4話「真っ赤なテレフォンにブルーブラッド」

「いいっすよ。それが俺にできる最善なら」


 薄暗い路地裏、針山アイに向かって大和ヤマトは緑色の竜が巻き付くような痣がある左の二の腕を差し出した。





 約三十分前。キーマカレーを食べ終えた俺、雑賀サイタの耳に気が抜けるような着信音。確か昔のアニメで流れてたような、クラシック曲のボレロだったか。

 その8bit音。昔のゲーム機再来かと言わんばかりの音源に、ダンジョン型RPGを思い出す。そして即座に反応する猫耳ゲーマー。バンダナについている猫耳は伊達なはずなんだがなぁ。

 伊達眼鏡ならいざ知らず、伊達猫耳ってなんなんだよと思わずセルフツッコミする中、眠そうにしていた鏡テオも着信音に反応して聞こえてきた方角へ目を向けている。


「あ、六番からだ」


 可愛らしい赤の折り畳み式携帯電話をポケットから出して、大神シャコは目を細める。六番って、確か大家さんのことだよな。なんで番号呼びなんだ。愛称なのか、それ。

 そして違うポケットから最新式の携帯電話を取り出して時間確認している。携帯電話二つ持ちだと、セレブか。最近の女子中学生は贅沢な使い方をしてるな。

 機械が苦手な多々良ララも驚いた様子で大神シャコの手元を眺めていた。両手に最新と一昔前の携帯電話の保持だもんな。あー、でも確か折り畳み式携帯電話は記録媒体として優秀なんだっけか。


 通話とメールを諦めて写真保存とかカメラ機能、動画記録に音声習得。メモ帳にも使えるし、即席手帳として利用可能。そのせいで盗撮手口として使われてるとかいう話もあるな。

 そんでもってメモリーカードを入れ替えることによって、ほぼ無制限な使い方が用意されている。多くの奴は電池切れとか古くなったとかで買い替えの際に捨てるらしいけど。

 俺だって携帯電話なんて一つで充分なんだが、そう聞くとちょっと魅力的なのが生活用品の恐ろしさだよな。でもやっぱり携帯電話は一つでいい。扱いきれる自信がない。


「……先輩、シャコおつかいしなきゃ。カレーごちそうさま、美味しかったです!」

「はぁ!?こんな夜遅くに制服姿で買い物って、大家さんなに考えて」

「だいじょーぶ!いつものことだもん!じゃ、また食べさせてくださいね、先輩」


 明るい声で俺の話も聞かずにお礼だけ述べて扉から出て行ってしまう大神シャコ。って、お前も俺の家の晩飯を再度食いに来る気か。エンゲル係数という単語が高笑いしてやがる。

 なんかもう深い溜息しか出てこない。大家さん、女子中学生に夜の買い物をさせんなよ。やっぱりあの人は外見通り、ちょっと危ない人だよな。声には出さないけどさ。

 そして今度は事務的というか、初期設定のまま変えてないであろう着信音。今度はお前かよ、多々良ララ。そして有名ゲームのオープニング曲の着信音は猫耳野郎こと枢クルリ。


 個性をここで見せんのかよと思いつつ、鏡テオの携帯電話にも着信音。こっちは宣伝用なのか、鏡テオがよくストリートライブで歌っている曲の着信音アレンジ。

 おそらく椚さんがアレンジしてくれたんだろうな。どこかの音楽サイトで百円か二百円で売っていそうなあたり、今の時代の音楽多様性と販売形式には感心するしかない。

 で、俺の携帯電話にも通話要請が。ちなみに俺の着信音は流行のミュージシャンの最新曲。有名映画化のテーマソングで、ギターの音が気持ちいい奴。


「はい、雑賀ですけど」

『え、えっと……同じクラスの岩泉ノアです。きゅ、急に電話してすいません』


 連絡先交換した覚えがない同級生からの連絡。誰だ、俺の個人情報を流出させた奴は。瀬田ユウか。アイツが一番確率が高い。くっそ、個人情報漏洩として明日文句言ってやる。

 俺からの返事がないことで、電話越しでもわかる戸惑いの息遣い。相当緊張してるのか、熱さまで感じそうな荒い音。えっと、岩泉ノアってどんな顔だったか。桃色眼鏡しか思い出せない。


