EPⅣ×Ⅴ【幽霊探索《phantom×search》】

 部下であるマルコからの幽霊ファントム出現報告の直後、ジューダスは十字架を握りしめて静かに背中から倒れそうになった。

 そうになった、というのは部下達が上司の警部がそういった話題が苦手だと知っていたので、その背中を支えるように集まったおかげで和国の漢字、人、が作られている。

 上司と部下の美しい絆にコージが感動している横で、ドバイカムは冷めた目をしていた。警察ヤードが単語一つでいちいち気絶していたら仕事が進まないからだ。


「現時刻は午後八時半。で、マルコんが幽霊を見たんは何時なん?」


 懐中時計を片手に問いかけてきたカナンに対し、マルコは少しだけ不思議そうに首を傾げる。とても聞き取りやすい発音なのに、わざと崩したような喋り方。名前まで崩れている始末だ。

 しかし他に呼ばれたと思って反応する者はおらず、カナンからの穏やかそうな目からは考えられない鋭い視線に肩を竦ませる。月明かりが頼りない夜闇の中でも、目だけは光っているようだ。


「二階の鉄工芸品の廊下です。その……時間は正確にはわからなくて、梯子を探していたら……そうだ! それでウィンダー職員が倒れて!!」


 自分が見た物を信じられない様子で語るマルコだったが、思い出したように再度慌てる。出てきた言葉の不穏さに反応し、ジューダスが気絶から復活する。

 それ以上は言葉にできないのか、とにかく人手をと周囲を見回すマルコに対し、カナンは考える素振りを見せた。しかし機械仕掛けの車椅子ギミックチェアの取っ手を掴む者がいた。

 カナンがゆっくりと振り向くと顔を靴跡で真っ赤にしたバンケットが立っていた。その後の流れが読めたカナンは視線でアルトとユーナに助けを求める。


「よし!! 今すぐ案内しろ!! ただしA班からC班は怪盗オルビットの足取りを追え!! なにかあればすぐに連絡しろ!」

『了解!!』

「そんじゃあ私立探偵は借りていくんで。助手さんもついてきてくださいよっと」


 言うが早い、あっという間にマルコを先頭としたジューダス達と、怪盗を追いかけるために走り始めたルランス王国の警察と二つに分かれてしまう。

 残ったコチカネット警察は慌てそうになったが、ドバイカムが警部階級の指示が必要なのは怪盗を追う方だと告げ、博物館の警備もこれ以上は必要ないと判断してコチカネット警察の半数を連れて行く。

 コージは判断が任されたと理解し、怪盗が現れた場所の現場保存と証拠集めを指示する。それを見届けてからユーナとアルトはカナン達を追いかけた。


 サウス・レンジントン博物館は蒸気管を建物構造には組み込んでいない。そのため今は天井の蝋燭灯りや、中庭の大型蒸気灯の灯りくらいである。

 しかし警察や怪盗が走り回ったことから、風に吹かれて火が消えた場所が幾つもあり、窓がない場所はほぼ暗闇のようになにも見えない状況であった。

 ジューダス達もそれを理解して明るい所を選んで進んでおり、売店を通り過ぎた先のクロムウェル道路側の入り口へと走っていた。


 そこで耳を塞ぎたくなるような音が聞こえてくる。鳥肌が立ち、あまりの不快さに思い出すのも悍ましいほどである。

 場所は丁度蓁国と和国展示室が並んでいるのが左側にある位置だ。右も左も灯りがなく、ユーナ達がいる場所ですら薄暗い。

 どうにも動き回ったせいで蝋燭の火が消えたようである。頼りない明かりの下で音がした左へと視線を動かす。その方向を振り向いても暗闇しかないはず、だった。しかし違う。



 白い男の影が廊下に浮かんでいる。



 警官達の叫び声が上がる前に勇気を振り絞ったジューダスが近づこうと足を一歩踏み出した瞬間、一際大きな不快音が耳の奥まで響いてきた。

 あまりの大きさに人の叫び声と錯覚しそうになるが、耐え切れずに耳を塞いで瞼を閉じる。本能的な嫌悪から生じる行動だったが、突如現れた男から目を離してしまう。

 音が鳴りやんだかと瞼を開けば、どこにも白い男の影はなかった。ジューダスが両足を震わせながらも、マルコの方へと振り向いて声をかける。


「お、お前が見たのはあれか!?」

「……へ? あ、は、はい!! た、多分」


 自信がない様子で頷くマルコを前に、またもやジューダスが十字架を握りしめて倒れそうになる。しかし蓁国展示室から出てきたビリーの声に肩を尖らせた。

 昼に見た時と変わらない服装に姿、手には館内を見回るために必要な燭台。ただし少しでも展示品への刺激を減らす目的で、硝子飾りで火を覆っている。ぼんやりした光に照らされた老人も中々怖いが気に留めていられない。


