8話「エンディングはまだ遠く」

 ゲームってのは結局誰かの手の平の上で遊んでいるってことだ。決められたエンディング、決められたルート。それをなぞって悦に浸る。

 対戦ゲームだって同じだろう。決められた入力方法で、強い奴が勝つ。大逆転に見える構図ってのは、予想外が起きた偶然なんだ。

 運命なんかじゃない。そんなことを知っているから、少しだけ驚いた。


 一人の少女がゲームのエンディングを思い出して、泣いたんだ。


 難易度が玄人向けすぎて、何度も止めようと思った。けれどゲームのシナリオが好きだから、最後を見届けたいって。自分の力で辿り着きたいとムキになったらしい。

 DLCもない時代のゲーム。完結された世界で、筋書き通りに救われた。それで良かったと思い出して泣いた彼女は、少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。俺も同じゲームをしたけれど、そんなことはなかった。

 バトルシステムが滅茶苦茶で、クリアさせる気あんのか、と毒づいたくらいだ。クリア画面を見届けて、無感情にコントローラーを投げ出して寝転がった。そこで終わり。そんなものだろうと感慨もなかった。


 彼女は少し変な人間だった。ゴスロリなんていうファッションで派手にしている割に、大人しめな性格。オタクという程ディープでもないし、けれど一般人と称するには少々カルチャー好き。

 なにより俺に好意を抱いた。本当に、変な奴。


 本当は父親と母親が和解して、もう一度一緒になれば良いのにと願っているのに。口に出せない意気地なし。けれど父親の仕事を手伝えば、なんとかなるんじゃないかと楽観的。

 そして父親の仕事に嫌悪を抱きながら、罪悪感で落ち込んでいる。そこで見限れば良いのに、夏の夜に血まみれで倒れる始末。死んだと冷静に判断した頭脳に、吐き気を覚えて失態を犯した。いつもなら反応できたのに、無抵抗で茨にさらわれた。

 まあ色々と幸運が重なって、彼女は入院で落ち着いた。見舞いに行けば、嬉しそうに頬を染めていた。俺なんか来ても意味ないのに、快く出迎えてくれる。複雑な気持ちだった。


 だって俺にそんな感情を向けてくれる人間なんていなかったんだ。


 いつも指差されて、背中を向けて逃げ出した。それが利口なことだろう。走って、遠くまで離れてしまえば、声なんて空気に消える些末な音の波形だ。文字だって指や炎、水で消せる記号の羅列。

 そこに苦しいとか辛いとか見出したって、損しかない。もっと楽に生きていこう。呼吸するだけでいい。息が止まれば、そこで終わり。それだけで良かったはずなんだ。

 じゃあ今、目の前にある心を手に入れたいって気持ちは、どんな記号で表せばいいんだろうな。0と1で表せるならば、機械だって表現可能だ。けれどこれだけは、無限数を使ってもきっと無理だ。


 ひらがなで二文字。漢字なら一文字。英字なら四文字。


 言葉でしかきっと伝わらない。メンドーだけど、嫌いじゃないかも。

 むしろ効率的。変な話だけどな。学者が言っていた、世界の全ては数字で表せるならば、この文字はあと何千年かければ数字になるんだろうな。そんな無駄に費やすよりも、簡単にまとめよう。


 恋。


 ああ、ちなみに英語だと愛と同じ意味なんだとよ。全然違うのにな。

 けれど俺は気付かないふりをする。もう消えるからな。だから恋も消失。まさに失恋だ。

 まあその気持ちを向けてくれた御礼はするさ。大丈夫。ハッピーエンドからまた新しく始まる。


 ただそこに俺がいないだけの物語だ。


 


 オセロ盤を目の前に、俺はコンクリートに座る。昼の暑さを残していて、じんわりとズボンに熱が伝わってくる。

 大神シャコは枢クルリが出したクッションに腰をかけた。黒い布地に赤い狼の柄。なんか毒々しい茸みたいだが、もしかして枢クルリからするとあいつの印象はそんなに良くないのか。


