(4)おじさまの御遺体がこの下に……?
「土を掘ってるんです」
「土」
「土です」
「死体は?」
「そういうあれじゃないです」
女に案内されたのは公園の一画だった。他の風景と特に変わりがあるわけではない。ただ一本の松の根元が深く掘り返されていた。死体を埋められるほどではないが片膝まで突っ込めるくらいの穴が開いている。その隙間から松の根っこが覗いていた。
女は
「あたしには、絵描きやってる叔父さんがいたの」
売れない画家だったらしい。画家というのは資格の要らない職業なので絵が売れなければただの収入のないひとだ。茅野の叔父は、結婚もせず、定職にも就かず、画業一本で世の中を渡っていくことを夢に見ていた。生活力はゼロで部屋の中はいつもぐちゃぐちゃ。朝昼晩に何を食べているのかも分からない。
「ま、一言で言うなら駄目人間ね」
犬の頭を撫でながら茅野は苦笑した。
画家仲間からの評価は決して悪くはなかった。雑誌で取り上げられたことも何度かあったらしい。ただ、それが売り上げに繋がらなかった。画風のせいもあるかも知れないが内向的な性格が理由の大半を占めていたのではないかと茅野は言った。とにかく営業には向いていないひとだったそうだ。
「でも、あたしは叔父さんのこと好きだったんだ。小さい頃はよく遊んでくれたし、大きくなってからも色々相談に乗ってくれて……ふふ、アドバイスは全然役に立たなかったけどね」
あるとき叔父は一枚の自信作を完成させた。大きな、太陽のような赤い星の周りを無数の人影が飛び交っている幻想的な絵だった。茅野は息を呑んで見惚れてしまった。自分のもまた絵のなかに吸い込まれ、影の一つとして浮遊しているような、そんな錯覚を覚えたそうだ。叔父はその一枚を目玉に個展を開くと意気込んだ。
『僕は世界に認めて貰いたいんだ』
それが叔父の口癖だった。叔父の言う世界が一体何を指しているのか。茅野には全然分からなかった。認められるとどうなるのかも知らなかった。でも、叔父の描いたその絵のことを茅野はとても気に入っていた。きっと大丈夫。きっとみんなに認めて貰える。
叔父は照れくさそうに頬を掻いていた。
「けど、そんな簡単な話でもなかったの」
結果は芳しくなかったらしい。
そこそこ人は来てくれた。そこそこ人に評価された。それだけだった。
叔父を待っていたのは以前と何一つ変わらない生活だった。劇的な変化も、世間の賞賛も、何も与えられはしなかった。ゴミに埋もれ、無気力に缶を煽る叔父を茅野は必死に励ました。「私は叔父さんの絵が好きだ」「いつかみんなもわかってくれる」「気に病まないで」
茅野は星の絵を譲って欲しいとせがんだ。叔父のためにも、誰かがその絵を飾らなければと考えたのだ。だが叔父は気まずそうに眉根を寄せるだけで首を縦には振らなかった。やがて叔父は糸の切れた風船みたいに、ある日突然いなくなった。
茅野は気が気でならなかった。最悪の事態が脳裏を過ぎった。肉親である母は「どこかでふらふらしてるんだろう」と気にも留めていなかったが、それは叔父の姿を見ていないからだと憤った。茅野はこの町にある叔父の家を訪ねた。家を出る前に片付けたのだろう。母の合鍵で中に入ると部屋はいつもよりずっと綺麗に整理されていた。
行き先の分かるものはないだろうか。茅野は本宅を探し、アトリエを探したがそれらしきものは見つからなかった。不思議だったのは茅野が欲しがっていた星の絵も見当たらなかったことだ。完成品は全てアトリエに保管してある。他に思い当たる場所もない。茅野は念入りに室内を探ってみたが、やはり星の絵はどこにもなかった。代わりに見つかったのが叔父のスケッチブックだ。ページをめくると茅野も見たことがないデッサンやラフで埋め尽くされていた。星の絵の下書きと取れるラフもあり試行錯誤の形跡が窺えた。順々にページをめくっていくと、やがてぷつりと絵が途切れていた。まっさらなページに書かれていたのは失踪数日前のある日付。そして茅野宛のメッセージだった。そこにはこう書かれていた。
『花彩ちゃんへ 朝顔の下を探してみてください』
