9話「ヘイ、タクシー☆明日まで」

「帰る」


 三文字。漢字変換を入れれば、二文字に減る。たったそれだけの言葉で全てが終わったような感覚。大家さんは欠伸さえも面倒そうに、煙草を咥えたまま上下に揺らす。

 元は知識の魔人のナレッジであった金色の輪っかは青いジーンズのポケットに。俺、雑賀サイタは骨折した両腕のせいで、首を動かすことでしか状況を把握するしかない。

 右頬がコンクリートに擦れて痛いが、気にしていられない。体を縛る緑色の茨はそのままで、大和ヤマトがふらりと立ち上がる。その手には合計金額三百万はある緑色の通帳。


「待て!貴様……貴様も扉が狙いか!?青い血!!」


 人骨のおっさん、ロートバルト・フォンが叫ぶ。古めかしい貴族服の胸元、不自然に穴が空いたそこから見える赤い石が煮え滾ったように鈍い光を強くした。

 確かに億スタートからのオークションに参加していた身としては、いきなりの競売中止は腹立つ出来事かもしれない。俺としては最初から売り買いするもんじゃないって言ってんだけどな。

 というか、待てよ。大家さんまでこの訳わからない扉とか鍵とか大罪だとかに関わってくるって、最悪じゃねぇか。なにせ都市伝説と呼ばれる赤ずきんを部下にしているし、なんか底が知れない恐怖がある。


「興味ねぇよ、骨爺。青い血よりも、いや正確には俺よりもか。一応年上のくせして、心情も読めないってか?」

「養父上が人の心がわからないのは元からであるが、こちらも不可解だ。お前に利益がない提案。それこそ社会を動かす存在としての意義がないだろう」


 今度は似非王子風のジークフリートが睨みを効かせている。金髪碧眼が東京の夜には不釣り合いのようでいて、美形だから全て許されているような理不尽な顔立ち。

 青い血がいまだによくわからないんだが、とりあえず大家さんが只者じゃないってことだけは嫌と言うほど理解した。なんでそんな人、いや人外、があんな冴えないマンションを管理してんだよ。

 そして大家さんの名前が思い出せない。確か日本人の名前じゃないな、という印象だけは残っている。和名だったらさすがの俺でも覚えているはずだからだ。そしてそれで通じるって、どういうことだ。


「簡単だ。続行も、中断も、どちらを選んでも利益がないからだ。その中で最も損失が少ないの選択は中断。大体、餓鬼相手に商売するほど落ちぶれてねぇんだよ。一番みたいにはなりたくねぇしな」

「ナレッジ爺をどうするんすか……?」

「俺が預かる。当たり前だろう?これは俺が仕入れた商品だ」


 大家さんが冷淡に告げ終えた直後、その青白い首筋に緑色の茨が巻き付いた。ただし軽く巻き付いている、もしくは薄皮一枚の距離があるかどうか。そんな加減の仕方だ。

 かなりやばい状況だ。いくら大和ヤマトの固有魔法が茨を操る類だとしても、暴走が終わった状態でできることなど限られているはずだ。俺が自在に操れる鱗を皮膚の表面積しか生やせないのと同じように。

 あいつの限界はどこまでだ。もしも下手すれば今すぐ赤ずきんである大神シャコに首を切断されてもおかしくない。骨が折れた痛みも忘れるほどの緊張感で、喉の奥がひりつくほど渇いて熱いくらいだ。