「じゃあゲームスタート」

「おう」


 淡々と始まった。俺は白で、枢クルリは黒。

 ルールは簡単。どちらかの色が多い方が勝ち。子供でも簡単なゲームで、小難しい話はない。

 なんで決着はものの数分。わかってるだろう。四つ角全て取った奴がほぼ勝者だ。


 一面全て黒かった。圧倒的惨敗。

 俺こと雑賀サイタに主人公補正はなかったらしい。


 いや、俺は別に主人公じゃないしな。現代日本で普通に暮らす男子高校生だ。まあ二人に一人は当てはまる固有魔法所有者なだけで、それ以外の特徴は特にない。

 重い過去とか、実はこうでした、なんて縁遠いどころではない。無縁だ。まあ無関係と無関心を貫きたい俺としてはありがたい話なので割愛。

 顔を上げる。目の前で明らかに俺を哀れんでいる枢クルリに対して額に青筋が浮かんだ。横で勝負を眺めていた鏡テオさえ、言葉をなくしている。


「先輩……よわっ」

「うるせぇっ!! こいつが強すぎるんだ!!」


 見下した発言をする大神シャコに対して軽く怒鳴りつつ、俺は空に指を向ける。突きつけるのではない。人に指先を向けるのは不作法だからな。

 もう一回。俺は再戦を申し込む。それだけの動作だ。


「……は? 負けたじゃん?」

「俺がそう簡単に諦めると思うなよ、猫耳野郎。傲慢野郎と呼ばれるだけあって、超絶負けず嫌いなんだよ」

「……メンドー。だから」


 ふっ、甘く見るんじゃねぇぞ枢クルリ。お前の性格はある程度把握しているからな。


「ここで勝負終わらすってことは、俺に負けるのが怖いな?」


 枢クルリの肩が反応した。そのせいで背中にあるフードの猫耳も連動したように動いたのを確認する。

 赤い猫目に俺の不敵な笑みが映った。固有魔法【神の家ザ・タワー】は二度目だが、ここでは枢クルリが提示したルールは絶対だ。

 逆に言えばルールさえ遵守していれば、大体は押し通る理論があるってことだ。そして今回のルールに『勝負は一回だけ』なんて書いていない。


「いやー、ゲームでは無敵で負けなしの枢クルリが俺みたいな雑魚を怖がるとは。一生の思い出には充分だな」

「……ぼこぼこに負かしてやる。青魚野郎」

「やってみろよ、猫耳野郎」


 安い挑発だとわかっていても、枢クルリは受けるしかない。だって俺より負けず嫌いだもん、こいつ。

 見えない火花が散り、二戦目。数分後に惨敗する俺がもう一度と告げる。

 一方的に負けるってのは面白くない。普段ならば放り出す内容のゲームだ。けれど今だけは降参リザルトするもんか。何度でも、挑んでやる。


「そうだ。僕、クルリに聞きたいことがあったんだ」


 思い出したように鏡テオが話しかけてきた。俺が既に負けが決定している盤と睨めっこしている最中なんだけど。熟慮している人の横で暢気な。

 しかし枢クルリは鏡テオに甘い。猫耳野郎は汗を拭いながら視線を向けた。メルヘン兎リュックを抱えて眠そうな鏡テオは、なんてことのないように問いかける。


「クルリは消えたいの?」


 爆弾かと思った。

 あやうく白いオセロ駒を落としそうになる。零れ落ちかけた駒を指先でなんとか手の平に戻す。大逆転の一手すら吹き飛んだ。いや、嘘だ。元からそんな一手は俺の頭にはない。

 けれど枢クルリの思考をかき乱すには充分だったようで、俺が仕方なく駒を置いた後に空白が生まれた。黒い駒を眺めながら、枢クルリは呟く。


「……それがいいと思った」

「どうして?」


 無邪気だ。それ故に困る。またもや少し間が空いた。


「メンドーだから」

「……変なの。繋がってないや。クルリらしくないね」


 小首を傾げる鏡テオは気付いてないんだろうな。無自覚に本質を突いていることに。

 メンドーだから。まあこいつの口癖だな。そう言えばなんとかなると思ってるんだろう。けれど珍しくミスを犯す。本心を誤魔化そうと考えた。

 じゃあその奥にあるこいつの気持ちってなんだろう。本当はどうしたいんだ。聞き出すのは難しいと思うけど、こじ開けるつもりで追求するしかない。


「クルリ。お前さ、逃げるのって楽だと思ってないか?」

「その通りだろう?」

