EPⅣ×Ⅶ【自己紹介《self×introduction》】

 真っ直ぐ指差されたビリーは口元をひきつらせた。しかしカナンの指先がぶれることはない。探偵が犯人を示したという意味を、彼は撤回しない。

 周囲にいたドバイカムやジューダスだけではなく、マルコやコージも驚きで声が出なくなっていた。ただしバンケットだけが冷静に事の成り行きを見守っている。


「なにを……仰るのですか? 今はウィンダーさんを殺した卑劣なる犯人を捕らえるべきでしょう?」

「せや。しかしな、それを辿るんには全ての事件を明らかにせんといかんのや。なんせおっかない幽霊のせいで、枯れ尾花まで化けているん」


 穏やかにカナンを見据えるビリーに動揺はない。微笑んだまま指を降ろしたカナンはアルトにウィンダーの遺体を抱き起こすように指示する。

 ただの遺体でも少し気後れするが、ウィンダーの場合は異臭がする毛玉のような髪のせいで触れるのも躊躇われるほどだ。しかしアルトは渋々と力が入らない中年男性の体を起こす。

 小さいとはいえ五十キロの肉の塊に血が詰まっている。少し苦戦していたところ、溜め息をついたバンケットが支えるのを手伝う。意外と気遣いできたのかとユーナはさらに好感度を上げた。


 苦悶を浮かべていた表情は死者の眠りを優先するため、多少手を加えている。簡単に言えば指の力で瞼を降ろし、頬の辺りを揉んで柔らかくした。

 今はただ眠っているだけのように見えるが、首に突き刺さったままの鉄棒が生存を許さない。頭が異様に重いため、少しでも損傷を防ぐ目的で首の後ろを支える。


「まず僕が今回この依頼を受けるんを渋ったのは……闇取り引き市場オークションの事件を明かしたかったからや。なにせ世界規模での偽造工作やからな」

「助手がいないと口うるさく言っていただけじゃないのか?」

「それもあるんよ。しかしこれが解き明かせなかったのは……関係者を大勢含めた汚職事件でもあったからや」


 カナンは足を隠すために使用していた膝掛けを裏返し、そこに消えないように刺繍した有名美術館に博物館の名前と所蔵品の羅列。それこそルランス王国だけでなくロマリア教国から蓁国、精霊が眠る国と呼ばれるユルザック王国まで。

 船や汽車を使っても一年以上かかるであろう情報収集を車椅子の青年が行っていた事実に、全くその情報を把握していなかった警察全員が口を開けたまま放心する。


「本物と断定できる美術品が闇取引市場に流され、本来飾られているであろう美術品は偽物……鑑定申請が跳ね除けられた時点で、嫌な予感がしてな。情報網フル活用してわかったんは、職員が関与しているちゅーことや」

「なんと!? それは大変ではないか!! 何故警察にそれを話さなかったんだ!?」

「怪盗で大騒ぎしてたからやん。この情報を集め終わったのは八月頭。予告状が届いたのとほぼ同時期。そこでやる気半減やったんやけど……ちょっと興味湧いてな」


 コージが情報を秘匿されていたことに対して大慌てになるが、怪盗騒ぎのせいで他の件に対して疎かにしていたのを思い出して口を噤む。

 警察が忙しいのは重々承知していたカナンだが、それでも助手であるバロックの旅行も重なって実はかなりへそを曲げていた。しかし調べている時に判明した妙な符合が気にかかったのである。


「ジューダス警部に渡してもらった資料には、怪盗がそれまで行った犯行……二年程度の内容を表にしてもらったんや。さすがは怪盗オルビット専門の警部直々の部下仕事やな。予想通りやん」

「見せてくださいな」


 興味が出たユーナはカナンが機械仕掛けの車椅子ギミックチェアの収納庫から取り出された資料を眺める。ついでにカナンはコージに膝掛けを広げてもらうように渡す。

 手錠をかけられたままのマルコ、そしてジューダスがユーナの背後から資料を覗き込み、カナンの膝掛けの刺繍と見比べる。ドバイカムも興味ない素振りをしつつも、横目で眺めた。

 すると闇取引市場で問題の商品が出品された約一か月以内に怪盗オルビットは犯行に及んでいる。まるで本物と偽物を確かめるように、問題と思われる美術館や博物館に侵入して盗みを行っていた。


「僕が情報を集め終わった八月頭にて闇取引市場に売られてたんや……ここで飾られているはずのラフィエルの絵画がな。その直後の予告状。偶然と処理するのはつまらんやろ?」

「ラフィエルの絵画って……展示品はわたくし達が直接見たじゃないですか! でも偽物と思えるような物も、展示が空いた場所もなかったじゃないですか!」


 ユーナは驚きで声を上げた。本物だと思っていた絵画を眺めて心癒やされた時間。アルト達と美術について語り合ったのだが、それに関して偽物の前で盛り上がっていたらと不安に襲われる。

 あの光溢れる絵画が偽物だとは思えなかった。特にラフィエルには特有の光の描き方があり、それが写実的ながらも美しさを同時に表現する技法として昇華されている。

 博物館で飾られている美術品は本物。その前提で絵を眺めていたことを思うと、偽物が混じっているとなると確かに大問題だと改めて事の重大さを知る。


「偽物かどうかは別として、展示が空いてなかった理由は簡単や。闇取引市場に流したのが職員ならば?」

「……展示を空けずに別の美術品で埋められますわね」


 怪盗が来る前に博物館の中で美術品鑑賞していたユーナ達でも気付かないように自然に。絵画には補修作業があり、日焼けや空気の接触で劣化した部分を直すことが当たり前だ。

 展示物は定期的に補修と公開を繰り返し、倉庫の内部には出番を待つ美術品も多い。中にはあまりにも痛みが酷いため、一年に一回展示するかどうかの美術品も保管されているほどだ。

 今のサウス・レンジントン博物館の目玉は宝石展。王家所蔵の宝石が特別公開されているということで、多くの目はそれを見ようと意図的に逸らされてしまう。


「次の問題。職員全てが横流しに関わっているわけやない。そんな最も身近で異変に気付く者達の視線を逸らすには?」

「まさか!?」

「そう、幽霊ファントムや」


 幽霊という単語を聞いたジューダスが十字架を握りしめて倒れそうになったところを、ドバイカムが後ろから背中を蹴り上げる。爪先を抉り込む妙技付きである。

 痛みで床をのたうち回る上司に対してマルコが心配する中、バンケットはいつまで遺体を抱えていればいいのだとカナンを睨む。もちろんアルトも同じ気持ちであった。


「まあジューダス警部の反応見る限り、幽霊はおっかないもんや。そんな中で一人、全く怖がらへん職員がおった。では問題。どうしてウィンダーさんは幽霊が怖くなかったんや」