「俺に何か用?明日じゃ駄目なのか」

『明日じゃ駄目です!あ、その、大声出してすいません』


 なんか謝ってばかりだな。そこまで俺は怖いのか。しかし俺は怖がらせるようなことした覚えないんだが、困った。


『あの……フェデルタさんのこと知ってますか?』


 初耳ですが。思わず心の声が敬語になる。いやもう、今は状況把握と人数増加で精一杯だから、これ以上固有名詞を増やさないでほしい。切実に頼みたい。

 しかし岩泉ノアは真剣なのか、それとも怯えているのか。俺の返事を待つように押し黙っている。できれば無関係と無関心を貫きたいんだが、聞くしかないよな。


「誰だよ、そいつ」

『え!?あ、もしかしてフェデルタさん名乗ってない!?えっと銀髪の男の子知ってます?』


 知ってる。知りたくなかったけど、超絶心当たりある。で、なんで岩泉ノアがそいつ知って……岩泉?もしかして、そういうことなのか。

 世間狭すぎんだろ。というかあの小指眼鏡画伯のおっさん結婚してたのか。それにしては似てないというか、いや、まだ他の可能性があるはず。


『私の父方の叔父の知り合いなんですけど……えっと、雑賀くんってフェデルタさんの運命の人なのかな?』


 はい、確定きました。もうやめてくれよ、こういうの。俺はできれば無関係でいたいし、無関心に世の中を通り過ぎて平穏に生活したいだけなんだけど。

 とりあえずあの画伯おっさんの姪なんだな、そういうことなんだな。そして暴食候補と知識の魔人と知り合ったタイミングでの電話。嫌な予感しかない。このまま通話止めてもいいか。

 というか最後。なんだか気色悪い意味に捉えられるような単語が聞こえたんだが、どういうことだ。受け止め方が悪かったのか、鳥肌が止まらない。


『もしそうなら、今日はもう外は駄目みたい。私にはよくわからないんだけど、叔父さんがフェデルタさんが動き回ってるって』

「さっぱりわからん」

『ご、ごめんなさい!でも、その……フェデルタさんが動く時って、叔父さんにとっては忙しくなる時みたい。つい最近も、魔法管理政府ドイツ支部の騒ぎの時に動いてたって』


 あったな、そんなことも。そういえば俺はあの時死にかけてたな。つまり今回もあの銀髪が動いてる、ということは、俺が死にかける、という流れでいいんだな。

 考えてみれば都市伝説級殺人犯とか、コンビニ強盗とか、物騒だもんな。よし、俺は今日なにがあっても外には出ない。流石に二回も死にかけるのは勘弁したいしな。


『フェデルタさん、できれば運命の人には会いたくないみたい。でも、なんで雑賀くんなんだろう?も、もしかしてフェデルタさんは女の子!?』

「知らねぇよ。俺だって男が運命の人とか嫌だ。というか、岩泉は錠とか鍵とか扉とか、その他諸々知ってるんじゃないのか?」

『え?うーん、と……私はフェデルタさんが人探ししてるくらいしか……でも探してるのは、運命じゃなくて過去の人としか教えてくれなかったかな』


 なんとなく違和感はあったけど、岩泉ノアはどうやら忠義の魔人、そいつと知り合いくらいの立場ということか。良かった、錬金術師機関とかカーディナルとかじゃなくて。

 流石に同じクラスにその疑惑人物がいるのは、明日からどんな顔していいかわからないからな。あれだけ臆病そうな女子に敵意を向けるのも、気が引けるというか。

 それにしてフェデルタという名前だったのかよ。いやでも俺、出会ったのはコーヒーチェーン店でぶつかった一回くらいだよな。そういえばあの店でもバイトしてたな、大和ヤマト。思い出したわ。


