5話「ベットオールが唯一無二」

 入浴を終えた天鳥あまとりヤクモが扉を開けた後、固まって動かなくなった。というのも、濡れた服を脱ぎ捨てて上半身裸になった大和だいわヤマトが扉前に立っていたからだ。

 しかも掃除用具付き。いきなり謎の筋肉と金髪が現れると、真面目な天鳥ヤクモは面食らうのだろう。口が開いたまま塞がらない様子だ。まあ、それはそれとして俺は野菜を刻み続けるんだけどな。


「雑賀!? 成長期か!?」

「初めましてっす。サイタの兄貴にお世話して貰ってる大和ヤマトっす」

「どういうことだ!?」


 ただでさえ家事して手が離せないというのに、ツッコミがいない。かがみテオは愛用のメルヘン兎リュックを抱えてテレビを見ているし、せめて多々良たたらララが帰ってこないかと、窓へと目を向ける。

 しかし台所の窓硝子は基本曇り硝子だ。わかるのは、先程まで激しく降り注いでいたゲリラ豪雨があっという間に止んだことくらいだ。洗濯物の被害については目を逸らしておこう。

 乾燥機が派手に回る音のせいでテレビの音声が聞こえにくいが、アニマル系面白動画を見ているらしい。今まさに、棚を開けて餌を取ろうとした猫が録画されているのに気付き、そっと閉めている。最近の猫は器用だな。


「おい、ヤクモ。次はヤマトが風呂に入るんだから、すぐにどけよ」

「む? あ、ああ。すまないな……」

「いえ。そんじゃあ先にお湯頂くっす、サイタの兄貴」

「お前が上がる頃には飯ができてるけど、食べる前にヤクモにちゃんと説明しておけよ」


 というか、俺も冷やし中華を作り終えたら入りたいんだよ。雨のせいで蒸し暑いし、だからといってクーラーをつけても、火の傍ではあまり意味がない。熱い湯で温まって上半身裸で冷たい飲み物を口にする至福のためだけに、麺を茹でているに近い。


「そうだ。雑賀、服を貸してくれてありがとう。後日洗って返そう」

「おう。テオ、天鳥ヤクモだ。挨拶しとけ」

「はーい。こんにちは、僕は鏡テオ。ヤクモは……中学生?」

「失敬だな、君は!?」


 明らかに天鳥ヤクモの頭上の位置を見てから放たれた言葉。まあ、確かに俺が貸した服装は高校生に見えるようなものじゃねぇな。漢字Tシャツに半ズボンだし。しかし相当ショックだったのか、天鳥ヤクモが盛大にズレた眼鏡の位置を直している。

 暑いのが煩わしかったらしく、通学鞄に入れていた髪ゴムを取り出して簡潔に括る天鳥ヤクモ。やっぱり本人も長いと思っている髪型だったか。毛先が荒れた絵筆のような縛り方ではあるが、燕尾が広がった形の髪型よりは幾分かすっきりしている。

 もちろんそんな光景すら鏡テオは目を輝かせて眺めているわけで、あれこれと質問していく。それはもう初めてのお客さんでも遠慮なく飛びかかっていく大型犬の如く。天鳥ヤクモが鏡テオの勢いに若干負けているが、俺は皿の用意を始めるので手助けは無理だ。


 ただでさえ手伝いができる筆頭の大和ヤマトが入浴中で、その次に手助けしてくれる多々良ララはまだ帰ってきていない。未だなに考えているかよくわからねぇくるるクルリに関しては、元から怠惰なので戦力外だ。

 ちなみに鏡テオだと皿を割る危険性が高いし、下手すると梢さんとかが乗り込んできそうで怖いからな。いくら家族でも犬に皿をしまえとか言えねぇだろ、とか思ってた俺の視界に飼い主の指示に従って自らのフード皿を指定の位置に持って行く柴犬が。

 俺は、甘やかしすぎなのかもしれない。というか最近の犬って賢いのな。感心したぜ。犬とか猫を飼うなら、俺は三毛猫とか柴犬が良い。日本に昔ながらいる種類で、素朴な雰囲気が好みだ。でもポメラニアンの柴犬カットも気になる。


