3話「ウォーターメロンにキーマカレー」

 雑賀さいがサイタ。東京の高校に通う普通の学生。世の中には固有魔法所有者という、二人に一人は当てはまる事情付きではあるが、健全で普通の男子高校生だ。

 普通と高校生を二回も重ねて発言したのは重大な理由がある。本来ならば平凡な生活の中で日常を満喫していいはずの俺の人生が余計な案件で脅かされているからだ。

 事の始まりは合コンだった。いや、本当に最初の最初まで追求するとそこまで遡るのは俺としても不本意だが、そう言わざるをえない。そしてどこかの若者が喜びそうな七つの大罪設定付与が始まったんだ。


 もうこれも口に出すのは嫌なんだが、どうやら俺は傲慢な人魚姫という位置に相当するらしい。俺の明らかな野球部外見の日焼け肌と漢字Tシャツが涙を流しそうな立ち位置である。

 さらにオマケと言わんばかりに嫉妬するシンデレラに怠惰なラプンツェル、強欲な白雪姫と入って来て泣けてくる。一番泣けるのはシンデレラ以外が男という点だ。ここにはそろそろ抗議入れてもいいだろう。

 困ったことに今度は暴食の眠りの森の美女が追加ときたもんだ。知識の魔人とか、都市伝説級連続殺人犯少女まで畳みかけてくるもんだから俺の頭も処理不足で悲鳴を上げている。しかも暴食担当も男だしよぉ、まじふざけんなよ。


 なんかよくわからないんだが、俺の料理が上手いのが悪いみたいなことも言われてるし。というか勝手に集まって来たのはあいつらの意思だからな。俺のせいじゃない。

 大体シンデレ担当で紅一点の多々良たたらララが腹ペコキャラっていうのもどうなんだよ。そしてラプンツェル担当のくるるクルリは栄養バランスを考えろ。白雪姫担当のかがみテオは残さず食べるようになりやがれ。

 ここまで俺の悩みを聞けばわかるだろうが、俺一人で四人分の食事を作るのも大変だって言ってるのに、眠りの森の美女担当の大和だいわヤマト追加とか阿保なのだろうか。


 しかも美女っていう称号なのに俺よりも身長が高い金髪筋肉野郎っていう時点で色々と非難殺到だろ、普通は。しかも可愛い幼馴染付きとか、なんなんだよ、俺への当てつけか。

 これまた大和ヤマトの食欲は凄まじいのが判明している上に、大罪の対となる美徳の魔人と生活圏が一緒ってどういうことだよ。しかも第二次世界大戦から生きてるって、長生き爺かと思えば外見若いし。

 本格的に魔人が加わったせいで扉を開けたいと願う錬金術師機関、扉を閉じたままにしたいと願うカーディナルが重い腰を上げ始めているらしく、俺は状況整理でお腹一杯な気分だ。


 で、このことを俺が知る中では一番頭が回る枢クルリに相談したところ、メンドー、というお決まり文句で一蹴されたのは根に持っとくからな。






 夏休みまであと何日かと、指折り数え始めた瀬田せたユウを横目に短い休憩時間を味わう。原西はらにしユカリなどは携帯電話の最新連絡アプリで彼女との計画を相談し合っていた。

 山瀬やませキオは次の時間に寝るか早弁するかで迷っており、西山にしやまトウゴは無言で涙を流している。どうやら恋愛ゲームときキスのハッピーエンドルートを攻略したようだ。なんて残念なイケメン。

 田原たはらリキヤが勧めてくる新作お菓子という名の珍味を断りつつ、俺も夏休みまでの日にちを数える。とりあえず一ヶ月前ではないが、数えれば二十以上だ。


「あ、あの……しゃ、雑賀くん……」


 物凄い小声で遠慮がちなおどおどした声。しかも噛んでるし。とりあえず俺はいつも通り振り向いたのだが、目の前にいる気弱女子は肩を尖らせて体を震わせた。

 大きな眼鏡レンズを太い桃色枠で彩った眼鏡の顔の大半が占拠されている上に、顔を伏せているせいで眉毛辺りの前髪が鼻の上まで隠している。肩より少し上程度の黒髪の先端から、汗が一粒床に落ちた。

