6話「混線フェイズにフェイクを添えて」

 深夜のせいじゃく。都会ではそれは少し夢物語のようだった。

 遠くからサイレンの音。ねこなわり争いでごみばこり、地面にたおれたらしい。

 ゲーム機からのはいおんが熱をうったえて、夏が深まっていることを実感する。

 

 それなのにかがみテオは楽しそうだと、おれ――くるるクルリはあきれる。

 新曲はストリートライブでろうするのではなく、別の場所で歌おうと画策しているようだ。

 まあ便利な世の中のおかげで、音源は完成したらしい。かれにしてはめずらしい、少しロックな内容だ。

 

 ギターやベースを中心に、ドラムの音が機械的にまれためん

 あずさと呼ばれる人がとっかんしたらしい。パソコンで四角い波が動いている。これをもとに護衛たちが生の音源を作るのだとか。

 なんで俺の部屋で作業しているのか不思議だったのだが、ねむそうな顔で鏡テオが話しかけてきた。

 

「ねえ、飛び入り参加かくのこれ……どう思う?」

 

 けいたい電話の画面には、テレビとラジオが協力した歌番組。生放送で事故だいかんげいひどい内容だ。放送時間もおそい。

 原石探しらしいが、これで成功する確率なんて天文学レベルだ。ぜろではないだけ、まだマシなのかもしれない。

 けれど鏡テオが指さしているのは、入賞した時の賞金の方だった。

 

 特別賞が一番高い百万円。

 ねらいがわかった俺は、ろんな目で鏡テオを見る。こんなので勝機をみいそうとしているのか。

 けれど彼は満面のみだ。たいな俺にはほどとおい、ごうよくさだことで。

 

じょうが手に入らなかったら、これでヤマトの家族を助けたいもん」

 

 もう金銭でやり取りできる段階ではないんだが。あの大家さん相手に、こんな金額で動かせる事態はないと思う。

 

ぼくは家族なんてよくわからないけど、大切なんだよね」

 

 本人的には気軽に言ったつもりかもしれんが、他人が聞けば重い内容だ。

 しょうけいなのか、無関心なのか。つかみにくい。まあなにも考えていない、というのが一番近いだろうな。

 月明かりがカーテンのすそからみ、わずかに白い顔を照らす。

 

「いいなぁ」

 

 その言葉がなにに対してかは、わからなかった。

 けれど強欲な彼にとって、たった一つのそうしつさえ大きな傷になるのだろう。

 鼻歌が聞こえる。携帯電話の画面にかぶ資料の内容もかすむような、やさしいメロディだった。

 

 

 

 朝、快適とは形容しづらい。

 だって暑い。夏さかり。クーラーは健康のためにている時は消しているが、午前四時くらいには無意識に音を上げる。

 ねっちゅうしょうこわいので、まくらもとふたつき保温マグカップを常に置いている。夜中にのどかわいたら、その中身を飲むためだ。

 

 からん、と氷が動く音。本当は麦茶を入れたかったんだが、ちゃしぶが怖かったので水にしている。

 おかげですぐにわかった。なんか真っ赤に染まっている。のうしゅくかんげん野菜ジュースだってもう少し優しい色だぞ。

 手でれるのはいやだから、使い捨てばしいてみる。とろみがあった。どろみず並みなのが泣けてくるな。

 

「……」

 

 最初ははいすいこうにでも流そうと思ったが、最近はかんきょうへのはいりょが求められている。

 こういう時は油を固めて捨てる手法が一番だ。俺――さいサイタは深々といきき、台所へと向かった。

 朝の五時でも、夏の太陽は元気だ。窓から差し込む陽光に目を細めながら、ぼやけた意識で朝ごはんについて考える。

 

せんぱい

 

 いっしゅんかくせい。真夏のきょう体験はせめて夜にしてくれ。

 背後にぴっとりと張りついてきた都市伝説さつじん――おおかみシャコ。パジャマごしにわかるのは、またもやぜんであること。

 女子中学生がやみやわはださらすんじゃない。そしてきたくない。視界に収めたしゅんかんせい事実とさけばれたら勝ち目が消える。

 

「……あれ? 飲まなかったの?」

 

 貴重な水分をにした犯人がわかった。

 りたい気分だが、それさえもわなだろう。無視して処理を続けたいが、動くたびに背中のやわらかいものを意識する。

 むにゅう、と。二つ。ゼリーと肉まんの中間みたいな。都市伝説殺人鬼のいろけとか、かなり怖い。

 

