忘却の彼方

獅子は少年と共に思い出す

第1話「意識交替」

 ユルザック王国の第五王子。

 この名前を出すだけで、多くの者が表情を歪める。

 五年前、十年前、降りかかった災厄の原因ではないかと流布された噂のせいだ。


 街から雨水を溜める仕組みの布が剥がされ、灰色の空から白い雪が落ちてくる冬の日。

 噂の人物であるミカルダ・レオナス・ユルザックは頭が痛かった。

 目の前で逃げ腰の第三王子ケルナ・ジュワ・ユルザックが罵倒を続けているのも、理由の一つではある。


 しかし一番は彼の意識が「ミカ」ではないからだ。


「聞いているのか!? 相変わらず気味悪い金髪に金目、しかも左目のそれはなんだ!? 不気味な光を纏わせて……まさか、それが瘴気か!? ええっ、おい!?」

「……」

「な、なんだよ、その威圧感……それくらいで僕が黙ると思うのかっ!? いつもの薄気味悪いへらへら顔も嫌いだけど、今の態度も気にくわない! なんか文句があるなら言ってみろ!!」


 冷える石の廊下には大勢の使用人が集まっていた。庭の雪かきをしていた者まで作業の手を止めるほどだ。

 それだけ第三王子と第五王子の組み合わせは悪い。いつ第三王子が癇癪で殴りかかるか。第五王子がそれに耐えるのか、行動に出るのか。

 だが注目が集まる理由はそれだけではない。明らかに第五王子の様子がおかしい。


 普段は何を考えているかわからないが、基本は笑顔。どこかぼんやりとしていて、つい最近までの人形王子だった頃のイメージも払拭された矢先。使用人の中でも彼に興味を示す者が現れた頃合いだ。

 南のブロッサム家が管理する領地から帰ってきた彼は、一変していた。


 威風堂々とした佇まいに王者の風格。冷静そうな表情の中に宿る熱。左目には不思議な光が視えると、才能を持つ者達から何人か心惹かれている始末。

 受け答えも十五歳の子供ではなく、熟成された大人の対応。どこか王族の儀礼に慣れていなさそうな雰囲気はあるが、それがむしろいいと熱弁する者が数人ほど発生中。

 仕草一つも野性味と高貴が入り交じり、輝いているようだった。雪に包まれつつある冷たい城の中で、人々を照らす太陽だと賞賛する言葉が出てきたくらいだ。


(……ミカは、この馬鹿をなんと呼んでいたか)


 真剣な顔で自信の記憶を必死にたぐり寄せている第五王子。

 彼の意識は現在「レオ」と呼ばれている元太陽の聖獣であった。




 二十年前に死んだ聖獣は三匹。

 太陽の聖獣、レオンハルト・サニー。

 月の聖獣、ヴォルフ・ユエリャン。

 公には伝えられていない闇の聖獣、闇鴉。


 ミカミカミという五文字の正体を求め、彼らは死に絶えた――はずだった。

 しかし強き魂が転生しても尚、生者に影響を残す場合がある。

 聖獣を前世とする特殊な人物を精霊術師達は「獣憑き」と呼ぶ。


 第五王子ミカルダ・レオナス・ユルザックは、太陽の聖獣レオンハルト・サニーの生まれ変わりだ。


 一つの体、一つの魂。しかし意識は二つ。

 彼らはそんな「共存」を選び、特異な「強さ」と「才能」を手に入れた。

 主体をミカとし、補助をレオ。だが崩れたきっかけは些細なことだった。


 転移精霊術陣。

 詳しい仕組みは別とし、これを用いて港町ネルケから王都まで。約一ヶ月の距離を数分にまで省略した。

 しかし王城カルドナに着いた瞬間、ミカは突如として倒れた。そして次に目覚めた時には焦る従者達にレオが苦々しい顔で、


「ミカの意識が砕けた」


 とだけ告げた。


 意識。人格や心情を内包し、行動や思考に選択や決定の方向を与える。

 これを形成するのに必要なのは経験や生まれ育った環境――記憶である。それらは本来意識に強く紐付けされており、群体でありながら個体のようにまとまっているものだ。

 しかしミカは転移中に大きな衝撃を受け、記憶が散らばってしまった。残った意識は元に戻ろうと記憶をかき集めているが、それには時間がかかる。


 仕方なく、レオが意識の主導を握ることになってしまったのだが、


「いい加減、返事しろ! このぽんこつ!!」


 運悪く、廊下で鉢合わせてしまった第三王子に喧嘩を売られてしまったのだ。




 がなり立てる第三王子の周囲には恭しく付き添う従者が五人。対峙する第五王子は本人のみ。しかし一切物怖じしていないレオに対し、ケルナは焦燥感だけが募っていた。


(なんだ、こいつ?)


