2話「ニュースペーパーは置いてけぼり」

 デュフフ丸。まあ思い出しても変な名前でしかない。これが生放送とかで使うネット用の名前だからまだ反発感は少ないけど、もしも親がこんな名前を付けたら子供は怒ってもいいと思う。しかし並列で使われたくるるクルリは本名なので、あの猫耳野郎は愚痴ってもいい。

 ただし枢クルリもネット用の名前は猫耳野郎なので、なんかこうネット上で使う名前ってのは好きな風に決められるが故にはっちゃけた雰囲気になるのかもな。俺こと雑賀さいがサイタだったらどんな名前を付けようか。駄目だ、鱗怪人か傲慢野郎しか浮かばない。意外と難しいな、ネット用の名前って。

 さてと、多少思考がずれていったものの二度と聞きたくない名前と一緒に枢クルリの名前を出した男の容姿を改めて確認……しなくてもいいか。とりあえず生真面目そうな優等生という感じだが、微妙に髪の長さが校則に触れそうな気はするけどな。


「……む?名乗り遅れたな。私の名前は天鳥あまとりヤクモ。私立海晴高校の三年生だ。剣道部所属であったが」

「いやいい。それ以上聞くと色々戻れない気がするから、自己紹介は止めてくれ」

「何故だ!?お互いを知るのは円滑な会話を成り立たせる上で大切なことだろう!?」

「真面目か。確かに今までは素性が知れない割に懐いてきた奴が壮絶な過去持ちだったことはあるけどよ……」


 思わず今も駅前でストリートライブをしているかがみテオの顔を思い浮かべつつ、逆にこの天鳥ヤクモの礼儀正しさに慣れない。ただ聞きたいこと以上のことを口にしそうで、下手なことに無関係無関心でいたい俺にとっては鬼門のような相手だ。

 あと俺は天ぷらの材料を買いに行きたい。もう今日は蕎麦の気分だ。頭の中は天ぷら蕎麦一色。それ以外の料理を口にしても満足感は得られないという状況だ。新しい携帯電話で浮かれた気持ちのまま、今日は少し贅沢に材料を大量に買い込みたいくらいなんだ。

 とりあえず背を向けよう。無礼だと思われてもいい。俺はもうこれ以上の面倒事は抱えたくないし、今日は学校内で色々とあったから夕飯作る以外の労力は消費したくない。鳥のささみの天ぷら、椎茸も美味い。葱のかき揚げは最高だ。


「む!?待ちたまえ、まだ私は君の名前を聞いていないし、先程の答えも確認できていないぞ!!」


 追ってくる。俺が早歩きであるからして、どうやら競歩みたいに追いかけているらしい。後ろを振り向きたくないあまり、予想でしかないが。なんでこんな夏場に男と追いかけっこしなくちゃいけないんだよ。いやだからって可愛い女の子でも殺人鬼とかには追われたくない。

 もうこのまま荷物持ち要員として引き付けるのもありかもしれない。スーパーまで行っちまえばこっちのもんだしな。問題があるとすれば、こいつも夕飯食べるかどうかだ。なにせ蕎麦っていうのは飲むように食べれるからな。大食い二人を抱えている身としては、蕎麦の量は要だ。

 なんだろうな、この育ち盛りの子供を持っている主婦のような考え。いやまあ大食い二人はどちらも高校生だし、間違いではないがな。ただし片方がイケメン女子である多々良たたらララであることは涙を誘いそうな話だ。運動部所属男子並みに食う割に、そんなに太ってないのも不思議な話だけどよ。


「その、すまないが無視は止めてくれ!なんだか傷つく!私はこの後に塾がある故、あまり長く時間が取れず」


 よーしそのまま帰ってくれ。とりあえず蕎麦の量は増やさなくていいみたいだ。五人家族用の底が深い大鍋があるとはいえ、大食い二人がいるため二つ同時稼働という事態になりそうだからな。そこに家庭用小型電磁調理器、いわゆるIH調理機を使って天ぷらを揚げなくてはいけない。

