2話「ブランチに誘われて」

 期末テストよりも優先すべき事態。

 そう、昼飯だ。

 あせだらけな男子高校生のさいサイタ――おれは引きつったみをかべる。


 英語なんてな、世界のけんが変わってしまえば意味がなくなる。

 それくらいは俺だってわかるんだぞ。要は勝てば官軍。

 でっかい戦争での勝者が使っていただけ、という理由だって歴史の先生がな。


 だから多少英語の結果がやばそうという現実から目をらす。

 いいんだ。俺は日本人。日本語で生きていく。


 とりあえず特売の字だけはのがさない。

 安売りしていたトウモロコシを大量にむ。エコバッグからはうれしい重み。

 えんてん下という言葉がさわしい真夏日。いつものように電車から降りて、改札口を出て行く。


 するとめずらしいこともあるもんで、ストリートミュージシャンのかがみテオが歌っていた。

 時間を確かめる。昼前の十一時。青空がわたり、白い雲が気持ちよさそうに積み重なっている。

 七月の気候を考えれば暑くなり始めのころで、大体の人間は学校や会社などで動いている。集客はめない。


 なにより鏡テオの白いはだを考えれば、日焼けは大敵だ。過保護な護衛たちが許すとは思えず、視線を周囲にめぐらす。


 ふと、薔薇ばらほこっているのを見つける。

 いいや、ちがう――薔薇の形をしたれいあざだ。ほどよく美形な顔をいろどっている。


 ラフな白シャツにジーンズ。それだけなのに手足が長いせいか、モデルかとちがえそうになった。

 でもオーラ的な物が少し足りないというか、自信が欠けているような印象の男だ。

 明るい茶色のひとみが鏡テオをまぶしそうに見つめている。なたの下にいるのは男で、日傘パラソルの下で気ままに歌っているのが鏡テオなはずなんだが。


 男のかたわらには小さい少女が立っている。中学の制服を着ているけど。小学生とちがえるくらいだ。

 こけしみたいなかみがたで、顔立ちは男とよく似ていた。まあ、きょうだいだろう。あのきょ感は覚えがあるしな。

 というか……こんいろセーラー服を視界に入れるたび、へそ辺りがむずむずする。あんまり長く見るのはきつい。


 そして視界に入れたくなかったが、着ぐるみ男をジャイアントスイングするきょにゅう美人がせいを上げていた。


くぬぎぃいいいいいい!! このぼんくらがぁあああああ!!」

「今回はなおあやまるよ、こずえちゃんんんんん!」


 不細工なうさぎ頭が青空を飛んでいき、ひそかにかしさんがキャッチしている。連係プレーなんだろうな、一応。

 そんな背景はお構いなしに歌い続ける鏡テオ。あの度胸だけは見習っておきたい。


 少しでもすずしい場所へと向かおうとしていた社会人や学生が足を止める。

 れる、ってのはこういうことなんだろうな。

 なにせ聞き慣れているはずの俺でさえ、一曲終わるまで日射が強い場所で聞き続けたくらいだ。


 鏡テオの歌だけは俺も無条件で認める。あれが才能だ。

 歌い終わって、がおで一礼。それだけでがるはくしゅ

 だれもが無言で通り過ぎていく駅前が、音楽会場へと変化したようなねっきょう具合だ。


 すると俺に気付いたのか、鏡テオが手をってきた。しかも両手。大はしゃぎするゴールデンレトリバーの如し。

 一気に視線が俺に集まった。大量にトウモロコシを買い込んだ男子高校生が、目の前にいるストリートミュージシャンとどんな関係なのか――こうの対象だろう。

 しかし何故なぜか鏡テオは嬉しそうに手を振り続けている。俺の両手は学業用のスポーツバッグと買い出し用のエコバッグでふさがっているのに、だ。


「サイター、ララー、ヤクモー」


 ようやく理解した。同時にかえる。

 いつの間にか俺の背後で無表情のまま手を振る多々良たたらララと、天鳥あまとりヤクモがしんけんな表情で単語帳とにらめっこしていた。

 ああ、そういえば天鳥ヤクモは受験生だったな……期末テストやばかったのか。


「ガリ勉のくせして効率悪いな」

「クルリぃっ!?」


 かげの下で小型せんぷうの冷風を浴びていたくるるクルリの一言に、受験生の集中力はあっという間にれた。

 相変わらず仲良いな、こいつら。

 あの枢クルリがめんどうくさがらず、こまめにけんを売っているのでバレバレだしな。


 ――いや、なんで引きこもりねこみみゲーマーが外出しているんだ?


