第9話「いつも突然に」
それは軍隊が歩を進めるように
ユルザック王国の首都ヘルガント。貴族街に作られた
収容人数は千人想定。それでも
精霊術師研究報告会。1765年十二月の末。
多くの
街を
夜に眠ることを
「理論構築が
「でもここまで
「品物はね! 論述練習が
研究所の地下
眼鏡の位置を直す気力もない。
視力と精霊を
現に眼鏡を外したハリエットでも、ぼやけた視界の中で精霊だけは
空気に色が
それは
「とにかくやるだけよ! ハリエット、準備しなさい!」
「……ふぇ?」
気が
「ミカが待っているわ」
「…………レオさん!」
意識が一気に
一足早く地下から出た少年は、王族の席へと向かった。
王位
劇を
あとは
小型劇場のような内装を見上げながら、第五王子は
気品の
金の
「ミカめ……意識の内側で
元太陽の
背後で護衛を
事の
研究に協力したミカだが、慣れない作業に
何度か仮眠を取っては、すぐに研究の
十五
地下から地上に続く階段で気絶し、意識の内側でレオに代役を
派手に転んで起き上がるような時間差で、意識の主導権が変わったのである。
痛む額をさするレオは、
左目を
しかしミカとも本音を
意外と平気だった。
むしろ転化術を使わずに済むので、レオは目の前が開けた気がした。
「まあ報告会を見たいと言ったのは我だしな。人間達の発展を確かめるか」
「上から目線すぎるんだよ」
「自然体なので、周囲には
「あまりミカの評価を変えんなよ。あとで苦労するのはアイツなんだから」
「おかしなことを言う。ミカが好かれれば、お前達も……」
言葉が
椅子の背もたれ
殺気ではなかった。けれど
「王子の人気が
ただしクリスだけが違う方向に意識を飛ばし、二人の間に流れた
午前九時。
報告会が開かれた。
緊迫感が
『術理念研究グループより、今年度の結果を報告します』
精霊術による拡声は、大広間の
朗々と告げられる内容は最新の術構築理論であり、応用のしやすさを意識したと語る。
報告が終われば質問責めの時間。他グループがこぞって理論の甘さを追求し、自らの知見を披露する。
大抵はその流れを王族席の者は見守るのである。
今年は第五王子だけ。例年通りに進むはずだった。
「その術式は精霊の消費量が多い。やり直せ」
こうして波乱の報告会は幕開けとなったのである。
「道具の効率性を求めるなら、形状にこだわれ」
「生活に
「子供を対象にするならば、成長速度を考えてこい」
「精霊で快感を得るな。不敬だぞ」
他の質問を聞き終えてから、出てこなかった弱点を
予想外の展開に報告を終えた研究者達は
そうして最後には『しかるべき反省をし、善処します』と、力なくうなだれるのであった。
「レオ
「むしろ足りないくらいだ」
「ミカのこと考えろって言ってんだよ」
「あ」
すっかり第五王子という
しかし未熟な研究内容を聞いてしまうと、どうしても口を出したくなる。
正午。
大広間に重苦しい
その原因となった第五王子の周囲に研究者が集まり、
「何用だ?」
そうして
『ぜひご意見を
王子として分野外に口を出しすぎたと、
しかし助力を
「わかる
「構いません! これ
「王子は前から変人だと思っていましたが、かなり変ですね!」
「ははは。ちょっと今の発言主にはきつくしてやるからな」
すっかり打ち解けた様子で研究者の相談に乗っていく。
それを
昼食を取り終え、研究者達も自らの立ち位置へと
午後からは本格的な発表が始まる。教授や主任などが重々しい雰囲気をまとって立ち上がった。
その中にまだヤーやカロン、ハリエットなどの姿は見えない。
「順番が来る寸前まで内容を
「ヤー殿は
「さて、ミカの意識と主導権を変え……ん?」
意識の内側へと
一面の空が映る世界。白い船でくつろぎ、
(レオが楽しそうだからさ。報告会は任せたよ)
(だが……)
(……信じるよ)
少しのためらいが
不安と期待を一身に受けた獅子は、
(ありがとう。ミカ)
わずかな
「……我に任せてくれるらしい。言葉に甘えよう」
「
「かもな」
