第3話 秋子さんと魔女と幽霊
(1)はなからあるとは思ってねえよ
「おう、成海。どっか出かけるのか?」
昼飯はざるそばだった。練りわさびと大根でたっぷりと辛くした汁に粉っぽい麺をぶち込んでズズズと掻き込んだ。そこそこに腹を膨らませた俺は、部屋にあるかばんを掴み、玄関を出ようとサンダルに足を突っ込む。丁度そのときじいちゃんに呼び止められた。
無視をしようか迷ったが両親から叩きこまれた良識がそれを許さなかった。サンダルの裏を引き摺り、簡素に答えた。
「図書館に行くんだよ」
「図書館ンッ!?」
予想外に頓狂な声を上げられる。浅黒い顔が驚愕に目を見開いていた。
「バッ……成海、おめえ……」
正気に戻れとばかりに訴えかけられる。
「あんなとこにエロ本はねえんだぞ!?」
「はなからあるとは思ってねえよ!」
寝ぼけてんのか、このジジイ!
じいちゃんは「んだよ」と一瞬でクールダウンし、小指を耳に突っ込んだ。
「じゃあ何で行くんだ。あんなつまんねーとこ。心の病気か?」
「何でだよ。病気になったら図書館行くのかよ。初めて知ったわ」
腹の底から溜息を……言わずもがな「やはり無視をしておけばよかった」という後悔の溜息を吐き出し、力なく、カバンを掲げた。
「小説。図書館なら冷房も利いてるだろ」
正確には資料を見ながら設定やプロットを考えるのだ。でも、そこまで説明する気はないし、じいちゃんも興味はないだろう。実際「あーハイハイ小説ねえ」と心底どうでも良さげな反応をされた。それはそれで糞腹が立った。
「肥やしにもならねえのにご苦労なこって。ひとりで行くんか?」
「……秋子さんと」
「へえ?」
じいちゃんの目に、一転して好奇の光が宿る。
「……なんだよ」
「いや、なに。また随分と仲良くなったもんだと思ってな」
「行ったことないから案内してくれるって言うんだよ。……いいだろ別に」
「おうおう、全く結構なことよ」
じいちゃんは快活に笑い、ジャリジャリと顎髭を撫でた。
「おめえはもちろん、秋ちゃんも俺にとっちゃ孫みてえなもんよ。宗助ンやつがあの子を引き取るっつったときゃ一体どんな悪タレが育つのか気が気でなかったがよ。素直で優しい良い子に成った。そんな可愛い孫二人が仲良く遊びに行くってんだぜ? こんな感慨深えことはねえよ」
マスターが語ってくれたことを思い出した。秋子さんは捨て子だった。そして最初に彼女を保護したのが当時まだ現役の警察官だったじいちゃんだと。マスターが秋子さんを引き取ってからも何かと世話がっていたという。孫のように可愛い、というのも嘘ではないだろう。
「……成海よ、俺ァ嬉しんだぜ」
じいちゃんの瞳がしんみりと遠くを眺めた。
「秋ちゃんがあんなおっぱいのおっきい娘に育ってくれて」
「死ねッ!」
ジジイの脛を蹴り飛ばして玄関を後にした。
「というわけで、ここです!」
ばっ、と秋子さんが腕を広げた。
優雅さを演出しているかも知れないが微妙にアホっぽいポーズだった。ただ当の本人はばっちり決まったと確信しているらしい。得意げに胸を反らしていた。
得意げに、胸を……。
「……」
「成海さん、どうかしましたか?」
「……いや、なんでもない」
気を取り直して建物を見上げた。
八色町立図書館。前に紹介されたときは遠目にしか見られなかった。それでも、どれが図書館の建物なのだろうと訝しんだ記憶がある。よく考えれば図書館と言われてすぐに思い浮かぶ統一的なデザインなどないかも知れない。最も頻繁に利用する場所が思い出されるぐらいか。それでも、八色の図書館は、図書館のイメージとはかけ離れた外観をしていた。いや、別なイメージと強く結びついていると言うべきか。
「なんだか嵐の夜に遺産相続目当ての凄惨な連続殺人が起こりそうな外観だよね」
「なんですかその具体的なイメージ」
秋子さんが、苦笑しつつ横に並んだ。
「まあ、わからなくもないですけど」