「なにを入れた?」

「愛情とか」

 

 殺意のちがいだろう。もう本当にこのこうはいだれかにしつけたい。

 

「料理の基本だよね、え萌えきゅん」

「料理したことがないやつえらそうにしてんじゃねぇぞ」

 

 一度くらい家族人数分を一日三食作ってみろ。愛情なんて、そんなわいいものじゃねぇんだよ。

 毎食バリエーションを変えて、栄養バランスも考え、いかに効率とぎわを最良化していくかを求められる。

 金を取ってもおかしくないレベルの労働だからな。飯を食わせてもらっている奴はそれくらいあくしておけ。

 

「具体的に聞くぞ。追加材料はなんだ?」

「……けんじゃの石の粉末」

 

 薬物せっしゅを無許可でするんじゃねぇ。固めたゼリーみたいになった賢者の石がんゆう水を、ビニールぶくろむ。

 振り向かないように細心の注意をはらいつつ、ふくろを背後に差し出す。誰かが掴んだのか、わずかに消える重量。

 手をはなしても落ちる音はしなかった。意外となおに受け取ってくれたようで安心したぜ。

 

「これはエーテルがれいな高級品なのに」

「……は?」

 

 おどろいた俺は思わず振り向いてしまった。

 にやりと笑う大神シャコの頭上に、へびみたいにうごめいばらが二本。なんかデジャヴというか、コントのかえしか。

 タオルがたいかくし、茨が巻きつく。チマキみたいに包まれた大神シャコが、てんじょう近くでびちびちと動いている。

 

「朝っぱらから大変っすね」

 

 上りのだいヤマトが、パンツ一丁で話しかけてきた。上半身の見事な筋肉は男としてあこがれるが、夏場の朝っぱらからは見たくない。

 こいつまた早朝か深夜のバイトをしてきたな。条例はんとかそういうのに触れるかもしれないから、やめておけと思うんだが。

 シャワーを浴びていたということは肉体労働系か。まあ食費を自分でかせぐのは偉いけどよ。

 

「あ、ちょうどよかった。そのままばくしてて」

 

 なまくびころしている枢クルリが、ゲーム機片手に天井を見上げている。

 指だけが激しく動いており、リズムゲームをクリア中らしい。わずかにれ聞こえる軽快な音楽が、俺好みだった。

 ゆかに落ちたビニール袋を拾い上げ、つまらなさそうに見つめている。

 

「賢者の石ってエリクサーにかんするから、エーテルにつながるのは予測してた」

「……ゲームの話か?」

「現実だよ」

 

 すっげぇ冷めた目でにらまれた。いやだって、出てきた単語がばなれしてんだよ。

 俺だってRPGを遊ぶし、そういう単語にわくわくして調べたことはあんだよ。でもゲームごとにちがって、ややこしいんだって。

 

「まあ俺もゲームみたいにお手軽だったら楽だったんだけど」

「それってどういう」

 

 ぐぅううううううう、と。

 でかい腹の音がしんけんな空気をかいさせた。空腹を訴えるデモこうみたいだった。

 大和ヤマトが俺をじっと見ている。わかったよ。まずは朝ごはんな。

 

「おにぎりとしる、あとつけものがここに」

 

 すいはんには大量にいたご飯。具材は梅干しとほぐしさけ、あと青菜のふりかけがくて好き。

 汁はとうと刻んだネギ、あとついでに竹輪も。漬物はきゅうりと大根、あとカブとにんじん

 卵焼きもほしかったが、大人数だからな。登校準備もあるからきゃっだ。

 

 味噌をくのは大和ヤマトに任せ、俺はおにぎりを作る。

 相変わらず大神シャコが天井近くでもがいているが、そろそろえさせないとやばいか。

 

「ヤマト、大神を解放してやれ」

「ういっす」

 

 茨が一瞬で消え、床にびたーんと落ちる全裸むすめ。飲み物に細工したばつだな。

 料理に集中する俺に手出しはできないと判断したらしい。固有ほうで赤いフードマントを取り出し、とぼとぼと出ていく。

 もどってきた時にはこんいろはんそでセーラー服。俺の朝食をもらって、そのまま登校する気らしい。手には通学かばんと楽器ケース。

 

「ほれ、お前の分も用意してやったから」

 