オウガのからかいに軽く同意しつつも、安らかな心持ちで前を向く。
小声での会話が終わると同時に、次々と新たな研究発表が
それは午前の内容とは
今までのが前座だったと思わせるには
質問時間でレオの発言は圧倒的に少なくなり、疑問を投げることが増えた。
中には兵器転用や新武器の発想などもあったが、その根底には国の栄光を願う志が存在した。
「これは初代
「初代が
「ユリア・フェイトの着眼点には目を見張るものがあり、歴史を
そして何度も出される名前に、レオは少しだけ
あまりにも
『では次にバロ・オイデン教授』
聞こえてきた名前に、レオは気を
整えられた
「私は今回において
それはハリエットの努力と夢の塊。
老いた
――これは自分の
発表を終えた教授は満足そうに笑っている。
質問の時間に手を挙げたのは一人。今日の報告会で注目を集めている王子。
彼の金の瞳に姿が映った瞬間、老人は獅子の前に無防備で立つ気分を味わった。
「その研究には重大な欠点がある」
「……失礼ですが王子。私はこれを一年かけて研究し、発表しているのですよ?」
穏やかに
「精霊を
昼休憩の時に
それはハリエットが
「このようにな。
「……ええ、今後の研究でそのようにする予定で」
「ならば報告しろ。
大広間の空間が一気に
「……私の発表に不満でも?」
「心当たりはあるのだろう」
空気が
「お待たせしました!」
どばんっ、と両開きの
教授の次に発表予定だったハリエットが、
「ハリエットくん……!?」
「教授、私の発表を聞いてくださいね」
信じられないといった様子のまま、彼は王子に背中を見せて去っていく。
必要最低限の
『で、では次に』
「私は見分け方について研究しました!!」
やや食い気味に発言したハリエットだが、徹夜明けの調子で叫んだせいか聞き取りづらかった。
そこへヤーが大股で近寄っていき、半ば
「ご報告が
しかも片割れは天才精霊術師として名高いヤーであることが、注目と
「貴族裁判の際、魔人による王城の
音の波が大広間に広がり、
その存在は夏の終わり
貴重な相手と三回も
「これは十年前と同じ大失態と考えます」
ぶわり、とざわめきが
かつての
王族にさえ
「そこで今回は体内の精霊
「待ってください! 十年前のはどうしようもなかった! 体内部など、
声を張り上げたのは若い男だった。
ハリエットは彼がラルクだとわかり、考えていたよりも意欲的なのかと思った。
「だから?」
「……え」
「そんな理由で諦めて、救える命を失って、
十年前の事件で、母親を
いまだに
「同じことが起きた時、
今度こそ不満にも似た声が
暴言から
それらを浴びながらも、ヤーは
「アタシは諦めない」
大勢の声に
少女の
「
十年前から始まった夢は、不思議と彼に
「顧問精霊術師になるためにも」
少女は場にそぐわない
「どんな難題だって
その声を聞いたのは最前席――王族のために用意された場所にいる者だけだった。
けれど確かに第五王子と従者仲間達に届いた。
「
少女よりも小声だったにも関わらず、その一言で大広間が
氷海よりも冷たいと思わせる緊迫感が、絶えず肌を突き刺す。
「報告を
精霊術師達をまとめる男は、
誰もがそれから
「続きを。あと報告に関係ない私語は
「失礼しました」
机の
精霊術研究所を
「今回は二種類で用意してみました」
気を取り直したハリエットが箱を机の上に置く。
「片方は
「冬になっても
「
「普通であれば白い煙が
葉巻は貴族や
それを検査薬代わりにし、
「
貴族裁判にて処断されるはずだった人間の
だが
がたん、と予想外の場所から物音が発生した。
誰もが
だがレオだけが魂に
「この葉巻に火を
指が蓋の
すると白かった煙が黒く染まっていき、指の周囲にまとわりついた。
明らかな変化に驚く研究者達の前で、ハリエットが同じ葉巻を吸う。
彼女が
「げほっ、ごほっ……こ、この通りです」
「これで一つ検証できます。しかし形状から、
「そこで次に用意したのが眼鏡です。こちらは観測用です」
