七番:予定

 電子学生証のカレンダーアプリに埋まった予定を見て、真琴は心底嬉しそうに矢吹に伝える。今は化学室。授業で使ったビーカーを洗っている最中だ。

 教室に居辛い放課後に真琴は矢吹がリラックスしている化学室で作業を手伝うことが多い。また化学室にはそうやって娯楽を求める生徒が多く、中には抱き枕片手に寝ている者すらいる。


「そうかそうか。遮音と仲良くなったのか……色々あるだろうが、仲良いのはいいことだ」

「はい!ファーストフード店のハンバーガーはコスト削減のために肉に様々な加工をしているって聞いているので、楽しみです」

「今の情勢で食用肉は貴重だからな。ま、魚の方が高くなったけど。養殖にしろ、放牧にしろ、広い土地が必要だからな。中には地下に地上と同じ空間を作る会社もあるらしい」


 矢吹は肉の加工内容に触れず、大戦前では当たり前と言われた天然物に関する話や、加工に対する偏見について語っていく。

 飽食と言われるほど食材に恵まれた時代。世界大戦前の旧時代。どうしても天然の安全性神話が重要視され、養殖に関するイメージが良くなかった。

 確かに大自然の中で育った食材は美味いのかもしれない。しかし寄生虫や水に混じる薬品のことを考えてしまうと、決して確実に安全というわけではない。


 養豚場、牛舎、養鶏場、肉に関する産業は苦戦を強いられ続けている。まず基本的に土地不足であり、病鬼の発生では全滅もあり得るからだ。

 鬼は基本的に人しか襲わない。しかし病鬼は流行病などを体とした特殊な存在であり。体は脆く弱いが、たった一匹で数百人の手練れを手を汚さずに病で殺せる。

 家畜を扱う会社では最も病鬼を恐れる。その鬼は動物から感染する人用の病原菌も保有し、もしも家畜に触れられたら即刻処分するしかない。それには手間と金がかかる。


 もちろん畑や果樹園も同じだ。五行鬼や妖鬼、鬼武者よりも病鬼を恐れる。第一次産業は最も発展させたい分野だが、情勢によって思うようにいかない。

 だからこそ加工やクローン技術を広めるしかなかった。イケブクロシティの東に農業街があるが、そこも多くは科学による量産体制を目指すための研究所に近い。

 真琴は地下と聞いて少し首を傾げる。どうしても保護区の結界イメージがドームのような半円球である。それが円球だとしても、地下に施設を作るのは難しいのではないかと。


「ちなみに結界はその形を自由に変更できる。やろうと思えば筒状にして、宇宙空間まで伸ばせる。さすがに鬼も宇宙にはいないからな」

「でも保護区はドーム状にしているのは、外観の問題ですか?」

「そうだ。筒状にするとどうしても天井がないように不安を感じさせてしまう。半円で保護されているというイメージを優先した。だけど地下に関しては違う」

「住む人が見える部分は半円、地下を筒状にして層を段階的に作れるようにしている、ですか?」


 真琴の答えに矢吹は満足そうに頷く。この結界はまるでゴムチューブのように柔軟に張り巡らせることも可能で、地下には貨物用無人リニアモーターカーが常に運行している。

 カーと呼称しているが、簡単に言えば小型貨物列車が各地に食材や資材を運んでいる。無人なのは、コンピュータ管理という目的ではなく、鬼の発生確率を少しでも減らすためだ。

 結界で保護しているとはいえ、人がいれば鬼は襲ってくる。もしも鬼が発生した衝撃で線路が歪んでしまえば、修理によって人を集めなくてはいけず、さらに発生確率が跳ね上がる。


