6話「魔法のキスは無意味なミス」
緑色に囲まれていて、今が夜の東京だということを忘れそうになる。蠢く茨が少しずつ都会を侵食していて、騒ぎが収まる様子はない。
平凡な男子高校生であることを今だけは忘れようと、俺こと雑賀サイタは四方から迫る茨の鞭が体に掠りそうになるのを見て肝を冷やす。
俺は忠義の魔人フェデルタという少年に小脇に抱えられている状態だ。俺と同じくらいの身長の奴だから、足が地面につかないように自力でわずかに浮かばせている。
そして俺とは違う待遇で知識の魔人であるナレッジは片腕で抱えられている。一体どこにそんな筋力があるのか、それともこれも魔法なのか。
現在、俺達三人は茨の発生源であると思われる大和ヤマトへと向かって進んでいる。動いている者を見境なく襲ってくる茨も、大和ヤマトの固有魔法だからだ。
固有魔法っていうのは二人に一人は当てはまる類であって、別に珍しい物ではない。ただしここまで生活に影響を及ぼすとなると、原因は別にある。
賢者の石。確か人工エネルギー物質エリクサーの副産物の薬の名前なんだが、どうにもこれを固有魔法所有者が摂取すると魔法を暴走させてしまうらしい。
実際に鏡テオの暴走した固有魔法【
鏡テオも毒の固有魔法のくせして毒に一切免疫がなかった。そのせいで鏡テオは自分の固有魔法で死にかけた。だとすると大和ヤマトだって茨に押し潰される可能性が出てくるわけだ。
正直に言えば多々良ララが深山カノンを助けようとバイクの後ろに乗っていたこと、無事が確認できない枢クルリのこと。気になることはたくさんある。
ただこれらの問題を一挙に解決するならば、大和ヤマトへと向かうのが最適解なはずだ。問題はどうやって大和ヤマトの固有魔法暴走を止めるかという点だ。
鏡テオの時は体内に入っていた賢者の石含有林檎を吐き出させたことで止まった。できれば大和ヤマトも口内摂取による暴走ならば、腹を殴って吐き出させればいいはず。
できればその件に関して相談したいんだが、茨を蹴ったり壁を蹴ったり、飛んだり跳んだり、なんかもう走っているというよりは海中疾走みたいな状況のせいで口が開けない。
下手に口を開けば舌を噛む自信がある。実際に先程三回くらい噛んだ。そのたびにフェデルタに溜息をつかれ、殴れるものならば殴りたかった。もう少し丁寧に運べ。
しかし抱えられている身としては、走らなくて楽だし任せるしかない。茨の密集度合いが強くなっている。そろそろ辿り着く頃か。さてどうするか。
問題はいくつかある。一つはどうやって大和ヤマトの固有魔法暴走を止めるか。二つ目は知識の魔人であるナレッジに魔法を使わせずに解決するか。
ナレッジは契約で、魔法を使わない限りは錬金術師機関とカーディナルという二つの組織の対象外として扱われている。こいつが大和ヤマトの家族としてこれからも生活するならば、対象外でい続けるべきだ。
俺としては忠義の魔人であるフェデルタが全て解決すればいいのに、こいつはこいつで何故か渋る。もう少し気前よく助けてくれないだろうか。
夏の夜のせいか、植物の匂いが濃くなる。むせ返るような青臭さを振り払うように進んだ先、空まで覆いつくされた空間に投げ出されるように入り込む。
心臓の内部というか、脈打つ茨がまるで血管のように動きを止めない密閉空間。息苦しいほど重い空気の中心部に、瞼を閉じた金髪の男が寝ていた。
大食いでバイト掛け持ちしていて、俺より身長が高いくせに年下で、可愛い幼馴染の少女や大家族に恵まれた男。傍から聞いていれば幸せな男に思える、大和ヤマト。
こいつを守るように茨が蠢いている。俺はとりあえずフェデルタに降ろしてもらい、走り寄ってみる。茨が襲い掛かってくる気配がなくて、少し変だとは思ったが気にしていられなかった。
バイト着ではなさそうだ。校章が入ったツナギの上半身部分は脱いで袖を腰辺りで結んでいる。上は白シャツで、肩まで絞るようにまくっている。鍛えてるなとは思ったが、見事な上腕二頭筋。
