EPⅣ×Ⅵ【何故誰が《whydunit×whodunit》】

 サウス・レンジントン博物館の鉄工芸品。例えば柵、時には看板や家の扉に使う小さな鍵まで。動物や植物の造形を取り入れた鉄細工の数々。

 それらが真っ直ぐな廊下に立ち並ぶ姿は壮観であり、アイリッシュ連合王国の文化を良く表していた。どこか武骨なようでいて、落ち着いた身近な優美さ。

 猫が塀の上を歩く姿を切り取った鉄工芸品を前に、ユーナとアルトは少しずつ夜が進む空を窓から眺める。月明かりが乏しいが、夏の晴れやかさは雲を散らしていた。


「まさか怪盗騒ぎだけではなく、殺人事件が起きてしまうとは……カナンさん、なにかに憑かれているのでは?」

「俺様も昔はそう思ったけど、最近では逆な気がしてきたぜ。あいつが事件に憑いてるんだよ」


 お互いに真面目な顔で、馴染みの私立探偵が浮かべる和やかな笑顔を思い出す。何故か昔からカナンが関わると、殺人もしくは未遂事件が呼ばれるように飛び込んでくるのだ。

 さすがのユーナでさえ事件に関してはそこまではいかない。大問題に発展する上に一筋縄では解決しない事件は多いが、謎解きを必要とする殺人事件にはあまり縁がない。

 ただし被害で言えばユーナが関与する事件の方が酷い。大抵はロンダニアの街が一部破壊され、後始末に追われる警官達の悲鳴が轟き、最終的にコージがひっそりと涙するのである。


「それにしてもウィンダーさんが殺された理由はなにかしら? それにマルコさんがウィンダーさんを見た場所はこの鉄工芸品展示廊下……なのに死体発見現場は陶磁器展示廊下でした。下手するとこれは」

「死体が移動した……だろ? しかも梯子を持ってこようと走り回る警官、次にウィンダーを探す警官、それらの目を潜り抜けての移動トリック。しかし一番は」

Whodunitフーダニットやろ? 容疑者の多くは警察所属。アリバイを辿ろうにも、怪盗騒ぎのせいで誰も時計など見ていなかった上、博物館の広さが仇となっているやん」


 後ろから声をかけてきたカナンに驚き、ユーナとアルトは慌てて振り返る。トイレに行っていると告げたため、車椅子が基本のカナンが戻ってくるのはもう少し後だと思っていたのだ。

 機械仕掛けの車椅子ギミックチェアの右肘掛けにあるレバーで進行操作をするカナンは、ゆっくりと鉄工芸品を見て回る。ユーナとアルトはその背中を追いつつ、会話を続ける。


「カナンさんの言う通りです。誰がウィンダーさんを殺したか。わたくし達と館長以外は警察ヤード。しかもルランス王国とアイリッシュ連合王国の混合編成。下手すると明日の新聞一面は怪盗ではなくなりますわ」


 怪盗オルビットが宝石を盗んで逃げだした。そのせいで博物館内に配備されていた警察の半数は外へと追いかけて行った。警部であるドバイカムもそちらで指揮を執っている。

 本当は警部として敬われてもいいはずなのだが、始末書の多さと担当区域以外にも顔を覗かせるコージは皮肉を込めて外勤主任と呼ばれている。警部には内部と外部の二つの主任業があるが、わざわざそう呼称されるのは同じギルドメンバーの後始末のせいだ。

 そんなコージは中庭で指示を出し続けており、今も館内の騒ぎはルランス王国の警部であるジューダスや警官に任せている。というのも、博物館の周囲で少しずつ騒ぎが大きくなっていた。


 新聞の一面を華やかに飾ろうとする記者達と、怪盗騒ぎに釣られた一般民衆が戻ってきたのである。怪盗が来る前は徹底的に遠くの方へ排除したのだが、警察の数が少なくなったのを嗅ぎ取ったらしい。