 現時点で資材は貴重な物であり、損失を少しでも減らしたい。なにより人の都合で遅れることがないので、機械的に正しい運行が可能になる。

 今も地下では多くの資材や食糧が各保護区に届けられ、人々は一定の生活が可能となっている。このリニアモーターカーなどの運輸や貿易を担う会社がある。

 ヤガン商事。政府にも強い影響力を持っており、船の部品製造やリニアモータ―カー整備技術の人材育成もヤガン商事が行っている。


「旧時代では工場一つの弱小企業が大戦をきっかけに大企業に発展。今では生活の根幹を支える政府御用達。ヤガン商事様、となってるわけだな」

「……ヤガン?あれ、古寺先輩が確かそんな名字をしていたような?」

「本人からは偶然同じ名字とか言われたぞ。ヤガン商事社長のヤガン・経造も在学生保護者として名は連ねてない……ただなぁ」


 矢吹が少し困ったように天井に視線を向ける。考え事をするためだけに見上げただけだが、そこで驚愕の光景を目にする。

 天井に貼りつく畳柄の布。どう考えても隠れる気がない上、若干布が震えている。長い時間貼り付いていたらしく、荒い息も聞こえる。

 真琴が目線を逸らす。壁に貼りつくだけでなく、天井にも忍んでいたのかと冷や汗すら流れそうになる。


「こんなことしそうなのは一年C組の覗見だろう。邪魔だから下りてこい。十秒以内に従わない場合、尻に刺さるようにスポイト投げるぞ」


 矢吹は呆れたようにあっさりと正体を看破し、微妙に緊張感がない脅しを伝える。さすがにスポイトが刺さるのは嫌だったのか、覗見もすぐに床に着地する。

 ウエストポーチに畳柄の布を収納し、次に新たな大理石柄の布を取り出して床に貼りつく。天井が駄目ならば、という考えらしいが、丸見えな時点で意味がない。


「あ、そこはさっきの授業でアンモニア薬品が落ちた場所だぞ」

「なんとぉっ!?」


 矢吹の声に反応してすぐさま立ち上がる覗見。アンモニア臭を知っているため、若干大袈裟な動作と声だ。

 真琴としては生徒達の靴が踏んだ場所だから基本的に汚れている場所で、相当の理由がなければ這い蹲りたくないと思っている。

 天井も床も駄目となれば壁に隠れようとしたが、棚や置物が多い化学室ではどうしても場所を選んでしまう。その間に矢吹が再度声をかける。


「なんの用だ?夕鶴先生の伝言か?それとも真琴自体に用があるのか?」

「両方でござる。夕鶴殿から矢吹殿にGWでの教師集めての食事会予定について、真琴殿には万桜殿からである」

「万桜先生が?一体なにを……」

「昨日まで委員会を決めてない生徒はGWを利用した委員会体験学習でござる。矢吹殿から連絡されてなかったでござるか?」


 不思議そうな表情をする覗見。真琴は慌てて矢吹の顔を見上げるが、矢吹もすぐさま目線を合わせないように別の場所を眺める。

 明らかに伝えるのを忘れていたのを誤魔化そうとしている人間の行動。真琴はもう少し連絡について敏感になろうと決心しつつ、覗見から日時について尋ねる。

 八つの委員会がある。今回のGWは四日間あるため、一日二つ、午前と午後に別れて一つずつ体験できるようにしてある。


 大体が最後まで一つに絞れなかった、もしくは単純に忘れていたという生徒が多いため、過密なスケジュールにはしていない。

 委員会側の負担も考え、担当生徒の中でも委員長と副委員長を務める者、そして顧問が指導に当たる。

 真琴は少し考えてから、風紀委員の日程を尋ねる。風紀委員は五月四日の午前である。矢吹が少し意外そうに真琴を見る。


「風紀は結構荒れてるぞ?俺は体育とか美化を選ぶと思っていたが」

「ちょっと自分を変えてみたくて。それに腕には自信あります!父仕込みの武術は役に立ちましたから」