 戸惑いがちに上目遣いで俺を見てくるが、どう見ても怯えている。大きな黒目なのに、勿体ない仕草だ。確か同じクラスの岩泉いわいずみノアだったか。朝の挨拶程度しか会話した記憶がないんだが。


「ろ、廊下で野球部の人から……その、今日は顧問の先生の都合で部活お休みって……」

「まじか!?よっしゃあ!!」


 ただでさえ最近の問題の多さに頭を悩ませていた中で一番の朗報だった。思わず声に出して大喜びするが、岩泉ノアはひっくり返りそうなほど驚いている。

 そんでもって後ろの机に脚をぶつけ、本当にひっくり返っている。ある意味、なんて器用な奴なんだ。とりあえず手を伸ばすが、顔を真っ赤にしながら床の上を這いずって距離を取ってから立ち上がっている。

 ズレた眼鏡を両手で押し上げる仕草に引っかかりを覚えつつも、何故か何度も謝って教室を飛び出していく岩泉ノアの背中を呆然と見送る。あと三分で授業開始だぞ、岩泉ノア。


「岩泉さんって、こう、なんか惜しいよなぁ。文芸部かと思いきや吹奏楽部の補欠だっけ?うわ、このお菓子辛っ!!ぐおうぇ!!」

「確かトランペットを顔を真っ赤にして吹いてて、音が一切鳴らなかったらしい。あれってコツが必要なんだってな。やっぱモテるにはギターとかか!?」

「いやでもギャルゲー方式で言えば眼鏡を取れば美少女なはず……悲しいかな、三次元」

「でーたー、トウゴの二次元至上主義。俺はもう少し出るとこ出てると告白してた……やっぱミウたんが俺の天使イズ彼女」

「なんというか僕達が彼女を批評していいのか迷うところだよね……」


 こんなどうでもいい会話に癒される俺。そんな状況に悲しくなりつつ、原西ユカリ以外彼女がいないことに嘆こうぜ。いやでもそろそろ原西ユカリも破局する頃だろうな。

 毎度懲りずにスピード破局するからな。今回は保った方だろう。ちなみに俺の最近の悩みの元凶である合コンに誘ったのはモテるのに必死な瀬田ユウのせいである。

 そんなこんなで授業開始の合図。その音と同時に岩泉ノアが慌てて自分の席に戻っていくところ眺めつつ、変な奴とだけ思うことにした。






 放課後は意気揚々と買い物するために帰り道を辿ろうとする俺に、慈悲があるのかないのか、後輩である三浦みうらリンと深山みやまカノンが声をかけてきた。

 もちろんと言うべきか、多々良ララも同行している。イケメン顔とゴスロリに今時ギャルの三人組が揃うと、異様だな。周囲の目線が痛いほど集まるのを感じるぞ。

 深山カノンの場合は半袖シャツがすっきりしている分、スカートの下から覗く薄手レースが派手な模様まで見える形な上に、蜘蛛の巣模様の二―ハイソックス、って暑いだろそれ。


 そういえば女子の最大のお洒落は我慢って言うしな。俺にはわからない理論だが、深山カノンを見てると納得する。あとなんで三浦リンは初夏なのに長袖カーディガンを腰に巻いているんだ。寒いのか熱いのかはっきりしろよ。

 ただ一番のツッコミは最後にした多々良ララだけどな。なんで下半身がスカートじゃなくて体育用のジャージ半ズボンなんだよ。女というステータスを潔く切り捨てるな、多分まだ希望はあるはずと信じてあげてやるから。

