(5)俺は関係ないのでは?

「どーする、成海……?」

 鋼さんは窓に張り付いて外を見た。俺も、隙間から同じ方向を覗いた。

 秋子さんの自転車がなくなっていた。慶衣さんの言葉を裏付けるように。

「どうするって……」

 返答に窮していると、坊主頭がギギギと動いた。

「あれの中身を見られたら、俺たちは終わりだぞ……?」

「いや、鋼さんのUSBだってことは桐ちゃんも知ってるでしょ? 中身までは……」

「バッカ、お前……秋子だぞ!? 渡し忘れたデータがあるかもですね~とか言って、その場で中身を開きかねねえぞ!?」

「鋼さんのモノマネひどいですね」

「いいんだよそんなことはッ」

 俺は、ううむと腕を組んだ。

 俺たちは終わり。終わりなのだろうか。うむ。確かにあんな写真を保存していると知られたら社会的には死んだも同然だろう。市販のエロ動画を落とすのとはわけが違う。他にどんな写真があるのかは知らないが更衣室の一枚だけでも女子からの信用を失うには充分なインパクトだ。誤解だと釈明したところで今後警戒の目を向けられることは避けられない。避けられないのだが……。

 再度ふうむと唸る。

 至極冷静に『俺は関係ないのでは?』という結論しか出てこなかった。

「ええと、鋼さん」

「おう」

「犯罪者として生きてください」

「てめええええええええ」

 血の涙を流さんばかりの勢いで掴みかかってくる。

「だって俺は関係ないじゃないですか!? あれは鋼さんが勝手に持ってきたもんでしょ!?」

「薄情者裏切り者地獄の底まで呪ってやるううう」

「ええい、手を離せ!」

「何やってんのよアンタら……」

 慶衣さんが冷ややかに……軽蔑すら込められていそうな眼差しで、心底から呆れた。

「何のいかがわしいもん持ってきたのか知んないけどさ。別にいいじゃん。あんたがドスケベ変態なのは周知の事実なんだから。改めて軽蔑されるだけだって」

「何が良いんだコラァ!?」

 唾を飛ばした。しかし相手をしている暇はないと判断したのだろう。彼は向き直り、俺の首にぐるりと腕を回した。耳元で囁いてくる。

「成海」

「……なんですか」

「俺に協力しなければお前の依頼で収集したものだと言い触らしてやる」

「普通に最低だな、あんた!」

 鋼さんは、クククと追い詰められた者特有の、余裕のない笑みを浮かべた。

「元はと言えばお前が余計なことを言ってくれたからだろうが。責任を取れ」

 反論を封じるように素早く続けた。

「なに、別に大したことじゃない。協力しろ。秋子を追いかけてメモリーを取り戻す。それだけだ」

「ならさっさと秋子さんに連絡付けりゃいいでしょ」

「無理だ。あいつ携帯持ってないからな」

「え?」

 今どき? この現代にそんな高校生がいるのか?

 真偽を確かめようと慶衣さんを窺った。彼女は頬杖を突いたまま、

「ホント。マスターが持たせてないの。不便だよねー」

 と厨房を見やった。

「パソコン全般をつつかせてないみたいだね。そーゆー教育方針はどうかと思うけどさ」

 ……そうか。だから小説の投稿サイトを知らなかったのか。たまたま概念を知らなかったんじゃない。概念を知るためのツールすら持っていなかったのだ。さっきもUSBメモリーをパソコンの付属品と妙な表現をしていた。