そう、八色の図書館は所謂明治以降に流行したという西洋館風の建物だった。イメージ的には旧古河庭園あたりか。田舎町の一画に突如としてそんなものが現れるため異質な場所に足を踏み入れた感覚がある。聞けば、明治時代に八色に居住していたフランス人女性の私邸を改装したもの……ではなく、火事で焼失したそれを一部再現して建てられたものらしい。建造自体は近年であるため文化的な価値は低いだろうが、珍しい外観からわざわざ図書館を見学にやってくる観光客もいるのだとか、いないのだとか。
「でも、正直なところ、私、図書館ってほとんど来たことないんですよね。小さい頃から図書館には行くなって。お父さんが」
「図書館には行くな? マスターも変なことを言うね。普通は逆じゃないの?」
「いえいえ、それがですね。お父さん曰く図書館には魔女の幽霊がいるらしいのですよ」
魔女。しかも幽霊。
設定が過剰なのでは。
「この図書館のモデルになった館があるって話はしたでしょう? そこの主だったマリー・フラマンという女性の方がですね。何やら面妖な黒魔術に傾倒していたという伝説があるらしいのですよ」
「ほう、黒魔術」
「マリーさんは所謂お雇い外国人で、日本でフランス語の教師をなされていたそうです。大変聡明な方だったそうですが一人娘を病気で亡くしてからは精神が不安定になってしまって、一日中部屋に閉じこもって人形をあやしたり、誰もいないテーブルに向かって喋り続けたりと、奇怪な行動が目立つようになりました。しばらくすると糸が切れたみたいにぷつりと大人しくなったそうですが今度は地下に篭って怪しげな儀式を行うようになったらしいんです。曰く、娘の魂を呼び戻そうとした、と」
秋子さんは声を潜めた。
「使用人たちは気味悪がりましたが主のことなので口出しすることもできません。一方彼女の奇行は日増しにエスカレートしていきます。大事に世話をしていた小鳥の姿が見えなくなったかと思えば翌日には大量の羽毛が散らかっていたり、地下から世にも恐ろしい呻き声が響いてきたり……。彼女の部屋にも使い道の分からない不気味な道具が散乱していて、使用人たちを震え上がらせました。ですが、そんな日々にも終わりがきます。ある朝、使用人が支度をしていたところ意識を失った彼女の姿を見つけたのです。心労が祟ったのか、あるいは儀式に失敗したのか……それは誰にも分かりません。ただうわ言のように何かの言葉をつぶやいていたそうです」
「何かって?」
「分かりません。ですが彼女は三日三晩高熱にうなされたあと花が萎れるように息を引き取りました。その表情は絶望とも安らぎとも取れるものだったそうです。以来、屋敷の中には娘を探し求める彼女の魂が彷徨っていて、誰もいない部屋のクローゼットが勝手に開け放しにされていたり、女性の足音が聞こえてきたりと様々な怪奇現象が頻発するようになったと伝えられているのですが、これ全部お父さんの作り話なんですよね」
「うっそぉ!?」
そこまで喋っておいて!?
「そーなんですよ。作り話なんですよ。マリー・フラマンというフランス人女性が実在したことは確かなんですが無事に帰国して九十歳を超えるまで元気に生きてらっしゃったみたいで。娘さんも亡くなるどころか子宝に恵まれて、今でも子孫の方がフランスに住まわれてるとか……。そもそも図書館は彼女の屋敷をモデルにしたってだけで建ってた場所なんか全然違いますからね」
何吹き込んでんだよマスター。
「私、中学の二年生ぐらいまで図書館には魔女の幽霊がいるって本気で信じてたんですよ? 結局それで通うような習慣も身に付かなくて……」
いかにも不服そうに腕組みをした。
「お父さん、自分はたくさん本を読むのに、どうしてなんでしょうね?」
俺には何とも答えようのない話だった。
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