 手にはなんか黒猫が可愛いハンドバック持ってるけど、どう見ても彼女の荷物を持ちました彼氏状態なんだよ。これだからイケメン顔女子は。


「サイタ、醤油の染み落としの仕方教えて」

「お、おう……あー、焦った……そういうことかよ」


 黒猫ハンドバックを俺の前に差し出しながら淡々と呟いた多々良ララ。とりあえずどうして今スカート履いてないのかの謎は解けた。普通の理由だった。

 少し風が吹いてぎりぎりまで短くしたスカートを手で抑える三浦リンを見て、こっちもカーディガンの理由に気付く。いや、普通に膝丈スカートに戻せよ、馬鹿なのか。


「雑賀さん、本日は三浦さんの案内で大和さんの御自宅に行きましょう。先日のお礼がしたいと」

「あいたたたたた。急に腹が痛くなってきたような気がする―」

「私の方が心労で痛みが激しいのですから問題ないですね。行きましょう」


 俺の迫真の演技は無視か。しかし多々良ララが俺の演技を見て肩を震わせているのはどういうことだ、畜生。少し棒読みだっただろうか。


「ヤマトの家、ちょっと下町の方にある旧家なんです。戦後からだから築……七十年くらいだったかな?」


 なんか由来だけはありそうな家だな。しかし大和ヤマトの家族構成を聞いているせいか、どうも田舎の祖父母の家とか思い出す辺りがなんとも言えない。

 とりあえず三浦リンを先頭に歩いて電車に乗って、そんでまた歩いてを繰り返して到着したのは確かに東京の下町と言うべき場所だった。昔ながらの商店街もある、どこか懐かしい気分に浸れる場所だ。

 少し遠かったせいか、夕焼け空が見え始めていた。チャルメラと言うのか、独特な楽器の音が鳴り響いている。カレーの匂いもするし、今夜はカレーにするか。材料も家に揃ってたはずだ。


 猫が木の塀の上で微睡み、庭先では犬三匹が三浦リンの姿を見て大はしゃぎしている。木造建築な上に戸締りも危うそうな家だが、想像通りの古き良き家の姿そのままだ。

 はしゃぐ三匹の犬を見ては、そういえば一匹だけ名前の法則乱れてたな、というどうでもいい話を思い出す。家の中からは大泣きする少女の声とふざけ合う少年二人の声が響いている。

 軒先では盆栽の手入れしているナレッジと白髪の男性……って、おい。魔人が盆栽趣味ってどういうことだ。朗らかに今年はいい逸品ができそうだとか笑い合っているし。


「おばさん、こんにちはー。ヤマトいますかー?」


 ノックもせずに玄関の引き戸ではなく、庭の軒先から家の中に声をかける三浦リン。ここ東京。日本の中でも防犯に気遣う場所だからな、思い出してくれよ。

 しかし相手は特に気にした様子もなく割烹着姿で歩いてくる恰幅の良い女性。多分、大和ヤマトの母親なんだろうな。勝気で一家を盛り立てるような強さが溢れている。俺の母親とはまた違う感じだ。

 割烹着の下は普段使い用の和服を着ているのも俺としては驚くべきところなんだが、三浦リンは普段の調子で大和ヤマトの母親と歓談してから俺の方へ視線を向ける。


「おばさん、あちらが傲慢候補と嫉妬確定の人だよ」


 おい待て。その紹介の仕方はどうなんだ。確かカーディナルとか錬金術師機関は隠れて活動する秘密組織のはずだよな。そんなあっさりばらす物ではないはず。

 さすがにこれには多々良ララも驚いて……ないだと。俺だけか。俺だけが動揺しているのか。そんなこんなしている間に鼻水垂らした弟らしき少年とか泣きぐずっている妹らしき少女まで集まる。


「あらあら。こちらがねぇ……初めまして、大和ヤマトの母親のモモと申します。こちらは娘のナデシコに、ヤマトの下の息子でムサシとコジロウでして、キジおじさーん!!お客さんだよー!!」


 母親の名前可愛いな、というか親族どんどん集めないで。ああ、本当に田舎の祖父母の家を思い出す。次々と集まる親戚に挨拶巡り。最終的にくたびれる流れになっているぞ。

 犬猫も集まり始めるし、何故かムサシとコジロウと呼ばれた弟ズは金魚鉢持ってくるわ、というかさっきの白髪のおっさんが叔父さんなのか。そんで自然と混じるな、知識の魔人。