「そういう君は何歳だ!?」

「えーと……二十一歳?」


 指折り数えた鏡テオの年齢に、天鳥ヤクモが一瞬で口を閉ざした。俺も忘れかけてるけど、一応成人男性だもんな。しかも進学していたら大学に通っていてもいい年齢だ。真面目な天鳥ヤクモからしたら、目上に生意気な口をきいたことになってしまう。


「し、失礼しました……」

「え? なんで? んー……敬語は苦手だから、さっきみたいに話してほしいな!」


 青と緑のオッドアイが煌めく。あいつの強欲さは、どこか純真で断れない。実際に天鳥ヤクモは頭を抱えて悩み始めた。考えてみれば俺達の方が不真面目だったのかもしれない。いやでも鏡テオ相手に敬語を使うってのも変な気分だ。

 そして皿と箸を並び終え、麺を山盛りにしたボウル、付け合わせの野菜とハムに錦糸卵を盛った大皿。なにより味を決めると言っても過言ではないタレ。風呂入る前に麦茶を一杯飲もう。水分不足が怖い時期だからな。

 丁度良いタイミングで大和ヤマトが出てきた。こいつも潔く、上半身裸だ。しかし七分丈のズボンを穿いて……いや、違う。このズボンは元は長かった。それが急激な身長の伸びに取り残されたが、もったいないから使われているアレだ。


 とりあえず俺も服とタオルを掴んで風呂へ。大和ヤマトには俺と多々良ララの分は残しておくようにと、天鳥ヤクモが真面目すぎるから会話の手助けをしてくれと頼んでおく。本当に頼りになる後輩だ。どこぞの都市伝説を持った女子中学生とは大違いだな。

 熱い湯で冷めた体を一気に温める。相当冷えていたのか、熱で肌が痺れている。短い黒髪のおかげで洗髪もすぐ終わる。部活動で日焼けした肌とそうでない肌の差に少し悩む。今年の夏はプールとかで日に当てるか。

 なんかこう日焼けが模様になるの苦手なんだよ。そう考えながら浴槽に浸かる。ただ夏場だし、麺が伸びるのも嫌だから百数えたらすぐに上がる。髪から滴が落ちてくるのも気にせず、床に滴が落下しない程度に体を拭いてリビングへ。もちろん俺は上半身裸の半ズボン。夏スタイルだ。


 冷やし中華の味を想いながら意気揚々と扉から出た俺は忘れていた。入る前にはいなかった紅一点の存在を。


「あ、おかえりラ」

「ぎぃいやぁああああああああああああああ!!??」


 珍しい叫び声だった。顔を真っ赤にした多々良ララが俺の頬を強く叩いた。しかもグー。要は握り拳。そりゃあ痛ぇよな。吹っ飛びはしなかったが、床に無様な感じで座り込むことに。

 俺は急いで大和ヤマトを見る。麺を啜る途中でこちらに視線を向けていた奴は、驚いて動きを止めていた。しかしすぐに食欲が勝ったらしい。口内に吸い込まれていくタレが絡まった麺の美しさよ、ってそうじゃない。

 なんでまだ上半身裸の大和ヤマトは無傷で、俺は殴られてるんだよ。おかしくないか。しかし多々良ララも違和感に気付いたらしく、大和ヤマトに静かに近付いて耳打ちした後、大和ヤマトが箸を置いたのを確認し、軽くグーで頬殴り。だがどう見ても拳で頬を冗談交じりに突いてみました、くらいな威力しかない。


「えー……サイタ、大和、ごめん」

「うぃっす。大丈夫っすよ、俺もリンには裸で風呂から上がるなと怒られましたし」


 ぐっ。先手を打たれては俺も強く出られない。しかし今日は反撃だ。


「後で洗い物手伝え」

「オッケー」


 よし、戦力確保。夏場の洗い物は好きだが、今日は五人分の食器や鍋の片付けがあるからな。本気で忙しい時は分身の術が使えたら良いのに、とか真剣に考える。家事ってのは重労働だからな。むしろ専業主婦が暇だと思う奴は、家事したことないのかもしれない。