 そういえば水を良く切った豆腐に片栗粉を塗して油の中に入れて作る揚げ豆腐も食べたくなってきたな。どうせ全部天ぷら粉につけて油の中に入れるわけだし、揚げたのを天ぷら網の上に置くくらいならば大和だいわヤマトに任せればいいだろう。

 大食いだが家事手伝いも適度にこなせる大和ヤマトならば安心できる。バイト漬けなだけあって手際もいいしな。なにせ食うために働いているような奴だし。多々良ララは微妙に家事できるかどうか。確認したことがないから仕方ない。


「うう……頼むから枢クルリのことだけでも教えてくれ。金成かんなりカイザーに詰め寄って事情を聞いたが、それ以上は怒り心頭で話してくれなくてな」

「キラキラ……いやDQNなのか、本名。でか誰だよ、金成って!?」


 聞こえてきたとんでもない名前に思わず振り返ってしまった。ちなみにDQNはインターネットスラングで、あまりいい意味ではないので親には聞かずに自分で調べた方がいい類だ。確かなんかの番組が語源らしいが、世の中には色んな言葉があるもんだ。

 それにしてもカイザーって、あれだよな。帝王とかそういう。もしかして帝王と書いてカイザーと読ませる、ちょっと呼ぶ方が恥ずかしい感じの名前か。本人がそれでいいならいいけど、親が名付ける名前も千差万別だよな。俺は普通の類のはずだ。


「デュフフ丸の……あ、そうだ。ネット用の名前と本名は同時に公開してはいけないのだったな。失敬した」

「アイツ……そんな名前なのかよ」


 同情する。ネット用の名前だけでなく、本名も呼びにくい恥ずかしさがある感じだったのか。いやでもネット用の名前は自分でつけられる物だし、もしかして案外満更でもないのかもしれない。まあ感性も人それぞれだからな。

 ということは天鳥ヤクモはデュフフ丸と同じ学校だったのか。その割にはあまりお金持ちっぽい感じがしないな。身に着けてる物も実用性がある鞄とかで、ストラップをつけるという遊び心もない。腕時計は昔から使っているのか、手入れされた形跡がある。物持ちがいいらしい。


「猫耳野郎の意味はわからなかったが、枢クルリという名前は私の記憶の中で一名しか当てはまらない!稀有な名前のはずだ!」

「あー……そうだな」


 カイザーというのもアレだが、クルリという名前も同じ類だもんな。ということはデュフフ丸の野郎、あの後も愚痴で猫耳野郎のネット用名前と一緒に枢クルリの名前を出していやがったな。それを偶然にも天鳥ヤクモに聞かれたと。うーん、これは嫌な予感しかしない。

 どうする。俺からあの問いをするべきか。それとも固有魔法の有無についてか。しかし初対面でいきなりそんな質問をしてもなぁ。さらに言えばまだ名乗っていないとか追及されそうで嫌だ。名乗ったら最後な気がする。無関係ではいられなくなるだろう。

 そういえば慈愛の魔人とかいう奴がそれっぽいことも言ってたし、むしろ関わった方がいいのか。なにせ大和ヤマトの家族である知識の魔人を取り戻すには、錬金術師機関が魔人を集めるのが一番手っ取り早い状況だ。その中で慈愛の魔人は鍵を集めた方が俺達の都合にいいと。


 嫌な話だが、七つの大罪と組み合わせた姫の童話を嫌う固有魔法所有者が鍵候補。七つの魔人が扉の錠。そして扉を開きたい錬金術師機関とおそらく扉を閉じ続けたいと思われるカーディナル。この面倒なことに関わったせいで、本当に厄介な問題に。

