騎族の娘
貴族裁判は十六貴族と共に
第1話「十六貴族」
広大な土地を保有するユルザック王国。首都ヘルガンドにおいて冬に入る前に地方貴族を集めて、ささやかな会議と社交界の場を設けることがある。
しかし1765年十一月の頭。違う賑わいが王城カルドナを騒がせていた。東西南北、各四つ、地方貴族をまとめる十六貴族の結集である。
端を発するは同年の十月に判明した氷水晶の神殿に商人を介して税を横流しした、地方貴族ジリック家の処罰。公開処刑の準備。
貴族裁判の開廷である。
第五王子ミカルダ・レオナス・ユルザックは玄関口が見える場所から身を隠しながら、従者となったオウガとヤーも同じく騎士が並ぶのを見下ろしている。
「騎士団第二隊の整列は相変わらず綺麗だな。さすが選抜内容に顔と素行が入る隊だよ」
「そんじゃあ兄弟子は無理なはずだよ。というか騎士団は幾つくらいあるんだよ?」
「十三隊まで。けど十三隊は自由な活動内容だから、実質は十二隊みたいなもんよ。その中でも第一隊は王の近衛騎士団みたいなものね」
二階の廊下、赤いカーテンで身も隠せる場所。ミカは王子とは思えない膝立ちの体勢で下を覗き込んでいる。
西の大国で有名な貴族レオナス家の血を継ぐミカだが、肩書は第五王子。王位継承権はないが、十六貴族の理解は深い。
ヤーも中央貴族のスダ家で育ったため、ある程度の知識は保有している。しかしオウガはつい最近まで北の産業国に滞在していた、一般人である。
一般人とはいえ鍛え上げられた体と武力は並の騎士を越える。王族嫌いではあるが、ミカの傍に仕えたいと申し出たため従者となった。
第五王子の従者となれば貴族の知識は必然的に必要になってくる。そのため隠れて、やってくる貴族の姿と共に説明を行うのである。
重い両開きの扉が開かれ、門番をしていた騎士が、東の貴族ベルリッツ家来城、と大きく声を城内に響かせ、整列していた騎士達は復唱していく。
「さすがベルリッツ家。一番乗りだ。フィル兄上の実家であるアガルタ家と親交が深くて第四王子派、ヘタ村などの領地を管理しているよ」
「ほー。なんか先頭の男若くないかよ?二十代くらいに見えるし、背後の女も俺より一つ年下くらいに見えるんだがよ」
「ベルリッツ家は先代が急死したのよ。馬に頭を蹴られてね。そこで長男ジェラルド・ベルリッツが跡を継いだの」
「……貴族の長が馬に頭蹴られたのかよ」
オウガは呆れたように呟き、階下にいる黒髪に蒼眼をした美丈夫を眺める。鋭い印象の男であり、才気も感じる。
飾りは少ないが華美と実用性を意識した青い乗馬服はジェラルドの体格に合わせて作られており、通りかかった城仕えの侍女が溜息を零すほど凛々しかった。
しかし女性の視線を全く意に介さず、笑顔も見せず、まっすぐ歩いていく姿は男らしいと言えばそうだが、愛想がないの一言で終わる。
背後にいる少女は十七歳程の外見。白と桃色の乗馬服を着こなし、白百合色の髪を横でひとまとめにしている。髪飾りに羽根を五枚使い、花開く形にしている。
蒼眼が凛々しい輝きを持ちながらも、侍女や騎士と目が合えば柔らかく微笑む。大人と子供の中間の魅力と、若々しさが溢れた姿に誰もが目を奪われる。
先に進むジェラルドと離れないように早足で進みながら、礼も忘れない。対照的な姿ながら、似た容姿と雰囲気を感じさせる二人である。
「後ろの女性は御兄妹かな?初めて見たから、挨拶回りの御供なのかも」
「しかしヘタ村といえば東の果てだよな?そこを管理するって……他の貴族より遠いはずなのに一番乗りなのかよ」
「ベルリッツ家は騎馬民族が成り上がったという歴史があるの。今も馬を大切にし、かつて西の大国との戦争でも馬をかっ飛ばして半月で到着した武勇があるのよ」
「貴族というより、騎族だな。それで先代が頭蹴られたわけかよ……」
西の大国はユルザック王国と長い因縁を持つ国である。歴史において友好と闘争を繰り返しており、現状では関係悪化を辿っている。
辛うじて戦争に移行しないのは、ミカが第五王子の席にいるからである。西の大国はミカを通して介入したい、ユルザック王国は利用したいとお互いに睨み合っている。