 覗見は一つでも出席しないと後で反省文提出の上、顧問達が好きに指名するので、望む委員会があるなら参加するといいと言う。

 話を聞いていた矢吹は、五月は休みがあるせいか、大人も子供も予定が多くなる。そして約束側と食事会幹事をしている矢吹は頭の中に予定表を思い浮かべる。


「そういえば真琴に焼き肉食わせるって言ったな。面倒だから食事会にお前も来い。先生達が可愛がってくれるぞ?酒臭いだろうけど」

「今明らかに面倒って言ったでござるよ、この御仁!?しかも大人の飲み会in焼き肉店は臭いの集合体でござる!!」

「え、いいんですか?ではお願いします。焼肉楽しみにしてました」

「うぐぅっ!?このピュアボーイは我が身に襲い掛かる危機を把握してないでござるよ!?」


 一人勝手に盛り上がる覗見を横に置いて、矢吹は五月五日の夕方以降、委員会体験学習も終わる五時頃に寮前に準備するように伝える。

 また手近にあった布巾で濡れた両手を拭き、電子職員証を使って五月五日の夜に焼肉屋で飲み会、参加費三千円とメールを教師達全員に一斉送信。

 参加は強制ではないので、出れる者の確認だけでも行う。真琴はそれを眺めつつ、思い出したようにポケットから覗見に返そうと思っていたストラップを取り出す。


「これ、落としたや……」

「涙殿!?おお、真琴殿が拾っていたでござるか!感謝感激雨霰でござるぅっ!!」


 真琴が言い終わる前に機敏な動きで跳びつき、本当に嬉しそうにストラップを頭上に掲げる。そんなに大事な物だったのかと、真琴は一安心した。

 オーバーリアクションなのだが、どこか変わっていて、でも憎めない。覗見の印象をまとめるとそんなに悪い人には見えない。

 しかしラクルイ・波戸の友人であったと彼は真琴にあえて宣言していた。その意図が計り知れない真琴はずっと警戒している。


 高等部から手に入る能力保有プレート。それをオークションで売り、大量の金額を手に故郷へ帰るため退学した少年。

 彼はイジメられていた。誰もが見向きもしなかった中で、真琴がうっかり関わり、何故かイジメの対象が真琴へと変わった。

 さらに波戸は助けたはずの真琴に偽善者と暴言を吐き捨てたまま消えてしまった。和解することもできないまま、真琴の胸の内に残り続ける。


「あのさ、覗見は波戸のこと……」

「どっきんぐ!?え、いや、それについては、あれ……しからば御免っ!!」


 またもや跳躍するように逃げていく覗見。一体なにがしたいのかわからず、真琴は困惑するばかりだ。

 しかし矢吹は一連の流れを見て、白衣のポケットから能力保有プレートを取り出す。矢吹の能力名は【結果発表】である。

 この能力はある程度の確実な予測を捉えることができる物であり、未来予知とまではいかないがある程度の状況把握を可能としている。


「あー、なるほど。覗見は波戸と仲が良かったんだよ。だけどあいつがイジメられている時、覗見は助けなかった」

「でもそれは本人が解決するべきことだから……」

「お前だって裕也と広谷のこと覚えてるだろう?イジメられている奴が一番辛い。だけど他の奴だって辛いんだよ」


 矢吹の言葉に真琴は考える。確かに真琴はイジメられていた時、裕也と広谷に見放されていた。助けてもらえなかった。

 それを、どうして、と何度も疑問を抱いた。解決した今では二人は再度真琴との距離を詰めようとしている。真琴はそれが信じられない。

 だけどもしも広谷と裕也も辛かったと言うならば、許した方が良いのかと迷う。だけどなにに対して許せばいいのかわからない。


「友情ってのは難しいな。いなくなった奴に友情を感じて、勝手に罪悪感を抱いて行動している。だけど勇気が出せない、難儀だ」

