8話「醜いオークションに水を差して」

 空を見上げるのは、水面を見上げるのと同じだと気付いたのは死の間際。網目のような水の輝きと太陽の日差しがまるで階段のように射し込むのに、体は冷たい水に溶けて動けなくなるだけ。

 今も空の下でビル群を見上げて、固いコンクリートの地面を踏んでいく。星がうっとおしいほど暑い湿気に負けじと輝こうとも、人間達が作り上げた明りのせいで闇しか見せないような日。

 背中の重みは誰かにとって大切な命で、誰かにとってはどうでもいい命だ。人間は命に価値を付けられないと言うが、ペット屋の前を通り過ぎた時の値札は視界に入らないのだろうか。


 誰もが驚いた顔で、こちらを振り向く。しかしすぐに興味を失って警察の誘導や、緊急出動した自衛隊の姿を携帯電話のカメラ機能で撮影している。悲鳴よりも好奇心が勝る平和な世界だ。

 汗の臭い、排気音、薄暗い路地裏を照らす派手なネオン看板。この都市は嫌と言うほど人の五感を刺激するのが好きらしい。それでも背中で眠り続ける子供の瞼は重く閉じたまま。

 溜息をつきながら指示された場所に辿り着けば、携帯電話を両手で固定して祈っている少女が一人。指先が白くなるほど強く握りしめているが、そんなことをしても神様は助けてくれないだろう。


 人の波の中でも目立つ金髪に気付いた少女が、こちらに視線を向けてくる。その時の安堵したような、どこか悲しそうな不器用な顔が胸に刺さる。顔を俯かせて視線を逸らした。

 駆け寄ってきた少女の手が頬に触れた瞬間に少年は目を覚ます。まるで童話のように。頭が痛むのか、片手で額を押さえている。状況が把握できないのか、黒い目を瞼が何度も隠す。

 背中から降りた少年に少女は質問を矢継ぎ早に繰り返している。体は大丈夫なのか、痛いところはないか、一体なにがあったのか、皆心配しているけど手荷物は何処に、最後に出てきた問いは少年の意識を覚醒するには充分な威力があっただろう。


「ナレッジさんは?」


 少年を助けに向かった魔人の姿は周囲にはない。それに気付いた少年はこちらへ視線を向けた。仕方がないので、残された小さな品物を目の前に差し出す。

 綺麗な錦の巾着袋。その中に入っている物を知っている。とても嬉しそうに、同時に泣きそうな声で教えてくれたからだ。それは十年くらい前の話だっただろうか。

 思い出を詰め込んだ胃袋。そう称しても問題ない。今にもはち切れそうで、そのくせまだ詰め込もうと何度も口を開く。満たされているのに、足りないと欲張っている。


 強欲とは少し違う。胃袋が消化できるのは食べ物といったエネルギーに変換できる物だけだ。強欲は無差別だが、暴食は自ら選んで詰め込む。

 しかし食べられると判断したならば、暴食には限りがない。いつまでも、何度でも、どこまでも。だから知識は必要なのだ。なにが食べられるか、なにが食べられないか。

 そして限界を知ることで、節制を施す。我慢を覚えさせ、忍耐を教える。知ることこそが胃袋を鎮める確かな方法だ。それなのにどうやらあの魔人は、知っていながら何度も詰め込んだらしい。


 少年が口を開いた巾着袋の中ら折りたたまれた写真と、真新しい向日葵の種が涙のように手の平の上へ。写真は古いのだと七十年くらい前のから、目の前の少年が高校入学の式典に出た数か月前のまで。

 白黒からセピア色、そして色彩豊かなカラー写真へと変化していくのは時代を駆けてきた証だろうか。よくもまあ詰め込んだ物だと、感心してしまう。頭では減らした方がいいと知っていながらも、手を止められなかったようだ。

 知識の魔人も、大罪には勝てなかったかと小さく溜息をつく。幸せの味は彼にとってどんな美酒よりも魅力的で、離しがたい物だった。それだけの話。


 しかし知識の魔人は契約を破り、その流れのまま二つの組織のどちらかに辿り着く。同時にこれは罠だった。残りの魔人を誘き寄せるのと、警告代わり。

 もう動き出した。止められない。五百年越しの悲願を達成する時が来たのだと。観念しろということだ。笑わせる。一体誰のせいで、こんな目に遭っていると思っているのか。

 水底に沈めたのは誰だった。姉妹を狂わせたのは誰だった。七人の関係者が死んだのは誰のためだったか。まるで全部を忘れたかのように、二人の男は彼女を求め続ける。無関係な者全てを巻き込んで。