 急な来客にも対応できるようになってしまった。大神シャコのはしと皿を用意し、席へとさそう。

 たったそれだけのことなのに、なんだかキラキラとしたひとみで見つめられる。大家さんが用意している食生活でも酷いのか。

 うれしそうに着席し「いただきます」と告げて食べ始めた。あいさつができるのはいいことだぞ。そこはめてやる。

 

「シャコは洋食が好きだけど、先輩のおかげで和食も大好き!」

 

 料理を作った側としては、地味に嬉しい。ただ一言多いがな。

 

「で、エーテルに関してなにか知ってる?」

 

 お味噌汁を冷ましつつ、おにぎりをほおる枢クルリ。味噌はふっとうさせていないはずなんだが。なにせ風味が飛ぶ。

 竹輪とかあぶらげを入れると適度にコクが出るんだよな。夏場は塩分や水分の不足が怖いから、こういったしるものが予防に適切だ。体冷やしやすい奴にもおすすめだし。

 ニュースで今日の星座うらないでも見ようかと、リモコンを探す。

 

「……六番から、辿たどいた奴にはこれわたせって言われてる」

 

 通学鞄から真っ黒なクリアファイル。クリアなのに、中身が見えない仕様とはこれいかに。

 難しそうな話を朝っぱらから頭にたたみたくないので、半ば聞き流すように耳を立てる。

 

「……」

 

 受け取った枢クルリがわずかに顔をしかめる。

 横からのぞんだ大和ヤマトは、そくに視線をらした。

 俺も怖いもの見たさで向かい側から身を乗り出し、紙面をめる黒文字にを覚える。

 

かい文書かよ」

 

 けんを指でほぐしながら、枢クルリがうなる。さすがのねこみみろうもお手上げ状態に近いらしい。

 まあ紙の白い部分が二割で、八割が文字なんだもんな。クロスワードパズルじゃねぇんだから、もっとわかりやすくしようぜ。

 まともに読むのもあきらめたくなるような資料を前に、枢クルリは赤ペンを取り出した。

 

「他にはなんか言ってなかった?」

「えっとね、確か『授業がつまらない時に作るめいより簡単だ』とか」

 

 なんだそりゃ。あー、でもいるよな。やけにった迷路をノートの角に小さくえがく奴。

 休み時間にクラスの奴らが集まってゴールを目指すんだけど、笑えることに作った本人さえ道筋を忘れてやがるんだよ。

 最初の一本道があるはずなんだけどな。あれはどうなってるんだ。

 

「そういえばテオの兄貴は来ないんすか?」

 

 両手でおにぎりを掴んでいる大和ヤマトの一言で、ようやく気づいた。

 確かにいつもであれば何故なぜか枢クルリといっしょに来訪し、自由気ままにご飯を食べているはずだよな。

 まあ大和ヤマトに白のタンクトップと半ズボンが似合いそうな大将スタイルとか、そんなのをおもかべているせいで集中はできないんだが。

 

「……」

 

 おい待て。そのちんもくはなんだ猫耳野郎。わかりやすく手を止めるんじゃない。

 やっかい事の予感がするぞ。くぬぎさんあたりに電話でもかけておくか。いや、仕事明けのはずだからメールの方がいいのか。

 今日は木曜。来週の火曜日には終業式。夏休みも待っている時期だ。変な事態だけは起こさないでくれ。

 

「アストラル?」

 

 赤ペンでなにかを見つけたのか、ぼそりと枢クルリがつぶやいた。

 それもまんとかゲームで聞いた覚えがあるな。ただエーテル以上によくわからない。エネルギー的な、それとも物質だったか。

 賢者の石がエリクサーに繋がってもエーテルだとして――アストラルはなんだ。

 

 まあ俺の思考などお構いなしに、ピンポーンと来客を知らせる音。

 俺が返事する間もなく、慣れたようにララがりちに「おじゃまします」と告げて入ってきた。

 

「サイタ、お客さんだよ」

「ん?」

 

 大神シャコはしょくたくの席だし、鏡テオはまあ……お出かけ中か。

 他に訪ねてくる奴なんていたかなと思った矢先、あおシュウがひょっこりと顔をのぞかせた。

 イケメン女子と並んでも、やはり青路シュウは方向性の違う顔立ちだ。なんというかワイルド感がある。おおかみに近い犬みたいな。

 

「テオから妹にかせたいCDがあるって言われたんだけど」

 

 今日は休日なのか、ラフな格好の青路シュウ。簡素な白シャツに黒いスラックス。それだけで様になるなんてうらやましい。

 しかし困ったな。かんじんの鏡テオが留守中だ。返答に答えあぐねていると、枢クルリがめんそうに顔を上げた。

 