「……幽霊の正体を知っていた、ですわね。いいえ、幽霊の正体だったと言うべきですか?」

「正解や。じゃあ次の問題。最初に鉄工芸品展示廊下でマルコ警官に頭を殴られたウィンダー職員。次に見つかったんは陶磁器展示廊下で首を鉄棒で一突きの状態。そして僕達が見た幽霊を繋げると、どうなると思う?」

「わたくし達が目撃した幽霊は、生きたウィンダーさんだった、ですわね。つまりウィンダーさんはマルコさんに殴られて死んだのではない。だから犯人ではない、ということですわ」


 手錠をかけられたままのマルコは目を丸くした。自分が殺害したと思っていた。だからこそウィンダーが死体となって見つかった時ぼやいたのだ。やはり自分が殺したのではないかと。

 その事実を認めるのが怖くて黙っていたことは探偵に見破られてしまった。しかし最初からカナンという青年は別の視点を持っていたのだ。それも予想していた内容よりも大きな事件に繋がるのを確信して。

 再度館長であるビリーに視線が集まる。しかし彼は賢者のように穏やかな笑みを浮かべていた。まるで自分が無罪と確信し、決して罪は被らないと信じている敬遠な宗教家のように。


「それで? いつになったら私が犯人だと繋がるのでしょうか? いつ、どこで、どうやって……そんなことよりも誰が殺したかでしょう? 基本に戻りましょう。既に犯人は自白した。自分が犯人だと」


 横目でマルコの顔を眺めるビリーの顔はやはり穏やかな老人そのものだ。しかしマルコにはそれがとても恐ろしく見えた。肉を食べる山羊が目の前にいる気分だ。

 カナンはゆったりとした姿勢で機械仕掛けの車椅子ギミックチェアの背もたれを揺らした。それくらいの反撃は彼にとって一切障害とならない。余裕さえ感じる姿である。

 ほぼ状況証拠しか揃っていない。圧倒的にカナンの推理には決定打がない。そのことを見通した上でビリーは挑発している。マルコ以外に犯人はいないと。


「いいや。マルコ警官はウィンダー職員を頭への一撃で殺すことはできなかった。そろそろ一番の肝にいこか。まあ、これが最も阿保らしくて……僕としては溜め息しか出てこないんやけど」


 盛大に息を吐いたカナンは少しだけ言葉に詰まる。一体どんな真実があるのかと注目が集まるのも若干うっとうしいと感じるほどの憂鬱。




「ウィンダー職員な、かつらなんや。しかも鉄製の」




 時が止まった。まさにそう表現するに相応しい沈黙。真実を突き止めた本人すら頭痛がするのか、指先でこめかみをほぐすほどである。

 遺体を支えていたアルトが片手で毛玉のような髪に軽い拳骨を振り下ろす。返ってくる確かな衝撃と手の痺れ、そしてわずかに響いた金属の反響音。

 兜のような丸い鉄製の帽子に植毛用の布地を貼り付け、少しでもばれないように毛を多くしたが故の髪型。あまりのことにドバイガムの体勢が珍しく斜めに傾いた。


「最初会った時から頭が揺れていたから気付いたんやけど、ほら鬘って現代では女性用の装飾品というイメージが強く、男性でも裁判のお偉いさんが着用する程度やろ? 相当隠したくて特注にでもしたんかな」

「カナンさんにばれている時点で秘密ではない気が……」


 妙に頭が揺れ動く男だとは感じていたが、まさかそんな変な装身具を身に着けていると思っていなかったユーナも脱力で崩れ落ちそうになった。

 鬘の歴史を辿れば王族まで行き着くが、クイーンズエイジ1881の現代では男性は好んで着用しようという習慣はない。女性もファッションとして使用するくらいだ。

 しかし需要は高く、お金に困った時は髪を売ればいいと貧民街の少年も長髪でいることが多い。ただし手入れされていない髪など二束三文程度の値段にしかならないが。


「けど……これ外れそうにないんすけど?」


 支える大半をアルトに任せたバンケットが、鉄製の鬘を確かめようと毛束を掴んで引っ張るが、どうにも頭皮が破けそうな感触が返って来て顔をしかめる。

 下手に遺体を損傷してしまえば、体に残っている残留品や証拠が消えてしまう可能性が出てくる。無理はできないと力の込め方を変えるが、どうやっても抜けそうにない。


「せやろな。なんせ……それがすぐにばれるのが真犯人にとって一番怖いんやからな」

「っ、そうか!! マルコが殴ったのは頭! マルコに罪を被せたいのならば、その一撃で死んだという結果にしなければならないのか!」


 ジューダスの言葉にカナンは曖昧に頷く。しかし穏やかな様子のままビリーが反論するために一歩前に出てくる。少しでもカナンに威圧をかけようという毅然とした態度。


「誤って首に一撃を入れて、それで死んだということは?」

「さっきマルコ警官が使ったと証明した鉄工芸品と、首筋の鉄棒は一致せえへん」

「では取れない仕組みとは? にかわうるし、水ガラス、天然ゴム、ありとあらゆる接着方法を選んだとしても、乾かすのに時間がかかるでしょう?」

「そやな。けど別に犯人が仕掛けたわけやない。もう一人……ばれるのが怖かった人がおるやろ?」


 カナンの視線はいまだ抱えられたままのウィンダーの遺体に向かう。嫌な予感がしたアルトは顔をしかめるが、バンケットはなんとか鬘を剥がせないか試行錯誤する。

 しかしどうにも揺れているような、変にずれては元の位置に戻る不自然な強制力、さらには動かせば動かすほど髪の毛の底から立ち上るような異臭に鼻を摘まみたくなるほどだ。


「ヘアネット言うて、髪の毛を利用した網を土台に薄くなった地毛と皮膚を保護。その上に鉄製の鬘を被ったんは重みで少しでもズレるのを防ぐため。兜代わりやな」

「……あの、なんか察知できたというか……例えばですよ、ヘアネットに地毛を絡める。その際に磁石を接着剤と共にヘアネットに固定。上に鉄製の鬘を被せたとか……」

「おお!! ユーナん大正解や!! 異臭は膠の独特な臭いと、少しでも鬘を外さないために数日間は地毛を洗っていない弊害やな。徹夜続きだったろうしな」

「こ、こんなくだらない真実に気づきたくありませんでしたわ!! 酷い!! 今までの中でもかなり酷い部類ですわよ、これ!!」


 ユーナが絶叫する最中、アルトはウィンダーの遺体から手を離す。そして自分の手を眺めて今すぐ消毒したい衝動に駆られるが、残念ながら推理劇はまだ終わっていない。

 ただでさえ数日体を洗っていない中年男性の脂が臭い立つ遺体を触っていただけでなく、その頭のあまりにも阿保らしい衝撃の事実。アルトは頭を抱えたくても、今の手では自分の体に触れるのは嫌な流れであった。