 なんか五百年前の因縁的な、むしろ婚姻関係のこじれっぽい雰囲気があってな。そんな碌でもない問題で家族を奪われるなんて、正直タコ殴りにしてもいい事柄じゃないかとも思うんだが。あの骸骨親父と似非王子風美形め、俺の両腕を折って直したことは当分は忘れねぇからな。


「私は……どうしても彼に会わなくてはいけないんだ!!」

「え!?骸骨親父と!?」

「誰だね、それは?」


 やっべ。つい骸骨親父と似非王子風美形のことを考えていたせいで見当違いなことを口走ってしまった。そうだ考えてみれば、こいつが錬金術師機関やカーディナル所属ではないという証拠がない。下手すると俺達に危害を及ぼす目的に……は見えねぇけど用心はしといた方がいいよな。


「お前の言いたいことはわかった。枢クルリに会いたいことはな」

「おお!?本当か」

「しかしそれ以上に俺には夕飯を作る義務があるんだ!!!!」

「なんと!?」


 ここまで来たら譲れない。俺は速く帰って蕎麦を茹でる。そして天ぷらを揚げる。自分の料理に舌鼓を打つ。それを邪魔するなら錬金術師機関だろうがカーディナルだろうが容赦しねぇぞ、ゴラァ。気付いたら陽がかなり落ちているのに気付いて、俺も焦り始める。

 この時間帯はスーパーも主婦達が一斉に買いに向かう時間。油断はできない。少しでも美味しい食材を手にするには、津波のように安売りに飛びかかる主婦や目利きに時間をかける主婦の壁を乗り越えなくてはいけない。買い物一つと馬鹿にすることなかれ。毎日となればそれはもう大変なことなんだからな。


「それは立ち止まらせてしまい申し訳ない。では君の名前だけでも教えてくれないか。もしくは連絡手段を」

「というかなんでアンタは俺が枢クルリと繋がっているって知っているんだ?」

「む?そうか、その説明も忘れていたな。以前にここで君と枢クルリらしき男とすれ違ってな。それ以来、余裕があればここで再度通らないか待っていたのだ」


 天鳥ヤクモ、それは待ち伏せっていうんだぞ。しかし真っ直ぐな視線に汚れのない瞳のせいで、まあ嘘でもないんだろうし他意もないとは思うけどな。下手すると警察呼ばれる案件だから気をつけた方がいいと思う。しかしここを枢クルリと通り過ぎたのは何時だったか。

 確か俺がデュフフ丸に改造モデルガンで撃たれた翌日の、部活明けに買い物をしていた時だったな。通い慣れたスーパーがこの通りにあるからな。そうそう、枢クルリが前住んでいたマンションから別の住居に引っ越すために、当分の間は俺の所に泊めてやるとかいう話だったか。

 そういえば眼鏡の男とすれ違ったような気がしなくもない。が、そんな一瞬のことなんて十秒も気にしていなかったはずだ。今だって記憶があやふやすぎて自信はない。天鳥ヤクモの勘違いとして処理したい気持ちもある。


「しかし塾や学校など日々の生活から中々会うことができず難儀していたのだ。今日会えたのは僥倖というもの。千載一遇の機会を逃す訳にはいかず、ついムキになってしまった」

「ちなみに枢クルリらしきって、不確定なのが気になるんだが」

「……私の記憶では枢クルリはあんな奇怪な耳をしていなかった」


 猫耳野郎。アイツも昔はバンダナに猫耳付属させていなかったのか。いや昔から付属していたらそれはそれでヤバイ奴として認識してもいいとは思うけど、あのインパクトの大きさのせいで昔から付属しているものだとばかり。というか枢クルリの過去も不透明だな。

 でも大したことなさそうな気が。しかし本人としては大きく気にしている場合もあるし、一概にも言えないよな。だが過去っていうのは振り返っても直すことができない物だし、あまり思い返してもいいもんじゃないはずだ。これまた嫌な予感だけが積み上がっていくもんだ。


