(2)ご注文はお伺いしていますか?

 茅野から貰った油絵がなくなっていた。じいちゃんが渡したトマトも。

 入店したときは間違いなく提げていたはずだ。椅子に座ったときは、どうだったろう?

 記憶を辿っていると彼女は何でもないふうに、

「荷物ですか? それなら……」

 と言いかけた。そして不意に動きを止める。「あれ?」と首を捻った。

 しばしそのまま固まっていたが、やがて忙しなく目を泳がせ始めた。心なしか額に汗が滲んでいるようにも見える。どうしたのだろう?

 やがて何かに決着がついたのか、腰に手を当て、大きく胸を逸らした。

「さあ、どこでしょう?」

 不敵な笑みが、わざとらしく張り付いていた。

 俺は困惑した。

「どこ?」

「魔法で消しました」

「………食べた?」

「大概失礼ですね、成海さんも」

 いや、それは冗談だけど。

 しかし、どこにある? 籠バッグも、油絵も、さほど大きなものではない。隠そうと思えばどこにだって隠せる。だが椅子やテーブルの足元には見当たらない。少しばかり視点をずらした。

「スカートの中?」

「スカートってそんな」

 秋子さんは笑い、裾を指で摘まんだ。そのまま生地を持ち上げようとして、はたと気が付いたらしい。素早く腿に手を挿し込んだ。上体を起こすと、顔を真っ赤にして俺を睨んでいた。

「いや、なんかごめん……」

 むうと頬を膨らませる秋子さん。気持ちを鎮めるようにこほんと一つ咳払いをした。

「ヒントは外です!」

 びしっと両手で窓を指した。そのまま腕を翻す。

「しかし中でもあります」

「どっちだよ」

 秋子さんは答えない「変身!」みたいなポーズを維持したままフフフと笑う。

(ふむ)

 どうやらお嬢さまはゲームを御所望らしい。良いだろう。朝は醜態を曝してしまった。リベンジマッチといこうじゃないか。

 まず最初に考えるべきは……いつの時点まで荷物が存在していたのか。これは簡単に思い出すことができた。椅子に座るとき足元に置いたはずだ。つまり俺が席を外した間にどこかへ移動させたということになる。それが、どこか。

 見たところ店内にそれらしきものは確認できない。荷物を保管するための収納棚でもあるのだろうかと探してみたが書棚と観葉植物が置いてあるぐらいだ。当然、書棚には書籍があり植木鉢には植木が刺さっている。トマトとキャンバスの居場所はなかった。

 次は、ヒントと言われた屋外の様子を観察してみた。外の景色に変化はない。海と空と県道。あとは店の看板が窺える。外へ移動させたとなれば自転車の籠だろうか。駐車したのは裏手なのでここからでは見えなかった。しかし一度中に運び込んだものを再び外へ出す理由が分からない。二人席で置く場所がなかったから? そんな邪魔になるほどの大荷物ではなかったはずだ。何より……。

 入口の扉を肩越しに見やり、ふうむと腕を組んだ。

「外へ運び出した、というはないね」

 秋子さんは、興味深そうに目を輝かせた。

「どうしてそう思うんですか?」

「ベルの音が聞こえなかった」

 親指を向ける。出入口にはベルの付いたリースがある。扉が開閉されていたら鈴の音が鳴ったはずだ。でも、そんな音は聞こえなかった。

 秋子さんは、「すごいっ」と胸の前で手を合わせた。

「よく気が付きましたね。ウサギさんみたい」

 ウサギかどうかは知らんけど。

「となると、外ってヒントが何を意味しているかだけど……」

 目を引くものは何もなかった。もちろん目視できない何かを示している可能性はある。ひとまずは保留しておこう。物自体は店の中だ。

 改めて逆方向へ視線を転じた。

 店内に死角がないわけではない。厨房やカウンター、他のテーブル席がそれに当たる。つまり、

(店の中にいる誰かに手渡した。そのひとがここからでは見えない場所に置いてある、か?)

 もう少し踏み込んで考えてみる。

 カウンターや厨房に移動させたのなら渡した相手は店のひと、つまり慶衣さんかマスターということになる。しかしマスターは未だにおばさん二人に捕まっているし、慶衣さんはお冷を配れないほどに余裕がない。荷物を預けるタイミングとは思えず、理由もまた不明瞭だ。この二か所は除外して良いのではないだろうか。

 残るは他のテーブル席。客の中に知り合いがいて、そのひとに譲渡した可能性だ。俺たちが座っている席から全ての座席が見えるわけではない。空いた椅子の上や、足元に置いてあれば確認は困難だろう。

(……それも、どうだろうな)

 油絵もトマトも、人から貰ったばかりの物だ。偶然居合わせた知人に譲渡するなど捨てるに等しい行為ではないか。それに、物を融通し合う仲なら入店したときに挨拶の一つぐらいあっても良さそうなものだ。

 可能性があるとすれば身内だろうか。家族なら必要以上に言葉を交わすこともないだろう。たとえば「午後からまた出かけるから家に持って帰って」などと言って荷物を預けていたとしたら? あり得ない話ではないと思える。しかし……。

 正面に向き直った。青い瞳が、お菓子を待ちわびるみたいにきらきらしていた。

(秋子さんの身内なら、見た目だって当然……)

 店内にそんな人は見当たらない。

(いや、待てよ)

 拳を口許に当てる。

 

 この店に入るときから見たもの、聞いたことを一つ一つ思い出す。

 再び窓の外へ目を向けた。目的のものを認め、次はメニューを開いてみる。ざっと頁に目を滑らせ今度はスマホを立ち上げた。あるサイトを開いて単語を入力した。予想通りの結果が表示されたことを確認し、口を開いた。

「秋子さん、今日は俺を案内する以外に予定はないんだよね?」

「? ええ」

 質問を重ねた。

「……俺、ひょっとして何か勘違いしてる?」

 彼女は、今度は疑問符を浮かべなかった。少しだけ目をぱちくりさせたあと、苦笑した。

「ええ、たぶん」

 大人たちのほうを見やる。おばさん二人の長話が終わり、ようやくマスターが解放されようとしていた。あれだけ無駄に拘束されたのだから溜息の一つでもありそうなものだ。でも、彼は嫌な顔一つ見せず丁寧にお辞儀をしていた。おばさんたちを見送ったあと、落ち着いた足取りで近付いてきた。

「先ほどは申し訳ありませんでした。挨拶もそこそこになってしまって。ご注文はお伺いしていますか?」

 想像が間違っていなければ答えはすぐに判るはずだ。

 秋子さんを横目に見た。彼女は、マスターを見上げ、にっこりと微笑んだ。

「はい、おつかれさまでした。

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