「いいや。逃げるのも苦しい。それを続けるのも。けれど馬鹿にはしねぇよ。身を守る方法がそれってんなら、どこまでも逃げちまえ」


 無関係と無関心。そうやって物事から目を背けたい俺が、逃げる奴を否定するなんて馬鹿な話だ。逃げるのは悪いことじゃない。当たり前だろう。

 けれど善悪と苦楽は別物だ。少なくとも俺は逃げて楽とは思わない。後ろ髪が引かれて、痛いくらいだ。

 今がそうだ。たとえ全てなかったことになるとしても、俺は枢クルリから逃げるわけにはいかないんだ。


「でも今のお前は立ち向かってる。見誤ってんじゃねぇよ」


 言葉にして、遅れて納得した。

 まあこのままっていうわけにはいかないけどな。


「だったら俺達とも向き合えよ。力になるなんて頼もしいことは言えねぇけどさ、友達じゃねぇか」


 友達。これほど口に出して微妙に恥ずかしくなる単語ってあるのか。

 というか慣れない。でも俺達と枢クルリを線で繋ぐなら、その言葉が一応当てはまる気がするんだ。仲間、なんてこのご時世ではもう少し意味が違ってくるだろうし。

 けれど届かなかったのか。鋭い音が響いた。盤上に黒い駒が置かれた。


 おそらく五回目。またもや俺の負けだ。


「で?」

「もう一回に決まってんだろ」


 やっぱりこいつの思考はよくわからねぇ。天鳥ヤクモが今からでも起きてくれねぇかな。俺とあいつじゃ猫耳野郎との付き合いの差が違う。少しは上手くやる……ようには見えなかったな。

 オセロから勝負を変えないのは一対一だから。すぐに終わるし、ルールも単純。しかしわかっていたとはいえ、負け続けるのは地味に辛い。


「ハンデつければ?」

「嫌だ」


 甘く見るんじゃねぇぞ。負けず嫌いってのは、ハンデ付けられるのも癪なタイプだからな。馬鹿にしてんのかってムキになる奴だからな。

 乾いた音がスカイツリー前で小さく響く。人除けのせいか、それとも枢クルリの固有魔法が暴走しているからか。邪魔をする者はいない。寂しいくらい、俺達だけだ。

 頭をひねっても言葉は届かないし、ゲームに勝てるわけでもない。俺が諦めない限り続くから、一種の拷問になってきたな。


 そう思っていた俺の目前で、オセロ盤の上に汗が落ちた。

 一粒じゃない。大量の汗が緑色の盤に降った。顔を上げれば、今にも倒れそうな枢クルリが真剣に次の駒を置いた。

 ……なにやってるんだろうな、俺。根本的なことを間違えていた。


 猫耳野郎はゲームに対しては正々堂々と戦うんだったな。


「……なんだよ?」

「別に」


 言葉でこいつの意思を変える? それともゲームに勝って誇る?

 違うだろう。全部間違いだ。俺がやるべきことは誰だって可能な当たり前。

 ――真剣に、真正面から、正々堂々。枢クルリと向き合う。


 そこからは無言で駒を置いていく。負けても良いなんて考えないし、薄皮一枚でも切迫するように勝とうと足掻く。一面一色なんてのは三回前に終わっていた。

 少しずつ膨大な黒に白が浸食していく。一枚、二枚。増え方なんて戦った数からすれば些細なもんで、十五回から先はどれだけ負けたか数えるのは止めていた。

 はっきり言って俺が土壇場で強くなったわけではない。枢クルリの集中力が落ちているんだ。当たり前だ。今にも死にそうな顔で、買ってきた飲み物を口に含んでは息を繋いでいる状況。


 主人公補正なんて必要ない。大逆転も今だけは顔を出すな。長い髪を辿った先にお前がいるというのなら、どんだけか細くても絶対に離さない。

 自力で上がっていくさ。それでようやくこいつの顔が見られるはずなんだ。

 だから待っていろ。まだ終わりじゃない。ゲームオーバーなんて認めてやるもんか。


 黒い駒の浸食が止まる。コンクリートの上に横たわった枢クルリが、指先も動かせないまま目だけを吊り上げている。

 爪で地面を引っ掻いて、血が滲んでいた。真っ赤な目は充血で今にも血管が破れそうで痛々しい。なのに諦めない。俺が言えた義理じゃないけど、負けず嫌いめ。

 今の盤上で、白の方が数は多い。ここで枢クルリが降参を告げれば俺の勝ち。進行不能になっても俺の勝ち。でもそれは意味がない。あと四マス。黒がいつでも戦況をひっくり返せる内容だ。


