8話「ホスピタルで愛してる」
眼鏡のおっさんを押しのけて雪崩れ込むように病室に入る梢さんと椚さん。その後に俺こと雑賀サイタが続き、多々良ララと枢クルリも覗き込みながら入る。
枢クルリは警戒心を顕わにした目で眼鏡のおっさんを眺めている。というかこのおっさん、テレビでとんでもない画力を見せつけたネット上で画伯とか言われてた奴じゃねぇか。もちろん悪い意味でな。
小指で眼鏡を押し上げる癖は自意識過剰なのか無意識なのかはわからないが、とりあえず窓一つない密閉性が高い部屋を見回す。なんというか、爪で削られたような壁を塗り直した跡が怖いんだが、さすが隔離病棟。
鏡テオはその部屋の真ん中に置いてあるベッドの上で安らかに寝ていた。顔色は悪くない、というより前よりも赤味が多い健康そうな白い肌に見える。ただ薄暗いから少し不気味に見えるけど。
頼りない部屋灯りは俺達以外を照らさない。ということは眼鏡のおっさんが俺と鏡テオを治療したのか。もしかして治療系の固有魔法所有者なのだろうか。
とりあえずそこは枢クルリに任せよう。こいつは乱数調整とかゲーム攻略とかをサイト見ずに自分理論で組み立てる、極度のゲーマーだしな。頭じゃ敵わない。
「坊ちゃん!ああ神よ、感謝します!」
「梢ちゃん静かに。まだ寝てるっぽいから」
確かに鏡テオの顔を見る限り瞼は閉じられている。呼吸も穏やかなもので、起こすのは忍びない。これが本当に寝ている子供だったならな。
妹二人を面倒見てきた俺の観察眼を舐めるんじゃねぇよ。特にすぐ下の妹に関してはじゃじゃ馬で、不都合なことがあれば狸寝入りで誤魔化そうとしてきた問題児だ。
おかげで一発で相手が本当に寝ているかどうか見分ける程度はできる。特に鏡テオみたいな騙すのがまだ下手な子供のような奴の演技くらい看破できる。
「起きてんだろう?テオ」
「……………………………………………………………………………………ぐ、ぐー、ぐー」
ど下手か。寝言にしろイビキにしろそんな綺麗にぐーすか言う奴はいねぇ。これにはさすがの椚さんも哀れんだ目を鏡テオに向けている。
しかし梢さんは可愛さ余って可愛さ百倍なのか蕩けた目で、坊ちゃんたら☆、的なこと言ってんだが。甘やかしすぎるなよ、こいつ俺より年上だろうが。
寝相として横に転がり俺達に背中を向ける鏡テオ。これは完璧に起きてることがばれたくない子供の行動じゃないか。なんにせよ解毒は成功したらしい。
「お前が目を背けたいならそれでもいいけどよ、本当に知りたいことはきっと手に入らないぞ」
「……知っても、ソフィアはもう呼べないもん。僕の体はおかしいし、世界もおかしい」
よくわかってんじゃねぇか。拗ねた子供のような口調と声。透明感溢れる声に滲む墨のような響きは聞いていて心地いいものじゃないけどな。
梢さんと椚さんが申し訳なさそうに顔を俯かせる。ソフィアって人は自分の命と引き換えに鏡テオを家族の元に帰した。その結果がこれじゃあ報われないな。
ここまで深く関係するつもりなかったんだぞ。俺だって普通の日常に飽きる時はあるけど、基本は平和主義者だ。争わなくていいなら、それが一番だ。
「そうだな。お前が見てる世界は全部おかしいよ。お前自身が変わった思想持ちで、子供精神ときてる。それで拗ねれば誰か助けてくれると思ってんだろう?」
「だって僕の魔法は世界を綺麗にするもん。皆がそう言ってた!!違うなら、どうして、そんなことを教えたんだよ!!!」
布団に丸まって初めて激昂した鏡テオ。泣き喚いたりヒステリックに叫ぶことはあっても、明確に怒りを見せたのはこれが初めてだ。
本当にこいつの教育係という奴を今すぐ呼んで顔面ぶっ飛ばしたいな。心の底から面倒になってくるが、十年以上熟成された性格だし、根気よくいくか。
まずは目線を合わせたいが、芋虫のように丸まってやがる。意外とこれが力尽くでいこうとしても、むしろ強固になるんだよな。
