9話「データに眠るマザー」

 個人病室のベッドの上、気怠い体勢でテレビのニュースを眺めていた俺こと雑賀サイタと、横の椅子で同じように欠伸を噛み殺しながらチョコ棒を食べる多々良ララ。

 ちなみにチョコ棒は枢クルリが墓前用に買ってきた物であり、色々あったが死人はいないので生きている俺達が消費することに。甘い匂いが部屋の中に充満しないよう、窓を開けている。

 湿気を含んだ少し暑い空気が肌に汗を滲ませていく。そろそろ六月も半分を通り過ぎた頃だし、プールが恋しくなる。海を思い浮かべば焼きそばが食いたくなる。


 しかし一応建前上では入院している俺達は病院食を食べることになっているので、退院を言い渡されて帰ることができたら作ろうと思う。野菜多めも良いが、肉山盛りも良い。

 ニュースではやはり魔法管理政府のドイツ支部の不正が発覚し、責任追及と重職引退などで賑わいを見せている。それよりもスーパーアイドル歌手のケイトがアメリカ進出が気になる。

 多々良ララも歌手のケイトが好きらしく、ダンスや歌がかっこいいのにナイスバディが羨ましいと呟いている。確かに超巨乳だもんな、ケイト。


「こんにちは。雑賀さん、お体大丈夫ですか?」


 鈴を転がすような高い声が俺の耳に届いてくる。振り向けば予想通り、深山カノンが手芸屋の袋を片手に部屋の中に入る寸前で止まっている。とりあえず入るよう促す。

 多々良ララに兎リュック修復用の布を頼み、だけど制服姿のため外に出ると指導を受けそうになったという理由から深山カノンに買い物を頼んだという流れだ。

 ついでに俺と多々良ララの着替えも枢クルリと一緒に持ってきてくれるはずだが、荷物を持った枢クルリが他の場所に少し寄っているため布だけだ。


「鏡さんの兎リュックに近しい色も選んだのですが、せっかくですからと可愛い柄も買ってきました。ね、針山さん」

「は?」


 部屋の外側に声をかける深山カノンだが、その名前は俺が知る限りでは外見は好みだが中身は最悪の人物だ。というか深山カノンも仲悪かったはずだと記憶しているが。

 少し沈黙が流れた後に針山アイが俺とは目線を合わせないようにしつつも顔を覗かせてきた。その手にはお見舞い用の花が一輪。いや、ま、数には文句言わねぇよ。鉢付きじゃない分縁起は良いし。