 目の前にいる少年もそうだ。父親を守るために我が身を呈した少女もそうだ。引きこもりも、未成熟な青年も、美形顔の少女も、どこかのお節介焼きも全て。


 そしてとうとう青い血まで巻き込んで、御苦労なことだ。しかも六番。最悪な数字だ。一番と十三番の次くらいには厄介な血脈番号。十番だって宗教が絡むが、六番はそれ以上だ。

 できることは一つ。火急速やかにこの場から去る。逃げ続けなくてはいけない。運命に出会わないように、扉を開かないように。錠としての役目を全うすることこそ、死後に与えられた使命。

 最後に彼女の望みを叶えるための忠義。それを遂行するために少年と少女に背中を向けた瞬間、腕を掴まれた。どうにもこうにも、あの傲慢野郎は俺にとって疫病神らしい。


「あの……ナレッジ爺とサイタの兄貴の居場所、知ってるっすよね?連れて行ってください。お願いします」


 誠実に頭を下げてきた少年に対し、深々と溜息をつく。これは無視することができない。俺もあの人には恩がある。このままでは納得できないのも頷ける。

 頭によぎる暑苦しい傲慢野郎になにかしらの病原菌でも感染されたのか、同じ思考になりつつあるようで溜息が止まらない。ここまで来たら見捨てることはできないような、面倒な心地。

 これは最善の方法じゃない。最悪に近い手段。しかし残念ながら、俺には少年を説得できるような学はない。大きく溜息をついて、策はあるのかと尋ねれば曖昧に頷かれた。


 相手が金の亡者と呼ぶに相応しい人外ということを説明すれば、少し困ったような表情を浮かべつつも今度は力強く頷いてきた。嫌な予感しかしない。

 とりあえず少女にはもう一度待機を頼みこめば、渋々と了承してくれた。夜遅くに少女を一人にするのは気が引けるが、俺は分裂することはできないので仕方ない。

 念のため魔法で姿を変えて、少年の服を掴んで素早くビル群を越えていく。手荷物が必要らしいので、茨で押し流されたであろうそれも探さなくては。


「そういえば名前はなんて言うんすか?」

「フェデルタ……忠義の魔人だ」


 はあ。空中疾走のような状況の中でどうして名乗らなければいけないのか。これも全部あの傲慢野郎が下手に関わったせいだ、そういうことにしとこう。




 瓦礫の上で胡坐をかく。現代日本の東京にそぐわない単語だが、十分くらい前まで女子中学生と戦っていたのだから仕方ない。しかも都市伝説の赤ずきん。

 そんな女子中学生である大神おおかみシャコはスカートの裾を持ち上げて太腿を隠しつつの体育座り。膝を揃えて座るのは片足の負担がかかるとは聞いたことあるけど、下着が気になるなら別の座り方をすればいいと思わないか。

 火傷、擦り傷、切り傷、さらには臍に刃先が食い込んだ痕。爆風と転がった衝撃、それ以前の茨大量発生による被害を合わせると満身創痍な俺、雑賀さいがサイタにできることは限られている。


 大人しく事を見守るしかない。言っとくけど、俺は普通の男子高校生だからな。野球部所属だからって、漫画やアニメみたいな必殺技なんてない。驚きの身体能力なんて夢のまた夢。

 俺にあるのは二人に一人は当てはまるありふれた話、固有魔法所有者という点だけだ。しかも体に鱗を生やして、それを操るくらいだ。殺傷力がある魔法でも困るから、別に不満ではないんだけどな。

 不満があるとすれば目の前で煙草の煙を思う存分吸っている大家さんだ。前々から危なそうな人だとは思っていたが、俺が考える以上に異常な人……というか人外だったらしい。いや、納得はしてねぇけど。


 ただくぬぎさんが、青い血、という単語を聞いただけで息を詰まらせた。俺としてはかなり昔のアニメに出てくる敵役の特徴みたいだと思ったんだが、それ以上の意味でもあるのだろうか。

 代わりにこずえさんがかがみテオを守ろうと意気込んでおり、鼻息が荒い。というか鏡テオから茨に絡まれた話を妙に根掘り葉掘り聞いているんだが、俺はそれを無視した方がいい奴だよな。そうであってくれ。

 挙句の果てに一眼レフを持って茨の群生に飛び込めばよかったと言い始めた痴女は放置しておこう。美人OLみたいな外見なのに、本当に残念な美女だ。外見は俺の好みに部分合致するんだが、残念だ。