 ルランス王国の警察に相手させるわけにもいかず、アイリッシュ連合王国の新米警官などが塀の外で対応に急かされていた。しかし簡単に内部事情を話すことはできない。必要最低限の対応であしらっている程度だ。

 特に一番困るのは怪盗を追いかけるために外へ出て行った警察隊の邪魔と見なされる案件だ。王家所有の宝石を奪われたと公になってしまえば、警部職の者でも責任追及によって辞職を迫られるだろう。


「姫さん、容疑者の中に怪盗を入れるの忘れているぜ? 宝石を盗む際に見つかって、とかな」

「……野蛮猿、貴方の悪知恵がどうして今日に限って鈍いのかしら? 言っときますけど、怪盗のアリバイ証明の多くはわたくしと貴方が握っていますわよ」


 揚げ足を取って勝ち誇った笑み浮かべていたアルトの動きが固まる。怪盗オルビットが中庭に現れてから逃げるまで。多くの者が彼の姿を目撃していた。

 特に館内に堂々と入り込んだオルビットはユーナが、宝石が入った箱を抱えて外に出てきた所はアルトが、お互いに対峙して会話している。

 もしもオルビットのアリバイを消失させると、同時に二人のアリバイも消えてしまう。つまり怪盗オルビットのアリバイ証明こそが二人の無実証明に連結するのである。


「で、でも宝石展示室に侵入した時は姫さんが猪突猛進して警官何人か吹っ飛ばしたところだろ!? その隙は?」

「時間が短すぎます。それにウィンダーさんが宝石展示室にいたとは考えられません。宝石展示室と鉄工芸品展示廊下は同じ二階ですが、離れていますもの」

「大体、怪盗が侵入するまで警官四人が扉前を見張ってたんや。警官が殺されたならまだしも、ウィンダー職員を殺害する理由が怪盗にはない。アルトん、私怨で目を曇らせるのはあかんで」

「ぬぐぅっ!? べ、別に私怨とかじゃねぇし!! けど、どうすんだよ!? これで容疑者はさらに警察関係者っぽくなってるじゃねぇか!!」


 大声で自分の失態を隠そうとするアルトだが、言葉を出すのに夢中になって前を進んでいたカナンの車椅子の動きが止まったことに気付かず、ぶつかってしまう。

 慌ててカナンの機械仕掛けの車椅子ギミックチェアを支えたアルトの横で、ユーナがカナンの視線を追う。その先には影絵のように伸びた一本の枯れ木を表現した鉄細工が壁に展示されていた。

 不均等アンバランスな枝の伸びに葉の付き方など、細かい箇所まで再現された芸術品だ。しかしどうにも不自然な部分が一つあり、木の先端が雷に打たれたように折れている。


「……多分ここがマルコ警官がウィンダー職員を発見した所や。どうやら僕が追い求めていた謎も、ここの事件が関わっているんや」

「カナンさんが追いかけているって、まさか闇取り引き市場オークション!? ウィンダーさんは闇取引市場の関係者を見つけて、ここで殺されたと!?」

「姫さん、新たな容疑者増やしていいのかよ? 大体どうやって警官が多数存在した博物館で盗みを働こうなんざ考えるんだよ。いや……逆か? 警察に横流しする奴がいるとすると、どうなる!?」

「むしろ職員の目がないから、盗むのが容易に進みますわ! ということはやはり警察内部に殺人犯及び窃盗犯が!? コージさんが悲しみますわね……」


 真面目に警察の職務を全うしているコージ。彼は人を疑うことを知らない。というよりは、疑惑を抱えるよりも信頼した方が自分の性に合っていると納得している。

 そんな彼だからこそどんなにユーナが大暴れしようとも、アルトが悪戯を仕掛けたとしても、問題が起きれば必ず解決してくれると信じているのだ。

 これにはアルトさえも折れるしかなく、ユーナもコージを信頼に値する誠実な人という高評価を渡している。だからこそ誇りと胸を張っている警察内部の汚職は彼に衝撃を与えるだろう。