「参考にしたのは黄金律の魔女の発明品です」
出てきた名前に新たなどよめきが追加された。
アイリッシュ連合王国にて最初の魔導士。
かつてユルザック王国でも
「あちらでは
「
「それが
箱から出したのは硝子よりも
オウガやクリスは自らが所持している細工に目を向ける。
どれも特務大使の従者として
氷水晶と風琥珀の原石を溶かし、急速に冷やして固めたもの。
それを硝子細工と同じように加工し、
「氷水晶には
「レンズとして固めたことで
四大精霊の属性。それは精霊術にとっては基礎であり、
不満が期待へと変わり、不服が
その空気を肌で感じ取ったレオは、
「カロン精霊術師が非公式ではありますが、四属性による瘴気中和陣を開発しています」
「ウラノスの
背筋が
いつの間にか研究者達は
「この眼鏡は四大精霊取り込める人体……生者は見えます」
「けれど理論上では
「また体内にて精霊が
「十年前の流行病を例にすれば……
それが本当ならば、あの苦しみは二度と繰り返さない。
意識の内側で変化が起きた。獅子は白い船に戻り、少年が
ミカはまっすぐにヤーを見つめた。少女はいつだって彼のしこりを溶かしてしまう。
「アタシ達は十年前を
その勇ましさに
少年も拍手を送ろうとして、手が震えていることに気づいた。
もっと早く伝えていれば――そんな
目元が熱くなって、金色の瞳を
背後で立っている青年も、かすかに鼻を
失ったもの達に顔向けできる日が
「ここからは質問時間! どんどん来なさい!」
テンションが上がって口調さえも素に戻ったヤー。
机を叩かんばかりの勢いで告げ、やけくそ気味に応じ始める。
すると次々と質問責めに合う。
戸惑うハリエットも交え、わからないところは不明と断言。
実験数も足りないことを白状し、これから
「質問をよろしいかな?」
特に驚かれたのは、ササメが初めて質問時間に発言したのである。
的確にヤー達の研究の弱みをついていき、実際に眼鏡を装着して検体を眺めたりなど試す。
それこそ
ヤー達の報告が終わった後も白熱してしまい、カロンの報告さえも質問責めとなった。
こうして一日を
バロ・オイデンが
密告者は発表されなかったが、彼が
「ああ、ハリエットさん。発表すごかったよ」
いつも通りの軽そうな調子で、ラルクが笑いかけてくる。
教授が
それを予測した上での登場ならば、少し皮肉なものだった。
「知ってたんですね。教授のこと……」
「いやぁ、実際に手を染めるとは思ってなかったんだけどね」
まるで世間話でもしている気分だった。
誰も通らない研究所の
「ハリエットさんの研究が、それだけ
尊敬していた相手に認められて、奪われた事実。それを
「でも
「そう、なんですか……」
夢の続きは少しの間だけ見られそうにない。
盗作であることから、当分は忌避されてしまうだろう。
「……ごめん」
察したのか、ラルクから小声の謝罪。
それは普段の彼からは想像もできないほど
「
「え?」
「好きな人のために、寄り道して
教授よりも先に認めてくれた人。
けれど一番近くで補助してくれた少女が諦めなかった。
ならば同じように頑張ってみるのも、大切なことかもしれない。
「私、今度ヤーさんの研究グループに入りますから」
今回の研究報告会を参考に、新設される『瘴気対策研究』も同時に発表された。
このグループは魔人や魔物なども対象に入っており、一大グループとして
そこでハリエットが所属していたグループは吸収される流れになった。
「そっか……じゃあ仕事仲間だ」
「え?」
「バレた責任として、俺も同じグループの下働きなんだって」
にっこり笑うラルクに対し、ハリエットは周囲に
こうして幕は閉じた――ように思われた。
報告会を終えた夜。雪雲が散り、月光が垣間見えた夜。
城の東側、庭先でミカ達は
「それ、ヤーの眼鏡?」
「まあね。アンタと
緑色のレンズがはめ
それをカチューシャのように頭に装着し、胸を張って
「これは試作品一号だけど、機能は発表したのと同じくらいよ」
「かっこいいデザインですね、ヤー殿!」
