3話「憧れの先輩像をボムでブレイク」
そんなに昔でもない、変哲もない日だった。ゲームをしていて、バベルの塔の話が出てきた。携帯電話を片手に調べれば、当たり前のような話だったのを何故かよく覚えている。
人間達が空に向かって塔を建設して、その高さでは自分に届いてしまうと恐れた神様が人間の言語を多様化させてしまう。言葉が通じなくなった人々は塔の建設を止めて、散り散りになってしまった。それが今の世界であり、争い合う原因になったのだという。
思わず鼻で笑ってしまう内容だ。同じ言葉を話している相手に包丁や銃口を向けるくせに、神様に届く塔なんて建てようなんて夢見たのが悪い。ほら、今も隣の部屋から喧嘩している夫婦の声。引きこもりになった息子の育て方をお前が間違えたのだと罵りあっている。同じ言葉だから、通じている。
俺も残念ながら同じ言語だから、理解できる。胸の中に空いた空洞に風が吹き抜けていくような、掠れた音が出ているような錯覚。そこへなにを埋めればいいのかわからない。何時まで経っても埋まらない空虚。しかし世界は平和なようで、俺の部屋の窓から燕の巣が見えた。家の軒先に作られたらしい。
燕の声が聞こえる。鶯みたいな綺麗な声じゃない。でもカーテンの隙間から見えた青空を横切っていく黒い姿が、まるで飛行機みたいだと思った。その姿が見えなくなるまで眺めていたら、抜けるような青空に白い飛行機雲が伸びているのが見えた。あの飛行機雲はきっとこことは違う言語が通じる国へ旅立った証だ。
神様は馬鹿だ。七日間で完璧な世界を作り上げればいいのに、一日休んでしまったのだから。塔を完成させないために言語を複雑にしても、人間はそんなの関係なく日常を過ごしている。もう神様に届く高い塔は必要ないのだろう。南に渡る燕以上に、何処までも飛んでいける乗り物を手に入れてしまったのだから。
もしも俺が神様だったらどんな世界を作ろうか。そんな可能性ができたらどうしようか。耳を塞ぎながらベットの上に寝転んで、馬鹿なことを考える。まずはそうだな、猫が傷つかない世界でも作ってやろうか。人間は人間同士で争ってればいいのに、余計な生き物に手を出すなんて愚の骨頂だからな。
それとも誰とも言葉が通じない世界にしてやろうか。そうすれば隣の部屋で言い争う夫婦の声を理解せずに済むし、俺が生まれるために必要な関係の構築すら不可能になる。生まれなくていいなら、生まれない方が良かったと思うほど、手の平を突き抜けて聞こえる醜い言葉は喉に突き刺さるような苦みを脳に訴えてる。
いっそのことゲームのように単純な世界にしてしまおう。目標値が設定されてて、それさえクリアすればいい。終わればデッドエンドでも選んで消えれば後腐れもない。データが塵箱に消えるみたいに痛みも苦しみもない死に方があるなんて、誰かの理想のようじゃないか。
唯一つ。俺が神様になったら絶対こうしようと決めたことはある。
暑い。クーラーがない教室。これを当たり前とする教育文化っておかしいと思うんだよな。毎年飽きもせずに最高気温を更新するのだから、昔より暑いのは明確なことだ。昔の学校ではクーラーがなくても平気だったとか抜かす奴は、そのことを忘れているんじゃないかと思うわけだ。
つまりは汗だらけの俺、
しかし心配事が多すぎては、体の健康も空回りしそうな勢いだ。頭の中にちらつく猫耳が邪魔すぎる。
一応
じゃあ俺にできることってなんだろう。待ってるだけしかできない無力さ。料理の匂いで誘き寄せられるなら楽だったんだけど、それも近くに居なくては意味がない。ただの野球部所属の高校二年生の少年。それが平凡であることの象徴みたいで、落ち着くと同時に歯痒い。固有魔法所有者という特徴だって、二人に一人は当てはまる普通の話だ。