「推理合戦が盛り上がっているところ申し訳ないんすけど、遺体の持ち物見分が終わりましたよ」


 腰に手を添えながら近付いてきたルランス王国の警官バンケットが、カナンに手書きの資料を手渡す。カナンは待っていましたと言わんばかりに受け取ってすぐに読み始める。

 オルビットに踏まれた顔の赤みは若干取れていたが、その後の背中から転んだ痛みがやってきているらしく、何度も背中や腰に手を回して擦っていた。


「バンケット警官、全く事件に関係ないんやけど……ジューダス警部の結婚式ってどうだったん? やっぱ神父さんの前で天主の御子がある十字架や聖マリアンの像に見守られている中で誓いの儀式とか? 結婚やから教会の内装も豪華だったやろ?」

「大体そんな感じっすね。つーか、怪盗なんか後輩に任せて家族サービスしてもいいはずなのに、律儀に熱く追いかけて……まあ、そういうの嫌いじゃないですけど」

「はははは、仕事に生きる人だから奥さんも惚れたんやろ。そんでバンケット警官もジューダス警部に憧れて同じ宗派に入るとか、ファンかいな!」

「うぐっ!? い、今のは警部に内緒ですからね!! 絶対に、絶対に!! 秘密ですから!!」


 カナンのからかいに大慌てな様子で秘密を迫るバンケット。しかし全く否定しないことから、意外と可愛い部分があるのだとユーナは若干見直した。

 そういえばドバイカムの結婚式も同じだったと思い出す。荘厳なゴシック様式の教会で、真っ赤な顔で何度も噛みながらも必死に愛を誓った男を脳裏に蘇らせて、微笑ましくなる。

 神父が穏やかな顔で愛を唱え終えるのを待っており、その後でドバイカムが懺悔室で神父に謝りに行ったのは噂になっていた。もちろん懺悔室内部の話など、神父は秘匿し続ける。


「さて、ジューダス警部の結婚話やバンケット警官の密やかな憧れも暴いたところで、本題に入ろか。遺体の持ち物は蝋燭の予備にマッチ箱、メモ用の黒板と白墨チョーク、使い古した手袋と……穴の開いた帽子……だけでいいんやね?」

「そうですよ。財布とかの私物は職員用の部屋、鍵付きの箱の中だと館長が言っていました。それと……死体移動の際、妙に頭が重かったらしいとか」

「死体は往々にして血が詰まった肉袋で、生きている時よりも重みを感じるけど……それでも?」

「ええ。ただ頭に外傷はない……というか、なんか髪が邪魔で詳しくは刈らないとわからない状態で。帽子の下で髪の毛が異臭を放ってるし、呆れたほど膨らんでいる毛玉ですよ、あれ」


 思い出して吐き気が込み上げてきたのを我慢するように、顔を顰めたバンケットはうんざりした顔で報告を終えた。カナンはその言葉に頷きながら、それほど内容は詰め込まれていない資料の文字を指でなぞる。

 ユーナは最初にウィンダーと会った時から変に頭が揺れているとは思ったが、どうやら髪の毛に悩みがあったのだろうと推測する。それならば床屋に行けばよかったのにと呆れてしまうが、怪盗騒ぎのせいでそれどころではなかったのだろう。

 ウィンダーは夜勤も多かったらしく、同時に幽霊騒ぎのせいで職員達が休みがちなのも重なったせいで、私用を潰す暇がなかったのだろうと考えれば違和感は消える。


「それにしても帽子に穴なんて意味不明ですわ。だって死因は首筋の一突きでしょう? どこかにひっかけたのかしら?」

「これをどうにか怪盗に仕業にできねぇかな? なにせ一番怪しい奴だろ? 宝石は盗むし、なんかよくわからない台詞は残すし、俺様の敵だし!!」

「アルトん、だから私怨はあかんて……」

「怪盗オルビットは人殺しなんかしない!!」


 アルトを諌めようと思ったカナンの言葉を遮るように、バンケットが強い響きで否定する。あまりにも大きな声だったので、廊下に反響するほどだ。


「……わ、悪かったよ……けどなんでそこまで?」

「あ、いえ、その……警部が追っかけている宿敵で……俺も小さい頃から新聞で二人の活躍を見てきたから……えっと……警官としては駄目な発言でした! すんません!!」


 気まずそうに弁解した後、素直に謝ったバンケットに対してユーナは好感を抱く。最初は体の貧弱性を指摘してくる相手だったが、どうやら好意を持つ相手にはまた違う一面を見せるらしい。