「クルリ、どこに黒を置けば良い?」

「左から二マス目。上から三マス目。俺から見て……だけど」


 途絶えそうな息に混じって指示を出す声。俺は言われた通りの場所に駒を置き、法則に従って駒を裏返していく。手痛い一手。ここで勝負はほぼ決まったようなものだ。

 だけど俺は白の駒を配置する。一枚しかひっくり返せなかったけれど、これが俺の最善だ。地面に横たわって俺の指先を見ていた枢クルリは息を吐く。


「なんで……」

「あん?」

「放っておけば勝つのに……」


 まあそうだな。誰だって自ら負けを選ぶのは悔しいし、嫌だろうよ。

 けれどな――。


「その勝ちに意味はあんのかよ、ばーか」


 勝ち負けじゃないだろう。俺とお前はゲームをしてるんだ。結果が一番なのはわかるけど、課程だって必要だろう。コンピュータが弾き出した予測システムで遊んでも楽しくないのと同じだ。

 苦しくて、辛くて、逃げ出したい。けれど、エンディングに辿り着きたいだろう。ゲームってそういうものだ。少なくとも俺は、ダンジョンで迷うのも好きな馬鹿なんだよ。


「……そっか」

「なんだよ?」

「譲られた勝ちは嫌か……」

「当たり前だろ」


 ゲームってのは意地張ってなんぼだろうが。譲り合いとか考えてんじゃねぇ。

 だから負けたらもう一回。今日が駄目なら、また明日。そうやって繰り返して、繋いでいくんだ。諦めずに続ければ、なにか見えてくるだろう。


「上から……二マス、右から四マス」


 言われた通り、枢クルリの最後の一手を置く。そして気付いた。

 また俺の負け。鮮やかなくらい、勝てない。ここまで来ると笑うしかないけど、感心もしていた。

 本当にゲームに関しては負けなし。けれど俺も足掻きながら最後の駒を置く。二枚、ひっくり返せた。


「お前の勝ちだ、クルリ。さあもう一回!!」

「無理。メンドー」

「そんなこと言うなよ。楽しくなってきたんだからよ」


 コンクリートの地面に背を預けて寝転がる枢クルリに対し、俺はオセロ盤の駒を片付けていく。

 次は勝てるかもしれない。泡よりも脆い希望的観測に、鼻歌交じりに期待する。ひっくり返せる駒が多くなってきて、自分の成長が目に見えているようだった。

 だからここで終わるのはつまらない。なのに、まあ、現実という時間は無情らしい、


「だって限界」

「は?」

「暴走は止められない。まるで意志を持ったように、固有魔法は勝手に動き続ける」


 世界が硝子玉のように、大きな亀裂が入った。空がズレている。

 大幅な震動と、体を押さえつける重力みたいなので潰されていく。コンクリートに這いつくばりながら、俺は視線だけを枢クルリに向けた。

 光とか、煙とか、花弁とか。そんな綺麗な物じゃなかった。体が透けていく。存在が薄れている。少しずつ頭痛が大きくなっていた。


「く、るり……?」


 言葉にして、意味不明だと感じた。俺、なにを、呼んだ?

 擬音を口に出したのではないか。だってこんな変な名前、俺は知らない。

 目の前から、なにか、が消えた。鏡テオが驚愕で目を見開いているが、驚いている理由がわからない。


 手の中には白黒のオセロ駒が一個ずつ。それも次の瞬間には消えていた。

 暑い夏の、少し底冷えする夜空が崩れていく。なんか嫌だ。世界の終わりなんて、見たくない。

 なにより理不尽だ。俺は何一つ納得していない。わからないけど、ただ胸の奥が込み上げるように震えた。


「ふっ、ざけ、んな……ふざけんなぁああああああああ!!!!」


 手を伸ばした。なにもないはずなのに、指先になにかが触れれば良いと願った。

 眼前でスカイツリーが風景と一緒にズレて、崩れ始めた。俺の体も真っ二つになって、ズレていく。痛みはない。体が斬られたからじゃない。世界が一度分解されていて、世界の一部である人間も同じ目に遭っているのだと、知る余裕もない。