七つの大罪に当てはまる鍵候補だからって、変なことに巻き込まれて痛い目を見るだけ。なにも良いことなんてない。生温かい風しか流れ込まない窓から青空を見上げる。横切った黒い影に目を向ければ、燕が滑るように飛んでいる。昔、家の軒先に巣を作った燕の家族を思い出す。鳴き声がうるさくて、あんなにカッコイイ流線型の体してるのに濁声かよとがっかりしたもんだ。
三限目の日本史を担当する教師からは佐々木小次郎の燕返しなどの話も出ており、せめて試験に出す内容で熱くなってほしいが、戦国時代好きの老人の話は終わりの鐘が鳴るまで止まらなかった。いやまあ戦国の浪漫はわかるけどな。俺的には真田十勇士とか夢があると思う。
四限目に突入する前の十分間の休み時間にポケットから新しくなった携帯電話を取り出す。電池の減りが遅い、というか一%も減っていないと画面上で表記されている。流石は昨日買ったばかりなだけはある。あと夏場はこういうの操作し続けているとすぐ熱くなるから、なるべく使わないようにしているというのもあるんだが。
近くにいた
あっさりと四限目の授業が始まる。英語は苦手だ。洋楽は好きだけど、あれも歌詞の意味がわかっているわけじゃなくてリズムが好きなだけという残念な背景があるくらいだしな。リズムという単語自体も英単語かと思うが、日常生活にちゃんぽんとした感じで混入されているのが普通なので仕方ない。
頭が茹りそうだと思っていたら、ポケットに入れていた携帯電話が振動した。俺は教師にばれないようにこっそりと教科書で手元を隠しながら画面を確認する。しかし俺の期待を裏切るように、というかいつの間にか俺のアドレスを手に入れていたのか、
昼休み、視聴覚室横のパソコン教室で待っている、とか。それ以外に書かれていることはない。もしかして携帯電話の支払いについてなにかあったのだろうか。この最新機種を買った時の店員さんの態度も気になっていたことだし、城崎マナカ先輩に無事携帯電話変えましたとお礼を言うのも同時にできるから、丁度いいか。
そして昼休みになって考えもなしに人気のないパソコン教室に入った俺は後悔した。幽霊部員ばかりのパソコン部が使っている教室でありながら、実は決められた人間しか鍵を持っていないと噂の場所。パソコンが故障しないように窓硝子を覆う暗幕で熱を防いでいる上、クーラーで冷えた空気に少しだけ気が緩んだ迂闊さ。
汗をかいていた俺は、それ以上に冷や汗をかいた。床に押し倒されている。妙に薄暗いと思ったら、電灯の一部を消しているようだ。パソコン教室の床は物を落としてもいいように安価なカーペット素材のせいか、汗で皮膚に張り付いたシャツ越しにチクチクと絨毯の毛が当たる。
視界に映るのは白い肌の上を飛ぶ燕の痣……だよな。妙に綺麗な形をしているというか、発色が鮮やかすぎる痣に違和感を覚える。しかしそれどころではない。腹の横を押さえる太腿の柔らかい感触とか、上から降りかかる染めた金髪の繊細さとか。一番無関係でいたかった状況に陥っている。
「うひひっ、雑賀は無防備すぎるじゃん。どーよ?男の子が一度は夢見る憧れの先輩からの積極的なアタックモーションは?」
「ただのパニックホラーです!!というか憧れじゃねぇし!!!!」
純粋に恐怖しかない。多分こういうのってつり橋効果とか、そういう意味での恐怖のドキドキを胸のトキメキと勘違いするアレだと思うんだよな。逃げ出そうにもなんだかんだで俺より身長がある城崎マナカ先輩に全体重かけられて上に乗っかられているため、肩と腰を固定されてしまえばほぼ動けない。
例え俺好みの黒髪ストレート清楚系美女が同じことしてきたら、最悪だと嘆くからな俺は。憧れの窓際文系先輩が白いカーテン越しから文庫本を手に視線をこちらに向けている放課後、的な状況だったら即座に恋に落ちても良いと思うけどさぁ。