「もうやだ!ソフィアもいない!!世界は綺麗じゃない!お父さんやお母さんなんて知らない!ドイツ支部の人も、椚も、梢も、サイタも、ララも、クルリも、もう関係ない!!」
「そうだ。最初から俺とお前なんか無関係の人間だ。正直お前と出会った理由さえ、俺の自由意志じゃねぇよ」
突き放すように言ってやれば、やっと鏡テオがこちらに顔を向けた。驚愕した目で俺を見ているが、お前が先に言ったんだろうが。
関係ない。いい言葉だ。それだけで自分とあらゆる物事から切り離せて、傷つかずに済む、まるで魔法の呪文だ。俺もよく多用するほどだ。
「じゃあそういうことで俺達は帰るわ。これ以上お前の我儘につきあってやるほど暇じゃねぇし、明日も学校だ」
多々良ララと枢クルリの肩を叩いて狭苦しい部屋から出ようとする。実際に登校時間まで六時間を切り始めたし、正直眠い。
鏡テオと違って俺達は真面目な学生なんでな。いや、枢クルリは違うか。なんにせよ関係ないと言われたならば、その通りにさせてもらう。
俺達と鏡テオは関係のない人間。我儘し放題の子供のような大人の戯言につきあって睡眠時間を削るという愚策はしたくない。
「え?や、やだ!待ってよ!ぼ、僕は……僕は、もう一人ぼっちなんて嫌だ!!」
「梢さんや椚さんがいるじゃないか。お前を甘やかしてくれる、守ってくれる、都合のいい奴らが」
「で、でも、でも二人は友達じゃない……僕の友達はサイタ達だけで……」
「関係ないんだろう?自分の発言には責任を持てよ」
今度は逆に俺が鏡テオに背中を向ける形となった。肌に感じる突き刺さるような縋りが気配として届くが、無視して出ようとする。
すると扉の前に御得意の毒で作られた液体小人が現れるわけだ、今回は黄色の小人。椚さんが慌てたように鏡テオに止めるよう進言し、梢さんも俺達を引き留めようとする。
だけど俺は固有魔法【
「ちょっと。毒はアタシ達にも有効なんだから撒き散らさないでよ」
「解毒するのメンドーじゃん。余計な手間かけるな」
なんで俺が怒られる形になるんだよ。文句があるならこの魔法を使った鏡テオに言ってくれ。俺は自分の魔法を解除しつつ、肩を落とす。
だけど二人も足を止める気はないらしく、俺と一緒に部屋から出ていこうとする。今まで魔法を発動すればなんとかなった鏡テオからすれば、異常事態だ。
どう反応するかと思った矢先、軽い足音と共に背中に走る小さな衝撃。子供に抱きつかれた、というより大型犬が乗っかってきた感覚に近い。
「う、うう……うううう……やだぁ、やだよぉ」
完全に腕の中に捕えられた。俺より鏡テオの方が体が大きいため、抜け出すのは容易ではない上に肩に零れまくる水滴。
妹を思い出す。大暴れしたかと思えば、突き放すとこうやってすぐに抱きついてくる。いや本当に妹がいて良かったと思った瞬間だわ。
おかげで次にどうすればいいかなんてわかりきっている。俺は手慣れている自分に対してもため息をつきつつ、鏡テオに話しかける。
「他に言うことは?」
「ご、ごめんなさいぃ……関係ないとか言って、魔法使って、ごめんなさい。だから置いていかないでぇ……」
「……だとよ?どうする?」
「アタシは別に気にしてないし。挑発したの雑賀だけじゃん」
「俺も。主に被害受けたのサイタだけだし、それに巻き込まれただけ」
少しは俺を労わってくれないか。それにしても抱きついてくる鏡テオの体温が妙に高いが、こいつ熱出てるんじゃないか。
振り返って泣き顔が酷いのを確認しつつ、首筋に汗が流れているのを確認する。ほらやっぱり熱が……いや待てよ、おい。
「テオ、お前汗が!?」
「ふぇ?」
鏡テオは青と緑色のオッドアイで俺を映している。その顔は真っ赤だし、頭の頂点から流れる汗が止まらない様子だ。