 なんにせよ俺は渋々と愛用の漢字Tシャツを取り出しに行く。今日の気分は、勝負魂と書かれたシャツ。真っ赤な生地に黒い筆文字が粋なんだよな。ちなみに大和ヤマトは俺の漢字Tシャツに関しては、似合ってるっす、の一言で終わった。

 まあ微妙な顔をされるよりはいいけどよ。そういえば天鳥ヤクモからはまだ感想を貰ってないし、別に必要なわけじゃないけど、褒めてくれたならば今度ご飯食べさせる時にトッピング追加などのサービスはしてやろう。


「というか、なんか増えてる。初めまして、多々良ララです」

「多々良くんか。初めまして。天鳥ヤクモだ、呼び捨てでも……ララ?」


 俺がリビングに戻る手前で聞こえてきた内容に、俺は大体の光景が想像できた。多々良ララはイケメンだ。しかし女子である。恐らく今は天鳥ヤクモの視線が下に移動しているだろう。やましい意味はない。

 で、俺が席に座った頃には多々良ララも冷やし中華を食べ始めていた。俺の隣に多々良ララ。向かい側には鏡テオ、その隣に大和ヤマト。俺と鏡テオと隣接するテーブルの辺に天鳥ヤクモがいる。簡単に説明すると誕生日席みたいなもんだな。


「むぅ……この部屋の人物だけで、私の固定観念が崩されていくようだ」

「頑固なのか、頭固いのか。よくそんなんでクルリと仲良くやっていけたな」

「……仲良かった、か。今となってはそれすら覚束ないが……そういえばクルリは? もしかして私が来訪したと知って逃げたか!?」


 元友人だよな、おい。一体どんな過去があるんだか。そして天鳥ヤクモが枢クルリの知り合いと察知した多々良ララが麺を啜りながら視線を彷徨わせた。大食らいの大和ヤマトに勝るとも劣らない食欲に気を取られそうになるが、こいつは枢クルリ並に色々と敏感だからな。ある意味、繊細なのか。

 大和ヤマトはまだ枢クルリとの付き合いが浅いせいか、いまいちピンと来てないようだ。そういえば猫耳野郎、猫耳フードになったとか鏡テオが言ってたな。あまり期待はできないが、後で特徴を描いてもらわんと。


「それがあの引きこもり、ここ最近外出して尻尾が掴めないんだよ」

「……猫耳なだけに」


 大和ヤマトが思いついた内容をそのまま口にした内容に、俺は啜っていた麺を喉の奥に詰まらせた。誰が上手いことを言えと。とりあえず鼻から麺が出ないようにと祈りながら胸元を叩き、慌てて差し出された水が入ったコップを受け取る。ありがとう、多々良ララ。


「引きこもり?」


 おい。まさかなにも知らないのか。城崎マナカ先輩はあそこまで把握していたというのに。なんか根が深そうな話な気がしてきたな。いや、きっかけは浅いのかもしれないけどさ。つまりあの時だ。

 デュフフ丸に襲われ、枢クルリが引っ越しのために俺と再会した日。スーパーに買い出しへ向かう俺達を見たことで、天鳥ヤクモが行動し始めたんだ。受験生で塾通い。そんでもって夏休み前。忙しいはずなのに、わざわざそんなことする理由。

 真面目で堅物そうな天鳥ヤクモが考えそうなのは一つ。大事な試験が今後控えている最中、不安を抱えたままは良くない。この際、過去のしがらみを解決しよう。どうせそんな類いだろう。正解だったら、俺は枢クルリの味方につこうかな、とか思う。他人の気晴らしに付き合うのは微妙な心地だからだ。


「猫耳で引きこもり……一体、クルリはどうなってるんだ? 学校は!?」

「進学してないよー。ブログで稼ぐの見せてもらったもん!」

「ブロ……え? 最終学歴が中学卒業……」

「中退かもな?」


 天鳥ヤクモが沈黙した。鏡テオなどは枢クルリの凄いところを並べているが、天鳥ヤクモの耳には届いてない。相当受け入れられないことらしい。まあ義務教育を終えてないってのは真面目な奴には信じられない事柄なのかも。