 で、なんで俺が大人しく瓦礫の上に座っているかの話に戻ろうか。簡単なことで、何故か金の輪っかになった知識の魔人であるナレッジが、大家さんの手の中にあるという点だ。

 そしてこれから重要人物というか、元凶がここに集まるという。内容はオークションと言っていたが、本当にそれで素直に終わるかは疑わしい。なんせ俺は二つの組織のせいで死にかけているし、色々と巻き込まれた。

 いい加減慰謝料を請求してもいいはずだよな。精神的苦痛によるなにかしらの賠償金とか。もしくは今から競売にかけられる魔人の受け渡しとかさ。これは根本が間違っていると俺は考えている内容だ。


 ナレッジは大和だいわヤマトという男の家族だ。


 盆栽が好きらしい老人みたいな青年で、なんか幸せそうに諦めた。俺の目の前でハッピーエンドは無理だと観念した。それは──俺にとって認めたくない光景だった。

 ただ胸を張って宣言すればよかったんだ。自分は大和ヤマトの家族だって、売り買いするような物じゃないって。だというのに、今日の夜は色んな物が狂っていやがる。

 同級生は死にかけるし、中学生の後輩は都市伝説の殺人鬼だし、大家さんは青い血らしい。東京のど真ん中で固有魔法が大暴れして、一区画閉鎖状態。こんなのは異常だ。けど俺には常識へ戻す力はない。


「なんでこんなことになってるんだか」


 思わず呟く。今日の夕食内容も忘れそうなくらいに、色んなことが短時間に詰められていたような気がする。そして終わらない気配が静かに忍び寄ってくる。

 七つの鍵、七つの錠。そして一つの扉。開きたいのが錬金術師機関、閉じたままにしておきたいのがカーディナル。俺はそう思っていたんだ。そういう構図だと考えていたんだ。

 じゃあなんで関係ない物がどんどん巻き込まれて、嫌な感覚が渦巻いているんだろう。血塗れのコンクリート、目の前で笑顔で諦める魔人、崩壊したビルの壁。無関係でいたかった。無関心のまま悪態をつきたい。


 二つの足音が聞こえる。静かに顔を上げて、目の前の人物に視線を注ぐ。一人はまるで童話の中の王子様のようだ。金髪碧眼で、白馬に乗っていれば完璧だったろうな。胡散臭さも含めて。

 もう一人は人間なんだが、人間ではない。骸骨だ。人骨でもいい。とりあえず大人一人分の骨が服を纏って歩いている。古めかしい貴族服の胸元は不自然に穴が空いており、心臓があるべき部分には不気味に脈動する赤い石。

 見覚えのある赤だ。テレビでも見たし、林檎の中にも入っていたこともある。鮮やかに、それでいて輝く。だというのに寒気しか覚えないような色合いだ。


 大家さんが煙草を地面に落として、靴底で火を消した。なんて適当な。確か条例ではポイ捨ては違反行為なはずなんだが、いつもの不自然な人払いの気配を感じる。

 まあ考えれば、いつまでも警察が来ないのはおかしいと思っていたんだよ。俺が呑気に瓦礫の上に胡坐かいていることだって、さっきまでの茨の群生が暴れ回っていたことから辿ると怪しさ満点なんだし。

 梢さんと椚さんが鏡テオを守るように移動する。大神シャコは大家さんの背中に移動している。人見知りだったな、そういえば。俺はというと、もう動く気にもなれない。なんの解決策も、無茶すらも思いつかないくらい疲れた。


「ようこそ、カーディナル総括ジークフリート殿。そして錬金術師機関総顧問フォン・ロートバルト殿」


 初めて聞く名前だ。だけどわかる。この二人がボスってことくらいは。ラスボスだとありがたいんだが、大ボスとか最悪中ボスだったらどうしよう。

 名前からして日本人じゃなかったのは、もう外見からして日本人の範疇を越えているのでツッコミはしないでおこう。なんで拠点が日本なのかという点に関しては、おそらくナレッジだろうな。

 戦後あたりから日本に定住していたみたいだし。どこにいるかわからない魔人を追いかけるよりは、居場所がわかっているだろう魔人が滞在する国で見張っていた方が合理的だったんだろう。


「青い血よ、一つ訂正しろ」


 人骨、確かロートバル……ロー……ロートせいや……長い名前の方が、喉も発声器官もないのに渋い声を出してきた。白い歯が鳴子みたいな音を出しているのも気にならない。

 それにしてもアンタも大家さんを青い血と呼ぶのかよ。そういえば大家さんの本名はなんだったか。確か賃貸契約の時とか、マンションの貼り紙とかに書かれていたような覚えもあるようなないような。