 俺は枢クルリの顔をながめる。額をかくすヘアバンドでぼさついたくろかみをかき上げているとは言え、毛先から落ちる汗のしずくは隠せない。

 むらさきいろのパーカーは少しだけ汗にれているし、猫耳付きフードをかぶる気も起きていないようだ。

 ねこげんそうで、氷が大量に入ったオレンジジュースを飲んでいる。


「クルリ、最近アクティブだな?」

「……ちっ」


 まじか。枢クルリが反論もせずに舌打ちだけ返してきやがった。結構珍しいぞ。

 ストローをがじがじとんでおり、相当いらっているようだ。

 それに気付かず天鳥ヤクモが説教しているが、効果なし。


「というか駅前でそんなにくつろいで文句言われないの?」


 多々良ララの発言に、俺は改めて気付いた。

 枢クルリはみちばたにレジャーシートをき、固定がさの下で扇風機の風を浴びながらジュースを飲んでいる――運動会の保護者みたいな感じだ。

 そういえば最近の運動会では日射や気温じょうしょうが激しいことから、テント持参が多いらしいな。妹が電話でそう話していた。昔は秋かいさいだったんだが、今は暑くなる前の春先にやるんだと。


「許可は取ってある」


 それだけで終わり。説明する気もないらしい。


「ふーん。で、かしさんやかばさんの手厚いサービスを受け取っているんだ」


 お、多々良ララがさぐりを入れに行った。

 うすい灰茶色のたんぱつから汗がこぼれていたのを口実に、固定日傘の下へと移動していく。って、お前も暑かったんだな。

 まあ女子に日焼けは大敵だしな。特に多々良ララはしっかりと白い肌をキープしているようだ。


 あ、ほうか。

 多々良ララの固有魔法【灰の踊り子サンドリヨン】は魔法少女みたいに変身するんだが、結構しゅつの激しい白レオタードドレスだからな。日焼けあとは確かに目立つ。

 スカートからびるけんきゃくにもしっかり日焼け止めはっているようだが、汗で流れるしな。そりゃあ涼しい場所に行きたいだろう。


「む……わ、私も日傘の下に」

「定員オーバーです」

「どう見てもゆうがあるだろう!?」


 暑さで頭が働かない天鳥ヤクモも、さそわれるように日傘の下へ。しかしる気力はあるらしい。

 つばさが広がったような感じの黒髪も汗のせいで元気がなさそうだし、赤い太ふち眼鏡位置がずれている。何度も指で直しているが、肌の上をすべっていた。

 というか、その学校指定の白ベストをげば良いのに。夏用とはいえ暑いだろう。


「じゃあ俺も」

「重量オーバーです」

「その猫耳引き千切ってやろうか?」


 俺にもにくまれぐちたたくので、エコバッグを軽くまわして枢クルリの頭にぶつける。大量のトウモロコシは中々に固いだろう。

 野球部用に短くした黒髪からも汗が垂れ落ちていく。左眉上の古傷にもれたが、痛みはない。

 日焼けした肌は相変わらずで、白シャツと赤地に黒の漢字がえがかれたTシャツは濡れまくっていた。ひざしたまでまくげたズボンのすそかんしょくが気持ち悪いことに。


「まあクルリが外出している理由は明白だな」


 扇風機の風を浴びて少し立ち直った天鳥ヤクモが、


かれだろう」


 と視線だけで薔薇の痣を持つ男を差す。

 その男は妹といっしょに鏡テオとだんしょうしていた。

 背後ではこずえさんがモンゴリアン・チョップというわざくぬぎさんにかけている。

 サングラスが飛んだが……まあ、いつものことだな。


「七人目か……意外と早かったな」

「これだから眼鏡はいやだったんだ……受験勉強してろよ」

「お・ま・え・が! とんでもないことを計画したのがほったんだろうが!!」


 パーカーの首元をつかんでがっくんがっくんとさぶる天鳥ヤクモ。

 けれど枢クルリは負けじと、


「勝手におこるそっちが悪い」