「やっぱり……友情って難しいんですね」


 矢吹が肩を竦めながら呟いた言葉に、真琴も何度もぶつかる問題に溜息を吐き出す。友情、もしかしたら史上最大の難問かもしれない。

 数式があるわけでもなく、図があるわけでもない。決まった答えや例があるわけでもない。国語や数学が得意でも、全く解ける気がしない問題。

 父代わりに育ててくれた叔父の言葉、その難しさを改めて思い知った真琴は、何度も悩み続ける。そしてこれからも悩み続ける。


 そこに電子掲示板と校内放送で決闘が行われると知らされる。真琴は電子学生証のバトルチップ相場アプリを開く。

 決闘は賭けが認可されている。実際に賭けることはせずとも、一体誰と誰が戦うのかを把握できる。表示された名前に真琴は驚く。

 一人は見覚えのない名前だ。しかしもう一人、それは真琴にとって因縁深く、できればあまり関わりたくない人物の名前。


 マナベ・実流。かつて真琴と波戸をイジメに巻き込んだ張本人である。





 真琴が校内地下一階に設けられた決闘場B室の観覧席に向かう。前は戦う場である舞台上にいたが、今は逆の立場である。

 横長椅子を等間隔に敷き詰めた階段状の席。それが四方に広がっており、戦う者を逃がさないようにしていると思ってしまう。

 舞台の方にはスポットライトが煌々と照らされているが、観覧席は逆に灯りが乏しい。少し薄暗いが、血気盛んな歓声に熱で汗が出るほどだ。


「お、まこ坊。やっときたんか?」

「古寺先輩?それに颯天先輩も。御二人も観覧ですか?」

「あったりまえやん!自分が賭けた方が勝つか負けるか。この目で見ないと納得できひんよ」

「お前の場合はこの場で情報も売るつもりのくせに。スメラギ、こいつの情報は九割信用していいが、一割は疑え」


 テンションを上げている古寺とは逆に、どこか肩を落としている颯天。とりあえず真琴は二人の傍に座る。あっという間に席が埋まっていく。

 特に古寺の周囲は人が多く集まった。電子学生証片手にどちらが勝つか、どんな能力保有プレートを持っているかを尋ねている。

 滞ることなく古寺は次々質問に答えていき、そのたびに電子学生証を操作している。颯天が小声で、情報による金銭売買を行っている、と真琴に説明する。


 学校側は決闘についての賭けは不干渉だ。さらに生徒間による金銭の取り扱いも自己責任と言う形で放置している。

 電子学生証は本人にしか扱えないように細工されている。例え取り上げたとしても、扱えない上に刑事問題に発展する。

 だからこそ旧時代で行われていたカツアゲなどは起こらない。代わりに稼ぐ方法として、古寺のように目に見えない物を売るという手法が発展した。


「情報自体は別に高くないんだ……ただしこいつは、スメラギとマナベの試合の時、確実なのはマナベと俺に言っときながら自分はスメラギに賭けていたんだ!!」

「もー、まだ気にしてるんかい。確かに勝つと思われていたのはマナベ、これは事実やし、バトルチップ相場の画面見ても誰も疑わなかったやん」

「え、じゃあなんで僕に賭けたんですか?古寺先輩は信じてくれたんじゃあ……」

「あっはははは!一言も話したことあらへん知らない後輩を信じる阿保はおらんよ!ワイは、大儲けできる上に燃える方に賭けたギャンブラーなだけや」


 笑いながらも目が本気だった。どうしようもない問題児を見つめるように颯天が言葉を失くす。真琴も同様である。

 実は賭けてくれた三人はこんな自分を信じてくれたのか、という淡い期待を抱いていた身である真琴は地味にショックを受けていた。

 しかし冷静に考えれば古寺の言うとおりである。話したこともない相手を信じる、というのは無茶な話である。


