こんなところで」
答えず、桐ちゃんの家を……背後に聳える校舎を見上げた。いや、見上げる必要はなかったかも知れない。見上げずとも先ほどから充分耳に届いている。桐ちゃんを悩ませていた音の正体。
吹奏楽部の演奏音。
前に秋子さんが話をしてくれたではないか。今年は吹奏楽部が強い。休み返上で練習をしていると。確か四月に顧問が入れ替わったことが理由だった。放課後は勿論、夏休みに入ってからも日中は音が鳴りっぱなしだったはずだ。防音対策は施されているようで騒音というほど大きな音は漏れていない。だが執筆に没頭したい桐ちゃんには、この程度の音量が差し障りになっていたのだ。
『私、音楽の鳴ってるとこだと集中できないんです』
思えばこの言葉も、音楽を聴かざるを得ない場所で作業をしていたからこそ出てきたものではなかったか。集中できないと分かっていて自分から音楽をかけたりしないからだ。
学校施設も近隣住民からは迷惑施設と捉えられる例はある。校内放送や運動部の声出し。吹奏楽部の演奏など最たるものだ。考え方によっては工場以上に引っ越し先としては適切ではないのかも知れない。だが桐ちゃん曰く、彼女の両親は『文化活動には寛容』らしい。きっと学生の校内活動にも一定の理解があるのではないだろうか。
鋼さんは、状況が呑み込めていない桐ちゃんに掻い摘んで事情を説明した。彼女は眼鏡の奥で瞳を瞬かせた。
「来てないですよ? 秋子さん」
鋼さんの貌に喜色が浮かんだ。どこで追い抜いたかは知らないが先回りができたのだ。桐ちゃんは如雨露を抱えたまま続きを口にした。
「けど帰る途中ですれ違いました。随分と困っていましたね。自転車のタイヤがパンクしてしまったとかで」
「え?」
声が、間抜けに揃った。
演奏に聞き惚れるような沈黙を挟んでから、鋼さんは繰り返した。
「自転車がパンク?」
「ええ。『風祭』で誰か呼んできましょうかとは言ったんですけど、もう近くだからって」
「……」
「そもそも秋子さんは私のうちは知らないと思いますよ? 教えたことないですし」
「…………」
「そう言えば、お二人はどうして私の家が分かったんですか?」
会話は続かなかった。鋼さんは唇を真横に結び、汗を噴き出しながら固まっていた。桐ちゃんはただただ小首を傾げる。ジャンと綺麗に音が揃い、演奏は華やかに幕を閉じた。
「サイッッッテーよこいつッッッ!」
店内に怒号が轟いた。いや、たぶん店の外にも轟いていた。窓ガラスが震え上がった。
「信ッ……じらんない! 昔から見下げたクズだと思ってたけど、まさかここまで堕ちてたなんて! よりにもよって……よりにもよって、こんな、こんな盗撮写真を……! しかも! 秋子のッ!」
「いや、慶衣さん。これは盗撮写真じゃなくてね」
「成海は黙ってなッ!」
ひい。
慶衣さんは一喝すると再び鋼さんに矛先を向けた。身の竦むような罵詈雑言の数々。鋼さんは正座で罵声を受け入れていた。当の秋子さんは二人の間でどうしたものかと困惑の笑みを浮かべている。俺は、各種疲労に肩を落とした。
疑問に感じても良かったのかも知れない。なぜ秋子さんが暑い盛りに自転車を突いて帰ってきたのか。トラブルとは何を指していたのか。
桐ちゃんが言ったとおりだ。秋子さんは彼女を追いかけてなどいなかった。当然だ。足がなければ遠出はできない。秋子さんはパンクした自転車を店の裏手へ回していただけだった。それを俺たちが、桐ちゃんを追いかけたものと勘違いしてしまったのだ。
いや、誤解という表現は適切ではない。慶衣さんは確かにこう言った。「秋子さんは桐ちゃんに忘れ物を届けに行った」と。つまり慶衣さんは俺たちが外へ出ていくように仕向けたのだ。俺と鋼さんが荷物を運んでいるうちにUSBを隠し、秋子さんに身を隠しておくよう言い聞かせ、そのうえで俺たちが秋子さんを追いかけるように誘導した。
狙いは何か。もちろんメモリーの中身を確認するためだ。いたずらか、怪談で脅かされた仕返しのつもりだったのだろう。褒められた行為ではないし振り回された身としては恨み言の一つも言いたくなる。だが見られた中身が中身だけに抗弁もしづらい。何より、怒り狂う慶衣さんに歯向かう勇気など俺にはなかった。
それができるのは秋子さんだけだ。慶衣さんが肩で息を継ぐ一瞬の隙に口を挟んだ。
「まあまあ慶衣さん。落ち着いてください。別に裸が見られたわけじゃないんですから」
「裸よりやらしいわよあんなのッ!」
「そんな大げさな」
「大げさなんかじゃないわよ~~~~」
……どんな写真だったんだろう。
自然と視線がスライドする。秋子さんとぱちりと目が合った。彼女は胸の前で手を合わせ、えへへと笑った。それから指をもじもじとさせ、上目遣いでこちらを窺った。
「…………見ました?」
首を振った。全力で首を振った。
一方の鋼さんは沈黙を保ったまま神妙に床を見つめていた。まるで裁きを待つ罪人が自らの運命を受け入れながらも人生の意味を問いかけるような、そんな静謐さを携えていた。いや、知らんけど。
そして、審判者は拳を鳴らす。
「さあ、言い遺すことがあるなら言ってみな。あんたの父ちゃんと母ちゃんには一応伝えといてやるよ」
鋼さんは無言で瞼を閉ざした。
だが、やがて遺すべき言葉が決まったらしい。顔を上げ、落ち着いた口調でこう告げた。
「ひとのものを勝手に覗き見るのは良くないんじゃないか?」
斜めに放たれた拳が鋼さんの顎を的確に捉えた。
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