「我が名前を先に呼べ」


 みみっちいな、おい。と思わず叫びそうになった。え、なに。列を譲らない若者に怒る老害的な奴なのか。儒教的なアレを持ち出して説教するタイプか。

 なんにせよ威厳のある声も台無しになる狭心な性格に、これがラスボスは嫌だなと、どこかの猫耳ゲーマーと思考同調しそうな感想しかない。昔の高笑いする魔王的な懐の深さが欲しい。


「相変わらずですね、義父上ちちうえ

「今の貴様にそう呼ばれる筋合いはない」


 帰りたい。これどう考えても内輪揉めの図しか浮かばない。こんな奴らに俺は死にかけたり、鏡テオも死にかけたり、他にも何人か死にかけたり、というか実際死人が出ているのか。

 なんだろうな、このがっかり感。あれか。なんだかんだで二つの謎の組織という単語に、俺は密かに憧れていたのかもしれない。絶対にかっこいい理由があるんだと、なんか子供のような純真な部分があったんだな。

 ほら、大人気の探偵漫画とかでも謎の組織に関わってる奴らってなんだかんだでイケメンとか美形を通り越した、なんとも言えない魅力があるだろ。そんな物を俺は目の前の似非王子えせおうじ風青年と骸骨に求めていたんだろう。


「……それで約束の品は?」


 確かジークフリートだったか。こっちの方が名前をすんなり憶えられたのは、ありがたきゲームの影響だろう。確か伝説の竜殺し英雄の名前だったか。

 ただし俺からすると、ジークフリードなのかという最後の濁音が付くか付かないかで迷うことが多い。作品によって表記揺れがあるのは、やはり外国産だからか。

 そんなことを考えつつも、俺の額に青筋が一つ浮く。しかし運が良かったな似非王子。今の俺は疲弊しきっていて、ここで茶々入れる余裕はないってことだ。大人しく成り行き見ててやろうじゃねぇか。


「知識の魔人、御望み通りにな。まあ、色々弊害は出たが……錬金術師機関に言え」

「それならばカーディナルも違反ぎりぎりだったと告げよう。無垢な少女を使って依頼するとは……流石はその顔で我が娘達を騙した男だ」

「暴力で解決するように部下に頼んだ貴方の剛胆さに比べたら可愛い物ですよ。それに外見は人の真価を測るものではありませんから。貴方の娘達のように」


 聞いている方が胃が締め付けられるような嫌味合戦。大家さんなんか興味なさそうな、というか死んだ魚の目で聞き流している。大神シャコは頬を膨らまして、無言で人骨を指差している。


「こちらで賢者の石使って暴走させると事前に言っていたはずなんですがね……あとでこの馬鹿が怪我した分を入院費として闇医者価格で請求しますから」

「シャコは馬鹿じゃないもん!!それにシャコの魔法は怪我しなっ、あいだぁっ!!??」

「たん瘤があるじゃねぇか。こういう細かい所に気を配るのが経営者って言うんだよ」

「シャコでもわかる!それ違う!!」


 さっきまでの殺し合いの気配など微塵も感じさせない口喧嘩、若干大家さんの拳が動いたりはした、がとても平和に見える。俺、さっきあの二人に殺されかけたはずなんだがなぁ。

 そんなやりとりを今度は人骨と似非王子が黙って見ている。一応主導権は大家さんが握っているからな。もしもあの人が気まぐれでも起こして姿を消したりしたら、それこそ大変だろう。

 俺としても大家さんの商戦を見逃すわけにはいかない。滅茶苦茶腹立たしいが、ナレッジの行方が掴めなくなるのは困る。できればここで取り戻せるのが最善なんだが、いい方法なんて最初から思いつかない。


「むー、先輩聞いてよ!!シャコがあの金髪くんに賢者の石を使おうとした寸前!カーディナルの猫かぶり女が注射器片手に迫ってたんだよ!仕方ないから様子見ることにしたの!!」

「そこで俺に話題振るのかよ……ん?お前が使ったんじゃなくて?」


 確かナレッジの予測だと赤ずきんが使っていたはずではなかったか。なんとなく嫌な予感がしてきたな。いやもう、良い予感なんて最近はめっきり減っているような気もするが。


「使おうとしたんだよ!?で、様子見してたら金髪くんが腕を伸ばして注射打つ気満々でさ!あんな痛いの自らするなんてドエムっていう奴なんだね、と思った矢先!!」

「注射くらいで人をドM扱いするなと怒りたいとこだが、さっさと続きを頼む」

「金髪くんの背後から冴えないサラリーマンがガツンと石で頭を殴って、倒れたところで致死量の賢者の石を粉末にしたのをばっふーん!!って!!シャコも猫かぶり女も暴走するところで危なかったんだから!!」