「あん時、まこ坊は賭け相場でも負け札やと思われてた。せやけど……五百の数を大逆転する言うたら、かっこいいやん。理屈抜きの浪漫や。ワイはそこに賭けた」

「古寺先輩……」

「かっこよかったで、まこ坊。ほんま……めっちゃ儲けたわ!」

「最後の一言がなければ古寺先輩もかっこよかったのに!!」


 浪漫を語りつつもお金に目が眩んでいる古寺に真琴は涙目になる。落ち込む真琴の肩を颯天が優しく叩く。同じ古寺被害者と思われたようだ。

 ちなみに今回はしっかりマナベに賭けたという古寺。こういう奴なんだ、と颯天が慣れたように呟く。それだけで長い付き合いだとわかる。

 真琴は仲の良さそうな二人を見て、羨ましそうに視線を向けつつも、背中にぶつかった衝撃に振り向く。そしてぶつかった相手の顔を見て、驚いたように声を上げた。


「遮音!?か、髪伸びた?」


 後ろに立っていたのは遮音と顔がそっくりな少年だ。ただし髪色や長さが違う。少年の髪は銀髪で、腰まで伸びている。なぜか背後の毛先だけが下手な青で染まっている。

 遮音は前髪だけが赤い金髪であり、それほど長いわけではない。しかも真琴にぶつかった少年は褐色の肌だ。目の色も遮音と同じ紫だが、少年の方が赤味が強い。

 古寺と颯天も振り返り、真琴に遮音じゃないと告げる。少年も盛大な舌打ちした後に荒々しい口調で、間違えるな、と真琴を睨む。その睨み方も遮音に似ていたが、敵意があった。


「彼はアイゼン・紫音。君が言う遮音の双子の兄だよ。ね、紫音」

「茨木、余計なことは言わなくていい。俺はこいつが気に食わない。仲良くする気もない」


 真琴の顔に向かって指を差す紫音。しかし真琴は紹介してくれたもう一人の少年を見つめる。育ちの良さそうな、しかしどこか既視感のある顔だ。

 眉目秀麗という言葉が似合う少年だ。深い緑色の髪は切り揃えられ、深い紅の目は鮮やかな秋を思わせる。肌の色は男性にしては白く、暗い中でも輝いて見える。

 その少年に視線が集まっている。横を通るだけで一時間くらいは忘れられそうにない存在感が少年には備わっていた。老若男女問わない整った容姿である。


「愚弟が不運にも巻きまれた事件の原因、そいつの実力を確かめるために来た。茨木や貴様に関係ない」

「アイゼンの血筋は不運体質を引き継ぐからね。ま、遮音の能力プレートがあれば、心配しなくてもいいんじゃない?ね、お兄ちゃん」

「止めろ……お前にそれを言われると蕁麻疹が出る。大体俺は好きで兄になったわけじゃない!勝手にあいつが後から生まれてきただけだ!!

「まー、弟やと守る気はあらへんな。それに比べれば妹は天使やで。残念やったなぁ、お兄ちゃん」


 からかうように怒り心頭の紫音に話しかける古寺。笑われていると思った紫音が拳を握った矢先、颯天が代わりに古寺の頭を小突く。

 流れるようにいつも通り首を腕で締め始める颯天に、紫音は怒りのやり場を失くす。相当力が強いのか、古寺が慌てて首を絞めてくる颯天の腕を叩いている。


「悪いな、アイゼン。こいつはただのシスコンだから気にするな。そうだろう、お兄ちゃん?」

「あだだだ……颯天に言われたって一切嬉しくあらへん!むしろ気持ち悪ぅ……あだだだだだっ、力強めんなや!」

「せっかくだし、ここで観戦しようか。紫音、それでいいよね?文句はないよね?」

「……ああ」


 有無を言わせぬ茨木の笑顔に紫音は素直に頷く。真琴の横に座った茨木は軽い笑顔と会釈を向ける。真琴もつられて笑顔と会釈を返す。

 紫音は渋々と茨木の横に座る。腕と足を組む姿は不機嫌さを表わしていた。遮音の兄ということで話しかけてみたかったものの、真琴の顔を横目で見ては舌打ちするので話しかけにくい。