「もー、ウチの息子がまた大食いしてご迷惑をおかけしたようで……お詫びと言ってはなんですが、よろしかったらこちらをお持ちください」


 そして運ばれてくる大玉西瓜。ありがとう、大和ヤマトの母親。一人暮らしでは中々食べられない御馳走を貰って、俺は一気に気分が良くなる。そこ、お手軽とか言わない。

 運ぶのは大変そうだが、大和ヤマトに後日配達させるとかで。アイツ、運送業のバイトにも手を出してるのか。それともバイク免許持ちなのだろうか、なんにせよお言葉に甘えておく。

 大和ヤマトは相変わらずのバイト中らしく、どうやら家にいないらしい。食費を稼ぐためとはいえ、少しやりすぎじゃないか。学生なんだから勉学優先しろよとは言わないけどよ。


「ウチはナレッジ爺さんがいるから、御事情は存じています。リンちゃんも流れで知っちゃってねぇ……全く、変な世の中よねぇ」

「は、はぁ……」


 世間話するおばちゃんの如く軽快な調子で喋り始めた大和ヤマトの母親に対し、俺はとりあえず曖昧な返事だけで対応する。どうやら大和家はカーディナルや錬金術師機関を知っている上で無視しているらしい。

 なんでもナレッジが大昔、どれだけ昔かは知らんが、契約した内容によって大和家の安全は保たれているらしい。ナレッジが魔法を使わない限り、どちらの組織も大和家には手を出すなとかなんとか。

 もしも契約が破られるようなことがあれば持ちうる知識全てを使って二つの組織に重大な損害を与えた後、姿を眩ませるとか。それが守られているということは、知識の魔人の名前は伊達ではないらしい。


「ま、大変だろうけどなにかあったらおばちゃんに相談してね。ウチで協力できることなら力を貸すからね」


 普通に良いおばちゃんだぞ、この人。なんというか世話焼きおばさんというか、外見的にもパン屋とかにいたら絶対美味しいと思えるような柔らかい空気がある。

 器が大きいのだろうか。なんにせよ俺の悩んでいたことが、考えすぎな気がしてきた。とりあえず一番気になっていることだけでも尋ねてみるか。そこで微笑む若作り爺に。


「なんでナレッジは暴食を決めるつもりはないんだ?」

「……貪るだけが罪とは思いません。なにより、暴食を決めてしまえば魔法を使うしかない……それは契約違反です」


 よくわからないけど、魔人の癖に魔法を使わないということか。そういえば魔人の魔法の仕組みってわからないな。固有魔法とは少し違うのだろうか。

 貪るだけが罪ではない、か。魔人が罪を決める基準は各自に委ねられるってことか。だからカーディナルは候補を無差別に襲っている、という。ややこしくなってきたな。

 じゃあ暴食と認められる奴は大食いじゃないっていうことか。大和ヤマトのあの呑気な様子を思い出すと、どうやら嫌いな童話占いも外れたようだ。ざまあみろ。


「……僕がもし認めるとしたら……ゲンジロウのような者くらいですよ」


 小さく呟かれた言葉には哀しそうな笑み。いや、誰だよ。知らねぇよ。そう思っていたら大和ヤマトの母親が遺影を持ってきた。故人かよ。

 しかも単独で映っている写真じゃないだと。家族に囲まれて幸せそうに微笑む布団の中の爺さん。今にもぽっくりと逝きそうなのに、満面の笑みと手に持っている向日葵が印象的だ。