そして左の二の腕に特徴的な痣があった。固有魔法所有者特有の物だ。腕を一回りするような緑色の西洋竜の痣。下手すれば刺青と間違われそうだが、こいつピアスしてないし、そこまで手は伸ばさないだろう。
「とりあえず殴ればなんとかなるだろ?テオの時もそうだったしな」
「……はぁ」
背後から明らかに聞かせる目的でつかれた溜息。俺、絶対にこの忠義の魔人と相性が悪い気がする。というか忠義はどこにいった。
しかし後ろから穏やかな笑顔ながらも力強く肩を掴んでくるナレッジを見て、これ殴ったら千倍返し的なアレだとすぐに直感がやばいと叫び始めた。
穏やかに寝ている大和ヤマトに若干腹が立ってきたが、なんだかさっきから違和感があるんだよな。俺はなにか重要なことを見落としているような。
「残念ながら雑賀さん。ヤマトは鏡さんの時とは違う状態で暴走させられています。薬品が経口摂取だけとは限らないのは知っていますか?」
それくらいはわかる。確か鼻の穴から吸引する類もあるよな。俺はあれが上手くできなくて苦手だ。あとは座薬とか、注射とか、とりあえず他の方法が……待てよ。
他の方法だとして、どうやって突き止めればいいんだ。注射だったら跡が残ってるはずだよな。それを探せばいいのか。いやでも、どうやって体外に排出させればいいんだ。
まず液体なのか、固体なのか、それとも粉末か。煙で吸引していた場合はどうなるんだよ。普段使わない部分をフル稼働させているせいで、頭が痛くなってきた。こんな時に枢クルリがいればよかったのに、あの猫耳野郎。どうせどこかでゲームしてるんだろう。
「……フェデルタ、お前ならなんとかできるんだろう?魔法使ってくれよ」
「断る」
「なんでだよ!?」
短い返答に思わず怒る。そりゃあ俺が解決すると言った手前、頼るのは気が引ける。それでもお願いしているのに、断るとか。鬼か。いや、魔人か。
「使う必要がないからだ……もう使われた後だ」
少しだけ悔しそうな表情を浮かべるフェデルタに、俺の思考が止まる。使われた後って、誰が大和ヤマトに魔法を使ったんだ。使ったのに、何故茨は伸び続けている。
違和感が大きくなっていく。寝ている大和ヤマトの顔をもう一度眺め、俺はやっと気づく。意識がないのに魔法が暴走している。鏡テオですら、意識を失くした瞬間に魔法が消えた、はずだ。
意識がない状態で魔法が勝手に発動し続けるなんてあり得ない。暴走していようが同じことだ。なにより茨は大和ヤマトの周辺を守るように蠢いている。鏡テオだって自分の魔法で死にかけていたはずなのに。
俺はゆっくりとナレッジの顔を眺める。穏やかな笑顔がそのまま残っている。どこか状況とそぐわない表情に、気温も忘れて寒気が走った。
だってお前、契約で魔法を使わないと決めていたはずだろう。大和ヤマトの家族を続けるには、その契約は重要なはずだ。それなのになんで魔法を使ったんだ。
違う。問題はそこじゃない。なんで大和ヤマトの固有魔法は暴走を続けているんだ。もしもナレッジが契約を破ったならば、大和ヤマトの暴走は止まっていいはずなんだ。
「……お話をしましょう。貴方にはこれから必要でしょう。魔人の魔法を使う際の特徴を」
笑顔でゆっくりと話すナレッジ。そんな悠長にしている場合じゃないだろう。急ぐべきだ。なのになんで、そんなに寂しそうに笑うんだよ。
「貴方も聞いたでしょう?大罪に関わる童話の話を。僕達はその童話に基づく規則でもって魔法を使うのです」
覚えている。というか全ての元凶は占いと称した大罪に当てはめた童話のせいだ。俺は人魚姫が嫌いだ。幸せにならない話は大嫌いだ。
傲慢の人魚姫、嫉妬のシンデレラ、強欲な白雪姫、怠惰なラプンツェル、暴食なる眠りの森の美女、憤怒の親指姫、色欲の美女と野獣、なんて馬鹿みたいな内容だ。
でもそれが今になって関係するのかよ。ちゃんと意味があったのにも驚きだが、それが魔人に繋がるなんて想像もしなかった。
「眠りの森の美女で、お姫様は生まれた時に祝福を授けられます。事前予約、というと俗っぽいですがわかりやすいかと。つまり備えあれば憂いなし……他にも魔法を使う特徴はあるのですが、僕はこの規則を重視しました」