 ズレた眼鏡の位置を直す余裕もないようだ。またもや頭を抱えて悩み始めてしまった。別に他人の学歴なんて放置しとけばいいのに。余計な気苦労を背負って自滅しそうなタイプだな、こいつ。


「枢を探してるの? だったら早く見つけた方が良いと思うよ」

「ララ?」

「全部終わりにするって、カノンに言ってたから」


 深山カノン。多々良ララの友人で、確か先日のことで現在入院中。そのため多々良ララは毎日お見舞いに行っている。そういえば枢クルリも首などに跡が残りそうだから病院通いしているんだったな。

 そんでもって深山カノンは枢クルリにホの字らしい。こんな言い方も古いと思うけど、なんで余所の恋愛事情に詳しくならなきゃいけないのかと悲しくなってくるからな。その気分を誤魔化すためにも大事なことだ。


「今日、カノンの病室に入ろうとしたら声が聞こえてさ。錬金術師機関もカーディナルも、全部意味がなくなるから大丈夫だって」

「はあ?」


 錬金術師機関とカーディナル。俺達からすれば騒動の原因。命を狙われるきっかけと、俺の部屋に多々良ララ達が集まるようになった要因。面倒事を押しつけてくるかのように、事件が絶えないのは大体この謎組織二つのせいだ。

 錬金術師機関は骸骨親父を筆頭に、確か深山カノンと彼女の父親が関わっている。カーディナルは王子風優男を頭に、針山アイが関与している。そこに何故か青い血が流れていると噂の強突く張りの大家さんまで含めると色々と大変だ。

 正直に言えばこの二つの組織に関しては俺もどうにかしたいのだが、規模がかなり大きいらしく、普通の男子高校生である俺がなんとかできる相手ではないのが明白だ。なにせ魔法管理政府の方でも注目を集めている……はずだ。


「あの二つに潰し合いさせるってことか?」


 枢クルリならできそうな気が。一度、鏡テオの件に関して引っかき回して目的の品物を入手した件もあるし。


「……違うと思う」

「根拠は?」

「女の勘」


 ははは。多々良ララが恐ろしいことを言いやがった。それは俺の妹達や母親も備えているもので、怖いくらいに当たる。ノーコンかと思ったら百発百中という精度を誇る。こればかりは俺も無下にできない。


「というか、そんな面倒なことを枢がやるとは思えない」


 確かに。考えてみれば既に潰し合いをしているような奴らだったな。それに一般人である俺らまで巻き込まれているわけで、俺としてはあの二つがなんの被害も出さずに潰れてくれるなら万々歳なんだが、やはり上手くいかないらしい。

 そういえば城崎マナカ先輩が変なこと言ってたよな。金で解決できない場合、枢クルリはどう動くか。別に万事をそうやって来たわけじゃないが、枢クルリは面倒を避けられるなら金で事を動かす策も難なく選ぶ。

 俺としてはもう少しまともな方法があったんじゃないかとも思うんだが、今のところ枢クルリが解決させた件を引きずるような事態には発展してない。そこら辺は頼りになるというか、さすがと褒めるべきなのかは微妙だけどよ。


「あの……クルリの兄貴が考えることを先取りできそうな人なら心当たりあるっす」

「誰だ!?」

「ヤクモの兄貴っす」


 俺達の話から置いてけぼりを食らっていた天鳥ヤクモにスポットライトが当たった。ナイスだ、大和ヤマト。そうだよ、天鳥ヤクモなら昔の話とは言え、枢クルリとチェスの勝負で渡り合った間柄。

 チェスってのは先読み勝負。達人は千手先まで読むとか、なんかの漫画で見た気が。将棋漫画だったような憶えもするが、この際どうでもいい。四の五の言ってられる状況じゃないからな。

 なんか背筋に静電気があるような、帯電で肌がひりつく感覚。嫌な予感ってこういうものなのかと思う。ずっとこんな状態は御免だ。あと猫が出かけたまま戻ってこない飼い主みたいな心境も味わい続けたくない。


