(2)インテェリジェンスを感じませんか?

 格調高い外観に反し入口は自動ドアだった。若干拍子抜けしてしまったが飽くまで公共の施設。バリアフリーは欠かせないのだろう。ただ扉自体は外装に合わせる形でクラシックな意匠が施されていた。スライドするそれを見ながら観音開きだったら面白いのにと詮のないことを考える。扉の向こうには風除室があり、もう一枚透明の硝子戸があった。当然勝手に開いてくれた。冷気が身体を包み込む。そこに含まれる木の香り、紙とも埃ともつかぬ香り。本の香り。微香が視界に具現化する。感じたのは納得だった。ああ、ひょっとしたら、

 物語の世界。頭に広がったのはそれだった。大正や明治あたりの時代物。あるいはファンタジー。いずれにせよ日常からは隔絶された空間に招かれたのだという錯覚を覚えた。何様式かは知らない。とにかく古風な西洋建築だった。エントランスは吹き抜けになっていて正面には上階へ続く両階段。吹き抜けを囲う二階の通路では古ぼけた書棚がホールを見下ろしていた。床が心地良く軋みを上げた。

「結構、雰囲気あるでしょう?」

 澄んだ声が反響した。高窓から差し込む微かな光が彼女の髪を照らしていた。俺の反応に満足してか、嬉しそうに目が細められる。頷く前にこう思った。

 よく似合っている、と。

「うん、魔女やお姫さまがいるって信じても不思議じゃないね」

 同時に、維持費も馬鹿にならないだろうと、ひどくつまらない考えも脳裏を過ぎった。胸中で無粋を笑う。きっと文化に理解のあるひとがいたのだろう。

 もっとも内部機能にまで情緒が演出されているわけではない。入口の正面には現代作家の新刊コーナーがあり、右手にはカウンターと二台の館内検索機。返却用のブックトラック。それを過ぎると掲示板があって日常に引き戻されるような掲示物が張り出されていた。『朗読会のお知らせ~真夏の夜の怪談話~ 八色町立図書館一階会議室にて 八月十日十九時より』『Mushiro Art exhibition‐霧代美術展‐ ソウゾウは現実を破壊する』『スイミングスクール生徒募集 火・木・土の十六時半(夏休みは十三時)から八色温水プールにて』『天体観測の御案内~星の欠片を探しに行こう~ 八月十六日午後六時 広橋山展望台集合』 他にも当たり障りのない掲示物が板面を賑わせている。

 秋子さんは、うち一つのポスターをじっと眺めていた。

「……どうしたの、秋子さん」

「いえ」

 と彼女が口ごもった。

「陽葵ちゃん、こんなのにも出てるんだなって」

 秋子さんが指していたのはとある舞台のポスターだった。聞いたこともない作品だ。舞台演劇らしい、いかにも気障ったらしく興味の惹かれないタイトルだった。内容も全く想像できない。公演場所も関東のほうで八色からは大分遠かった。ただ、じいちゃんの好きなアイドルが主演女優として名前を飾っていた。日高陽葵。最近は演劇にも手を広げているらしい。

「ファンなの?」

「そういうわけでは。でも……なんでしょう? 少し、気になって」

 何が? とは訊かなかった。彼女自身それを理解していないのではないかと思われた。眉をひそめ、何が気になるのかも分からないまま、何かが気になっている。

 ポスターには特別変わったところが認められるわけではない。

「普通のポスターに見えるけど」

「……そう、ですよね? 普通のポスターですよね」

 秋子さんはなおも首を捻っていたが違和感の正体は突き止められなかったらしい。釈然としない様子で掲示板を後にした。

 両階段を昇らず奥へと進む。その先が図書室になっていた。お雇い外国人の私邸がモデルになっているのは先に述べた通りだが内部構造まで再現されているわけではないらしい。個室の類はなく奧はシンプルな広間だった。フロアの中央に長い通路が設けられていて、その両側でドミノ状に書棚が立ち並んでいる。書棚と書棚の間にはところどころスペースがあり、いずれも四人掛けのテーブルが二台、通路を挟めば四台の席が並んでいた。奥まで進むと階段があって各階を折り返して移動できるようになっている。一階のテーブルは満席だったので二階へ上がった。二階も一階と似たようなレイアウトだった。フロアの中央付近に二つ空席が並んでいたので窓側に近い席に対面で座った。

 かばんからノートと筆記用具を取り出した。秋子さんも調べたいことがあるとかで同じようなものを準備していた。

「ほら、秋祭りで巫女舞を奉納するって話はしたでしょう? あれって実は呉葉姫の役を演じるんですよね。だから、ちょっとは予習しておこうかなって」

 俺は、へえと感心した。

「大役じゃん」

 秋子さんは、えへへと笑って筆箱を開く。中身がやたらとカラフルだった。とにかくペンの数が多い。似たような彩りを女子の机でよく見かけるが、何のためにそんな数を使い分けているのだろうと毎度不思議に思う。ノートではなく筆箱を装飾することが目的なのかも知れない。中には見慣れない文具もたくさんあったが用途を特定する気は起きなかった。それよりも気になるのは、

「あれ? 秋子さん、目が悪いの?」

 眼鏡だった。これもまた見慣れない小道具。秋子さんはふふふと目の奧を光らせる。よくぞ聞いてくれましたとばかりに胸を張り、中指でつるを押し上げた。

「いえいえ、度は入ってないんです。でも……成海さん? よく見てください。こうしてメガネをかけていると溢れ出るインテェリジェンスを感じませんか?」

「うん、てきめんに頭悪そうな発言だよね」

 ひどい! と抗議されたが無視して作業に移ることにした。

 まずは資料探しだ。欲しかったのは太陽の神話や伝承に関する情報だった。物語の中で太陽を象徴的に扱おうと考えていたので箔を付けるためにも類似性のあるエピソードを挿入したかったのだ。目当ての書棚は奇遇にも真後ろだった。38民俗学。近くにある宇宙科学の棚も覗いてみる。小さな町の図書館なので取り揃えはあまり宜しくない。いくつかのタイトルが念頭にあったが一冊も収められていなかった。公共図書館には相互貸借という仕組みがあって目当ての資料がない場合それを保有する別の図書館から取り寄せて貰うこともできる。ただ現時点ではそこまでの必要は感じなかった。八色の住民でない俺には利用者カードも作れないだろう。ひとまずは記述のありそうな背表紙に指をかけ席へ戻った。目次に目を這わせ、該当ページを開いてみた。

 そこまでは覚えている。

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