第11話「ともに」
フィルはミカが苦笑いで持ってきたヤーの報告書を見て、盛大に笑った後で大真面目な顔を作る。
氷水晶の神殿にまつわる事件はつつがなく終息した。フィルの予想以上の結果を率いて、新たな問題も掘り起こしながら。
深夜。城の東側にあるフィルの私室では蝋燭の薄暗い灯りだけを頼りに、三人の男が木製の机に集まって酒を飲んでいた。
一人は部屋の主であるフィル。もう一人はハクタ。最後の一人は酒を一舐めしただけで顔を真っ赤にしたカロンである。
大きな丸眼鏡がずれるのも気にせずにカロンは心底愉快といった様子で笑い声を零す。そして平然と三杯目の酒を呷るフィルに問いかける。
「これでお兄ちゃん同盟がほぼ完成したわけだけど、本当に貴族裁判であの計画を押し通す気なのかい?」
「だからこそミカをヘタ村や氷水晶の神殿に寄越したんだ。というか、その同盟の名前ダサくない?ねぇ、ハクタ」
「俺は……兄として、アイツを育てられた自信がない……」
落ち込んだ様子で五杯目の酒を喉に流し込むハクタ。顔色はいつも通りだが、飲み方が若干自棄になっている。
弟との縁を切ったと言いながらも、内心はやはり兄としていたいのだろう。普段ならば白を切るはずが、酒のせいで本音がはみ出ている。
「そんなこと言ったら、僕はヤーちゃんと結婚したいよ!ゲンジって知ってるかい?遠い国の愛妾育成物語!あれの主人公さ!僕はそうなりたい!けどヤーちゃんは僕のこと兄以上に見てくれない!」
「それが普通だろうが。と言うか気持ち悪い。あれだな、カロンとフィルは似た者同士だ。二人共、思考があっち側にいっちまってる」
「えー、心外だな。そりゃあ僕はミカのことが大事だよ?なにせエカテリーナ王妃が遺した、僕にとって唯一手に入る彼女の要素なんだから」
一切酔った様子を見せず、しかし気さくな様子で二人の会話に混じるフィル。第四王子という肩書も今だけは蚊帳の外だ。
そしてフィルは熱で潤んだ瞳をしながら恍惚と語る。酒を浮かべた杯に自分の顔を映しながら、全く違う女性を頭に思い描く。
美しい人だった。過去形なのは、死の間際が枯れた木乃伊のように痩せ細り、水分を失った岩のような肌が小枝の如く折れそうな体と共にある姿。
母親に連れられて見舞いにいった時、死んでいてもおかしくない体の中で太陽のように全てを焼き尽くすように輝く瞳が忘れられない女性。
体は寝台の上で仰向けのまま動かないのに、瞳だけが淀みなくフィルの体を見据える。まるで全てを見透かされるような金色に、フィルは背筋が震えた。
果物を持って近づけば、寝台の上に散らばる金色の髪が波打ち、そこだけが潤っているように見えた。まるで木の幹が崩れていく最中でも、花だけは咲き誇るように。
不意にその枯れ木のような腕と手がフィルの腕を力強く掴んだ。しかしフィルの母親は傍観し、締め付けられるような痛みにフィルは悲鳴を上げるよりも先に、見惚れた。
起き上がるはずがない体を意思の力だけで持ち上げた勇ましい姿は、まるで荒野で足を踏ん張る獅子。金色の瞳に自分の姿が映しだされれば、焼き尽くされそうな恐怖と得体の知れない恍惚。
「あ、なたは……なにを望む?」
掠れた声で、砂嵐に近い雑音。それでもフィルの耳には確かに届いた。問いかけに見せかけた、試練の声。
試されている。直感で捉えたフィルは熱に浮かされたまま、それまで誰にも言ったことがない望みを口にした。
「世界平和」
告げた直後に顔が赤くなることはなかった。恥ずかしい気持ちはあったが、それ以上に目の前で気力を振り絞る女性に目を奪われた。
フィルは争いが大事な手段であることは知っている。しかし争っているばかりでは意味がない。それは世界規模で語っても遜色のないことだと信じている。
王になれば国の主導権を得られる。それは世界へ乗り出すのに最適な役だ。国同士で争いを少なくしていけば、いつかは一国でも戦争をしなくてもいい国が生まれる。
何百年かかるかはわからないが、その土台くらいはフィルにも作れる。子供ながらに冷静な計算をして、夢を見るフィル。
病気で人の命は失われる。天災でも人の命は失われる。簡単な不注意で人の命は失われる。ならば戦争での命の損失くらいは自分が防がなくてはいけない。
そのためには平和が必要なのだ。百年、それだけの期間でも戦争をしない国が生まれたならば、戦争を知らない子供が生まれる。
戦争を知らなければ、戦争を行うにも時間がかかる。その間にどれだけの損失が生まれるか計算できるはず、とフィルは夢を見る。