「殺しは駄目なんだろ?」

「わかってるっす……でも我慢できない。ナレッジ爺は曾爺ちゃんの友人で、俺の家族っす」

「……まあ、こうなるとわかったから中断を選んだんだけどな。絞殺するなら首折れよ。苦しいのは好みじゃない。苦しめるのは大好きだけどな」


 煙草を咥えたまま不敵に笑う大家さんの、なんという最低な発言か。しかし微妙に口出しできない。まるで物語の傍観者読者になった気分だ。見えない結末に心揺さぶられる。


「そこでだ。ここにいる全員に平等な権利を与えてやる。金が絡まない、ただし最高に楽しめる提案だ」


 人差し指を立てた大家さんの表情は楽しそうだ。ただし賭博で身を滅ぼす人間を楽しむような悪意に満ちていて、俺は鳥肌が全身に広がっていくのを感じ取る。

 人骨も、似非王子も、大和ヤマトを含めた俺達でさえ息を呑んで次の言葉を待つ。ただ俺でもわかるのは、きっとろくでもないことなんだろう、ということだ。




「最初に六つの錠を集めた奴に譲渡する」




 七つの錠。それは七人の魔人を意味する。そして現在判明していることと言えば、その内四つは錬金術師機関が所持しているということ。つまりは人骨のおっさんが有利。

 ただし残り三つの内、一つは多々良ララが手にしていると言っていいかもしれない。魔人は鍵となる固有魔法所有者を選ぶ。そして慈愛の魔人は嫉妬の罪として多々良ララを選んだのだから。

 となると、多々良ララが危険な目に遭う。確か今は深山カノンを病院に連れて行って手術の経過を見守っているはずだ。まさかそこでもう一騒ぎとか、人骨だと起こしそうだな。なんかこのおっさん、そういう雰囲気に満ちている。


「あらかじめ伝えておくが、鍵に選ばれた奴は所持しているとは認めない。きっちり錠、つまりは魔人を集めろ。もちろん生物としての形ではなく、依り代の状態でな」

「……依り代?」

「馬鹿な身動きもできないチビへ親切に教えてやると、白の魔女が自分の宝飾具を器にして七人を魔人へと生き返らせたんだ。悪趣味な魔法でな」


 充分、大家さんの言い方も俺へのからかいと悪意が込められていて、物凄く悪趣味だけどな。俺が動けないのは、人骨と似非王子に腕折られたからだよ、馬鹿野郎。

 野球部だってのに両腕骨折とか、家族が地方都市から駆け付ける事態じゃねぇか。その時にかかる治療費とか旅費を大家さんに請求してやろうか。しかし倍返しどころが、百倍返しされそうな気がしなくもない。

 少し身長があるからって調子に乗ってんじゃねぇぞ。その長髪の毛先を束ねて上に伸ばせば、細長い納豆束みたいなシルエットになりそうな体型のくせして。大神シャコにその髪の毛で遊ばれてしまえ。ツインテールとかにされちまえ。


「ますます不可解だ。お前に利益がない」

「そんなことないぜ?青い血がどうして社会を動かす存在か、身をもって知るがいい」

「ふん。我は構わない。最初から錠は全てこちらが握る予定だった。青い血の悪巧みなどという些事、許容してやろうではないか」


 結託してるのか、普通に仲悪いのか、それともすれ違いまくっているのか。悪い大人三人組の会話は聞いていて胃が痛くなりそうだ。いやまあ、全員普通の人間じゃない様子だが。

 これは下手するとかなりややこしい話になっていないか。例えば俺や大和ヤマトが大家さんからナレッジを取り戻そうと考えると、今まではなかった二つの組織と真っ向からぶつかる図式ができる。

 そんなこと普通の男子高校生が対処できるはずがないし、普通じゃない男子高校生でも避けられるなら避けるような内容だ。でもなんだか、変な違和感が残っている気もする。なんか大家さん、あと悪巧みを二つか三つは隠していないか。


「そして提案を成立させるには二つの条件がある。一つはもちろん俺への危害を禁ずる。言っとくが、俺が所有している人財、財産、財物、それらも含まれる。もしも手を出すってんなら、こちらにも最悪な魔女を用意する手立てはあるんだ。十三番、青の魔女、と言えば馬鹿でもわかるだろう」


 世間話をするような気軽さで言葉を煙と同時に吐き出し続ける大家さん。しかしその言葉に明らかな反応があった。人骨と似非王子が、今までにない緊張で身構えた。

 というか、魔女って一人じゃないのか。白の魔女に、青の魔女って、最近の小説でも中々使われない分類だと思うんだが、意味はあるのか。あったとしても若者にしか受けなさそうだ。主に中学二年生くらいに。