 と言い返していた。

 どっちもどっちだ、鹿ろう共。


「ちなみに危険度は?」


 どんな時もクールイケメン女子はたよりがいがあるぜ。

 喧嘩する猫耳ろうつばめ野郎には興味ないらしい。


「……わからない」


 おっとお。ここで猫耳野郎がめっちゃしぶい顔をした。

 視線はいまだに鏡テオと楽しく話している兄妹に向けられているが。


「サングラスの話では兄の方が童話を選んだという話だが……安直すぎて引っかかる」

「そんないまさら……」

「たまーにあるんだよなぁ。簡単なせんたくのはずなのに、嫌な予感しかしないやつ


 それゲームの話だろう、確実に。


「わかるっす。くさってないと思っていても、夏場の牛乳はこわいですから」


 ヘルメット片手にきんぱつこうはいまで参加してきやがった。腹減りか。空腹なんだな。

 近場のちゅうりん所にバイクを取りに行っていたのか、大和だいわヤマトが駅前の道路横から声をかけてきた。


 やはりバイクの運転中にうでを出すのは危険らしく、黒のライダージャケットを着ている。

 お古なのか、みょうにデザインが二十年前くらいのだ。しかし年月を経たおかげか、かわが良い味を出していた。

 しっかりした体格と合わさって様になっている。工業高校も期末テストだったようだ。残念なことに全員そろってしまった。


「お前ら……昼飯の準備手伝えよ」


 こんなに人数が多くなるとは。大量に買ってきたつもりだが、トウモロコシが足りないかもしれない。

 特に多々良ララと大和ヤマトの食欲はすさまじいからな。天鳥ヤクモや枢クルリはつうで、鏡テオは小食だ。

 なんで俺……こいつらのぶくろ事情をあくしているんだが。泣けてくるぜ。


「ういっす。じゃあ俺は先に帰るので、袋預かるっすよ」

「おお、助かる。ありがとよ」


 こういうづかいに大和ヤマトはすぐれている。さすが腹ぺこアルバイター。ジジコンなのもこうかんしょくに変えていく男。

 俺からエコバッグを受け取ると、大和ヤマトはヘルメットをかぶってさっそうしていった。

 やっぱり、バイク良いな。俺もいつかしい。


 と思っていた俺の耳に、


『くぅぉらぁっ!! 止まれ、変態ライダー!!』


 どっかからうったえられそうな婦警のごえひびいた。

 大笑いしながら走り去っていく男には見覚えがあった。あいじんのナルキズムだったか。

 仮面とうかいみたいな派手仮面に、はだの上にライダースーツ。ファスナーが臍の下まで下がっていたのをいっしゅん見てしまった。最悪だ。

 そしてミニパトがすごいスピードで追いかけており、天鳥ヤクモがずかしそうに顔を両手でおおっていた。


「姉さん……あのやり方は上司に怒られるっていうのに……」


 まあ、そうだな。まんとかそういうのでしか許されないよな、普通は。


「話が逸れたけど、とりあえずはこのままで良いと俺は思う」

ごういんもどしやがったな猫耳野郎」

「じゃないと進まないだろう。いいか? 一応俺達の当面の目的はヤマトの身内を助けることだろう」

「そ、うだったな……」


 やっべ。忘れかけてた。

 それもこれもお前が余計なことをしたからだろう、猫耳野郎……とは言いにくい。

 なので続きを大人しく待つ。


「それでそうしょくになった知識の魔人は、現時点は大家さんの手元という前提なのは忘れてないよな?」


 さりげなーくくぎしやがったな。もちろん、嫌でも忘れねぇよ。

 知識の魔人――ナレッジは大和ヤマトの家族だ。血のつながりはないけど、祖父が幼い頃からの付き合いらしい。

 それをじんうばわれたまま、くやしい気持ちをかかえているんだ。思い出すだけで腸がえくりかえるというか……臍がむずむずする。