「昼前には戻ってくると思うから、俺の部屋で待ってれば」

「でもおじゃだろう?」

「テオにもそう言われてる。小説とかあるし、好きに過ごしていいから」

 

 なーんかひしひしと予感が背中をあっぱくしてくるんだが。

 みょうに準備がいいしな。枢クルリが指さしたかべとびらへ、おそるおそる近づいていく青路シュウの背中を見送る。

 まあつうりんじんの部屋を壁ぶちいて扉を作ったりはしないな。全ては金で解決した枢クルリと、それを許可した大家さんのせいだが。

 

「じゃあお言葉にあまえて。その前に……」

「?」

「おにぎり一つもらっていいか?」

 

 少し照れた様子でたずねてきた。おくゆかしさを感じる。

 多々良ララなど「いただきます」と言ってから、すぐに食べ始めたというのに。

 一つどころが、三つくらい持っていけ。三角は梅、四角は鮭、俵型は青菜のおにぎりだ。

 

 そうこうしている内に時間がせまってきた。大和ヤマトは少し離れた工業高校だからか、ばやく「ごちそうさま」と言い終えてげんかんへ。

 多々良ララも日直らしく、予定よりも早く駅へ。俺もそろそろ出かけないと危ないな。

 

「クルリ、その危険物をちゃんと処理しておけよ」

「ん」

 

 せめて二文字で返事してくれないか。

 なぞきゲームに夢中になった猫耳野郎は、テーブル上のビニール袋は放置気味だ。

 まあ誰かが故意に使おうと思わなければ平気だろう。愛用のスポーツバックを掴み、シューズを半ばつぶす。

 

「先輩、ちゅうまで一緒に行こう!」

「……変なことするなよ」

 

 きょされなかったのが相当嬉しかったのか、大神シャコがじゃきついてくる。

 だからそれが変なんだって。軽くはらいながら歩いていく。

 ぴっとりと横をする殺人鬼わく後輩に、ちょっとした恐怖を覚えるのは普通だろう。

 

「今日はね、シャコの友達をしょうかいするね」

 

 いたのか。うん、まあ……正体とかバレるんじゃねぇぞ。他人事なのに、のように心配した。

 駅への歩道まで辿り着いた時、綺麗なすずの音が聞こえた。思わず出所を調べたくなる。

 するとこけしみたいな少女が驚いている。となりにいる少女と同じ紺色のセーラー服を認め、俺はできれば無視していたかった事実に直面だ。

 

「シャコのお友達、青路ミチルちゃんです! 驚いた?」

 

 声もでねぇほどにな。というか、さっきそいつの兄貴と出会ってんだろ、人見知り都市伝説。

 大神シャコが赤い花のヘアピンでまえがみかざりつけ、かたまでびたくろかみらしている。

 おかっぱ頭に青い鳥のヘアピンをつけている青路ミチルと並べば、仲の良さそうなふた姉妹といったふうていだ。

 

「そういえば、青路には双子の兄がいるんだっけか?」

「チヅルくんのこと?」

 

 どうやら大神シャコは知っているらしい。

 けれど青路ミチルは少しだけ不満そうな表情を隠さなかった。

 

「チヅルくんって欠席が多いから、シャコもあんまり会ったことないや」

「……」

「でもね、優しそうに笑うから好きだよ」

 

 おおっとあまっぱい青春の一部分の気配。俺の方が照れてしまう。

 

「ちょっと不良ぽくてミステリアスなのが女の子達にウケてるんだ」

「ああ……そういう」

 

 いきなりの客観的な意見を出されて、甘酸っぱさが苦い顔になった。

 いるよな。こういう意味深な内容を言いながら、実はまったく対象として見ていない奴。

 まだ会ったことがない青路チヅルに同情するぜ。けれど都市伝説な殺人鬼わくれられても困るか。

 

「……雑賀さんは会いました?」

「青路チヅルか? 話でしか聞いてねぇけど」

 

 するとあんしたような息を吐いて、少しだけ考えこんでしまった。

 もしかして思春期だから、双子とはいえ兄の自由さ加減にいやがさしているとしごろなのかもしれない。

 この年代の女の子って難しいもんな。俺の妹にも年の近い奴がいるし、ことあるごとにやかましいったら。

 

「あ、あの……」

 

 口ごもりながら、勇気をしぼった表情で俺を見上げてくる。

 そのひょうに鈴が鳴る。通学鞄で揺れている鈴のストラップは青い鳥の形で、どうやら好きなモチーフのようだ。

 大神シャコに比べれば幼さがいろく残る顔。けれど印象的で、青路シュウの妹だと改めて思い知らされる。

 

「チヅルに会ったら、質問してください」

「なにを?」

 

 自分で尋ねればいいのに、変なことをお願いするもんだ。

 

貴方あなたは誰ですか?」

 

 ――は?