「じゃあ名前だけ。俺は雑賀サイタ。ヤクモ……先輩?になんのか?」

「ヤクモでいい。では雑賀くん、クルリには私のことは伝えないでほしい」

「は?なんで?」

「……逃げられそうだから」


 苦い顔でそれだけ言うと、天鳥ヤクモは腕時計の時間を確認してすぐ走り出してしまった。塾の時間が差し迫っていたのだろう。そして夕焼け空。俺が準備しなくてはいけない夕飯時も迫っている。俺は再度慌てて走り出した。とりあえず今日はこれ以上ややこしいことは起きなさそうで安心したぜ。




 宝の山のように積まれた蕎麦に、宝石箱に詰め込まれたかのような天ぷら達。絶品間違いなしだ。もちろん麺汁めんつゆを忘れるという失態は犯さない。これまた水と原液の配合を大和ヤマトから教えられた通りにしたおかげで、今までで一番美味しい麺汁だ。

 バイト先にいる和食の老舗で働いていた従業員から教えられたらしい。中々役に立つな、食事関係では盛大に頼りになる後輩だ。ちなみに一番頼れないのがソファの上で寛いでいる鏡テオで、頼ることすらできないのが枢クルリ……なんだが。枢クルリの姿が台所や食事場所でもあるリビングにもいない。

 いつもならば無理矢理部屋同士を繋げた扉から気侭な猫のようにふらりとやって来て、ゲームをしながら食事ができるのを待っているだけの奴だ。そういえば最近新発売した有名ゲームのクリアでも目指しているのか。巨大なモンスターを狩るゲームで、俺もあのゲーム好きなんだよな。特にお供の猫が忠義が厚くて可愛いと思う。


「サイタの兄貴、クルリの兄貴は呼びますか?」

「僕も呼びに行くー!」

「おー、頼む」


 大和ヤマトは気遣いができる。姉兄や妹弟もいる大家族と生活していたが故にそういった性格になったんだろう。多少爺コンなところはあるけど、それ以外は金髪で無愛想ながら好青年といったところか。唯一の欠点は大食いか。いやこれも微妙に欠点とは言い辛いな。

 そして鏡テオも大和ヤマトに懐いているようだし、あの無邪気な子供に近い性格の鏡テオの面倒を見てくれる兄貴分というか弟分ができたのは俺にとっても幸運だった。鏡テオにはつい振り回されてしまうからな。それにしても多々良ララも遅いな。他の所で食べて来るならメールを入れればいいものを、ってちょっと待てよ。

 なんで俺が毎日のように家に押しかけてくる同級生のイケメン女子の夕飯事情を心配する羽目になっているんだ。考えてみればアイツに関しては叔母さんの所でお世話になっていて、基本的に店屋物であったところを俺の飯を食べてからやって来るようになっただけだった。うっかりしてたぜ。


「あれ?クルリー?おかしいなぁ」

「クルリの兄貴?」


 適度に洗い物を済ませ、新しくなった携帯電話に多々良ララからメールが来ているのを確認している横で鏡テオと大和ヤマトの困惑した声。ちなみに多々良ララからのメールでは、少し帰るのが遅くなりそうだから夕ご飯を残しておいてほしい、と書かれている。もう俺の家でご飯を食べることに疑問を持っていやがらないな。


「サイタ。クルリいないよ?」

「はぁ!?あの引きこもりの猫耳野郎が外出だと!?」


 驚天動地、とまではいかないけど俺の携帯電話を操作する手が止まる。ただでさえ最新機種で慣れていないというのに、これでは多々良ララへの返信メールを送るのが遅くなりそうだ。とにかく指を速く動かしていき、今日は天ぷら蕎麦であることを伝えておく。

 仕方ないので扉から顔を覗かせている鏡テオの手招きに従い、部屋の前まで行く。暗い。夕陽も落ちた夜闇が部屋を染めている。ということは窓の雨戸も閉めていないようだ。防犯とか室温調節や節電的にも大事な雨戸を閉めないなんて。