 あと数字か。確か大家さんは六番とか言われてた気がするけど、下手すると大家さんみたいなのが十三人くらいはいるってことだろうか。そうなると地獄絵図だな。


「もう一つは、このチビ。俺の金蔓だ。一人暮らし男子高校生が原因不明の両腕骨折、しかも友人は病院で死の境。こうなると保護者達に責任問題を問われるのは俺だ。治せ。面倒はお互いに嫌いだろう?」


 親指だけで雑に俺を指差した大家さん。その視線の先には似非王子。もしかして前に針山アイの折れた鼻が治っていたのは、この男の魔法だったのか。

 その前に。大家さん、俺を金蔓と呼ばなかったか。いいや、疑問形は良くない。今はっきりと俺を金蔓と呼んだ。確かに家賃を払っているけどさ、そういう扱いは流石に泣くぞ。涙は出さないけど。

 似非王子は俺に冷たい眼差しを向けてきたが、頭の奥で泡が弾けるような感覚がした。急に痛覚が消えて、指先がいつも通りに動かせる。違和感は全くない。ただしまだ茨に絡まれているから、体は動かせないけど。


「……これでいいか?」

「ああ。さて、話は聞いていたな金髪。少しでも爺を取り戻したいと言うなら、俺の部下を解放しろ。賢い爺はお前に教えてるはずだ。青い血には関わるな、と」


 茨が動く。俺と鏡テオ、そして大神シャコが自由に動けるようになった。大神シャコは小走りで大家さんの背中に隠れる。顔を俯かせた大和ヤマトの意図は掴み辛い。

 今日の異常な事態が少しずつ生温かいに風にさらわれて、静かに消えていくような空気。だけど後味の悪さはそのままだ。ナレッジは結局大家さんの手の内。下手に取り返しに行けば、二つの組織が全力で邪魔しに来るだろう。

 短くなった煙草を路上に捨てて、靴裏で踏み潰す大家さん。それを合図とするように少しずつ人の気配が蘇えり、人骨と似非王子が姿を消す準備を始めていた。


「お開きだ。王子様のキスがあればハッピーエンドを迎えられたというのに、現実は上手くいかないもんだな。そうだろう、チビ?」


 余計なお世話だよ、人外め。





 梢さんの配慮により、その場に椚さんだけを残して去る。椚さんが梢さんによって腕を痛めつけられ、大袈裟な悲鳴によって集まっていた警察や救急隊員の人がそこへ向かう。

 あとは誰かの気を惹かないようにひたすら隠れ進む。日付が変わる二時間前、それでも大騒動のせいで老若男女問わず、多くの人が事件現場に集まっていた。携帯電話のカメラ機能による動画撮影をしようと、若者が警官に注意を受けている。

 梢さんが一人先行し、携帯電話を片手に現場を歩く。それに気付いた警官が咎めに来て、俺達は動画撮影しようと現場に不法侵入した若者集団として怒られた。ただしあまりにもそういう輩が多いので、名前と簡単な住所を聞かれての厳重注意。それだけで現場の外へ。


 まあ大和ヤマトの金髪とか、俺が愛用している漢字Tシャツ、そんでもって鏡テオのメルヘン兎リュックが色々と功を奏したらしい。真面目な連中には見えなかったということだ。

 外見による甘い判断って日本人の特徴だよな、と思いつつも今はそれに感謝する。事件現場に集まった野次馬の中に紛れることで、何故だか日常の中に戻ってきたような気分。最悪な心地だ。

 大和ヤマトが誰かを探しているのか、人混みの中を首を振りながら進んでいく。俺はというと、小さな……いや少々小柄な体によって人の押し合いに流されてしまい、鏡テオともはぐれて外側へ。


 背中に軽い衝撃。人とぶつかった時と同じ感覚で、俺は慌てて振り向く。白いワンピースに、白いサンダル。そして白いつば付き帽子。海岸にこんな少女がいたら最高だが、俺はなんだかその白に見覚えがあるような気がした。