 ただ意地で、指先に力を込める。理解は追いついていないが、願いはある。


「まだ俺は勝ってないぞ!! 逃げるな!!」


 怒りが湧く。背中を向けて、はいさよなら。そんなあっさりとした終わりを受け入れられるほど、大人じゃないんだ。だから、まだ。

 諦めたくない。




 呼応するように、燕の濁声を聞いた。




 真っ黒な燕の群れ。スカイツリーから広がるように飛んでいく。

 ズレた部分に触れては消えて、元通り。割れた空も埋めていき、星がわずかに見える都会の夜空が戻ってくる。

 俺の額に真っ向からぶつかった燕もいて、衝撃と痛みでコンクリート上を転がった。容赦なく黒い嘴が突き刺さったぞ、おい。涙目でぼやけた視界に、誰かがいた。

 痛みがじんじんと響いて、同時に思い出す。枢クルリだ。そうだ、この猫耳野郎。勝ち逃げしようとしやがったな。


 仰向けで寝転がる枢クルリの鼻先に、一際大きな燕が着地する。そのまま器用に細い足先で跳ねながら進み、額のバンダナをずらす。白と黒の市松模様な塔の痣。そこへ嘴を突き刺した。

 凶悪な燕だな、と思いつつも、嘴で餌を啄むように赤い塊を枢クルリから取り出した。蚯蚓みたいに動くそれを呑み込んで、燕は破裂して消えた。

 あの赤には見覚えがある。賢者の石だ。相殺したのか。だとすると、賢者の石ってもしかして。


 鏡テオや大神シャコが座っていたクッションも消えて、スカイツリーは夜のイルミネーションを輝かせている。多々良ララや大和ヤマトもコンクリートの上で気を失っていて、周囲には人が倒れまくっている。

 そして燕は最後に天鳥ヤクモのクッションを消した。頭から落ちた音がしたぞ、おい。しかし石頭だったのか、頭を振りながら起き上がってきた。まじかよ。


「う、ううん……私は……っ、どうなっている!?」


 朦朧とした意識の中で、思い出した記憶から一瞬で覚醒。寝起きが良さそうなタイプだな。早起きとか得意そうだ。

 しかし世界を元通りにした大量の燕が一斉に天鳥ヤクモへと群がった。黒に覆われて、天鳥ヤクモの情けない悲鳴が聞こえる。まあ、俺では対処できないな。頑張れ。

 そして燕達が霧散した。呆然としている天鳥ヤクモの目の色は黒。赤などどこにも残っていない、健全な日本人らしい黒目だ。


「……どうなっている?」

「俺に聞くな」


 もう俺は疲れた。そして倒れる。どうせこの後大騒ぎになるんだろう。だったら気絶が最適解だ。両腕を広げて、背中から倒れた。指先に汗ばんだ誰かの腕が触れた。少し冷えて、わずかな熱さが芯に残っている。

 まあ見なくても誰かわかるから、俺は緊張の糸を切った。疲労困憊だ。あっという間に意識は奥底へ。起きろと煩い天鳥ヤクモの声は無視した。勝手に狼狽えてくれ。

 とりあえず、天鳥ヤクモ。お前の勝利だ。それは間違いない。




 集団昏倒事件。スカイツリー前で不可解にも大勢の人間が倒れており、現場では混乱が続いているとのこと。

 ただでさえ数日前には東京区画一時封鎖なんてのがあったもんで、ニュースキャスターも原稿読み上げの声に熱が入っているようだ。ちなみに被害者の数は公表されているが、名前は伏せられている。

 俺はと言うと、病院の公衆電話で家族に事情説明中。今回は残念ながら病院側から家族に連絡があった。不在着信が酷い有様なので、友人と偶然遊びに行って倒れた、くらいで済ます。記憶はあやふやと言っておけば問題ないだろう。