「……致死量って、おい……」


 思わず人骨と似非王子の方に視線を向ける。似非王子がさり気なく人差し指で人骨を指し示し、人骨は器用に首の骨を動かして視線を逸らしてた。というか、百八十度回るっけ、首。真後ろ向いているんだが。

 まあ、骨だしな。長年その姿でいれば関節の動かし方とかも変わるのかもな。とかで納得しねぇからな、俺は!!人間万国びっくりショーと見世物小屋を奇妙に融合したような外見と動きをしやがって、あの人骨。

 つまり錬金術師機関の違反ってそういうことかよ。というか、大和ヤマトはよく無事でいられたな。あとなんだろう、猫かぶり女という単語を聞くたびに頭の中で妙にちらつく面影が一つ。気のせいか。


「そしたら茨がうにょろんと暴れ出しちゃって!!冴えないサラリーマンを庇うようにゴスロリがお腹刺されちゃうし、色々あったんだよ!ま、シャコはおつかい優先だから放置したけど!!」

「……裏事情が今全てわかった。というわけで、お前は大家さんの背後に戻れ。話進まなくて、凄い勢いで睨んでいるぞ」


 疲れが隠せない俺にはツッコミを入れる気力もない。片手で軽く大神シャコの背中を押す。渋々戻った大神シャコはまたもや軽く拳骨されていた。あれも闇医者価格で請求されるのだろうか。

 あと大神シャコの擬音付きの解説の酷さよ。あいつ、あれで本当に高校進学とか大丈夫か。というか都市伝説のまま女子高校生になる気なのか。それはそれでラノベっぽいけどな。俺はそういうのあまり興味そそられないけど。

 個人的には一昔前のこれぞファンタジーという戦記物とか好きなんだよな。もしくは冒険物。というか、最近の女の子が可愛ければ無問題、という風潮に馴染めないというのもあるんだが。実際に殺されかけてわかった。針山アイも大神シャコも外見はいいが、中身はやばい。


「ま、問答は金の前ではどうでもいいな。そんじゃあ一億スタート。はりきって醜く争ってくれ」

「二億」

「三億」


 大家さんの挑発などに乗らず、冷淡に値段を吊り上げていく人骨と似非王子。四億超えたあたりで千万単位で睨み合いを始めたので、そこら辺が限界なのかと俺はまたもや額に青筋一つ浮かべる。

 だから、どうして、お前達はナレッジは金で売り買いするものじゃないという当たり前の常識を忘れてるんだよ。大家さんなんか金額吊り上がっていくのと比例するように、口の端を上げている。金の亡者か。

 嫌な夜だ。気持ち悪いほどの熱気と暑さ、そして常識の崩壊。こんな場所に長く居たくない。けど俺には介入する手段はない。そう思っていた矢先に、柔らかい透明な声が一つ。


「十億」


 人骨と似非王子の声が消えた。俺も思わず声がした方を見れば、いつもの白い肌のまま柔らかい笑顔を浮かべている鏡テオ。その背後では梢さんと椚さんが携帯電話で商談らしき会話を誰かと繰り広げている。

 そういえば、こいつもこいつで常識がないんだった。だけどそんなに金があるとは聞いていない。いや確かに貿易会社の息子だとは聞いていたが、その資産は自由に扱えないだろうし、個人で好きに扱える金額でもないはずだ。


「お母さん?の死後に出てきた保険の遺産と、遺産相続で僕に引き継がれる分だった宝石の売却金額……それと僕のCD売り上げと事務所契約金を合わせればもう少し引き上げられるけど」

「おまっ!?母親からの大事な遺産をこんなことに使っていいのかよ!?もう少し大事な時に……」

「友達の家族を取り戻すためなら、許してくれるんじゃないかな?まあ、事務所契約しちゃうと今までの自由はないけど、損失も取り返せるはずだって椚が言ってたもん」


 いつも通りの軽い調子でとんでもないことを言っている。常識がないから、こいつにとってお金はあまり意味がないのだろう。強欲らしいというか、なんというか。欲しい物のためならば、あらゆる物を投げうつらしい。

 鏡テオの背後では椚さんと梢さんが携帯電話越しに非常に重々しい声が響いているんだが、それはもしかして鏡テオの父親が非常に苦しい思いをしているんじゃないか。それは無視しちゃ駄目だろ。

 もしくは鏡テオには双子の弟と、もう一人兄もいるんだったかな。そこら辺にも相談しているのかもしれない。なにせ大事な母親の遺産を知り合って数日の友達に億単位で消費しようとしている異常事態だ。