 地毛を絡ませることでヘアネットが外れるのを防いでいたのを理解したバンケットは、そこからさらに磁石と接着剤を使っての固定というウィンダーという男の執念に恐れ入った。


「もちろんそれも遺体見分するために警察署に運ばな立証はあかんけど、重要なのはウィンダー職員を殺した真犯人は首筋に棒を突き立てたのにも意味があるんよ」

「……どういうことですの?」

「後ろから襲う時に体の弱点を狙うとしたらどこやと思う?」

「そうですわね……心臓の位置が掴みにくいですし、背骨などに邪魔されるので……頭か首、ウィンダーさんならばさらに限定されますわね」


 納得したようにユーナが少しだけ落ち着きを取り戻す。そして改めてウィンダーの体を眺める。男性としては小さく、ユーナ程度の大きさとなれば多くの男性は視線が下に移行する。

 人間の骨格として背後には脊髄がある。その太さと頑丈さはまさに身体の要。それを越えて心臓を刺すには鋭利に尖った長い刃物ならばまだしも、そこら辺の鉄製品で体を貫くならば明らかに致命傷は与えられない。

 特にビリーは穏やかな細身の老人で、ユーナも少し顔を上げないといけない身長だ。どう見ても背骨を貫通できるような腕力もなく、ウィンダーを背後から刺殺するしても背中は見え辛い位置にある。


 となると残されたのは頭か首。そしてマルコに罪を被せるならば頭を殴打するのが最適解だが、ウィンダーにはそれが通じない。

 何故ならば鉄製の鬘を被っており、そのことで一命を取り留めている。となると残されたのは首筋である。特に脊髄が通っておらず喉仏にも邪魔されない横の首筋。

 そこならば他の箇所よりも容易で、ビリーのような老人でも殺すのは可能だ。同時に喉を潰して悲鳴を阻止できる。


「多分ビリー館長はウィンダー職員の鬘について教えられた、もしくは事前に知っていたはずや。膠は備品を使えば無料やけど、不自然に数が大きく減っていたら館長に報告されるやろ」

「だけど何故それを理由に解雇されなかったのですか? 備品の私物化は犯罪ですもの。しかも明らかにくだらない理由。雇う意味がありません」

「そこからさらに推測すると、ウィンダー職員は共犯者に仕立て上げられたんや。美術品の横流しにな」

「……状況からよくぞそこまで適当な妄想を吐けたものですね。私立探偵と聞いて呆れます」


 深々と溜め息を吐いたビリーは相手にしていられない、とそっぽを向いた。証拠がない状況ではカナンの推理は全て想像領域の戯言扱いにしかならない。

 これにはコージやドバイカムも旗色の悪さを感じ取る。しかしカナンは笑顔のまま機械仕掛けの車椅子ギミックチェアの背もたれを小さく揺らす。錆びた金属特有の軋みが響いた。


「ほんじゃあ次は幽霊証明にいこか」

「馬鹿らしい!! こんなのを警察は相手にするんですか!? こんな推理を聞くくらいならば、怪盗を……」

「怪盗ならばここにおるよ。心配あらへん」


 激昂したビリーの言葉を遮ったカナン。その意味を全員が悟ると同時に、大きな緊張が走る。怪盗オルビットは変装の達人。子供から老人、屈強な男や美しい淑女にまで化けられる。

 先程怪盗を追いかけて外に出ていた警察隊が戻ってきた際に紛れ込むことなど容易い。警官達は隣にいる者をお互いに疑う。本物か偽物か、それを確かめる方法をルランス王国の警察は知っている。

 相手の頬を抓り始めたルランス王国の警察に見習って、ドバイカムもコージの頬を摘まんだ。ビリーやユーナも頬を引っ張られてしまい、皮膚が赤くなるほどの痛みを味わう羽目に。


「あ、怪盗の変装ってやっぱりそういう仕組みなん。あの不思議武器の糸で表面皮膚を再現してる分、かなり脆いんか」

「そこまでわかっているのか!? いや、前に冗談で部下の頬を抓ったらその下から奴の顔が現れたことを由来にしているだけなんだが……」


 ジューダスの偶然から見つけた発見を実践しているだけという内容に、バンケットに頬を摘まみ上げられたアルトは小声で愚痴る。バンケットは自分自身で頬に触れていた。

 しかしそれでも怪盗オルビットは誰だか判明しない。ユーナは試しにカナンの頬を掴むが、柔らかい皮膚の感触が返ってくるだけだ。マルコも自分で頬を伸ばすが、やはり皮膚が赤くなるだけ。


「誤魔化しましたね!? この大嘘つき!!」

「酷いなあ。今の発言は嘘ではないんやけど、僕が探偵大嘘つきというのは当たっているで。けどなんでビリー館長そんなに焦っているんや?」

「貴方が適当な発言を繰り返して私を犯人に仕立てようとしているからでしょう! 堪忍袋の緒も限界ってものがあるんです!!」


 今にも掴みかかりそうな勢いで怒るビリーに、ユーナも違和感を覚える。確かに容疑をかけられるのは嫌なことだが、無罪である証拠やアリバイを突きつければいいはずだ。

 それこそが最もカナンを沈黙させる方法であり、堅実で一番効果がある。理知的な外見からは想像できない感情の爆発は、ビリーという男に不審を与える。


「それじゃあ幽霊証明させてくれたら黙るんで、それで勘弁してくれへん?」

「駄目です!! 今すぐこの博物館から出て行ってください!! 貴方がそんな人だと思いませんでした!!」

「……待ってください、ビリー館長。カナンの発言に確実な証拠がないのは失礼だったかもしれません。しかし幽霊騒ぎが解決できるならば、今後の博物館運営において有益だとは思いませんか?」