 湖と白鳥が頭の中に浮かぶが、帽子から流れる長い黒髪に目を奪われる。正直俺好みの超絶ロングストレートヘア。光沢も素晴らしいし、枝毛も見当たらない。けどほんのり香る海のような匂いは、汗の香りか。

 生まれて初めて美少女の匂いに感動したことについて、変態か、と自己嫌悪。いやいや俺は匂いフェチとかじゃないし、美少女だったらなんでもいいわけじゃないからな。むしろ美少女には気をつけよう、と最近学んだはずだろ。


 だけど見れば見るほどぶつかった少女は美しかった。謝罪の言葉も忘れて見惚れてしまう。目元に影を落とす睫毛の長さ、黒い真珠みたいな瞳。白い肌の上に桜貝みたいな愛らしい色の小さな唇。

 そしてなにより、俺より身長低い。なんだか前に夢見たような白ずくめの美少女と同じくらいの身長。あ、そうだ。夢で見た少女と顔がそっくりだ。よく覚えてなかった夢だが、今は少しだけ鮮明になる。

 しかし名前を聞く前に、というか謝る前に。恥ずかしそうに帽子のつばで顔を隠した美少女は背中を向けて去ってしまう。普段接している少女達と比べると、なんだか奥ゆかしさを感じてしまう。そうだよ、女の子ってそれくらいでいいんだよ。なんで俺の周囲は殺意が高かったり、イケメンだったりするんだ。理不尽さを感じる。


 そんな風に考え込んでいた俺の耳には届かない距離で、黒髪の美少女は声を出しながら吐息を出す。


「はあ……」


 それはいわゆる溜息で、もしも俺の耳に届いていたならば、きっと俺は真実に気づいて両膝から崩れ落ちて涙しただろう。それだけの大ヒントだったが、俺の耳は無能であった。

 美少女との不意な出会いに浮かれていた俺のポケットから着信音。あれだけの騒ぎの中で無事だったか、携帯電話よ。もしかして壊れてたけど、あの似非王子が魔法で直していたのか。

 なんにせよ着信相手の名前を見て、慌てて通話ボタンを押す。そういえばすっかり忘れていたが、深山カノンが手術している。そして多々良ララ達の怪我の有無も確認しなくてはいけない。なにせ治療費は大家さんに請求してもいいかな、と今ではそう考えているからだ。


『サイタ。今、大丈夫?』

「ああ!まあ……なんとか?それで深山は!?」

『一応手術終わって、一命は取り留めたけど絶対安静だって。枢がお医者さんに変な誤解受けてる。絞められたのか、それともなんかそういったプレイでもしたのですかーって』

「……枢には明日はなにが食べたいか聞いておいてくれ。俺はとりあえずヤマトを自宅に送って、電車もない時間だし……えー」


 これからのことを考えて唸る。日付も変わる前だからな。下手すると移動手段はタクシーになる。都会のタクシー料金を舐めてはいけないし、学生はもう少し公的機関でお安く行動した方がいいかなとも思う。

 だけど深山カノンの容態や、枢クルリや多々良ララ達も気になるし、けど一番は大和ヤマトの無事を大和家に伝えなくてはいけない。そのためには東京の下町に向かわなくては。

 そんでもって確か三浦リンも大和ヤマトを迎えに近くまで来ているとかなんとか。女子高生をこんな深夜まで放置しておいたことも謝る必要があるだろう。やること為すこと多すぎるんだよ、畜生。


「話は一部聞こえました!!不肖この梢、坊ちゃんの恩人のためならば一服でも二服でも下着でも脱いでみましょう!!ただしお触りは厳禁で!!」

「ぐっ、露出狂の痴女が……服は脱がなくていい!!運転とか、そういった類でお願いします!!」

「かしこまりました!では私用タクシーを呼びますので、しばしお待ちを!!」


 通話中の人間の背後から声をかけるのはどうかと思ったが、梢さんは一応仕事できる人だった。そうだよな、貿易会社の社長が雇っている個人秘書、で良かったはず。自信はないが。