「ヤクモ! クルリが厄介事を潰す手段は!?」

「む? そうだな……私には錬金術師機関も、カーディナルもよくわからないが……その二つに手を出さずにクルリは策を立てるだろう」

「……は?」

「いやなに。正攻法が駄目なら、邪道で行くだけだ。要は二つが結成した理由、柱、大本……根本を崩す。一手目から王を討ち取る、もしくは盤上を壊す。ルール自体を破壊すれば良い」

「それ、反則……」

「もちろんクルリはゲームでは反則をしない。だが、これはゲームではない」


 思い出すと微妙なんだが、多々良ララの件でも俺は半ば騙された形で駒として扱われた覚えがあるな。つまり枢クルリはゲームという枠の中では正々堂々と戦うが、ルールがない場所ではかなり無茶をするってことか。


「ただ反則技にも準備が必要な場合がある。プロレスの悪役ヒールが武器を仕込むのも演出の一つではあるが、まかり通っている。今、行動しているならば間に合う可能性は大きいだろう」

「でも逃げてるんだけどよ……」

「姿を見せないのは、準備が終えてないからだ。むしろ安心して良いだろう。ただ誰かの前に現れた時はほぼ手遅れかもしれないが」


 思わず拍手を送る。つられて鏡テオもよくわからないまま拍手しているが、そういうことだ。あの猫耳野郎の行動にここまで先取りできたのは天鳥ヤクモくらいじゃないか。大和ヤマトも箸を置いてから手を叩いて賞賛している。

 ただ一人だけ多々良ララは麺を啜りながら視線を彷徨わせている。まあその気持ちもわかるというか、肝心要の解決にはなっていないと思う。しかしそれを口にするのは憚れる。なにせ天鳥ヤクモの自信満々な笑みよ。


「クルリが固有魔法所有者でもない限り、準備の時間は膨大になる。二日三日など到底無理だ」

「……サイタ。この人、どれだけ事情知らないの?」


 俺に呆れた視線を向けるな、多々良ララ。本格的に巻き込んで良いかわからなかったんだよ。固有魔法所有者特有の痣もそう簡単に見られる場所じゃないし、あの質問を投げられるような奴じゃないし。


「どうした? 固有魔法所有者でもどれだけ簡略的にやっても一週間以上は確実……」

「じゃあ固有魔法所有者が例えば賢者の石を使ったら?」


 無垢な鏡テオの問いに天鳥ヤクモの言葉が途切れた。俺の嫌な予感が体全体に広がった。吐き気がするくらいの感覚には慣れそうにない。眼鏡の位置を直しながら天鳥ヤクモは額に手を当てて考え込み始めた。

 口の中で色んな言葉を呟いて、計算式に悩む学生らしい姿だ。理詰めにした末、最終的に感情任せな答えを選びそうな性格かもな。鉛筆の運任せには頼らないけど、二択まで絞った答えの片方を選択する際は勘頼りとか。


「賢者の石に関してはニュースでしかわからないが、先日の東京一区画封鎖を思い返せば途方もないことは予測できる。固有魔法の性質にもよるだろうが……三日もあれば充分かもしれない」


 多々良ララも箸を置いた。食べながら真面目な顔をしていたこいつも、今の発言は聞き捨てておくことができなかったらしい。確か茨が一区画封鎖した夜の後、一日臨時休校が挟まったよな。その翌日に登校して、そういえば岩泉いわいずみノアが密かに教えてくれたのが……それはまた後で。

 携帯電話が壊れて、城崎マナカ先輩と藤木ふじきユキエや多々良ララに家庭科で作ったチョコ料理渡し、携帯電話を新調して下校していた最中に天鳥ヤクモと出会った。そんでもって帰ったら枢クルリはいなかった。部屋に残されていたのが、一日臨時休校の日に買われたと思われるコンビニ新聞の夕刊。天麩羅蕎麦を作って、一日が終わった。

 そんで今日、城崎マナカ先輩に昼休みに脅され、その際に豚の生姜焼きでも夕飯メニューにしようかなとか考えてたな。忘れてた。放課後に藤木ユキエの怖さに触れてから冷やし中華を選んだんだったな。で、天鳥ヤクモを誘って今に至る。