 もしかしたら他の接客業とか知らない所で出会ってそうで怖いな。もしかしてあの時フェデルタと岩泉のおっさんがいたのは、大和ヤマトの様子を探るためか。

 いやでも岩泉のおっさんなんか可愛い飲み物買ってたよな。結局あれはどっちの飲み物だったんだ。やばい、思い出して来たら気になってきた。あのおっさん、淡々としている割に突発インパクトがでかいんだよ。

 考えてみればあの一回でよく顔を覚えていられるな、俺。あ、でも確か俺が英会話を試みて笑いやがったよな、あの魔人。なんか腹立ってきたが、今は岩泉ノアとの会話だな。


「とりあえず今日は外危ないんだな?じゃあ外出を控える。教えてくれてありがとな、岩泉」

『ううん、本当はね叔父さんが雑賀くんに伝えてくれって頼まれたの。それで瀬田くんに電話番号を聞いて、連絡しただけだから』


 明日覚えていろよ、瀬田ユウ。勝手に俺の電話番号を同級生に教えやがって。女に弱い奴め。というか、叔父さんが伝えろって、それは岩泉洋行の差し金ということだよな。


『叔父さんがね、フェデルタさんの邪魔になるだろうからって』


 ほほう、つまり俺は邪魔者だと。あの小指で眼鏡を押し上げる破滅的画力のおっさんが、俺が邪魔だと。役に立って嬉しかったのか、岩泉ノアは明るい声でまた明日と言いながら通話を終了した。

 しかし俺のこめかみには青筋が浮かび上がりそうだ。俺だって無関係でいたいのに、あっちが勝手に関わってくるだけ。つまりは被害者枠でいいはずの俺が、邪魔だと言うかおっさん。

 携帯電話片手に立ち尽くす俺に、背後から三者三様の呼び声。俺は岩泉ノアの電話で気付くべきだったな、忠義の魔人が動き出したという意味。つまりは無関係が貫けないということに。


「なんかアタシの電話に三浦さんが、大和家が騒がしいって。そんで知識の魔人と大和を迎えに行くって」

「俺のとこはカノン。錬金術師機関とカーディナルが同時に動いて情報系統が混乱しているらしく、メンドーなことに暴食候補がやばいらしい。」

「僕はね、梢から!そろそろ東京に帰るんだけど、交通規制で遅くなるから夜更かししないようにだって!」


 約三分の二が大和ヤマト関係であることに俺は頭が痛くなる気がした。確かさっき俺は外出しないって決めたはずなんだけどな。というか約一名、それは役に立つ情報なのか。

 東京周辺の高速道路の複雑さを考えればわからなくもないが、交通規制って事故でもあったのかよ。なんにせよ、俺も今の電話内容を伝えるか。岩泉ノアの名前、出すしかないよなぁ。

 そして話している内に枢クルリが少しずつ重い空気を醸し出してんだけど、そんなに重要な話あったか。多々良ララと鏡テオは普通に頷いてくれるので助かるけどよ。


「……」


 なんか枢クルリが無言でいるのが怖いと、初めて思った。今までこんなに圧力がかかりそうな無言はなかったはずだ。その気配を感じたのか、鏡テオすら口を閉じている。

 口元が軽く動いているが音声はない。考え事をしている人間みたいな仕草を枢クルリがしている。いや、猫耳野郎だけど元から人間だったなこいつ。しかも頭良かったはず。

 いやでも中卒なんだっけか。勿体ない気がするけど、本人がそれでいいなら俺はなにも言う気はない。ただしひきこもりだけはそろそろ止めないか。不健康だろ。


「……確実に一人、犠牲が出るな」

「いきなり怖いこと言うなよ。というか、その結論に至った道筋がわかんねぇ」

「説明するのはメンドー。だから……判断委ねるけど、どうする?」

「俺が犠牲になれと?」


 嫌な予感と今までのことを考えて口に出してみたが、枢クルリは否定の仕草を返すだけだ。つまり、俺は今回痛い目は見ない、というわけじゃなさそうのが怖い。

 俺は犠牲にならないけど、誰かが犠牲になる。しかも最低一人は確実に。しかし枢クルリとしては最低人数に抑えた方がいいと思ってるけど、判断するのは面倒だから俺に委ねた。