そしてヘタ村から西の大国との国境線までは二か月近くかかる。それを四分の一で移動となれば、とんでもない記録であり、それこそがベルリッツ家の誇りである。
「次はトロイヤ家だ。第二王子の実家で、西の貴族。第一王妃の実家でもあるから、早めに来たんだね」
「当主はゲオルク・トロイヤ。御年六十二歳で、貴族の中でも珍しい精霊術師よ」
「あの爺さんが!?人間見かけによらないもんだ」
オウガは朗らかな雰囲気で穏やかな笑みを浮かべる白髪の老人に驚く。そして老人の茶色の目がミカ達がいる場所へ向けられる。
ヤーは深々と溜息をつく。精霊術師になるには精霊を視る才能と、それを操る才能の二つが必要である。その内前者はミカの居場所にすぐ気づく。
精霊は強い魂に惹かれる性質がある。磁石に砂鉄が集まるのと同じだ。そしてミカの魂は精霊の格上存在である聖獣、しかも二十年前に死んだ太陽の聖獣なのである。
必然的にミカの周囲に今も精霊達が川を作るように集まっている。ヤーは慣れたものだが、視える人間は最初驚くことである。
老人は愉快そうに笑った後、なにも視なかったかのように奥へと向かう。裁判は一週間ほどの滞在を余儀なくされるので、客室へまず案内される。
次にガロリア家、ジュワ家と復唱が続いていく。同時到着した両家を見ながら、ミカは困ったような笑みを浮かべる。
「当主エーデルトラウト・ガロリア。北の貴族ガロリア家は第一王子の実家、つまり第六王妃の家なんだけど……あそこは没落貴族の娘であった第六王妃の身元引受人であって、生家ではないんだ」
「でっかいおっさんだな。熊みたいだが、わざわざ没落貴族の娘を同情で引き受けるようには見えない。そういうことかよ」
煌々と燃えるように赤い髪と目。熊を思わせる体格に逞しい髭。太い指で顎髭を撫でながら、整列している騎士達を眺めている。
顔に刻まれた深い皺は貫禄となっており、七十代とは思えない精力を漲らせていた。一歩踏むごとに近くの床が揺れると感じる錯覚。
近くにいた侍女に度数の強い酒を部屋に用意するよう告げ、見分するように力強くもゆっくりと歩いていく。
「西の貴族ジュワ家は第三王子の実家なんだけど……あそこ色々と不遇なのよね。ヘンドリック・ジュワは御年七十七歳だというのに、後継に恵まれなかったから、未亡人として戻ってきた娘を育てている最中なのよ」
「第五王妃のお姉さんだったかな。しっかりした人らしくて、だから第五王妃は自由奔放で教育を手放したというか……」
「あの爺さん大丈夫かよ?超ヨボヨボに見えるんだがよ」
騎士に介添えしてもらって辛うじて歩けているような細長い老人。言葉はしっかりしているが、足腰が悪いらしい。長く伸びた白髪は手入れされており、髭も剃られている。
緑の目は理知に溢れているが、手の震えが誤魔化せない。迫る年波を見事に表現した姿に、見ている人間が落ち着かないが、本人はそれでも貴族の意地として重いが飾りの多い服を着ている。
しかし裾で躓きそうになるたび、多くの騎士が反応するのでミカ達も思わず注目してしまう。もしもそれが人心掌握術ならば、相当な物ではあるが。
門番の騎士が、南の貴族ブロッサム家来城、と宣言する。黒髪の壮年男性が木で作られた右義足の音を響かせながら入ってくる。
外見は貴族というよりは海賊の御頭と言うのが似合う容姿ではあるが、赤い目は騎士に負けないほど誇り高い輝きを宿しながら周囲を窺っている。
そろそろ寒くなる季節なのだが、シャツの袖は捲くっており、上着は肩にかける程度。何人かの新米騎士は疑うような視線を向けていた。
「今度は南のブロッサム家、コンラーディン・ブロッサムだ。あそこは第一王女の実家でもあって、フィル兄上の許嫁であるツェリ・ブロッサム姉上の御家なんだ」
「……おい、ちょっと待て。さらりと重大なことをぶっこむなよ。あの腹黒の、許嫁!?」
「俺以外の王子達は全員許嫁がいるよ。ほら王位を継いでから探すよりは今の内に仕組みを知ってもらった方が王妃としての自覚が芽生えるから」
「確か第一王女は南のエカイヴ家に輿入れしたのよね。そのせいであそこは中立を保ってるけど……と、噂をすれば来たわね」
ヤーの指摘通り、四十代くらいの男性が慎ましく歩いていた。穏やかな茶色の髪を後ろに流し、赤茶の目も優しい色合いである。
騎士の復唱に気付いたブロッサム家当主が振り返り、エカイヴ家当主の姿を認めて嬉しそうに駆け寄る。木の義足が響かせる音にエカイヴ家当主は肩を尖らせた。
「ちなみに当主ネーポムク・エカイヴは家出した第一王女を保護、嫁にする代わりに当主になれと迫られてなった優しい人で、ブロッサム家当主の親族になったんだよね」
「……義父に会った感じか。あの若さで王女を嫁に、王族の親族で他貴族の親族……大変なこったよ」
「第二王子派東のジャイマン家、第一王子派西のゲルテナ家も来たわ。アタシ、クヌート・ジャイマンって結構好きなのよね。女当主で精霊術師は珍しいもの」
滅多にない尊敬の眼差しを快活そうな女性に向けるヤー。五十代前半の容姿ながら、明るい雰囲気を振りまく魅力的な細身の女性だ。
赤茶の髪を後ろでひとまとめにし、黒目はミカ達がいる方に向ける。彼女もまた視える才能があり、ミカに惹かれる精霊に気付いたのだ。
意地悪な笑みを浮かべ、小さく手の平を振る。その後は持ち歩き用の煙管を懐から出し、煙を揺らしながら一服する。
「ゲルテナ家は第一王子の許嫁の生家。そこの当主イグナーツ・ゲルテナは人柄の素晴らしさから民衆の人気が高いんだ」
杖で歩く男性を見ながらミカは言葉を出す。黒い髪と同じ色の目は共に理性と機知に富んでいる。貴族というよりは軍人に近い雰囲気だ。
足を引きずるような歩き方ながら、速度は普通の人間と変わらない。顔も常に前を向いており、暗い雰囲気は一切感じられない。
騎士達は尊敬する眼差しで彼を眺め、ジャイマン家当主のクヌートも明るく声をかけながら煙管の始末をして懐にしまう。
「第二王子派のデルタール家当主、マルコ・デルタールも来たわ。南の貴族で、精霊信仰がとても強いの。よく神殿参拝しているわ」
柔らかい癖毛の白髪に琥珀色の瞳。熟成された酒のような輝きに、思わず吸い込まれそうになると誰かが呟く。
謙虚なのか質素ながら礼を欠かさない服装の中で、お洒落な丸眼鏡が光る。彼が通るだけで空気が清らかになっていく感覚すらある。
ミカ達がいる方を見上げ、眩しそうに目を細める。おそらく気付いたのだが、ミカに集まる精霊の光に眩んだのだろう。
「第三王子の許嫁の生家、南のナギア家。デルタール家当主見た後だと、オスカー・ナギアの姿は酷いな」
ミカが少し胸焼けしたような表情で、痩せ細った老人が宝石で飾り付けているのを見下ろす。白髪に青い目をしているが、宝石と並べると色褪せていた。
服装も贅沢の髄を掻き集めたような飾りだらけで、どちらが主役かわかったようなものじゃない。貴族とはいえ、王城に来るには相応しい服とは言い難い姿だ。
なにより視線が粗を探すように鋭いのだ。整列している騎士達は緊張しながら背筋を正し、言いがかりをつけられないように口を一文字に引き結んでいる。
「北のタナトス家だわ。ナギア家当主と比べれば、あの薄暗さは安心するわね」
「第二王女の実家で、第四王妃の生家でもあるんだ。十年前の火山噴火の際に当主ディートフリート・タナトスの行動は大いに評価されてるんだ」
騎士達の復唱で消えそうなほど静かな様子で歩く陰鬱そうな男性。顔色も悪く、分厚い黒のコートで体の線を隠していても細いとわかる体躯。
黒い髪は肩までまっすぐ伸びており、緑色の目は不思議な力が宿っていそうな雰囲気まで感じさせる。あまりの静かさに振り返ったナギア家当主が大声で叫んだほどだ。
相手の無礼な態度も無視してタナトス家当主ディートフリートは歩を進め、声もかけずに先へ行ってしまう。それが逆にナギア家当主オスカーの怒りに触れ、近くにいた騎士が八つ当たりの犠牲者となった。
「北のヘイゼル家。最も寒い土地を任された貴族で、第二王子の許嫁の生家だ。当主はアロイス・ヘイゼル」
白髪を膨らませ、顔も豊かな白鬚で覆っている。青い目が赤い鼻と対照的であり、毛皮を何枚も体に巻いている。
熊と評されたガロリア家当主エーデルトラウトと比べれば、ヘイゼル家当主アロイスは白熊である。同じ熊でありながら筋肉の質が顕著に違うと表わすようながっしりした体。
陽気な好々爺らしく、気さくに騎士達に声をかけては片言の世間話を始めている。声をかけられた騎士は恐縮そうに返事を続けた。
「北のセルゾン家、西のアガルタ家当主が一緒に来た……あの二人、物腰柔らかくて気弱なところ似てるから……特にユリウス・アガルタ当主は」
「でも第二王子派のセルゾン家当主フェリクス・セルゾンって言えば、第二王子がよく相談持ちかけているらしいわ。歳が近いからかしら」
フィルによく似た雰囲気だが、迫力が足りない男性がアガルタ家当主ユリウスである。茶色の髪に青い目。そつなく地味な服。
正直農家の服を着て農民に紛れた場合、全く違和感がないであろう姿でもある。むしろ貴族というのが似合わない、親しみやすいとも言えるが。
今も復唱する騎士達に申し訳なさそうにお礼を言っており、人が好さそうな上に気も弱そうとオウガとヤーに評価された。
もう片方の男性はアガルタ家当主ユリウスよりも若いセルゾン家当主フェリクスで、丸坊主の頭に灰色の目、苦労しているのか何度も頭を撫でている。
謙虚な物腰に服装など、司祭などが似合いそうな雰囲気である。そしてミカ達がいる方へ目を向けて、盛大に驚いて声を出しそうになったところを手で口元を押さえた。
その後はなにも見なかったと暗示するように一切視線を向けずに早足で進む。おかげで一緒にいたアガルタ家当主ユリウスも足を速めた。
「うげっ!?メタンタ家当主ヨハン・メタンタが来たわ……前に研究所の女性研究者が辞める原因になった奴よ」
「あの悠々と入ってくる感じが……大物感出そうとして失敗してるね。東の貴族の中でも問題児だよ」
柔らかい茶色の髪に碧眼。三十代半ばとはいえ、今も自分が花盛りと信じて侍女に向かって投げキッスしている。
胸を張る姿は虚栄心の見え隠れであり、騎士達は微妙に嫌そうな顔を隠そうとして失敗していた。そして視線をミカ達がいる方へ動かす。
そこでわずかに赤いカーテンから顔を覗かせたヤーの目と顔を見て、大袈裟に反応する。ヤーは首を傾げながらも視線が合わないようにする。
「……なんか、あの男の目の色とお前の目の色似てないか?」
「は!?止めてよ、気持ち悪い!!あんな奴、話したこともないんだから!!」
オウガがヤーの碧眼を見つめ、次にメタンタ家当主ヨハンの碧眼を見つめる。他人の空似と言うにはよく似ていた。ただし目だけである。
顔などは似ても似つかないので、オウガもそれ以上は話を続けなかった。なによりそれとは比べ物にならない大物が最後にやって来たのだから。
「西の貴族、カルディナ家だ!西の大国と最も近いから、影響力は大きい。当主オイゲン・カルディナの来城だ!」
「さすがの迫力ね。メタンタ家なんて吹き飛ぶちり紙のようだわ」
整えられた赤毛に厳しく吊り上がった黒い目。武人のような佇まいに、貴族と誇れる堅実ながら一級品の服を見事に着こなしている。
歩く靴の音も静かに城内で響き渡り、それを聞くだけで空気が張り詰められたように調整されていく。逞しい体や手にはいくつか古傷も見受けられた。
整列していた騎士達は彼を正々堂々と迎え入れ、先を歩いていたメタンタ家当主ヨハンは逃げ隠れるように姿を消してしまう。それだけの威圧を纏っていた。
「……ということで、これが十六貴族。わかった?」
「そんな一気に覚えられるかよ!!」
笑顔で振り向いたミカに対し、オウガはもっともな意見を叫んだ。十余人、幾らなんでも多すぎである。
白と桃色の乗馬服を着た少女、クリスバード・ベルリッツは前を無言で歩いていく兄を追いかけていく。貴族裁判、それを知らされた時は驚くと同時に動く体があった。
最速の騎馬民族と称された一族の末裔として、血が騒ぐのかもしれない。かつて西の大国と戦争した際に夜通し走って駆け付けた先祖の遺伝子なのかもしれない。
クリスは兄のジェラルドの、行くぞ、という一言で旅支度を整えていた。ただ今も不思議なのは、何故兄がクリスを引き連れてきたのか。
確かに他の貴族も世話役や秘書に護衛などを引き連れてくる。しかし親族を連れてくることはない。これから行われるのは哀れな貴族の末路を全員一致で決める処刑なのだ。
十六貴族、地方貴族、中央貴族。十六貴族は地方貴族の代表として、中央貴族は首都に住む民衆の代表として。国内最大規模にして一つの結末しか用意されていない茶番を執り行うのだ。
反対も賛成もない。淡々と粛々と。どんな形であれ王の城に集められた財に手を出した罰は、権威全てでもって叩き潰す。形式にこだわる貴族にとって、これが一番辛い結末である。
「
「駄目だ」
期待を込めた目で背中を見ても、返ってくる言葉はそれだけ。反論もできずにクリスは笑顔を曇らせて俯く。
兄のジェラルドは昔から正しかった。厳しくて言葉が足りないとわかっている。だからこそクリスは兄を慕い、それに従う。
憧れの騎士団。その中でも乗馬を得意とする者が集まる第七隊はクリスの憧れだった。もしも許しが出るならば、入団を祈願するほどに。
女性騎士は数が少なくとも、実在している。貴族の次男三男も入団している。無理ではない、前例がある。しかし兄は許さない。
クリスは黙って兄の後ろを歩いていく。長い回廊を真っ直ぐに、横にある陽射しで輝く草花も見る余裕がないほど。しかしクリスの目に黄色の薔薇が映る。
少し季節外れのはずなのに、その黄色の薔薇は一輪とはいえ大輪を咲かせていた。地上に落ちてきた小さな太陽のように、冬に向かう風の中でも健気に揺れていた。
「……これから私は第四王子フィリップ・アガルタ・ユルザックに謁見してくる。夕方になる前には客室へ戻る。それまでならば城内の見学は許す」
「あ、ありがとうございます!それでは失礼します!」
花咲く笑顔を見せたクリスは、好奇心が隠しきれない様子ながら礼を欠かさないようにと姿勢を正して歩いていく。
ジェラルドはその背中が見えなくなるまで立ち尽くし、見えなくなった直後は早歩きで廊下の角に隠れていた青年を引きずり出す。
大きな丸眼鏡に柔らかい白の癖毛、青い目は笑みを隠しきれない様子でジェラルドに首根っこを掴まれたまま見上げている。
「ぷぷ……可愛い妹のためとはいえ、厳しくしちゃう辛さ。わかるよぉ、僕には充分わかるよぉ!!ヤーちゃんラブ!!」
「お前と一緒にするな。カロン、もう二人の準備はできているのだな?」
「もちろん。今は貴族裁判で人の出入りが激しいからね、事を起こすなら一番の好機。だからこそ慎重かつ大胆に!」
「了解した。それでは向かう。お前の歩幅に合わせていると遅れるため、私の歩調で失礼するぞ」
そう言ってジェラルドはカロンの首根っこを掴んだまま、引きずるように競歩並みの速度で回廊を進む。あまりの速さにカロンが尻が焼けると叫ぶほどだ。
途中で二人に出会ったハクタは、他人の振りして道を戻ろうとしたが、同じくジェラルドに首根っこを掴まれ、引きずられることはないものの早足で進むことになった。
浮足立ちそうになるのを抑えて、クリスは黄色の薔薇が咲いていた庭へと向かう。しかし侍女が困った様子で見上げていたので声をかける。
すると高い所に鳥が止まってしまい、このまま放置しては糞を落とすかもしれない。それを危惧しているのだが、触るのは怖いと怯えているのだ。
クリスは近くにあった梯子を軽々と運んで、侍女の代わりに手慣れた様子で鳥を優しく掴み上げ、外へと放つ。侍女は大いに感激し、何度も礼を言う。
焼き菓子を貰ったクリスは笑顔で手を振り返しながらも再度進むが、今度は料理人が大量のジャガイモの皮むきに苦戦しているのを見かける。
今日は貴族のために多くの晩餐を用意する必要があり、いつも以上の仕事で手が動かなくなりつつあると聞き、クリスはお湯を使った簡単な皮むきを教える。
綺麗に皮がむけると喜んだ料理人はクリスに両手を握って感謝を述べ、厨房に残っていた王族用のお菓子を紙箱に入れて渡す。高価なチョコレートタルトにクリスは余る物なのかと疑問に思うが、笑顔で受け取る。
今度は侍女に向かって大声で泣いている少女に出会う。豪華なドレスを着ているので、位の高い者の娘とわかる。侍女は困ったように溜息をついていた。
話を聞けば、お腹が空いたと喚いており、夕食の量が多いため腹を空かせていてほしいと願うのだが、少女はドレスのまま床を転がろうとするので打つ手がないらしい。
クリスは焼き菓子ならばそんなに腹に溜まらないだろうと、少女に食べすぎてはいけないと言いながらも渡す。あっという間に泣き止んだ少女は、満面の笑顔でお絵かきの紙を渡してくれた。
黄色の人間らしき姿が描かれている紙を微笑ましく眺めながらクリスは再度歩いていくと、今度は赤い髪の侍女が料理人に対して怒っていた。
第五王子のお昼にデザートを抜いた理由を問い詰めているのだが、料理人はにやけた顔をしながら素知らぬ顔をする。青い髪の侍女が赤い髪の侍女を宥めるが、効果はない。
あまりの剣幕に気圧されたが、落ち着くならばとクリスは紙箱に入っているチョコレートタルトを差し出す。料理人は顔を青ざめ、侍女二人は大いに喜ぶ。
「まあ!何故ここに今日のデザートがあるかは存じませぬが、ありがとうございます!料理長、この件に関しては後々嘆願書として提出いたします故、お覚悟を!」
「せっかくです。よろしかったらお茶を御用意いたしますので、御一緒に如何でしょう?」
「わ、私如きが第五王子の謁見を許されてもよいのか……兄様に許可を……」
「構いませんわ。王子は形式にこだわらぬ自由な御方。それに良いプレゼントもあるようですし、大丈夫でしょう」
二人の侍女に背中を押されてクリスはどうしてこうなったのかわからないまま移動する。後ろでは料理長がジャガイモの皮むきしていた新米を怒鳴りつけていた。
クリスは小さな王子の部屋に驚く。正直に言えばベルリッツ家の屋敷、当主の部屋より小さいのである。しかし調度品は慎ましいながらも一級品が揃っていた。
紅茶を用意する侍女二人が動く中、クリスは緊張した姿勢で椅子に座っていた。まさか簡単な人助けから始まって、王子に会う流れになるとは予想していなかったのだ。
しかし部屋を見回しても十五歳くらいの少年少女が二人、鍛えられた体を持つ青年が一人。なにやら床に輪になって説明を続けている。クリスが入ってきたことに気付いてないらしい。
王子に仕える類の者かと思い、説明を中断させるのは申し訳ないと思いつつ声をかける。金髪の少年が金色の瞳にクリスを映し、観察するように眺める。
見透かされているような気分になる不思議な目に戸惑いつつ、クリスは自分がベルリッツ家の人間だと説明し、王子は退室中なのかと尋ねた。
「……ぶっは!!あ、アンタ……後ろの額縁見てみろよ……ひ、ひー……おかしい……」
いきなり笑い出した青年に言われるがまま素直に振り向くクリス。壁にかけられた巨大な絵画は、有名な王妃を描いたもの。
金髪金目の女傑。腕の中には生まれたばかりの赤子を抱いた、幸せそうな姿である。クリスは一分間眺めつづけ、ゆっくりと顔を元の位置に戻す。
よく見ればこげ茶の短い髪をした碧眼の少女も腹を抱えて笑っている。ただ一人、困ったようにクリスに笑いかける金髪金目の少年。
「えっと……俺です。第五王子ミカルダ・レオナス・ユルザックです」
クリスは直後に土下座していた。申し訳ないのと恥ずかしさで、今すぐ目の前から消えたいのだが、身に着いた礼儀作法がその非礼を許さない。
むしろ土下座されて驚いたミカがすぐに顔を上げるように促すほどだ。よく見れば赤と黒の王族御用達の衣服に、有名な金髪金目は見事な第五王子の証である。
しかし額を覆うような黒いヘアバンドに左目を跨ぐような一直線の傷、少しぼさついた髪型が彼を王子像から引き離す要因となっていた。
「ぶ、無礼をお許しください!!御尊顔を拝見しても気付かぬ愚鈍、いかなる処罰もお受けいたします!!」
「大丈夫よ。ミカを一目見て王子と気付く奴なんて金色すげー、くらいでしか判断してないから。氷水晶の神殿でもそうだったしね」
「俺もこんなチビが王族かよと愕然したもんだからよ、真面目に受け取るなって」
「あれ!?なんか俺が逆に傷ついてる!?」
容赦のないヤーとオウガの言葉にミカは若干涙目になるが、事実なのでどうしようもない。和気あいあいとした空気に、クリスはおそるおそる顔を上げた。
王子と判明してもなお床に座ったまま従者と同じ目線で話すミカ。どう見ても同年代の少年少女が馬鹿話して盛り上がる姿にしか見えず、緊張が抜けていく。
ミカと同じように床に正座したクリスは驚く。王族とは、貴族の上に座し忠誠を誓う相手。その御身は守られて然るべき存在と教わってきた。
だからこそ謁見できることなど人生に一度あるかないかと考えていた。少なくとも兄の許可なしには出会えない者だと信じていた。
それをあっさり打ち壊すように、ミカはクリスに笑いかける。恐れ多さにクリスは頭を下げるが、ミカはその行動に逆に驚いて顔を上げるように促す。
「いやー、ミミィとリリィがデザート抜かれたくらい気にしなくていいのに、料理長に直訴しに行っちゃうから困ってたんだけど……クリスのおかげで解決したんだって?」
「ミカ様。そこは気にするべきとこです!あの料理長、前からミカ様に被害が及ばない程度の嫌がらせを続け軽んじているのですから!!」
「クリス様にはなんと御礼を申し上げたら。決定的な証拠を持っておりましたので、フィル王子に書類を渡すことが可能になりました」
激怒する赤い髪の女中がミミィ、クリスに感謝を捧げながら書類作成に手を抜かないのが青い髪の女中リリィである。
クリスは人助けをしただけなのに、と予想外の出来事に落ち込む。おそらくジャガイモの皮むきをしていた青年は料理長に怒られているだろう。
そう思うと助けなかった方が良かったのかとも考えるが、生来の性質が困っている人を見たら放っておけないので、結局助けてしまうのだろうと堂々巡りに落ち込む。
「……大丈夫だよ。料理長が誰かを解雇しようとするなら、止めてあげるから」
ミカの言葉にクリスは目を丸くした。まるで心を覗いたような言葉に、声に出ていたかと口元を押さえる。
しかしミカは、なんだか落ち込んでたから、と曖昧な返事だけを口にする。クリスは困惑しながらも黙って頷く。
「それより早くデザート食っちまおう。チョコなんて滅多に食えない高級品じゃねぇかよ」
「貿易でしかカカオ豆手に入らない物ね。ほら、クリスも遠慮せずに」
「二人共馴染むの速いよ!?ベルリッツ家は十六貴族の中でも有力な立場なんだから!」
「い、いいのです、王子!私は兄に付き添いで来た身であり、私自身が凄いというわけではないのです……」
謙虚な姿勢を見せるクリスだが、ヤーとオウガはミカに視線を向ける。ミカには不思議な才能が幾つかあるのだ。
その中でも顕著なのが魂まで視てしまう才能だ。その才能で相手がどんな人間か判断でき、嘘をついてるかどうかまで知ることができる。
ミカの目でクリスの魂を見れば、白くも透明に近いガラス玉が見えていた。羽毛のように柔らかい光が弱々しく宿っている。
「……どうなんだよ?」
「えっと……凄い良い人なんだけど、目標を持ちたくても持てないらしくて、自信もない……感じかな」
オウガが小声でクリスに聞こえないように尋ねる。その間はヤーが適当にクリスに話しかけ、適度に盛り上げる役に徹する。魂の特徴は三つ。輝き、色、形である。
まずは確固たる目標を持ち、迷うことなく進む魂は目標が高いほど輝く。次に目標に向けて清廉なる努力をしている魂。恥じないことをしていると、努力次第で光沢と美しさが上がるため白に近付く
最後に他の生き方に無闇な干渉をしない魂は、陥れるようなことはしないと円になる。真円になるほど他の生き方にもいい影響が出てくる。
そして嘘をつけば、三つの要素に異変が生ずる。だからこそミカの前では嘘をついても無意味であり、隠し事も大体見抜かれてしまう。
もちろん例外は存在する。ミカの腹違いの兄である第四王子のフィルは、目標が高すぎるのか輝きすぎて色も形も掴めないのだ。そこまで突き抜けてしまうと、判断はできない。
ミカのお気に入りはオウガとヤーである。二人共白く輝く美しい球の形をした魂を持っている上、ミカの前で嘘をつかない。なのでミカも二人を信頼している。
「確かに貴族と名乗る割には覇気がないっつーかよ、弱腰だな。もう少し胸張ればいいのによ」
「いやでも貴族で目標が持てずじまいの中、あれだけ白くて綺麗なのは凄いよ。誇りみたいなのを感じるし、目標ができたらあっという間に伸びるタイプかな」
苦笑するミカの気楽な顔を見て、オウガはクリスを改めて見る。今はヤーと一緒に年頃の少女らしくお菓子に目を輝かせている。
ベルリッツ家の名前はオウガも印象に残っている。一番乗りを果たした貴族であり、皮肉で騎族と揶揄した相手でもある。オウガは王族も嫌いだが、貴族も好きではない。
しかしミカの傍にいると、その固定観念が打ち壊されている気もする。今もヤーと一緒に服装の話をしているクリスの姿を見ると、平和だと感じるくらいだ。
(ただでさえ猿が多い城なのに、また猿が増えるのか。難儀な物だ)
「アトミス。クリスには姿を見せないの?というかその呼び方は禁止だってお願いしたのに……」
ミカは天井近くに浮かぶ美しい青年に声をかける。海月のようなレースを幾重にも身に纏い、透き通るような水色を宿した長い銀髪。藍色の目は退屈そうに細められている。
肌も透き通るほど美しい白であるが、特筆するべきは背中に生えた氷水晶の四枚羽。水の妖精アトミス、それこそが天井で優雅に浮かぶ青年の正体である。
妖精は滅多に人前に姿を見せない。アトミスは特に人間を見下す傾向があり、ミカの近くにいる人間の前でしか姿を現さない。そして見える相手も調整できる。
(僕の本体を持ち歩くようにお願いしたのに、面倒だからと聞いてくれない君への意趣返しさ。そして僕はそこの猿が信頼に値するかどうか見極めない限り現れないから)
アトミスは少し怒った様子でミカがベット近くの机に放置している氷水晶の指輪を見る。妖精は自然や物に宿る。アトミスが宿るのは四枚花弁の結晶体、氷水晶である。
装飾道具が苦手なミカは指輪を身に着けたくないのだが、アトミスがわざわざ気を利かして指輪の形にしたのだから着けろ、と日々押し問答している。
ミカは渋々指輪を取りに行き、右手の親指に装着する。ご満悦の笑みを浮かべたアトミスは、四枚羽を動かして見えないのを良いことにクリスの横に降り立つ。
(大体、この猿はオウガと同じで視える才能もない。ミカの益になるかもわからない。つまり僕の益にはならない。そういうことだ)
「すっげぇデレデレになったな、こいつ。最初の頃なんか俺すら猿だったのによ」
(う、うるさい!とにかく、僕の姿をこいつに見せたければ証明しろ!)
オウガの言葉に対して怒鳴りながら壁をすり抜けて姿を消したアトミス。最近は好きなだけ移動できるのが楽しいらしく、城内散策を趣味にしている。
苦笑したミカはオウガにクリスが異常に気付かないように配慮をお願いしてから、意識を自身の内側へと移動させる。人形のようにミカは動かなくなる。
ミカは前世が聖獣という「獣憑き」であり、その前世の意識である太陽の聖獣レオンハルト・サニーと会話できる。それが原因で五年間は人形のような状態でいたため、人形王子と馬鹿にされていた。
黄金の毛皮で橙色の瞳をした獅子。ミカは気さくな友人に接するようにレオに話しかける。
(レオ、クリスにアトミスを見せたいけど、どうすればいいのかな?)
(……我は賛成ではない。彼女自身が潔白であっても、近くの者がそうとは限らない)
(つまり安全を立証してから決めろってことでいいの?)
(そういうことだ。貴族裁判が始まるのだろう……ならばそれが終わるまでに見極めると良い)
レオは猫科らしい大きな欠伸をしてから眠ると一言告げて、健やかな寝息を立て始める。ミカも昼寝の邪魔をしてはいけないと、意識を浮上させる。
気付けばクリスはヤーと既に椅子に座って歓談を続けており、オウガはミカに向かって大した返事がいらない話を続けていた。そして意識が戻ったのを確認すると、話を終えた。
「レオはどうだったよ?」
「貴族裁判が終わるまでに見極めろ、だって。気分重いなぁ……十六貴族って昔一通り会ってるけど、曲者揃いなんだもん」
「そりゃまた災難なこったよ。とりあえず今は茶と美味い菓子でも食おうぜ。じゃないと女子二人に食われそうだしよ」
オウガの言葉通り、チョコレートタルトはあっという間に消費されつつある。話しながら食べているにしては驚異的な速度に、ミカは驚く。
しかしリリィとミミィも同じような特徴があるので、女性特有の現象かもしれないと納得し、ミカも座って二人の歓談にオウガと一緒に加わることにした。
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