嫉妬編

硝子の恋に嫉妬してバタフライドリーム

1話「胡蝶の夢とラブレター」

 授業中、昔の話で胡蝶の夢というのを延々と話す教師の声を聞いて、少しだけ眠くなる女子高生である。それがアタシ、多々良たたらララ。

 胡蝶が自分の夢を見ているのか、それとも自分が胡蝶の夢を見ているのか。どちらにしろ変わらない、というのを教えたい話らしい。

 でも胡蝶になれるならなってみたい。アタシにとって男っぽい顔立ちの自分が嫌だし、可愛い女の子が羨ましくて仕方ない。


 中学時代から友人の深山みやまカノンは本当に女の子らしくて、それでもアタシが可愛いもの好きというのを見守ってくれる優しい子。羨ましい。

 せめて身長が、つい最近知り合った雑賀さいがサイタ並に小さかったら良かったのに。中学時代で既に百七十を超えた。ああ、あの傲慢野郎が羨ましい。

 声もかがみテオみたいに愛らしかったら。せめてくるるクルリみたいに猫耳とか似合う姿だったら。針山はりやまアイみたいにお淑やかな容姿だったら。


 アタシは周囲の人間全てが羨ましい。なんでアタシはそうなれなかったのか、妬ましい気持ちも少しある。だけど打ち明けることはない。

 これも結局は胡蝶の夢。アタシが誰かであっても、誰かがアタシであっても、変わらない。どう足掻いてもアタシはアタシでしかない。多々良ララから逃げ出せない。

 だからシンデレラという童話が嫌い。彼女は魔法で全く違う自分になって、王子と結ばれる。羨ましい、ずるい、悔しい。どうして彼女は幸せになれたのだろうか。


 アタシは幸せになれなかったのに。淡い初恋を叶える力もない魔法に、意味なんてないのに。




 別に小さな頃から大きな身長と男っぽい顔立ちをしていたわけじゃない。小学校一年くらいまでは可愛らしい服を着て、お人形さんみたいと持て囃されていた覚えはある。

 フリルとレースのワンピーススカートを着れば、まるでお姫様みたいで嬉しかった。アタシだってそういう物に憧れていたんだ。いつか素敵な人が来ることを恥ずかしげもなく考えていた。

 で、二年に進級する頃だったかな。同じクラスの男の子と仲良くなって一変。動きやすいボーイッシュな服を選ぶようになったんだ。スカートだと木登りできないし、汚れたら面倒だからだ。


 小泉こいずみソウジ。美少年かと言われたらそうじゃない。むしろ悪ガキの類で、今思い出すと雑賀に少し似ていたかもしれない。野球少年ぽい髪型とか、特に。

 趣味が合ったわけじゃなくて、一緒にいると楽しいというか、気が楽だった。授業中にお互いふざけあって教師に叱られたことも一度や二度ではない。

 昔は小泉ソウジの方が身長が大きかった。特に三年になる頃には圧倒的な差がついてしまい、また年頃になったせいか仲良くしつつも、女子グループと男士グループに別れることが多かった。


 しかし一度服の趣味を変えた影響は大きく、周囲がキラキラした服を着ている最中、アタシは親の買ってきたボーイッシュの服を着ることが多かった。

 髪も伸ばしていたけど、邪魔だからポニーテールにしていた。そのせいか妙に女の子達に髪の毛で遊ばれ、ツインテールも経験したっけ。おかげで仲間外れはなかったけど。

 昔から体育は大の得意で、成績も悪くない。運動会になれば男子顔負けの活躍をしては、女の子達に褒められてた覚えもある。四年の頃に小泉ソウジとリレーで勝負したほどだ。


 五年になる頃には会話の数は減っていた気がするけど、相も変わらず小泉ソウジとは仲が良かった。夜に見たドラマの話で盛り上がったり、好きな歌手の最新曲の感想を言い合ったり。

 ただ、ふとした瞬間に顔が近くにあると、熱っぽくなる気がして、昔通りに接することができないのは理解した。宿泊校外学習で社交ダンスをした時、その理由がやっとわかった。

 アタシは小泉ソウジが好きだった。どの男子と踊っても気にならなかったのに、小泉ソウジと踊る時だけ手に汗が集まってないか不安で、胸が高鳴って足がもつれそうになるほどだった。