 この怠惰な猫耳野郎。重要なとこだけ俺に丸投げしやがって。そうと決まれば話は早い。俺は無関係無関心を貫きたい。ならば選択したい答えはたった一つ。


「サイタ、誰かを助けに行くの?」


 純真な瞳で俺を見る鏡テオ。硝子玉のように輝く緑と青の色彩に、俺は出かけた言葉が消えていくのを感じた。無垢な子供の視線は中々きつい。いや鏡テオは二十代で、この四人の中では最年長なんだが。


「じゃあ僕も行きたい!!サイタが僕を助けてくれたみたいに、僕もやってみたい!」


 あー、一番困る言葉が俺の耳に届いた上に響き渡った。助けたことは後悔していないが、巡り巡ってこういう展開になったことに関しては物申したい。

 というか、敵味方自己全てに被害が及ぶような固有魔法能力者であるお前が、おそらく猫耳野郎よりも貧弱かもしれない鏡テオが役に立つのかすらわからないし、怪我でもさせたら俺と椚さんが梢さんの技を食らう羽目に。

 どうする、俺。椚さんはいつだって梢さんのプロレス技を受けているが、俺はあんな目に遭いたくはない。俺の固有魔法でプロレス技は防げないからな。


「サイタ。大和のバイト先は三浦さんから聞いてるから、安心して」

「追い詰められてる俺に安心ときたか。つまりララもテオ側か」

「アタシはサイタについていくだけ。ただ行き先に困るのは嫌でしょ?」


 俺は時計を確認する。夜の八時四十五分。東京の街も夏の夜空を迎えたばかりだが、ネオンとか車のヘッドライトとかで明るいままだ。そして暑い。

 クラスでも夏休みまでの日数を指折り数える奴が出始める頃だしな。そろそろ浮かれる奴らが出てくるころだと、補導の人が目を光らせている頃だろう。

 短い黒髪を右手の指で掻き乱す。また汗掻くしかないのかと思うと、洗濯物が増えることに疲労感が。しかしここまでくると、俺は一番選択したくなかった道を選ぶしかない。


「わかった。全員、私服で行くぞ。ただし!!テオ、お前は絶対固有魔法を使うな!そしてララはなにかあればテオを連れて逃げろ!俺は梢さんのプロレス技は食らいたくない!!」

「梢さんの巨乳が十二分に味わえる関節技がきても?」

「………………それでもだ!!巨乳味わう前に意識が彼方に飛ぶのは御免こうむる!!」


 枢クルリによる悪魔の囁きを跳ね除けながら、俺は強く宣言する。しかし多々良ララがあからさまに俺を見下す冷たい視線を送ってきている。返事するのに少し間が空いただけじゃないか。

 もしも関節技を食らいそうになったらお前も巻き添えにするからな、枢クルリ。余計なこと言いやがって。俺の頭に出てきた黒髪美人の巨乳な梢さんが、想像だけで鬼の形相をしている。

 鏡テオは出かけられることに純粋にはしゃいでおり、愛用のメルヘン兎リュックになにかを詰め込んでいる。とりあえずこいつの無事だけでも確保しないと、俺は護衛二人からなにをされるかわからない。


「で、ララ!ヤマトのバイト先は!?」

「えっと、ここから徒歩十分」


 近すぎるだろうが。俺の意気込みを返してくれ。





 愛用漢字Tシャツに半袖シャツと七分丈ズボン。どこからどう見ても私服男子高校生な姿で、とりあえず固有魔法【灰の踊り子サンドリヨン】でレオタードドレスになった多々良ララに抱えられている。