基本的に奥ゆかしいのが好きなんだよ。少なくとも苦手な先輩に胸を押し付けられて意味ありげな笑みを浮かべられる、なんてのは逃げの一手しかない。いやでも胸が柔らかいからそこに全神経集中してみたいという点に関しては、幼い頃から男の固さを知っている少年達にとっては憧れであることは大目に見てほしい。
「んだよー。アタシ、こう見えて昔は超絶お嬢様系美少女だったんだぞー?それこそ雑賀好みな」
「時の流れの残酷さに涙するしかない情報!と、とにかく俺に用事ってなんですか!?押し倒してからかうだけが目的なら、今すぐ大声上げて、っ!?」
口元を押さえられた、だけじゃない。大声を上げてと言った瞬間、なにか丸い物体を口内に入れられた。舌で触れてみてわかるのはプラスチック製であり、個数は一。側面とかに変な出っ張りとかボタンみたいな感触もあるけど、詳細は不明。
「爆弾。安心しなよ、口の中が焼け爛れて三日は食事できない超絶弱い奴だから」
どこにも安心要素がない。というか思いっきり舌で触って確かめてるんだけど、それでも起爆しない爆弾ってなんだよ。だけど口元押さえられて吐き出すこともできない俺からすれば、呼吸するために鼻息が荒くなるのは仕方ない。
唾が上手く飲み込めなくて溺れそうというか、喉が痛い。視線だけでどういうことだと問いかけたくても、目に映るのは真剣な顔をした城崎マナカ先輩だけ。素人でも爆弾作れる時代たというのは理解してたけど、それが自分に使われるのは流石に予想していなかったぞ。
嫌な汗が背中を濡らしているし、額からも大量に流れ落ちている。脱水症状に陥りそうだと思うし、冷房が効いた教室でもあるから、肌寒さで体も震えてきた。こういった女子に殺されかけるというパターンをそろそろ脱却したいんだけどな、俺。
「じゃ、お望み通り本題に入ってやるよ。枢クルリのこと知ってんだろ?」
なんで、ここで、城崎マナカ先輩が猫耳野郎の名前を出すんだよ。
「実は同じ小学校に通ってたんだよ。ま、あっちは今のアタシを見てもわからないだろうけどね。世間は狭いよな、雑賀」
そうか。考えてみれば枢クルリも高校に通っていれば受験生、つまり三年生だ。そりゃあ城崎マナカ先輩と同い年だわ。それにしても本当に世間狭いな。いやまあ最近は子供減少傾向によって学校数が減っているとかで、すると必然的に子供達の社会も狭くなるってことか。
だからってここ数日で枢クルリ関係が動き始めているのが嫌な予感しかない。猫耳を付けた引きこもりだというのに、アイツもアイツで余計な注目を集めるな。俺以上に世の中とは無関係みたいな態度と生活をしているというのに、周りが放っておかないということか。
まあ一人暮らしの時の食生活を見ていると、放置しておけない気持ちはわからなくもないんだけどな。ただ俺が出会った枢クルリ探している奴らってのは、もっと別な方面で用件がある雰囲気だ。ということは城崎マナカ先輩も俺が予想しているのとは違うことで、枢クルリに用があるのか。
「一時は天才児って騒がれてさ……でもアタシが知ってるアイツの世間で流行った名前は猫殺し。噂では何百匹も殺したとか、笑えるだろう?」
なに言ってるんだ。
「天才的なゲームの才能を持ってるくせに、一般常識の欠如が見られますー、なんてね。大人達は嬉しそうに言葉にしてたもんだよ。都合が良かったんだよ、ゲーム好きの子供が犯罪を起こすっていうのは」
なんかおかしいぞ。
「最終的に世間から姿を隠して十年近くかにゃー?でもアイツが動き出したことで、騒がしいところもあってさ。だから教えてくんない?次はアイツ……どんな罪を犯すのか」
俺の口元を押さえる城崎マナカ先輩の手首を強く掴む。体表面に青い鱗が生えていくのは、俺の固有魔法である【
犬歯で口の中に入っていた爆弾を噛む。地味に痛みが返ってきたが、歯が表面に食い込んだのはわかった。それでも爆発しない。おかしいと思ったんだよ。素人が爆弾作りだせるとしても、その爆破の威力を自由に操作できるのかってさ。しかも被害が口の中だけ。どう考えても弱すぎる。