「うっ、ぐぅ……それは……でも……」


 コージが真剣な顔で諭してきたことに対し、ビリーは煮え切らない態度のまま唸る。博物館の幽霊のせいで職員達が不定期な休みを入れているのは事実だ。

 そこに夜勤をこなしていたウィンダーが死んだ事実により、今後の営業や美術品の管理に夜の見回りに弊害が出るのは必須である。それら全てを解消するには、幽霊の事件を解き明かすのが最良だ。

 幽霊の正体と対処法さえわかれば、危険がないとだけでも判明すれば職員達も怯えなくなる。館長としては職員達の業務環境改善は最優先事項のはず。


「……私からも頼みます。怪盗について調査したくても、幽霊という単語だけで倒れる警部がいるもので」


 皮肉交じりにお願いしてくるドバイカムに対し、ジューダスは少し照れながらも頭を下げてくる。三人の警部職に頼まれては、ビリーも否定することは難しくなった。

 これ以上の否定は心証を悪くしてしまう。ただでさえ不快な気分を味わっているビリーだが、それでも警察の目の前でこれ以上の抵抗は無意味だと悟る理性は残っている。


「わ、わかりました……けど! それさえ終わればすぐにこの大嘘つきを博物館からたたき出してください!!」


 ビリーの発言に一切抵抗せずにカナンは笑みを浮かべた。今までの中で一番の鋭い笑みを。彼の笑顔が持つ意味を知っているユーナはビリーに同情した。






 カナンは廊下にあった二つの手押し車を用意させた。その上には暗幕で隠された絵画らしき物。垂れ下がっていた暗幕をビリーの許しも得ずにカナンは剥ぎ取る。

 すると下にあったのは大きな硝子板。透明で向こう側も透けて見える物で、鏡ではない。制止の声が間に合わなかったビリーの手が伸ばされたまま動きを止めた。


「幽霊出現トリックは劇場でも行われている、ペッパーズ・ゴーストや。昼にユーナんが窓硝子見て幽霊の正体はこれじゃないか言うたやろ? アレが正解やねん」


 そしてカナンは続けて室内を暗くするように指示し、警官は素直に従って室内の蝋燭灯りを全部消した。その上で窓にも暗幕をかける。

 ほぼ暗闇となった部屋の中、機械仕掛けの車椅子ギミックチェアに隠していた蒸気灯で自分の顔を照らしたカナン。青白い明かりを使ったため、不気味な浮かび方をしている。

 そして明かりで照らされた部分だけが硝子板に反射し、まるで幽霊のように白く浮かび上がったカナンの姿が映る。さらに二枚の硝子板を斜めに配置し、角度を変えることで立体性を持つ。


「実はこの方法で登場したのが怪盗オルビットや。中庭の宝石砂時計ジュエルサンド・クロックは正八面体。丁度いい角度やったし、投射するにも都合が良かったはずや」


 今度はユーナに頼んで明かりを点けるように指示したカナン。青魔法によって一瞬で部屋の中の蝋燭全てに小さな灯が点る。しかし硝子板に映った幽霊に耐えたジューダスは、そこで悪魔の仕業と勘違いして倒れそうになる。

 失礼な警部に対して蹴りを入れようとしたユーナの目の前で、ドバイカムがジューダスの尻を蹴飛ばした。痛みで床に突っ伏すジューダスをマルコは心配する。

 完成されつつある流れを見ながら、ユーナは視線をビリーへと移す。その顔は青ざめていた。しかし仕組みがいまいちわからないユーナは説明をカナンに求めた。


 簡単に言えば光の透過と反射の問題である。暗い室内を窓硝子越しに覗き込む時、硝子の上に自分の顔がぼんやりと浮かぶ。これは自分の顔がはね除けた光が窓硝子に映り込む結果となる。

 それを利用して硝子板を二枚使用すれば劇の舞台下で光に照らされた役者による光の反射を、角度を付けた一枚の硝子が反射する。すると舞台上に角度付きで設置された硝子にさらに反射。

 観客はその硝子に映った役者が本物の幽霊のように見えるのだ。何故幽霊のように一部分しか投影されないかは、照らされた部分しか反射できず、また全てを映すことはできない。結果、幽霊のように透けた象しか浮かばないのである。


「家でも遊べるお手軽立体映像作りや。条件は暗い部屋に角度調整できる硝子板数枚、あ、一枚でも可能やけど複数あるとさらなる仕掛けが」

「ちょっと待ってください。怪盗オルビットも同じ手段って……じゃあわたくし達が見たあれは虚像だったんですの!?」

「そや。庭で拾った硝子と色付き透明紙セロファン。これで人形を作って、霧に紛れて光を人形に投射し、正八面体の角度を利用して四方向からなる立体映像を作り上げたんや。ホログラムとは違うんで、そこは要注意な」


 カナンの説明に頭が痛くなりそうなユーナだったが、中庭でカナンが拾っていたのはそれを証明するための証拠品の欠片だったのだ。ユーナが魔法で戻せなかったのは、あれは条件から外れた使い捨てだからだ。

 最初から濃厚な霧に紛れて姿を隠した怪盗オルビットは、そのまま宝石砂時計ジュエルサンド・クロックの台座上に乗って、台座下に硝子人形を四つ固定する。もちろん光を当てる角度は調整済み。そして時間になったら光を投射。

 するとまるで宝石砂時計ジュエルサンド・クロックの中に現れたような怪盗オルビットに全員が驚く。ただし人形なので動くことはないが、台座上で霧に姿を隠していた怪盗オルビットが声を出せばまさに喋っているような錯覚を味わうだろう。