「……俺は金さえ払うなら誰でもいい。さあ、どうする御二方?」

「ぐっ、ま、待て!!今すぐは無理だが十五億……いや、二十億用意してみせる!!」

「部下の保険金で……か。いいじゃねぇか、悪の親玉らしい最低な選択。大歓迎だ」


 低い笑い声を零す大家さんの言葉に、三回目の青筋が浮かぶ。そろそろいい加減にしてほしいんだがな、俺としては。これ以上怒る余裕はないって言ってんだろ。


「……私は五億で打ち切りだ。どうせ扉はこちらの手にある。魔人如きにそれ以上の金は払えん」

「潔い判断だな。そういうのも嫌いじゃないぜ。金を払わないのはいけ好かないがな」


 四回目の青筋。本当に、本気で、こいつら馬鹿なんじゃないのかと怒鳴りたい。つまりあれか。ナレッジはどこかの扉よりも価値が低いってことだよな。


「こんな金の輪っかに十億か……安いものだな」


 五回目。もう無理だ。




「ふざけてんじゃねぇぞ、馬鹿野郎!!!!」




 体中から青い鱗を生やし、それを一気に拡散する。固有魔法【小さな支配者リトルマスター】はこんな風に使う物じゃないが、知ったことではない。

 渦を巻いて暴れ出す鱗の群生。都会に渦潮だけが現れたような光景で、あまりにも激しく動き回るので強い風も発生している。鏡テオと一緒に梢さんと椚さんが壁際に避難している。

 大家さんと大神シャコも、人骨も似非王子も同じだ。俺だけが台風の目の中にいるような状態で、怒りに任せて鱗を動かし続ける。もう耐え切れない、疲れなんか関係ない。常識に戻す力がないなら、こんな非常識な現状をぶっ壊してやる。


「さっきから聞いてれば全員、ナレッジを物扱いしやがって!!そいつが盆栽好きな爺臭い趣味の孫馬鹿だっていうこと忘れんなよ!!友人の曾孫のために夜の街に出てくるくらい馬鹿なんだぞ!!」


 老人は大人しく寝ていてもおかしくない時間なのに、大和ヤマトのために動く茨の上を走っていたんだぞ。ランニングマシーンを走らされる犬みたいな光景だったことは秘密にしておこう。

 腹のあたり、臍から嫌な痛みが体全体に走るが、無視する。血がわずかに流れる感覚もあるが、そんなのは錯覚だと思い込む。今、俺がこいつらに抵抗できる手段なんてこれくらいしかない。


「家に帰れば五人以上の家族がいて、犬猫や金魚にも囲まれてて、仏壇には友人とその妻の写真!!夏にはお盆だ線香だ墓参りだと忙しいんだ!!日本のお盆休みを舐めるなよ!!国民行事だぞ、馬鹿野郎!!」


 東京の下町の、防犯体制もなにもない古風な和式建造。人が住んでいることが一番の防犯とも言いたそうだが、実際それがまかり通っていて恐ろしい家が大和ヤマトとナレッジの家だ。

 向日葵とか植えているし、盆栽もあるし、それでいて夏休みになれば里帰りしてくる親族の出迎えとかあるんだろ。大和ヤマトの母親はきっと忙しいから、ナレッジに家事の手伝いさせるか親族の相手など頼むだろう。

 そんでもってナレッジは親族全員の名前を言えるんだ。生まれたばかりの赤子の名前でも覚えていそうだ。なんせ知識の魔人だからな。そんで仏壇の写真に向かって微笑むんだろう、家族に囲まれて幸せな様子で。


 なんでそれを壊す必要があるんだよ。扉の向こうになにがあるかは知らねぇけど、少なくともナレッジの幸せを壊していい理由にはならないはずだ。大和ヤマトの幸せを奪う理由にならないはずだ。

 もしかしたらナレッジを含めた魔人全員揃って扉を開けると、この世界が楽園になるのかもしれない。その逆かもしれない。だけど俺は知っているんだ。ナレッジは幸せを捨ててでも大和ヤマトを救おうとしたことを。

 そんな奴を金のやり取りで奪い合うなんておかしいだろう。それにおかしいと言えない奴らもおかしい。傲慢だって言われるならば、上等だ。俺は自分本位の考えで堂々と言ってやる。お前ら全員頭おかしいんだって。