「い、今の音はなんですか!?」

「館長!? く、口に出すのも恐ろしいのですが……幽霊が出たのです!!」


 ジューダスの報告に驚いたビリーが振り向く。しかし隣の和国展示室前は静寂そのもので、騒ぎで動かされたのか斜めになった暗幕がかけられた絵画のような物が手押し車の上にあるくらいだ。

 試しに手にしていた燭台の灯りで狭い廊下を照らしてみるものの、なにも異変はない。白い男の影は煙よりも静かに消え去っていた。ビリーは困りながらも震えた声を出す。


「実は……怪盗が現れてからウィンダーさんの姿がなくて……胸騒ぎがするのです」

「なんと!? 彼はどうやら鉄工芸の展示廊下でマルコが見かけたようなのですが……こうなったら全員で館内を捜索だ!! 散れ!」

『了解!』


 ジューダスの指示に迷いなく従った警官達が散らばっていく。バンケットもカナンの機械仕掛けの車椅子ギミックチェアから手を離し、身軽に二階へと進んでいく。

 下手すると長距離マラソンに近い通路を走り回ることになるのだが、少しでも早期発見を心掛けた警察の素早い行動を前に、ビリーも急いで別の場所へと移動した。

 それらを見届けたカナンは、ユーナとアルトの顔を見る。そして小さく手招きをして、にこやかな笑顔で問いかけてくる。


「アルトんはちょっとそこの和国展示室を見てくれへん? ユーナんはさっきの怪盗についてや。ちょっとこれから大騒ぎになると思うんで今の内に情報は集めときたいねん」

「良いですけど……もしかしてカナンさんはさっきの幽霊の正体を掴んでいますの?」

「うーん、生死不明なのがあれなんやけど……まあそれなりに」


 曖昧な笑みを零すカナンだったが、眼差しは真剣のままずっと考え込んでいる。どこか意識が乖離しているような、思考へ静かに溺れているような表情だ。

 アルトは言葉通りに和国展示室を覗き込む。ただし室内は暗く、窓もないためなにも見えない。そこで隠し持っていた小型蒸気灯を使い、中へと入っていく。


 鎖国が終わった和国からよくぞここまで輸入した物だと驚くべき品物の数々。水墨画の掛け軸に和製人形、浮世絵に浄瑠璃で使用される舞台の仕掛け構造の模型。

 特に目を惹いたのが電力エレキテルを利用した発明品だ。蒸気機関の次の動力として注目を集めているが、赤銅盤の発明家マグナス・ウォーカーが生きている間は日の目を見ることはなさそうだ。

 それでも雷と似た力を利用とした繊細な技術。もしも存命であったならばマグナスと気が合うだろうと、アルトは馴染みのない仕掛けに注目する。


 独特な文化を持つ和国だからこそ、巻物と見間違うような細長い絵画が多い。そして陶器の技術も土地柄を良く表しており、蓁国の陶磁器並みの価値が付属している。

 ここまでの素晴らしい品を持ち帰るとなると、もしかしたら外交の強みから無理矢理譲ってもらったのもあるかもしれないが、文化を残すという意味では善悪はつけられないだろう。

 なんにせよ海の果てとも言われる和国の品がここまで揃えられていることに驚きつつも、アルトはなんの異変もないと結論付けた。しかし振り返った矢先、カナンが入り口近くでなにかを採取している。


 機械仕掛けの車椅子ギミックチェアの車輪を変形させ、大理石の床から細かい砂のような物を骨組みのような腕を操り、わずかに水で濡らしたハンカチで吸着させたのだ。

 そして手元に持ってきたハンカチを、またもや機械仕掛けの車椅子ギミックチェアに仕込んでいる小型蒸気灯で照らす。男性二人による堂々とした博物館の規則無視にユーナは溜め息をつく。

 懐に入れていた虫眼鏡を取り出したカナンは採取した砂粒を眺め、満足したように透明紙セロファンで作り上げた自作の袋の中へとハンカチをしまい込み、座席下の収納庫へしまう。


「アルトんは甘いなー。そんなんじゃ助手の称号はお預けやん」

「砂を集めてにやにや笑う変態探偵に言われたくねぇよ。で、なんか特殊な土でもあったのか? 馬の糞が付着した土ならそこらへんにいくらでもあるぜ」

「ちょっと下品ですわよ、野蛮猿。自分の見落としくらい素直に認めなさいな」

「まあまあ。それに欲しかったのは砂やない。あと血痕の有無も確かめたかっただけやん」


 不穏な言葉にアルトとユーナは顔を見合わせる。警察達と一緒に目撃したのは幽霊のはずである。幽霊から血が流れ出ている例はあるのだが、それが物的証拠として残っているなど聞いたことがない。