 それでもおそらく明日には退院するであろう俺に花一本とは。しかもシクラメンって確か鉢植え代表の花じゃなかったか。簡単な花の種類くらい俺でもわかるぞ。


「買い物中に偶然花屋前で出会いまして。声をかけたら鉢の茎を折ってしまったので、買い取りに」

「……心だけ受け取っとくわ」

「う、受け取らなくていい!!花だけ受け取って!!」


 顔を真っ赤にして針山アイは早足で病室内に入って俺に花を差し出してくる。失敗による買い取りの花だ。それは本人も恥ずかしいよな。


「ちなみにピンクのシクラメンの花言葉は……」

「言わなくていいわよ!!大体花言葉なんて私は気にしてないし、そんなつもりで買ったんじゃない!!」

「あー……仲良くなってるとこ悪いけどよ、シクラメンはお見舞いに持って行かない方が良いぞ」


 俺の言葉に針山アイが疑うような目を向けてくるが、本当だ。死と苦を連想させる名前だし、豚の饅頭という別名もある花だ。

 退院直前の相手に花を持って行くこと自体がマナーとしてはあり得ない上に、このシクラメンによるコンボ。針山アイ、俺はお前の将来が心配になってきた。

 ちなみに花言葉は俺も知らない。とりあえず部活で怪我した奴を見舞う時にマナーを調べたから、今の知識があるというだけの話だ。


 常識として教えたつもりだが、針山アイは真っ赤だった顔をさらに真っ赤にしていき、最終的には青くなって部屋の隅で体育座りした。面倒な奴だな。

 ちなみに横では深山カノンと多々良ララがリュックを直すための布を選んでおり、多々良ララが妙に可愛い柄ばかり選ぶのが凄い気になる。

 多々良ララは男と並べてもイケメンの部類に入る顔立ちと高身長。それなのにピンクの星と下地が黄色を選ぶとはどういうセンスなんだ。無駄に気になる。


「うう……マナーってなによ。人がせっかくお見舞いしてあげたというのに恩知らず」

「逆ギレすんなよ。というかなんでお見舞いしにくるんだよ?お前、カーディナルからしたら俺が死んだ方が都合が良いだろ」

「……組織と個人の感情は別物ですよ、雑賀さん」


 深山カノンが少し困ったような顔で俺に言う。そう言われても組織の命令で俺を殺そうとした奴が個人の感情で動くと言われてもな。

 しかし深山カノンは同情を含ませた表情で針山アイの背中を眺めている。考えてみれば深山カノンも錬金術師機関に関与しているとはいえ、自分の意思で動いてるもんな。

 とりあえずお見舞いに関しては針山アイの純粋な好意と受け止めといてやるよ。でも俺最近針山アイに五百円玉と一緒に張り手されたんだけどな。女ってわからん。


「カノンこそいいの?結構やばい橋渡ってんじゃない?」

「それがそうでもないんですよ。うふふ、クルリさんたらあんな情熱的に……」


 愛らしい白い手で赤く染まった頬に触れる深山カノン。俺が知らないところで枢クルリとなにがあった。というが猫耳野郎が情熱的ってなんだ。

 深山カノンの様子に多々良ララと針山アイが大いに動揺して視線を彼女に注ぐ。もしかして女子特有の恋話発展とかだったら、俺はこの部屋抜け出していいだろうか。

 どう考えても女子の恋愛話と男の恋愛話はズレが生じるんだよ。それを味わうくらいなら売店で美味い物で買いに行きたい。奢ってもいいから、俺の前で繰り広げないように。


 というかあの怠惰な引きこもり、なに女子と好感度上げているんだ。俺が女子に膝裏蹴られたり、頬を叩かれたりしている間にずるくないか。

 もしも猫耳野郎に彼女ができた日には盛大な叫び声と共に祝ってやろうとは思う。半分は嫌がらせだけどな。うん、別に羨ましいとかそういうのじゃないからな。


「父も認めてくれましたし、機関の方からも正体をばらした特別諜報員としてクルリさん達限定で活躍していいとお墨付きです」

「……あ、そういうこと。ビックリした。つまりこれからもいつも通りってわけ」


 意外と心底驚いていたのか多々良ララが安心したように呟く。どういうことかと尋ねれば、深山カノンは別に枢クルリと恋仲になったわけではない。

 錬金術師機関に所属していた父親に無理矢理巻き込まれた形の深山カノン。それが正式に錬金術師機関に大胆な行動を認められ、俺達限定の見張り役となったらしい。

 災い転じて福となす。どうやら俺達に正体ばらしたり、敵対する組織のカーディナル所属である針山アイと知り合ったのも功績として大きいらしい。


 いまだに俺は錬金術師機関の意図が掴めないのだが、なんにせよ深山カノンは安定した立ち位置を確保したらしい。

 そのことを深山カノン自体が嬉しそうに語るのだ。ついでにそこに枢クルリが関わって、色々やってきたらしい。聞いていて本当かと疑いたくなる色々を。


 まずは深山カノンの父親に接触するため、深山カノンの案内で機関の使い捨て支部に突撃。その場にいた機関のメンバー全てにゲームで挑む。

 勝ち星一つに付き命令一つ従うという勝負だ。もちろんゲームに関して負けなしの枢クルリが負けるはずもなく、せっかくの再戦で気合を入れていた深山カノンの父親も惨敗。

 反抗する力どころが立ち上がる気力すらも奪い尽くし、支部に設置されていた電話から機関上層部に掛け合い。いわゆる交渉をしたらしい。


 枢クルリの見立てではドイツ支部に紛れ込んでいたスパイがいるはず。そいつは確実に鏡テオに関する情報を集め、保管している。その中にあるはずの、とある音声データの要求。