「……まさか」
「はい。僕は契約を結ぶ前にゲンジロウの血脈に魔法をかけたのです。一定の条件下で発動する、いざという時の保険を」
それはどれくらい前の話なのだろうか。とりあえず俺が生きてきた年数よりは長いはずだ。もしかしたら人の寿命よりも長いかもしれない昔の魔法。
だからフェデルタは悔しそうなのか。なんだか違う気がする。なにかがおかしい気がする。これは本当に、賢者の石による固有魔法の暴走、なのだろうか。
疑問が波及する。知らないことばかりで、代わりに全てを知っているのが目の前の知識の魔人だ。美徳なんて、綺麗な物じゃない。こんなのは徳にもならねぇ話だ。
「その一つがこれです。もしも、ゲンジロウの血脈である固有魔法所有者の魔法が暴走した場合眠らせてしまう、と」
「は?意味が……わからない……」
「カーディナルと錬金術師機関にとって、僕以外の狙い……鍵も欲しがるはず。僕が狙われる事態になった時、必ずゲンジロウの血脈も狙われる。当然の帰結です」
「いやだから、それがどうなって今の条件を付与することになったんだよ!?こちとら英語を含めた頭の悪さは天下一品だぞ!?」
動揺のあまり口走らなくていいことまで吐き出してしまった。またもやフェデルタから深いため息。アイツ、絶対後で殴ってやる。
言っとくけど俺は、お前に英語で話しかけて笑われたのは根に持っているからな。人が一生懸命口に出した異国の会話コミュニケーションを無下にしやがって。
「では僕に契約を破らせるにはどうしたらいいでしょう?できれば鍵候補も一網打尽にできる方法とは?」
「……鍵候補を瀕死に追い込んで、アンタを誘き出すこと」
「正解です。僕はゲンジロウの血脈を見捨てることはできない。ならばそこを突けばいい。簡単なことです」
「でも契約で危害を及ばすことはできないはず……あ」
都市伝説にもなった連続殺人犯。赤ずきんが何故関わっているのか。やっと合点がいく。カーディナルと錬金術師機関は契約があっても、それ以外には契約は効かない。
確か先程の大家さんとの電話で聞こえてきたはずだ。錬金術師機関の名前。依頼があったかのような口ぶりからして、大家さんと赤ずきんは錬金術師機関の構成員ではないはず。
つまりは赤ずきんが大和ヤマトを襲ったとしても、契約違反にならない。でもそんなのをナレッジが見逃すだろうか。見逃すような大きな事件が……あったな。しかも一つ二つじゃない。
鏡テオの固有魔法暴走、デュフフ丸襲撃による枢クルリの引っ越し、魔法管理政府ドイツ支部の混乱、賢者の石が流出しているという報道。
多分、俺には見えない形で他にも事件はあったと思われるが、こんなにも表に出てきている。そしていつか深山カノンが言っていた。それらのせいで二つの組織とも大混乱だと。
その混乱に乗じて錬金術師機関が先手を打った。木を隠すには森の中。事件を隠すには連続して起きる大問題の中。ナレッジは俺に向かって変わらない笑みを向けている。
「俺の、というか俺達のせいかぁああああああああああ!!!!」
「……否定はできませんが、全肯定はしません。ぶっちゃけナルキズムが動き出したのも要因ですし」
「なんか新しい魔人っぽい名前まで出てくるし!!どんだけ俺が知らないところで動きまくってんだよ、裏事情!!」
これ以上は止めてくれ。俺は無関係無関心を貫きたいのに。というかもしかして多々良ララと一緒にいたバイク男ってそういう名前なのかよ。
多々良ララはなんでそういう重要なことを忘れたかのように教えてくれないんだ。もしかして変質者だと思って記憶から抹消したのか、そうなのか。
確かに変な仮面着けてたしな。なんだかライダースーツのぴっちり感というか、密着具合も凄かった気がするし。忘れたいのは無理ないことなのかもしれないけどさ。
「どうにもカーディナルは賢者の石を使って暴走させようとした所に、赤ずきん襲来。赤ずきんの手にあった賢者の石で暴走ですね」
「なんでそんなことがわかるんだよ?しかも眠っていても魔法は暴走した状態のまま」