 アルトも無理矢理な推理を恥じたのか、どこか申し訳なさそうに口を閉じる。そこで少しの沈黙が降りてしまい、次の会話に繋げにくくなった。しかしカナンだけは二人の様子を笑顔で眺めていた。


「……あー、もう! とりあえず殺人事件に怪盗オルビットは関係ない前提で動きましょう。だけど敬愛する女王様の宝石を盗んだことは許すまじ。まあ一発殴れたから良しとしますけど」

「ユーナんの一撃は重いもんなぁ。ほんじゃあ殺人事件についてあと必要なのは……特にないな」

「え?」


 カナンのあっさりとした言葉に、ユーナが間抜けな声を上げる。同じくらい間が抜けた表情でアルトやバンケットもカナンの顔を見つめた。

 夜が深まってきたことで眠くなったのか、カナンは生欠伸をする。あまりにも余裕がある姿に、傍にいる三人が焦りそうになるほどだ。そんな中、外に出ていた警官達が戻ってくる音が聞こえてきた。

 しかし記者達の騒がしい声も耳に届いており、落ち着くには時間がかかるだろう。窓から見える明かりだけでは警官達の顔は見られないが、怒気含んだ荒い声から怪盗を見失ったのだろうと察する。


「幽霊騒ぎも怪盗騒ぎも殺人事件も全部まるっと解決できそうやし、僕も追いかけてた謎が解けるしで万々歳やわ」

「ちょ、カナンさん!? そんなに一挙に決着できるってどういうことですの!? だってどれもバラバラじゃないですか!」

「そうでもあらへんよ。仕掛けさえわかれば結構簡単な仕組みでな。先入観に惑わされなければ、阿保らしい内容もお見通しやん」


 穏やかな様子を崩さずにカナンは機械仕掛けの車椅子ギミックチェアを操作して、喫茶店カフェがある赤煉瓦の建物へと向かっていく。

 ついでと言わんばかりにバンケットに館長や警察を全員そこに集めるように指示し、どこか楽しそうな様子で笑顔を浮かべる。


「私立探偵カナン・ボイルの推理劇や。全ての事件を詳らかにし、真実を明らかにしようやないか」






 錆びた金色の車椅子が蝋燭の灯りに照らされる。喫茶店が広いとはいえ、博物館の警備を担っていた警官全員を集合させると一気に密度が濃くなる。

 揃っているのはアイリッシュ連合王国の警察だけではない。ルランス王国の警察も同様にだ。ただし怪盗オルビットに逃げられたことにより、空気の険悪さはお互いに増していた。

 居心地の悪さに館長であるビリーは肩を縮こまらせ、大きめの黒板を胸に抱く。点呼を取り終えたドバイカムとジューダスが同時にカナンへと頷く。


「集まってもらったのは他でもない。ウィンダー・ビル職員殺人事件の真実を明らかにするためや。そこで……マルコ・ヘッター警官」

「は、はい!!」


 一度しか伝えていない名字を含めた名前の全てで呼ばれ、緊張した様子でカナンの前に出るマルコ。機械仕掛けの車椅子ギミックチェアの両隣にはユーナとアルトがいる。

 その二人の視線よりも背後にある数百の視線に刺されている心地で、マルコは吐きそうになるのを堪えて背筋を伸ばす。ルランス王国の警察として曲がった背筋を見せるわけにはいかなかった。