 代わりに深山カノンを常に自分達を見張っていてもいい人材として採用。彼女に関しては一切攻撃加えず、彼女が機関に流す情報も制限しないという譲歩を持ちかけた。

 また俺や多々良ララを含めた鍵候補はカーディナルと錬金術師機関、その両方に中立であることを伝える。攻撃するなら容赦しないが、なにもしないなら放置すると。


 どうやら枢クルリは錬金術師機関の心臓部を突き止めて魔法管理政府に情報を渡す準備もあるが、要求を呑むならば黙秘を続けると言い渡したらしい。

 錬金術師機関は特に動揺することなく、全ての条件を受け入れたらしい。むしろ候補である俺達に橋渡し役できたことに成果を感じ、追加要求はないということ。

 ただし俺達は候補の中でも軽視されている存在であり、あまり見くびってもらっては困ると逆に枢クルリに忠告を渡したとか。横で聞いていた深山カノンの心情を察する。


 傍から聞いていると恐ろしい交渉に対し、枢クルリは置き土産と言わんばかりに情報を渡したらしい。忠義の魔人のことについて。

 七つの錠、罪と相対する美徳、それが魔法を使う存在であり、魔法管理政府の岩泉洋行と繋がりがあることを。それくらいは知っているぞと挑発するように。

 相手は存在自体は掴んでいたらしいが、岩泉洋行との繋がりは知らなかったらしい。大慌ての声が聞こえた後、通話は切られて終了。以上である。


「私、見ていてずっと胸の鼓動が治まりませんでした。錯覚でもいい、クルリさんを思い浮かべると同じくらい胸が高鳴りますの」

「ああ、吊り橋効果ってやつか。いいのか?悪い奴じゃないけど、怠惰なゲーマーだぞ?」

「御安心を。私も軽度のオタクですから。間違っても雑賀さんには惚れたりしませんからね」


 ……あれ、今遠まわしに振られたのか、俺。言っとくけど、俺は一切告白してないぞ。それなのに巻き込まなかったか。

 多々良ララと針山アイが顔を伏せているが、堪え切れない笑い声が俺の耳に届く。畜生、こういうのとは無関係でいたかったのに、何故だ。

 なんにせよ清々しい笑顔で俺を振った深山カノンに恨みがましい目を向けていると、噂の張本人である枢クルリが部屋に入ってきた。


「クルリ、お前は一体どんな馬鹿をやって来たんだよ?そういう奴だったか?」

「どこかのお節介な傲慢野郎の影響を受けただけ。本当にメンドー。けど、鏡テオに関して解決はできそう」


 そう言って俺に服が入った荷物を投げ渡し、ついでに携帯電話も投げてきた。ただし使い捨ての、最近では珍しい折り畳み式の物だ。

 電波マークが表示されてないため、通話会社と契約はしていないらしい。だけど音声データや文章データを入れるには充分な機械だ。時計代わりにもなるし。

 予想通り、その携帯電話には一つだけ音声データが入っていた。枢クルリが錬金術師機関と交渉して手に入れた、鏡テオに関する決定打。


 もう二度と会えない。それでもこの中に眠っている。死んでしまったソフィアの音声が。最後の言葉が。





 あの子はこれ以上利用されてはいけない。だから母親代わりとして私が守って死ぬべきなの。

 可哀想な悪魔達。貴方達にあの子、テオバルド・エーレンベルクは渡せない。あの子の命はあの子の物。貴方達が消費していいものじゃないわ。

 嫌いだったわ。ずっとあの子を騙していた私が。でもこれでいい。なにも知らないまま、自分で見た物全てを信じて。


 負け犬の遠吠えだと思うなら笑えばいい。それでもこの声は貴方達の耳に届くわ。ざまあみろ。