人は愚行を犯すが、考えられる生き物だと信じている。間違っても、正す勇気があると信じていたい。だからこそフィルが抱く願いは一つ。
世界平和。全員が笑っている世界をフィルは望まない。そんなのは無理だと計算したから。けど、平和を一時的に実現することは可能だと計算した。
「……ふっ」
小さな笑い。その後に部屋中に響いた大笑いは、木乃伊の体をした女性が命を燃やしてでも鼓動が震えたのを表わすように絞り出した物だ。
あまりにも大声で笑うものだから、彼女が死んだ後は最後は気が狂ったのだろうと噂されたほどだ。しかしフィルはそうじゃないと知っている。
誰よりも輝く金の瞳が、透明な水面のように理性を佇ませていた。波打つ金髪を邪魔そうに細くなった指で耳の後ろにかけ、乾いた唇をフィルに耳元に寄せた。
「面白い。叶えろ。それは……貴様の父親すら抱かなかった、雄大な夢だ」
父親。現ユルザック国王。厳格で誰よりも偉いはずの父を越えていると、そう自信をつけるような優しい声。
本当は喉が灼けるように熱くて、声を出すのにも血を吐き出すような苦痛を共にしているはずなのに、女性は微笑みながら続ける。
「私はもう逝く。ミカを任せたい……頼んでもいいか?」
その言葉に、フィルは無言で頷いた。肯定の仕草と受け取った女性は、寝台の枕下に隠していた手紙をフィルの母親に向かって投げる。
眉一つ動かさずに片手で受け止めたフィルの母親は、尊敬すべき相手に頭を下げるのと同じく、スカートの裾を持ち上げて恭しくお辞儀をした。
フィルを呼び寄せ、その肩を抱きしめて母親は部屋を出ていく。直後に侍女達が慌ててミカを呼ぶ声だけが廊下に木霊していた。
フィルは過去から意識を引きずり戻し、頬を赤く染めながら微笑む。フィルは一言で表わせば、惚れた、のである。
死の間際まで女性であり、母親であり、貴族であった美しき人。その気高さと愛おしさに心奪われて、いまだ想い続けている。
「彼女は、父上じゃなく、僕にミカを頼んだ。快感だった……それにミカは彼女にそっくりだ……正直、娘だったならば娶るくらいの下準備はしたね」
「っごぶぁっ!?やっぱカロンと同じじゃねぇか、変態王子!というか近親!」
「片親程度の問題は貴族間の結婚において意味をなさない。それにレオナス家の血を持つ娘との結婚は、西の大国との国交復興に関して大いに役立つでしょう?」
「そうそう。血縁関係を濃くするため、相続問題を少なくするために貴族では近親婚が多いんだよ。ハクタはそこらへんが甘いねぇ」
真面目に仮定としてミカが女性であった場合は結婚が可能だと告げるフィルと、からかうように聞きたくもない貴族知識を曝け出すカロン。
盛大に吹き出した酒を近くにあった布巾で拭くハクタは、やっぱり似た者同士じゃないかと、改めて目の前にいる二人の男に鳥肌が立つ。
「ま、でもミカは男だし、僕の大切な弟だからね。ある程度試練を与えつつ、保護を与えつつ、自立できるように促すだけさ」
平然と仮定を切り捨てる姿は逆に潔かった。潔すぎて、もしもが叶っていたならば実行していたなと思わせる恐怖がある。
ハクタはそんなフィルに慣れてしまった。慣れるしかなかったし、自分以外でこの男の友として立てる者は少ないと判断したからでもある。
「……本当にミカが男で良かったと思った瞬間だ。お前が昔からエカテリーナ王妃に恋慕を抱いていることは知っていたし、ミカについてもそれを含めての過保護とは知っていたが……」
「そんな優男風味の顔のくせして病んだ恋だなんて笑い話だよね!なのに許嫁持ち!最悪だ、こいつはぁ最悪な下衆の臭いだぁ!!」
「お前も大概だろうが!大声で喚くな、お前はまだ正式にフィルのお抱えとなってない、私室に招待されただけの精霊術師だろうが!」
「あんだとぅ?ハクタこそフィルと昔から知り合いだけで押し通ってきた一般騎士じゃないかぁっ!勲章一つ手に入れてから僕に指図しな!」
一杯飲み干しただけで悪質な絡み酒となったカロンに辟易しつつ、ハクタは澄ました笑顔で四杯目の酒を飲み始めるフィルに顔を向ける。
酒を飲みに来ただけではない。これからのことを交えつつも、ずっと気になっていたことを問い質すためにハクタは酔っ払いに絡まれながらも耐えているのだ。
「で、氷水晶の神殿の異常事態はどんな理由で解決したんだよ?」
「ハクタが聞いても理解しにくい話さ。全てはウラノスの民のみぞ知る──みたいな感じさ」
フィルはミカから渡された報告書をハクタに渡す。ヤーが独自の見解も含めた、と前置きしている貴重な資料でもある。
氷水晶の神殿はウラノスの民が転化術、ここでは精霊と瘴気を整える術として扱う、を行うために必要な中継基地であった。
ウラノスの民は歴史外の神世時代において、神の手で整えられた人材である。精霊を内部まで視通す才覚に、精霊術を操る技術。
その二つを宿し、精霊が極端に集まって瘴気を発生しないように、瘴気が害をなすまで増えた際に精霊に戻せるように、世界を調律していた。
それは神が世界を去り、地上全てが洗い流された後も密かに続けられていた。多くの民は天空都市に、一部の民は派遣員として地上に。
氷水晶の神殿は派遣員達と天空都市に住まう者達と交信し、お互いの状況を見守るための連絡場所である。その根幹として、妖精が建物に組み込まれていた。
組み込まれていたのは氷水晶の妖精であるアトミス。水という特性を最大限に利用し、建物としての材質を確保するのにこれほど適した妖精はいなかったのだろう。
ウラノスの民が健在だった頃は霧の発生によって視覚を攪乱し、光の屈折角を利用して建物が森の中にはないと錯覚させたのだろう。
他にも音を伝えるのでは空気中より水中の方が速いことや、気温を保つための温水や冷水の利用、電磁波という物を受け止めるのにも水は有効だったという。
しかし十年前に起きた「国殺し」の流行により、天空都市は全滅。生き残ったウラノスの民は世界の調律を諦め、各地へと思い思いに散らばった。
神殿の基本機能は妖精も知っていたが、全てはウラノスの民しか知らない。なにより祝詞と思われていた通信コード利用が、そこで完全に途絶えてしまった。
このコードが機能しない場合、氷水晶の神殿に精緻に組み込まれた精霊術が正常に発動しないらしい。そのため神殿は人間の目の前へ急に現れたのである。
現在ではコードが判明し、氷水晶の神殿に在籍する副神官テトラの手によって神殿は正常に機能しており、前のように森が凍ることはない。
盗賊紛いが攻め入った時、妖精アトミスはミカの手によって神殿の根幹から外されていた。根幹に穴が空き、周囲の環境が異常事態になっている場合、ウラノスの民は環境を正常にする機能を仕込んでいたようだ。
妖精曰く、
根幹の一部であった旗棒、後にパラボラアンテナと判明した機材が、意図的に森を氷水晶漬けにしたことに反応して術を自動発動したらしい。
氷水晶の原点は花だと言う。結晶体を作る際に花の形をとることが多いためだ。まずは原点の形を再現することで氷水晶の安定化を図る。
次に壁に仕込んだ反響装置である鍵盤を利用し、音を羅列することで擬似的な精霊言語を奏で、精霊術発動を組み上げていく。
四大精霊と呼ばれる、火水風土を集め、一点に集中させる。拡散機は屋根に形成することにより、外部に向けての発射を容易に。
パラボラアンテナに集められた四大精霊は拡散機に注入後、最も効果的に周囲へと広がり強制的に異常を正す。これも一種の転化術、らしい。
なんにせよ氷水晶に覆われた森は元に……むしろ昔よりも豊かな姿に戻された。これが事件以外で精霊術師の観点から語れる全てである。
「訳がわからん。けどこれも全部フィルが思い描いたことだろう?」
「全部じゃないよ。神殿機能は予想外だったし……それ以上のことが続きであるんだ」
ここから先はヤーがフィルにだけ伝わることを前提に書いたことである。
ミカは
妖精や聖獣と同じ仕組みの肉体。つまりは体が最も活動しやすい成長時点で止まり、寿命の概念がなくなる。擬似的な不老不死を手に入れた。
そして
氷水晶の妖精アトミスには羽根が生えた。羽衣術の影響らしく、四枚羽の氷水晶の結晶体が背中から生え、動かして飛ぶことを可能にしている。
アトミスはこれからミカの傍で太陽を見続けると誓った。そしてオウガとヤーは──。
黄色の薔薇が一輪だけ咲く小さな庭。そこに立ち尽くしながらミカは内部の意識である、レオに話しかける。
(良かったのかな……二人を俺の都合に巻き込んじゃった。寂しくないと言えば嘘になるけど、胸が痛い)
(連結術は貴族裁判の後に行うのだろう?それまで好きなだけ悩めばいい。しかし人の気持ちが簡単に変わるとは思えんよ)
黄金の獅子は意外と頑固なミカを見ながら、肩を震わせて笑う。ミカは少しだけ不貞腐れたように頬を膨らませる。
相談しているのにからかわれてしまった。しかしレオの言う通り、誰かの気持ちを動かすのは難しいことだとミカも思う。
特にオウガとヤーは一度決めたら迷わないさっぱりした性質だ。それは純白で丸く輝く二人の魂が視えるミカが保証できてしまう。
(……オウガが俺に仕えたい、というか、守りたい、と言ってくれたのは嬉しかったけどさぁ……ヤーもまさか俺専属精霊術師になるって、顧問精霊術師はいいのかなぁ?)
(顧問精霊術師になるための足掛かりかもしれないだろう?なんにせよ、お前を好いての言葉だ。素直に受け取った方が得だ)
氷水晶の神殿での騒動が治まるのに二日、城に帰るまで三日。ミカが羽衣術を成功した日から見て五日経った時のことだ。
フィルから高額報酬を受け取ったオウガは、ミカの専属護衛になりたいと自らフィルに申し出たのである。もちろん快諾された。
しかしフィルの予想通りという笑顔と心の底から喜ぶハクタに、盛大な舌打ちしたのは照れ隠しだということにされたのはオウガにとって不本意らしいが。
さらに畳みかけるようにヤーもミカの専属精霊術師として活動したいと言い出した。研究所所属でありながら、王族に仕えるということ。
それは確かに顧問精霊術師を目指す者としては当たり前の道筋だ。しかし本来ならば、国王になる者、に仕えるのが普通なのだ。現顧問精霊術師もそうである。
ヤーは自信に溢れた目で、当たり前の道筋が正しいとは限らないしアンタはアタシがいなきゃ駄目駄目でしょう、と言われてはミカも反論できない。
そして二人はミカに連結術を求めた。不老不死になりたいのではなく、ミカを守り続けるには必要なことだと。
(俺はそんなに頼りないのかな?これでも最近は転化術とか色々できるようになったのに)
(それもこれもヤーとオウガのフォローがあったからだろう?はっきり言うぞ、お前一人ではあと五年無事でいられるかどうかだ)
王位継承権のない第五王子であり、現在国交が悪化している西の大国の貴族レオナス家の血を継ぐミカ。問題の火種はそれだけじゃないが、王城内であればそれで十分だ。
そして人間相手となればミカは最弱である。今も頭に包帯を巻いているのは、氷水晶の神殿で飛んできた鎚が頭の横を強打したからだ。打撲で済んだのが幸いである。
レオの鋭い指摘にミカは返す言葉もなく押し黙る。このままただの第五王子、かつての人形王子のままでは、ミカに未来はない。なにかしらの役職を手にいれなければ先はない。
(だから頼れる
そしてレオは意識の奥からミカを表へと送り出す。意識が戻ったミカは夜風が頬を撫で、金髪を揺らすのを感じ取る。
フィルはなにかを企んでいる。それはきっとミカのためであり、自分のためであること。魂が大きすぎる目標で輝いて視えないフィルだが、付き合いがあるミカにもそれくらいはわかる。
ジリック家の不正は神殿襲撃と、ハゼ達が集めた証拠によって暴かれた。後は貴族裁判で当主であるバルバット・ジリックが十六貴族の前で全てを奪われるのみ。
フィルの狙いは第三王子派である地方貴族のジリック家の失墜ではない。裁判に集まる十六貴族、ユルザック王国で権威ある者達との交流。
静かに動き出す大きな流れを予感するかのように、エカテリーナ王妃の数少ない形見である黄色の薔薇「
秋風がさらに冷たくなってきた夜。ミカは迫る事態を信じている兄に任せ、絵画に残っている母親の面影を頭に浮かべて囁く。
「母上……俺は生きるよ。貴方が望む以上に、長く」
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