 やばい。三日もあれば充分なら、条件はほぼ整っている。猫耳野郎は何時から行動していた。


「クルリなら二日で動ける。いやむしろ動くだろう。そういう奴だ」

「猫パンチだね!」


 鏡テオがテレビ画面を指差している。全員で視線を向ければ、のんびり寝転がっていた猫が犬が近付いた瞬間に殴った瞬間映像だ。まさに早業。面食らった犬がカメラの方に振り向くのがなんとも愛らしい、じゃなくて。

 明らかに話が長くなってきて飽きてきた子供かよ、鏡テオ。一瞬意味ありげの言葉かと思ったぞ。ただの天然だったな。大和ヤマトは実家の猫を思い出しているのか、それとも話について行けなくなったのが面白映像特集を眺めている。


「止める方法は?」

「……固有魔法ならば、ある。どこまで通用するかはわからないが……」

「いよっしゃあ!! 冷やし中華を食べさせたんだ、止めに行くの付き合え!!」

「行くって、何処へだ!?」

「東京スカイツリー」


 思わず走り出した足を止めそうになった俺だったが、多々良ララが小声で呟いた単語に驚く。結局天鳥ヤクモの首根っこを掴んだまま立ち止まったわけだけど、なんでそんな新しい名物建物の名前が。

 というか浅草か。大和ヤマトが住んでいた家の方が近いな。今の時間は午後八時前。電車はまだ使えるし、バスも運行している。つまり財布が必要だ。特に公共機関の乗り物に必須とも言えるICカードがな。


「サイタの兄貴」

「止めるなよ、ヤマト!」

「いや。服着替えた方が良いっすよ」


 言われて気付く。自宅用の超ラフな格好だったことに。さすがに半ズボンは駄目だな、うん。お洒落用のズボンでもないしな。となると、俺の服を貸している天鳥ヤクモも微妙だな。


「ヤクモなら僕と身長が近いし、服貸せるよー。ちょっと待っててね」


 携帯電話をメルヘン兎リュックの背中から取りだした鏡テオ。その光景を見た天鳥ヤクモが息を詰まらせた。まあ傍から眺めると結構猟奇的だよな。リュックも継ぎ接ぎだし、鏡テオがなんの躊躇いもなく兎の腹を背中側から探るから。

 そんでもって椚さんに通話。というのもスピーカーモードにして話しかけているから会話内容丸わかりだ。どうやら副業であるホストの仕事を続行中らしく、背後から賑やかな声が声が響いている。

 グラサン指名入りましたーとか聞こえているので、椚さんの源氏名がグラサンらしい。そのまんまかよ。さらにホストからもお客さんからも呼ばれてるビーストってのちょっとかっこいいな。


「今ね、かばが僕の部屋に向かってるらしいから、ついでに変装用の服を貸してくれるって」

「変装用とは?」


 俺も詳しくは知らないから、こっちを見んな天鳥ヤクモ。恐らく鏡テオの護衛七人衆(仮)の新しい奴だろう。これで五人目か。まあ身長的には鏡テオが天鳥ヤクモよりも高いしな。というか俺とほぼ変わらないんだよ、天鳥ヤクモもそんなに上背がある方じゃない。

 そして直後に鳴り響いたインターホンの音。仕事が速い。一応家主であるのは俺なんだが、気にせず鏡テオが玄関へ小走りに向かっていく。まあ俺が出ても相手が椛さんかどうかわからないけどな。

 多々良ララ達と一緒に玄関を見れば、驚くほど小さい少女がいた。それこそ小学生くらいだろうか。柔らかい黒髪をツインテールにしており、背中には桃色のランドセル。私立学校の制服なのか、藍色のセーラー服。白いソックスに学校指定の靴。東京の名門校に通っている子供だろうか。


「やーん! テオ様、お久しぶりですぅ。テオ様に迎えられて椛感激ぃ!!」


 声の雰囲気に違和感が。無理して高い声を出している青年男性というか、なんか変だ。


「今日の気分は?」

「愛されJSですぅ! じゃなくて……御所望の服ならば樫が持ってきてますよぅ。で、梢のババアは今日はいない感じですよねぇ? しめしめ……ぎゅーっとしてください、テオ様!」