「だからお袋にはそう説明しとけよ、ミナミ。あとトウコには学校で言いふらすなって念押ししておけよ。小学校のガキの間で言い触らされるのは御免だからな」

『兄貴さぁ、一人暮らしだからってアタシに全部任せんな! 自分で説明してよね!! というか、本当に大丈夫? 怪我は?』

「無傷だって。簡易検査も問題なし。まあ東京土産を宅配で送っておくから、それで機嫌治せよ」

『アタシは洋菓子系がいい。兄貴の頑丈さは知ってるけど、あんま無茶しないでよ? なにかあるとアタシに負担がくるんだから』


 なんて可愛くない妹か。微妙に心配しているように見せかけて、その裏は迷惑かけんなという圧力が。


「へーへー。一応また後でお袋に電話かけるから。伝えてくれよ、じゃあな」

『りょうかーい。あ、そういえば彼女とか身長は……』


 与太話に発展しそうになったので、即座に受話器を置いて通話を切る。余計なお世話だ。

 後ろでは電話待機列が発生していたので、足早に去る。まあ結構な人数が巻き込まれたらしくて、中には事件に一切関係のない観光客とか地元の人もいたらしい。

 待合室のテレビでも続けて報道がされており、なにがあったのかと真剣な顔をして話している。すんません、普通にゲームしていただけです。


 で、その結果がこれだ。


「クルリ! もう一回だ!!」

「やだ。飽きた」

「じゃあ次は僕がやるー! ヤマトも遊ぼうよ!」

「ういっす。ババ抜きでは家族の中で五番目くらいに強かったっす」

「それって強いの?」


 深山カノンの病室に集まって、床にオセロやらボードゲームやら集めての浮かれた姿だ。ベッドから動けない深山カノンは、口元に手を当てて隠しきれない笑みで穏やかに眺めている。

 ていうか、また負けたのか天鳥ヤクモ。とりあえず十回以上色々なゲームを仕掛けて全敗だったか。そりゃあ枢クルリも飽きるわけだよ。鏡テオも梢さん達の見舞品である果物を大和ヤマトに手渡している。

 観戦側である多々良ララなどは欠伸しており、椅子の上で微睡んでいた。まあ平和な午後だよな。午前には警察の事情聴取とかで疲れたし。魔法管理政府から介入があったとかなんとかで、短く終わったけどよ。


「そこの飲み物とって、サイタ」

「おう……じゃなくて!! そろそろ解説しろ!!」


 思わず普通に返事しちまったけど、一番肝心なのわかってねぇんだよ。病院の検査着で胡座かいている枢クルリに勢いよく振り向く。羽織るように猫耳パーカー着用しているのが微妙に腹立つ。

 こちとらお前に振り回されて大変だったんだぞ。とりあえず見舞品と一緒に炭酸系の飲料水を差し入れてくれた椚さんに感謝しつつ、紙コップに注ぐ。夏場はやっぱり炭酸系が美味い。

 まあ栄養的には牛乳を飲ませてやりたいけど、わざわざ買いに行くのも今は面倒だ。これで枢クルリの口が軽くなるなら易いもんだしな。


「解説って言われても、俺も存在消失中で意識なかったし」

「推測で良いから話せ。あと新聞の話とか、不可解な部分は山ほどあるんだよ」


 睨みつつも紙コップを手渡す。そう、解決しても解明されていない内容は積もっている。少しずつ崩していかないと釈然としない。

 ちなみに天鳥ヤクモは難しい顔で鏡テオと大和ヤマトを交えてババ抜きをしている。ひたすらしかめっ面を浮かべているので、ポーカーフェイスとは少し違う感じになっている。不利なのか有利なのか、わかりづらい。


「俺の固有魔法は暴走してた。でも方向性くらいなら決められる。爆発だって発射口さえあれば土管で充分」

「……? そんなの実際に可能……にしてたな、お前」

「賭けだったけどな。で、そこまでは良かったんだが……あの眼鏡のせいだ」

「聞こえてるからな、クルリっ!!」


 いち早く上がった天鳥ヤクモが怒鳴りながら振り向いてきた。あまり大声を出すと看護師さんに怒られるぞ。しかし枢クルリは猫みたいにそっぽを向いた。

 その反応に苛立った天鳥ヤクモが立ち上がるか、負けそうな鏡テオが服の裾を引っ張ったので動きが止まった。まあ大和ヤマトはなに考えているかよくわからないボケッとした顔だし、逆に鏡テオはわかりやすすぎる百面相だ。

 天鳥ヤクモが会話に参加すると進まないしな。そのまま鏡テオの面倒を見る羽目になったようだが、是非そうしてくれ。なんだろうな。子供に付き合うお父さん、みたいな風景だ。年齢的には逆だけど。


