(4)好奇心は猫を殺す
「人聞きの悪いこと言うな。よく見ろ。お前はこれが盗撮写真に見えるのか?」
改めてディスプレイに視線を移す。眼球を動かすだけの些細な動きにこの上ない羞恥と罪悪感を覚えながら。そして、ある事実に気が付いた。
写っているのは更衣室。恐らくは八色校……部室の類ではないだろうか? 慶衣さんや秋子さんとそう変わらない年頃の女子たち。そんな彼女たちが着替えをしている写真、であることは間違いなのだが……全員がカメラ目線だった。胸元を隠しながら驚きの表情を見せている娘もいれば、撮影を止めようと手を伸ばしている娘もいる。一様に窺えるのは抗議の意志。だが全員がカメラマンの存在を意識していることは疑いようがない。つまり盗撮写真ではない。
「…………更衣室に押し入って撮影したんですか、鋼さん」
「尊敬するわ。そんなやついたら」
「だったら、何なんです?」
鋼さんは「あー」と顎を掻いた。他人事のように答える。
「たぶんな、卒業アルバムの写真」
「……卒アルの写真?」
無意識にディスプレイに視線を転じ、また恥ずかしくなって目を逸らした。
「使えないでしょ、こんな写真」
「そうだよ、だから使えない写真なんだよ」
ピンと来ない。そんな表情をしていたのだろう。鋼さんが再度「あー」と唸った。手にした扇子で額のあたりをこつこつと叩く。
「つまりだな、卒アルには個人写真とは別にクラスページとかあるだろ?」
俺は「ええ」と一応認める。
「行事とか、部活動の写真なんかも載りますね」
「うちの学校の場合、各クラスから二人のアルバム制作委員が選出されて撮影から写真の選別まで全部そいつらに任されるんだな。行事はもちろん、校内での日常風景も撮影したりするんだが中には写しちゃいけない場面が偶然撮れてたりすることもあるんだと思う」
「たとえば?」
「風が吹いたりとか」
「あー」
俺の反応に坊主頭がこくりと頷いた。扇子の先が画面を指した。
「他にもこんなみたいに悪ふざけでシャッター切ったり、修学旅行のテンションでこっ恥ずかしい写真を撮ることもある。もちろん教師のチェックが入るから使用すべきでないと判断された写真は除外されるし、そもそもそういうのは撮影者の判断で提出されない。だけどデータ自体は存在するわけだな。俺が思うにこの写真はそれだと思う」
「それだと思うって、鋼さんが持ってきた写真でしょ?」
「いや、ほら。さっき桐ちゃんにあげた秋祭りの写真な? あれのデータと一緒に入ってたんだわ。貰ったのは国枝ってたわけた女子なんだが、そいつが卒アルのカメラマンでよ」
「間違ってコピーしちゃったってことですか?」
「たぶんな。プレゼントでくれるようなもんじゃねえだろ」
成る程、卒業アルバムの没写真か。
俺は、ディスプレイをちらりと窺い、また慌てて視線を逸らした。目のやり場に困る。
表示された画像をクリックで閉じた。
「……中身は見たんですか?」
「数枚な」
「数枚って?」
「数枚って言ったら数枚だよ。突き詰めるな。仕方ないだろ? 俺だって最初は何の写真かわかんなかったんだから。不可抗力だ」
うそぶく鋼さんを見て確信する。
このひと、それなりに見てやがるな。
「国枝本人もカメラ狂いで所かまわず撮りまくってるからな。これ以外にもまずいやつが保存されてるんじゃないかと思うぜ?」
そんなものがどうして俺のパソコンに刺さっているのだ?