だけどこいつは過去の実験のせいで汗がかけない体なはずだし、そのせいで強力な薬を使うしかないため寿命も短いはずだ。
やっと気づいたのか鏡テオも汗を手の甲で拭い、驚いた顔で自分の中から溢れ出る水分を眺めている。
「だって暑いよ?今日ってこんなに暑かったけ?でも同時に寒気も……」
「風邪じゃねぇか!!今すぐベッドに戻って寝ろ!!」
「でもこうしてないとサイタ帰っちゃぅう……傍にいてよぉ……」
「だぁあああああ!!鬱陶しい!!お前が妙に寂しがってんのは風邪のせいか!?看病してやるから、寝ろ!!」
汗だらけの体で強く抱きしめられて鳥肌が立つ。風邪が移る前に治さないと、というよくわからない使命感が芽生えた。
愚図る鏡テオを引き連れて部屋の中に逆戻りする。椚さんと梢さんが慌てて汗をかいているのを確認し、額に手を当てて熱も判断している。
迅速な行動に手慣れているなと思いつつも、鏡テオを横にして布団を乗っける。あやすように手を二度軽く布団を叩けば、鏡テオは少し考え込むような顔をする。
「今のなぁに?ポンポン、ってしたやつ」
「あん?妹とか子供をあやす時にやる動作だよ。こうすると子供って落ち着くんだ」
「……不思議。ソフィアはしなかったことなのに、なんか懐かしい」
それは母親がやったんじゃないのか、と言いかけそうになって思い出す。そういえば鏡テオは赤ん坊の頃に引き離されたんだっけか。
ドイツにも同じ文化があるのか。それとも日本人の母親と聞いているから、赤ん坊の頃の感覚を思い出したのか。どっちにせよ人の気も知れず幸せそうに微笑みやがって。
「そういえば墓前用に買ってきたチョコ食べる?」
「病人に食わせる物じゃないし、死者に手向ける物でもねぇ!!多々良と一緒に貪り食ってろ!」
「やだよ、太る」
思い出したように枢クルリがビニール袋から御徳用チョコ棒取り出すが、忙しい時にふざけるんじゃない。空気は和らいだけどな。
そして多々良ララが俺の尻をつねってくる。そうですね、女子に深夜のお菓子は失礼ですよね、とでも言えばいいのか。悪いがそんな暇はない。
一気に慌ただしくなった室内の中でずっと沈黙を保ってきた眼鏡のおっさんが、静かだけど耳に届く声で重要なことを告げてきた。
「彼の命に関わる異常部分は治してある。無茶をしなければ天寿は全うできるだろう」
「……魔法か?魔法管理政府日本支部総管理部長の
枢クルリが慌てることなく眼鏡のおっさんに尋ねる。というかそういう名前だったのか、意外と普通の名前だな。
というか職名長いな。名刺に収まるのか、というか日本支部の総管理部長ということは一番偉い人じゃないか?確か重要職だったはず。
毛が逆立つような緊張感を枢クルリの背中から感じる。猫背なのにそれを忘れさせるほどの威圧感だ。なにかあれば魔法を使う気かもしれない。
「魔法だ。ただし詳細を答える気はない。機密事項だ。そして無償で使ったわけでもない」
「要求は?」
「ドイツ支部の心臓部はまだ活動を諦めていない。そこを突くための武器、ソフィア・マルガレータが彼に渡した資料データが入ったチップを」
そう言って手を伸ばしてきた眼鏡のおっさん、岩泉洋行。しかし全く心当たりがないんだが、どこにそんなのがあるんだ。
水が入ったタライや布タオルを用意していた椚さんや梢さんも目を丸くしている。明らかにそんな物あっただろうかという疑問を浮かべている。
多々良ララは最初から干渉する気がないらしく、完全に無視を決め込んで鏡テオの熱に浮かされた簡単な質問に答えている。聞こえてきた内容として好きな人は今はいないらしい。
「……資料データが入ったチップを」
リトライというかリテイクするように岩泉洋行は再度求めてきた。そうだよな、ちょっと長い沈黙が挟まって気まずがったよな。
俺は椚さん達に視線を向けるが、首を横に振られる。鏡テオに視線を向けても綺麗な瞳がなにも答えないまま俺を映している。役に立たねぇ。