「だから返せよ!!ナレッジを大和ヤマトに返せよ!!そいつはあいつの家族だ!!物じゃねぇ!!そいつの帰りを待っている奴が、今も、この東京の街にいるんだ!!!!」


 そして大家さんに向けて一歩踏み出した瞬間、俺が動かしていたはずの青い鱗の群生が消えた。煙も、泡も、欠片も残さず。俺が唯一抵抗できる手段が失われた。

 訳がわからないまま伸ばしていた手を掴まれて、そのまま地面に引き倒される。固いコンクリートが頬を擦るが、俺の頭の中は疑問で埋まっていた。視界に映るのは似非王子。

 どうやら似非王子が俺に柔道の技らしき物を使ったらしい。掴まれた片腕を上に引っ張られながら、背中は膝で押さえこまれている。指先が痙攣するほどの引っ張り具合だが、すぐに痙攣が消えた。


 骨が折れる音がした。


 骨折は初めてではない。それでも声が出ないほどの痛みは腕を襲う。今度は反対側の腕を人骨の足で踏まれる。今度は粉砕骨折だろう。呼吸が止まる。

 ああ、そうか。俺はこいつらにとっては価値がない。ここで殺してもなんの痛みもない。だから取引の邪魔ならば殺す。それは合理的な話だ。俺は頭に血が昇ってそれを忘れていた。

 鏡テオが梢さんと椚さんの制止も聞かずに固有魔法【貴方に贈る毒薬ギフト】で動き出す毒の小人を作ったが、それも一滴も残さず消失する。それでも鏡テオはもう一度小人を作り出した。


 俺はそれを見て、魔法自体が消えたわけじゃないのだと気付く。足に手がかかる前に急いで鱗を体中に生やし、爆発するように空中へ弾けさせた。人骨と似非王子が俺から離れる。

 だが俺の首筋に嫌な冷たさ。刃物特有の、鋭い感覚。赤ずきんとなった大神シャコがスクールバッグから取り出した草刈り鎌で俺の首筋を斬ろうとしている。鱗を動かそうとした矢先、またもや消失。

 代わりに鏡テオの毒の小人が大神シャコに迫る。飛びずさった大神シャコを見て、あの固有魔法も毒は防げないのかと納得する。そして消失の仕掛けはよくわからないが、同時に二つ消すことができないのはわかった。


「おい。青い血でも毒でも事故でも死ぬからな。まずはあの坊ちゃんの固有魔法を封じろ、無駄美形」

「承知した。後半以外は」

「美形と言われて自らだと認識するとは、自意識過剰な男め」


 そして黒幕三人組は何故か結託を始める。確かに俺の固有魔法だと赤ずきん状態の大神シャコは倒しきれない。だけど鏡テオの固有魔法は殺傷能力が高すぎる。

 というか、俺は固有魔法使うなって言ったよな。下手に使わせて殺人沙汰になるのも困るし、どうにか止めてやりたいが痛みで声が出ない。わざわざ両腕の骨を折ってくれやがったせいで、立ち上がることもできない。

 一気に混乱した状況の中で、大家さんの手中にある金の輪っかからは目を離さない。こうなったら意地でも取り戻してやる。ここまで酷い状況になったんだ、これ以上悪化することもないだろう。


 そう思っていたんだけどな。


「待ってください」


 緑色の茨が俺と鏡テオ、そして大神シャコの体を縛りあげる。痛いほどではないが動けない、繊細な力加減。見かけによらずできるな、あいつ。とか余裕かましている場合じゃない。

 汗だらけの姿で、都会の光で金髪だけを輝かせた大和ヤマトが立っていた。腕の中には先程まではなかった男子高校生ぽいスポーツバッグ。テニスラケットも入りそうな大きさだ。


「邪魔をするな。邪魔をすればお前も……」

「えーと……どちら様っすか?あの……俺急いでいるんで」


 そう言って大和ヤマトは人骨も似非王子も無視して大家さんの所へ。意外と度胸あるな。あまりにも鮮やかに無視されて、二人はただ目線で追うしかできなくなっている。

 スポーツバッグの中から微妙に薄い教科書や、無駄にでかい弁当箱を取り出しながら奥の方へ手を伸ばす大和ヤマト。工業高校ってそういえば普通の教科は内容厚くないとは聞いていたが、まじか。