「あいつの固有魔法まで暴走して、俺の固有魔法に打ち勝ちやがった。全部無効化されて、果てには体内の賢者の石も消えた。反則だ。ズルだ。後出しだ」

「クルリぃっ!!」

「ヤークーモー。こっちに集中してよ!」

「む!? す、すまない……」


 駄々をこねる鏡テオに負けて、再度こちらに混ざろうとした天鳥ヤクモの意識がババ抜きへ。もうそっちに集中していてくれ。

 そして枢クルリは煽るな。あいつの沸点は意外と低いみたいなんだから。


「つまり途中まではお前の固有魔法で作り上げた空間の法則によって押し潰されていたはずが、暴走によって爆発した……みたいな? 意識なかったのにか?」

「あいつが意識なくす前から動いてたんだよ。あいつのは抑え込んでたんじゃない。もう固有魔法が暴走して勝手に発動していたんだ。本来ならワンアクション入れる必要があったのに省略されてたしな。それも俺の固有魔法と相殺して、影ながら消えてたのに……」


 俺の知らないところでそんな固有魔法合戦があったのかよ。詳しいことはまったくわからんが、苦々しい顔を浮かべる枢クルリの様子だけで大体は把握した。

 考えてみれば天鳥ヤクモの固有魔法は魔法無効化系。消す対象である魔法がない限りは無力。脅威ではない。つまり普通に暴走していたら、特になにか派手なことが起きるはずがなかったんだ。

 けれど枢クルリの固有魔法が世界に影響していた最中だったから、あんなにわかりやすく大袈裟な状況になったと。なんというか、主人公ぽくてずるい。


「……あとお前、賢者の石の正体に辿り着いてないか?」

「半分は。だから賭けだったんだよ。あー、メンドー」


 だよなー。お前みたいな奴が正体不明の物体を使用して賭けにでるなんてあり得ない。ある程度の勝算を見込んでやがったな。


「新聞については大家さん対策。気付かなかったの? 大神シャコの行動に」

「あん?」

「あと城崎マナカ。なにせ関東大手の極道、凜道組の三人娘の一人。隠し子らしいから継承順序は低いらしいけど」

「おい、ちょっと待て」


 頭の思考が停止しそうになったので、反射的に声を出す。

 凛道組。俺でも知っているぞ。まじもんの古風で昔ながらの、ヤのつく職業団体だ。ニュースで抗争が起きた的な内容が出れば、裏で関わっていると言うくらいの大物だ。

 あの城崎マナカ先輩が極道の娘だと。確かにそんな推測もしたが、いまだに信じられない。ギャルギャルしているみたいな、お気楽系先輩が。天鳥ヤクモの耳に入ったら失神するんじゃないか。


「なんで城崎先輩が大神シャコに……あ」


 意味もなくポケットに手を触れた。そこに紙袋の感触はない。

 当たり前だ。中身の賢者の石は天鳥ヤクモが使ったし、紙袋自体もスカイツリー前に落としてからは知らない。

 けれど大神シャコは「おつかい」と称して、俺に渡してきた。そこに城崎マナカ先輩の手紙もあった。


 ポケットから出てきたのは買い換えたばかりの最先端携帯電話。青いカバーケースが色褪せていない、新品。

 やっぱりあの時、店員さんが動揺したのって……請求先が極道だったからか。

 口元が引きつけを起こす。冷や汗が止まらない。裏側を知れば知るほど、俺の暢気さが浮き彫りになっていくようだ。


「大家さんが凛道組と取り引きした現場写真。俺が所持していたスポーツ新聞の小さな記事にあったんだよ。二部買っておいて、片方はダミーと威嚇の意味を込めて部屋に置いてきたけど」

「はぁ!? 株価とカジノ法案とかそういう話じゃなくて!?」

「どちらも多少は関わりあるけど、カジノ法案は新聞回収行われた後の差し替え記事だろうな。あらゆる圧力で、短時間で回収された幻の新聞。ネットオークションでも高価売買の売り切れ続出だとか」