 よく見れば庭にも向日葵が元気良く咲いている花壇がある。そして写真の中でドーナツ食っている子供はどう見ても大和ヤマト。もちろん幼い頃は黒髪である。


「お爺ちゃんはねぇ……本当に誰もが憧れる自宅で皆に見守られての逝去でね。しかも前日まで孫をひっかけるための落とし穴を掘ってたくらいで」

「ファンキーな老人だな、おい」

「広島で原爆の被害を受けたのに白血病にもならず、運の良さだけで世間を渡り歩いたあの胆力……本当、ナレッジ爺さんがいて助かったわぁ」

「聞けば聞くほど気になる人生だけど、とりあえずすげぇ爺さんっていうことはわかった」


 思わず素の口調になるが、大和ヤマトの母親は気にせずに涙ながらに大和ゲンジロウの話を始める。ただし大半は右から左に流れていったが。

 幼い頃に病の母親のために遠くの向日葵畑に向かい、辿り着いた時点で戦争の兵器が落下。街どころが家族も全滅。難を逃れたのは向日葵を取りに行った大和ゲンジロウだけ。

 どうやらそこでナレッジに出会ったらしい。そんでもって子供一人と魔人による戦後生活が始まり、襲い掛かる就職難の荒波を越えながら結婚し、一族を形成したとか。


 これまた好きなことに次々と挑戦していく爺さんだったらしく、幾つも職を変えては大変だったらしい。ナレッジが影ながら助力し、爺さんの嫁である婆さんを助けてたとか。

 株式市場に東京オリンピック景気や闇市場の歩き方と賢い買い物方法。万博開催にアポロ月面着陸に及ぶ家電製品の売れ行きやテレビの需要高まり、まるで近代史を追いかけているようだ。

 大型の携帯電話や空中広告の話まで行くと流行り廃りの件だし、話でしか聞いたことがないような実際の出来事を全部体験してきたことがわかるような人生だったようだ。


「……本当に、面白い人で困っちゃうの。絶対憎めないの。そのせいか人にも好かれて、多大な借金を抱えた時はどうするのと一家離散にも悩んだのよねぇ……」

「ああ、ありましたね、そんなことも。あははは」

「いや、笑い事じゃねぇだろ魔人。その朗らかな笑みが今は怖いぞ」

「ちゃんと解決させましたから。ゲンジロウの首根っこ掴んで方々に頭下げて謝って……海に沈められたらさすがに契約を自ら破ってたかもしれません」


 させた、という時点でナレッジは本当に助力しただけなんだろう。それでも海に沈められるって、なにをどうすればそんな事態に発展するのか。

 空が真っ赤になり、そろそろ買い出しして家に帰らなくてはいけない時間になってきた。俺はとりあえず大和ヤマトの母親にお礼を言い、これからも大和ヤマトをよろしくとお願いされてしまう。

 できれば深く関わりたくなかったんだが、仕方ないか。大玉西瓜貰っちゃうしな。冷蔵庫で冷やした甘い西瓜の味を思い出しながら、俺は珍しく気分よく関心を持とうと思った。






 真っ赤な空の下。同じくらい真っ赤に染まった道。そして真っ赤な少女。俺の思考を止めるには充分な赤尽くし。少女の姿に違和感を持った奴らから、携帯電話のカメラを向け始めている。

 俺の背後にはおそらく深山カノンと多々良ララ。三浦リンとは大和ヤマトの家で別れたので問題ないが、深山カノンは俺や多々良ララと違って固有魔法所有者ではない。

 駅前。つまりはいつも通りならば鏡テオがストリートライブをしている場所だ。慌てて鏡テオが歌っている場所へと目を向けたが、危険を嗅ぎ取った椚さんが既に避難させていた。さすが護衛。


 俺は買い物袋を落として呆然としたかったが、このエコバッグの中には明日以降の大事な食料が存在している。特に卵、これだけは死守していきたいと思う。

 真っ赤なローブを着た少女が俺に歩みを進める。ローブの布地が大きいせいかフード付きマントのようにも見える。現代日本では場違いな色合いと服装だ。


「……っばぁ!!驚いた、先輩?」

「お前かよ!!」


 フードをあっさりと脱いで姿を現したのは大家さんの親戚らしき女子中学生、大神おおかみシャコだった。あまりにも前振りで緊張した反動で、思わず手刀で軽く額を小突いてしまった。

 携帯電話のカメラ達は波を引くように去っていき、それと同時に人々も日常へと戻っていく。あいつら、俺の危機で金を稼ごうとしていやがったな。映像がお金になる時代の忌々しさよ。