 やっと底に行き着いた手が掴んだのは、これまた綺麗な巾着で包まれた薄い物。紐をほどいて取り出したのは淡い緑色の通帳。確か郵便局系の通帳がそんな色だったか。


「ここに百万あります」


 先程まで億単位を聞いていたせいか、百万じゃ驚かなくなっている自分が嫌になる。少なくともバッグの奥底に入れておく通帳の金額じゃない。どういうことだ。


「これはナレッジ爺が俺のために貯めてくれた資金を除いた、俺のバイト代や今まで貯めたお年玉の貯蓄金額っす」

「……それで?」

「そこにナレッジ爺からの資金含めて三百万。この通帳全額。貴方にあげます……だからナレッジ爺を返してください」


 大和ヤマトは地面の上に丁寧に通帳を置き、そして土下座した。三百万。とんでもない金額だ。だけど、そうじゃねぇだろ。お前の家族は金で取り戻す物じゃないだろう。

 なんでお前までそれがわからないんだよ。おかしい。こんなのはおかしい。畜生、なんとか体を動かしていきたいのに、大和ヤマト自身がそれを拒んでいるかのように茨は動じない。


「……それで?」


 大家さんの冷たい声が響く。億スタートの取引。きっとあの金額では意味がないとか、そう思っているんだろうな。


「……わかってるっす。こんなの真っ当じゃないって。でもナレッジ爺は俺の家族なんです。曾爺ちゃんの大事な友人で……幸せをくれた大事な人なんです」

「それで?」

「だから俺はそれを返さなきゃいけない。曾爺ちゃんとは違う幸せをたくさん、それこそ腹一杯になるくらい。はち切れるくらいに」

「……」

「金なんてまた稼げばいい。でもナレッジ爺は一人だけなんです。だったら俺は……この金をアンタに捨てるっす」


 挑むような、怒りを込めた日本人らしい黒い目が大家さんを見上げている。捨てるとは、そりゃまた盛大に喧嘩を売ったな。けど意外と嫌いじゃないな、そういう考え。

 俺は成り行きを見守ることにした。そうだよな、ナレッジはお前の家族だもんな。ナレッジがお前を迎えに来たように、お前がナレッジを取り戻すべきなんだ。

 だったら任せよう。だけど少しでも危ないと感じたら動き出そう。こうなったらとことんまでこの事態に首突っ込んでやる。大和ヤマトのおかげで腹を括った。


「……その金はお前を幸せにしたいと考えた奴らの好意だとしてもか?」

「知ってるっす。この金さえあれば好きなだけ食べられるのも、好きな物も買えることくらい。けどナレッジ爺は違う。でも力尽くはこの場では無意味なのも、知ってるっす」

「……だから?」

「ナレッジ爺を返してください。足りないというのなら……アンタの言うこと、なんでも従うっす」


 大家さんの口角が吊り上がった。やばい。なんでそんな迂闊なことを口走るかな、お前。どう考えても大家さんの思うつぼだろうが、それ。臓器、臓器だけは死守しろよ。

 そんでもって背後で鰻が跳ねるような音と共に連打音。おそらく椚さんの痛そうな悲鳴が断絶的に聞こえることから、鏡テオの茨を解こうとして微妙に攻撃受けてるらしい。

 鏡テオの固有魔法ならば茨を溶かせるだろうが、そこから発生した煙も毒性があるからな。下手に吸えば梢さんや椚さんだけでなく、鏡テオも死ぬ。やばいぞ、大家さんはなにを要求する気だ。


「じゃあそこのチビを絞め殺せと言えば殺すか?」


 後で覚えていやがれ、大家さん。そしてもし本当に俺が絞殺されたならば、毎晩枕元に出て恨み言を呟くし、聞こえないならばなにかしら生活に弊害が出るように細工してやる。


「それは無理っす」

「どうして?」

「ナレッジ爺に人殺しは駄目だって言われてるからっす」


 お前もお前でそんなふわっとした理由で拒否るな。いや、拒否したのは正しい。だがそうじゃないって言いたいんだよな、これが。もう少し世間的なことを検討してくれ。

 そして大家さんが興ざめしたかのように無表情になる。もうこれ以上、なにも表情から読み取ることはできない。というか骨折痛い。これ全治何か月だよ。両腕とか、日常生活も駄目な奴だ。


「……おい、骨太と無駄美形。お前達は先程提示した金額の内訳を言えるか?」

「なんでそんな些事に気を遣わねばいかん?ある物はある。そしてそれを使う。そこにはなんの罪もない」

「全ては組織運用のために必要な金額であり、出自は必要ない。金さえ渡せば満足な青い血にしては、面妖な疑問だな」


 大家さんの適当な呼び方にも反応しないまま、人骨と似非王子はある意味真っ当な、それでいてどこか腹立つ返答をした。お偉いさんぽくて、なんとなく気にくわない。


「……よし、決めた」


 煙草を取り出して火を点けながらそう言った大家さんは、煙を空中へと漂わせる。そして大家さんとは思えない驚愕の答えが俺の耳に届いた。

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