「まずはウィンダー職員を見つけたところから話してもらおうか。どうにも誤魔化してきたようやけど、それもここまでや」


 獲物を射竦める目つきと弧を描いた唇。猛禽と肉食獣を併せ持つような表情を浮かべた私立探偵に対して、マルコは本当にあの穏やかな青年なのかと疑う。

 しかし求められた問いには答えなくてはいけない。少しでも時系列順にまとまるように出来事を整理し、それを言葉へと変化させていく。


 マルコは怪盗が現れる際に配置された場所は中庭だった。突如周囲を覆い隠した霧に驚いたのも束の間、次に宝石砂時計ジュエルサンド・クロックの中に出現した怪盗オルビットに腰を抜かしそうになった。

 それも急転していく事態の最中では気に留めることもできなくなり、追いかけようと館内へと入る。しかし指揮系統がわずかながら混乱していた状況で、マルコが耳にしたのは怪盗は既に屋根へ登ったという状況確認の声である。

 慣れない博物館を走り回って梯子を探していたマルコは、窓もない暗い廊下へと入り込んでしまう。月明かりも射し込まず、蝋燭の灯りも途絶えた場所を恐る恐ると歩いた。


 すると明かりがかすかに見えたので走ろうとした矢先、廊下の角で白く浮かぶ男の幽霊を目撃してしまう。恐怖のあまり叫び声を上げたが、外の騒ぎのせいで掻き消されてしまう。

 少しでも対処しようと所持していた愛用の小型聖書を探していた最中、声を聞きつけたウィンダーが廊下の角から現れた。その頃には幽霊の姿も消えていたため、マルコは安堵した。

 ウィンダーの無事を確認しようと歩み寄った瞬間だった。まるで悪魔にとり憑かれたように、目の前にいたウィンダーが恐ろしい形相で掴みかかってきたのである。


 恐怖に駆られたマルコは必死で逃げた。そして事態が少し落ち着いた後、ジューダスが指示を出しているであろう中庭へと駆け出したのであった。


「──以上が、ウィンダー職員を見つけた経緯です」

「悪魔憑き……だと……? うっ」


 簡素な十字架を握りしめて倒れそうになったジューダスの革靴を、横に立っていたドバイカムが発破代わりに思い切り踏みつける。痛みのおかげでジューダスの意識が沈むことはなかった。

 涙目で爪先を抱えるジューダスを放置し、カナンは笑みを深くしていく。そして近くにいた警官に喫茶店に置かれていた箱、緊急時のために棺桶に入れていたウィンダーの遺体を持ってくるように指示する。

 何故遺体が必要なのかわからなかった警官達は、悪魔憑きの体を恐れたが、コージが誠意に頷いて取りに行くのを率先したので、数人の部下がその背中に付き従った。


「ここで一つの疑問やん。マルコ警官は、幽霊を見つけた時に変な音を聞かんかったか?」

「え? あ、いえ……外の騒ぎは聞こえていたんですけど、ジューダス警部達と一緒に幽霊を発見した際のような音は一切聞いてません」


 思い出して背筋を震わせたマルコは、耳の奥に残る嫌な音を振り払うように首を横に振る。まるで悲鳴のような、この世の物とは思えない音。

 ユーナやアルトも奇怪な音を脳裏に蘇らせてしまい、鳥肌を立たせた。確かにあんな音が耳に届いてしまえば、職員達が怖がるのも無理はないだろう。

 ドバイカムに同じ幽霊を見かけたのかと問われた時、マルコが戸惑った理由はそこにあった。少しだけ状況に差異ができていたのだ。


「つまり事件は悪魔に憑かれたウィンダー職員の凶行、自殺ということになるんすかね?」

「んなわけないやん」


 折角出した答えが否定されたバンケットは、片方の肩から力が抜けてしまう。そのせいで体勢が全体的に崩れてしまい、転びそうになるほどだ。

 肘掛けに寄りかかったカナンは、あらかじめ館長に頼んで用意してもらった展示品の一つをマルコの前に差し出す。それを見たマルコは驚きのあまり、後ろに下がってバンケットの胸にぶつかってしまう。