 でも打ち明けられなかった。今の関係を壊すのが怖くて、小泉ソウジをアタシ以外が好きになることはないと勝手に思い込んでいたから。だって本当に悪ガキだったし、アイツ。

 気付いたアタシは普段通りに振舞うことに必死だった。六年の一年間はそうやって誰にも気づかれないように過ごすのがやっとで、卒業式が来ても関係性が変わることはなかった。

 どうせ同じ公立中学に向かうだけで、春休みが終わればすぐに会える。急ぐ必要がなくて、アタシは中学で長い髪をどうアレンジしようか悩んでいたくらいだ。


 カノンと出会ったのは中学の入学式。同じクラスで、小泉ソウジが可愛いとはしゃいでいたのをよく覚えている。アタシも、可愛い、という感想は同じだ。

 しかしそこで小泉ソウジに可愛いと言われた覚えがないことに気付く。一度それに気付いてしまうとカノンが羨ましくて、思わず視線を向け続けた。

 すると視線に気づいたカノンから明るく声をかけられた。彼女は小泉ソウジに対し、男性が苦手、と一言残してアタシに笑顔を向けてきた。


 後で知ったことだけど、入学前にカノンの父親の不倫疑惑が母親に伝わって家庭環境が荒れていた頃らしく、小泉ソウジは運が悪かったと言うしかない。

 おかげでカノンと仲良くなれたわけだけど。ちなみに名字が深山に変わったのは両親が離婚した中学二年からである。彼女の母親の元性が深山だからだ。

 ちなみにアタシとカノンの母親は仲が良い理由がある。アタシが趣味でやっている社交ダンス、その教室の先生がカノンの母親である。


 カノンが少女人形のように愛らしいのは、アスリート体型の筋骨隆々な母親の反面教師なのかもしれない。むしろ母親がそうなるよう育てたか。

 かつて女子プロレスを経験したこともあるらしく、父親とは若き頃のナンパで知り合ったとか。そんで尻に敷いていたところ、女性関係疑惑が確定的だと発覚し乱闘。

 実は中学一年の頃に教室でダンス習っている最中に夫婦喧嘩が勃発し、その一部始終をアタシは見ていた。喧嘩と言っても一方的な攻撃の嵐に口論に持ち込もうと必死な男の図しか覚えていない。


 その一回しかカノンの父親を見たことがないため、また母親の印象が強いため、枢の件で会った時は全く気付かなかった。

 アタシの両親はその頃海外の仕事が多く、あまり家に帰ってこなかったことから深山家にお世話になっていた。カノンの母親に勧められてプロテインとか飲んだ。

 それが悪かったのか、身長が中学二年から急激に伸びた。気付いた時には小泉ソウジを見下ろすという事実に密かに落ち込んだ。


 しかも社交ダンスで体を鍛えていたため運動神経抜群な上、カノンと宿題をやっていたせいか成績良好。程よく女子に愛想がよかったのもマイナスなのかプラスなのか。

 結論から言えば、女子にモテた。中学二年のバレンタインで友チョコとは思えないレベルの本気チョコが山のように。カノンが当分おやつに困らないねと微笑むレベルだ。

 そのおこぼれに預かろうとしたのか、男子とも急接近していたはずだが、男子にはモテなかった。ただし小泉ソウジとは昔のように馬鹿言い合ったりする中には戻れたけど。


 中学に入れば最早遠慮は必要なく、下校中にお互いの足を蹴りあってみたり、今日のドラマ最終回の話題をしたりと、日常の話が尽きない。

 少しでも遅く帰ろうと思って歩幅を小さくしてみても、小泉ソウジはさっさと帰ってゲームやりたいとか歩幅大きくして距離が広がったことも日常茶飯事だ。

 それでお互いに足遅い、いやお前の方が速いんだよ、と口喧嘩するのも楽しかった。あとひたすら小泉ソウジにモテるにはどうすればいいかと聞かれたのが気になるが、女子のアタシに聞くな。