ただ枢クルリは眼光を強くして探るようにおっさんと対峙している。勝負度胸が強いのか、生粋のギャンブラーか。そんな侮れない雰囲気を感じる。
「渡してもいいけど、俺の質問に答えてくれないか?ずっと気になってたカーディナルや錬金術師機関の人払いの方法。あれは魔法に見えるけど、どこか違う」
「……どちらの組織も聞いたことがないな」
「俺には通じない。組織とは一言も告げてないのに、なんでわかる?心当たりあるんだよな?」
眼鏡のおっさんが苦虫を噛み潰したような顔になる。同時に怜悧な眼差しが背筋を震わせる。おっさん、そんな怖いことできたのか。
しかし枢クルリも負けていない。油断も隙も見せないネコ科のような呼吸の仕方で、少しずつおっさんの秘密にしたいことへと近付いていく。
「魔法管理政府があいつらの存在に気付いていない理由がない。テレビで報道されるほどの事件だ。俺も警察に行ったのに、慣れた対応をされたからな」
敵に回したくない奴第一位だな、こいつ。そんな最初の方から疑問を持っていて、チャンスを逃さないために交渉している。
寝るのもメンドーとか言いそうな奴なのに、こんな時は生き生きするな。悪いことではないが、良いことでもないような気がする。
「さすがは枢弁護士の御子息。侮れんな」
しかしおっさんが反撃する。枢弁護士、御子息、ということは枢クルリは弁護士の息子なのか。しかも政府関係者も知っている有名人かよ。
だが明らかに枢クルリが不機嫌そうになる。尻尾があったら地面を叩いていそうな様子だし、実際に片足が踵を軸に爪先で何度も地面を叩いている。
考えてみれば自分のことを話したことない奴だし、家族とも疎遠のようだから、あいつにとっての逆鱗なのかもしれない。
「一つだけ答えよう。それ以外を要求するのならば、君の父親について深く話してあげよう」
「……ちっ。わかった。じゃあ一つ、人払いについて」
おお、枢クルリから妥協を引き出しやがった。あのおっさん中々やるじゃねぇか。絵はど下手なのに。
「人払いは人の所業ではない。つまり固有魔法ではない。おまけに教えてあげよう、彼の体の異常を治したのも同じ仕組みだ」
「……資料データのチップは兎の右羽根」
そう言って枢クルリは鏡テオから兎のリュックを受け取る。右の翼が引き千切られた散々たる有様だ。
確かソフィアから貰ったプレゼントと嬉しそうに言っていた物なのだが、それが重要物件だとは思ってなかったから言葉を失う。
思い出してみれば黒服達もこのリュックを狙っていたな。結局俺の顔面に投げてきたが、あれは資料データのチップを探していたからか。
「引き千切れているようだが?奪われたのか?」
「じゃあもう一つ答えてもらおうか。そしたら謎解きしてやる」
眼鏡のおっさんのこめかみが引くついたし、俺自身も枢クルリの貪欲さに若干驚いている。ゲーマー侮れねぇ。
小指で眼鏡の位置を戻したおっさんが溜息をつき、仕方ないと承諾する。なんだかおっさんに同情してきたよ、俺が。
「七つの罪は固有魔法を持つ人間。じゃあ錠となる七つの美徳はどんな姿形だ?生きているのか、それとも無機物か」
「……私も全員は知らない。しかし……そうだな、一人だけ特徴を教えてやろう」
そう言って眼鏡のおっさんが俺の顔を見る。なんでだよ、今のは明らかに俺には関係のない内容だったよな。
すっごく嫌な予感がする。これ以上無関係を貫けないことは良いとして、せめて無関心だけでも貫かせてほしい。数少ない俺の個性だから。
しかし世は無情らしい。聞こえてきた内容に俺は大口を開けて驚くしかなかった。
「コーヒーショップで彼がぶつかった銀髪の少年。彼が忠義の魔人であり、傲慢の対となる美徳だ」
男の人口密度を下げてくれ。それくらいしか頭に浮かばなかった俺の思考は誰にも届かないようだ。