「……じゃああの霧もまさか……でもどうやって!? あれを魔法で用意するとしても、意味がないですわよね!?」

「魔法は一部使ったと思うけど、霧の発生は化学やな。ドライアイスを使用したんや」

「ドラ……え? なんですの、それ?」

「二酸化炭素を凍らして固体に形成したもんや。ちなみに気体として身近な例を挙げるならば、僕らが吐く呼吸に含まれているんよ」


 聞き慣れない単語とカナンの説明に、大多数警官が自分の呼吸を確かめようとする。しかし生温かさを感じるだけで、目には見えない。

 気体に種類があることを初めて知る者も多く、大きくざわめく。仕方ないのでカナンが簡単に人は酸素を吸い込み、二酸化炭素を吐き出す機能が備わっているのだと説明した。

 それでも実感が湧かない者が大半なため、詳しくは専門家に聞いて勉強すると良いと助言だけしておく。どうやら指紋認識による科学捜査の道は遠いようだ。


「このドライアイスに水をかけると、水蒸気が発生するんや。仕組みとしては温度差でな……今見せたるわ」

「へ?」

「ふっふっふ。実は今回の機械仕掛けの車椅子ギミックチェアに、ドライアイスによる蒸気発生からのピストン構造を一部取り入れていてな。少量やけどあるんよ」

「なんか会うたびに改造されていきますわね……その車椅子。マグナスさんも好奇心が疼いたのでしょうね、全く」


 普段使いの足代わりを別方向で便利にしていく青年二人の奇行にユーナは言葉を失くす。もう少し車椅子としての利便性を高めてほしいところだ。

 そんなことも察知しながら無視するカナンは意気揚々と左肘掛けの操作盤に文字を打ち込み、白い塊が入ったブリキボトルを取り出す。素手で触れると低温火傷するので、分厚い手袋を装着して用心する。

 ボトルから慎重に出した白の塊は傍から見ても既に冷気とわずかな白色の靄を浮かべており、カナンはそこに操作盤によって仕掛けを外した蒸気生成用の小型貯水瓶の中身をかける。ただし中身は水というよりは温水。


 まるで爆発するように真っ白な蒸気が広がる。わずかに感じた肌の冷気をユーナは覚えていた。確かに怪盗オルビットが魔法の風で吹き払った霧と同じ冷え方。

 ただし温水をかけたせいで温度差に耐え切れなかったドライアイスの破片が一部飛び散り、運悪く素肌に当たったコージの悲鳴が響いた。カナンはお湯で剥離するよう勧める。

 下手にそのまま剥がそうと試みると皮膚ごと剥がれる危険性が高いのだ。まるで癒着したようにドライアイスは皮膚と接着してしまい、そこから肌を低温にしてしまう。


「これがあの不自然な霧の正体や。ちなみにアルトんが美味そうに食べてたあの冷凍乳菓子アイスクリームな……あれを売ってた店がおそらく怪盗オルビットの仕掛けの一つや。助手の人が販売してたんとちゃうかな」

「はあっ!? あ、まさかあの滑らかさと冷え方の正体はこのドライアイスのせいか!? てことはあそこでせこくも霧の用意をしていたのかよ!?」

「そや。ただしあれだけの量を作るには時間がかかるから、恐らく屋根の上に貯めてたんやろ。魔法の風による空気袋でそこに保存できるんと思うしな」

「……青魔法なら可能ですわ。確かに屋根の上には注意できませんでしたもの。隠すには丁度いいですし、ついでに小銭を稼いだと……」


 博物館内には屋根まで届く梯子は少ない。また屋根は高く、それを見下ろせる建物も限られている。怪盗オルビットが来ると聞いて、屋根に注目する者はいない。

 多くは塀か扉、そこに視線を集める。外には多くの野次馬が集まっていたが、その誰もが屋根には注意しなかった。警察も対応に追われ、屋根を見る暇などない。

 青魔法は法則を重視することで長期的な継続を見込むのが可能だ。ユーナが派手な魔法を使うせいで影は薄いが、繊細な魔法やそういった使い方も自由にできる。


「で、話を戻すとな……確か暗幕がかけられた絵画を見るには館長の許可が必要やな? その暗幕の下に幽霊を作る硝子板があった……どう言い訳するんや?」

「ち、違う……私はそんなの知らない!! 大体、それはもしかしたらウィンダーさんが用意した、そうだ! ウィンダーさんの仕掛けだ!!」

「もちろんウィンダーさんもこの仕掛け人の一部や。では別方面から行くとな……なんでビリーさんは気付かなかったんや?」

「なんのことだ!? なにがおかしい!? なにを笑っているんだ!?」


 笑顔で問いかけてくるカナンに、ビリーは恐怖で顔を引きつらせる。先程までの強気と怒りが嘘のように吹き払われていた。




「和国と蓁国展示室に大型の絵画はなかった。多くが掛け軸や水墨画に巻物……なんでそんな大きい絵画が乗った手押し車が部屋の前にあることに疑問を持たなかったんや?」




 展示物を変えるのは普通だ。準備に追われていて廊下に安置しているのは不注意だが、不問にしてもいい。しかし明らかに必要のない場所まで不要な物を置いているのは問題だ。

 カナンは博物館のあらゆる場所でこの手押し車を目撃している。それこそ陶磁器展示廊下や鉄工芸品廊下まで。絵画を飾らない場所まで暗幕で隠された絵画があるのはおかしい。

 保管室が足りないという理由は通らない。ならば別の理由で放置されているとしか思えない。そして絵画を適当に扱うのは博物館の長として失格。つまり絵画以外の仕掛けがあるはず。


「博物館の独自規則を聞いてからもしやとはおもっていたんやけど、あそこで僕達に幽霊見せたんは失敗やったな。明らかに不要な手押し車と大型絵画の存在は不自然そのものや」

「い、いやあそこは廊下で……人手が足りずに……」

「あそこはそんなに大きな廊下やあらへん。怪盗で警官が動き回っているっちゅーのに邪魔すぎるん。つまり意図して置かなければあかん」

「音の正体は!? 幽霊が現れる時に聞こえる謎の不快音の正体は説明できるはずがない!!」


 ビリーの反論にカナンは罠にかかった獲物を見る狩人の笑みを浮かべた。ユーナは哀れみの視線をビリーに向ける。


「黒板や。博物館独自規則の一つ、メモ用の黒板を燭台などの尖った物で引っ掻くだけで出るんや。こんな風にな」


 そしてカナンは隠し持っていた黒板に対し、躊躇なく爪で引っ掻いた。軽く触れただけで鳥肌が立つ音に、その場にいた全員は耳を反射的に塞いだ。

 わざと音を出すならば先に言って欲しかったと、ドバイカムやユーナはカナンを強く睨む。ただし嫌な音を発生させた張本人であるカナンも鳥肌を立てて、困った笑みを浮かべている。