 ちなみにカノンに下校中の話をしたら、こけしみたいな、無我の表情をされた。やっぱりアタシにモテる秘訣を聞くのおかしいよね、と思った。

 中学三年に上がる頃、小泉ソウジが同じクラスになった学年で一番可愛いと噂の如月きさらぎミズキに夢中になってた。運命とか騒いでたけど、偶然だから期待しない方が良い。

 アタシも同じクラスで、挨拶された時普通にモデルみたいで可愛いと思った。長い黒髪に愛らしい花のヘアピン、低身長も男子好みで理想の女の子像だった。


 カノンが珍しく、可愛いけど裏を感じる、と言っていたのは気になった。それでも如月ミズキが可愛いのは変わらず、アタシも珍しく羨ましいよりも先に少し怖かった。

 彼女から感じる視線が女友達を見る目じゃない気がした。でもどこか既視感を覚える視線で、その違和感が紐解かれたのは中学三年春の修学旅行。定番である京都でのこと。


 アタシのことが好き、と如月ミズキは告白した。確か恋愛成就で有名な境内で言われたのが本気度深くて最早恐怖だった。


 恋愛成就に興味があると言ったアタシにも非があるかもしれない。それでカノンと離れて如月ミズキと同じ行動班になったのだから。

 それでも予想外すぎて頭は真っ白になった。同性愛は否定しないけど、アタシには既に好きな奴がいた。片思いだけど、その気持ちを大切にしたかった。

 だから簡潔に交際できないと断った。好きな奴がいると、そいつのこと以外考えられないと。そしたら泣かれた。本当の気持ち伝えて泣かれるのは凄く困ったけど、それ以上のフォローはアタシにできない。


 泣きながら如月ミズキは誰だと尋ねてきた。聞いたら諦めるから、と。アタシは仕方なく小泉ソウジと答えた。本当に泣き止んだよ、驚いた表情で。

 あんな男に自分は負けたのか、という感じの表情であったことも追加しておこう。気持ちはわかるんだけどね。小泉ソウジにモテる要素は一つもない。良い奴ではあるけど、友達として、という奴が多いだろう。

 なんにせよカノンには打ち明けた。そしたら心配そうな顔をしていたが、深くは追及しなかった。アタシもその対応に救われた。


 ちなみに聞いてもいないのに、運動神経がよくて頭もよくて、よく見たら字がとても綺麗な人で素敵な王子様みたい、というのがアタシに惚れた理由らしい。

 字が褒められたのは少し嬉しかった。実は丸文字とかに慣れなくて、頑張って練習した結果だからだ。女性らしくないけど、流れるような筆跡だったりする。

 それにしても王子様みたい、という理由で惚れられるとは思わなかった。その頃のアタシはまだ髪が長く、カノンに毎日髪型を変えられていたからだ。お気に入りはポニーテールだけど。


 修学旅行が終わって、アタシは部屋の鏡の前に立っていた。髪は長いけど、女性には見え辛い容姿。見苦しくないけど、高身長も相まって確かに男に近い姿だった。

 足にはすでに筋肉がついていて、健脚だけど男が求める美脚とは違う形になっていた。胸は多少あったけど、厚手の服を着れば隠れてしまうささやかな物だ。

 アタシは如月ミズキに告白されてやっと気づいた。アタシの容姿は最早女子からかけ離れていることに。道理で最近スカートが似合わないわけだと落ち込んだ。


 それでも可愛いものは好きだし、フリルとかレース、キラキラした物も好き。カノンが持っているふわふわしたシュシュとかにときめく立派な女子である。

 なのに小泉ソウジには似合わないとか言われ始め、女子にも髪を短くしたらかっこよさそうと言われ、カノンくらいしかアタシを女子として見ている者がいなくなった。

 しかし意地でも髪は切らなかった。というか長髪という女子らしさを消したが最後、イケメン担当として過ごすしかないことは目に見えていたからだ。スカート着てるのに。


 色々あった中学生活も受験に追われるようになった頃。アタシはカノンと同じ公立高校を受けることにした。平々凡々な高校で、偏差値は余裕でクリアしていたから。

 好きな人を追って、という思考がなかったアタシは後日、小泉ソウジが工業系の高校に行くことに衝撃を受けた。理由が手に職が欲しいし、遊びまくりたいからという情けない理由だ。

 工業高校なら髪型や色も遊べるし、という理由にはさすがに肩を落とした。あとバイト先で可愛い子と知り合いたいと言った時、思わず脛を強く蹴ってしまった。後悔はしていない。