魔人ってなんだよ、というか思い出したぞ、おっさん。アンタは女子力満載の飲み物を手にしていたな。あれは結局どっちが飲んだんだよ。
そして疑わしい目というか、明らかに俺を見下す目を向ける猫耳野郎。俺だってあの時は女子二人の間に流れる緊迫感で頭一杯だったからな。
「というわけで資料データのチップを。これ以上の質問は引き受けない」
「わかったよ。ちなみにテオ、お前がソフィアから教えてもらった歌を口遊んでみろ」
枢クルリの声に応じて鏡テオは一回深呼吸してから滑らかに歌う。何度も歌ったのか、迷うことなく言葉を引き出していく。
妙に兎と秘密と右に重視した歌詞だと思ったが、日本語だった。確かソフィアっていう人はドイツ人だよな。その人がなんで日本語の歌を作ったんだ。
「なるほど。ドイツ支部も翻訳したのだろう。だから右翼が引き千切られている」
「日本語にした狙いは他にあったと思うけどな。でも兎の右までは良いとして、羽根の翻訳は失敗というか、引っ掛かったな」
「どういうことだ?」
「普通の兎に翼はない。それでも羽根と見立てる部分はあるんだよ。だから兎を数える時、一羽って数えるだろう?」
日本語の妙を突くような内容だった。そういえば兎は一匹じゃなくて、一羽だな。その由来を俺は知らないが。
それにしても日本語の歌詞にした狙いが他にあるってのはどういうことだ。後で尋ねてみるか。俺は最初から謎解きするつもりはないし。
枢クルリは冷静な様子で兎リュックの右耳を根元から引き千切った。容赦のない行動に持ち主である鏡テオだけでなく、俺も肩を跳ねさせるほどだ。
しかし綿が零れると一緒に透明なケースに入った小型のチップが落ちる。本当に小さくて小指の爪先くらいしかない。これがドイツ支部を揺るがすほどのデータが入っているのか。
「兎の耳を羽根と見立て、鶏肉代わりに使用した歴史がある。それを用いた簡単なトリックだ。わざとリュックに翼のついた兎を用意したのも、翻訳されても視線をそちらに向けさせるためだ」
「なるほど。日本語訳が難しい理由にはそういった機微が多すぎることに由来する。ソフィアという女性は素晴らしい頭脳の持ち主なのだろう」
感心しながら岩泉洋行はチップが入ったケースを拾い上げる。それを大事そうに胸ポケットにしまい、もう用はないと背を向けて帰ろうとした。
俺達としても引き留める理由がないし、なにか聞こうにも思いつくことがない。梢さん達もどんな言葉を出そうかと迷っている様子だ。
だが枢クルリは違うらしい。背を向けた相手に追撃するように、だけど人間としての言葉を用いて推測を投げる。
「鏡テオの母親は日本人だった。彼女の関係者がテオの歌を聞いて、チップを探してほしかったんじゃないかと思う。そうすればテオを守る武器になる」
「気付かなかったならば、意味がない。今更そのようなことを告げても無意味だ」
「込めた想いが無駄というなら、ソフィアという人が命を賭けたのも無駄ということになる。メンドーだけど、製作者に敬意を払うのもゲーマーの嗜みだ」
「……愛、か。恐ろしい話だよ、いつの時代も」
よくわからん呟きを残して去る岩泉洋行。なんだか後で思い返すと恥ずかしい言葉の類に聞こえたが、いいのだろうか。
しかし枢クルリの知識は一体どうなっているんだ。もしかしてゲーム上で同じ謎解きがあったとかいうオチならば、盛大に納得するつもりだ。
だけど日本語の歌詞を作った理由に関してはなるほどと思った。ついでにおっさんが気付かなければ意味がないという言葉も悔しいが身に染みる物だった。
おそらくソフィアっていう人は本当に鏡テオを大事にしてたのだろう。そして母親のことも気にしていたのだろう。
母親代わりのように鏡テオを育てても、本当の母親は別にいる。三年前を機会に逃がしたのは、鏡テオに本当の母親を知ってほしかったのかもしれない。
