第2話「転送精霊術陣」

 男女の差はない。

 しかしそれは才能の壁が目の前にあるのと同じだ。


 一人の女研究者は焦っていた。

 精霊術師達による研究発表会の締め切り日が迫っているのだ。

 一年に一回、雪が降る頃に行われる年末決算に近い、精霊研究所の一大報告会。


 研究者達は研究テーマごとにグループを作り、教授の称号を与えられた者の指導に従う。

 女研究者が所属しているのは「生活に根ざす精霊術の発展」をテーマとしている。

 城内の図書室に設置されている光の精霊術も、彼女のグループに在籍していた精霊術師が発案した物だ。


 発案者も今では顧問精霊術師として国王に仕えており、グループには大いなる名誉が授けられた。

 それも過去の話。研究とは日進月歩。発展なき研究には注目など集まらない。

 新しい精霊術が出ないまま、世論は新たに現れた存在へと目を向けつつあった。


 魔素――瘴気とも呼ぶ。

 そして魔人と魔物。


 この二つこそが最も重要研究テーマなのは、誰の目から見ても明らかだった。

 研究所責任者のササメ・スダさえも研究費獲得のために国王に直談判している、とまで噂されているほどだ。

 彼の教え子である天才精霊術師ヤーが、その研究グループの主任になるとも。


「新しい精霊術なんて……無理よ……」


 女研究者はぐしゃぐしゃに潰した紙を強く握りしめ、机の上に顔を伏せた。

 彼女は三日ほど机に座り続けている。その部屋の床周囲には紙が散らばっていた。

 足下を埋める勢いで増えていたが、それも彼女が泣き言を漏らした後からは途絶えている。


 紙には精霊文字で描かれた陣構成や、付属する研究根拠が書き殴られていた。

 それだけでも彼女がいかに研究してきたかは推し量ることが出来る。

 だが革新的ではない。既存の研究と比べても、やや劣る程度。

 限界だった。それを自覚してもなお、彼女は諦めたくないと涙を零す。


「……お茶、飲みに行こう」


 気分転換しようと、彼女はふらつきながら扉を開ける。

 差し込む光に目を眩ませ「もう昼だったのか」とぼんやり受け止めた矢先、柔らかい衝撃と、


「ふぎゃっ!?」


 なんだか間抜けな男の子の声が響いた。

 彼女は静かに視線を下ろす。太陽みたいな金髪よりも、膨大な精霊に意識が急激に覚醒した。


「ひっ!?」


 視界は常に光に溢れていた。それが精霊の光だと気付いたのは、三歳の頃。

 だが空中に埃が舞っているような、そんな些細な知覚だった。視る才能で言えば、そんなに優秀なほどではない。

 けれど今だけは違う。少年を慕うように、光の精霊が集まっている。


 少年に獅子の毛皮を着せているような、不思議な光景。

 そして彼がまるで太陽になったみたいに、光り輝いている。


「いたたた……すまないな。不用心だった」


 被害に遭ったのは少年なのだが、彼の方が先に謝ってきた。

 顔を上げた彼を見て、女研究者は泡も吹きたくなった。いっそのこと気絶したいと思考も逃避を始める。