口の中で爆発したら鼻とか目玉にだって被害が及ぶはず。結局は城崎マナカ先輩の言葉は俺を黙らせるハッタリだ。腹筋の力だけで上体を起こして、口元から城崎マナカ先輩の手をどかす。忌々しい嘘の爆弾を吐き出してカーペットへと叩きつけた。口元が唾塗れになったが、手の甲で荒く拭う。
「あのですね……先輩。一つだけ俺でもわかることがあるんですよ」
「んー?なにかにゃー?」
明らかに怒っているであろう俺を前にしても余裕の態度を崩さない城崎マナカ先輩。まあそれもどうでもいいか。
「あの怠惰な猫耳野郎が!!罪を犯すとかメンドーなことするわけないだろうが!!!!」
猫を何百匹も殺しただぁ?そんな七面倒なことを、あの猫耳引きこもり野郎がやるわけがない。猫一匹探すのだって大変だし、それを捕獲するのも大変だろう。大体、それだけの被害が出る前に捕まってちゃんと調書くらい作るのが、生真面目な警察だ。
全く笑えない噂だ。大体、ゲーム嫌いの一般常識が欠けている大人も何十人もいるだろうが。俺は昔、コンビニで新人店員の行動が遅いと行列に割り込んで十分も説教した傍迷惑おじさん知ってるからな。そのおじさんがゲーム機を片手にコンビニで通信プレゼントを受け取っている子供に対して、わざとぶつかって転ばせたのも見ている。ゲームなんて害悪だと叫んでたけど、だったらアンタは公害だっつうの。
確かに枢クルリは学校に通っていない。中学中退とかで、義務教育も怠っている。そこに関してはフォローはしない。だけど一応自分の金で稼いでいるし、俺に食費も払っている。大家さんがなにも言わないということは、家賃もしっかり払っているということだ。そんな引きこもりが外にお出かけしたくらいで大騒ぎするな。むしろ良いことだと褒めてやれよ。ただ昨日の通話を切ったことに関しては根に持つからな。
俺の憤慨した声に対して、城崎マナカ先輩は噴き出すように笑い始めた。なにがおかしかったのか、笑いが止まらないらしくて最終的にはパソコン教室の床を転げ回っての大爆笑。しかし一応スカートの中身が見えないように膝を閉じており、右に左と転がっている。
一通り笑い終えた城崎マナカ先輩が起き上がる前に、俺は口元をポケットに入れていたタオルハンカチで拭いておく。自分の涎でべたつくし、後でトイレの水場で口の中を濯いだり手を洗おうと思う。嘘の爆弾に関しては放置しておこう。正体を確かめる気にもならない。固有魔法で出した鱗も消しておこう。
涙が出るくらい笑ったのか、目元を擦りながら笑っている城崎マナカ先輩が近くの机の脚に背中を預ける。少しだけ離れた距離に安心しつつ、念のため警戒しておく。なにするかわからないから本当にこの先輩は苦手だ。
「いやー笑ったわー。えー、でも枢の奴超いいじゃん!雑賀にそんな風に信頼されてさ。昔は根暗そうで友人も天鳥以外いない感じだったのに。まじ嫉妬!!そんでもって雑賀の美味しいご飯に毎日ありつけるとか……むしろ怒り湧く感じ?カムチャッカファイアーな?」
「信頼というか、諦めなんすけどね。ん?天鳥……
「お?まさか天鳥ともフレンドリー的な?うがぁ!!まじかよ、あの堅物真面目くん!!枢とは別ベクトルで友達少ない感じだったのに、雑賀と知り合いとかずるいぞぉ!!」
俺の口元が引きつる。むしろ俺が、まじかよ、と叫びたいんだけど。まさかの城崎マナカ先輩が、天鳥ヤクモと知り合いだったとは。多分この流れだと枢クルリを含めた三人は同い年で同じ小学校の同じ学級だったというオチだな。世間の狭さは一体どうなっているんだ。
「というかヤクモが友人少ないのは意外というか……」
「いや、アイツの周囲には人で溢れてたよ?頼りになる、すごい、頭いい、これやって、な具合で。本人も頼られるのは嬉しいからそれに応えてさ。要はさ、面倒なこと押し付けるには丁度良かったんだよ。愚直で優しい。最高じゃん?」