理不尽を感じつつ、鋼さんを見やる。
「……で、どうするんです? このまずい写真」
「削除するよそりゃ。さすがにこんなもん持ってるって知られたら俺の立場が危うくなる」
「えー、だったら何で見せるんですか?」
「いや、滅多に見られないもんだから誰かに話したくて」
迷惑だよ。
「お前は良いだろ。別に。うちの生徒じゃねえんだから」
「それでも何か後ろめたいですよ」
「まあな。でも秋子の写真もあるんだよな」
「…………」
「ほら、このサムネ。小さくてよくわかんねえけど、この金髪は秋子だろ? こっちのやつも」
「…………」
「見たくね? 秋子の没写真」
鋼さんは扇子の先でディスプレイを小突く。見慣れない制服姿だが確かに秋子さんだった。学校の渡り廊下だろうか。背景に紫陽花が映り込んでいることから梅雨頃の写真であることが分かる。友人たちと何かを見上げているところを真横から写したもので髪にタオルらしきものを当てていた。もう一枚は修学旅行の宿泊先で撮影したものだろう。こちらも見慣れない浴衣姿だった。前傾姿勢でポーズを決めているように見えるが手に持つラケットから察するに卓球で遊んでいる場面ではないだろうか。両方ともサムネイルが小さすぎて何が問題なのか分からない。普通の、スナップ写真のように見える。
じっーと目を凝らしていると、首筋に、蟲が這うような怖気を感じた。ぞくりとして振り向くと坊主頭がニタリと口の端を釣り上げていた。その歪んだ笑みの……邪悪なこと!
「……鋼さん。あんたまさか、最初から俺を巻きこもうと思って……?」
「人間な、ひとりよりふたりのほうが心強いよな……?」
「なんてひとだ!」
鋼さんは蛇の如く腕を伸ばした。マウスを握る右手に、右手を重ねてくる。まるで蛙を呑み込むように。哀れな右手は身動きが取れなくなった。
蛇は、耳元で舌をチラつかせた。
「俺のことはいいんだよ成海……。今問題なのはお前の心が何を求めているのか。そうじゃないのか?」
「くっ……!」
「ああ見えてと言っていいのか、秋子は学校の野郎共に人気がある。俺も幼馴染ってだけで石を投げられるぐらいだ。もっとも当の本人がお子ちゃまなうえに厨房のブスが保護者面してやがるから愉快な話はついぞ聞かんがな」
「つまり……?」
「チャンスだ。国枝は秋子の何を収め、何を秘匿しようとしたのか? ヴェールの向こうに何が透けて見えるのか? 剥ぎ取るのは成海。全てはお前の意志にかかっている」
鋼さんの手に力が込められる。それが皮膚越しに伝わってきた。筋肉の作用に従ってポインタが動いていく。サムネイルのうえでぴたりと止まった。
「さあ、成海。本能に従え。己の欲望に身を任せるのだ。そして秋子の恥ずかしい写真……もとい神秘を目撃する最初の人類になろうではないか!」
「てい」
左手でUSBメモリーを引っこ抜いた。鋼さんが「ああっ~!?」と大袈裟な悲鳴を上げる。ディスプレイと俺を交互に見比べ、ぎしりと歯を食い縛った。椅子を蹴って立ち上がった。
「後悔することになるぞ……貴様!」
「いや、さっきからそのノリがわかんないす」
徒労感に溜息を吐く。突きつけられた指を上目で睨んだ。
「鋼さん、こういうのは良くないよ」
引っこ抜いたUSBメモリーをテーブルに戻した。
「いくら秋子さんがあんぽんたんでもさ。知らないところでそういう写真を見られたら……やっぱり嫌な気持ちになるんじゃないかな」
「あんぽんたん呼ばわりもどうかと思うが」
「鋼さんだって、それが分かってるから俺を巻き込もうとしたんじゃないの?」
彼は、ぐっと言葉を詰まらせた。眉間に皺を刻み、渋面を作る。内側で葛藤が渦巻いているようだった。そして数秒。ふっと笑みを浮かべた。腰を下ろして腕を組み、余裕の態度を演出した。
「……期待通りの反応だ。成海。お前を選んだ俺の目に狂いはなかった」
「なにお前を試したみたいなことにしようとしてんですか」
メモリーをこつんと指で弾いた。
「それに没にした写真ってだけで、全部が全部その……恥ずかしいものが写ってるとは限らないでしょ?」
「まーなー」
と鋼さんが背筋を伸ばした。
「俺が確認した中でも単に写りが悪いってだけの写真もあったよ。もちろん、これはと思うものもあったけどな。いずれにせよ事情を話して国枝自身に削除して貰ったほうが、まあ、誤解は生まんだろうな」
「うわ、誤解で通すつもりだよ、このひと」
好きにして貰えばいい話だが。