 マンションの前でいきなり抱えられた時は焦ったが、もう慣れたもので姫様抱っこにツッコミ入れることもせずに進もうとした矢先だった。多々良ララは重要なことに気付いたようだ。


「三人は抱えられない」

「だろうなっ!!」


 思わず叫ぶが、なんで俺を抱える前に気付かないかな、このクールイケメン系女子は。仕方なさそうに俺を降ろすが、そんなに俺を姫抱きしたいのか。

 そしてあっさりと固有魔法を解除して、簡素な灰色パーカーと白のハーフパンツ姿の多々良ララが目の前に。動きやすそうな服を選んだんだろうな。イケメンだった。

 枢クルリはいつもの紫ジャージにサンダルで、鏡テオは黒のノースリーブパーカーに白のスラックス。こうやって見ると、あんまり変わらんな。


「テオはララから離れるな。絶対だからな。危なくなったら椚さんに連絡、いいな?」

「はーい!」

「というわけで悪い。テオのこと頼むぞ、ララ」

「はいはい。枢、サイタの面倒見てて」


 枢クルリは返事しなかったが、考え事しながら頷いている。なんで俺の面倒を見るのが猫耳野郎なんだ。逆じゃないのか、普通は。

 これ以上の押し問答も時間の消費が激しいだけなので、多々良ララに教えてもらったバイト先から大和家の位置を考え、通学に使う駅へと向かう。

 確か大和ヤマトの家は東京の下町あたりで、バイクを使うにしろ、通学用のICカード利用にしろ、駅が一番使いやすいはずだ。あそこは駐車場も広いしな。


 なるべく人目がない、補導の大人がいない道を選んで進む。さすがにこの四人で行動するのは目立つしな。特に猫耳とイケメン女子が。

 細い道を選べば街灯が少ないので、大通りに比べれば薄暗い。それでも歩くには充分な光量が確保されており、端にあるゴミ箱にさえ注意すればなんとかなる。

 と思った矢先になにかに躓いた。しかも顔面からコンクリートの地面にぶつかり、派手な音が響く。痛みを訴える顔面に触れば、なんか生温い濡れた感触。鼻血でも出したか。


 真っ赤な手の平が蛍光灯によって照らされている。こんなに鼻血を出したのかと思ったが、目の前が赤い。正確には、夜闇で黒くなるはずのコンクリートが赤い。

 俺は四つん這いのまま足元を振り返る。黒と白を多用したゴシックフリルな服装。ドリルみたいな髪型。そして人形のように生気がないまま、瞼を閉じている少女。

 多々良ララだけでなく、枢クルリも言葉を失くしている。いやだって、こいつはさっきまで電話してたことを俺は知っているぞ。じゃあなんで今は血を流して倒れているんだよ。


「深山、カノン?」


 返事はない。静かな物で、あまりの静寂に俺は周囲を窺う。夜の九時前、人通りが少ない道とは言え民家や店がある場所だぞ。東京のくせに、なんでこんな時に。


「っ、テオは!?」


 弾かれるように気付く。振り返った先に多々良ララと枢クルリはいた。しかし鏡テオの姿だけ見かけなかった。あまりの衝撃に、思考が追いつかないまま大声を出す。

 と思ったら、二人の姿もない。視界を掠めた緑色に嫌な予感を覚えて、思わず深山カノンの体に覆いかぶさるように姿勢を低くする。頭上を素早い鞭が通り過ぎたような風切り音。

 すると深山カノンの小さな唇から少しだけ熱い息が零れたのを感じ取る。良かった、生きている。それが確認できただけでも、俺としては大収穫だ。


 俺は顔を上げる。建物の壁を這いずり回るように動く棘のない茨。ただし一本とか三本とか、そんな話ではない。十単位、いや百単位の茨が広がっている。

 それらは意思を持ったように動き回る物を狙っているらしく、蛍光灯に群がっていた蛾の一匹が捕えられて粉々になる。俺はこの茨を見たことがあるから、信じられない。

 もしかして深山カノンはこの茨に攻撃されたのか。茨が反応しないように、視線だけ動かして容態を確認する。すると脇腹に手を添えている深山カノン。これだけではわからないが、次に聞こえたのは耳が痛いほどの銃声。