 カナンが見ている物の正体も掴めないまま、二人は静かに明るい場所である売店前へ動いていく機械仕掛けの車椅子ギミックチェアを追いかける。なんとも自由な動きだが、カナンにしては珍しく言葉数が少ない。

 細かい積み木細工を組み立てながら様子を眺めているような、集中している姿だ。ただし寂しがりは変わらず、何度か背後にいるアルトとユーナへ振り向いて姿を確認している。


「とりあえず次は二階の鉄工芸品展示廊下かしら? ウィンダーさんが倒れてると言ってましたし……」

「それにしては走り回る音が途絶えねぇな。目的地が判明しているなら、どんな警察でも足を止めるはずだ」

「……館長さん、どないしてあっち走ったんやろね」


 カナンは和国展示室の先、石膏像が展示されている方を指差す。奥手にあるためさらに暗さは増す。しかし二階に上がる階段は存在している。

 確かに走っていくには不安な道ではあるが、手に燭台を持っていたビリーならば用心して歩けば問題ないだろう。常日頃からこの博物館で働いているのだから。

 まるで我が家のように移動できるはずだとユーナ達が思う中、カナンはユーナに博物館の地図を広げてほしいと頼む。言われた通りにカナンの膝上に開いた地図を載せた。


「だって鉄工芸品は方向的に逆やん。もっと近くに必要な階段はあるし、館長さんならばそれくらいわかることやろう」

「慌ててたとか、警察が動き回っているのを邪魔しないようにとかじゃありませんの? もしくは館長さんならではの近道を知っているとか」


 ユーナの解釈にどこか納得していないようにカナンは再度考え込む仕草を見せる。どうにも煮え切らない態度に、アルトが質問をする。


「探偵はなにが気に食わないんだよ? 怪盗の件が残念だったのか?」

「いや、別に。同時進行している事件が二つもあって、どっちから手を付けようかなーと悩んでるんよ。そや、アルトんにも怪盗の話を聞かんとなぁ」


 思い出したようにカナンはアルトへ怪盗とした会話や行動について事細かに耳に入れていく。さらには証言の擦り合わせのため、ユーナにも再度確認していく。

 二人がオルビットについて会話したことで、カナンは少しずつ目を輝かせていく。まるで宝物を見つけたような、好奇心溢れる子供の純粋な瞳だ。

 しかしユーナとアルトは話せば話すほど、オルビットがわからなくなる。出てきたフェァーリルという名前自体が不可解であり、ユーナとの繋がりが見えないのだ。


「なるほどなぁ。ユーナんと初対面のはずなのに、知らない名前にロンダニア大火付近での出生を口にしていた、と」

「探偵、推測でもいい。なにかわかるか?」

「おそらく赤子の時に出会ったユーナんの名前だったか……もっとその前の名前やないかと」


 面白そうに鼻唄交じりで手帳にメモした会話内容をなぞっていくカナンに対し、アルトの不機嫌さは増すばかりである。ユーナは髪に着けている黄金蝶の髪飾りを外し、眺める。

 誰も知らなかった黄金蝶の髪飾りを把握している人物。アルトの会話から、同い年くらいだと判明したオルビット。そして印象的な赤銅の天道虫飾りが目に焼き付いて離れない。


「今の人生、破滅竜が前にしたこと、死んでも治らない性格……総合すると、前世とかどや?」

「はっ。阿保らしい」


 カナンが出した答えにアルトは鼻で笑うが、片眉だけが異様に上下に動いている。落ち着かないのが如実に表れており、カナンは吹き出しそうになるのを堪える。

 出てきた推測に耳を傾けながらも、ユーナは黄金蝶の髪飾りをもう一度紫の髪に装着する。二百年以上の付き合いであり、昔と変わらない輝きを宿した黄金蝶は語る口を持っていない。


「ま、僕も前世とかは宗教違いやし、あまり信じてへんけど……魔法的にどないなん?」

「……可能性は極小ですがあります。青錫杖の僧侶であるツァン・マキナさんが詳しいですわ。けど……だからなんだっていうんですか?」

「ユーナんは前世の自分とか気にならんの?」

「ええ、興味ありません。前世がどうであろうが、今のわたくしはユーナ・ヴィオレッド。なにが起きようが、全てはわたくしが解決するしかないのです。それが、真実、でしょう?」


 堂々としたユーナの言葉に、カナンは笑いながら何度も頷く。前世など語ったところで、死んだ者にできることはない。それは当たり前の話であり、カナンは何度も見てきた。

 しかし生きている間ならば誰だってなんでも可能なのだ。事件現場に残された犯人への手掛かりダイイングメッセージだって死人には書けない。死ぬ間際の生者だけに許された物だ。

 もちろん犯人の偽装工作だということもあり得る。それを見抜くのも生きている者の特権だ。幽霊が助言したとして、結局は成果を収めるのは行動できる人間だ。もしも危害を加えるならば、それは死者の領域を超えている。