 しかし高校が別になると思えば、このままの関係を続けるのも難しい。思い切って告白してみようかと十月から卒業式までに挑戦した回数四回、全て失敗。

 あのお気楽顔を見ていると肩の力が抜けるし、いざ言い出そうとすれば言葉が熱で燃え上がったかのように消えてしまう。しかも受験生、浮かれていたらやばい時期だ。

 こんな時こそカノンに相談だと思い、白い紙に青のインクで可愛い蝶とガラスの靴が描かれたレターセットを貰った。言えないなら、自慢の文字で書けばいいということだ。


 しかし文字にしようとした回数三回、全て失敗。文面を見ている内に気恥ずかしくなって丸めてしまうし、書いている内に本題が消えていくという難関が。

 メールで告白は個人的に嫌だった。ハートマークのつけ方すら知らないし、あの馬鹿が周囲に嬉しそうに見せ回りそうな気がして不安だったからだ。

 残った紙は一枚。もう伝えたい気持ちだけを短く書いて終わりにしようと思い、数時間悩んだ結果。四文字で終わってしまったアタシの気持ち。


 好きです。


 本当にそれだけ。付き合いたいとか、結婚したいとか、そういうのはなかった。ただそれだけの単純な気持ちを搾り取るのに時間をかけ過ぎた。

 この気持ちさえ受け取ってもらえばいいと思った。たった一夜、たった一瞬。想いを寄せる相手をダンスに誘うような気持ちで、魔法がかかったように。

 花が咲くような瞬間を味わいたかった。実らなくてもいい、そのまま枯れてもいい。華々しく誇れるように、恋に踊ってみたかった。


 卒業式の日。体育館に向かう前にこっそり小泉ソウジの机の中に入れる。式が終わり、鞄を持ち始める最後のホームルームに気付いてくれたら。

 証書を受け取る仕草がぎこちなくなるほど、アタシは緊張していた。初恋に初告白。初ラブレター。世の中の女子は全員こんな気持ちを味わいながら恋をするのかと、改めて驚愕していた。

 呼吸の仕方も忘れそうになったが、そこは理性でカバーした。教室に帰る時、カノンと一緒に最後尾を歩いた。頭の中は花畑で、両想いになったらどうしようと都合のいい考えが渦巻いていた。