「ちなみにこの博物館では蒸気灯が使えないのも、黒板から音を出す道具として、そして最適な暗闇を作るのに燭台を利用する流れを仕組むためやん」

「証拠……は……」

「ウィンダー職員の黒板の裏側隠している布地。何度も剥がしたせいか、よれているやろ? そこに何度も引っ掻いた痕があるはずや……そして」


 ジューダスが慌てて回収した遺体の持ち物の中から黒板を探している間に、カナンは人差し指でビリーがずっと胸で大事に抱えていた黒板を指差す。

 黒板に張り付けられていた保護用の布を取り外せば、そこには何度も使用したであろう引っ掻き傷。ウィンダーが幽霊騒ぎに加担していた証拠の一つとして姿を変える。


「アンタの黒板には真新しい深い傷があるはずや。あの時、ウィンダー職員は目の前で硝子板と自分の姿を暗幕に隠さなあかんかった。つまり音を出すことはできなかった……けど共犯者が隣の部屋にいた」

「違う!! 違います!! 私じゃない!! この大嘘つき! 適当な嘘をでっちあげて……」

「せやったらアンタの黒板の裏側を見せんか!! 自分の無実は証拠で示す!! 僕が間違ってんなら、その黒板に傷はあらへん!!」


 ビリーが懐に隠す前に、ドバイカムが素早く黒板を手にする。そして手荒くも布地を剥がし、見せつけるように高く掲げる。そこには確かに新しくも深い傷が刻まれていた。


「これは……別の時に、その……」

「ちなみにウィンダー職員がいた和国展示室には黒板が削れた痕跡はなかったんや。血の跡もな。その証拠も採取してあるんや」

「ではウィンダーさんがいた証拠もないはずです!!」

「いいや。硝子板の角度から、ウィンダー職員が幽霊として現れるには和国展示室やし、蓁国展示室にはアンタが入ってやろ? どっちにしろアンタが協力したのは間違いない」


 和国展示室の床でカナンが集めた証拠は、黒板が削れた際に落ちた木片や石灰の痕がない、という物だ。無が逆に証拠有りを示す。

 ジューダスはここでようやく和国展示室の前に現れた幽霊がウィンダーだと気付く。半透明になってしまえば顔の判別は難しい。


「ついでに言うと、ウィンダー職員が自分の顔を照らすに使ったんは和国のエレキテルを利用した絡繰りや。蝋燭の灯りやと違和感が出るからな。大きい音だして皆の意識が逸れた際に絡繰りを止め、暗幕を硝子板にかけてその裏側に隠れたんや。そして僕らがビリー館長と話している間に逃げて姿を隠したんや」


 アルトは和国展示室で見た美術品を思い出し、カナンが甘いと言った理由に気付く。あそこで絡繰りが使われたのを突き止められなかったということに、若干の悔しさを感じる。

 幽霊が現れた直後に和国展示室を調べたのはウィンダーの生死、幽霊の顔を照らした仕組み、不快な音が出た場所、多くの情報を集めていたのだ。ユーナはカナンの推理力に驚嘆した。


「あれだけの大きな音やと、耳塞いで顔を俯かせてしまうんは仕方あらへんけど……まさか全員が目撃していなかった事実に、僕もやばいと思ったわあ」

「わかりました……幽霊騒ぎ、その件については認めましょう……しかしウィンダーさんはどこで殺されたんですか!? そしてどうやって運んだんです!?」

「殺害場所は館長の部屋。なにせそこには館長の弱みが詰まっているやろうし、美術品横流しの証拠もバッチリや。小切手もあるやろ? 金奪ってとんずらには最適や」

「まさか……貴方……本当に全てを……」


 ビリーの問いに答えるようにカナンは笑みを浮かべたまま、からかうように言葉を並べていく。


「僕の妄想やけど、多分ウィンダー職員はマルコ警官に殴られたのを機に死んだことにして、国外に高飛びしようと目論んだんやろ? 美術品の横流しに協力して金稼いだし、あまり深入りすると怖い目に遭うと思ってな」

「うぁ……あ……」

「そんで幽霊騒ぎ起こして、捜査を攪乱。あとは共犯者のビリー館長脅して定期的に金を奪い取れば遊んで暮らせるはずやった……アンタに殺されるまでは」

「ち、が……あ、や、やつが……」

「ウィンダー職員を死なせたアンタは、手押し車で死体を陶磁器展示廊下に運んだんや。なにせ……マルコ警官に殴られた場所を知る前に息の根を止めてしもうたからな。焦ってたんやろ」


 車輪が回る。それは一歩ずつ足で踏みしめるように、カナンがビリー館長に車椅子で近付いているからだ。危険を感じたユーナは近寄ろうとしたが、カナンに手だけで制止される。


「あとは簡単。マルコ警官に罪を被せ、それが駄目なら幽霊に罪を被せる。証拠はきっと館長室に残っているやろ? 手押し車の車輪跡が絨毯に、凶器に使われて壊れた美術品、そんでウィンダー職員の血の跡が」

「な、い……だから、見るな! あそこは私の部屋だっ! 私が長年築き上げた……この地位は、私の……大事な……」

「怪盗騒ぎのせいで博物館の外には出れない、証拠も捨てられない、そして大量の警官達。まあ時間はかかるやろけど、これだけ大勢いるんや……証拠集めは楽勝やな」


 アイリッシュ連合王国の警官だけでなく、ルランス王国の警察まで。その数は優に百を超えている。そして背後にも、横にも、彼らがビリーへ視線を向けている。

 怪盗による大騒ぎと突発的な状況で窮地に追い込まれたビリーの目が血走る。その目で車椅子に座っているカナンを見下ろし、服に隠していたウィンダーを殺すために使った凶器を振りかざした。

 それが真っ直ぐカナンの頭上へと振り下ろされていく。最後の足掻きに忌まわしい私立探偵を殺そうとしたビリーの顔面に靴底が埋め込まれた。それは警官の靴だった。


「ジューダス警部、確保ぉっお!?」

「カナンさんになにしやがりますのよ、外見老人でも容赦はしませんわよ!!」

「二百歳越えの姫さんが言うと説得力あんな! というわけで俺様も一発!」


 ビリーの顔面に靴底を埋めたバンケットに続くように、ユーナとアルトがか弱い骨構造の老人に追撃の跳び蹴りを行う。呆気なく警官をなぎ倒しながら口から泡を吹くビリー。

 その哀れな老人の呼吸を確認して、少しでも生存できるように手錠をかけながらも心肺蘇生を試みるコージ。そしてドバイカムはアルトとユーナの頭上それぞれに重い拳骨を食らわせた。