 小突かれた額を小さな手で撫でながら大神シャコは唇を尖らせている。悪ふざけをしたお前が悪い、というかなんで俺の帰宅路で悪ふざけすんだよ。馬鹿なのか。


「むぅ~、シャコは悪くないのにぃ。先輩の意地悪」

「可愛く言っても俺の怒りは治まらないからな。心臓に悪いことしやがって」

「だってこうしろって六番が言ってたもん。なんか今日は青い血の集会だとかで、留守にするからご飯は自分でどうにかしろって」


 一人称が自分の名前な時点で嫌な予感はしていたが、やはりこいつは馬鹿らしい。もう少しわかりやすく解説してくれませんかねぇ、本当に。

 おそらく大家さんが留守だからご飯をどうにかする、そんで俺を頼ればいいとか考え、悪ふざけで気を引こうとした。どうよ、この流れ。完璧じゃないか。

 それにしても青い血だとか六番だとか、大家さんはああ見えて若手の漫画家の暴走で起こりえる設定過多でも好きなのだろうか。よくわからない人だが、金が好きなのは知っている。


「だから先輩、ご飯ください!」

「おまっ……ちゃんと手伝えよ。今日はキーマカレーな」

「わーい、先輩大好き!!」


 そう言って無邪気に俺の首に抱きつく大神シャコ。最初の人見知りはカレーの前に吹き飛んだらしく、大はしゃぎだ。というかエコバッグ落としそうだから止めてくれ。

 しかし俺の意識は背後に突如発生した殺気に反応するわけで、振り向いてもクールな顔の多々良ララしかいないんだがどういうことだ。というか、クールと言うよりは絶対零度顔。

 横では深山カノンが額に手を添えながら唇を青くしている。顔を青ざめさせるようなほどやばいことでもあったのか。なんにせよ、とりあえず深山カノンに夕飯どうするか聞くか。


「深山、お前はどうする?」

「ふぇっ!?あ、わ、私は遠慮します……」


 甲高い声で驚きながら少しずつ俺から距離を取る深山カノン。そこまで嫌わなくてもいいじゃないか。最近は距離が近づいた気がしたが、俺の錯覚だったか。

 大神シャコが目を向けると、さらに距離を取っていく。あまりにも背後に下がっていくので、幻の動物と言われるツチノコの動きとはこういうものかと、変な思考になる。

 そして一定距離に到達した後で耐え切れなくなったのか、別れの挨拶であるさよならを言いながら走り去ってしまう。ただしあまり速度はない。あいつ、運動神経ないな。


「で、いつまでくっついてんの?」

「そうだったな……大神、離れろ」

「はーい。それじゃあ先輩、帰ろう!」


 今度は手を伸ばしてきたので、俺はエコバッグを渡しておく。丁度荷物持ちが欲しかったところでな。さすがにエコバッグ二つは重い物がある。

 しかしなにが気に食わなかったのか、ぶん回すように腕を動かす大神シャコ。念のため卵が入っていない方を渡しておいて正解だったな。とりあえず後頭部に手刀を一撃入れとく。

 頬を膨らませてこちらを見上げてくるが、エコバッグを振り回したお前が悪い。そういえばこいつは俺より背が低いのか、ちょっと優越感だな。


「意地悪」

「行儀がなってねぇんだよ。良い子にしてないと、キーマカレー作ってやらねぇぞ」


 溜息交じりに伝えただけなのだが、何故か俺の腕にしがみつく大神シャコ。あ、これ傍から見たら女子中学生の妹と腕を組む兄貴状態か。俺だったら、ドン引きの光景だ。

 引き離そうと大神シャコに手を伸ばそうとしたが、腕を掴む手の力が尋常じゃない上に震えている。黒髪が俯いた顔を隠しているので、表情を確認することはできない。


「や、やだ!良い子にするから!!良い子にするから、やだ!!」

「そんなに怖がるなよ!?あー、もう、俺が悪かったよ。冗談だ、冗談。ほら、離れろ」


 仕方ないので前髪で隠れている額に軽くデコピンする。すると顔を上げた大神シャコの目には涙が溜まっていた。そこまで真剣に俺の言葉受け取ったのかよ。怖いな。

 少しだけ間を置いた後に大神シャコは頬が真っ赤になるまで膨らませた。顔の筋肉痛くなりそうだが、そこらへんは若さ故の柔軟性でもあるのだろうか。


「先輩の意地悪。悪い狼さんのところには狩人さんが来るんだからね!」

「誰が狼だ、誰が。ったく……多々良、お前はああいう年頃の女にはどんな対応するんだ」

「……知らない」


 なんか多々良ララの反応が冷たい。俺はなにも悪いことしてないだろうが。大神シャコが一人で先にマンションへの道を歩いていく。紺色のセーラー服が夜の来訪を知らせているようだ。