細長いスティックをちらりと見やった。正直なところ何がまずくて没になった写真なのか全く気にならないわけではなかった。シチュエーション的には写りの悪い写真という可能性が高いだろう。開いても特に問題はないのかも知れない。……いやいや、蒸し返すのはよそう。好奇心は猫を殺す。触れなくてもいいものには触れないほうがいい。鋼さんの中でもこの話題は終わったようだ。スマホを開いてゲームを立ち上げ始めていた。俺もノートパソコンの電源を落とした。
「ところで八色校って二年から卒アルの写真撮るんですね」
「んー? 一年からずっと撮り溜めしてんぞ。お前んとこ違うのか?」
「普通は三年からじゃないですか?」
などと話をしていたときだ。窓の向こうに麦わら帽子が見えた。秋子さんだ。へとへとな様子で自転車を突いていた。荷台には大きめの段ボールが二つほど。店の前まで歩いてくると、ふうと肩で息を吐いた。駐輪所に目をやり、俺たちの来店に気付いたらしい。こちらに向いて、えへへと笑った。俺たちは店の外に出た。
「秋子さん、大丈夫? 荷物持つよ」
「成海さん。鋼くんも。ありがとうございます。でもまだいいですよ?」
「バッカ、秋子。無理すんじゃねえよ」
彼女は、髪を頬に張り付けたまま、すみませんと頭を下げた。
俺と鋼さんで一箱ずつ。中身はどうやら飲み物らしい。二の腕にずしりと負荷がかかる。両手の塞がった俺たちに代わって秋子さんが扉を開いた。店内から冷やされた空気が流れてくる。彼女は「ふああ」と声を蕩けさせた。
「生き返ります……。いやあ、暑いのなんの。トラブルは起こるし、もうへとへとです」
とテーブルのピッチャーに目をやった。容器の中には氷が浮かんでいる。彼女は物欲しそうに眉を寄せたが空いたグラスが近くになかった。さすがに俺や鋼さんの飲みかけに手を伸ばそうとは思わなかったようだ。代わりに、あるものに目を止めた。
「この小さな棒みたいなの、成海さんのですか?」
そう尋ねて摘まみ取る。USBメモリーだ。物珍しそうに眺めていた。
どきりとした。焦りを覚え、ぶんぶんと首を振った。
「いや、違うよ? 誰のだろ?」
「パソコンの付属品ですよね? じゃあ、桐さんのでしょうか? さっきそこですれ違ったんですよね」
「あー、もしかしたら? そうかも?」
しげしげとメモリーを見つめる秋子さん。鋼さんが割って入った。
「おい、秋子。それよりこの荷物どうすんだ?」
「奧の納戸。きりきり運べ」
と毒づいたのは、秋子さん……ではなく厨房から顔を出した慶衣さんだ。鋼さんはオメーには聞いてねえよと返したが「秋子は休んでていいからね」と当然の如く無視をした。鋼さんは勝手知ったるふうに店の奥へと進んでいく。彼の背中を追いかけた。鋼さんは歩みを緩めて俺と肩を並べた。小声で言った。
「おい成海、どうして桐ちゃんのなんだよっ」
「ごめん、咄嗟だったから」
「アホかお前。持ち帰りにくくなったじゃねえか」
納戸は階段のすぐ下だった。整理は行き届いているが物の置き場所はあまりない。鋼さんは『
無駄なく収納されたことに満足を覚える。そのとき店のほうで鈴の音が鳴った。来客だろうか。埃を払って店に戻った。秋子さんがテーブルに突っ伏してだらしなく涼んでいる……かと思いきや姿が見えなくなっていた。代わりに慶衣さんがカウンターで頬杖を突いていた。
どこへ行ったのだろう? 訝しんでいると、
「おい、成海!」
鋼さんが袖を強く引っ張った。存外な力強さに身体が傾く。急に何だと抗議の声を上げる前に、彼の手が一点を指していることに気が付いた。その先には……。
「!? どうして……」
鋼さんは弾かれたようにテーブルへ駆け寄った。グラス、そしてピッチャーを持ち上げる。ノーパソのポートをまさぐり、さらに筐体を裏返した。それでも満足な結果が得られなかったのだろう。テーブルの下を覗き、椅子の下に頭を突っ込んだ。同じような動作を二度、三度と繰り返したあと、慶衣さんに向き直った。
「おい、慶衣。秋子どこ行った……?」
慶衣さんは、焦らすように間を空けたあと、至極どうでも良さげにこう返した。
「出てったけどー? 桐ちゃんに忘れ物を届けに行くとかって」
うそだろ。そうつぶやく声が聞こえた。
俺は黙って目を落とした。テーブルに置いていたはずのUSBメモリーが綺麗さっぱりなくなっていた。
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