 お互いに不信感を抱く。レオは喧嘩を売られる理由がわからず、ケルナは普段と違う彼の態度に恐怖を覚えていた。


「……われ、ではなくて、俺は本を読もうと思いまして」


 図書室から借りてきた本を差し出すレオだったが、荒々しくはね除けられてしまう。庭に落ちた本を、慌てて庭師が拾い上げる。だが王子達に近寄ることはできなかった。

 白い息を大量に吐き、額に汗を滲ませるケルナが金切り声を上げた。


「そうじゃないんだよ! お前如きが、僕の道を塞ぐな!!」

「……はあ?」


 とんでもない理由に呆れ、レオは思わず間抜けな声を出してしまう。

 ただしそう思っているのは彼だけで、聞いていた使用人達は肩を竦ませた。普段の第五王子よりも低い、不機嫌そうな声音。玉座から見下されている気分に陥る圧があった。


「いいから、退け!! 壁にでも寄ってろ!」

「……」


 レオは目を細める。普段から輝く金色の目だが、ミカであれば笑顔のため柔らかく映ることが多い。しかし今は突き刺すような陽光の熱さが宿っていた。

 皮膚が灼けるのではないか。冬には似合わない緊張感が張り詰める。


 だがレオは判断に迷っただけである。


(えーと……ミカはこの馬鹿に対して、どんな返事をするんだろうか)


 意識の内側を少し覗く。赤子のようなミカの意識が、泡や硝子にも似た色鮮やかな記憶を集めている。

 どうにも返事は期待できそうにない。改めて意識を外側へ。ケルナへと向ける。

 第三王子。母親の身分。王位継承権。庇護の割合。普段からの交流。あらゆる知識がレオには足りない。煩い馬鹿が目の前に立っているようにしか見えない。


 対応一つ間違えるだけで、今後に関わってくる。

 人間はこんなのにも権力を与えるのかと、不合理さにレオは同情した。目の前の男に哀れみすら覚える。

 

 癇癪でかき乱している赤毛に、敵意が剥き出しの黄緑の目。深爪の指。今も一番固い親指の爪を割れるくらい強く噛んでいる。

 宝石で飾り付けた豪華な服さえ貧相に見える。どんなに外見を取り繕うとも、彼の言動や行動、あらゆる内面が台無しにしていく。


(王族らしく振る舞うのはよくわからんが……)


 小さく息を吐き、レオは本を手にした庭師へ目を向ける。

 とりあえずケルナに黙礼し、彼へと近付いていく。本を持っている手が震えるほど怯えていた。

 レオは優しく手を差し出し、


「本を拾ってくれてありがとう。勉強に必要だった故、感謝する。濡れていては司書殿にも申し訳が立たないところだったよ」


 和やかに微笑む。放心した庭師から本を受け取り、改めてケルナへと振り返る。


「それではここで失礼します。寒さが長く続きそうですので、御用心を」


 それだけを告げて足早に去って行く。あんな馬鹿に敬語を使うのも業腹だったが、ミカの今後を考えれば仕方ないと言い訳する。

 背後で呆気に取られたケルナなど気にも留めず、城の東に用意されたミカの部屋へと戻る。扉を開ければ、暖炉の明かりが見えた。

 扉を閉めてすぐに盛大な溜め息を吐く。クリスとお茶を飲んでいたオウガが視線を向けてきた。


「なにかあったのかよ?」

「馬鹿に会った。赤毛の王子」

「第三王子ですよ、レオ殿!?」


 部屋の中で一番王侯貴族に詳しいクリスが、青白い顔で悲鳴のような声を上げた。


「あんなの馬鹿で充分だろう。おかげで疲れた。本も少し濡れたが、親切な庭師のおかげで乾かせば問題ないはずだ」

「い、今すぐ詳細を話してください! 第三王子の場合は用心に越したことはないんです! ミミィ殿、リリィ殿! メモのご用意を!!」


 机に本を置き、椅子にだらしなく座ったレオ。しかしすぐにクリスが動き始めてしまい、ゆっくりできそうにはない。

 女中二人組、赤い髪のミミィと青い髪のリリィがそれぞれ羽根ペンと紙を即座に用意する。そしてミミィは静かに部屋を出て、第四王子フィリップ・アガルタ・ユルザックの従者達が集まる場所へと赴く。


「王族は基本敬うクリスにしては珍しいな。そんなにかよ」

「もちろん敬意は抱いておりますが、ミカ王子への嫌がらせの数々がその……酷くて」


 かりかりとペンを動かし続けるクリスが、苦悩と尊敬の板挟みに苦しんでいるような顔で小さく呟いた。

 普段はまとめている白百合色の髪を背中に流し、桃色と白の衣服からも金属を外したラフな格好。蒼眼は文字の先にある空白に狙いを定めていた。


「やっぱり俺やクリスが一緒に行けばよかったな」


 お茶用の湯がなくなったことに気付き、オウガは室内の暖炉へと近付く。提げられた鉄鍋に瓶に溜めていた水を入れ、火鉢で薪が燃えやすいように調節する。

 オウガ自体はいつも通りの藍と黒を基調とした従者服を着ており、黒髪も普段と変わらない動きやすい短さにしている。ただ黒い瞳がわずかに微睡んでいた。


「人間の王族とは面倒だな。特にミカの視界は余計な情報が多すぎる……日常生活でこれとは恐れ入る」


 疲れた目頭を指で揉みながら、レオは本の乾き具合を確かめる。

 それだけでも視界は常に光が溢れていた。精霊の輝きを視る才能。ミカの場合はこれが異常なのだ。

 才能を大小とするならば、小さい者には視界の端に光がちらつく程度だろう。大きい者にしてみれば流れがあるのがわかる。


 だがミカの視界では光の海や津波だ。これは聖獣であったレオには馴染み深い光景である。

 しかし妖精であるアトミスやホアルゥからすると、そこまで視えることはないらしい。あくまで多数の川が視えるのだという。天才精霊術師のヤーも同じくらいだと証言していた。

 そこまでならばまだ楽だったのだが、そうではない。


 さらにミカは内部の精霊や魂まで視えてしまう。

 広く、深い。倍率を絞ることはできるが、それでも時折現実の光景という物を忘れそうなほどだ。

 壁向こうは無理だが、魂と精霊だけならば物理的な壁をわずかにすり抜けてしまう。故に視通しが利く。


「まあなんにせよ、退屈はしないな。ああ、そういえば……城内の図書室に精霊術師が多く集まっていたようだが」


 乾いた本を手に取りながら、レオは思い出したように話す。

 図書室とは銘打っているが、実態は王国関係の史書や帳簿、絵本から文学、精霊伝説から神話まで。ありとあらゆる蔵書を抱えた王国随一の図書館に近い。

 地下に館を丸ごと埋めたような広さと階層。管理を任された司書達に問い合わせしなければ目当ての本は見つけられないような複雑構造だ。


 レオは最初に精霊文字で書かれた本を司書に頼んだのだが、研究所勤めの精霊術師が少し前に借りたと説明されたのだ。

 不思議に思って周囲を見渡せば、確かに至る場所で研究者風の人間達が本を山積みにしながらうんうんと唸っていた。地下故に薄暗いため、若干不気味な雰囲気も感じられた。

 仕方なく面白い本と曖昧な言い方をしたら、張り切った司書がお勧め小説を渡してくれたのだ。著者の名前はシェイクボウガンだとか。


「おそらく精霊術師研究報告会が開催予定のためと思われます。ヤー殿が締め切りが近いと仰っていましたので」

「ああ……それでか」


 ミカには三人の従者がいる。

 オウガとクリス、そして天才精霊術師のヤーだ。

 しかし現在、ヤーは王城の近くに建てられた研究所に缶詰めになっている。それも転移精霊術陣の使用が原因だ。


 本来、南の領地で起きていた幽霊船の事件。

 往復で二ヶ月かかる距離であったため、それを解決して帰る頃には報告会は終わっている予定だった。

 だが予想よりも早くの帰還となり、本来ならば公務で免除されるはずだった仕事がヤーに言い渡されたのであった。


 幽霊船の件についても報告書を書き上げ、さらにブロッサム家から渡された土産物や顛末書の提出、その他諸々もヤーは背負った状態だ。

 クリスが手伝うと言ったものの、レオが王城での生活に不慣れな面を案じて丁重に断られている。オウガが文書関係において戦力外なのは明白だった。


「アトミスとホアルゥも協力する手筈だからな。人間視点では思いつかない提案くらいは軽いだろう。後はそれをまとめる技量がヤーにあるかどうかだな」

「レオも手伝ってやれよ。アイツが大変な理由の一つなんだからよ」


 鉄鍋で沸騰したお湯を柄杓で掬い上げ、ポットに注ぎ込むオウガ。

 力を振るう機会が王城では少ないためか、暇を持て余しているようだった。

 しかし彼が言っていることは正しい。王城に帰ってから妙にヤーはレオに気遣っているのだ。報告書作成くらいならばレオもできたはずなのに。


「まあ精霊術師がどれだけの発展をしたか。我も気になっていたところだ」

「おや? レオ殿はそれくらい御存知かと思っていました」

「実は図書室での明かりが精霊術の応用でな。よく思いついた物だと感心した」


 思い出すのは火を使わない照明の確保。

 淡い金色の光球が天井や壁に埋め込まれ、棚や本を読む手元を照らしていた。

 光量も仕掛け一つで調節可能で、必要ならば持ち歩けるように小型化も成功している。


 基本的に妖精や聖獣には必要がない発想だった。精霊術で補いきれない場合は諦める。それが当たり前だった。

 しかし生活の不便を解消するためならば、人間はあらゆる技術を組み合わせて可能へと変えてしまう。

 それがレオにとっては斬新だと思える内容だった。


「我が死んだのは二十年も前だし、今に通じるかわからんが……研究所には興味がある」

「わ、私もです! ファンタジーの宝庫みたいなものですし!」

「じゃあ三人でヤーの研究室を訪ねてみるか。リリィ、ミミィが戻ってきたらよろしく伝えておいてくれ」

「かしこまりました」


 部屋を女中に任せ、三人は研究所へ続く通路に向かって歩き出す。

 雪が降るユルザック王国は、深く沈んでいくように静寂な空気に包まれていた。

 レオはわずかに身震いする。なにか大事な記憶を忘れている気がした。しかし思い出すこともできずに、思考から雑念を払うだけに留めた。 

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