 鏡に何度も問いかけたわ。本当にこれでいいのかって。どこかの童話の継母のように、狂人のように。

 全てを裏切ってでも赤の他人の子供を守る価値があるかって。断言してやる、確実にある。少なくともテオにその価値はあるわ。


 あの子の声を聞いた。まるでなにも知らない天使のように笑うの。歌声を聞いたわ。無垢な鳥の声のように高らかな声を。

 一切人間味のない、正しい人生を送らせてもらえなかった子よ。馬鹿と笑われてもいい、私はあの子に人間として生きてほしいの。

 人間として今度こそ家族と、友達と、幸せな人生を与えてあげたいの。真っ赤な林檎のように、熟された幸せをあの子に──────―。




 俺達は鏡テオの病室にいた。隔離病棟から一般病棟、その中でも厚遇な個室部屋だ。防音も完璧だとか。そこで聞いた音声データ。

 荒れた音の中に混じるドイツ語。聞いていた椚さんが震える手で翻訳を打ち込んだ画面を見せてくれた。椚さんらしい、ラフな翻訳だ。

 銃声の音には驚いたが、同時に音声データも砂嵐のような雑音で途切れ途切れになってしまい、最後は無音になった。梢さんがバスタオルに顔を埋めている。


 ただ鏡テオは起き上がった姿勢のまま、瞬きもせずに聞き入っていた。泣き叫ぶかと思ったが、神妙な顔で黙り続けている。

 深山カノンと針山アイも無言だ。多々良ララもなにかを言おうとして、失敗したような顔で視線を逸らしている。枢クルリは携帯電話を持ったまま動かない。

 俺達は死に慣れていない。慣れたくない物だが、死んだ人の音声を聞くと言うのは予想以上に胸に刺さる。特に誰かのために死んでいった人の声だ。


「……これが、錬金術師機関が持っていた音声データ。ソフィア・マルガレータの最後だ」

「うん。僕も一部だけ抜粋した、編集した物は聞いた」


 俺が目を丸くする。椚さんが小声で、雑音で悪意ある編集が施された酷い内容の物だったらしい。現場の騒動で潰されて再生不可になったとか。

 道理で鏡テオが動揺しないわけだ。少しだけ心構えがあったのか。それでも少し静かすぎる。いきなり泣き喚くという事態にならないといいが。


「だから、ありがとう。僕はここまで生きて、やっと……やっとソフィアの願いを知れた」


 枢クルリに穏やかに頭を下げる鏡テオ。思わず成長したな、と俺は感心する。しかし鏡テオの膝上に乗った拳、そこに滴が落ちる。

 透明な滴は夏の日光を浴びて、宝石が零れ落ちているようだ。いくつも音もなく零れて消えていく。鏡テオは顔を上げないまま、呟く。


「僕……生きるよ。ううん、生きたい。ソフィアの願った幸せが欲しい。それを一杯抱えて、おじいちゃんになって……最後にソフィアへ渡す」


 すれ違って、戸惑い、困惑しながら歩いてきた結果。鏡テオは強欲なほど幸せに長生きしたいと思ったようだ。純粋で、なんて難しい夢だろうか。

 しかも天国や地獄がある前提で、天国にいるソフィアに会いに行く的なことも言った。老いた後に出会って、彼女に幸せを届けるとか。強欲だ。

 ああ、本当に呆れるほど無垢な強欲だ。最新ゲーム機が欲しい俺に比べたら、純粋すぎて眩いくらいだ。だから思わず微笑んでしまう。


「お前が口にしてきた言葉の中では最高の物じゃねぇか。仕方ないから、応援してやるよ」

「……ぷっ、あははは!なんで上から目線なの?サイタって本当に面白い」


 吹き出すように笑いながら鏡テオが顔を上げる。満面の笑みが白い肌の上に浮かび、夏の陽射しを浴びて晴れやかだ。

 緑と青のオッドアイがガラス玉のように輝く。枢クルリは携帯電話を椚さんに渡している最中、梢さんのバスタオルから水が零れた。