 俺の思考は発車する電車の音でさえぎられた。やばい。次の電車をのがすとこく確定だ。

 次は三分後。東京の路線事情のあわただしさは、慣れた今でも驚くしかない。

 

「と、とりあえずわかった。おぼえていればな!」

 

 後輩二人に背を向け、改札へと走っていく。あと少しで夏休みなのに、遅刻しておこられるなんてじょうだんじゃない。

 期末テストも終わり、朝練もない貴重な時期。ゆとりがあるはずなのに、なんでこんなにもいそがしく感じるのか。

 なにかに追われている気さえしてくる。その気配だけはわかるのに、確かなことは不明なままだ。

 

 

 

 なんとか間に合った。机に顔をし、一限の英語のテストへんきゃくも重なってむ要素しかない。

 いいんだよ。日本語さえ通じれば。いざという時はフィーリングだ。気持ちが伝わればどうにかなるはず。

 二限目までの短い休み時間に、いわいずみノアがおどおどした様子で話しかけてきた。これ以上嫌な予感を背負わせないでほしい。

 

「あの……これ、おじさんから渡すようにたのまれて……」

「おう。まあ受け取っておくわ」

 

 あのはくおっさん。りずにかいにゅうしてきやがって。いい加減放置してくれ。

 岩泉ノアに罪はないので手に取るが、中身だいではのちほどかえしてやろう。

 そんで二限の数学。テスト返却。正視したくない現実が、点数となって表れている。

 

 教科書を読むふりして、クリアファイルに入れられた資料らしき紙を取り出す。

 わらばんではないので、なんだか高級感。やっぱり紙質って大事だな。いちもくりょうぜんというか、触れただけでこの違いよ。

 高級紙に記されていたのは事件のがいようだ。紙のはしっこに大きな判子が押されている。しかも「厳禁」とあるから、明らかに外部に持ちだしてはいけないのでは。

 

「事故概要?」

 

 思わず声に出たので、急いで周囲を確かめる。誰かに聞かれた様子はない。

 数学の担任に気づかれないように読み進めていく。約十年以上前のしんな事故についてまとめられている。

 がいしゃの名前は青路イコマ。自室のまどわくからすべち、病院に運ばれた時には死亡していた。

 

 はだあわつ。被害者には以前から児童ぎゃくたいの疑いをかけられ、何度も保護官が訪ねていたようだ。

 虐待疑惑があった子供の名前は青路シュウ。母親は二人目の出産を終えた直後、急激な血圧の低下で死亡していた。

 母親が死んでから父親が子供へ暴行を繰り返していたらしく、近所では有名なあらくれものだったとか。

 

 有能なサラリーマンが、一転して酒におぼれる無職に。

 ここまでなら事故にかんはないはずだ。けれど窓枠には落下防止用の小さな手すりがあったらしい。花のはちが飾れる程度の大きさだとか。

 それが普通は防いだはずだ。つまり被害者が落ちるには、意図的に身を乗り出すか――背後から背中をばされるしかない。

 

 遺体かいぼうの結果、背中に小さな手形があったようだ。青路シュウの手といっしたらしいが、大人を突き飛ばせるほどの残り方ではないらしい。

 しかも救急車が被害者をはんそうした時、青路シュウは部屋の中で気絶していたらしい。額にはこぶしなぐられたあとと、首にはめた際に残るあざがくっきりと。

 部屋には情事のこんせきが残留し、これにより被害者は自らの子供を対象に――。

 

「ぅおぇっ」

 

 思わぬ吐き気。相当顔に出たのか、隣の席にすわっていた女子が先生を呼んだ。

 

「センセー。雑賀くんの顔が変です」

「そこは顔色にしてくれないかっ!?」

 

 思わずツッコミを入れるが、相手は心配そうにこちらを見ている。

 そんな表情をされたら、これ以上は強く言えない。こっそりと資料は隠しておく。

 

「雑賀。具合が悪いなら保健室に行くか?」

「……はい」

いは必要か?」

「いえ、だいじょうです。ちょっと休めばなんとか……」

 