可哀想すぎる。いやでも確かにそういう奴はクラスに一人いたような気もする。大体は気弱で強く言えない奴がそういうポジションになるけど、天鳥ヤクモの場合は本当に前向きに率先して引き受けているイメージが湧く。損しているようで、損してない、けどやっぱり小指の先以上には損してるような気がする。
なんだろう表面的な人の好さに付けこんでいる図しか浮かばない。こういうのって後で頼られていた相手が受け止めきれずに爆発する前兆じゃないだろうか。いきなり怒りのまま教室内で暴れる子供とかって、そういうのが原因なことも多いし。知らず知らず頼りすぎるのも駄目だと思うぞ。
この人なら大丈夫、とかが一番危険なんだよな。まあ俺自身もよく使ってしまうけど、大丈夫だとは思うけど気を使っておこうというのも重要だと思うんだ。ここら辺の許容量というのが個人で差があるから、見極めるのは難しいところではあるんだけどな。
「ま、アタシも思いっきり頼ったんだけどねー☆でもそんな中で、枢だけが天鳥のこと無視しててさ、絶対に頼らなかったんだよね。あれはもったいないよなー」
それ多分、後でメンドーなことになりそうな気配がするから関わらないでおこう、とか意外と賢明な判断をした結果だと思う。枢クルリは先読みに関しては鋭いからな。自分でできることは自分でしてるみたいだしな。考えてみれば生活面では食事以外でアイツに頼られた覚えがない。
「すると逆に天鳥が枢のこと気にし始めちゃって、よく見ると周囲と交流がなくて一人でいることが多いからとチェスなんか教えてさ。一時期あの学年でチェス流行ったんだよね」
「クルリとヤクモでチェス?」
「そうそう。そしたら枢が一気に頭角表して、負けじとヤクモが張り切った結果……世界ジュニア大会の決勝で二人が対決するという少年漫画構図に」
聞いている分には熱い展開だが、どう考えても嫌な予感しかない。いや、というかオチが見えた。枢クルリは面倒事を嫌う。ジュニア大会とはいえ、世界だ。となると次期プロ候補として注目されたり、雑誌インタビューが始まることは容易に想像できる。小学生とはいえ、枢クルリなら予期できるはずだ。
城崎マナカ先輩も、わかるだろう、みたいな生温かい眼差しになっているし、本当にろくでもないな枢クルリ。アイツの欠点は怠惰に一点収束されてんじゃねぇのか。そんな熱い展開で真面目な天鳥ヤクモが期待しないはずがない。世界の決勝でライバルであり友人と戦うとか、俺でも期待する展開をあの猫耳野郎は裏切りやがったな。
「ちなみに結果は?」
「天鳥ヤクモの楽勝」
だよなー、しか言えない。不戦勝じゃないだけでも気を使った感じではあるけど、そこはいくら面倒でも付き合ってやれよ。天鳥ヤクモの性格上、きっとそういうのは許せない真面目な性格だと思うぞ。わざと負けたりしたら後々まで長く問い詰められるだろうに。
「学級全員で応援しようとか学校側が突発行事にしたのもやばかったんだけど、そんな結果で全員落胆したんだよね。で、そこで初めて見たんだよなー」
「なにを?」
「天鳥が怒ってるところ」
怒り。まあ誰だって一度は怒ることはあるだろう。俺なんかいつも怒っているように見えるとか言われる始末だし、むしろ一度も怒ったことがない人なんていないだろう。世の中の理不尽とか、他人の許せない所とか、自分の不甲斐なさとか。対象はどうであれ、必ず怒るはずだ。世の中に伝わる聖人だって、怒らないなんてことはなかったんだからな。
しかし俺からするとちょっと意味が違う。七つの大罪の一つに、確か憤怒があったはずだ。該当する童話が親指姫だったか。俺としては親指姫みたいな事態に流されまくって自ら解決しようとしない意気地なしに、どうして憤怒が当てはまるのかよくわからないんだけどな。