 教室は騒然となっていた。小泉ソウジが浮かれまくり、周囲の男子は悔しがり、女子集団は井戸端会議するおばさんよりも大きな声で黄色い叫びを上げる。

 ただしアタシの顔は蒼白だった。カノンが呆然とした顔でアタシを見上げていたし、どれだけ自分が犯した失敗が大変なことか改めて思い知る。


 名前書き忘れた。


 テストなら0点直行の最悪な間違いだ。そのせいで小泉ソウジは犯人探しならぬ、贈り主探しを教室の目の前でやり始めた。アタシの手紙は黒板に貼りつけられた。

 そんな目立つことをされたら出るに出られない。よくシンデレラという物語でガラスの靴の持ち主が見つかったなと思うほど、公衆の面前に晒されるのはきつい。

 文字の形でばれたらどうしよう、というか小学校からの付き合いで気付けないのか、さらに目の前で他の男子に自慢するな、お前の手柄じゃなくてアタシの気持ちだろ、それ。


 言いたいことは沢山あった。けど言葉が出てこない。卒業式恒例の在校生見送りという名の行軍まであと少し。時計の針が無情に進む。

 時間が止まればいいのに。そしたらアタシは手紙を気付かれないように懐にしまい、何事もなかったかのように去るだけなのに。アタシの固有魔法は残念ながら身体能力強化だ。

 女子達が騒いでいる。とうとう女子達が連携して恋する乙女探しを始めた。逃げ場がない。助けてくれる者はいない。どうしようと思った矢先だ。


「それ……私の」


 もちろんアタシの声じゃない。だけど手紙の主と名乗り出したのはアタシじゃない誰か。アタシの手紙なのに、気持ちなのに、誰かが乗っ取った。

 黒くて艶やかな長い髪。花のヘアピンが愛らしく輝く。小泉ソウジが嬉しそうに名乗り出た少女に駆け寄る。まるでガラスの靴の持ち主を見つけた王子のように。

 見守る生徒達は最早傍観者。物語上で一切名前が語られない存在になる。アタシもその一人。王子とお姫様が結ばれるのを黙っているしかない群衆モブ


 こうして小泉ソウジおうじさま如月ミズキおひめさまは結ばれました。めでたしめでたし。






 そこで話が終われば良かったのに。全部終われば良かったのに。この物語はまだ続くのが、憎たらしい。

 卒業式の夜。小泉ソウジとメールで会話していた。電話代がかかるし、少し夜遅かったから近隣への音漏れを気にしてだ。

 憧れの女子と恋仲になった小泉ソウジのメールは大はしゃぎだ。アタシの抱えている気持ちも知らないまま、嬉しそうに結ばれた瞬間の気持ちを語る。


 そのやり取りの横でカノンとも並行してメールを送りあう。如月ミズキはおそらくアタシが告白するのを待っていたのだと、カノンは気付かなかったことを悔しがっていた。

 アタシの好きな人を知った時から、ずっと。春から卒業式までの間ずっと機会を窺っていたとすれば大した執念だ。それだけアタシが好きだったのかと思うと、それはそれで怖い。

 つまりアタシの恋は復讐に利用され、叶うことはなかった。もうここまでくれば小泉ソウジが幸せならいいやと投げやりな気持ちにもなる。いつまでもお幸せになりやがれってんだ、馬鹿。


