(5)穴ならここにありますよ?

 穴を掘る。サスペンスでは定番の作業であるが意外と難しい骨仕事だ。

「秋子さん、日本語上手いよね。帰化なの?」

「いえいえ、ずっと日本人なんですよ」

 土は容易に掘り起こせない。軟弱な地盤でもない限り、まずはその硬さが作業を阻害する。効率的に掘り進めるならくわ鶴嘴つるはしは必須の道具だ。切っ先を立てて柔らかく解し、表層部分を外へ掻き出す。手順を踏まずに挑んでも望む成果は期待できない。

「花彩さんのおじさま、こういう絵を描かれるんですね。これなんか綺麗」

「でしょでしょ? 他のも見る? 叔父さんこの町に住んでたから八色の景色は結構描いてるんだよね」

「これは境内の池ですね。こっちは秋祭りの行列。あ、風流舞も描いてる」

 無論、石や砂利は作業効率を格段に落とす。小石ならば煩わしい程度だが大きめの石になると掘削の範囲を拡大せねばならない。自ずと作業量が上乗せされる。また、このような人工林においては樹木に対する配慮も不可欠だ。とてもではないがショベル一本では不充分だった。

「さくらちゃん美人さんですよね。人懐こいし、毛がもふもふしてて気持ちいい」

「えへへ、自慢の愛犬ちゃんです」

「ちょっとおてんばさんですけどねー」

「ああ、さっきはホントごめんなさい」

 装備の不足をいかにして補うか? 犬は役に立たない。結論を言えば肉体的・精神的な強靭さが必要になってくるだろう。堅牢な地盤を突き崩す腕力。大量の土を掻き出す背筋力。過酷な作業を継続する持久力。精神力。培った能力を総動員して戦力の不足を補わねばならない。

「秋子さん、霧代むしろ駅にパン屋さんできたの知ってる? 一回食べたけどおいしいよー」

「えー、そうなんですか? あんまりあっちのほうに行くことなくて」

「行ってみなよー。ホントおいしいから! オススメはスルメイカバーガーだね」

「……おいしいんですか、それ?」

 要するに穴掘りは全身運動だ。特に前腕や背筋といった部位に負荷がかかる。どちらも日常生活では酷使することのない筋肉だ。肉体へのダメージは疲労に変換され、夏の暑さが容赦なく体力を奪う。蓄積した疲労と濡れたシャツの不快感は忍耐と作業効率に甚大な悪影響を及ぼす。事実穴掘りが拷問として利用されていた例もあり、ポール・ニューマン主演の『暴力脱獄』でも主人公ルーク・ジャクソンが懲罰として穴掘りを命じられていた。

「霧代と言えば花火大会がありますよね。今年は行ってみようかなって」

「えー、いいなー。誰と誰と? やっぱ成海くんと行くの?」

「え? 成海さん? どうしてですか?」

 拷問。そう拷問なのだ。穴掘りの過酷さはもはや拷問の域に達していると言っても過言ではない。苦役にして責苦。苦行にして試練なのだ。

 ……。

「……ねえ……」

 手を止め背後を振り返る。二人は「何だろう?」とおしゃべりを止めた。

「さっきから俺ばっかり掘ってるんだけど」

 返答を待った。

 二人は顔を見合わせた。

 茅野がこちらに指を向けた。

「だって成海くん、『こんなもん俺一人で充分だよ』って言ったじゃん」

「言ったよ! 言ったけども!」

 ショベルをガタリと地面に投げた。

「こんなにきついとは思わなかったんだよ!」

「えー」

 秋子さんが取り成すように「あはは」と笑った。

「ごめんなさい気が付かなくて。代わります。成海さん、私たちに無理させないように気を遣ってくれたんですよね?」

「いや、格好つけたかっただけでしょ」

「……申し開きもございません」

 見栄を張る気力もなかったので大人しく秋子さんにショベルを渡した。

「汚れるけどいいの?」

「もう汚れてますから」

 秋子さんは、スカートを短く縛り、剣先を地面に突き立てた。嫌がるでもなく、ほいせほいせと作業に勤しむ。そんな彼女を眺めていると、へばって腰を下ろしている自分が情けなかった。穴があったら入りたいと漏らすと「穴ならここにありますよ?」と不思議がられたので、そういう意味ではないと返しておいた。

 その穴を、改めて観察してみる。

 穴は……それこそ、人ひとりなら折り畳んで埋められるぐらいの大きさにまで拡がっている。実際に死体を埋めるとなれば何倍も深くしなければ獣に掘り返されたり、体内のガスが爆発したりして地表に露出してしまうだろう。だが平らなキャンバスを埋めるだけならもう十分だ。

 俺は、首を捻った。

「……本当にここで合ってるの?」

「え?」

「絵を隠した場所。もう随分と掘ってるよ」

 茅野は、うーんと穴を睨み、スマホの画面を指で撫でた。写真と風景を交互に見比べ「合ってると思うよ」と朝顔の絵を突きつけてくる。

 そう、確かに合っている。朝顔の下に隠したのであれば、この場所であることは間違いない。でも、どうしてだろう。いくら掘り進めても何かが出てくるという気がしない。そもそも一度掘り返しているのなら礫が出てくるのはおかしいのではないか?