むしろ俺はあの童話は燕に同情する。親指姫が助けてくれたことで、親指姫に恋した上に助けた燕は、全て最後にぽっと出の王子に持っていかれるという悲劇。親指姫もそこは助けてくれた燕にもう少し配慮してやれよ、と思わなくもない。
「大粒の涙流してさ、枢を指差して怒ってんの。そしたら観戦に来てたクラスメイトも枢のこと指差すわけ。酷い奴だって。そこからかにゃー、枢がイジメの対象になったのって」
「……う、うーん……」
コメントしづらい。自業自得でもあるし、そこまでしなくてもいいんじゃないか、とも思う。というか天鳥ヤクモと枢クルリ、この二人の問題に他者が憂さ晴らしに入り込んでいい話じゃないだろうが。他人がその問題で盛り上がれば盛り上がるほど、当の本人達から問題が離れていく。そうすると未解決なんていう事態に陥るんだ。
だってそうだろう。結局、お互い納得できるように話し合いたいはずが周囲の声で掻き消されているんだから。横から煩わしい正論や暴論が飛び交っている中で話し合えってか。馬鹿馬鹿しい。だから俺は国会中継とか嫌い。だってうるさいじゃん、あれ。誰もおっさんの罵声なんて聞いて気持ちよくなるわけないだろうが。
だからって美少女の罵声が聞きたいわけじゃねぇよ。他人が口出しすんな、その一言に尽きる。もしかして天鳥ヤクモが枢クルリに会いたいのって、そんな小学校自体の諍いがまだ解決してないからか。天鳥ヤクモなら確かに真面目そうだし、今からでも謝りたいとかは思っていそうだな。
「そんでさ、事件。猫殺し。いやでもアタシはちゃーんと真相知ってんだよ?アイツは誰も殺してないよ。猫だって殺せない。そういう固有魔法だしね」
「ん?」
「あれ?まさか雑賀は知らなかった感じ?アイツの固有魔法の【
なんで城崎マナカ先輩がそんなに詳しいかはわからないが、それは初めて知った。でも考えてみればそうか。アイツが固有魔法を使ったのを見たのは二回だけだ。でもそのどちらも被害は基本的に零だ。デュフフ丸も、錬金術師機関の奴らも全員。
もしかしてアイツの固有魔法って
自由な固有魔法だと思っていたが、逆なんだ。限定的すぎる。例えば鏡テオが固有魔法を暴走させた時、アイツは自分の固有魔法は使えないとか言ってたけど、あれは固有魔法で作り上げた空間で鏡テオの毒を抜いて健康体にしても、元に戻すという性質から鏡テオを救うことに繋がらない。
意識を向けられても、意味がないということで言っていたのか。そして空間に干渉できても、時間操作はできない。だからデュフフ丸と消えた時、アイツは世界から消えた時間があったんだ。鏡テオの時は一刻を争う事態だった。なにせ毒だ。十分間解毒して健康体にしても、世界に戻れば元の状態。いやむしろ十分経過したことになるのか。
でも人間の意識を奪っていた点はどう説明する。待てよ、意識。そうだアイツは自分の固有魔法で作り上げた空間に誰かを取り込む時、意識を集めていた。つまり人間の意識だけは空間と同じように操作できるんだ。つまり意識が空間の一部となって機能するのか。ただし正解かどうかはわからない推論だけどな。
そうか、俺達がアイツの固有魔法で作り上げた空間を認識する意識が必要なんだ。でも元に戻すということから、必要以上の操作はできない。だから意識を奪う段階で止まる。個人の意識を操作して人格を変えたりとかはできない。そこまですると世界に影響が及ぶ可能性があるからだ。だから奪うに留まる。
いやでもやっぱり頭痛くなる。なんで猫耳野郎の固有魔法はこんなにややこしいんだよ。もっとわかりやすくしろってんだ。
「先輩はどうしてクルリの情報を?それに次って先輩なにか知ってんですか?」
「いいの?枢の事件とかその後について放置して」
「……別にいいや。興味ないわけじゃないけど、