だけど鏡テオは気付かなかったし、無視をした。そのツケが巡ってきたのが今回の結果だろう。もう少し母親に興味を持ち、日本語を学べば良かったのかもな。
「……クルリ、ソフィアは僕を愛してたの?」
「そこは知らない。でも大事にしてた痕跡ならばいくつかは探れる。知りたいか?」
「……ううん。今は寝たい。考えるの、疲れて……リュックも……なお、さない、と……」
言いながら寝てしまった鏡テオ。その寝顔を携帯電話のカメラ機能で連写しようとする梢さんと、それを止めようとして殴られる椚さん。静かにしろ。
俺は枢クルリから引き千切られまくった兎リュックを受け取る。酷い有様だが、直せないことはない。とりあえず今日はもう帰りたい。寝たい。深夜というか夜明け前だしな。
多々良ララも頭が漕ぎ始めている。こうなったら病院に運ばれたのを理由に病欠できないだろうか。なんにせよ騒がしい一日だったが、ようやく終わりが見え始めて良かった、というオチにしよう。
結論。病欠できました、よっしゃあ。どうも眼鏡のおっさんが病室手配からなんやらを根回ししたらしく、昨日の件も報道されることなくもみ消したらしい。
俺と多々良ララは食中毒による搬送ということで、病状は回復したものの面会謝絶で一日様子見という診断書を貰えた。眼鏡のおっさんもいい仕事するじゃないか。
多々良ララに布の買い出しを頼み、俺は兎リュックを直すために梢さんから裁縫道具を預かる。その顔はどこか悔しそうだ。
「不肖この梢、坊ちゃんのためならば指を犠牲にしても直したい所存ですが、餅は餅屋ということで貴方に全てを委ねます」
「つまり不器用だから代りに直してほしいということだよな」
「お礼として脱ぎます!なんなら揉みますか?本当は坊ちゃんの母胎回帰願望にいつか応えるために作り上げた肢体ですが、活用できるならばご提供いたします!!」
「いらねぇ!!大体そのいつかは絶対来ないと断言するし、アンタの体は母親というには熟女っぽいんだよ!!」
脱ぎかけた梢さんを個室部屋から追い出し、ナースコールを連打する。あの痴女を当分俺に近付けないでほしいと願うためだ。
努力とか鏡テオに対する尽くす姿勢は評価するが、それを差し引いても余りあるマイナス部分が酷すぎる。残念美人にも程があるんだよ。
黒髪ロングストレートな外見はちょっとは俺の好みだが、性格が清楚系どころが阿保の領域に到達する痴女では話にならない。
廊下から看護師さんと一緒に走ってきたであろう椚さんの声がする。聞こえてくる言葉から、梢さんは逃げ出したらしい。
病院内だということを忘れたかのような騒ぎが去った後、多々良ララがご飯プレートを両手に持って入ってくる。頼んだ布はどうした。
「カノンに頼んだ。一応病欠扱いだし、制服で外に出るのも微妙だし」
「そうか、今は昼か。保護指導に見つかったら面倒だしな。いい判断だ」
「着替えも頼んだ。枢が一緒にいるから、雑賀のも持ってくるって。あとカーディナル利用して復元するとかなんとか」
「一番重要そうな部分があやふやなんだが……せめて主語をいれてくれ。ま、クルリがいるなら大丈夫か」
思い出せば俺が着ていた服は毒に塗れたせいで処分されていた。検査着のままマンションに帰ることはできないし、枢クルリの部屋から俺の部屋に入れるからな。不本意だが。
それにしても枢クルリがやる気を見せているのがなんだか怖いんだが。怠惰という個性をどこに置いてきたのか、妙に張り切っているような。
なんにせよ多々良ララは個室に配備されていた椅子とテレビで暇を潰し、俺は多々良ララが持ってきたご飯プレートに乗っていたおかずなどを食べ始める。
そういえば夢に出てきた水中に沈む銀髪と、コーヒーショップでぶつかった銀髪。どこか似てたような気がするが、あの夢も一体何だったんだ。