 深く呼吸を吐いたカナンは一安心したように肩から力を抜く。ほぼ状況証拠だけでビリーを追い詰めなくてはいけなかったため、かなりの緊張を強いられていたのである。


「馬鹿魔導士とその愉快な仲間!! 我々の仕事を増やすな!! そしてカナン・ボイルも危ないことはするな!!」

「けどおかげで僕への殺人未遂としてとりあえず法廷に立たせられるやろ? じゃんじゃん証拠出るし、手柄にできるんから勘弁してえな」

「許さん!! 大体、もう少し証拠を集められなかったのか!? お前なら可能だろうがっ!!」

「ががーん!! 信頼されているようで、今回の僕の調査不足をざっくり刺してくるん……うう、怪盗騒ぎの中で頑張ったのに……バンケット警官、慰めてくれへん!?」


 ショックを受けたのを表すように器用に車椅子を動かし、バンケットに近寄ってすすり泣くふりをするカナン。それに嫌そうに付き合うバンケットは、変な音が耳に届く。

 まるで蛇の呼吸音に似た、どこか掠れた音。そして手首の違和感。バンケットは自分の服を掴んで嘘泣きをするカナンの頭を見下ろす。正確には、彼が触れているのは両腕の袖だ。

 手首に巻かれた太めの縄に気付いたバンケットは、ジューダスに視線を向ける。しかしマルコの手錠を外していたジューダスや他の警官も驚いており、視線がカナンに集まる。




「怪盗オルビット……ちょっと人物調査が甘いんとちゃう?」




 笑顔で見上げてくるカナンに、バンケットは後退ろうとした。しかし手首に巻かれた縄のせいで離れることができない。


「な、なに言ってるんすか? というか助けた命の恩人をいきなり縛るとか、ダメでしょ!? 大体俺が怪盗の根拠は!?」

「ウィンダー職員の遺体を見た時、十字切ったやろ? あれは基本的にクロリック天主聖教会の信徒が行う動作や」


 ドバイカムに怒られていたアルトとユーナは、途切れた説教をいいことに記憶を掘り起こす。確かにウィンダーの遺体を前に、多くの者が色々な動作をした。

 しかしそこからどうしてバンケットが怪盗オルビットの正体に届くかわからず、カナンの続きの言葉を待つ。


「マルコ警官が言うてたやろ? バンケット警官はジューダス警部と同じ宗派になったと。それやったらテオレスタント。もちろん十字を切るテオレスタントもおるけど、ジューダス警部やマルコ警官は十字架や聖書を持ってたやろ? それを使わん辺りで気付いとったよ」

「そ、それだけじゃあ俺が怪盗だなんて決めつけれられるはずが」

「ちなみにクロリックは神父やけど、テオレスタントは牧師や。さらにテオレスタントは簡略化が好きでな、あまり実像崇拝もないんや。せやからジューダス警部が結婚式を挙げた場合、素朴な内装の教会で簡素な十字架、牧師の前で愛を誓うたはずや。天主の御子や聖マリアン象もあらへんのに、僕の誘導にまんまと引っ掛かった時点でアンタはクロリック天主聖教会の影響が強い場所で育ったということや」


 捲し立てるカナンの推理にとうとうバンケットから言葉が消えた。適当な世間話と思っていた問いが、最初から疑いを炙りだすための罠だったのだ。

 つまりほぼ最初から気付いていた。入れ替わりのタイミングは幽霊を見た直後、ウィンダーを探す目的で全員が散らばった時だ。怪盗オルビットが塀から逃げて戻ってくる時間を考えれば丁度いい。

 他にも顔を踏まれて背中を打ち付けたバンケットが、途中から腰を擦っていたのも、そこをユーナに勢いよく蹴られたせいで白魔法が間に合っていないとカナンは見抜いていた。


「ちなみに怪盗オルビットは言葉遣いにロマリア教国の言語を多く使ってたんは、最初の挨拶がCiaoという時点でお察しやな。で、ロマリア教国はクロリックの総本山。つまり……怪盗オルビットはロマリア教国育ちで間違いない。バンケット警官がルランス王国のテオレスタントであることから、今の状態とは大きく違う。どや? 当たってるやろ?」


 悪戯小僧がネタ明かしするような笑みを浮かべたカナンに対し、バンケットは盛大に溜め息をついた。そして両手を縛られたまま、指先で顔を剥がす。

 長い赤茶の髪の毛が腰の下まで伸びていき、夕焼け色の瞳が苦い感情を含んでいた。しかしカナンに負けないように青年は歯を見せる笑い方をしている。


「まじかよ。大当たりだぜ、ったく。ジューダス警部なんか、もっと雑な方法でもばれないのになー」

「か、かか、怪盗オルビット!? バンケットは、私の部下はどうした!?」

「一階のトイレ個室でぐっすりと。ちなみに女子トイレな。警官は多くても、女性警官はいないからな」


 怪盗オルビットの言葉を信じ、ジューダスはすぐにバンケットを探してくるように部下達に指示する。その間に手首の縄を解こうとするオルビットは、縛り方に眉をひそめた。

 抜け出そうと手首を動かせば逆にきつく締められていく結び方。さらには切らないと太刀打ちできない結び方も併用されている。一体どこでこんな縛りの知識を入れたのかと鼻で笑いたかったが、縛られているのは自分なので微妙に笑えない。


「構造理解できても、こういった単純な仕組みは弱いんと思ったんや。いやあ、正解みたいで安心したわ」

「……俺、お前と相性悪そうだわ。ジューダス警部みたいなのは良いんだけどなあ」

「あーわかるわぁ。バンケット警官に化けてる時もべた褒めやったもんな。あれ、本心やろ?」


 カナンの余計な一言にオルビットは一気に顔を赤くした。そして車椅子に座ったままにこやかに笑う探偵に対し、舌打ちを一つ。

 化けた本人に成りきって吐き出していた言葉さえも、こうやって見透かされる。探偵という職業ほど厄介な物はないと肩を落とした。


「よし、そのまま確保しておけよ探偵! 姫さん、アイツ捕まえて監獄送りにするぞ!!」

「野蛮猿が珍しくやる気出してますし、貴方に恨みはありませんが覚悟しなさい!」

「うおっ、やべ……なーんてな」


 飛びかかってきたアルトとユーナを見上げていたオルビットの背中から、服を突き破って現れた二つの短剣が杖刀のように自在に動いて手首の縄を断ち切る。

 自ら動く機能があったのを知らなかったカナンは驚きつつも納得する。杖刀と似ている武器ならば、それくらいは可能だろうと、むしろ思考がそこまで行き着かなかったのを後悔した。