俺に語れるような過去はない。枢クルリとは違う。当たり前だろう。全人類そんなもんだと大きく言ってやる。だから本人が話したいなら耳を傾けてやるさ。けど他人の言葉だけ信じてたら、きっと本人なんて見えなくなっちまう。簡単なことさ。他人の問題に首突っ込むな、ということ。
俺と枢クルリの問題となった時、その話が必要なら問いかける。きっとそれでいいんだ。誰かの全部が必要な事態なんてきっと少ない。それに過去の枢クルリって、結局は現在の枢クルリだろう。三つ子の魂が百まで続くなら、きっとなにも変わらないさ。アイツが心底怠惰な性格してることもな。
「ふっふふーん。雑賀は良い奴だにー。じゃあ最後に一つだけ質問させてちょーよ。アイツの言葉で印象に残ってるの、ない?」
「……ある。世の中お金が全てじゃないけど大体はお金で解決できる、とか」
正直真理に近いけど、反発したくなる台詞だ。わかるけど、欲しい物が高価な時とかは核心に迫る言葉だけど、そうじゃなくてだな。いやでも身に沁みる。めっちゃ痛いくらいわかるから、あまり格言にしないでくれ。
「じゃあさ、お金じゃ解決できないことができた時、枢はなにをするのかにゃー?」
思考に空白ができた。全く考えたことがなかった。なんとなく枢クルリなら解決するか、もしくは面倒臭がって放置するとか勝手に思ってた。でも避けられない、どうしてもと願った時、枢クルリはどうするのだろうか。予想できない。本当にアイツが解決できないことってなんだ。
だって鏡テオとか深山カノンの問題について解決の糸口を見つけたのもアイツだったよな。大和ヤマトの時とかも具体的な被害予測も出したし。そういえば多々良ララのデートから発展した喧嘩に関して忘れていたが、あれもアイツ主導だったな畜生。
「先輩、枢の居場所知ってるんですか?」
「それがね、困ったことに追えないんだよねー。逃走ゲームみたいな扱いなのか、ゲームだと負け知らずの枢はものの見事にあらゆる組織の監視網を抜け出しているってわけ。で、ここまで喋っちゃうと雑賀の次の質問も決まっちゃうね」
「あ、当たり前じゃないですか!!さっきのことや、組織とかって……先輩はどっちですか!?」
大罪を当てはめた童話を嫌う固有魔法所有者。それを鍵として狙う組織は二つ。カーディナルと錬金術師機関。もしも枢クルリを監視するならば、このどちらかに城崎マナカ先輩が所属しているということだ。嫌だ、同じ学校に通う先輩の一人があの骸骨親父とか似非王子風と関わっているのとか、心底嫌だ。
しかし俺が慌ててるのが面白いのか、城崎マナカ先輩はシャツをはだけさせる。胸元の燕の痣みたいな、そうでないようなそれが光沢があって、柔らかな丘の上を光を受けながら飛んでいるような、って光沢ってなんだよ。痣に光を跳ね返すような性質はないはず。
用心しつつも城崎マナカ先輩の胸元を凝視する。燕の広げた翼の一つ、その先端が折れた。俺は知っている。お洒落目的で手軽に楽しめるタトゥーシールだ。騙された。またもや城崎マナカ先輩に弄ばれた。なんかもう手玉に取らされすぎて、思いっきり転がされている気分だ。
「いやー、このシールを昨日あたりで見て固有魔法所有者と勘違いして、もう少し早めにどっちの組織なのかと疑ってほしかったんだけど、ニブチンだなー。しかもいいのかにー?そんなにアタシの胸見て?え・っ・ち☆」
「ぐあああああああ!!むしろ腹立ってきました!!俺で遊ばないでください!!そしてその余裕からすると、実は先輩どっちの組織にも所属してないでしょうが!?」
「やっほーい!だーい正解!!組織に所属してるけど、雑賀の言うような『どっち』なわけではないんだよねー。まあ雑賀の生活に関わるような組織じゃないから、安心してよ。枢を追ってるのも個人的な用だしね」
駄目だ。俺は絶対にこの城崎マナカ先輩には勝てない。だから苦手だ。もしかして昨日の携帯電話ショップで店員さんが驚いていたのは、金額の請求先が城崎マナカ先輩の所属している組織絡みということか。しかも店員さんが慌ててたということはヤのつくお仕事……いやこれ以上は止めておこう。