 輝く金目。傷が跨がる左目には、精霊の光が明滅して炎のようになっている。


「……きゅう」


 謝り返すどころではなかった。

 女研究者は本当に泡を吹いて倒れてしまう。


「お、おい!?」


 少年が慌てている声すら遠い。夢であれば良いのにと願う女研究者は、彼の名前を思い出す。


 ユルザック王国の第五王子。ミカルダ・レオナス・ユルザック。


 ――私の人生終わった。

 そんな覚悟を決められるくらいの相手にぶつかった不運を、彼女はただ静かに呪った。




「で? それでアタシの研究室に持ち込むってどういう神経よ?」


 薬草を混ぜ合わせた飲み物をコップに注ぎ込んでいたヤーは、慌てた様子のレオに口元を引きつらせた。

 彼の背中には気絶した女性研究者。オウガやクリスが止める暇もなかったらしく、今にも重みで潰れそうだ。

 レオは部屋に足を一歩踏み入れた瞬間、紙を踏んづけてしまう。


「いや……研究所内では他に頼れそうなのが思いつかなくて」

「ふーん……」


 満更でもない雰囲気でヤーは顎で部屋の角を指す。簡易ベッドがそこには置かれていた。

 よろけながらもベッドまで歩いたレオは、女性研究者を寝かせた……が、


「ぶぎゃっ!?」


 変な声が響き渡った。

 よく見れば布団が盛り上がっている。もぞもぞと動いているのはまるで芋虫のような気味悪さ。

 レオは不審に思いながらも布団を剥ぐ。


「……誰だ?」

「酷いよ!? ヤーちゃん大好きお兄さんの顔を忘れたのかい!?」


 いつから忍び込んでいたのか、カロンがずれた丸眼鏡の位置を直していた。

 ふわふわの白い癖毛や柔らかな青い目まではいつも通り。

 だが、彼は下着姿のままヤーの研究室で寝ていた。レオの背後で、コップがべきっと握り潰された音がした。


「まあ……そんなことだろうとは思っていたわよ、このばかやろうお兄ちやん!!」

「ああ、ヤーちゃん!! 僕はただ兄として冷えた体を温めようと……」

「自分の研究をほったらかしにしてやることじゃないでしょうが!! アンタの転送精霊術陣は改善の余地ありなのよ!!」


 ベッドから義兄だけを引きずり落とし、的確に下着以外の部分へ蹴りを入れていくヤー。

 大人しく様子を見守っていたオウガとクリスは、そっと静かに研究室の扉を閉めた。


「転送……お前か、あんな前提を間違えた精霊術を作ったのは!?」

「おや? なんかミカくんの雰囲気が……」

「お前のせいで我とミカがややこしいことになっているのだぞ!」


 カロンの首元を掴もうとしたレオだが、残念ながら彼はほぼ全裸。

 怒りで詰め寄ることしか出来ないレオは、背後からクリスに羽交い締めにされ、オウガには口元を手で覆われた。

 ぽかんとしていたカロンは、改めて眼鏡越しに第五王子を視る。その視線は金色の左目に集中していた。


「……君は、誰?」


 問いかけられ、レオは自らの失態に気付いた。

 集まる精霊だけならば誤魔化しは出来る。しかし左目の異変に関しては、才能ある者からすれば看過できない。