 そうやって諦めつけようとしたアタシに、小泉ソウジのメール内容は酷だった。むしろ友達の関係を続けようとしたアタシへの罰か。


『本当は字が綺麗だから、お前だとも思ったんだ。でもお前が俺に告白するような奴じゃないだろう?小学校からのダチだし』


 鈍い。鉛を呑み込んだような痛みと重みが胸に圧し掛かる。そこでアタシに尋ねてよ、お前なのかって。そしたらアタシは応えられたんだ。

 別に両想いじゃなくてもよかったんだ。そうなればいいなとは思ったけど、アタシの気持ちを普通に受け止めてくれるだけでよかった。それだけで、幸せになれたはずなのに。


『でも如月さんでよかった。俺、お前のこと女子として見れないからさ。これからもずっと親友でいようぜ☆』


 茶化すような文面。最後に付けられた星マークすら苛立つ要因で、思わず枕に向かって携帯電話を投げ飛ばした。壁じゃないのは壊したくなかったから。

 良かったね、好きな女子とカップルになれて。これから工業高校で華やかな青春を送って遊ぶのだろう。アタシのことなんか忘れて、本当の手紙の主も知らず。

 アタシは別の高校で良かったよ。これ以上顔を見ずに済む。恋に破れる手前、気付いてすら貰えなかった情けないアタシの顔を見せずに済む。清々するよ、馬鹿。


 如月ミズキが羨ましい。あの子は本当の手紙の主じゃないのに、男を騙した女なのに、アタシが好きな人と幸せになれる。アタシはいつまでも友達のままなのに。

 ずるい、羨ましい、辛い、苦しい。嫉妬が溢れ出て、それでも文句を言う勇気も、名乗り出る根性もない。今すぐ燃えて灰になりたい。消えてしまいたいくらい嫉妬した。

 シンデレラ、アタシはこの物語が嫌い。彼女は間違われることもなく、魔法の力で王子様と結ばれた。たった一夜の舞踊で好きな人と幸せになれた。


 彼女は硝子の靴を取り戻せたのに、アタシは自分の気持ちを込めた手紙すら取り戻せない。ずるい、どうして、羨ましい、妬ましい。

 もう女の子らしくいる必要がない。誰もアタシを女と見てくれない。可愛くなる必要もない。踊るのに邪魔な長髪を切ってしまおう。

 衝動に任せて部屋にあった鋏を持って、浴室で髪を無造作に切る。いらない、もういらない。女の子な自分も、恋する自分も、小泉ソウジが好きな自分全てがいらない。


 アタシは誰かになりたい。だけど胡蝶の夢。アタシはアタシでしかない。変われない、変わらない。


 それでも蝶になりたい。蝶になれば恋に悩むことなんてない。失恋することもない。小泉ソウジの横を気紛れに飛んでいける。

 こんな気持ちになるくらいなら蜘蛛か蟷螂に食われてやってもいい。もしもこれが胡蝶が見ている夢なら、今すぐ目を覚まして。

 硝子の靴も、南瓜の馬車も、王子様もいらない。お姫様なんてなりたくない。アタシはただ────恋という名の花に惑わされた蝶だった。







 気付いたら授業中に寝ていたようだ。道理で思い出の夢にしては今受けている授業内容が反映されていると思った。

 もう思い出したくない記憶だったけど、予想以上に引き摺っているらしい。最近は雑賀達と過ごす内に気にしなくなっていたはずなのに。

 雑賀の横は楽。小泉ソウジの傍にいるみたいだけど、少し違う。なんだかんだで雑賀はアタシを女として見ているし、美味しいご飯作ってくれる。


 なんというか……年頃の娘を持ったお母さんと接している感じに近い。いや、雑賀は同い年の男子高校生なんだけどね。

 たまに女子を意識させてみようと近づいて体に触れようとしたり、逆に相手が無防備に近寄ってきてこっちが意識しまくったり、色々あるけど、やっぱり一番は楽なんだよな。

 口では悪態つきながらもなんだかんだで人に関わったりするところもオカン、というかおばさんぽいよな。そういうところが気に入っているわけだけど。


 そういえば高校入学前の春休みにカノンに無造作に切った髪を見せて驚かれたのを思い出す。慌てて美容院に連れていかれ、今のショートカットに落ち着いた。

 髪を短くするのも思いの外楽で、性に合っていた。本当にカノンに関してはいくら感謝しても足りない。今もカノンの母親が営業している社交ダンス教室に通っているし。

 ちなみにカノンが錬金術師機関に認められたから、父親の暴挙を全て母親にばらしたらしく、第二次夫婦戦争ただし一方攻撃が勃発したらしい。さすがカノン。


 とりあえず当分恋はいいや。そう思っていた矢先、携帯電話がポケットの中で震える。メールの着信で、不定期ながら交流が続いている小泉ソウジからだ。

 さっきの夢を見た後だと少しだけ嫌な気分になるが、無視するのも申し訳ないし、ということでメール開封。少しばかり思考が停止、なにも見なかったと閉じる。

 本当に小泉ソウジはアタシを親友だと思っているらしい。初デートの服はなにが良いか、最近のお気に入り曲とかを気軽にメールしてくる。そういうことこそ彼女と話せばいいじゃん。


 そういえばアタシの手紙はどうなったのだろう。小泉ソウジのことだから、捨ててしまったかもしれない。アタシはその方がありがたいけど。

 誰かに利用されてしまった気持ち。それが今更目の前に出てきても苦しいだけだ。黒板に貼りつけられた白い手紙が色褪せているのを見るのも辛いし。

 感傷に浸るアタシを無視するように携帯電話がもう一度鳴る。新しいメールが届いていた。そしてもう一度思考が停止。ただし今度は声が出そうになった。


 まず一通目のメールは、ピアスの穴をあけてみた、という写真付きのくだらない内容だ。耳に穴があいているのなんて見たくないのに、自意識過剰なのかと思った。

 どうも体を傷つけるというのが苦手だ。髪を染めるのも発がん性物質とか怖いし、コンタクトレンズもあんな物を目に入れるのかと恐怖の対象である。

 たまに灰茶色の髪であることから、染めたのかと言われるが地毛だ。黒髪だらけの日本が特殊だと思うけど、日本人は黒髪以外は驚く性質だ。


 そして問題の二通目。顔文字と絵文字連発でショックを誤魔化そうとしているのか、読み解くのに支障をきたしたが読めた。

 簡潔に言えば、彼女と別れた、らしい。そしてアタシの思い出せる限りでは小泉ソウジの彼女は一人しかいない。アタシの気持ちを利用した、如月ミズキ。

 カノンが正しければ彼女はアタシへの仕返しに小泉ソウジと両想いの振りになったに過ぎない。それで一年以上付き合ったのだから、文句はないだろう。


 しかしそれだけでは終わらなかった。小泉ソウジは今度の休みに会いたい、とメールしてきたのだ。アタシに。

 長い付き合いだからわかる。デートのお誘いじゃない。フラれたショックを和らげるために愚痴に付き合ってくれということだろう。

 それでも久しぶりに好きだった人に出会うことに対し、足下が浮いたように落ち着かなくなる。少しは期待してみてもいいかな。




 アタシは少しでもそう考えた自分を殴りたい。そう思うのは小泉ソウジと出会った後である。

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