 しかも微妙に蒸し暑い。あの快適な部屋の維持に関してはあまり面倒そうにしない枢クルリの部屋の中に入って、じんわりと肌の上に汗の玉が浮かぶなんて。鏡テオも暑いらしく、白い肌を真っ赤にしている。茹っているようなもんだ。


 工事現場で肉体労働している大和ヤマトは手の甲で顎に流れ落ちた汗を拭いながら、部屋の電気を点ける。程よく日焼けした肌が照らされるが、それどころではない。俺は窓の前まで行き、雨戸を閉める。よく見れば硝子には虫一匹いなかった。つまり長時間明かりが点いていなかったということに繋がる。

 むしろ大和ヤマトが明かりを点けたのに惹かれたらしく、俺が雨戸を閉める隙に光に誘われて蛾みたいなのが部屋の中に飛び込んできて電球に何度もぶつかっている。鱗粉が降り注ぐので、素手で潰すのは躊躇われるので広告チラシか新聞紙を探す。すると手近な所にコンビニに売っているようなスポーツ新聞があったので、手に取った瞬間。

 天井から一本の茨が生えて、蛾を捕らえた。これまた器用なことに茨で籠を作っている。そんで茨を伸ばして小窓から逃がしてあげていた。多分、曾爺さんかその友人である知識の魔人辺りに、無闇に命を奪ってはいかないよとか言われてたんだろうな。大和ヤマトの固有魔法【野に蔓延る茨ロサ・エグランテーリア】だったか。金髪筋肉大食い男とは思えないメルヘンな名前だ。


「変っすね。サイタの兄貴が手にしているのは昨日の夕刊っす」

「ん?ああ、このスポーツ新聞か」

「そうっす。一応コンビニの早朝バイトしてるんで、新聞の入れ替え時間とかは気にする方なんですが、スポーツ新聞ならば朝刊は大体午前三時から六時、夕刊なら午後三時から五時の間っす」

「じゃあクルリは昨日の夕方に出かけてたってこと?」


 おおっと。なんか推理ものみたいな展開に心が浮き立ちそうな感じに。探偵という職業は一度くらい憧れるものなんだが、大方は自分の頭の悪さをすぐに悟って諦める。そう考えていた矢先、俺の携帯電話にメール。しかし送り主は多々良ララだ。そうだ、一応枢クルリの行方を尋ねておこうか。

 するとメールに書かれていた文面に俺は気が抜けそうになった。枢クルリが聞いたら残しておいてと言いそうだね、という絵文字もない文章。つまり多々良ララはあの猫耳野郎と何処かで会っているということだ。じゃないとこの文字は書けない。

 そして枢クルリが帰ってないことも知っている。これはもう電話で聞いた方がいいな。慣れない画面だが、タッチ操作であるからすぐに電話できる。数回のコール音の後、いつもと変わらない様子の多々良ララの声が聞こえた。


『なに?天ぷら蕎麦食べ切ったの?』

「そんな恨みがましい声で尋ねるな。ちゃんと残してるつーか、まだ食べてねぇよ」

『やった。今駅前だからすぐ食べれそう』

「そんなことよりもだ。クルリのことなにか知らないか?」


 文字だけ見れば喜んでいたりしていそうなんだが、平坦な音程というべきなのか。いまいち読み取り辛い。ただし食い物のところに関しては顔を見なくてもわかりやすかった。お前のその素直な食い気は嫌いじゃないが、今はそれどころじゃないんだよ。


『なにって……今日、カノンのお見舞いに来てたよ。すれ違って、何処行くのと尋ねたら診察の続きだって。長くなるとかぼやいてたよ』

「そういえば怪我してたな」


 忘れていた。枢クルリは東京の一部区画が封鎖された際、つまり大和ヤマトの固有魔法が暴走して茨が蔓延っていた時だ。なんだかんだで枢クルリは茨に巻き付かれていて、かなり絞めあげられたとか。その鬱血跡が残っていたし、包帯を巻いて隠していたが塗り薬は必要だったらしい。