 中学の頃は羨まし気に他人のスマホを覗いているやつもいないではなかった。しかし高校になるとさすがに見たことがない。存在していないわけではないだろうが、希少だ。

「それじゃあホントに早く追いかけないと」

「そうだよ。けどよ成海。お前、桐ちゃんの家がどこにあるのか知ってるのか?」

 否定する。知るわけがない。

「俺も知らん。慶衣は?」

「知らないわよ」

「だろうな。そこでだ、お前桐ちゃんの家がどこにあるのか考えろ」

「はあ!?」

 素っ頓狂な声が飛び出た。

「んな無茶な。分かるわけないでしょ? 何を考えたら分かると思ってるんですか?」

「それを今から考えるんだよ!」

「電話帳で調べるしかないんじゃ……」

「それこそ今どきそんなもん載せてるわけないだろが」

 と慶衣さんが自身のスマホを揺らして見せた。

「桐ちゃんの番号なら分かるわよ?」

「マジか、何だよお前、早く言えよ」

「人にものを頼むときは相応の態度ってもんがあるんじゃないの?」

「靴! 靴ですね!? 舌で綺麗に艶を出せばいいんですね!?」

 速やかに四つん這いになる鋼さん。本気で靴を舐めかねないと考えたのか、慶衣さんは怖気に顔を顰めつつスマホに指を伸ばした。耳に当て数秒、無言のまま筐体を離した。

「駄目ね。繋がんないわ」

「くっそッ! お前はホントに役に立たねえな!」

「成海、こいつ殺してもいい?」

 鋼さんは床に膝をついたまま俺にしがみついてくる。

「ほら、成海。考えろ! 何か桐ちゃんの家を特定するためのヒントが! あったんじゃないのか!?」

「そんなこと言われても……」

 口にしてから、ふと気付く。そう言えば……。

「家の隣がうるさい、って言ってましたね」

 そうだ。大前提ではないか。彼女が図書館に通っていたのは騒音で執筆に集中できなかったからだ。『風祭』で執筆している現在も原因は解消されていない。彼女の自宅は騒音のある場所に建っている。

 鋼さんは顎に手を添えた。

「家の隣がうるさい? 何だ。隣の家で夫婦喧嘩でもしてんのか?」

「喧嘩なんて一日中続くもんでもないでしょう。それに……近所は親切なひとばかりだって言ってませんでした? 隣がそんな家庭なら、そんな印象は出てこないんじゃないですか。他にもっと継続的な原因があるんじゃ」 

 継続的な原因。言ってはみたものの具体例が思い浮かばない。眉間を指でこすった。

 桐ちゃんは、最初は自宅で執筆していたらしい。しかし家の隣がうるさくなり執筆に集中できなくなった。『最近』の捉え方は物事によって異なるだろうが彼女が図書館に通っていた時期を考えると、それは数か月の範囲だ。数か月前に原因となる何かが発生し、それが継続しているということになる。

「……普通に考えりゃ工事だな。隣で家を建ててるとか」

「心当たりあります?」

「ねえな。見当もつかねえ。仮にあったとしても……八色にどんだけの人間が住んでると思ってんだ? 家の新築なんざ珍しくもねえ。特定は無理だ」

 その通りだ。もちろん実際は町全体を調べる必要はない。桐ちゃんが『風祭』まで自転車で通える程度なのだから、せいぜい数キロの範囲だろう。それでも虱潰しを試せる数ではない。時間が限られている現状では尚更。だが、そもそも……。

「個人宅の建築って可能性は低いかも」

「なぜだ?」

 俺は、ノートパソコンをちらりと見た。

「図書館に幽霊が現れたのは三か月前。子供らが気付いてなかった期間を考えれば実際はもっと前です。個人宅の建築ならとっくに終わってなきゃおかしいでしょう」

 鋼さんは立ち上がり膝を払った。手繰るような目つきをする。

「確かにな。うちの姉貴が家を建てたときも二か月足らずで建て終わった。未だに完成してないってことは余程の大豪邸ってことになるが……聞いたことねえな、そんなの」

「でしょう? だから工事だとしてももっと別の何かです」

「舗装とか、配管工事とか、そういうのか?」

「それにしたって、それなりに大きなものでなければ三か月もあれば大体終わるんじゃないですか?」

 鋼さんは、腕を組んで天井を仰いだ。

「完成までに半年以上かかる工事で、ここの近く? ……あるか? そんなの」

「ありますよ」

 と答えたのは俺ではない。手を拭いながら厨房から出てきたマスターだ。彼は慶衣さんの背後を通り過ぎると壁の戸棚から食器類を下ろし始めた。世間話の体で気軽に続けてくる。

「事情はよく分かりませんが……住宅街で大きな工事をしているところを探しているのですか? それならここから、さほど離れていない場所に。あの子は成海さんも案内したことがあると言っていましたが」

 二つの視線がこちらに注がれる。俺は疑問符を浮かべるしかなかった。

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