 そしていつの間にか多々良ララとの通話が切れていた。もしかしてさっきの梢さんの言葉聞かれていたか。もし誤解していたら、俺はそれを解くのにどれくらいの時間が必要なのか。頭が痛い問題ばかりだ。

 気付けば人を探すのを諦めた大和ヤマトと、梢さんに俺の傍にいろと指示されたであろう鏡テオが横に立っていた。身長の高い二人に囲まれて、俺はなんとなく居心地悪い。


「お待たせしました!!ではまず大和様の御友人を拾い、そのまま大和家へ!後に病院というコースでよろしいですね?」

「あ、はい。お願いします」

「では……樫!」


 携帯電話を片手に最終確認をした梢さんは、通話口に向かって大声を上げた。そして黒塗りの高級車が音もなく近くの路上に現れた。私用タクシーって、会社関係の車かよ。

 映画でしか見たことがないような外観だが、東京の街に溶け込んでいる。こちらを振り向いて物珍しさに携帯電話のカメラを向ける者もいるが、そういうのはプライバシーに関わると思うぞ。

 なんにせよ電動で開いた車の扉で体を隠しながら車内に入る。俺、車の中にテーブルとか冷蔵庫があるの初めて見た。クッションも味わったことがないようなふわふわ加減。そのまま踏み入ろうとした俺の耳に無愛想な声。


「土足厳禁です」


 運転席から顔を覗かせた中性的な顔立ちの運転手。顔の片側を隠すように前髪を伸ばしていて、赤茶の髪と緑色の眼の雰囲気も相まって神秘的というか、漫画の登場人物のようだ。

 とりあえず靴を脱いで、梢さんが差し出してきたスリッパを履く。そうだよな、掃除するの大変だもんな。これだけの高級車を扱うとなると、俺でも神経質になるわ。というか今も緊張している。

 あまりにも高級な場に不釣り合いな自分がいるって、凄いストレスなのだと初めて気づく。ただし鏡テオは慣れたもので、クッションの弾みで遊んでいる。それを嬉しそうに写真を撮る梢さんと、運転手の樫さん──ってアンタも痴女と同類か。


 大和ヤマトは緑色の通帳が入っている通学鞄を枕のように抱きしめて、そのまま寝てしまった。固有魔法の暴走、家族を買わなくてはいけないかもしれない事態、色々と限界だったんだろう。

 寝顔は年相応の子供というか、俺より年下なんだなと改めて思い知らされる。仕方ないので三浦リンがいるであろう場所に辿り着いた時は、俺が車内から出て迎えに行くことに。三浦リンも俺で同じで、高級車を見て目を丸くしていた。

 そして俺と同じように体を縮こまらせて、緊張して動けなくなった。なんだろう、三浦リンのこういう普通なところに癒される。大和ヤマト、お前は良い幼馴染を持ったな。大切にしてやれよ。


 東京の下町は騒ぎから離れていたおかげか、周囲の家から灯りは消えて静かなものだった。それでも人の帰りを待つように、それでいて近所迷惑にならないように光量を抑えた電気の光で室内を照らす日本家屋。

 梢さんが事情説明のために残ってくれるらしく、寝ている大和ヤマトを荷物込みで背負いながら三浦リンと共に下車。梢さん、何気なくゴリラパワーというか、万能さを見せつけたな。なんにせよありがたい。大人の対応とか俺は苦手だからな。

 そして樫さんが少しでも眠気が吹き飛ぶように、それでいて心安らぐように車内に軽快な音楽を流してくれた。外国語の歌だったが、リズムだけで良い曲だとわかる。


 ちなみに鏡テオは車内の冷蔵庫から水のペットボトルを取り出していた。バーコードラベルがない、しかしどう見ても高級そうなシールが貼られたそれを差し出された。

 恐る恐る口にする。こんな美味い水は飲んだことがない、という感動。今までは水道水で充分だと思っていたが、こんなに美味しいのを飲むと心揺らぐな。というか飲みやすい。口当たりも甘くて、本当に水なのか。