よくわからん白の魔女とかいう奴も同じくらい訳わからないことを俺に言い残すし、もう少し人を問題から遠ざけようという配慮はないのだろうか。
多々良ララは昼のワイドショーを眺めながら、思い出したように、というかテレビの内容が面白くなくて気を紛らわすように俺に話しかけてくる。
「鏡テオが食べた林檎。あれに賢者の石とかいう薬物使われてたって」
俺は必死にその単語をどこで聞いたか思い出そうとする。眼鏡のおっさんがテレビ会見で言ってた、魔法の力を跳ね上げると同時に精神をかき乱す薬だったか。
確か石油に代わる次世代エネルギー、人工的に作れるエネルギー含有物質であるエリクサーを作る際の副産物、という認識で良かったはずだ。
そういえば最近の事件増加に賢者の石が使われてるから、日本支部がテレビ使って告発したんだよな。それをドイツ支部が使ったということは、発生源の一つはそこか。
「テオはこれから薬物の後遺症とか探る本格的な検査があるらしくて、泣いて助けを求められた」
「……お前がここにいる時点で無視されてしょんぼりしたテオの姿が脳裏に浮かぶぜ」
「助けたところでテオのためにならないでしょう?周囲があれを甘やかしすぎ。これくらいが普通だよ」
脳内でボールを咥えたまま拒否された大型犬を思い描きつつ、確かに鏡テオは諸々の事情があるとはいえ甘やかされ過ぎていると思う。
ついあの無邪気で子供っぽい性格と行動から助けそうになるが、検査を受けないと確かにあいつのためにならない。俺より年上なんだから自己責任だ。
「カノンが裏側を結構教えてくれた。今回は完璧にカーディナルや錬金術師機関も手が出せない、政府内部の問題だったらしい」
「それを聞くだけで恐ろしいことに関わってたと改めて思い知らされるな……無関係でいたかった」
もうすでに関わってしまったため、無関係は宇宙の彼方へ爆走していったがな。俺になんの恨みがあるんだ、事件よ。
頭の中がごちゃ混ぜになってきた。簡単に今回のことをまとめ上げたいが、なんだかすっきりしないことが多い気がするんだよな。
まずは鏡テオの固有魔法【
しかし変わった教育と思想を埋め込まれた鏡テオは普通の生活に順応するどころが、家族という感覚も希薄で、しかも余命が少ないほど体に異常を持っていた。
様々な経緯を巡って日本にやってきた際に俺達と出会った。だけど日本支部が他の支部を告発しようとして、ドイツ支部が慌てて鏡テオを回収しようと強硬策に。
……ドイツ支部の動きが妙に早くないか?日本までの飛行機時間を考えると、結構無茶な流れだよな。
それに鏡テオを回収してどうするんだ。家族に生きていることを知られてる上に、梢さんや椚さんが必死に守っていた。
資料データが入ったチップを回収するだけなら兎リュックだけ狙えばいい。わざわざ鏡テオの魔法を暴走させる利点がそんなにない。
もしも、というか突拍子もない話だが。鏡テオに賢者の石を含ませた林檎を食べさせたのが実験だったらどうする。
本当に賢者の石で固有魔法が暴走するのか。どれだけの威力と時間で暴れるのか。鏡テオの固有魔法ならば勝手に自滅するため、口も封じられる。
鏡テオの魔法から兵器を作るより、賢者の石を兵士に投入する薬物として制御できるように加工できたら、そちらの方が有効手段にならないか。
いやでもドイツ支部が自ら手を下す必要はないはずだ。どこかの下っ端にでも無理矢理やらせればいい。
ということは、政府という隠れ蓑を使った奴がいる、ということになるのか。駄目だ、頭が痛くなってきた。こういう策略系は苦手なんだ。
眼鏡のおっさんがなにか知っていそうな気がするけど、できればあまり関わりたくない相手だ。枢クルリが病室に来るのを待つか。
別に俺の思考を深読みしたわけではないだろうけど、俺が全く知らない別の場所で眼鏡のおっさん、岩泉洋行は銀髪の少年と話し合っていた。
「ソフィア・マルガレータ。やはり彼女は錬金術師機関の関係者だった。おかげで資料データからドイツ支部と錬金術師機関の繋がりを掴めた」
「そうか。当たってほしくないことだったが、予想通りだ」
銀髪の少年と車体を挟んで背中越しで会話する岩泉洋行。薄暗い駐車場は足音は響くが、話し声は聞き取り辛い場所でもある。
岩泉洋行はすぐに支部の研究所に資料データを運んだ。暗号で巧妙に隠されていたが兎と右を用いて解読した。鏡テオの歌はデータを解析するのにも重要な物だった。
世界大戦から七十年近い時代。いくら敗戦国とはいえ、妙に執念深い物を感じたが、それすらも仕組まれた物であったことが資料データから判明した。
中世ヨーロッパから存在する錬金術師機関。彼らは大戦前からあらゆる場所に根を伸ばし、いざという時は自由に動かせるよう小さな会社員すらも構成員にしている。
深山カノンの父親もその一人である。そして構成員は自分の関係者も巻き込んで、さらに根を伸ばすシステムを作り上げている。深山カノン自体がその根の一つだ。
ソフィア・マルガレータはそんな根の中でも、幹に近い部分に相当する構成員だった。夫が同じく錬金術師機関の構成員であり、カーディナルとの見えない闘争で亡くしている。
彼女は夫を亡くしたショックで身籠っていた赤子を流産で失っている。一時期に二つの命を失った彼女だが、錬金術師機関の命令に従い、ドイツ支部に潜り込んだ。
その際に出会ってしまった。失った我が子と同い年の、母親を知らない鏡テオに。彼女は世話役に抜擢され、鏡テオと触れ合う内に錬金術師機関から命を受けた。
強欲に相当する鍵かもしれない。わざと逃がして錬金術師機関で保護をする。ソフィアはその命令を受けたが従わず、鏡テオの家族に極秘で連絡を取り、作戦を決行した。
鏡テオに錬金術師機関から消去を頼まれた資料データが入ったチップを隠した兎リュックを渡し、機関の支援を受けながら鏡テオを家族の元に帰した。
忠誠を誓った組織に、芽生えた愛情で反逆した女性。彼女は同じく潜入していた仲間に殺された。ドイツ支部は内部に錬金術師機関が入っていると知らず、彼女を支部の面汚しとして処理した。
「本当の母親になれないと知っているくせに、母親の愛情をもって子供を守る。怖い話だよ、私には真似できない」
「だが無駄ではない。お前はその恩恵を頂いたんだ、そんなことを言うもんじゃない」
皮肉を呟く子供をたしなめる口調で銀髪の少年は静かに呟く。ソフィアは二つの組織を裏切り、鏡テオの命と資料データを守った。
資料データは日本支部にとっても有益な情報であり、岩泉洋行から見ても一攫千金に値する素晴らしい物だ。ソフィアが鏡テオを愛さなければ、手に入らない物だった。
ドイツ支部だけではなく、錬金術師機関からも守るために持たせた切札。鏡テオやその関係者は気付くことができなかったが、それは無事に有効活用できる人物の手に渡った。
「資料データによってドイツ支部は内部の底まで洗える。これでカーディナルや錬金術師機関の構成員を締め出せる」
「鏡テオの安全も確保されたわけか。しかしドイツ支部が持ってきていた音声データ。あれはどういうことだ?」
「あれは管轄外だ。気になるなら枢クルリの動向でも見ればいい。怠惰な割にどこかの傲慢に影響でもされたのか、身の程知らずな橋渡りをやっているよ」
「……ふっ。お前も少しは影響された方が良い。姑息は罪じゃないが、美徳でもない」
珍しく笑った銀髪の少年の顔を一目見ようと振り向いた岩泉洋行だが、少年は既に姿をくらましていた。煙で消える魔人の童話を思い出すほど鮮やかに。
そして少年の余計な一言に対して大真面目に、姑息じゃなくて計算高いだけだ、と呟くが誰の耳にも届かず空気の中に溶け込んでしまった。
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