 枯れ木を模した鉄細工。先端が雷に打たれたように折れており、どこか不自然な姿をしている。マルコは一気に顔を青ざめさせ、カナンの顔を注視する。


「マルコ警官。嘘はいかんな。襲われて逃げている最中、追いつかれそうになって手近にあった展示品でウィンダー職員を殴った。せやろ?」

「なっ!? どんな根拠で人の部下に罪を被せるつもりだ!? マルコは正義感が強い若者……そんな、そんなことをするわけが……」


 大声で否定してきたジューダスだが、マルコのを怯えた表情を見てしまった瞬間から声が萎んでいくように小さくなった。カナンは手袋を装着したまま、鉄細工の表面をなぞる。

 汚れた跡はない。指紋も残っていない。どこにもマルコが使ったという証拠は存在しない。それでも提示された品から目線を逸らすことができないのもマルコ自身である。

 そこで遺体が入った箱を持ってきたコージが、カナンの手前にそれを数人がかりで置く。アルトが先読みしたように蓋を動かし、塩と氷を詰めた袋で防腐処理されている遺体の頭に手を伸ばす。そこにあるのは穴の開いた帽子。


「この穴と、鉄細工の折れた箇所の幅。重ねれば……全く同じや」


 目の前で照らし合わされた言い逃れできない凶器品の正体。それでもジューダスはなんとか信頼している部下の無実を証明したいが、言葉が出てこない。


「後は自白するだけや。正義感が強ければ、罪悪感も強いはず……このまま上司も仲間を騙していくつもりなら、真っ向から僕が邪魔したる! さあ、観念しい!!」

「うっ……そ、その通りです……」


 諦めたように肩を落としたマルコは顔を俯かせる。目には涙が多く溜まり、今にも零れそうなほどだ。ジューダスは信じられない物を見たように、何度も首を横に振る。

 マルコの背後にいたバンケットも沈痛な表情で唇を噛み締めている。アイリッシュ連合王国の警察がざわつき始めた中、ルランス王国の警察達は黙って動かない。


「訳がわからなかったんですけど……幽霊を見た後、ウィンダーさんが燭台の先端を振りかざして僕を追い回して、怖くて、死にたくなくて……近くにあった展示品で」


 暗い廊下を抜けた先で待っていたのは、悪鬼にとり憑かれたような職員の顔と人を殺せるであろう鋭い燭台の先端。それら全てが自分へと向かってくる恐怖。

 なりふり構わずに逃げて、しかし喉は緊張と恐怖で震わすこともできず、声が出ないまま逃走していた。もう駄目だと思った矢先、目に入った壁掛けの展示品に思わず手を伸ばしていた。

 威嚇のつもりだった。振り回して止まってくれればそれだけで良かった。けれど手の平に返ってきた痛みを感じるほどの痺れた感覚。気付いた時には足元に倒れた男が一人。それすらも恐怖の対象で、展示品を壁に戻して逃げ去ってしまった。


「本当は……ドバイカム警部と一緒に彼の死体を見つけた後、白状するつもりだったんです……けど、一緒にいるとやっぱり警察辞めたくなくて、怖くて……怖くて」


 華やかな怪盗を追いかけ続ける警部。そんな彼を慕う仲間達。その中に混じることで心地よさを感じる自分。覚悟を決めるには時間が足りなくて、正直になるには恐怖によって削り取られた勇気が少なくて。

 そして二度目の幽霊を見た時、少しだけ打算が働いた。もしかして全て幽霊のせいにできるのではないかと。このまま押し通してしまえば、わずかな可能性で警察を続けられるのではないか。