 気付いたら病院の駐車場に辿り着いていた。樫さんは手続きは済ませてあると告げ、扉を開ける。鏡テオが明るくお礼を言えば、ささやかに微笑んだ。男性か女性か、どちらにしても優しい笑みだった。


 運転手だから車に残るらしい。とりあえず俺と鏡テオは病院内に入る。すると看護師さんが名前を確認して来て、鏡テオの名前を聞いて病室へと案内してくれると言う。

 案内された先は個室。俺も入院した覚えあるけど、個室っていいよな。だけどその扉の横で多々良ララが椅子の上で寝ており、枢クルリは背を丸めながら床に座って寝ていた。

 枢クルリからはほのかに漂う薬の臭い。血は滲んでいないが、腕や首に包帯を巻かれている。多分茨で絞めつけられた鬱血跡を隠すためなのかもな。看護師さんは一礼して去っていく。


「ああ、やっと来たか」


 抑えすぎて聞き取り辛い小声の方へ振り向く。ライダースーツを着ていて、それでいて舞踏会で使うような仮面をつけた男。月明かりを背に、自ら用意したであろう椅子に座っていた。

 黒く長い髪に赤い瞳。鼻筋は通っていて、雰囲気だけで女を酔わせられるような美形。だけどライダースーツの胸元の下は素肌なので、もしかしてライダースーツの下は全裸かもしれない。

 つまり119救急ではなく、110警察の出番だということだ。しかし状況が一変した今、俺がやるべきことは問いかけることだ。俺達にとって、こいつは大事な要素だ。


「……魔人だろ?」

「そうだ。我が名は慈愛の魔人ナルキズム。五百年の時に飽きた者だ」


 あっけらかんと出てきた答え。俺は少しずつナルキズムに近付く。だけどナルキズムは片手を伸ばし、俺に手の平を見せてきた。要するに、止まれ、ということだ。

 四角いクッションが乗った三脚椅子。そこで悠々に座っているナルキズムは笑っている。ただし嫌な笑みではない。どこか安堵したような、物事の終わりを感じ取った表情だ。


「フェデルタから全ては聞いた。我の予想とも合致した。まるで頁をめくる指先のように、事態は進んだ。青い血の提案は、まさに快挙と言うべきだろう」

「ナレッジを商品にしたことが?俺は納得してねぇからな」

「いいや。二つの組織、その頭、あの二人を動かしたことだ。奴らは良く言えば時を待っていた、悪く言えば停滞していた。フェデルタなどはそれを望んでいたようだが、我が心は違った」


 脚を組み、その太腿上に右肘を置く。そして右手で頬を支えたナルキズム。一挙一動が絵になる。ライダースーツの下が全裸かもしれないという疑惑を、今は捨てておきたいくらいだ。


「だからと言って骸骨親父殿に捕まりたくはないがな。気侭に婦警に追われる方が、刺激的かつ素晴らしいとは思わないか?だが運命は残酷だ。効率が良い話は、骸骨親父殿に捕まるしかない、ということだ」

「俺達の手元に残るじゃ駄目なのか?」

「ああ。青い血の提案は選択肢があるようで、ない。魔人は全て錬金術師機関に集めろと言うことだ。なにせすでに四人はあそこにいる。それを誰かが奪い返した、盗んだ、そんなことになれば泥仕合だからな。まあ今でも泥より悪い重油のような悪辣さは残っている」


 自分で言ってて相当可笑しかったのか、肩を震わせて笑い声を抑えている。まあ深夜の病院だしな。大声を出されて看護師さんに怒られるのも嫌だ。それに俺でもわかることだった。

 鍵や錠を集めても、扉がなくては意味がない。最終的にカーディナルが保持している扉へ集まるしかない。だからカーディナルは錠を集めない。それが閉じる目的なのか、その全く逆なのかは置いておく。

 で、俺達には集める力はないし、元より錬金術師には関わりたくないという気持ちがある。まず巻き込まれたくない。無関心、無関係が一番だ。その段階もそろそろ終わりなのが切ないところだけどな。