「どうも枢を追いかけている奴がウチの縄張りで頻繁に問題を起こしたみたいでさ。これは放置するのはまずいなーと。でも枢が止まればなんとかなると思って調べてたらびっくり仰天。雑賀絡みだったんだよねー」
「あんの猫耳野郎……家に帰ってこないと思ってたら面倒事引き連れていやがるのか……」
「そこなんだよね。枢って面倒なの嫌いじゃん?なのにあえて面倒を起こしている。これはなんか企んでるなと思うわけよ。家猫が死ぬ間際に飼い主の前から消えるための……準備を整えているに近いニオイがするんだ」
確かに。一理ある。引きこもりで面倒事が嫌いな枢クルリが、外に出かけ続けている上にこんな風に伝播するような面倒事を起こすのは変だ。つまり最終的な目標がお金で解決できない今より面倒なことに決着つける、ということか。そのために俺達の前から姿を消した。
しかも城崎マナカ先輩の例え方が微妙に上手い。俺が感じていた気配をそのまま言葉にしたような。家猫ってどうして飼い主の前から消えちまうのか。お互いに寂しいと思うんだけどな。それも猫らしいと言えばいいのだろうか。
「あ、ちなみにアタシが枢に詳しいのはさ、小学校の頃に気になる奴っているじゃん?つい目で追っちゃうとかさ。アタシにとって枢がそうだっただけ。恋愛感情は一切ないけどね!ただ寂しい奴だなー、って観察してた感じ」
「そこは初恋の話にいくと思いましたよ。まあ俺はその手の話は苦手なので安心しましたけど。つまり諸々の縁が絡みまくった結果、俺を呼び出したと?」
「そだねー。ま、そこは飼い主の責任だと思って諦めてくれい☆」
誰が誰の飼い主だ。俺はただご飯を作ってるだけの半同居人みたいな、いや待てよ。これだとあの部屋同士を繋げる扉が、枢クルリという猫のためにあつらえた猫扉みたいになるんじゃ。まずいぞ。知らず知らずの内に俺は枢クルリに深く関わっているぞ。
少なくとも生活圏内に根付いている。なんで彼女もできないまま男達の世話をしているのか。改めて自分の状況に涙が出てきそうになる。こうなると多々良ララが最後の良心というか、紅一点だな。顔はイケメンだけどよ。俺よりも高身長だけど、唯一の女子成分と慰めるしかない。
「そろそろ昼休みも終わっちゃうし、とりあえず詳しいことわかったらメールで教えてよ。アタシも色々教えてやっからさ。そんで……チョコケーキのお礼も用意してるからさ、枢クルリと出会う前にアタシを呼んでよ。憧れの先輩との約束だぜ?」
だから憧れじゃないし。そして自由気侭に城崎マナカ先輩はパソコン教室から普通に出ていった。疲れた。もう五、六限は授業で体力使わないようにしよう。確か古典と道徳だった気がする。その後に部活があるけど、体力的に無理そうだったら体調不良を理由に休もうと思う。
しかし普通のちょっかいかけてくる先輩だと思っていたのに、普通じゃなかったか。固有魔法所有者じゃないと判明しただけでもよかったか。そうなると天鳥ヤクモ、あの男に俺は質問をしなくてはいけないかもしれない。嫌いな童話、そして固有魔法所有者かを。
まあ予測はついているんだけどな。一応様式美みたいなもんだし、今日の夕飯でも考えながらあのスーパーの道を歩くか。まだ胸の奥の騒めきは治まらない。枢クルリがなにかを企んでいるのはわかったけど、アイツがここまでの面倒事を起こしてまで企むことの大きさが想像できない。
俺はとりあえず疲れた足取りでパソコン教室から出る。夏の暑い空気に懐かしさを覚える。今度から呼び出しにもう少し気をつけようと思う。そういうのとは無関係でいたかったんだが、仕方ないなと溜息。ああ──今夜は豚の生姜焼きを作るか。肉食いたい。
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