「後者は僕の契約前の魔法のせいですね。もしもその状況に陥った場合、僕に感覚的な報せが来るように仕掛けてました。だけどその後の足取りが掴めないと意味はないわけです」
「……ああ。ヤマトの曾爺ちゃんが生きてた頃は携帯電話とかないもんな」
つまりは魔法が暴走したら、意識を失うようにしていたわけだ。その場から動かさないためと、精神的不安に陥ってパニックにならないようにとかな。
どんだけ過保護なんだろう。もう少しは放任主義でもいい気はするが、防犯ブザーを持たせすぎる親かアンタは。備えあれば憂いなし、っていうけどよ、備えありすぎて持て余す、になってないか。
道理で多々良ララに来た連絡で、この魔人が妙に早く動いていたわけだ。全てが思い通りというわけでもなさそうだが、大方の予想通りなのだろう。それでも東京の街一角に被害が及んでるのは流石に想定外だろうけど。
「ここに辿り着くまで半信半疑でした。しかし結果はどちらであれ、僕は別れを決意しなくてはいけない。そう覚悟してきました」
「どういうことだよ?」
「この暴走が本当に僕の魔法か、それとも別の理由か。なんにせよ魔法の解除を他者が行う場合、とても難しい条件が付くのです」
深刻そうな顔でナレッジが告げた言葉に、俺はどうにも胸のつっかえが取れない。微妙に俺が知らない事情をわざと説明してないような気もするんだよな。
しかし追及する前に、茨の数が増えている気がする。よく童話の王子様はこんな場所へ顔も見たことない相手のために挑もうと思ったな。俺は知らない相手だったら無関心貫いてたぞ、多分。
「本人の魔法の暴走だけなら解除内容は単純です。原因を取り除き、意識を失わせる。鏡さんの時のように」
「……じゃあ今回はなんだよ?早くしないと、本当にヤマトの茨が東京を呑み込みかねないぞ!?」
「魔人の魔法が関与している場合、いくつか提示されます。そうですね……雑賀さんの場合、童話的解決ですかね」
少し困った笑みを浮かべるナレッジを前に、俺の脳内で緊急警報が鳴り響く。その間にも蠢く茨。時間がないのはわかる。わかるが、理解という単語が俺から遠ざかっていくようだ。
童話的解決。そんなのは幼稚園児ですら知っているだろう。そりゃあもう、お姫様と王子様が出てくるハッピーエンド童話ならば、必ずと言っていいほど出てくる解決策だからな。
本当に昔の人はそういうの好きだよな。日本童話なんか退治して終わりという武力的解決が多い中、西洋のなんと平和的で魔法な感じのあれだ、ファンタジック事件解決的なアレだよ、ほら。
「……傲慢野郎。お前は言ったな。自分が解決する、と」
「ここにきて急に口を開くな、忠義魔人!!ちょ、待て!!お前でもいいよな、俺の予想通りならお前でもいいはずだ!!」
「俺は最初から罠の中央に飛び込みたくないと言った。罠は一つではない。それくらいは理解しての言葉だ。さあ……潔く犠牲になれ」
「うおおおおおおお!!俺ににじり寄るなぁ!!止めろ、肩を掴むな!!ちょ、心の準備どころの話じゃない!!こういうのはもっと理想的な状況とか相手とか、とりあえず視覚効果的に絵本にも描かれるような図が良いだろうがっ!!!!」
俺は必死になってフェデルタの押す力に抵抗する。もちろん向かわせられている先には寝ている大和ヤマト。どう考えてもこの先は地獄絵図。
誰がすき好んで金髪筋肉大男と童話的解決方法をとりたいか。そういうのは女の子の役目だろう。最近の流行じゃないか、男らしい女の子が男の子を助けるガールミーツボーイみたいなの。
大和ヤマトだってそういう女の子による救済を望んでいるはずだ。少なくとも夏の夜に汗だくになった野球部所属男子高校生とかに救われたくないはずだ。
「ぎゃあぎゃあ喧しい。別にファーストキスとか大切にする性分でもないだろう?なんなら記憶から消す魔法をかけてもいい。時間がない、やれ」
「だからって男とキスしたいとか考えたことねぇわ、ボケェッ!!記憶から消すからなんだ!?この瞬間は永遠なんだぞ、ふざけんなっ!!」