 そして狭い室内で跳躍したせいで、勢いはないが止まることもできない二人に押し潰される形で、カナンは機械仕掛けの車椅子ギミックチェアと共に床に倒れた。


Mi scusi悪いな、俺にも目的があるんでな。ここで捕まるわけにはいかないんだ」

「待ちなさい!! 逃がしませんわよ!!」


 着用していた変装用の急造制服を脱ぎ捨てた怪盗オルビットは、いつもの緑色の奇怪な服に赤いマントの姿となる。ベレー帽にはもちろん赤銅の天道虫飾り。

 警官達を踏んで廊下から窓へと逃げていく怪盗オルビットを、ユーナは猪のように人波を掻き分けて進んでいく。アルトは車椅子を起こしながらカナンの足の具合を確認していた。

 ジューダスを始めとしたコージやドバイカムも追いかけようと試みたが、警官の多さが仇となって人の雪崩に潰される。中庭に飛び出たオルビットは無事に辿り着いたのがユーナだけだと視認し、高らかに宣言する。


「改めて名乗ろう! 俺の名前はグランシャリオ・クラウン!! 世間の通り名は怪盗オルビット!! 盗みの手口は華麗に鮮やか、そして一切手は抜かない! けど本名は秘密にしてくれよ!」

「ふ、ふふふ……いいでしょう! ならばわたくしの名前も差し上げますわ! 紫水晶宮の魔導士ユーナ・ヴィオレッド!! 魔法を学び、美学に従う! それでは――ゆらゆらとゆらり」

「ん? 紫水晶宮……ってまさか!!??」


 聞こえてきた二つ名の正体を思い出すと同時に、中庭の芝を捲り上げて黒鋼の鱗を纏う破滅竜が姿を現す。もちろん宝石砂時計ジュエルサンド・クロックは宙高く舞い上がった。

 濁った黄色の宝石のような瞳、皮と骨で作り上げたような薄い翼、しかし一番は巨大な顎と岩山さえも突き刺せるであろう白い牙。その隙間から零れ出る黒靄は夏の暑さも構わずに広がっていく。

 そして歯が打ち鳴らされると同時に、火花が靄を伝って大きな赤い炎を熾した。無数の火蜥蜴が夜中の博物館を鮮やかに照らし出し、幽霊すらも燃やし尽くしかねない勢いで増殖する。


「破滅竜が……従ってる? あ、は、はは……あはははははは!! そうか、契約は生きてたんだ!! だから今はお前の守護竜に変化したのか!!」

「また訳わからないことを……まあいいでしょう。貴方がわたくしとどんな因縁があるかは知りませんが、わたくし達は今日初めて出会った。よろしくて?」

「……そうだな。今生は怪盗と魔導士!! いがみ合う理由もないが、仲良くする義理もない! ならば俺も本気を出すぜ!!」


 腰の革ベルトから杖刀の固定を外したユーナを見て、オルビットは口元を吊り上げる。そして両手で二つの短剣をそれぞれ構えた。

 二つの短剣の柄を合わせ、一つの弓を作り上げる。赤い糸が弦となり、弓矢にも変化していく。剣弓を携えた怪盗オルビットも迫る火蜥蜴に対抗するように呪文を出す。




「――SpettacoloShow devemust andarego avantion!! 運命の幕は上がった、辿る軌跡は我が奇跡、星々を繋げて世界を巡るが如く、華やかな旅路に鮮やかな赤を添えて、風の音に合わせて軽やかに駆け上がろう、汝に祝福あれ!!――さあさ、おでましだ!!」




 白鋼の鱗、赤い鬣、本来角である部位には緑色の四つ葉が覆われている。四つ足の竜だが、その体は細身と言ってもいい。長い尻尾を土壌として様々な花が咲き誇っている。背中の翼は透明な星の羽根と賞賛するべきだ。

 そして静かな泉を閉じ込めて星の輝きを取り入れたような薄い水色の瞳。その体を守るように旋風が巻き起こっている。戦う必要がないからか、爪は美しく洗練された姿で、牙なども口からはみ出ていない。

 女性的な竜。花畑の守護者と言われても納得できただろう。しかしその大きさは体半分を地面に埋めた破滅竜に匹敵し、夏の夜空の下で強い輝きを放つ。


「花形女優の登場にどうぞ拍手を!! 滅多に呼び出さない俺の奥の手だ!」

「……美しい竜ですわね。でも破滅竜は負けませんわよ!」


 芝の上を這う火蜥蜴が宙に浮かぶ軌跡竜へと向かって跳躍する。しかし軌跡竜の羽根から零れ出た星の鱗粉が、身に纏う旋風で勢いをつけて光輝蛇へと変化する。

 星が流れる速度と同じ速さで火蜥蜴にぶつかった光輝蛇は、体を構成する風をその場で弾けさせる。勢いによって火蜥蜴の体は花火のように散り、地面に到達する前に消える。

 風で星の輝きを閉じ込めた姿を持つ光輝蛇を弔うように、軌跡竜の体から色鮮やかな花弁が落ちていく。風から生まれる光輝蛇、靄から生まれる火蜥蜴。風で散り、火に食われる。一進一退の戦い。


「世界で七人しかいない最高位魔導士と戦える光栄を胸に、俺はそろそろ退場するとしよう。Ci vediamoまた会おうぜSignorinaお嬢さん!」

「は!? まだ決着はついてな……あ、ああああああああああ!!!!」


 いきなり去ろうとするオルビットに対し、ユーナは疑問の声を上げた直後に気付く。いつの間にか一匹の光輝蛇が、どこかに隠していたであろう王家所有の宝石、竜の心臓ドラゴンレッドを入れた硝子箱を持ってきていたことに。

 確かにオルビットはバンケットに途中から変装していた。その際にばれないようにと博物館内に隠し置いていたのだ。宝石が盗られた後に、まさか同じ場所に盗難された宝石があるはずがない、という思い込みを利用したのだ。

 鍵がついたままであることを確認したオルビットはウインク一つ残し、軌跡竜が巻き起こした竜巻に近い花弁の旋風とともに姿を消した。頭の上に落ちた赤い花弁も気に留めず、ユーナは大声で叫んだ。


「むきぃいいいいいいい!! 美しい退場してんじゃありませんわよ!! 女王様の宝石を持っていくんじゃねぇですわぁああああああああ!!!!」


 数分後、花弁と焦げ跡、捲りあげられた芝の惨状に再度破壊された宝石砂時計ジュエルサンド・クロック。ドバイカムはユーナの首根っこを掴みながら、説教しつつ魔法で全部直させたのであった。

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