 正義感が強いなんて笑われえてしまうほど、卑怯者な自分を隠そうとした。それも全て目の前にいる私立探偵に見破られてしまい、自分の醜さを露呈するだけの結果になった。


「ごめんなさい……僕が殺しました。本当にごめんなさい……でも僕……警察、辞めたくないです」


 目から大粒の涙を零しながら、マルコは謝りながらも自分の最後の望みを口に出す。ずっと憧れていた警察に入り、昔から尊敬していた警部の下で働けるという念願が叶った居場所。

 数年の勤続とはいえ、一度も寝坊や遅刻をしたことがない。そんな勿体ない真似はできなかった。それくらい楽しい職場で、やりがいがあった。怪盗を追いかけてルランス王国から出る仕事が多い忙しさも刺激的だった。

 自分を信じてくれる時たま間抜けなところが愛おしい上司、素直じゃないけれど有能な同僚、自分よりも経験豊富な口の悪い先輩。その全てを殺人の一回で捨てたくない気持ちが勝って仕方ない。


「我が儘だってわかってます……頭がおかしいのかもしれません。だってずっと混乱して、死体が動いてるし……でも僕はこれからも長く、仲間と……ジューダス警部の下で働きたいです!! そしていつか怪盗オルビットを捕まえたい!!」


 あの奇想天外な怪盗を逮捕して、何代にもわたる捕縛劇を終わらせる。それはルランス王国の警察全体の夢であり、ジューダスが最も望んでいる未来だ。

 叫びのような声に含まれた感情は、誰も無視することができない熱い物が込められていた。ジューダスが必死に堪えようと唇を一文字に引き結ぶが、その甲斐もなく目から数えきれないくらいの涙を零す。

 信頼を裏切られたような悲しみもある。大事な部下が殺人を犯した上に黙っていた苦しさもわだかまっている。喉の奥にそれらを押し込んで、ジューダスはマルコに両手を差し出すように指示し、部下の手首に自ら手錠をかける。


「……っ、監獄で、何年でもいい。罪を償ってこい……お前が戻ってくるまで、私は待っていよう。お前の上司として!!」

「ジューダス警部……はい」


 ルランス王国の警察達が上司と部下の姿に涙を流す中、ドバイカムや一部のアイリッシュ連合王国の警察は疑問を浮かべていた。待機し続けるのは良いが、それまでに怪盗を捕まえる努力はしないのか、という類だ。

 しかしコージまで二人の熱にあてられて涙を大量に零すせいでどうにも口を挟めない。ちなみにバンケットも同じことを考えているのか、どこか腑に落ちない表情で様子を眺めている。


「……えー、感動しているところ悪いんけど……マルコ警官は殺人犯ではないんやけど」

『え?』


 数百という間抜けな声が重なって響いた。これには車椅子の隣で黙っていたユーナや、穴の開いた帽子を手にしているアルトも驚きだった。


「僕はあくまで自白してくれ頼んだだけや。大体これも凶器やない。忘れたんか? 死因は首筋への一突きだっていうこと」


 視線がまたもや帽子の穴に集まる。帽子、頭に装着する物。そこに空いた穴と形が一緒の鉄細工。つまりマルコがウィンダーを攻撃した時、鉄細工は頭に当たっていたのである。

 しかし頭部の損傷は現在の段階では見つかっていない。毛玉と称するに相応しい頭のせいで、詳しい結果は出ていない。だが死因は明らかなのだ。首に突き刺さった鉄棒、それだけである。

 試しにカナンが首に残ったままの鉄棒と、手にしていた鉄細工を並べる。どう見ても形状も太さも違う。全く別の鉄製品が原因でウィンダーは死んだという証し。


「つまりな真犯人は別ということや。せやろ……ビリー・ドギー館長」


 和やかな声で述べられた名前に、動揺が走った。それは名前を呼ばれたビリーも例外ではない。しかしカナンは穏やかな笑みを浮かべ、獲物追い詰める猫のように目を細める。


「博物館殺人事件、及び博物館幽霊事件、重ねて博物館展示品横流しの犯人……ビリー・ドギー館長! アンタが全てを隠そうとした幽霊ファントムの正体や!!」

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