 俺の電話に聞き耳を立てていた鏡テオと大和ヤマト。特に大和ヤマトが微妙に渋い顔をしている。いやまあ外的要因があったが、茨自体はお前の固有魔法だもんな。ちなみに鏡テオは大人しくしていたから傷一つないとかで、お前の運の良さは一体なんなんだ。

 そして深山カノンも大和ヤマトの固有魔法で怪我している。ただし深山カノンの場合は出血多量ということもあり、入院しているけどな。確か深山カノンの方が枢クルリに気があるのは知っているが、枢クルリ側はどうなっているかは知らない。ただ邪険にはしていないし、仲は悪くないよな。むしろ猫耳野郎にしては好意的かも。


『……電話したら?』

「俺からだと微妙に出ない予感がするし、嫌な予感もある」

『じゃあテオは?テオには大甘じゃん』

「そうだな。テオだな」


 俺達の共通認識。枢クルリは絶妙に鏡テオには甘い。というか押し負ける。なんというか家猫が甘えてくる無邪気な家犬に負ける感じだ。最終的には、わかったから少しは大人しくしろ、といった様子で相手するのだ。そして早速枢クルリへ電話をする鏡テオ。


『とりあえず一度通話切るね。歩きながらも危ないし。早く蕎麦食べたい』

「そうだな。蕎麦は伸びると美味さ半減だからな」


 出来立ての天ぷらも冷めるのは悲しい。俺も腹減っているしな、枢クルリの目的は掴めない。あの猫耳野郎は頭が回るからな。俺が先読みできる気がしない。ただその回転率の良さが逆に怖い気もするんだがな。先読みしすぎてとんでもないことを一人でしそうな。

 そういえば深山カノンをもう少し自由な立場にするため、錬金術師機関の支部の一つに乗り込んだっけか。というか鏡テオのためにデータを手に入れるなど、二重の目的があった。もしかして今も多重の目的が一箇所で解決するように動いているのかもしれない。

 よし、ここで一度俺が確認した方がいいことは大和ヤマトが頭が回る方かどうかだ。そして通話が切れた携帯電話をポケットにしまいつつ、静かに振り返る。目線を逸らしている時点でわかった。そうだな、お前は工業高校通学中の肉体労働もするバイトマンだもんな。お前の大食いは頭脳の癒しのためではなく、体力補充とかそういった方面だったか。


「クルリー?今どこー?今日は天ぷら蕎麦だって。鶏ささみに、椎茸に、葱のかき揚げとかさつま芋とか色々とあるんだよー。え?残さなくていい?だってこんな美味しそうなのに……本当に食べないの?」


 通話している鏡テオの頭上に困った顔をしているゴールデンレトリバーの表情が浮かんでいるようだ。そりゃあもう見ているこっちが心苦しくなるような、うっかり言うことを聞いてしまいそうな懇願だ。さすがにこれは枢クルリも撥ねつけることは難しいと思う。


「うーん、忙しいのかぁ。じゃあ仕方ないね。うん……え?もう二度と作らなくていい?だってサイタのご飯美味しいよ?ねぇ、クルリ。帰って来るよね?」

「……おい、テオ代われ!クルリ、お前は一体どこに……切りやがった、あの猫耳野郎ぉおおおおおおおお!!!!!!」


 不穏な空気を感じ取って鏡テオの携帯電話を奪い取ったが、俺の声を聞いた瞬間に通話を切りやがった。やっぱり俺だと応じない気だったな、アイツ。鏡テオに携帯電話を乱暴に返すと同時に、多々良ララが玄関口からただいまと言ってきた。なんかもう多々良ララも俺と同居しているみたいな空気は止めようぜ。