 なにより「我とミカ」と使ってしまった。誰から見てもミカの容姿だが、中身は別人であるのは明らかである。


「……まあ、仕方ないわ。どうせあの腹黒優男にもすぐバレて、追求されることだし」


 諦めたように息を吐いたヤーは、渋々とカロンへと説明しようとした。


「とりあえず真面目な話をするから、服を着てこい!!」


 それよりも重要事項である義兄の半裸は見過ごせず、蹴飛ばして部屋から追い出す。

 廊下で騒がしいと足を止めていた研究者達も、流石に半裸男の出現を前に関わりたくないと判断し、そそくさと逃げ出した。


 十分後。

 白衣とローブ風の制服を着たカロンが、改めてヤーの部屋を訪ねた。

 彼は真面目な顔をしており、その手には塔のように積まれた研究資料が抱えられていた。


「事情を聞くために、該当しそうな過去の文献と転送精霊術陣についての制作過程資料を持ってきたよ」


 ヤーの部屋はオウガとクリスが手分けして紙を積み上げ、五人分が床に座れるスペースを確保していた。

 ヤーはベッドで寝ている女性研究者に会話内容が聞かれないように、白チョークで精霊術陣を描き終わったところだ。

 レオは難しい顔のまま床に胡座をかいていた。若干反省し、落ち込んでいる。


「レオねぇ……レオナス家関係ではなさそうだよね。そんな愛称で呼ばれていた聖獣が一匹いたけど……まさか」

「そのまさかよ。アンタなら『獣憑き』でわかるでしょ?」


 説明を省くヤーだが、カロンは納得したように頷いた。


「それなら全てに合点がいくよ。フィル王子から聞いていた太陽の神殿からの一件と、過去の『国殺し』の原因発見……そしてヤーちゃんが懐いていることもね」

「はあ?」

「だってヤーちゃんは自分が認めた相手以外は冷たいどころが、相手にもしないじゃないか」


 兄らしい一言に対し、ヤーは顔を真っ赤に染め上げてしまう。

 思い出したように急にレオへ意識を向けてしまう。隣に座っていた彼と目線が合えば、息が詰まったように反応する。


「あ、アタシはクリスの横にいくわ! オウガ、交換しなさい」

「いいけどよ……じゃあヤーの兄貴は俺とヤーの間くらいか」

「そうするよ。なんだかレオ……くん? には睨まれてるし」

「睨んでいない。それに呼び捨てで構わない」


 ムスッとした顔のレオだが、機嫌が悪いわけではない。

 けれどミカの顔でもあるため、珍しい表情だと視線は集まっていた。

 それこそ人間だけでなく、妖精のもだ。


(レオしゃま……意外とうっかりやさんで可愛いでしゅね)

(レオ様に落ち度はない。大体、そこの変態半裸猿が……)

「アトミス」


 カロンには姿を見せていないホアルゥとアトミスの言いたい放題さに我慢していたレオ。

 だが猿発言だけはミカが許していなかったため、他者に聞こえないように小声で諫める。

 それだけでアトミスは空中で凍り付いたように動けなくなり、美貌を曇らせてしまう。


(も、うしわけございません……)

(調子に乗るからでしゅよーだ!)

(お前が言うな、若輩妖精!)


 そのまま空中で喧嘩を始める妖精二人の姿を、カロンは朧に捉えていた。

 視る才能があれば妖精の姿は把握できなくとも、彼らの周囲に集まる精霊の動きである程度の動きは察知できる。

 特にヤーの味気ない研究室で水の精霊と火の精霊が集中する意味は、そこに特別な存在がいるからと自白しているようなものだ。


「話には聞いていたけど、本当に氷水晶の妖精と花灯りの妖精を連れてきたんだね」

「ええ。おかげで今年の研究報告会の資料制作は間に合うわ。それで説明の続きなんだけど……」

「なんで太陽の聖獣レオンハルト・サニーの意識が残っているか、だね」

「それも大事だけど、今は違うわ。どうしてミカの意識が砕けたか、よ」


 ヤーの言葉に反応し、レオがカッと目を見開いた。それは肉食獣が獲物に狙いを定め、食らいつこうとしている気配にいていた。

 背筋を震わせたカロンの耳に、ミカの声とは思えない低い声が響き渡る。


「あの転送精霊術陣とアドー・カームのせいだ……特に後者!!」


 思い出して苛立ったのか、レオが荒々しく床を叩き殴った。

 大きな音が立ったが、それ以上の変化はない。むしろ床を殴ったレオが拳の痛みにわずかながら呻いた。

 涙目のまま彼は、


「ただでさえ聖獣との羽衣術で体調を崩していた矢先、転送精霊術陣での妖精界アルフヘイム経由……あんなのを他人で臨床実験するな!」

「ええっ!? なにがあったんだい!? 詳しく!」


 嬉しそうにわくわくし始めたカロンの後頭部に、オウガとヤーの手刀が入った。

 丸眼鏡が床を滑り、クリスが拾い上げる。見事な連携であった。


「その前に……お前はアレをどういう仕組みで作った?」

「まずは『異界』には物理的な時空理論が通じない。つまり他の世界に紛れ込むことは、元いた世界の時空と切り離されてしまうってところだね」


 うきうきと語りながら、カロンは持ってきた資料を床へと広げていく。

 そこには各地の行方不明者の証言や、神隠しから夢世界の旅行者、果てにはアイリッシュ連合王国の魔法に使われる『別世界レリツク』のことまで。

 ありとあらゆる情報を簡易的にまとめ、精霊術に応用できないか試行錯誤した痕跡だった。


「たとえばウラシマ伝説。黄泉の国。その他諸々。一番身近なのは夢での体験時間が、睡眠時間と比例しないランダム法則が成り立つことかな」

「ゆ、夢とは別世界なのですか!?」


 目を輝かせたクリスに対し、カロンは少し考え込む。


「うーん、記憶の整理とも言われているから難しいんだけど、その可能性は否定しきれないはずさ」

「身近な幻想体験を毎日……あ、でも私あまり夢見ないのでした」

「寝付きも良いし、ぐっすりと眠るタイプみたいだものね」


 とことん幻想と縁がないことを自覚してしまったクリスは落ち込むが、ヤーは「夢世界なんて眉唾に近い」と慰めた。


「けど異界なんて迷い込んだら基本は戻れない。じゃあ道標があれば、利用できる……と考えたのが転送精霊術陣さ!」

「ほお……?」


 一段と低くなったレオの声に気付かず、カロンは生き生きと続けていく。


「精霊だよ! 妖精界と僕らの世界は表裏一体とされ、魂と精霊はそこを循環している! ならば精霊の流れに乗れば、時空を無視して移動できるのさ!」

「……」

「僕の制作した陣は目印で、精霊の流れを意図的に作ると同時に対象を精霊の膜で保護して運ぶ船として形成し、一瞬での長距離移動を可能に……」

「それだぁっ!!」


 話を遮るように大声を出したレオは、その勢いのままカロンの首元を掴む。


「精霊の流れ……それをに流した!?」

「へ? だから表裏一体の世界なんだから、難しく考える必要もなく空に……」

「お前は妖精界の地中に流れを形成していたんだ!!」


 しばしの沈黙。そしてカロンの丸眼鏡の位置がずれる頃。

 ようやくヤーが物事の意味を理解した。つまりカロンの「世界位置の前提」が最初から崩れていたのだ。


「鏡映し、表裏一体……確かにね。木の洞や地中の穴から通り抜けると妖精界という話はあったけど……」

「まさか……?」


 カロンが気まずそうに告げる。冷や汗は流れ、顔は少しずつ青ざめていく。

 だがレオの怒りはそこだけではなかった。


「大体、物理や時空法則が通じないとわかっていながら……どうして妖精界を利用だなんて考えついた!? あそこは精霊によるエネルギー世界に近い! 肉体など分解されてもおかしくなかったんだぞ!」

「はぁ!? なにそれ、詳しく教えなさいよ!」


 今の言葉に関してはヤーも見過ごすことが出来ず、体を前のめりにしてレオに近付く。


「ウラノスの民が連結術リ・ンクで精霊と同じような体構成になるのは知っているな? そして聖獣や妖精は肉体を持たない! さらに妖精界は常に流動を続けている!」

「え、ちょ、なにそれ……? つまり妖精界では全てがエネルギー変換が起きていて、物体という存在がないってこと!?」

「その通りだ。あそこで意識や魂を保つなど、一定以上の強度がなければ耐えられない。今回は幸いなことに精霊の膜というのがたまたま基準をクリアしていたから通じた偶然だ」

「……カロン。正座」


 妹から義兄への命令。

 研究者としての失敗を自覚したカロンは、大人しくその指示に従った。


「最早偶然が重なりすぎて奇跡の域だったぞ、アレは……我はもう二度とあんな未完成の精霊術で危うい目に遭いたくなどない」

「ごめんなさい……一応、荷物とか、生命以外は成功していたから……ね、クリスちゃん?」

「え? もしかして貴族会議前の勅命書と集結指示についてですか?」


 急に話題を振られて焦ったクリスだが、思い当たる節があったらしい。


「本来、我がベルリッツ家の領地は首都から遠いです。けれど使者が妙に早く兄様に言付けを渡したとは思っていたのですが……」

「それそれ。実は試験的に各領地に転送精霊術陣の応用で、言葉を遠隔に届けられないかを実験したんだよ」


 なんとか名誉挽回できそうだと、カロンは少しだけ安堵した。

 言われてみればと、オウガも当時のことを思い返す。


 氷水晶の神殿の事件から貴族裁判が行われると各領地に伝達されたとなれば。

 クリスが住んでいた場所などへ使者の片道で一ヶ月近く。

 彼女と兄がどんなに馬を早く飛ばしても二ヶ月近くの時間は空くはず。


 しかし実際にはほぼ一ヶ月で十六貴族が集結していた。

 これはどう考えても異常な速さであり、根回しで済む問題でもない。


「実は納税品に関しても北の領地で転送実験していて、ほぼ成功……」

「待て。数が合わなかったはずだ」


 レオの厳しい一言により、カロンは肩を尖らせた。

 そしてオウガとヤーだけでなく、アトミスさえも反応した。

 数が合わない税収。それは氷水晶の神殿でも事件に気付くヒントだった。


「な、あれはジリック家の仕業じゃないの!?」

「それは届いた品物が、後に数が合致しないと判明した方だろう……我が言っているのは、事前報告と実際に転送された税収品が合わなかったという話だ」

「な、なんでそこまでわかっちゃうのかなぁ……そうです、はい」


 一回り小さくなったと錯覚しそうなほど縮こまってしまったカロンが、弱々しく頷いた。

 両手の人差し指を突き合わせながら、彼はぼそぼそと自信なさそうに説明する。


「お酒とか鉱石……そういった物が少量だけど減っていたんだ。まあ誤差の範囲内と言うことで見逃してもらえたんだけど」

「妖精の取り分……アイリッシュ連合王国では天使の分け前とも呼ぶらしいがな」

「なんか幻想的な響きですね!」


 またもや期待に目を輝かせたクリスに対し、レオは淡々と説明する。


「関税のようなものだ。勝手に妖精界を利用されて、住人の妖精達も悪戯してやろうと思ったのだろう。盗まれたんだ、普通にな」

「でも物体は存在できないのでは?」

「だからエネルギー変換しやすい品を選んでるんだ。酒も鉱石も、効率が良いからな」

「なるほど。カロン殿、よく怒られませんでしたね……」


 流石のクリスも哀れに思えてきたのか、カロンへ同情の視線を向ける。

 ますます居場所がなくなっていく彼の目には涙が溜まり始めていた。


「うう……原因追及して解決するから、という約束はしたから」

「でもなんでミカだけ意識が砕けたんだよ? 俺達三人は無事なのに」

(妖精である僕らも平気だった。つまりミカにしか適用されない何かがあるはずなんだ)


 静かに話を聞いていたオウガだったが、そろそろ結論が欲しくなって口を挟んだ。

 それはアトミスも同じだったようで、二人でレオへと注目を集める。


「アドーのせいだ……」

「風の聖獣の? なんでだよ?」

「アイツがミカと無理矢理羽衣術をしたせいで、ミカの体はかなり危うい状態だったんだ」


 気分が悪そうだということはオウガも察知していた。

 なにせ一晩でアトミスやホアルゥと羽衣術を行い、夜明けには聖獣のせいで暴走しかけていた。

 それでも外傷がないからと、オウガは見守るに徹していた。一日休めばなんとかなるだろう、という楽観があったのも事実だ。


「ミカの体は現在ウラノスの民に近い。それは妖精の体に酷似しているを意味する。そこで許容量を超える精霊が我が身を包み、離れていった……ハンカチにシーツを縫い合わせるのと同じだ」

「……よく分離できたわね」


 レオの例えを思い浮かべ、ヤーは苦い顔をした。

 だが彼は小さく首を横に振る。そして、


「無事じゃないから意識が砕けたんだ」


 辛そうに告げる。

 

「どういうこと?」

「体の端っこから、認知できない範囲で崩壊しかけていたんだ」


 レオは自らの手の平を眺める。十五歳の少年、健康的な肉体。

 彼自身でさえ、ミカの意識が砕けるまでは気づけなかった異変だった。

 それ故にオウガ達、従者三人組の驚きはそれ以上だった。


「死にかけてた……ってこと?」


 ヤーが震える声で尋ねれば、これまたレオは小さく首を横に振る。


「時間が経てば癒える範囲だった。妖精が精霊術を酷使しても、時間経過によって回復するようにな」

(妖精も時には我が身を削って精霊術を使う。けれど集まってくる精霊によって無意識に自己修復できるのと同じ、ってことさ)

「……妖精界、あの一瞬の移動で何が起きたんだよ?」


 オウガが用心深く尋ねる。なにかを見定めるように、厳しい目つきをしていた。


「ミカは……精霊が集まるだろう? 精霊だらけの妖精界……その地中は圧縮された精霊の宝庫に近い」

「……高濃縮された精霊に押し潰されそうになった、ということですか?」


 クリスが恐る恐る口に出した言葉を、レオは答えであると確かに頷いた。


「体の崩壊を無意識的に癒やそうとした結果だ。しかしミカはそれを一瞬とはいえ自覚し、自己防衛を働かせようと試みた手前で意識が砕けた」

「……耐えられなかったんだね」

「そうだ。あの時はミカの視界は光に埋め尽くされて知覚すらも超えた……発狂に近い状態まで進んだ。今でも吐き気を覚える異常事態だ」


 誰も言葉を発せなくなった。

 全てはミカの内部で起きた出来事だが、話を聞くだけで喉の奥が乾くような恐怖だったことはうかがい知れた。

 レオは長く息を吐き、


「まあ辛うじてミカの意識は残った。後は回復を待つだけだ」


 それで締めとした。

 これ以上はどんなに話しても、ミカの意識が早急に戻ることには繋がらない。

 改めてレオはカロンへ視線を向ける。肉食獣と同じ鋭い視線が、すっかり弱気になった青年に突き刺さる。


「では、本題だ。我の正体を知り、お前の精霊術陣には欠陥があったことは明らかになった」

「は、はひ……」

「そこで……転送精霊術陣を完成させるぞ! 次はあのような事故を起こしはしない!」

「……え? いいの?」


 予想外に協力的な言葉を貰い、カロンは思わず尋ねてしまう。

 だが怒りが込められた表情で睨まれてしまい、ヤーの背中に隠れる始末だ。


「元聖獣として……あんな未熟な精霊術を見過ごすのは沽券に関わる。いいか? 我はお前に関しては一切の容赦はせぬことを肝に銘じるが良い」

「優しいのに怖いぃいいいい!!」


 がたがたと音を立てながら震え始めた義兄に呆れつつ、ヤーは改めてレオの顔を見つめる。

 絶対にミカでは見られないような、厳しくも精悍な怒り顔。

 悪くない――と思った矢先、ヤーはもう一度顔を真っ赤にした。


「でもあれ一応は先進的な新規精霊術なんだよぉおおお!」

「失敗作であることは間違いないだろうが」

「厳しい! 父さん並みだ!」

「さて、後は……あの女研究者が目覚めるのを待つだけか」


 忘れていたと言わんばかりに、全員が簡易ベッドへと視線を向けた。

 いまだ目を回したままの彼女は、寝不足だったらしい。ぐっすりと夢の中を満喫しているようだった。


「オウガ、クリス。すまないが我に付き合ってくれ。少し長く研究所に入り浸ることになりそうだからな」

「まあ、いいけどよ……専門分野だから手伝いはできねぇからな」

「お片付けとかならば協力できるのですが……」

「それで構わない。あとヤーも、我の意識が表に出られる内はそちらの研究も手伝おう。報告会とやらがあるのだろう? 我も興味が湧いてる」

「いいの!? あ、いや、でも……ミカは?」


 嬉しそうに表情を綻ばせたヤーだったが、すぐに思い直す。

 レオは既に「死んでいる」意識だ。体の主導権はミカが持つべきだ、というのがヤーの基本的な方針だ。

 それは彼も同じであり、少しだけ居心地の悪そうな顔になる。


「……ミカの意識が回復すれば、すぐに交替する。その間だけだ」

「そう……ありがとう」


 なんとも言えない気持ちになったヤーは、小さな声でお礼を言う。

 だが二人の表情は晴れない。


(……ヤーしゃん、もしかして……)

(どうした?)

(ふっ、自意識過剰マンには乙女の繊細な心は理解できないようでしゅね)

(ぐぬぅっ!! そ、そんなの知りたくもないね!!)


 負け惜しみを叫ぶアトミスだが、なんとか把握できないかとヤーとレオを交互に見つめる。

 だが何一つわからないまま、研究室での精霊術に関する資料作りが始まったのである。

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