(6)仕事に戻っていいのだろうか
穴を元どおりに埋め戻したあと俺たちは境内へ移動した。池は拝殿の左手の奥まった場所にあった。蜉蝣が飛んでいないことを除けば絵の中の風景とほとんど変わりはない。ただ楓の根元に立て札があって、これは絵には描かれていなかった。札には『御鎮座千年記念植樹 平成十年十一月九日』の文字。十六年前に植えられた木は頭上を覆うように枝垂れている。
「十一月九日って私の誕生日と同じですね」
秋子さんが、微妙に関係のない話を始めた。「へえ」と素直に感心したのは茅野だった。
「神社ができた日と一緒なんだ」
「今年は秋祭りの日とも一緒なんですよ。奇遇ですねー」
奇遇と言うか創建日に合わせて日取りを決めてるんだと思う。
「花彩さんは?」
「あたしは……えへへ、八月一日」
「わあ、もうすぐじゃないですか。おめでとうございます」
脱線していく女子二人。嘆息し、掘り返す先を見下ろした。そして、
(あれ……?)
違和感を覚えた。二人は何も気付いていない。浴衣がどうとか明後日な話題で盛り上がっている。俺は会話に割って入った。「ちょっと、二人とも」と話しかけたところで、
「こ、こら、お前らっ」
背後から叱責が飛んできた。びっくりして振り返ると袴を着た初老の男が、信じられないものを見たような表情で……いや、事実彼の常識からすればあり得ない光景を目撃したのだろうが……ぽかんと口を開けていた。視線の先には茅野のショベル。男が呻いた。
「神社の木に何やっとるんだ……?」
「あ、宮司さん」
「あれ、秋ちゃん……? 何やってんの」
宮司と呼ばれた男から警戒の色が薄れた。どうやら顔見知りらしい。秋子さんはこの神社で巫女舞を奉納するのだから当然と言えば当然か。秋子さんはかくかくしかじかなんですよーと掻い摘んで事情を話した。宮司の反応はあっさりとしたものだった。
「埋まっとらんと思うぞ、そんなもん」
「えー、どうしてですか?」
声を上げたのは茅野だった。
「どうしてって……許可してないから」
「勝手に埋めたかも知れないじゃないですか」
「ないない。絶対にない。ここで絵を描いとったっつったら西崎さんとこの長男坊だろ? あいつは礼儀を知っとったからな。ここを使うときは毎回挨拶に来とった。勝手に使えばいいっつってんのに律儀に頭下げに来るんだわ。まあ、不安定な職だから周りは心配しとったようだがね。そんな勝手をするような男じゃないよ」
「そうかも知れないけど、でも……」
と、まだ何か言いたげな茅野を、俺は手で制した。
「宮司さんが正しいよ」
「成海くん」
「見てみなよ」
と木の根元を指差した。苔が地面を覆っていた。
「松林と一緒だ。掘り返した跡がない。これじゃあ勝手にって話も通じない」
「そんなあ」
「俺が間違ってた。ごめん。期待させるようなこと言って」
でも……くそ、絶対そうだと思ったのに。
茅野が、困惑の眼差しを向けてくる。向けられても言えることがない。羞恥に汗がどっと噴き出した。
けど、だったら、どこなんだ?
朝顔の下。蜉蝣の下。……池の下? 池の底まで漁れと言うのか? まさか。盗品を隠すわけではないのだ。そこまで徹底するとは思えない。蜉蝣のことは忘れろ。ただの勘違いだ。だったら朝顔って何のことだ?
花言葉。儀礼的な慣習。もしくは……暗号? 他に何か意味が。
「あのー」
おずおずと手を上げたのは秋子さんだった。俺と茅野を交互に窺った。
「もっと単純に考えて良いんじゃないでしょうか」
「どういう意味?」
口調が硬くなっているのを自覚していた。失態を責められまいと心が防御を張ろうとしている。秋子さんは、そんな緊張を解すような、呑気そうな声で続けた。
「これはおじさまが姪の花彩さんに向けて送ったメッセージ……なぞなぞですよね。中学生の女の子に朝顔の古い意味とか、そんな難しい答えは求めないと思うんです」
「じゃあ、秋子さんはどこにあるって言うのさ」
「ええ、ですから単純です。朝顔の下ですよ」
だからそれが、と滑り出たところで、秋子さんが手を振った。
「いえいえ、そうじゃなくて。朝顔の下です。あさがおの下」
「?」
彼女は、茅野の腰元に目を向けた。茅野は両目をぱちくりさせた。
宮司は、もう仕事に戻っていいのだろうかと、そぞろに成り行きを見守っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます