7話「ラビットウィングと三角跳び」
兎の羽根に秘密があるの。君だけに教えよう、それは右側。
いつか君が困った時、思い出してごらん。右の羽根に秘密があるの。
覚えられないなら歌えばいい。兎の右に秘密があるの。
ソフィアがくれた歌は僕を癒してくれた。ずっと言語がわからなかったけど、日本語だったんだね。
僕ね、友達ができたよ。家族の元にも帰ったよ。でもね、一番はやっぱりソフィアなんだ。ソフィア、会いたいよ。
あの白い部屋で二人でずっと一緒にいよう。僕にはそれだけで良かったんだ。ソフィアが死んでしまうくらいなら、それで良かったんだ。
ソフィア、どうして死んでしまったの。なんであんな言葉を残したの。お願い、教えてソフィア。
僕が死ねば良かったなんて嘘だよね。僕が悪魔だなんて、からかってるんだろう。僕の魔法は世界を救う魔法のはずじゃないか。
だからソフィア、行かないで。どこにも逝かないで。僕を置いて行かないで。ソフィアがいない世界で、どうやって生きていけばいいか知らないんだ。
わからないことばかりだ。こんな世界で困惑するくらいなら、天国でも地獄でも構わない。ソフィアの傍でずっと眠りたいんだ。
お母さんなんて知らない。お墓と写真を見せられても、僕はあの人を知らない。お父さんなんか嫌いだ。僕を閉じ込めて、電話に向かって怒鳴ってるんだもん。
弟とお兄ちゃんは嫌いじゃないよ。椚や梢も同じ。でもソフィアの代わりなんてどこにもいないんだ。僕はソフィアだけでいいんだ。
サイタやララとクルリは大好きだよ。でもソフィアに会いたいんだ。ソフィアに伝えたいことが一杯あるんだ。
どうして誰も返事してくれないの。ここは暗くてとても寒いんだ。お願い、僕を一人にしないで。ソフィア、お願いだよ。
……僕が我儘だったからなのかな。なんでもかんでも欲しがったからなのかな。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
何度でも謝るから。もう我儘言わないから。神様でも悪魔でもいいから、お願い。僕を一人にしないで。
一人がこんなに怖いことを知らなかった。いつだって僕の周りには誰かがいてくれたから、知らなかったんだ。
ソフィアや椚に梢、最近だったらサイタ達がいた。家族もいてくれた。僕は一人じゃなかったけど、僕はそれをずっと無視してた。
ごめんなさい。ごめんなさい。だから一人にしないで。ソフィア、逝かないで。七人の小人でもいいから、僕を一人にしないで。
「言え、テオ。お前が一番望むことはなんだ?」
助けて。
言葉にした次の瞬間物凄い痛みが顎を襲った。もしかしてこれは僕への罰なのかな。
でもサイタの姿が一瞬見えた気がした。白い雪が舞っている。寒かったのはそれが原因なのかな。
息苦しかったのが消えた。同時にどこかへ落ちていくような感覚。椚の声が、聞こえた気がした……
水底に立っていた。多分夢だろうな。と味気のない感想を夢の中で抱くのが、雑賀サイタという人間であり、俺である。
上の方で太陽が輝いている。水面で揺られているせいか、柔らかくなって温かい緑色の水を輝かせている。ただし光が届く所までだ。
俺がいる水底は闇だ。雪の上を立っているような冷たさに、暗くて濁っている水。たまに白い泡が上へと昇っていき、光を浴びて消えていく。
こういう水系の夢見てると起きたら粗相している可能性があるかもしれない。そう思うと早く目が覚めたくなってきたので、頬をつねろうとした。
それより先に上から音が聞こえた。重い物を投げ込んだ音を水の中から聞いているせいか、鈍い音だった。大量の泡が水面に発生している。
泡の中から少しずつ底へと沈んでいく物があった。縄に手足を縛られ、大きい石を括り付けられている。なんか極道系映画で似たような光景あったな。
なんにせよこのままだと見殺しになるよな。夢とはいえ後味が悪い。仕方ないから助けに行こうかと足を動かそうとした。
動かなかった。水底に吸着して離れない足の裏。嘘だろう、夢とはいえ人が死ぬのを見ていろっていうのかよ。ふざけんなよ。
根性と怒りで動こうとするが、完全に固定されている。沈んでいく人の姿が少しずつはっきりしてくる。どこかで見たことある銀髪だ。
それよりも助けなくては。夢だろう、俺の夢だろう。なら俺の思うがまま動きやがれ。それともあれか、人魚姫みたいに見過ごせってか。
泡となって消えろと言うのだったら、俺は断固拒否するぞ。俺はあの童話が一番嫌いなんだ。誰も報われないなんて、そんな馬鹿なことを話で見たくねぇんだよ。
人魚姫は努力したんだろう。声がなくても王子の傍にいただろう。例え自分が死ぬことになっても、王子を殺さなかっただろう。そんな良い奴が死ぬ話を、俺一人だけでも嫌ってやらなきゃいけないんだ。
じゃないと馬鹿みたいじゃないか。泡になって消えていいような奴じゃないって、誰かがめでたしの前に言ってくれたら良かったんだ。
俺があらゆることに対して無関係で無関心でいたいのはこういう性分だからだ。知っちまうと、放って置けない馬鹿なんだよ。
自分でも馬鹿だと思っているんだよ。お人好しと言うには捻くれてるし、冷酷と言うには甘すぎるこの性格。何度これで損したことか。
素直じゃない性格で得意なのは家事裁縫、無神経とも言われる俺だ。正直人を救ったなんて自慢話なんか一つもない。だから俺にできることなんて、本当は一つもないんだ。
枢クルリや鏡テオのこともそうだ。俺にできたことなんて一つもない。俺の力では解決できないことばかりで、なんの助けになってやることもできない。
それでも知ってしまった。そうすると放置することができない。無駄に関わっては痛い目を見ていくし、多々良ララには呆れられている。
王子様なんて柄じゃない。俺自身が一番理解している。颯爽と現れては解決できるヒーローや、歴史に名を遺す英雄にもなれない。
だけど、それが助けなくてもいい理由にならない、って馬鹿な俺の心が囁くんだから、仕方なく動くだけなんだ。
動けよ、俺の足。こんな水底で立っている場合じゃないんだ。銀髪がどんな理由で沈められたかはわからない。悪人かもしれない。
あいつのためじゃない。俺のために助けに行きたいんだ。そうだよ、いつだって俺が動く理由は俺が納得したいだけの自己満足なんだよ。
偽善で結構だ。どうして助けたと怒られたって関係ない。俺は俺の気持ちに従った方が一番後悔がないからだ。誰かの心なんて知るか、そんなの本人以外わからないんだからよ。
俺が一番わかるのは馬鹿で甘い俺の心だけだ。こればかりは無関心にも無関係でもいられない。
気合を入れて野球のホームを蹴るつもりで足を踏み出した。皮が剥がれるような感触はしたが、痛みはない。やっぱり夢じゃないか。
そう思った瞬間、白い泡が立ち上り、俺の視界を塞ぐ。それは白い羽毛へと変わり、気付いたら湖面の上に立っていた。
水面の満月に立つ少女が一人。年は俺より幼いくらいの、十五歳だろうか。バレリーナが着るような美しい白のドレスを着ていた。
白い髪に灰銀の瞳。長い睫毛すらも白くて、同じ人間かと疑うほど造形品のように綺麗だった。白鳥達が湖面を泳いで俺達を眺めている。
爪先立ちで歩いたかと思えば、ふわりと浮き上がって俺の前に降り立つ。天使だと言われたら頷いていただろう。
「うふふ。暇だから覗きに来ちゃった。私は白の魔女メフィスト。でもオデットという名前もあるわ。どちらがお好き?」
「……メフィストかな」
なんかオデットが個人的に言いにくかったから。メフィスト、なんかどっかで聞いたことがある名前のような、そうでもないような。
目の前の少女は白の魔女と名乗ったが、魔女ってなんだよ。一応固有魔法がある現代日本だが、魔女という職業はなかったはず。
「私もね、その名前が好き。傲慢候補くん、私はいつまでも扉の向こうで待っているわ。早く七人を集めて、決めてね」
「は?七人を集めるって……もしかして!?」
「一つの扉を開けば、二つの扉。天使と悪魔は私の思うがまま。でも決めるのは結局貴方達なの。魔女はその答えに微笑むだけ」
「おい待て!?それってつまりお前が元凶なのか!?こんな面倒……」
白い腕が俺の首筋に絡まって、体を引き寄せられる。羽毛よりも柔らかくて温かい体が密着する。艶のある唇が俺の耳に近づいて吐息を感じる。
俺は結構小さい方なんだが、メフィストの方が体が小さいのか、少し離れた場所から寄りかかっているのか、爪先立ちのまま抱きつかれている。俺の両腕が行き場を失くす。
俺とこいつは抱きしめるような間柄じゃないし、そういうのとは無関係でいたいからだ。百合みたいな甘い匂いが俺の鼻に届く。
「世界の全てより、愛が欲しかっただけなの」
その声が湖面に波紋を作ると同時に、白鳥達が満月に向かって飛び立っていく。離れる体温を感じて、意味がないとわかっていても手を伸ばしていた。
白い羽毛が飛び散って視界が埋まっていく。それは次第に黒くなり、上下の感覚がわからなくなる。俺は一瞬浮遊したかと思えば、背中から落ちていく。
メフィストが最後に呟いた言葉の意味なんて全くわからないし、知りたいと思わない。白の魔女だがなんだか知らないが、これだけは言わせてくれ。
「だから俺を巻き込むなっつーの!!!!!」
上に乗っていた布団を跳ね除けて、叫ぶように起き上がった。ベットが揺れて近くにあった点滴が倒れそうになるが、俺は慌てて掴む。よし、倒れなかった。
なんか納得いかない夢を見ていたようだ。それにしても寝言を叫びながら起きるって些かあれだよな。かなり恥ずかしい。俺は周囲を見回す。
見たことない部屋だが、消毒液の匂いや点滴があることから病室だろう。しかも個室だ、これは初めてだ。で、点滴の管は俺の腕に繋がっているわけだ。
窓からは深夜の気配を滲ませる夜空が見える。月すらも隠れたが、太陽が出るまでは時間がかかりそうだ。室内の電気は消えている。
ベットと花を飾る花瓶と小棚、あとは備え付けのテレビくらい。着替える時に使用するカーテンは開いている。服は病院の検査着になっている。
近くに着ていた服ないか見回したが、見当たらない。そういえば血を吐いたな、俺。人生初めての吐血だったが、二度と味わいたくない。それで汚れて処分されたか。
というか俺は鏡テオの毒のせいで倒れたよな。解毒剤ってどれくらいで効くのか、というか効いたのか?薬剤自体があったか謎だよな。
それに鏡テオも同じく毒で倒れた……いや俺が殴り倒したな。でもあいつも毒が効く体質だから、俺が吐血するほど浴びていたのならば、それよりも前に毒の傍にいたあいつはそれ以上のはずだ。
なんにせよ動くか。点滴袋を吊るす棒を杖代わりに握って、ベットの下にあった病院用スリッパを履いて暗い室内を歩いて扉を開く。スライド式の横開きだった。
顔を覗かせるように廊下を見回す。すると右側のベンチで多々良ララが足を組んで寝ており、枢クルリの姿はどこにもない。
どうせ病院では携帯電話系の機械は禁止とかで、外とかにいるんじゃないか。むしろ家に帰っているかもしれない。もし本当だったら次のご飯に激辛麻婆豆腐を作ってやろう。
しかし足だけでなく腕も組んで寝ている姿勢は年頃の女子としては男前すぎないか、多々良ララ。お前らしいと言えばお前らしいけど、色気ないぞ。
でも寝顔を見るとちょっと女の子らしいか?睫毛長いし、鼻筋は整っているし、肌も綺麗だ。唇も荒れていない。いつもはやる気のない目つきだが、今は閉じられている。
思わず眺めてしまうが、このまま寝かせとくのも悪いよな。もしベットで寝たいならば、俺の温もり付きで悪いが病室のベットに案内してやろう。いやでも俺だったら他人の温もりが付いたままの布は嫌だな。
なんにせよ体が痛くなりそうな体勢だし、もしかしたら心配して待っていてくれたのかも、と期待を少しだけしておこう。事情を話せるならば、聞きたいところだしな。
「おい、多々良。起きろ。このままだと冷えるぞ」
「……お母さん、あと五分」
「誰がお前のオカンか。大体そう言って寝過ごすのが学生の常識だろうが、起きろ」
多々良ララの肩を揺らして起こそうとする。しかし意外と寝起きは悪いのか、中々起きない。そういえば前もこんなことあったな。
食べ物でも食わせて咀嚼運動による脳活性化が必要だろうか。病院の売店はこの時間にやっているのか、というか今何時なのかも知らなかった。
携帯電話があれば良かったが、病院で電源を入れるのは常識的に考えて嫌だな。この時間にテレビつけるとうるさそうだし、時計が近くにないだろうか。
「あ、起きてる。せっかく近くのコンビニで深夜のお菓子買ってきたのに」
「人が生死の境を彷徨っているであろう時に余裕だな、猫耳野郎」
ビニール袋を片手に語りかけてきた枢クルリに対し、俺は若干怒りを含ませつつも振り返る。
普段からあまり顔色が良くない奴だが、白蛍光しかない廊下のせいか、いつも以上に顔色が悪い。青白くてちょっと不気味だ。
猫背な姿勢だが、肩から力が抜けたのが見えた。一息つくようにでかい呼吸を吐いて、枢クルリは呟く。
「いや死ぬと思ってたから。これは墓前用にと」
「俺が死んでもジャンクフードだけは供えるなよ」
差し出された安っぽいポテトチップスの袋を掴み、握り潰す。縁起でもないことを言いやがって、この猫耳野郎。
しかし握り潰した途端にポテトチップスの袋が軽く破裂したような音を出し、わずかに開いた場所から内容物が零れる。しまった。
すぐに看護師さんがやってきて小声で怒られた。その声で多々良ララが目を擦りながらも起き上がったが、嬉しくない。
「……生きてる?」
「多々良、お前もか。解毒剤があったんだろう?じゃなきゃこんなに動けるはずが……」
「なかったよ」
「へ?」
寝起きの微睡むような声で多々良ララは怖いことを言った。俺は思わず聞き返したが、中々多々良ララの意識は覚醒しない。
「病院内の解毒剤では分解できない毒素があって、朝までの命だって……あったような、なかったような」
「どっちだよ。というわけで俺に説明しやがってくださいクルリ」
「墓前用に買ってきたって言ったじゃん。ちなみにこっちはテオ用」
そう言って枢クルリはチョコ棒らしき駄菓子を取り出す。ただのチョコ棒ではなく、詰め合わせチョコ棒御徳用だ。こいつにだけは絶対お供え物を買わせないようにしよう。
俺で朝までの命。ということはテオはもっと短いはず。ただでさえ残り寿命が短いとかカミングアウトされた先でこれかよ。仕方ない、あいつの病室を探すか。
枢クルリに時間を聞けば午前三時。運び込まれたのは午後九時だと考えると、六時間経っているようだ。テオの病室は隔離病棟らしく、少し離れた棟を枢クルリが指差す。
「なんであいつは隔離病棟なんだ?俺は……一般病棟だよな、ここ」
「一応ね。ICUも考えられたらしいけど、手に負えないってことで。毒だけでも洗い流して、解毒できる物は解毒して、気休めの栄養剤を打って、放置」
「俺の扱いぞんざい過ぎないか?しかも隔離病棟ってことはテオもICUじゃないんだよな?」
「俺もそう思ったけどね。家族への連絡先とか聞かれなかったのも気になるし。テオが隔離病棟なのは他の入院患者の睡眠妨害を阻止するためだよ」
よくわからないが、とりあえず移動するか。寝ぼけている多々良ララの手を引っ張り連れていく。枢クルリも考えこんでいるが、素直についてくる。
普段と変わらない体調に自由に動く体。どう考えても死ぬ前の動きじゃない。むしろ全快していて、百まで生きれそうな勢いだ。
俺はさっきまで見ていた夢のことなどさっぱり忘れて、鏡テオや椚さんがいるであろう隔離病棟へ向かう。もうここまで来たら毒を食らわば皿までだ。別に上手いこと言ったつもりねぇよ。
なるほど。全て理解した。これは確かに隔離病棟、しかも現在鏡テオ以外の患者がいない場所にやられるわけだと、冷めた目で繰り広げられる肉弾戦を眺める。
強烈なラリアットを受けた椚さんが廊下を転がるが、休む暇も与えずに壁を使って三角飛びした梢さんが頭を潰す勢いでピンヒールを踵落としの要領でぶつけようとする。
転がる勢いを利用して避けた椚さんだが、着地した梢さんは床に突き刺さったピンヒールを脱ぎ捨てて、跳び膝蹴りを椚さんの背中に食らわせる。うるせぇ。
「椚!!私が手続きでいない間は坊ちゃんを守るのが貴様の役目なはず!!それを最後の手段で自らの責務を放棄しようとした無責任を償う覚悟はできているのでしょうね!?」
「梢ちゃん、落ち着いて!確かに俺が悪かったけど、まさか待ち伏せされるとは思ってなかったし、とりあえず銃は使うことなかったから……」
「ちゃん付けするなっ!!不肖この梢、旦那様に見せる顔がない!最早お前を殺して私も死ぬしかない!さぁ、貴方の罪を数えなさい!!」
「漫画の影響受けすぎじゃない!?それに俺達が死んだら誰が坊ちゃんの死亡を旦那様に報告するのさ?」
「ならば貴様だけ死になさい!!それに、それにっ!坊ちゃんはまだ死んでいない、私は坊ちゃんが死ぬことを認めないぃぃいいぃいぃいいいいいいいいいいいい!!!」
堅気の人間が身に着ける動きじゃない。明らかに護衛とか、その逆の用途、でしか使わない格闘技の数々。拳を交えながら会話するのも凄いが、深夜の病院では止めてくれ。
梢さんが綺麗な涙を浮かべながら椚さんの背中を尻で押さえつけ、海老ぞりにしてから首を絞めている。椚さんが顔を真っ赤にして足と手を必死に動かしている。
「ぼっちゃぁああああああああああああああああん!!不肖この梢、貴方のためならば全裸になってリンボーダンスを踊りながらハイホーを歌うこともできます!なので死なないでくださいっ!!」
「嫌な天照大神の引き出し方だよ、梢ちゃん!?それに坊ちゃんを助けようとした少年も死ぬことをお忘れなく!!」
「ええい、そんなことより坊ちゃん!坊ちゃんです!!大体椚がしっかりしてればよかっただけの話!副業のホストにうつつ抜かすから、罪なき少年も死ぬのです!猛省しなさい!!」
「勝手に殺すんじゃねぇよ!!というか深夜の病室前で騒ぐんじゃねぇ!」
俺が死人扱いされているのが気に食わず、思わず口を挟みこんでしまう。すると驚いた顔で椚さんや梢さんが俺の顔を眺めてくる。
荒れ果てた廊下の上に倒れ込む椚さんをさり気なく踏みながら、梢さんが俺の顔を凝視する。醤油顔美人で黒髪巨乳のOLみたいな人で、俺としては結構好みの顔だ。
髪を一部バレッタでまとめつつも、長い黒髪が流れる川のように動くのも良い。これであの言動と行動がなかったらなぁ、と思わずにはいられない。
「お、おお、おおおお……神は、神はいたのですね」
「クリスチャンか!?これが外国製ということか……」
いきなり跪いて祈り始めた梢さんに対し、思わず数歩下がる。宗教ちゃらんぽらん国家に生まれた身としては、この儀礼的なことが慣れない。
ただし梢さんが服の下に隠していたのは十字架のネックレスではなく、二枚の写真だった。一つは幸せそうな夫婦、もう一つは夫婦の子供らしき三人が写っている奴だ。
夫婦の写真は年季が古く、擦り切れている。子供三人の写真が新しい理由はわかった。鏡テオが写った、三年以内の写真だからだ。
そうか。鏡テオは母親が死んだ後に戻ってきたから、成長した家族の写真がないのだろう。だから別々に持つしかない。
揃わない家族の写真。それを大事そうに持つ梢さんは、幸せそうな笑顔で写真を眺めている。この人も厄介な事情でもあったのだろうか。
そこまで関わるほど俺は暇じゃないから、聞かないけどな。でも多分、梢さんが祈る神は俺が想像している神とは違う気がする。
「旦那様……ありがとうございます」
うん、この人の神様はきっと写真に写っている夫婦の夫の方だろう。おそらく鏡テオの父親のことだろう。
「では早速坊ちゃんの病室へ。さっさと起きなさい、椚。でないと踏みますわよ」
「……それも悪くないかなー、なんて」
「訂正。踏み潰します」
股間あたりに気配を感じた椚さんが腕と足を一生懸命動かして、移動しながら起き上がった。女性陣はもう少し男性の急所に関して配慮してもいいだろう。
なんにせよ俺が回復したのを見て上機嫌になった梢さんは扉に手をかけて、止まる。正確には開けようとしたんだが、開かないので動かせないだな。
最初は片手、次に両手、最終的に先程見せた三角飛びからの足蹴。それでも開かない扉。やはり隔離病棟だから、逃げ出さないように工夫を凝らしているのだろうか。
「ぬ、ぬぐぅ!!やはり全裸で踊るしかないようです!!坊ちゃんのためならば不肖この梢、熟れに熟れた豊満ボディを曝け出すしかないようです!!」
「やめてぇ、梢ちゃん!!ただでさえ痴女なくせに、それをうら若い少年少女に見せないでぇ!!誰かこの人隔離して!!」
「ちゃん付けするなと何度言えばわかるのです!?不肖この梢、痴女ではなく露出狂と言うのです!日本語は繊細なのですから間違えてはなりません!!」
繊細な日本語を操る俺から言わせてもらおう。どっちにしろ脱ぐな。
シャツを脱ぎかけている梢さんを必死に抑え込もうと奮闘する椚さん。肘によって吹き飛ぶサングラスを俺は見なかったことにする。
とりあえず多々良ララに魔法で壊せないか尋ねる。俺達の中で一番力強いのはおそらく固有魔法を使ったこいつだからな。
魔法少女のごとく瞬時に白いレオタードドレス姿に変わる多々良ララ。ガラスの靴を履いた綺麗な足が鏡テオがいるであろう病室の扉に叩きこまれる。
最早殴った音じゃない。発砲音に近い、空気が破裂したような音が響いた。それでも壊れない扉を見て、俺は悟る。これは開かない。
なんにせよ俺が回復したのならば、それを行った原因があるはずだ。その原因が俺だけを治すのも変な話なので、鏡テオも治すと信じて待つしかないだろう。
鏡テオが眠る病室。窓もない、荒れた壁とベッドしかない部屋の中で、男が銀髪の少年に話しかけている。
眠り続ける鏡テオの顔は死人そのもので、雪よりも白い肌は生気を感じさせない。それでもその顔に少年は触れ、辿るように首筋の林檎型の痣に触れる。
「魔法の発生起源は十五世紀フランスとされており、それ以上に詳しいことは解明できていない。君が私の前に現れるまでは」
「本当は現れるつもりはなかった。ただ錬金術師機関の中心にあいつがいる。あいつは俺を殺した。魔女狩りの刑の一つと称して」
魔女狩り。中世フランスで行われた歴史的事件の一つでもある。多くの者が犠牲となり、今も尚語り継がれる。
魔女と疑惑をかけられた人間には多彩な罰が下された。その中の一つに、石で括り付けられた者を水に沈めて浮かぶならば無罪、というものだ。
もしも神が彼の者を無実と言うならば救うはずだと。神の名を借りた暴虐を、事実上の死刑を、断罪という行使を、否定しようにもできない時代。
「あいつは今もオデット様を狙っている。だから扉を開きたい。そのための錠を四つも五世紀の内に揃えた。あとは鍵を七つ、錠を三つ」
「それとこれと繋がるのかい?あの扉を開かせたくないならば、強欲候補であるこの子を見殺しにした方が早いだろうに」
「むしろそれとこれは関係ない話だ。別に強欲候補はこいつだけじゃない。だったらこの子を生き永らえさせても問題はない。それに強欲の対となる忍耐はあいつだ」
「そう言われても私は美徳の魔人全てに会ったわけじゃない。全く想像できないから、困ったものだ」
「なんにせよ魔人は一癖揃いだ、俺も含めてな。結局形の合う錠と鍵でなければ意味がない。そして鍵を選ぶのは錠だ」
どんな鍵であれ、錠が拒めば扉は開かない。無理矢理形の違う鍵を差し込めば、鍵の方が折れて使えなくなってしまう。
錬金術師機関とカーディナルにとって重要なのは大罪に見合う鍵ではなく、扉を守る錠の方であることは変わりない。だからこそカーディナルは焦っている。
現在七つの錠の内、四つを錬金術師機関が保有している。カーディナルは一つも所有していないため、鍵となりえる人物の排除に勤しんでいるが、少年は意味がないと肩を竦める。
「例えある少年が七人全員揃えたところで、錠が納得しなければ意味がない。だからこの子の命を救っても、関係がないと言える」
「それでも君が魔法を使ってまでこの子を生きさせる理由にもならないはずなのに、お人好しだね。そういうのは嫌いじゃないが、得策ではない」
「言う通りだ。だがこの子は魔法の犠牲者だ。本当だったら家族と一緒に暮らし、孤独に怯えて泣き喚くこともないまま、大人になれるはずだった……」
もしも、鏡テオに固有魔法がなければ。母親は今も存命で、ソフィアという女性は死なず、家族全員で温かい家の中で笑っているはずだった。
年相応に学校へと通い、大学で好きな勉強をしていたかもしれない。少なくともオッドアイにならず、健康な体のまま友達と一緒に遊ぶ当たり前があったはずだ。
魔法が鏡テオの全てを奪った。それを知らないのは鏡テオ本人だ。知らないまま自分の固有魔法で命を落としかけている。孤独なまま死へと向かおうとしている。
真実も知らないまま涙を流し、疑問を抱いたまま深い眠りにつこうとしている。
「だからこの子には生きてほしい。水の中に溺れるような、冷たい孤独を味合わせたくない」
そう言って少年は魔法を使う。固有魔法ではない、奇跡とも呼べる万能の魔法、をだ。それを男性は黙って眺める。
扉の向こう側で起きていることを少年と男性は知らない。それは同時に扉の向こう側で暴れている女性を押さえつけている男性達も彼らのことを知らないということだ。
固く閉ざされた扉をの向こう側を知るには開くしかないという当たり前のこと。それを理解するにはやはり扉を開くしかない。
スカートに手をかけ始めた梢さんを椚さんが必死に抑え込んでいるが、わずかに見えた桃色の紐下着。やはり男の性ってのは悲しいよな
一応礼儀として視線を逸らした俺だが、枢クルリと目が合う。親指を立てるサインを受け、俺も親指を立て返す。なにかが通じ合った瞬間、だと思った。
しかし枢クルリの親指を立てるハンドサインは意思の疎通を意味するのではなく、グッドラックという意味だと知るのは多々良ララに膝裏を蹴られてからだった。
もちろん膝裏を蹴られた人間は膝を曲げるしかない。体勢を崩し、床に手をつく結果となる。俺は点滴をつけた病み上がりだということを忘れないでくれ。
多々良ララには見下され、枢クルリには他人の振りをされ、椚さんと梢さんはいまだに争っている。俺の味方はどこにもいないようだ。
そう思っていた矢先、鏡テオの病室を閉じていた扉が開いた。中からは眼鏡のおっさんが出てきた。そして俺達の状況を見て一言。
「出直すとしよう」
もちろんここで扉を閉じられては敵わない。俺と椚さんが慌てて扉に手をかけ、閉じるのを防いだことを誰か称賛してくれてもいいと思うんだが、誰も褒めなかった。
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