「……はぁ。混乱とアドレナリン大放出でどこかの歌詞みたいな単語まで吐き出したか。いいか?俺は巻き込まれただけだ。解決すると言ったのはお前だ、人命救助だ。やれ」
「なんでこの選択だけになっているんだよ!?他にも方法があると言ってたはずだ!!それを聞くまでは、いや聞いても、この一線は譲れないからな!!」
フェデルタの押してくる力に対抗するため、体を向き合わせて相手の両手の平を掴んで押し返す状況。取っ組み合いというわけではないが、相撲の光景みたいになっている。
そんな俺達を見て、堪え切れないようにナレッジが大笑いする。呑気に笑う場面じゃねぇぞ、こら。こちとらお前の魔法のせいで大ピンチを迎えているというのに、なんだよその余裕。
同じ気持ちを抱いたのか、フェデルタも怪訝そうな目でナレッジを見つめる。どこか憑き物が落ちたようなナレッジは、目尻に浮かんだ涙を指先で拭いながら微笑む。
「残念ながらフェデルタは僕の魔法を解除することはできません。童話同士が干渉できないように、魔人は他の魔人の魔法に干渉できないのです」
「はぁっ!?魔人の魔法はそんな面倒な約束があんのかよ!?というか、どうして童話がそこまで関わるんだよ!?」
「……魔女は愛が好きですから。時空を無視して集めたんだですよ。そういう欠片を。本当にあの女は……」
ナレッジの表情が一瞬にして変わる。俺としては言い表す言葉がないのだが、とりあえずお互いを押し合っていた俺とフェデルタの動きが完全に止まるには充分な顔と、盛大な舌打ち。
穏やかな文系青年な外見の男とは思えない顔つきに、俺は地雷を踏んだのかと冷や汗が出てくる。めっちゃ怖い。え、魔女ってなんか童話みたいなあれなのか、そういえば今までにもそんな単語が出てきたか。
「さて、これで最後に残ったのは僕と雑賀さんだけです。そして僕はヤマトの目を覚ますにしろ、賢者の石を取り除くにしろ……魔法を使ったのがカーディナルと錬金術師機関にばれてしまうということです」
「……あ。いやでも今から誰か、ヤマトの幼馴染でも、ララでも、なんなら外見だけならセーフ判定のテオでもいいから、誰かを連れて……」
「時間がありません。騒ぎが大きくなり過ぎました。じきにここへ警察や自衛隊、なにかしらの公共機関がやってきます。もしもその誰かにヤマトの姿を見られたら……」
固有魔法所有者が魔法を使って罪と認められた場合、通常者よりも重い罰を課せられる。それは世の中の当たり前なことで、俺だって今まで納得してきたことだ。
二人に一人は当てはまるならば、二人に一人は当てはまらないのも普通だ。だったら半分の数を有するとはいえ、魔法を持つ者には制限が必要になる。そんなのも当たり前だ。
でも固有魔法が暴走したのも、茨が東京の街を呑み込もうとしているのも、大和ヤマトのせいじゃないだろ。意思じゃないだろ。なのに、なんで、そんな答えにしか辿り着かないんだ。おかしいだろうが。
「リンさんが少し離れた所のファーストフード店にいます。ヤマトを助けたら、雑賀さんを連れて逃げてくださいね。フェデルタ」
「……かしこまりました」
「まあ、ヤマトがどうして抵抗しなかったのかは気になりますが……もういいでしょう。終わりです」
ここで思い出してほしい。俺が嫌いな童話第一位。人魚姫。幸せになれない、幸せに終わらない、努力した奴が報われないこと。
「ふざけんなよ。アンタは、なんのために、ここまで契約を守ってきた!?幸せになるためだろ!?ヤマトの家族として、ゲンジロウの家族として生活するためだろうが!!」
そのために俺では想像もできない年数を費やしたんだろう。色んな知識を使って下地を作り上げてきたんだろう。魔人として、人間の家族になりたかったんだろうが。
あっさり捨てられる物じゃないはずだ。だったらそんな簡単に終わりを告げていいはずがない。悩んで、苦しんで、足掻いて、最後まで諦めないのが筋ってもんだろう。
カーディナルだが錬金術師機関だが知らないけどな、そんな奴らが思うままに行動するのは悔しいって怒るくらいの気概は見せろよ。それくらいの感情があるのはさっきの表情でわかるんだからな。