「つまり、そのおじさまの御遺体が、この下に……?」
「絵! 絵のほうね! 一回死体から離れない!?」
秋子さんのボケ(天然物)に荒ぶる茅野。代わりに俺が話を継いだ。
「事情はわかったよ。でも、どうしてこの場所を? 君は知らないかも知れないけど、実はこの植物は朝顔じゃなくて松の木っていうんだけど。あ、草と木の違いは分かる?」
「君はあたしのことバカだと思ってるでしょ……」
半眼で睨み付けながら茅野がスマホを向けてくる。映し出されていたのは油彩画……風景画だった。くだんの叔父の作品だろう。鬱然とした木の影が淡々としたタッチで描かれていた。俺たちが身を置く松林であることはすぐに分かった。本職の仕事なだけあってさすがに巧い。だが世間受けしないという評価も理解できる気がした。部屋に飾るには地味な絵だ。唯一の彩りが画面手前にある朝顔の花だった。一本の松に蔦を絡ませ、青い花を光らせていた。
「叔父さんが残した絵はいくつもあったけど朝顔が描かれているのはこれだけだった」
「それで穴掘りですか」
「この場所探すのにも苦労したんだから。どこも似たような風景だし、朝顔の絡まってる松なんてないし。背景とか木の角度を見比べて何とかこの場所を特定したんだけど」
成程、松の配置は確かに画面と一致している。朝顔は作者のイマジネーションだろう。
「犬を連れてきたのは?」
「ここ掘れわんわん」
「嗅覚の過大評価じゃないかな」
犬は足元で呑気に首を掻いている。秋子さんが疑問符を浮かべた。
「おじさまはどうして絵を隠したりしたんでしょう?」
茅野は、溜息と一緒に肩を落とした。
「叔父さん、こういう悪ふざけが大好きなの。前も誕生日の一週間ぐらい前にプレゼントをくれたことがあったんだけど、なぞなぞを解いて鍵を見つけないと箱が開けられないようになってて……。クイズの答えは子供だましだったけど、妙に手こずっちゃって結局誕生日までに開けらんなかったな。途中、何度箱をぶっ壊してやろうと思ったことか」
そのときのことを思い浮かべたのだろう。口調とは裏腹に茅野の口許は緩んでいた。掘り起こした先を見つめ、懐かしむように目を細めた。
「今回もきっと同じ。私が絵を欲しがってたの知ってたから、ちょっとからかってやろうってつもりなのよ。まったくいつまでたっても子ども扱いするんだから……」
そう子どもっぽく悪態を吐いた。そして思い出したのだと思う。そんな子どもっぽさを笑ってくれる相手がいないことを。行き場のないような笑みを浮かべた。
「絵のことも大切だけど、あたしはやっぱり叔父さんに会いたい。無事でいて欲しい。隠された絵を見つけたら何か行き先のヒントがあるんじゃないかって、そんなことを期待してるの。だから……もうちょっと頑張ってみます。話し聞いてくれてありがとね。それとごめんなさい。服汚しちゃって」
ぺこりと頭を下げられる。
気にしなくていいよ。それぐらいの一言はあっても良かったんだと思う。でも、そんな一言が出てこなかった。虚しい穴に吸い取られたみたいに、なぜだか言葉が浮かばなかった。
茅野は、停めてあった自転車にリードを結び付けた。ショベルを握り、作業を再開しようと穴に近付く。
俺は踵を返そうとした。でも秋子さんが動かなかった。
どうしたんだろう。
訝しんでいると、けろりとした口調でこう言った。
「手伝いましょうか?」
「え?」
茅野が頓狂な声を上げた。秋子さんはあっけらかんと続ける。
「一人じゃ大変でしょう。手伝いますよ」
茅野は慌てて手を振った。
「いやいや。別にそんなつもりで話したんじゃないよ。悪いって」
「交代で作業すれば時間もそんなにかかりませんよ。いいですよね、成海さん?」
気軽に同意を求められる。すぐに返事ができなかった。嫌だったわけではない。単に何も考えていなかったのだ。彼女はそれを嫌厭と捉えたらしい。傍に寄り、耳元で囁いた。
「きっと楽しいですよ、宝探し。花彩さんのおじさまの絵、私も見てみたいです」
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