 待てよ、いつの間に時代錯誤な赤ローブを着替えたんだ、あいつ。一応スクールバッグらしき物は持っているが、着替えたところを見ていなかった。いや、見なくても問題ないというか、見ている方が問題か。

 とりあえず少しずつ俺が望む平穏で日常的なアレが戻ってきたと認識してもいいよな。多大なオマケがついている気がするが、そこはそれ。よし、これでカーディナルや錬金術師機関とも無関係になれば最高だ。




 そんな俺はキーマカレー作っている間に進行する事案を知らなかった。いやだって、当然だろ。俺はまだそこを知らないし、辿り着いたことも出会ったこともない。

 一つは錬金術師機関の本部。仰々しい王座で微睡む骸骨が、細長い骨の指を伸ばして街中に配置された監視カメラの一つを指差していた。それはとあるコンビニの映像。

 次々と仕事をこなしていく金髪の店員が、今も適当な言葉遣いで来客に声をかけている。骸骨は胸元が不自然に空いた貴族服を着ており、本来心臓が配置される部分には不気味に脈動する巨大な赤い宝石。


 もう一つはカーディナルの作戦室。針山アイが金髪碧眼の美丈夫から、赤い色の液体が入った注射器を与えられている。美丈夫は、壁に飾った大きな絵画を眺めて黙ったままだ。

 絵画は所々燃えているが、美しい姉妹と真ん中に居座る髭面の男を描いていた。男は姉妹の腰を引き寄せ、無理矢理自分の体に密着させているのがわかる。

 しかし真ん中の男は鋏で削り切られていて、全貌を掴むことはできなかった。そして絵画の後ろで、呼吸をするように存在感を発揮する白い扉が隠されていた。


 最後に銀髪の少年が夜の街をビルの上から見下ろしていた。ネオンや車のヘッドライト、広告映像に電子掲示板、果てには携帯電話の光さえ眩しいため、昼よりも明るいかもしれない。

 道路では仮面舞踏会で着用するような仮面を身に着けたライダースーツの男がパトカーから逃げていた。婦警の大きなスピーカー音声に、塾帰りの赤縁眼鏡の男子高校生が単語帳をコンクリートの上に落とす。

 頬に赤い薔薇の痣があるホストは仕事仲間と談笑しながら扉を開ける。その中にはサングラスをした椚さんも混じっており、店内は賑やかな様子で開店した。


「……岩泉、今日動くようだ。ナレッジも年貢の納め時だと判断されたらしい」


 携帯電話もなしに遠い場所へと言葉を伝える少年に対し、岩泉洋行は手にした携帯電話で返事をする。眼鏡の縁を小指で押し上げて位置を直す。


『了解した。だが今日は可愛い姪と会う約束をしていてね……私のために猛練習したトランペットを聞かせてくれるらしい』

「そうか。お前には期待するなということだな」

『そういうことだ。どうせ今回も傲慢候補が深く関わっているんだろう?そろそろ彼も台風の目になってきたじゃないか。いい迷惑だ』

「本当にな。だが動向が掴みやすくなった。今日以降、忙しくなることを覚悟しとくといい」


 そう言って少年はビルの上から姿を消す。岩泉洋行は通話が切れた携帯電話の画面を眺める。桃色の縁枠眼鏡を誕生日プレゼントとして贈った可愛い姪の写真が写っている。

 携帯電話を胸ポケットにしまい、外見や動きには特に変わった様子も見せないまま岩泉洋行は愛車に乗り込む。この日のために念入りに洗車した高級車であった。




 そして俺はと言うと、完成したキーマカレーの美味さに舌鼓を打つわけなんだが、その余韻を一時間後に壊さないでくれよ。

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