「……充分幸せでした」
「足りない!!ふざけんな!!全然、足りないだろ!!少なくとも、ヤマトは満足しないだろうがっ!!アンタは自分が幸せになった分、同じくらい相手を幸せにしなきゃいけないんだよ!」
「……今なんと?」
「だから満足には足りないんだよ!!幸せってのは共有したり、分けたり、与えられたり、色んな方法があるんだ!いくつあっても足りるわけねぇだろうが!!」
掴みかかる勢いでナレッジへと近付く。死んでもいいくらい幸せだとか言う人間は、それを誰かに分け与えてから生きろってんだよ。簡単に死んでいいわけあるか。
魔人だかなんだか知らねぇが、世界を巻き込んだ戦争の時代から生きていようが、そんな年数で満足されちゃあ困るんだよ。お前と一緒にいないと悲しくなる奴が、そこで眠っているんだからな。
激怒する俺に対して、ナレッジは目を丸くしている。まるで目から鱗。言っとくけど、体から鱗を出すのは俺の専売特許だから忘れるんじゃねぇぞ、ごらぁ。
「……ああ、惜しいなぁ。君が傲慢じゃなかったら、選んでしまうところだったよ」
「訳わからねぇこと言ってねぇで、フェデルタと一緒にここを離れろ!仕方ない……本当に心の底から嫌だが、俺がヤマトを助ける!!だから見るなよ、絶対にな!!」
笑うナレッジを余所に、俺は仕方なく大股で大和ヤマトへと近付く。正直足取りは重いし、鳥肌も立ってきた。でもこれが幸せに一番近付く方法なら、仕方ない。
俺が我慢すればいいだけの話だ。それだけでハッピーエンドへと向かうんだ。じゃあそれでいいじゃないか。大和ヤマトにはすまん。あとで俺の力の限りで作れる料理を食わせてやるから。
だからまあ、俺は背後で含みのある笑みを浮かべていたナレッジの様子に気付かなかったわけだよ。考えてみれば、ここに来てから茨の脅威を忘れていた俺にも非があるわけで。
真横から俺に迫ってきた大木みたいな茨が頭を吹っ飛ばした、ように思えた。もうそれくらい生きている実感がないくらい、迫った風圧で耳鳴りがするほどだ。
俺のシャツを背後から掴んで引っ張ったフェデルタがいなかったら、死んでた。確実に死んでた。それが判断の遅れを招くし、ナレッジが悠々と大和ヤマトへと近付くのを見るしかない。
茨の攻撃はナレッジの周囲には発生していなかった。どういう仕組みかわからないが、ナレッジと離れた途端にまたもや俺とフェデルタに茨の猛攻。しかもここは中心地。フェデルタでも捌ききれる量じゃない。
最終的に吹っ飛ばすことが無理だと判断したのか、茨は俺の首根っこを掴んでいたフェデルタを囲むように動き、束縛する。もちろん俺も巻き添えで、もがけば拘束が強くなる。
フェデルタから激しい舌打ち。足が届かないように宙に浮かばされた矢先、束縛されたまま壁へ叩きつけられる。フェデルタが咄嗟に体の重心動かし、俺を庇うように盾になった。けど衝撃は崩しきれない。
肺の中から空気は全て失くなって、目の前が暗くなる。けどまだ意識を失うわけにはいかず、思いっきり唇を嚙む。力を込めすぎて口の端から血が出たが構っていられない。
「……っ、ナレッジ、てめぇ!!わかってて、わざと!!」
「あ、すいません。別に挑発したつもりはないです。でもこうなることは知っていました。だから僕は、嘘でも、満足するしかないんです」
俺が嫌いな展開で、嫌いな言葉を吐くな。嘘でも満足するしかないとか、諦めきれてないじゃないか。それなのに諦めるなんて、いいわけあるかよ。
でも今の俺に茨の拘束から逃れる術はないし、俺の肩に大量の生温かい液体と鉄臭さ。振り返れば、フェデルタの口から死んでもおかしくないほどの血が吐き出されている。
しかも少しずつフェデルタの体だけでなく、俺の体も茨の壁に呑み込まれ始めた。抵抗もできないくらいに、柔らかいようで冷たい植物の群生に沈んでいく。
「ありがとう、雑賀さんとフェデルタ。でも……僕は最後にゲンジロウの孫を救うことができる。それは最悪の中でも、最高なことなんですよ」