 平然と説明しているが、俺の冷や汗は洪水に近くなっていた。止まらないし、量は増え続けている。

 俺はなにで蛾を叩き潰そうとしたのか。鱗粉塗れにしておけば良かったかもしれない。


「まあ逃げてる最中に一部は大家さんの手先である『赤ずきん』に奪われたし、仕方なく残してきたもう一部を取りに来た。そこでテオと会って、蕎麦を食べた」

「大神に奪われたのか?」

「そこから説明するのメンドーだな。勘違いしてるみたいだけど――赤ずきんは集団だ」


 冷や汗すら止まった。


「変だとは思わなかったか? 留置所の監視カメラや、その他諸々。どう考えても大神一人で賄えるわけないだろう」

「お、おう……そうだな」

「大神の固有魔法から察するに、あれは大家さんの護衛的な位置に近い。まあ運び屋にも適任だな」

「けど大家さんはお前が錬金術師機関やカーディナルとの契約を逆手に取ったとか」

「赤ずきんは大家さんの手先、人材だ。俺を追いかけてる奴らにとって、他からの介入は邪魔だろう? つまりあの二つの組織にとって手が出しづらい状況にしてたんだよ」


 こいつ都市伝説の殺人鬼集団を盾に、錬金術師機関やカーディナルの追っ手の行動を制限していたのか。まあ大胆不敵なのかもしれんが、命が幾つあっても足りない気がするぞ。

 大家さんが言っていた止めるメリットよりコストの方がかかるとは、どうせ自滅する相手だから余計なことしたくない、という意味かよ。


「ま、もうあれは必要ないし、脅しに来た大神に渡したから問題はない」

「いつの間に……これ以上は、もう聞きたくねぇな」

「そうか」

「一つだけ。消えようなんて馬鹿なことすんなよ。お前からして、メンドーになるんだからよ」

「……そうだな」


 裏事情で腹一杯になった俺は、ババ抜きを続ける天鳥ヤクモ達へ近付く。

 巻き込みたくなかったが、ここまでやっちまったし。告げねばならないことがある。


「ヤクモ、あの猫耳野郎のためにもこれからよろしくな」

「む? クルリのことか? そう、か……承知した。おい、クルリ!」

「なに?」

「私の目が光っている内は、馬鹿なことをするなよ! わかったな!!」

「……はいはい」

「返事は一回だ! 馬鹿者め!!」


 適当な返事の枢クルリに対し怒鳴る天鳥ヤクモだが、そこに気負った様子はなに一つない。

 自然体で会話している。多分、この二人にとって普通なんだろう。遠慮して距離を取るのはむしろ、らしくない。

 憑き物が落ちたように晴れやかな天鳥ヤクモ。まあ受験前に因縁というか、悩みが解決して良かったな。これで今回はめでたしか。


「枢さん。お父さんの会社の株価に関与しましたね?」

「……なんのことやら」

「誤魔化さなくて大丈夫ですよ。だから事後報告です。会社のトップが総替えで、方針変更を余儀なくされた。お父さんの会社、もう錬金術師機関から見放されたそうです。だからお母さんとよりを戻したいって……帰ってきたんです」


 俺は聞こえないフリをする。背中の会話は、きっと大事な内容だから。


「私も錬金術師機関との繋がりが消えました。これからは皆さんの助けになることはできません。それでも……私、傍にいたいです。この繋がりだけは切りたくない……駄目、ですか?」

「別に。大体、多々良と友達じゃん。切れないだろ」

「そうですね。ふふ。枢さんは本当は不器用ですね。そういう所が可愛くて――好きですよ」

「……変なの」

「けれど嫌いじゃないですよね? 今はそれで良しとします。ありがとう、枢さん。本当に……ありがとうございます」

「早く怪我治しなよ。夏休み前なんだしな」


 素直じゃない奴。まあ深山カノンはそれで満足そうだ。

 裏側では様々な計略とか、動向があったんだろう。それこそ誰かが消えてもおかしくないくらいに、忙しなく。

 けれど表面に出てきたのはほんのわずかで、それが誰かの笑顔に繋がるならハッピーエンドで良いだろう。


 とりあえず、この後。

 小難しいこと全て放り出したい俺が全員で大富豪を提案し、大所帯での熱い戦いが繰り広げられた。

 もちろん大富豪は枢クルリで、大貧民は俺だった。畜生、覚えていろよ猫耳野郎。


 ちなみに貧民だった天鳥ヤクモがもう一回と怒鳴ってしまい、看護師さんに怒られたのはまた別の話だ。やはり軽々しく怒るってのは駄目だな。




 で、忘れていた。残る大罪は一つ。

 あらゆるものを巻き込んで、収束する。複雑で、単純な、最後の一人。

 愛を欲する獣が啼く夜が、忍び寄っていた。

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