「アタシも気に入っているわ。だから私物にゴホンゲホン」
わざとらしく誤魔化した少女は、新しい研究グループの発表にも満足していた。
そのためずっと
「俺も
「当たり前でしょう。失敗は放置できないの!」
はしゃぎながら庭先の雪を
飼った覚えがない犬だが、話には聞いていた。子犬の魂を見た瞬間、息が詰まった。
「や、ヤー……その犬は?」
「ああ。そういえばアンタはまだ会ってなかったわね」
「忘れてましたね……レオ殿が苦手としていましたから、つい」
「そうだ名前をつけてやれよ。まだ決まってないんだよ」
子犬を
少し
「ヤー、そのゴーグルで子犬はどう視える?」
「はぁ? そんなの……」
ゴーグルを目元に装着したヤーは、信じられない気持ちだった。
子犬が真っ白に視えるのだ。ありえないくらいに、まるで
「ミカ……アンタにはどう視えるのよ?」
おそるおそる
「時計の魂」
意識の
彼は確かにこう言っていた。
――そちらの
「わ、悪いものじゃないよ……レオが気づかなかったのは意外だけど」
おそらく最初から子犬は死んでいた。そこへ目覚まし時計が
その仕組みをミカは
レオが気づかなかった理由は単純で、彼は魂を視る
「じゃあ名前は二世にしようか。メザマシ二世」
「やっぱり二世になるのかよ」
ここまで来てしまうと名前のセンスについては問われなくなった。
事態が
だがヤーは思わぬところでの眼鏡の実証に悩んだ。
「犬が発見第一号なんて……」
「じゃあワタシが二号になってあげましょうか?」
頭上から静かな声。
気配に気づかなかったオウガが
四人が
それは遠い。人影でさえ虫ほどの小ささだ。
けれど月光に照らされても黒く、クリスが線の細い女性だと理解した。
アトミスやホアルゥが怖気を感じ取り、部屋の中から庭へと飛び出す。
「お久しぶりです、レオ。いいえ、今はミカですか?」
「え?」
「お忘れですか? 三
それは太陽の聖獣レオンハルト・サニーが
ミカミカミを求めて旅立った聖獣達の旅路を指していた。
尖塔からすっと飛び降りた人影は、音もなく庭へと飛来した。
それは美しい少女だった。
ただ首筋まで
真っ黒な毛皮の
「では初めまして。ワタシはコルニクス」
まるで
「アナタと同じ
まるで夜が夕焼けを
それがキスだと気づくのに、ミカは時間がかかった。
舌が口内を
息ができずに苦しくなった矢先、
またもやするりと動き、少女は難なく
雪の上に
「大変
「な、な、なんなのよ、アンタっ!?」
予想外の出来事で混乱するヤーが吐き出せたのは、ありきたりな言葉だった。
そんな彼女へと視線を送り、
「ああ、これは失礼しました。先日の夜、お二人の
「あ、逢い引きなんてしてない!!」
あれを目の前の少女に見られていた事実に、
「ミカ殿!? 痛むのですか!?」
しかし背後から聞こえてきたクリスの焦る声に振り向く。
「では北でお待ちしております。
精霊術による火球を飛ばした先には、既に雪しか残っていなかった。
またもや雲が空を隠し、雪を散らす。冷たい空気が頬を
「ぐぁ、あ、ああああああああ!!」
それは獣の
ひとしきり声を張り上げた後、突如として異変は形となった。
意識の内側に
(む!?)
「え!?」
声を
それは心配して集まっていたオウガ達も同じだった。
雪景色の中で獅子と少年の視線が合う。
「手の平レオ殿!?」
(
サイズ感を的確に言い表したクリスだが、横からアトミスに怒られてしまう。
しかし確かに少年の手の中にレオがいた。意識の内側と同じ姿、太陽のような獅子が妖精のようになっていた。
「
(信じられないでしゅ)
受け入れがたい事実を前に、ヤーとホアルゥも呆気に取られていた。
子犬を抱えたオウガが白い息を吐き、空を見上げて言葉を
「とりあえず部屋に入ろうぜ。寒くなってきたからよ」
雪がちらほらと降る。
新たな波乱の幕は、こうして切って落とされた。
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