 布の給水限界値を越えたらしい。どんだけ感動して泣いたんだ、この痴女は。実際顎から辿って零れた涙が白いシャツを透けさせている。


「梢、大丈夫?汗を拭うならそこのカーテンを使って着替えるといいよ」

「ああ、坊ちゃん!お優しい!!不肖この梢、坊ちゃんに成長という糧を与えられるならば今すぐ勝負下着を捧げて自慢の裸体を」

「っだぁああああああああ!!!梢ちゃん、今良い場面だから空気読もう!!勝負下着なら俺が貰うから!!」

「誰が貴様に渡すものかっ!鼻の下が伸びているのが丸わかりだ、この下郎!!」


 即座に手を伸ばしていた椚さんの腕を掴み、反り十字海老固めという技の体勢になる梢さん。本当に感動の空気が一瞬で吹き飛んだわ。

 しかし鏡テオは慣れているらしく、また遊んでいると朗らかに笑っている。椚さんのサングラスが技のせいで潰れる。よく笑えたものだ。意外と大物かもしれない。

 二人が仲良く暴れている内に目的の物だけでも渡しとくか、と俺は多々良ララに視線を向ける。すぐに気付いた多々良ララは鏡テオに差し出す。


 千切れた部分を買ってきた布で俺が直した、ソフィアからの贈り物。誕生日プレゼント。メルヘンな兎リュック。


 布地を選んだのが多々良ララと枢クルリ、ついでに深山カノンと針山アイも説明に入れておく。深山カノンに関しては綿についても協力してくれた。

 深山カノンは多少手芸の心得があったらしく手伝ってくれたのだ。ちなみに針山アイと多々良ララは壊滅的だったことは伏せておいてやる。

 継ぎ接ぎになってしまったが、そこは布の切り方を工夫し、メルヘンな柄で可愛くしました、という努力をした。妹達のぬいぐるみを直したことがあって良かった。


「……ありがとう。そして本当に迷惑かけてごめんなさい。僕……この中で一番お兄ちゃんなのに」

「本当にな。でも、まぁ、友達だからな。俺達になにかあった時助けてくれれば、それでチャラだろう」


 俺は確認するように、多々良ララや枢クルリだけでなく、針山アイや深山カノンも含めて、そうだろう、と声をかける。

 針山アイに関しては牽制も兼ねている。というか俺が鏡テオと関わるきっかけの大半はこいつのせいだからな。最後くらいは俺に協力しろ。

 俺の意思が伝わったのか、針山アイは渋々と頷く。深山カノンは快く、多々良ララはいつも通りクールに、枢クルリは面倒そうに同意する。


「っ、サイタ!!」

「うおぉう!!?」


 感極まった鏡テオが大型犬よろしく、両腕を広げて飛びつくように抱きついてきた。しかも俺だけじゃなく多々良ララや枢クルリも巻き込んでだ。

 四人仲良く揃って病室の床に倒れる。頭を打ち付けた俺は涙目だ。防音とはいえ、今の衝撃は他の部屋に伝わったらしく看護師さんが注意しにきた。

 それでも鏡テオは俺達から離れず、心底嬉しそうに抱きついているので、深山カノンが代わりに小言を引き受けてくれた。悪いな、頼むわ。


「僕、毎日サイタのご飯が食べたい!あとお父さん達を日本に呼びたい!日本の家に一家団欒!どうすればいい?」

「はぁ!?あ、あー、クルリ」

「やだよ、メンドー。五人で住むマンションなんだから、そっちに」

「お前の部屋の方が広いじゃねぇか!!もしくは椚さんと梢さんに手配を頼んでくれよ、もう……」


 次々とやりたいことを口に並べていく鏡テオ。俺とクルリはそれぞれ押し付け合う。多々良ララはおばさんと二人暮らしのため論外だ。

 そういえばお父さんと言うところで疑問符が消えたな。少しは実感が湧いたのか、心境の変化か。なんにせよ違和感が消えたのはいいことだ。