 夜道でもコンクリートが昼の熱を溜めているせいか、多々良ララも大量の汗をかいていた。学校指定シャツも汗で肌に張り付いているが、夏用ベストのおかげで下着が透けることはない。残念とは思わない。むしろその方が変な問題に発展しない分、大賛成だ。

 なんにせよ枢クルリの部屋に続く扉から食事が用意されたリビングへと三人で戻っていく。首を傾げた様子で鏡テオがもう一度電話をかけているが、コール音だけが空しく響いている。大和ヤマトはまだ枢クルリと馴染みが薄いせいか、状況を把握しかねているようだ。


「とにかく飯食うか。残念なことは俺達じゃ枢クルリの居場所を掴めないということなんだが……」

「カノンなら知ってると思うよ」


 まさかの助太刀。いやしかし入院中だろ、アイツ。多々良ララが見舞いから帰ってきたということは、もう面会時間も終了のはず。病院に電話かけるというのも迷惑になりそうだし、他に手段がないというかなんというか、もうご飯食べたい。


「もしくはカノンのお父さんとか。針山さんとか。だって見張っているんでしょ?」

「…………お前、大胆だな」


 その人選はつまり俺達を殺しかけたり狙ったりしている錬金術師機関やカーディナルに助力を乞うということだぞ。わかっているのか。しかし一理はある。アイツらは俺達を見張っているのは前々から承知のことだったし、特に枢クルリは前に錬金術師機関を脅したことがあるから要注意人物のはずだ。

 というか俺達の周囲に気軽に危ない組織関与人物がいるのもどうかと思うんだが、そこら辺の常識は是非忘れないでいてくれ。ついでに言えば無関心でいてくれ。無関係が一番いいことではあるが、それはもう望めそうにないからな。


「んー、梓に頼んでみる?」

「そしてまさかの新しい人名が。それはもしかして椚さんや梢さんや樫さんに続くお前の付き人的なあれか?」

「梓はね、お父さんに必要な情報を届けるエージェントだって椚が言ってたよ。モットーは広く浅くらしいよ。深い場所は危険が一杯だからとか」


 微妙に闇が垣間見えるモットーだが、一番安全かもしれない。要は私的な情報取集役とかそういうのだろう。針山アイとかに借りを作るよりは数倍マシだ。それに猫耳野郎もそんな危ないことをやるほど張り切り屋でもないだろうしな。怠惰代表だぞ、アイツ。


「よーし、その梓さんに連絡だ。枢クルリの居場所だけでいい、聞いてくれ」

「はーい。じゃあ副業中の椚にメール送っておかないと。梓と直接の連絡手段は僕にはないんだ」

「どうしてだよ?」

「僕の声を聞くと尊さで死ぬ危険性があるからって」


 お前の付き人的な大人達は変人しかいないのか。一人は痴女だしな。そして今思いついたんだが、七人くらいいるんじゃないか。つまりストリートライブしている白雪と噂の男には、七人の大人おとなが。それは誰も得しなさそうな事実だな。むしろいらない知識だった。

 なんにせよホスト副業中の椚さんから連絡来るまではどうしようもないということで、念のため枢クルリの分は別に保存しておこう。密閉容器の便利さよ。文明の進歩は素晴らしいよな。一応二つ用意して、蕎麦と天ぷらは別々に入れておく。麺汁はその場で作ればいいだろう。

 大和ヤマトと多々良ララは既に席についていた。どんだけ食べたかったんだ、お前達は。しかし俺の腹の虫もそろそろ限界を訴えている。今は箸を進めるしかない。いただきますを合図に始まる壮絶な蕎麦減少という事態。消えていく蕎麦の山、平らげられていく天ぷら達。美味すぎるのも罪だ。だから暴食っていうのは七つの大罪に入ったんだろうな。ギルティ。


 しかしその日は終ぞ枢クルリがどうしているかを俺は知ることができなかった。

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