 木の周囲をぐるりと歩いてみた。

「茅野さん、おじさんがいなくなったのっていつ?」

「ええと、個展が終わって一月ちょいだったから……三週間ぐらい前かな」

 木の下、という指示なら場所は一箇所に限らない。360度全てが対象範囲だ。だが一度地面を掘り返したのなら形跡は必ず残っている。それが微塵も見受けられない。なので掘り始める前の状態はどうだったのかと尋ねたが、茅野の答えは要領を得なかった。

「ちょっと他の絵も見ていい?」

「いいけど、朝顔の絵なんて他にないよ?」

 画面に指を滑らせた。

 まず目に止まったのは祭りの絵だ。参道を練り歩く行列が描かれている。季節は秋で、立ち並ぶ楓が真っ赤に染まっていた。面白いのは列を成す集団の姿だ。一人ひとりが人間の形をしていなかった。動物のようにも見えたし、それ以外の何かにも見えた。さりとておどろおどろしい雰囲気でもなく、どこか楽しさが伝わってくる一枚だ。

 次に映し出されたのは舞を披露する巫女の姿。秋祭りで奉納されるという巫女舞だろうか。長い黒髪を翻す美しい女性が描かれていた。鮮やかな作風で色彩の豊かさに惹きつけられる。ただ巫女の装いが純和風とも言い難い華美なものだったので、やはり現実のものとは違っているのではないかと思えた。

 三枚目は池と楓を描いた作品。境内にこういう場所があるらしい。季節はやはり秋。昆虫のものと思しき透明の羽が画面をうっすら覆っていて、透けた向こう側で一本の楓が葉を繁らせている。池の上では二匹の蜉蝣かげろうが螺旋を描いて浮遊していた。幻想的な絵だった。

 フォルダの中には、他にも複数の油彩画が保存されていた。いずれも虚構と現実が入り混じった作品が多い。だが朝顔を描いたものは確かに見当たらなかった。

「他に、朝顔で思い当たる場所ってないんですか?」

 秋子さんが尋ねた。茅野は腕を組んで首を捻った。

「ない、かな。ひょっとしたらお母さんが花壇に植えてたかも知れないけど……。ごめん、よく覚えてない」

「場所を示すならお互いにわかるとこじゃないと駄目ですよね」

 秋子さんが木々の葉を見上げる。

 そう、朝顔の意味は共通していなければならない。でなければヒントにならないはずだ。場所でなければ何だろう? 朝顔という言葉が意味するもの。他に、何か、あるだろうか。

 もう一度指を滑らせた。

 行列。楓。巫女。池。蜉蝣。

「蜉蝣……」

 記憶を手繰った。それだけでは不充分だったので検索サイトを立ち上げた。フォームに文字を入力し、結果が出るまで一分もかからなかった。

「……朝顔が、昔は別の花のことを指してたって知ってる?」

 秋子さんがハテナを浮かべた。代わりに答えたのは茅野だった。

「確か、木槿むくげ桔梗ききょうだよね? 古文の授業で習ったような」

「そう。朝顔が日本に持ち込まれたのは平安時代だから、それ以前に朝顔と呼ばれていた花は木槿か桔梗、昼顔を指してたんじゃないかって言われてる」

 たとえば万葉集にこんな歌がある。

 朝顔は 朝露負ひて 咲くといへど 夕影にこそ 咲きまさりけり

 夕方の朝顔が一番見事という意味だが、朝顔は昼になるまでには萎んでしまうので、ここで詠まれている朝顔は桔梗の可能性が高いそうだ。

 秋子さんが、はあと口を開けた。

「成海さん、詳しいんですね」

「伊達に作家を目指してるわけじゃないからね」

 実際は百科事典でたまたま見かけただけなんだけども。

「でもさ、結局のところは一緒じゃない? 木槿でも桔梗でも、花を描いた絵なんて他にないよ?」

 俺は、うんと素直に認める。

「実は朝顔の意味する言葉はもう一つある」

 画面に一枚の絵を表示させた。

 境内の池を描いた一枚。薄い羽が画面を大きく横切っている。

「蜉蝣だよ」

 二人はぴんときていないようだった。秋子さんが右の頬に手を当てた。

「かげろう。かげろうって、虫の蜉蝣ですか?」

「うん、虫の蜉蝣。この蜉蝣のことを朝顔虫って呼んだ記述が江戸時代の文献にあるそうなんだ。理由はよく分からない。たぶん、朝顔が枯れるみたいにすぐ死んでしまうからじゃないかと思うんだけど」

 ちなみに蜉蝣自体も、夏に湧く小さな羽虫のことを指していたりトンボのことを指していたりと曖昧な部分が残るらしい。まあ、鮫のことを鰐って言ったりするし。

「じゃあ、叔父さんはこの池の近くに絵を隠したってこと?」

「ちょうど一本楓が生えてる。可能性はあるんじゃないかな」

 茅野の反応は薄かった。しかし次第にそんな気がしてきたらしい。何度かうんうんと頷くと「そうかも知れない」と表情を明るくさせた。一方の秋子さんは俺の手元をじっと覗き込んでいた。視線の先には茅野のスマホがある。

「どうしたの? 秋子さん」

 秋子さんは「いえ」と口ごもった。そうしてしばらく言葉を探していた。だが何も見つからなかったらしい。苦笑を浮かべた。

「それが正解かも知れません。行ってみましょう。でも」

 控えめにショベルを掲げた。

「穴は埋めておかないと」

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