「だがナレッジは鍵を決めないまま依り代に戻ってしまったならば、錬金術師機関は今度は鍵候補も集めるだろう。だがそこは心配いらない」

「なんでだよ?アンタが多々良ララを鍵にしたせいで、俺達はこれからもその問題で頭を悩ませなきゃいけないというのに」

「だからだ。お前達がまさに鍵なのだ。奴らが好みそうな者達が都合よく集まっている。それに……あと二人だ」


 嫌な予感。


「もう色欲と憤怒のみ。言っただろう?青い血の提案は快挙だ。例え他にどんな候補がいたとしても、お前達は望みを叶えるためには無関係を選ぶことはできない。家族を取り戻してあげたいと、傲慢で強欲な願いができてしまったのだから」


 俺と鏡テオの顔を見て自信満々に告げるナルキズムに、反論することはない。なんせ鏡テオは十億出そうとしたし、俺もかなり無茶をやった。今さら無関係ですとか白を切ることはできない。

 そして不本意なことに、多々良ララとかフェデルタとか、なにより大和ヤマトとの出会いとかを考えると、確かに俺達が一番候補に近いのかもしれない。気付かない内に厄介なとこまで来てしまった。

 だけど鍵に選ばれたならば、そのままナレッジを取り戻すことができるかもしれない。扉さえ開いてしまえば錬金術師機関も錠も鍵も必要ではなくなるからだ。つまり役目を果たすことで、やっと全てが叶う。


「それに縁はもう繋がっている。残り二人もいずれは巡り会うことになるはずだ。否が応でも、怠惰に過ごしたくとも、な」


 そして視線が眠っている……いやもう寝たふりだな、あれは。黙り続けている枢クルリを見ていた。え、もしかして色欲か憤怒の関係者って、枢クルリ方面なのか。意外だな。

 でもあいつに知り合いはいるのだろうか。もしかしてネトゲ関係か。デュフフ丸だけは勘弁してくれよ。でもあいつは確か固有魔法所有者ぽくないから、外れのはずだ。

 あとついでに。そろそろ多々良ララ以外の女性候補が出てきてほしい。でも色欲担当が女性というのもありきたりか。だが色欲担当が男というのもなんか嫌だな。難しいところである。


「では我が愛車と共にこの場を去ろうではないか。日付が変わり、鐘の音が終わる頃には忽然と消えている。まさに相応しい退場だろう?」


 アンタがシンデレラ役かよ、と突っ込みたい気持ちがあったが、近くにあった壁掛け時計から不自然に音が鳴った。それは目が覚めるには充分な音量で、多々良ララが目元を擦りながら寝ぼけた状態で起き上がる。

 思わず視線を時計に向かせてしまった俺は、音が鳴り終わる頃に思い出したように振り向く。三脚椅子も、クッションも、全てナルキズムと一緒に消えていた。同時に遠くから鳴り響くバイクの排気音。

 しかし他の病室から出てくる人はなく、さらに看護師さんが慌ててやってくる様子もない。俺が聞いたのは本当に時計の音なのか、それともナルキズムの魔法なのか。なんにせよ魔法の無駄遣いな気がしなくもない。


「…………サイタ、サイテー」

「語感良く罵倒するな。というかやっぱり誤解してやがったな」


 寝ぼけまなこのまま不機嫌そうに言葉を吐きだしてきた多々良ララに対し、小声で説教を始める。大体、俺は梢さんの巨乳や美女な外見やその他諸々は認めるとしても、あの痴女な性格で全て台無しになっているのは本当に残念だと思っているからな。

 鏡テオは眠いのか枢クルリと同じように床に座り、かと思えば横になって寝始めた。メルヘン兎リュックを抱きしめて眠る姿は姫というより、お気に入りの玩具を前脚で挟む大型犬だった。

 そんな二人の対処に追われ、梢さんが迎えに来るまで俺は一睡することもできないまま短針が一を示すまで頭を動かしていた。それを言い訳にするわけじゃないけど、だからまあ気付かなかったんだよな。


 枢クルリが背を丸めながら隠していた赤い薬品に。ついでに大和家で深夜の家族会議が行われていて、そこで出された結論が俺の生活に影響することもな。

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