 服の内側にクリアファイルをねじみ、そそくさと教室を出ていく。

 冗談じゃないぞ。あの眼鏡おっさん、とんでもないもん渡してきやがった。

 どうする。これは誰かに相談していいのか……いやでも、青路シュウのプライバシーに深くもぐんでしまう。

 

「サイタ?」

 

 声をかけられ、驚いた猫のようにねてしまった。

 多々良ララが体操着姿でこちらを見ている。手には水にれた制服があった。

 

「どうしたんだ?」

「化学の実験中に薬品が散らばってね。そっちこそ……ん?」

 

 俺の鹿。飛び跳ねた拍子にクリアファイルから紙が落ちてしまった。

 それを拾い上げた多々良ララが読んでしまい、みるみる表情が険しくなっていく。

 そんな顔で俺を見ないでくれ。知りたかったわけじゃないんだ。しかしすのも変な話だ。

 

「保健室で」

「わかった」

 

 二人でろうを歩き、保健室の扉をそっと開く。保健室の先生は諸用で出かけているらしく、すぐに戻るというむねが書かれたメモが置かれていた。

 カーテンレールを動かし、一台のベッドを視界から隠す。並ぶように座り、うわきだけを俺の分だけ外から見えるようにしておく。

 

「青路さんが色欲候補っていうのがよくわからなかったけど、そういうこと?」

「……違うんじゃねぇの」

 

 かんだけど。資料の額面をそのまま受け取るなら、青路シュウが被害者だ。

 罪をおかしたのは事故でくなった父親のはず。でも青路シュウがホストクラブで聞いた通り、父親殺しだとすると。

 それは七つの大罪の、どれにあたいするんだ。少なくとも色欲ではない気がする。

 

 この事故と、色欲候補であることに――繋がりはないのか。

 

「……枢に電話してみよう」

「は?」

「先生が来そうだったら教えて」

 

 意外とアクティブに動くな。まあ俺もそうしたかったから、好都合だけど。

 カーテンの向こう側に気をめぐらしながら、小声で話す多々良ララの言葉に耳をます。

 

「枢? 青路さんについてなんだけど」

『事故について? それともせき?』

 

 漏れ聞こえた声に、俺は怒りたくなったがまんする。

 あの猫耳野郎、まーただまって色々と把握していやがったな。

 

「戸籍って?」

『調べてもらったのが、先ほど送られてきた。まあなんていうか……言いにくい』

「手短に」

 

 ようしゃないな。珍しく枢クルリがちゅうちょしているのに。

 

『書類上では青路ミチルという娘は存在しない』

 

 俺、朝に本人に出会ったばかりなんだけど。

 え、つまりは、その、あれか。

 

「まさか青路は男の娘だった?」

『とか馬鹿なことを言いそうな奴が一人おかにいるだろうから、否定しておいて』

「だってさ」

 

 はいはいはい。どーせ俺は馬鹿ですよ。英語も数学もテストは散々だったからな。

 でも他にどう考えればいいんだよ。いっぱいあるのかもしれないけど、予想が難しすぎる。

 

『四人家族であったのは事実』

「つまり双子がおかしいってこと?」

「なんで毎度双子関係でまどわせられるんだろうな」

『だからテオがいち早く気づいたみたいで、色々と調べたわけ。そこでなんだけど』

 

 電話向こうでもわかるくらいのせいだいな溜め息。

 

『テオ知らない?』

 

 おいちょっと待て。お前が把握しているんじゃないのか。

 こちとら朝から見かけてないし、青路シュウを呼んでひまつぶすように手配したのもそっちだろうが。

 多々良ララも当たり前のことだが「知らない」と返事している。

 

『……今日の授業はいつ終わる?』

ひるごろには。テスト返却だけなもんだから」

『もう少し引き留めておくから、授業終わったらホストクラブのマスターに会って。手配は頼んでおいた』

 

 そしてぶつんと切られる通話。やばい予感だけが頭にのしかかって痛い。

 色々と山積みになった問題を前に、方向性だけは示されているのが救いか。

 

「……大和や天鳥先輩にもれんらくしておく?」

「頼む」

 

 ここまできたら他もんでおこう。かかむのにも限界があるんだよ。

 まあ青路シュウの背景についてはせておこうとは思うが、どこまで黙っていられるか。

 今日も一日が長くなりそうだ。めんどうだけど、やるしかない。気張れよ、俺。

 

 でもおやわらかな内容にしてほしい。無理かもだけど。

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