 改造モデルガンの比ではない。強い破裂音ときな臭い煙の臭い、そして閃光。五感の半分以上にダメージを与えるような、強烈な刺激に俺は冷や汗が出る。

 そして蛍光灯の下に現れた赤いマントを羽織った小柄な誰か。体の線が細く見えるため、多分女だろう。そしてこの状況で、俺に思い当たる人物は一人しかいない。ニュースでも有名な赤ずきん。

 スクールバックからはみ出ている多数の武器が非現実的で、それがどれだけの威力があるかはわからない。ただわかるのは、今も目の前で数本の茨が蜂の巣状にされて動けなくなったことだ。


 だけど茨はその数十倍。背後から迫った茨に弾き飛ばされて、赤ずきんは姿を消す。同時に地面を滑るように転がった折り畳み式携帯電話。そこから鳴り響く着信音に寒気がする。

 可愛らしい赤の携帯電話にクラシック音楽のボレロ。しかも8bit音。まるでゲーム世界に放り込まれたような感覚に、俺はゆっくりとした動きで携帯電話を手に取る。


『おい、聞いているのか?錬金術師機関は契約違反した。お前はおつかいを止めて家に帰れ。おい?』

「……大家さん?」


 聞き慣れた男の声。それすらも冷たく感じ取れて、夏の暑さも吹き飛んだ。ああ本当に、無関係を貫きたかったのに。


『……ちっ、あの馬鹿。携帯電話を落とした上に、よりにもよってお前か。ある意味、持っているな、お前。可哀想なくらいにな』

「なにが起きてるんだよ?なんで、アンタまで錬金術師機関とか!?あの子が、赤ずきんとか!!どういうことだよ!?」

『俺が教えればお前は満足か?違うだろう?傲慢がそれで満足するわけがない。自分の目で確かめろ』

「ふっざけんな!!なんでもかんでも勝手に決めて!振り回して!!後は自分で?確かに俺は傲慢野郎だ!!でもな、お前よりはましだ冷血漢!!!!」


 八つ当たりのように叫んで携帯電話を投げ飛ばす。固い地面に当たって、それは二つに散らばって壊れてしまう。頭に血が上って、大切なことを忘れていた。

 車にぶつかったらこんな衝撃なのだろうか。固有魔法を使う暇もなく、太い茨が腹を殴ってきた。そのまま空高く吹き飛ばされていきながら、俺は少しだけ反省した。


 やっぱり岩泉ノアの言う通り、外出しなければ良かった。忠告してくれたのに、悪かったな。


 目の前が黒くなったり白くなったりと忙しくて、その合間に地面が迫ってくるのが見えた。俺は思考もできないまま、映像だけを脳裏に焼き付けている。

 ただ一つだけ。空高く吹き飛ばされたので、下の光景を俯瞰できた。深山カノンが倒れている場所からそう遠くない所で、大和ヤマトが茨の上で寝ていた。

 そこを中心に茨は範囲を広げている。まるで大和ヤマトを守るように片っ端から動く者を襲っている。よく見れば針山アイの姿もあった気がしたが、気にすることもできなかった。


「……はぁ」


 小さな溜息。そんで俺を俵のように担ぐ誰か。思わず多々良ララかと誤認したが、銀色を視界に捉えた瞬間に別人だと判明する。

 夏だというのに黒一色の服。首元まで隠しているせいで、見ているこっちが暑いくらいだ。そんで長い睫毛の下では、海のような青い瞳が呆れたという感情を隠さない。


「……フェデルタ?」

「!?どこでその名を……いや、待て。確か……ノアか」


 忍者みたいな動きで建物の屋根を数回飛び跳ねて、軽い着地音と共に小さなビルの屋上に降ろすフェデルタ。そして片手で顔を隠しているが、苦悩しているようだ。

 もしかして名前は秘密だったのだろうか。そうだとするとうっかりとはいえ口にした岩泉ノアの責任か、痛みで気が回らなかった俺の配慮不足か。できれば前者でお願いしたい。

 渋々といった様子でフェデルタが片手で俺の頭をわし掴む。意外と乱暴な奴だと思ったが、腹の痛みが引いていくことに気付く。もしかして助けてくれた上に癒してくれてんのか。