「で、知識の魔人が大家さんの手からはなれて解放される最短の道は、れんきんじゅつ機関が魔人全てを集めること。いいな?」

「……あれもか」


 もう声すら聞こえない所まで遠ざかった慈愛の魔人。

 あれも対象か。俺はどちらの味方をすれば良いのか、なんかわかりづらい。

 とりあえずあれをつかまえるしかない錬金術師機関には同情する。


「あれはあれでざかしい。わざと警察に追われて、錬金術師機関達が手を出せないようにしているからな」

「お前が小賢しいとか言うのか」


 天鳥ヤクモが適度なツッコミを入れるが、それを無視した猫耳野郎は続ける。


「一番難しいのは忠義の魔人だろうな……けいかいしんも強いし、魔法管理政府の日本支部を味方に付けている上、えさにも引っかからない」

「餌?」

「お前だよ」


 あきれたように俺を指差す枢クルリ。


「俺はたいるための海老えびか!?」

「小魚がとうだな」

「よっしゃあ!! その喧嘩買ったぁっ!! 表出やがれ!!」

すでに表だし」


 ああ言えば、こう言う。なんて生意気なんだ、こいつ。

 天鳥ヤクモと再会して以来、特に口が達者になりやがって。


「ヤクモぉっ! 俺の味方をしろぉっ!」

「え!? いや、あの……まあクルリの考えがわかるような気も……」

「お前がそんなんだから、こいつがつけ上がるんだろうがっ!! しっかりしやがれ!!」

「ええっ!? しかし最近の付き合いでいうなら雑賀の方が上……」


 喧嘩する俺を多々良ララが冷めた目で眺めながら、


「家族ドラマのさ『お父さんもなにか言ってちょうだい』からの『俺はむすの言い分もわかる』という流れで『お父さんはどっちの味方なの』こうげきから『育てたのはお前だろう?』というお約束パターン的な?」

「長い説明どーも」


 と解説し、枢クルリは呆れていた。


「サイター、ヤクモー! なにやってるの?」

「ここで末っ子のじゃな『パパ、ママ、どうしたの?』が入る訳ね」

「その茶番は続くのか」


 むしろホームビデオの大型犬乱入の間違いじゃないか。

 というか、誰がパパとママだ。おい。すがひどいぞ。


「あのね、最近お話しして仲良くなったの!」

「あん?」

「こんにちは。青路あおじシュウといいます。こちらは妹のミチル。ほら、ごあいさつして」

「は、初めまして。青路ミチルです」


 さわやかな笑顔で青路シュウとやらが挨拶してきた。

 これがまたらしいスマイルで、そういう接客業できたえたと思われる。

 大和ヤマトとは違うきたかただな。アイツの営業スマイルは微妙に固かった。


「どうも。雑賀サイタです。えーと、こっちが多々良ララ」

「よろしく」

「天鳥ヤクモです。こちらはおさなみの枢クルリです」

「……どーも」

「テオから聞いてるよ。みんな友達なんだって? 仲が良さそうでなによりだ」


 すげぇ。おそらくさきほどの展開をわずかでも見ていたはずなのに、よどみなく言い切ったぞ。

 大人だ。これが大人の対応力だ。

 なんていうか俺らに足りないのはこういうのではないのだろうか。


「じゃあ俺は夜から仕事だし、そろそろ帰るよ」

「えー? お昼一緒に食べようよ! ぼくおごるから!」

「あのなぁ……お前のそういうゆうほんぽうなところはりょくな反面、短所でもあるぞ。気をつけろよ」

「むー……はぁい」


 え? まじで!? 鏡テオが素直に言うことを聞いているぞ。

 あの爽やかお兄さん、中々の実力者だな。俺と同じ長男属性みたいだし、まあ七人目でも問題は……あるな。

 そうだ。すっかり頭からちていた。大罪をかんする童話を選んだ固有魔法所有者の話。


 残った童話は「美女とじゅう」で、関連付けされた大罪は「色欲」だ。


 つまりこの爽やかお兄さんは――エロいのか?