 しかし収拾がつかなくなった病室の中、どの顔も笑っていた。もちろん俺自身も若干呆れ気味だが、笑いながら終わったことに一息ついた。


 純粋無垢で厄介。そんな強欲な白雪姫が後日、二人の家来を連れて同じマンションに引っ越してくるのはまた今度語らせてくれ。




 今日も鏡テオは駅前でストリートライブをする。一本指演奏を卒業するべく、今日は二本指演奏だ。生温かく見守るしかない。

 相変わらず体は細い。仕方ない、体の異常である汗が出ない体質などは治ったが、胃袋の小ささやオッドアイなど命に関わらない部分はそのままだったようだ。

 つい最近では海外電話で父親と緊張しながら話し、今までのお礼とこれからも日本で頑張ってみるという決意表明を伝えたとか。電話越しの父親は歓喜で声が出なかったらしい。


 夕方とはいえ夏の日差しがアスファルトに残るため、鏡テオの白い首筋、赤い林檎の痣上を汗が流れていく。黒のノースリーブパーカーも体に張り付くほどだ。

 それでも生き生きとした顔で歌う。もうソフィアの歌は誰かに聞かせないとか。大事な歌だから、自分のために歌いたいとか強欲だよな。

 だから今日歌うのは誰かが欲しがる歌。望まれる歌。欲張っていいのだと、生きていいのだと、幸せを求めていいのだと高らかに歌っている。


 前は透明な声だった。今は色鮮やかに弾ける水風船のように、夏の暑さも刺激に変えてしまう爽快な声が夕焼け空に響き渡る。

 その横では相変わらず謎の着ぐるみを着た椚さんが副業のホスト宣伝しつつ、新しいCDを販売している。売れ行きは悪くないらしい。

 しかし歌い終わった後、質問しようとする聴衆に食って掛かる梢さん。それを止めようとする椚さんがプロレス技一撃で鎮められる。


 二人の奇行を遊んでいると思い、微笑ましい様子で見守っていた鏡テオに話しかける者が一人。小さな女の子で、その目は鏡テオが背負っているリュックに向けられている。

 継ぎ接ぎで右羽や右耳が可愛らしい布で修復された、シルクハットをかぶった兎リュックだ。どうやらどこで買ったのかを聞きたいらしい。

 鏡テオは笑顔で大好きな人に貰って、友達に直してもらったんだと説明する。だから買った場所はわからない、と答える。


 女の子はそれで納得したらしく、素敵な鞄だねと笑う。その言葉に鏡テオも心底嬉しそうに笑う。子供のような無邪気な笑顔だ。

 天使でもなく、姫でもなく、幸せを謳歌する人間らしく笑う。そして鏡テオは兄から貰った小型キーボードををしまい、肩に担いで移動を始める。

 手の中には最新式の携帯電話。慣れない手つきで遅いながら文字を打ち込んでいく。送信したのは今日の晩御飯リクエスト。


 きょうはシチューとハンバーグとポテトがいいな。ウインナーもあるとなおグッド。


 それに対する返信は簡潔だ。というか近くにいるのにメールをする必要があるのか問いたい。もうスーパーでの買い出しは終わっているぞ。

 多々良ララと一緒に帰る途中、いつも通り眺めていたというのに気付かなかったのかよ。仕方ないので手を振って存在を示す。

 ちなみにメールはすでに返し終わっている。残念ながら本日は肉乗せ焼きそばだ。ピーマンと人参も入っているから、残さず食べるように。


 というか、少食のくせにメイン料理ばかり欲しがるな。この強欲野郎。仕方ないから、今度作ってやるため我慢しろ。

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