「そんなのは最高なんて言わない!!勘違いすんなよ!畜生、まだだ!!まだ、なにか手が……なにかがあるはずなんだ!!」
「残念ながらありません。さようなら、優しい傲慢候補。君の言葉は……暖かい海の泡のように、僕の心で弾けて響きました。それを大切に」
手を伸ばしても届かない。目の前が暗緑色に埋まっていく。なんでとか、どうしてとか、なにも響かない場所に落ちていくような錯覚。まるで深海だ。
蠢く茨によって下へと押し流されていく。まるで生々しい肉の食道によって誰かの胃袋の中へと運ばれているような気もする。そこで溶けて消えていくのだろうかと、嫌な気分になる。
なにも知らないまま、わからないまま、納得できないまま、消えていく。そんなのは駄目だ。そんなのは俺が嫌いな童話と同じ結末だ。悲しいのは、ごめんだ。
「フェデルタ……俺を鍵にする気はあるか?」
正直に言えば茨が擦れ合う音のせいで、俺の声が届くのかはわからなかった。フェデルタの先程の様子から、返事できるかも怪しい。
でも、もしも、多々良ララのように鍵となって魔法に変化が起きるならば。もうここまで来たら無関係じゃなくていい。俺が嫌いな結末を回避できるなら、なんでもしてやる。
「……嫌だ」
しかし俺の期待を裏切る答えが、小声で返ってきた。やっぱり俺はこいつと相性が悪い。はい決定。
「なんでだよ!?」
「もう間に合わない。ナレッジは魔法を使った」
そして晴れていく視界。落下。しかし思ったよりも地面に近かったらしく、夏の暑さが残ったコンクリートに鼻頭をぶつける。上を仰げば、東京から見るとはいえ、先程よりも広い星空の下。暑いのは変わらないけど、新鮮ですっきりとした空気を思いっきり吸い込む。
ふらつくフェデルタに一応肩を貸し、周囲を見回す。裏路地の、急に広くなるような場所だった。迷い込んだ先に廃墟があるような、東京独特の変な雰囲気がある地点。そこでコンクリートの上に横たわる大和ヤマト。
その横で寝顔を眺めているナレッジの背中が見えた。茨の影はもうない。今ならまだ間に合うだろうと思った。だから声を出したはずなのに、別の大きな音で掻き消されていく。
銃声。それも改造モデルガンとか比ではない。俺からすれば二度目の、本物の重火器の音。ナレッジは大和ヤマトを庇うように立ち上がったが、体の形状も保てないくらいに肉が削り取られていった。
大和ヤマトの胸上に綺麗な錦の巾着袋が落ちる。ナレッジが肌身離さず持っていたのが、体の形状が保てないせいで落ちた結果だ。なにかをたくさん詰め込んでいるのか、膨らんだ巾着袋は無傷だ。
そして大和ヤマトも無傷。まるで魔法のような奇跡。実際にナレッジの魔法なのだろう。自分よりも大切な二つを守るため、撃たれ続けている。そしてナレッジという男の姿は俺の視界から消失した。
コンクリートの上に金属音。鍵束を管理するような金色の細い輪っかだ。その正体はわからない。けど赤い外套の少女がそれを拾い上げる。
スクールバックに詰め込まれた重火器の数々。細い線の体、茨との戦いでぼろぼろになったであろう赤い外套を風に揺らして、そのまま都市伝説は俺の前から去ろうとする。
連続殺人犯。それくらいはわかる。錬金術師機関に雇われて、今回の件に絡んで、ナレッジと大和ヤマトを狙っていた。知っている。だから俺はこう呼ぶしかない。
「待てよ……赤ずきん。いや、大神シャコ!!」
少女が俺へと振り返る。知りたくないことばかり知って、知りたいことばかりがわからない。でもな頭の中にある知識だけが全てじゃないだろ。
今、目の前で、俺は大和ヤマトのために逃してはいけない物があるんだ。どうしてそうなったかはわからないが、大神シャコの手の中にある金の輪っかは俺が望む結末には必要なんだ。
「ナレッジを返せ、そいつはヤマトの家族だ!!!!」
まだ間に合う。何度も言い聞かせる。傲慢野郎として、俺はここで無謀になっていかなきゃいけないことくらい、当たり前のことなんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます