クイーンズエイジ1766の4月

EP0×Ⅱ【受難旅行《ordeals×travel》】

 村人達の献身的な介抱のおかげで、奴隷として運ばれていた子供達二十人は久方ぶりのベッドに涙しながら寝た。中には毛布を重ねて床に敷いただけの簡素ベットもあったが、それでも死体と病が転がっているような貿易船の床上と比べ物にならないほどの心地よさだ。

 シスター・レイチェルに人手が足りないと言われて助力を乞われたユーナは、修道女の服を借りて洗い物から料理、さらに垢や泥で汚れた子供達の体を拭くこと。あらゆる労働を黙ったままやり遂げた。星が輝くのを教会の食堂に備え付けられた窓から眺めながら、先程までは食事が並んでいた木の机の上に頭を預ける。

 黒の頭巾ベールを脱ぎ、まとめていた紫の長い髪が背中に散らばる。それを手櫛で簡単に梳きながら、ユーナは机の下に置いていた箱の中身を確かめる。古ぼけた赤茶の革表紙が特徴の魔導士入門書、そこに挟んでいた紙幣や金貨、そして黄金蝶の飾り。ここまでは問題ない。しかし旅用として着ていたドレスが消えていた。


 慌てて机の下に潜り込んで探すユーナだが、ドレスの布地一つ見つからない。修道女の服で旅を続けるなど目立って仕方がないし、何処から脱走してきたのかと白い目で見られるに違いない。しかも手には魔導士入門書となると、天主に背を向ける魔導士かとその場で石を投げられる恐れもある。

 最悪なのは捕まってしまうことだ。身元を聞かれたらあっという間に家出がバレる。そして穏やかな足取りながら、優雅に、それでいて冷酷な死神のような響きを持って、老婆が迎えにやって来る。それを想像して冷や汗を流したユーナは、聞こえた物音に驚いて顔を上げた。机の下に潜り込んでいたのを忘れ、頭上を思いっきりぶつける。

 痛む頭を押さえながら物音がした方に視線を送れば、喪服と同じくらい真っ黒なズボンがあった。鼻を掠める独特な臭い。それだけで額に青筋が浮かぶが、このまま出ていかなければ通り過ぎていくかもしれないと甘い推測を立てる。


「鼠みたいだな、魔導士」

「貴方こそ鼠を餌にする卑しい猫のようですわね」


 明らかにからかう口調で言われた嫌味に、ユーナも負けじと返す。このまま潜っていても意味がないので、諦めて机の下から這い出る。膝についた埃を叩き落としつつ、煙草を片手に笑う男の顔を睨む。室内でも服と同じ色の帽子は取らず、飾りである白詰草を模った緑水晶はユーナも少し気になる輝きだった。

 透明度の高い緑色。水晶と呼ぶに相応しい色合いだが、ただの緑水晶グリーンクォーツには見えなかった。前に見た緑水晶はもう少し濃い色合いで、模様が表面に浮かんでいた。しかし男の帽子飾りの透明度はそれに比べたら異常なほど透き通っている。


「卑しい猫の割には高価な宝石をお持ちのようで。遠い国の言葉では猫に小判と言うのでしたっけ?」

「ほーう。机の下を漁る鼠のくせに審美眼と教養はあるようじゃないか。そうだな……そのちんちくりんな頭に叩き込みやすいようにわかりやすく教えてやろう」


 煙草の煙を吸い込み、それをユーナの顔に吹きかける。笑顔で嫌味を言っていたユーナも、これには咽せるしかない。手で扇の形を作り、煙を急いで払い除ける。拳を握りしめ、殴打の衝動を必死に抑える。この男、ノアの場合は殴ったら負けな気がするのだ。

 ユーナの身長と比べれば、頭の頂点も胸元くらいに留まる。長身な男はユーナが暴力を振るっても、その長い手足を使って頭を抑え込むだけでいいのだ。目に見える惨敗と屈辱に手を出すのはユーナにとって悪いことだ。もう少し考えて仕返しを企てなければいけないと、違う方向に頭を動かしていた。


「お前の紫色の髪……酔い止めの宝石、紫水晶アメジストの色だ。酔っ払いにはモテるだろうよ」

「なんていう不名誉な言い方かしら」

「くくっ、そう怒るな。この帽子飾りに使われている宝石も紫水晶アメジストなのだから」

「はあっ!?」


 子供達が寝ていることも忘れ、ユーナは素っ頓狂な声を大きく教会内に響かせてしまった。急いで口元を手で押さえるが、疲れていた子供達が起きてくる気配はない。胸を撫で下ろしながら、ユーナは疑いながらノアの帽子飾りを眺めていく。

 四つ葉の白詰草。見つけたら幸せになれる御呪いのような話が付随する、何処にでも咲いている花の葉。この教会周辺にも飽きるほど蔓延っているだろうが、その多くは三つ葉のはずだ。四つ葉となると何故か探すのが難しい。だからこそ幸せになれるという伝説が生まれたのかもしれないが。

 そしてノアの帽子飾りの四つ葉全てが透明度の高い緑色の宝石。その輝きは確かに水晶と同じか、それ以上だ。上質な水晶であることは一目瞭然で、加工をしても華やかで大きな帽子飾りとして活用できるとなると、値段は天井知らずだ。


緑色の紫水晶グリーンアメジスト。市場では流通されてすらいない代物だ。まず天然物で産出された記録が、今のところはない」

「……人工的な加工を?」

「ただの偶然だかな。ある時、とんでもない大きな紫水晶にこの世の物とは思えない炎で熱したところ、色が変化してな。狙われる口実に丁度いいと目立つ細工をした」

「貴方の言葉だと胡散臭いですわね。まあ信じてあげますわよ。その帽子飾りは間違いなく綺麗ですもの」


 てっきり嘘だとさらに突っかかってくると思っていたノアは、あっさりとユーナが引いたことに拍子抜けする。ノアですらこの帽子飾り以外に色が変化した紫水晶など知らない。最高品質の紫水晶ビショップグレードが緑色になるなど、昔のノアだったら信じていたかもしれない。それくらい無知で、本物の宝石など見ることすらできなかった。

 しかしユーナの場合は、それ以上関心がないの方が正しいのだろう。首を動かして、必死に探し物をしている。もう一度机の下に潜り込むべきか、ノアの前でそれは止めた方がいいと逡巡する背中に、笑いながらノアが声をかける。


「ああ、そうだ。お前のドレスは一部燃えていたからな。子供達の服として再利用したからな。ありがとよ」

「……わたくしへ断りもなく?」

「なにせ村人からの着古した服とは言っても、二十人の子供となると数が足りないのは明白だ。まあ施しを与えた者には天主からの奇跡があるかもしれないぜ?」

「っ、わたくしは天主からの奇跡を信じません!!!!」


 衝動のままノアの服の首元を掴み、引き寄せて強く睨み上げるユーナ。その言葉の力強さに、暗い炎で焦げていくような紫色の瞳の弱々しさに、藪蛇だったかとノアは謝るかどうか判断に迷う。ドレスを使われたことではなく、天主の奇跡に対して怒りを見せた少女。

 アイリッシュ連合王国では天主聖教会が宗教の基本となっている。派閥が発生し、祈り方の違いもあるが、多くの者が同じ存在に信仰を捧げる。だからこそ異教の神などを学問として捉え、あまつさえ力を借りる魔導士は異端だ。国の発展に関わっているから、見逃されているだけにすぎない。

 青錫杖の僧侶という最高位魔導士が誕生した時すら、多数の反発の声が上がった。それ以前に資格もない黒魔導士初の最高位魔導士である黒鉄骨の魔剣士が出てきた際も動揺の声が広がった。だが王族の、女王や国王から一字与えられたという事実が民衆の声を潜ませてしまった。それでも魔導士だからって天主の奇跡を信じないというのも珍しい話である。


「おい。ここ教会なんだよ……」

「あぁん!? って……おほほほ、失礼しましたわ」


 子供達が無事に寝ていること、怪我をした子供の症状が悪化していないか確認し終えた神父のレオナルドは呆れた様子で声をかけた。それに対して素が滲み出てしまったユーナは、慌ててノアから手を離し、佇まいを直して淑女らしい動作と言葉遣いで誤魔化す。

 しかしレオナルドとその背後にいたレイチェルの耳にはしっかりとユーナの低い声は届いていた。特にレイチェルは悲しそうな瞳でユーナを見つめている。頭巾ベールで髪型などは隠れているとはいえ、綺麗な卵型の顔に整った鼻筋に穏やかな湖面を想像させる大きな瞳。美しい修道女に同情されていることに気付いたユーナは、笑いつつも静かに視線を逸らしていく。


「ユーナさん……天主様が信じられないなんて。深い事情があるのですね。しかし安心してください。神父様の下で祈りを続けていれば、心穏やかな毎日こそが偉大なる御方から我らに与えられた奇跡だと信じられるでしょう」


 零れそうな涙を白く細い指先で拭いながら慰めてくるレイチェルに対して、ユーナはさらに気まずくなる。ノアとしては最初の出会いを思い出せば、和やかな毎日とは縁遠そうな少女だと思うしかない。それを誤魔化すために曖昧な笑みを浮かべ、残りの煙草の煙を味わう。


「つーか、神聖な教会で煙草を吸うな。さて、遅くなったが私達も食事をしよう。あまり長く蝋燭を使うのももったいないからな」


 慣れた様子でノアから煙草を奪ったレオナルドは、水を溜めていた桶に煙草を入れて火を消す。その吸い殻は後で拾い上げて塵箱に捨てなくてはいけないが、水に浸からせておいて二度と火が点かないようにしておく必要がある。

 そしてレイチェルが盆に四人分の食事を持ってくるために、台所へと戻っていく。野菜と大麦を煮込んだスコッチ・ブロスにパン。後は水だけで、夜の食事としては充分な量だった。スコッチ・ブロスには羊肉が入っていないのは、子供達の空腹でも耐えられるように配慮した結果だ。

 天主聖教会に属する者の中では一切肉を食べない、特定の食物を口にしないというのもある。しかしそれは本人が信ずる派閥の習慣や教典から読み取った上での信仰心の表れだ。また祝日ならば肉を口に入れることから、あまりこだわらない者もいる。レオナルドは後者であり、子供達がもう少し元気が出たら肉を加えようとレイチェルと相談している。


「それじゃあ……村人や商人から与えられた糧に感謝して、頂きます」

「そこは天主様じゃないのかよ」

「私は教えを押し付ける趣味はねぇんだよ。それに作物や肉は確かに神が与えた食事かもしれないが、食べれるように加工して増やしたのは今を生きている人間だ。そこに尊さを覚え、感謝する。目には見えない精霊、育む自然、その全てに生かされていることを忘れちゃならねぇ」

「……いい具合にくそ神父だな、相変わらず」


 レオナルドの気遣いに対して、ユーナは一礼して感謝を伝える。そしてレイチェルが両手を組んで感謝の祈りを捧げているのを真似して、同じく両手を合わせつつも慣れない様子で祈りを込める。レオナルドも黙想し、一分ほどした後に食べ始める。

 ただしノアは三十秒で祈りを終えていたため、誰よりも早く食事を始めていた。それでもノアが祈っていたことにユーナは驚きつつ、レオナルドの平凡な顔立ちを眺める。ユーナも何人か天主聖教会に携わる人間を見てきたが、大体が魔導士を敬遠して忌み嫌う。

 レオナルドの柔軟さと優しさに感心し、スープが冷める前にと一口飲む。その美味しさにユーナは目を輝かせた。レイチェルに視線を向ければ、嬉しそうに微笑まれた。美人で優しくて料理上手。女性としてあらゆる理想に近い姿に、ユーナは感動すら覚えた。


「相変わらずレイチェルの料理は美味いな。くそ神父の飯は不味いことこの上ねぇからな」

「うるせぇな。そんなお前こそ料理できんのかよ?」

「美味いものは沢山食ったぜ。ルランス王国は美食だろうけど、俺としてはカイエン王国やロマリア教国のピッツァとかパスタが好きだな」

「舌だけが肥えてるな。まあお前の旅行話はいいとして、ユーナくんには今の内にランダ村がコチカネット国内部の何処に位置するか教えておこう」


 綺麗に食べ終えたレオナルドは懐から地図を取り出す。アイリッシュ連合王国全てのではなく、コチカネット国に属する土地の地図だけだ。そしてコチカネット国内部でも地方と呼ぶべき区分が存在し、人々はそれぞれの特徴を生まれた時から刻み付けている。そのためコチカネット国内部でも違いがある。

 一番顕著なのはコチカネット国内部の半分を有し、山岳も多い北に位置するハイランディ地方。ハイランダーと言えば恐れる者もいるくらいだ。民族戦士であり、氏族を示す固有のタータン柄を身に纏って荒れ地を駆け抜ける。山岳部で鍛えられた体で勇ましく戦い、国に貢献した。高地連隊ハイランダーズに随行する奏者の民族楽器であるバグパイプの音を聞くだけで敵は身を竦ませたという。

 さらに古代エルト人の文化も根強く、戦士としての誇りも強いらしい。それもクイーンズエイジ1745にエングランド軍との衝突で敗北し、現在ではバグパイプやタータン模様のキルトなど禁止されている。伝統として復活するにはあと十数年は必要と言われている。そのためハイランディ地方でエングランドの名前を出すと危険な状況だ。


 ハイランディ地方の西にアイラング地方、さらに南に進めばオーランド地方となる。そしてエングランド国との境界近くをボーダー地方。ボーダー地方を越えて南下した場所に湖で有名な湖水地方だ。

 ハイランディ地方は険しい山岳により開拓が大変であること、資源が少なく傭兵で稼いでいる実情からコチカネット国の首都はオーランド地方のエデンビューである。エデンビューはコチカネット国の南の方に位置し、近くにはアルトリウス王の玉座と呼ばれる丘がある。

 アルトリウスと言えば壮大な騎士道物語の代表人物であり、騎士の神話とまで謳われた偉大な存在だ。観光地としても発展しており、この首都に辿り着ければエングランド国へと向かう手段が手に入るだろう。

 そのエデンビューより北、コチカネット国の中でも中東部に位置する場所にハンメル川が流れており、地図には記されていないがミトロコリーという小さな町がある。豊かな自然に囲まれており、避暑地としても人気が高い。なにより白亜の城クレア城が建っている。歴史を語る上でも重要な場所だ。


 レオナルドはランダ村はミトロコリーよりも北の位置だと指差す。


 もう少し北東へ進めばラガディーンという花崗岩の街が発展していた。それも花崗岩が産出され、街の建築に使っている。重厚な街並みであり、ダン川とギィー川の河口に広がるため海に近い。陽光を反射して輝く黄金の砂浜、そして銀色に光る街。黄金の砂に横たわる銀の都と称賛され、第三の都市として扱われている。

 エデンビューとラガディーン、どちらともランダ村からの距離はあまり違わない。エングランド国に陸路で向かうならばエデンビュー、海路で進むならばラガディーンという選択に絞られる。しかしどちらにせよ気軽に行ける距離ではなく、旅立つならばそれ相応の準備が必要だ。

 北から弧を描くようにラガディーンまでの説明をされたユーナは難しい顔になる。路銀はそれほど多くない。しかも連合王国と成立した今でも、コチカネット国は隙あらば独立したいという願いもある。特にハイランダーなどの一件から、ハイランディ地方はその傾向が顕著だ。


 年端もいかない少女が大した金額も持たずにエングランド国に行きたいと言うのは、中々の危険性を含んでいる。古代エルト文化が根強い相手ならば魔導士だと告げると少しは態度が緩和するかもしれないが、それ以上に現在の情勢への不満が強く前に出るはずだ。

 特にユーナが向かうべきロンダニアはエングランド国の南に位置しており、陸路や海路でも相当な長旅になる覚悟をしなくてはいけない。危うく奴隷として運ばれかけていた経験から海路には若干の嫌気があるが、国境を越えるというのも中々に困難だ。

 そこで思い出すのはノアが出した魔道具だ。ユーナの魔力を多く使ったとはいえ、瞬間移動に近い魔法を行使した。そのことについて言及するのを忘れていた。だが使用した杭と麻縄も同時に思い出し、嫌な予感を覚えながらも恐る恐る声に出す。


「あの……教会に転移したように現れた原理ってもしかして、同じ法則を刻んだ杭同士を連結して特定の場所に片道移動するという麻縄の紐という特性を活かした魔法ですか?」

「……こりゃあ驚いた。あの魔道具を使って元気なのも充分に驚きに値したが、それだけの知識を持っているとなると中位以上じゃないか?」

「俺が聞いた時は下位の紫魔導士だとよ」

「下位ぃっ!? というか紫!? 私でも青錫という上位なのに、どんな問題を起こせば紫魔導士の資格を付与されるんだ!?」


 思わずユーナを指差しそうなほど驚きを露わにしたレオナルドだが、寸での所で拳を握りしめる。しかし驚いたのはユーナも同じで、天主聖教会の神父が上位魔導士である事実は予想外だった。魔道具作成ができるのは上位魔導士から。つまりノアが所持していた魔道具はレオナルドの自作ということだ。


「……おい、待てよ。ノア、お前は相手が下位魔導士と知っていながら魔道具を使わせたのか?」

「あん? なにか問題があるのかよ?」

「魔道具使用許可が下されるのは中位魔導士から!! 資格剥奪とまではいかなくても、管理ギルド【魔導士協会】から罰を食らうには充分な違反行為だ!! こ、こんな少女にお前は……」

「ちなみに今年で百歳の少女だとよ」


 ノアから知らされたユーナの年齢に対し、今度こそレオナルドの思考は停止フリーズした。先程は我慢できたが、今はもうユーナに向けて指を差している。横で黙って話を聞いていたレイチェルも口元を手で覆いながら、ユーナの顔を凝視している。

 年齢を他人に明かされたことでとんでもない事態に陥りそうになっているユーナは、今度からは気軽に年齢の話をしないと心に決めた。魔導士に外見年齢はあまり通用しないのだが、目で捉えた外見の第一印象が覆されるというのは中々の衝撃を生む。

 ただでさえロンダニアから遠ざかっており、知らない場所で立ち往生。しかも旅用のドレスもなく、着ているのはレイチェルから渡された修道女用の服のみ。これでは百年越しの確認ができないと苛立ちだけが募っていく最中、ノアが話題を切り替えるために別の話を持ち出す。


「そこで、だ。くそ神父、二十人の子供を元の場所に返す手伝いを紫魔導士に手伝わせたらどうだ?」

「む? 奉仕活動をすることで違反行為を見逃せと? 確かにあの数をずっとこの教会で保護するわけにもいかないが……」

「なに言ってんだよ? これからも違反行為していくぜ」

「お前こそなにを言っているんだ!?」


 とんでもない内容を平然と宣ったノアに対し、レオナルドは憤慨する。ただでさえ教会内部での問題が増えているというのに、魔導士方面でも問題を増やされているのだ。これ以上は手に負えないと、当たり前の現状に対して怒る。しかしノアは笑い続けている。


「だから俺と一緒に行動させろ。違反行為だと言われても『俺自身モンストルム』の魔術だと誤魔化せるだろ?」


 やはりそうか、とユーナは驚かない。最初に会った時から魔力の偏りを感じていた。全ての物質に魔力は宿る。空気に大地、生死関係なく人間の体にも。その量が多いか少ないか自体に問題はない。ただ魔力が集中しすぎて偏ると異変が起きる。

 土地の一部に魔力が集まって偏重した場合、自殺の名所として囁かれるように。鬱蒼とした森が樹海と呼ばれ始めるように。船が戻らない場所を死の海域と畏れられるように。均衡が崩れた瞬間、異常は形になる。そして人間や子供に語る妖精の話すら、魔力が集まりすぎると変化が起きる。

 それが『化け物モンストルム』だ。ノアの場合は元が人間なのか、生まれながらなのか、そこまでは判断できない。しかし確かに心臓を中心に膨大な魔力が偏っており、渦巻く魔力の流れをユーナは感じ取っていた。魔力はもっと綺麗な流れを持つのだから、魔法を学ぶものなら中位以上の魔導士は気付けるだろう。


「この阿保! 魔導士の資格である魔導士証明に魔法を使った履歴が全て刻まれるんだ!! 魔道具も同じことだ!!」

「ちっ。なんて面倒な」


 舌打ちするノアの目前に、レオナルドは自らの魔導士証明を出した。青錫の鉱石が鳥の形をしている。胸に着けられるようにブローチになっており、それだけでレオナルドが正式な上位の青錫魔導士と示していた。管理ギルド【魔導士協会】が鉱石の年月を積み重ねていくことで層を重ねる特性を利用した道具であり、記録が残るように細工が施された目に見える資格だ。

 黒魔導士以外の魔導士全てがこの資格証明を所持しており、ユーナも肌身離さず持っていた。修道女用の服にあったポケットに入れていたのを机の上に出す。卵の形をした紫水晶であることが、紛れもない下位の紫魔導士だと告げていた。

 ちなみに例外として一人だけ、黒鉄骨の魔剣士ヴラド・ブレイドには黒鉄で作られた竜の形を模ったブローチが渡されている。竜の形は最高位の証しであり、現在世界で四人しか与えられていない。だが彼の場合は必要ないとどこかに転がしているかもしれないが。


「じゃあ魔道具も使わず、俺の魔術で移動すれば問題ないな?」

「それなら……まあ。私の方でも天主聖教会と管理ギルド【魔導士協会】に連絡はするが、あまり期待できないのもある」


 二十人の子供達。多くはさらわれて来たのだろうが、それがアイリッシュ連合王国内部に留まるかさえ定かではない。海を越えた先、下手すると最近問題になっているカメリア大陸の先住民も混じっている可能性も捨てきれない。

 そんな子供達を家に帰したくても、交通手段が馬車や船など限られている。場合によっては十年単位で探さなくてはいけないし、最悪なのは帰るべき家すらなくなっている場合だ。そうなると彼らの将来のためには孤児院に預けるよりも、働き口を調べておくべきである。

 天主聖教会はあくまで信仰の場であり、慈悲を見せるだろうが責任は持たない。管理ギルド【魔導士協会】も手段などは提供するだろうが、協力まで取り付けるのは難しい。と切り捨てられることだって不思議ではないだろう。


「お前なら俺の旅路の長さは知っているだろう? それにやっと終わりが見出せそうだ。そのついでとして最後に善行を積むのも悪くない」

「ノア……普段から善行積めよ」

「ははっ! 全くその通りだ!! 悪行をする理由は山ほどあるというのに、善行をする理由が見つからないのも笑い草だ!」

「ちょっと。わたくしの意思を無視して話を進められても……」


 勝手に話がまとまっていく気配に嫌な予感を覚えたユーナが口出した瞬間、机の上に重い音が響き渡った。衝撃で木が軋んだが、それ以上にユーナの動きを止めたのは輝きだ。人間の肺と同じ大きさの袋から零れ出た金貨の山。隙間から顔を覗かせる色鮮やかな宝石。

 普段の生活で目にする金額ではない。これだけで一生遊べるのではないかと邪な囁きが聞こえてきそうなほどの重み。慣れない大量の金貨から逃げるようにユーナは立ちあがり、一歩二歩と距離を取った。欲望よりも恐れが先に出る。


「お前の労働に見合う金額を支払おう。生活に必要な服、食事、住まいの分も全部だ。そして貯めればいい、お前が願う場所へと旅立つための金を!!」

「貴方……何者なんですか?」

「ここに来た際にも言っただろう? 俺の復讐に付き合ってもらうと。改めて名乗ろう。俺はノア・オリバー。しがない『復讐鬼モンストルム』さ」


 そしてノアは帽子を取って仰々しくお辞儀をする。その額には人間ではあり得ない捻れた角が二本、小さく生えていた。髪に埋もれそうなほどだが、目が離せない存在感。そういった『存在モンストルム』など見慣れていると思っていたが、ここまで俗世に慣れているのは初めてだとユーナは目を丸くする。

 何故ならば『化け物モンストルム』は人間が好きであるのは基本だが、それ故に嫌われたくないと強く願う。自分と違う存在を受け入れにくい人間にとって『彼らモンストルム』は畏怖すべき存在だ。だからこそ『化け物モンストルム』はひっそりと隠れ住む。人間とつかず離れずの距離で。

 もちろん人間社会に紛れ込んでいる『化け物モンストルム』もいるが、ここまで堂々としているのも少ない。さらに目の前の『ノア・オリバーモンストルム』は通貨でユーナを動かそうとしている。悪目立ちにも程があるが、ユーナは奥歯を噛み締めた。


 ここまで来るとドレスを子供達の服に利用されたことすら、ノアの計画の一部ではないかと疑ってしまう。しかし路銀が足りないのは確かな話だ。陸路でも海路でも同じだ。エングランド国の首都ロンダニアまで辿り着くには旅道具だけを揃えるだけでは不足する。

 急いでいるわけではない。むしろ逆だ。最早いつでもいいのだ。ユーナは「いない事実を確認する」だけなのだ。誰かの口から零れ出た言葉ではなく、数字で理解できる内容ではなく、目に見える真実でもない。自らの足を使って、現場に赴いて、そして諦めるだけの話。

 百年という人生の重みに潰されても構わない。ユーナは自分の手で決着をつけたいだけなのだ。そのために大事に育ててくれた老婆に黙って家出してきた。年齢で言えば自分も老婆の部類であるのは置いておいて、それだけ意味があることを成し遂げに行く。


「……貴方にロンダニアまでの路銀が払える能力を持っていると信用しろと?」

「この金貨の山を目の前にして剛胆だ。なんなら俺の目的が終わり、それでも生きているならば! 今度はお前に最後まで付き合ってやろう!!」

「まるで死ぬ前提みたいな話ですわね。いいでしょう……利用させていただきますわ」

「それでいい!! というわけでくそ神父、密造酒モルトウイスキーを出せ!」

「もう寝ろ!! シスター・レイチェルも船を漕ぎ始める時間なんだよ!!」


 気分を良くしたノアが酒を要求する。だが夜も深まり、蝋燭の芯も短くなったことで時間の経過を知ったレオナルドが怒鳴る。頑張って話を聞いていたレイチェルは瞼が既に眼の半分以上を隠していた。相当眠いのか姿勢が綺麗なまま頭を左右へと盛大に揺らしている。

 教会に葡萄酒ワインが準備されているのはいいとして、蒸留酒ウイスキーがあるのは問題だろうとユーナも呆れた。それもクイーンズエイジ1644の酒税法による課税、さらにはクイーンズエイジ1725の大幅な課税引き上げによって生まれた酒こそが熟成された蒸留酒モルトウイスキーだ。シェリー樽によって味に深みが出るらしいが、ユーナは酒が苦手なためあまり飲んだことがない。

 まだ葡萄酒は天主の血として崇められており、宗教として認められた酒ではある。ちなみにハイランディ地方で密造は盛んなようで、実は品質としても普通の蒸留酒ウイスキーを上回っていると評判がいい。そのため北部地方の蒸留酒ハイランディモルトの名前だけで買う者や、愛好家も多いとのこと。


「ユーナくん。申し訳ないが私からもお願いしたい。君は天主の奇跡を信じないと言ったな。私は奇跡を信じるが……同時に思う。天主はいつかは救うかもしれないが、今は救わないと」

「……神父らしくない言葉ですわね」

「ああ。だから神父の道の他に魔導士の道も選んだ、はぐれ者だ。私はね、今目の前にあるものを助けたいと願ったから、信仰だけでは足りないと悔しかったから……この証しを手に入れた」


 レオナルドの年季を重ねた手の上で輝く鳥を模った青錫のブローチ。日々、洗い物などで手が荒れ、聖書を捲るたびにかさついて脂が消えた指先。神父服カソックの袖の下から覗き見える薄くなった傷は、刃物で切られた跡だ。ただ祈り続けてきた聖職者ではない。

 最初から魔導士であった者を天主聖教会は受け入れないだろう。そして神父になったからといって魔導士の道を歩むのは容易ではない。それはユーナもよく理解していることだ。どうしても魔導士は迫害の対象だ。幼い頃に火中に投げ込まれた少女は、その時の絶望を知っている。

 我が子が火に近付けば危ないと庇ってくれるだろう誰かの優しい母親さえ、少女を火の中に入れろと金切り声を上げていた。狂乱の時代。黄金律の魔女が拾って育てた子と言うだけで、あらぬ疑いをかけて身勝手に処罰しようとした人々の声を忘れたことはない。


「貴方は……強い人ですね」

「そうかな? 泣くのが下手な大人なだけかもしれないぞ」

「ふふ。わたくしは……泣くのも下手で、子供で……誰かを助けたいと願うこともできない」


 ノアがレイチェルの肩を揺らして起こしている最中、そんな会話をしながらユーナは窓から見える星空を見上げる。幾多の輝きが小さな村を照らしていても、心にはなにも響かない。朝日が昇っても同じことだと、もう諦めている。期待している明日など来ないのだと、嫌というほど思い知らされた。


「わたくしは――――世界が美しく見えない」


 そう言ってユーナはレオナルドに背を向けた。寝ぼけまなこのレイチェルの案内で旅人用の寝室へと案内してもらう。百年を生きた少女の言葉に神父は声を詰まらせた。天主の奇跡を信じない子供。そんな子供は今まで何度も見てきたが、十数年しか年月を重ねていない彼らと彼女の言葉は重みが違った。

 今日の星空がどんなに綺麗だと言っても、彼女はそれを理解できない。知ることすら放棄している。百歳ともなればそう簡単に変われる年齢でもない。ある意味、難しい年頃だとレオナルドは渋い表情を浮かべた。そんな彼の背中越しにノアが声をかける。


「金貨の山を見てビビった女とは思えない発言だったな」

「そう言ってやるな。というか私もあれには驚いたからな。お前が財宝島を持っているという法螺話……本当だったのか」

「俺はこう見えて嘘を吐いた憶えはねぇんだけど。まあいいさ。あの女は地獄を垣間見たんだろう。生温い救いの手がある地獄をな。だから絶望しても希望すら捨てられない。中途半端に世界を見てるから、全てが色褪せている」

「それだとお前はこの世界を美しいと思っているようじゃないか」


 レオナルドの言葉にノアは歯を見せて笑う。どこか悪鬼のような笑みだが、目元だけは優しさを滲ませていた。


「ああそうさ。俺は――――この世界は美しいと信じている」


 それは少女の言葉とは真逆のようでいて、どこかズレた言葉だった。それでも緑色の瞳に星の輝きを宿して、一身に受け止めようと両腕を広げる。帽子飾りも星の小さな光を反射していた。


「ではもう一つ善行を積むとしよう。あの女を変えてやる。百年後には同じ言葉が言えないようにな」

「期待しておくぜ。私もお前も……それを見届けることはできないだろうがよ」


 そして食堂の短くなった蝋燭を燭台に刺し、男達二人もそれぞれの寝室へと足を向ける。クイーンズエイジ1766の四月四日。コチカネット国のランダ村にある小さな教会で起きた騒ぎ。それさえも束の間の平和だということも知らないまま、多くの者が夜闇の中で眠りについた。

 ただノアだけはベットの上で胸元を握りしめていた。煮え滾る心臓、その音さえ鼓動のように体全体に響く。正義による審判が知らない場所で下されたのだと、歯痒い思いを誤魔化すように唇を噛み締める。血が流れても気に留めなかつた。

 右手に残り続ける柔らかい手の感触を思い出して、嗚咽を上げる。涙は出てこない。それさえも身の内に燻る熱で蒸発してしまう。この苦しみもあと少しだとノアは星空を見上げる。誰も救ってくれなかった幼い自分。それ以外の多くの犠牲、それと一緒に失った大事な少女は助けることもできなかった。


 だから『復讐鬼モンストルム』は誓う。過去の無力な自分だけでも救済する。そのために復讐をするのだと。だから。気も遠くなるような体の痛みと苦しみに足掻きながら、心さえ蝕む炎を宿し続けた。

 ノアは背中を丸めてベットの上に横たわる。成功率は零に等しい。それを一に引き上げる可能性が紫魔導士の少女だ。あの膨大な魔力と、炎を恐れずに子供を無言で助けた彼女ならばわずかな希望が見えるかもしれない。ただの直感だが、それでも縋りたい男は痛みを堪えながら笑う。

 世界は美しい。そう信じなくては膝が折れて動けなくなる。男にとってそれが一番の恐怖だった。今まで生きた意味が全て消失してしまう。だから信じ続ける。血を吐くほどに苦しくて、額から滲む脂汗が止まらない辛さを抱えながらも。


 信じてほしい。世界は美しいと、一人の少女に。同じ思いを胸に戦ってほしい。

 ――――――世界を壊す正義の使者への復讐を遂げるために。

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