「あはは。三十路越えてるのに椛は甘えん坊だね」


 笑顔でそれを受け入れている懐の広さよ。いやいや待てよ。外見的にはどう見ても俺の一番下の妹並みだ。実際に俺よりも身長低いし、肌の艶とかその他諸々が三十超えてるようには。

 思う存分抱きしめられて満足した椛さんは小首を傾げて俺達に視線を向けてくる。頬を染めてはにかんでくる姿は、三十路だと認めたくない力があった。多々良ララや大和ヤマトは凝視している。

 天鳥ヤクモは受け入れられないらしく、彼らなりのジョークかと現実逃避しかけている。少し考えた椛さんは、扉の陰に姿を隠した。そして次に現れたのは五十代は超えているようなダンディなおっさん。カウボーイハットが似合う長身が素晴らしい。


「いやあ、驚いてもらって恐縮でさぁ。そんじゃあ改めて、椛と申します。固有魔法所有者でしてね、種も仕掛けもあるだけですよっと」


 素晴らしいほど渋い声。さっきの女子小学生よりは自然体だ。


「椛……見ていましたよ。テオ様に抱きしめられ、あまつさえ頬ずりしておりましたね」

「おおっとぉ。樫、それには深い理由が」

「せい」


 覇気のない声で椛さんのカウボーイハットごと後ろ頭を掴んだ樫さんが、玄関の扉へと押しつけた。小さな覗き窓が額辺りにぶち当たる位置だ。そこへ何度もぶつけているせいで、近所迷惑になりそうな音が響いている。


「あ、もしかして樫も? じゃあ、ぎゅー」


 樫さんを背中から抱きしめる鏡テオ。あの中性的な樫さんの細腰具合が浮かび上がるが、相変わらずどっちかわからない。ただ扉に椛さんの頭を打ち付ける作業は止まった。俺としてもありがたい。

 なにせ階段から上がってきた大家さんが煙草を味わいながらこちらを睨んでいる。脱色された長髪に、青白い肌。白シャツとジーンズで楽そうな格好をしていた。テレビで野球観戦だったのか片手には丸めた新聞紙。


「言うことは?」

「騒いですみません」


 俺が代表して頭を下げる。大和ヤマトは大家さんを睨んでいるが、今の状況だと悪いのはこっちだ。まあ悪役となれば大家さんが大部分を担っているんだけど、こちとら生活基盤を握られているから仕方ない。


「よし。じゃあ今日は特別に良いこと教えてやるよ。あの猫耳の作戦ってのは、多少商売に関わってくる」

「はあ? 大家さんもクルリの作戦知ってんのかよ!?」

「当たり前だろ、ボケが。しかし止めるメリットよりかかるコストが大きいから放置しているだけだ。あの野郎、俺が錬金術師機関とカーディナルが交わした契約を逆手に取りやがった」


 マジかよ。枢クルリはそこまで考えて行動してるのか。相変わらず頭が切れる野郎だな。となると本気で動かないと、止められないかもしれない。


「ララ、ヤマト! お前達は先に行け!」


 大和ヤマトならバイク免許を持っているし、多々良ララなら固有魔法である【灰の踊り子サンドリヨン】で空中移動ができる。俺や鏡テオ達は樫さんの車にしろ、電車を使うにも時間がかかる。

 下手すると一刻を争うかもしれない。大和ヤマトは服を着替えに部屋へ行き、多々良ララも制服姿で夜の東京を歩くわけにはいかないので住んでいる部屋へと向かった。額に丸い赤痣を作った椛さんがピンクのランドセルを、思考が事態に追いついていない天鳥ヤクモへと投げ渡した。

 顔面からランドセルを受け止めて倒れた天鳥ヤクモは気になるが、俺は大家さんから情報を引き出しておかないといけない。悔しいけど、黒幕に近い人外だから大体のことは把握しているんだよ。


「具体的にクルリはなにをする気なんだ!?」

「そこまで行き着いてないとは、遅いな。簡単な話だろ?」


 そして予想外の答え。


「全ての魔法をなくす――自身の全てと引き換えにな」

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