「状況は最悪だ。錬金術師機関、カーディナル、それに青い血の六番が雇っている赤ずきんまで入れ乱れている。その上で暴食候補の固有魔法暴走。ナレッジは助からないだろう」

「どういうことだよ?」


 痛みがなくなったことで口が動きやすくなる。訳がわからないままだが、多分こいつは大家さんよりもなにかを知っているんじゃないだろうか。

 だけどフェデルタは俺が回復したと見るや、すぐさま走り出そうとした。そうは問屋は降ろすかと、俺はホームベースに滑り込むバッターのように片手でフェデルタの足を掴む。

 これにはさすがに動けないと判断したのか、またもや小さな溜息。俺だって溜息つく余裕が欲しいけど、今は事情が知りたいんだよ。教えやがれ、魔人。


「……ナレッジはあの候補を助けるために魔法を使う。カーディナル、錬金術師機関……どちらにしろ捕まる。そういう契約だ。律儀な奴だよ」

「そうじゃなくて、なんでこんな状況になってんだよ?なんで……深山が死にかけてんだよ!?」

「あの少女は父親を守るために我が身を犠牲にしただけだ。しかし安心しろ、嫉妬の危機に呼ばれてあの奇天烈権化がくる」

「誰だよ!?」


 思わずいつものノリでツッコミを入れてしまう。奇天烈権化って、もう意味がわからない。しかしパトカーのサイレン音と一緒に激しい排気音が近づいてくる。

 で、ビルの壁を駆け上って現れたバイクが俺とフェデルタの頭上を越えて深山カノンがいた方向へ。よく見ると、後ろ座席にレオタードドレス姿の多々良ララが乗っているのが見えた。

 迫る茨さえも道代わりに進んでいくバイクに唖然としながら、俺はとりあえずフェデルタから手を離さないまま立ち上がる。立ち並べば、やっぱりこいつ俺と同じくらいの身長か。


「……そういえばお前、忠義の魔人だったな。だったら傲慢候補である俺の危機のために協力しろ!!」

「断る」

「いーや、お前は断れないね!何故なら……お前が魔法で大和ヤマトを助ければ、ナレッジは契約違反にならない」

「俺は捕まるわけにはいかないんだ。あんな罠の中央に飛び込む馬鹿じゃない」


 俺から離れようとするフェデルタだが、そう簡単に逃がしてやるもんか。魔人ってのは便利そうだし、おそらく今の状況には必須なはずだ。


「じゃあ俺をあそこに連れて行け。あとはお前の好きにすればいい。俺がヤマトを助ける!」

「できると思っているのか?強欲の時とは違うんだぞ?」

「俺ならできる。そう言えば、お前は忠義を尽くすしかない。だろ?」

「……解決方法も知らないくせに。傲慢な奴だ」


 そして三回目の小さな溜息の後、フェデルタは徹底的に嫌そうな顔で呟く。


「だからお前には会いたくなかったんだ」


 ビルにまで侵食した茨が俺とフェデルタの頭上を覆う。その前に、フェデルタが俺の白シャツの背中部分を掴みながら跳躍して走り出す。

 こいつもこいつで茨の上を道として大和ヤマトが眠り続ける中心部へ迫る。俺は傍から見たら腹立つような笑みを浮かべながら、フェデルタに話しかける。


「素直じゃねぇ奴!」

「お前には言われたくない、この傲慢野郎!!」


 なんだかんだで俺の提案に付き合ってくれるフェデルタは、怒りながらも俺を大和ヤマトがいる場所へと連れて行く忠義者だった。

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