 しかし舌打ちする度に紫音の肩が跳ねる。古寺がさり気なく紫音の背後を見れば、茨木が真琴に気付かれないように紫音の背中を抓っている。しかもかなり力強く。


「僕は一年B組のリー・茨木。紫音も同じクラスで、僕の叔父が彼ら双子の身元引受人なんだ」

「リーって確か学園長も同じ苗字をしてたような……もしかして」


 真琴があり得るかもしれない仮定を口に出そうとした矢先、場内を震わす歓声が響き渡る。腹の底まで届く野太い声は心臓に悪い。

 慌てて決闘場を見下ろす真琴の赤い目に、明らかに怯えている男子生徒と対峙する実流が立っていた。どこか荒れた雰囲気を纏わせつつ、前とは違う芯のある赤銅の瞳。

 怯えている男子生徒は見覚えがあった。かつて真琴をイジメていた実流の仲間であり、決闘後には実流をイジメの対象に変えていた生徒である。


 今日の審判役の教師は二年A組担任のノブシ・和彦。黒い髪をオールバックにし、緑色の三白眼。右頬から額上までの深い傷跡が目立つ容姿だ。

 黒いスーツがよく似合っている中年男性だが、似合いすぎて若干仁義系の世界を匂わせている。真琴はラノベで出て来たヤクザキャラみたいだと呑気な感想を抱いている。

 ポケットから苺味の飴玉が入った缶を取り出し、一粒を口の中に放り入れて食べ始める。喫煙家だったが、美人の嫁さんを貰って以来禁煙中である。


「マナベ・実流対カンダツ・右岸の決闘を開始する。其方達の健闘をそれがしは期待する!さぁ、やっちまえ野郎共!!!!」


 カウントダウンすらも告げずに開始の合図をする和彦。右岸と呼ばれた生徒はそれに異議を申し立てようとして、吹き飛ばされていた。

 最初から最後まで気を緩めずに相手に近付き、能力である【万物狙撃】で人間の体を弾丸のように飛ばす。壁に背中を打ち付けた右岸はそのまま床に倒れ伏す。

 決闘場に場外はない。一切動かない右岸の様子を確かめに和彦が近寄り、起き上がらないことを確認して三度の笛を鳴らす。終了の合図である。


 一分もかからない決着だった。バトルチップ相場が機械的に賭け金を平等に分配し、すぐさま静かになる。古寺は儲けが少なかったと残念そうにしている。

 真琴は目の前で起きた瞬殺、だと少し語弊があるが、の光景に冷や汗を流した。瞬間的に相手を倒せる力を持つ実流に対し、粘り、殴り合い、勝ったというのが信じられなくなる。

 横では茨木が興味深そうに実流を見下ろしており、紫音はつまらないと息を吐く。しかしそれだけで事態は終わらず、古寺が電子学生証にインストールしていた拡声アプリを起動し、実流に声をかける。