 俺は残念な男子高校生だったらしい。力の低さをていした気がする。

 けれど一度はそう思ってしまったので、はやこの爽やかお兄さんがドスケベ野郎にしか見えない。違っていたら申し訳ございません、と思わず敬語に。


 ちなみに固有魔法所有者かどうかなんて、かくにんする必要もない。

 ほおを彩る薔薇の痣。あれこそが動かぬしょうだ。


「でもサイタのご飯はしいんだよ! 今日は……なに?」

でたトウモロコシに……人数が多くなりそうだからそうめん。あとしおでの枝豆」

「トウモロコシ……」


 おっと、ここで爽やかお兄さんの目の色が変わった。


「……えー、ごほん。ま、まあせっかくのご招待をるのはれいに反するし、そこら辺でなにかお土産みやげを買ってくるとするか」

「あ、そういうの別に良いです。こいつらも基本は飯らって終わりなんで」


 そわそわしながらさいの確認しているお兄さんに、とりあえず最初なのでごそうしておこう。

 まあ大和ヤマトと枢クルリ、鏡テオはしっかりと食費を頂いているしな。多々良ララに関しては……今後に問題を置いておこう。女子だし。


「妹さんも一緒にどうぞ。ぜまな部屋ですが……」

だいじょう! シュウの家より広いよ!」

「余計なお世話だ、この天然!」


 鏡テオの一言に俺が怒る寸前、やさしい感じで代わりに青路シュウがいてくれた。

 全然痛くないらしく、鏡テオは照れたように謝っている。どうやら相当なついているらしい。

 考えてみれば鏡テオと同年代のは、今まで身近にいなかったな。

 しんせんなんだろう。良いことだ。


「じゃあこっちです」

「悪いね。お兄さんのことは気軽に呼び捨てで良いし、敬語もいらないよ」

ずいぶん気さくな性格なんだな」

しょくぎょうがらって奴さ」


 そう言って見事なウィンクを決めた。これは中々のみょうだ。

 慣れていないと大体が変顔になるからな。

 男の俺でも思わずれるんだし、多々良ララも――このイケメン女子、頭の中にトウモロコシと素麺しかないらしい。ぐ前を向いている。


「兄さん……」

「ん? どうしたミチル……ああ、チヅルにメールを入れておけってことか」

「どうせメールなんて届かないよ。そうじゃなくてね……」

「おいおい。ふたの兄だろ? あんまりじゃけんにするなよ」


 ままを言う妹をなだめるような口調だが、俺はなんだか引っかかった。

 けれど具体的なことはわからない。ただなんか変というか、さいかんが。

 頭をでる兄に負けたのか、青路ミチルはそのままだまってしまった。


 時折、かのじょが心配するように背後に視線を向けていることなど……俺達は気付かなかった。




 そんな俺達を見下ろすかげが一つ。真っ黒な服を着た少年――忠義の魔人フェデルタがビルの屋上に立っている。

 青空に浮かぶえんぴつしんみたいなのに、誰も気付かない。まるであわになってしまったにんぎょひめみたいに、人知れず見守っているような。

 しかしフェデルタの表情は厳しいもので、かへ話しかけるように声を出す。


「おい。一番やっかいなのを引き当てたぞ」

『彼はハズレくじを引く天才なのかな?』


 けいたい電話しの声がフェデルタの耳に響く。

 海の中でイルカがちょうおんで会話するように、電磁波を受け取って通話している。


「最悪のルートだ。場合によっては……隠しきれない」

『ただでさえいばらによる一時区画ふうから、スカイツリー前のこんとう事件と続いているのに……記者達はもうおさえられない。警察もだ』


 つかれた声を出し、男――岩泉洋行は深いいきく。

 魔法管理政府の日本支部は連日のように起きる事件のせいで、対応が後手に回る羽目になっていた。

 それは当然、支部長の責任問題やついきゅうにまで手が伸びる。今も問い合わせの電話が、赤子のわめき声の如くひびいていた。


「……最後までいてみるが、もう期待はするな」

『待ってくれ。私が君をかくまう。だからもう彼らに近付くな。君を失うのは……』


 彼にしては珍しい弱気な声に、フェデルタはおだやかなほほみを浮かべる。


「もういじめられていたお前ではないだろう? 俺は必要ないさ」

『しかしだな! こうして私が大成できたのは君が助けてくれたおかげで……』

「いいや。お前の実力だ。俺はなにもできないさ……昔からそうだった」


 海のような青い瞳にくらかげが落ちる。

 浮かんでくるおくの泡をのぞけば、今もこうかいの念でつぶされそうになる。

 最善を選んでいるはずが、いつの間にか最悪にへんぼうする。彼にとって現実はいつも好転しない。都合良く助けてくれる人物などいない。


「お前は過去の事件を洗いざらい調べてくれ。そして真実を掴め」

『父親殺しの件はもうそうが打ち切られている! 事故と処理されたが、犯人など一人しかいない』


 ぎしりが聞こえてきそうなほど、しぼされた声。

 フェデルタはそれを静かに聞きながら、真っ青な空を見上げる。

 海の底から水面をがれるように、太陽のかがやきに目を細めた。


「そうでもないさ……犯人が『人間』とは限らない」

『それは『けもの』のわざと言うことか?』

「調べろ。あいつらが真相に辿たどいても説得力がない。地位というのはしんらいの上にあるものだ。気張れよ」


 言い終えて、フェデルタは一方的に通話を切る。

 青空を見上げながら体をかたむけ、ビルの屋上から真っ逆さまに落ちていく。


 頭から落下していたはずの少年は誰にも気付かれず、静かに消えた。

 代わりに白いぼうとワンピース、そしてサンダル。海辺が似合いそうな少女が東京の歩道を歩いて行く。

 流れる黒髪に、黒しんじゅのような瞳。息をむほど美しいのに、少年と同じように誰も注目しなかった。


「はぁ……」


 呆れたように溜め息を吐き、少女――フェデルタは人波にけていく。


「誰が殺した駒鳥クツクロビンを」


 なぞかけのようにつぶやいて、彼はげ続ける。

 それだけが残された忠義の証明であると信じているから。

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