『おーい、実流とやら!ここにまこ坊おるでぇ!なんか言うなら今がチャンスや!』


 真琴がどういうことだと追及する前に、颯天が申し訳なさそうな顔で電子学生証にインストールしていたライトアップアプリで真琴を頭上から照らす。

 場内の視線が勝者の実流ではなく、真琴へと集まっていく。居た堪れない真琴は誰かに助けを求めようと首動かすが、面白がっているのか囃し立てられる口笛が聞こえてくる。

 実流は近くにいた解説役の教師、三年C組担任サザヤ・竹藪からマイクを奪い取り、真琴へ指を真っ直ぐに突きつけながら、音割れしない程度の声で宣言する。


『三ヶ月後だ!七月、夏休み入る前!そこでもう一度決闘をするぞ!それまでに俺は馬鹿共を一掃し、今度こそお前を倒す!』


 宣戦布告。果たし状を渡されたに近い、リベンジの申し込み。顔面を陥没し、仲間に裏切られながらも、実流は真琴を敵として認めた。

 そのために力を蓄えている。赤銅の瞳が赤い炎で熱されるように輝き始めていた。真琴はその瞳に興奮を感じた。初めて闘志を燃やせる、本気で倒せる相手。

 照明係となっていた颯天は真琴が浮かべた表情に驚く。大人しそうなお坊ちゃんに相応しい外見の少年が、戦えることに対して笑っているのだ。


『それまでお前は誰にも負けんな!!お前を倒すのは俺!!鬼でもない、人間でもない、このマナベ・実流だ!!』


 その声は大きすぎたが故に音割れし、ハウリングした。不快な音が響き渡るが、気にせずに実流は真琴の返事を待つ。

 古寺が他の生徒が用意したマイクを受け取り、スイッチを入れてから真琴に渡す。準備が良いことだと、男子校のノリに茨木は苦笑する。


『いいよ。ただし君も僕以外に負けないでよね?僕は強くて粋がる君とじゃなきゃ、戦う気も起きない』

『……言うじゃねぇか。ああ、もちろんだ。約束してやろうじゃねぇか』


 実流は挑発するように笑う。決闘のルールにおいて、同じ相手と戦う場合三ヶ月の空白期間を要する。それはお互いに時の流れを有効活用させるため。

 三ヶ月でどれだけの力を身に着けられるか。敗者が勝利をもぎ取るのか、勝者が相手を完全に下すのか。因縁があるからこそ、勝敗は読めなくなる。誰もが期待する。

 男同士が再戦の約束をする中、古寺が思い出したようにポケットからとあるマスコットキャラクターのストラップを取り出し、電子学生証の拡声アプリを使って尋ねる。


『せやせや。ときキスの胡桃ちゃんストラップ御所望やったけど、これでいいのか、みの──』

『っだぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!』


 確実に音割れさせて古寺の声が誰にも聞こえないようにする実流。あまりの声量にマイクの限界を超え、鼓膜に直接叩きつけられるような鈍痛に真琴が顔を顰める。

 顔を真っ赤にしてなにかを訴える実流だが、古寺の耳も先程の大音量で一時的に聴覚が麻痺している。場内に向けて、というよりは実流に向かってあらゆる物が投げ込まれる。

 生卵、水分を含んだタオル、鞄、とりあえず大声を出した実流に対する批判の意味を込めた投擲物の数々。実流は電子学生証を操作しながら、姿を消した。


「お、メールやん。別に人様の趣味に興味あらへんのに、照れるとは青いなぁ」

「おまっ、少しは配慮してやれ……俺達の耳に被害が出ただろうが」


 古寺の様子に颯天が若干怒りを見せつつも注意する。真琴は音が揺れる頭を気にしつつ、学校は不思議な所だと改めて認識する。

 紫音はいまだ耳を押さえている中、茨木だけは平然とした様子で、思い出したように真琴に笑いかけながら尋ねる。


「楽しい学校生活になりそうで良かったね」

「え、あ、うん。そうかも」


 茨木の笑い方に既視感を持ちつつも、深い紅の瞳にそれ以上の親近感を覚える。真琴はその目を良く知っているはずだ。

 いつだって自分を見守り、父親代わりに育ててくれた叔父。それと同じ色の瞳なのだ。何故、茨木が同じ色の瞳をしているか、真琴は少しだけ不思議に思った。

 しかし答えが出る前に古寺が真琴の肩を叩いて振り向かせる。座っている颯天の頭に腕を乗せ、気さくな態度で予定を尋ねる。


「まこ坊が派手に動いてくれたおかげで、今年も楽しくなりそうや。去年は慎也が暴れてくれたおかげで儲けたし、ちょい財布に余裕があるんや。五月三日は暇か?」

「は、はい。特に予定は入ってませんが……」

「せやったら一緒に街で買い物せぇへん?アドバイスが欲しいのと、奢ってやるわ。今度はちゃんと、有料の美味い飯や」

「いいんですか!?ぜ、是非お願いします!」


 真琴の電子学生証のカレンダーアプリにまたもや予定が一つ埋まる。五月三日の昼、古寺と颯天の買い物に付き合う。初めての先輩との付き合いである。

 浮かれる真琴は茨木と紫音がいつの間にか消えていたことにも気付かず、改めてカレンダーアプリを眺める。そして気付く。埋まりすぎている。


 五月三日は昼から買い物。四日は朝から風紀委員会の体験学習。五日は夕方から矢吹と焼肉。六日は昼に遮音とハンバーガー。


 あんなに暇だと思っていた四日間の休み、その全てに予定が入っている。しかも連休ということもあり、学校側からは多くの宿題が出されている。

 しかも連休明けには恒例の中間試験。常日頃の成果を試されるテスト、油断していたら危ないため、連休中も勉強を欠かすことはできない。

 真琴の笑顔が固まる。いつの間にか忙しくなっている。こんなに遊んで世の中の学生はどうやって成績を確保しているのか。


 嬉しい反面、心配になる。真琴は初めての学生生活、初めての大型連休に複雑な感情を抱くのであった。

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