「……さっすが、姫さん!! あんな怪盗の戯言なんかものともしねぇ!」

「貴方に褒められても嫌味を言われている気がしますわね。でもまあ、賛辞は素直に受け取っておきましょう」

「じゃあ怪盗の前世や事情は放置して、次は軌跡竜の剣弓の特徴やけど……これは構造理解なんやろな」


 窓の鍵を開けたオルビットのことを思い出して、カナンは事もなげに口に出す。剣弓から発射された糸が鍵の構造を理解し、外したとするならば説明がつく。

 手錠の件や様々な変装、それらを突き詰めていくと構造理解に辿り着くのである。人の顔も一つの構造物であり、法則さえ掴んでしまえば老若男女自由自在なのである。

 もちろん理解しただけでは意味がない。その構造を解く、もしくは構築する。それらを可能とするのが剣弓の赤い糸の役割なのだろうと察する。糸ならば細長く、鍵穴を通ることなど簡単だ。


「不思議な糸で編めば表皮再現も可能やろう。子供の変装も太目の大柄にすれば、あの身長も誤魔化せる。ユーナんの杖刀とはまた違う仕組みなんやろ」

「自由さで言えば怪盗の勝利ってか。だったら竜の心臓ドラゴンレットが入ってる硝子箱に取り付けた鍵もあっさり解かれちまうか。あれ、発明家の作品だろ?」

「せや。そこに僕の知識をちょちょいっと入れて……構造を理解したくらいでは解けない仕組みやから……三十分はかかると思うで」


 カナンが提示した時間に、アルトは目を丸くした。オルビットも全く同じ時間を言っていたからだ。どういうことだと問おうと身を乗り出したアルトだが、カナンは機械仕掛けの車椅子ギミックチェアを中庭の方へと動かしていく。

 そこではコージが鑑識の警官からの報告を受けながら、いまだウィンダーが見つからないという声に動揺を見せていた。館内の明るいところでは警官が走り回っているのが見えた。

 外から眺めるとまるで影絵が激しく動き回っているような光景であり、時折暗くなる箇所がある。かなり探し続けているらしく、蠟燭の火が生ずる風に耐えられなかったのだろう。


 芝生の上では元に戻った宝石砂時計ジュエルサンドクロックが鎮座しており、ユーナは一息ついていた。どうやら白銀砂の貴婦人のお気に入りは、時の神クロノスでもあるトキナガのお気に入りに該当したらしい。

 レディが彼にわざわざ見せたのか、もしくは時計が好きな彼がいつの間にか知っていたのか。なんにせよ昼と変わらない姿で月明かりを受けている。しかしカナンはそれに目を向けない。

 アルトの手を借りて芝生の上に四つん這いになったカナンは、膝掛けを座席に置いて芝生を調べ始める。足が動けないと思っていた警官達は、彼の足を見て驚く。


 膝から下が蒸気機関義足スチームレッグという器具が装着されている。値段はもちろん、その重量、使用する際の痛み、あらゆる面から一般販売はできないと言われている。

 それが両足に取り付けられており、夏のため半ズボンから剥き出しになっていた。冬ならばズボンで隠せるが、夏場の暑さや汗の問題から通気性を重視した結果、膝掛けで隠していたのだろう。

 機械仕掛けの車椅子ギミックチェアと同じく錆びた金色の足が動く様子はない。それでも様々な機能が付いた足は普通の義足とは違い、タイプライターのような文字盤やレバーが仕掛けられていた。


「えっとここら辺に……あった」


 そう言って片手で見つけ出した物に微笑むカナンに対し、コージを含めた多くの警官達は困惑する。どうにも透明紙セロファンの欠片であり、緑色だが小さい。飴紙の包み程度だ。

 前に博物館にやってきた子供が捨てた物ではないかと口出ししようとした者もいたが、カナンはそれを嬉しそうに透明紙袋の中に入れて保存する。さらに濡れている芝の一部も回収し、次に硝子の欠片も見つける。

 硝子の欠片に関してはユーナが慌てた。ユーナが使ったのは時戻しの青魔法であり、破壊された素材を利用しつつも足りない部分は『時の神レリック』に任せて補完する。そのため小さな破片が残ってしまう時もある。


 だがカナンはそれも楽しそうに袋の中に個別保管し、機械仕掛けの車椅子ギミックチェアの収納庫へしまう。再度アルトの手を借りて座り、膝についた濡れた土を払って膝掛けで足を隠す。

 現場保存していた鑑識達としては面白くない行為だったが、事件に関わりなさそうだという点から無視をした。次にカナンは博物館の屋根を見上げ、アルトに声をかける。


「なあ、アルトん。屋根は濡れてたん?」

「俺様が怪盗と向かい合ってた時は濡れてなかったし、今日は怪盗が現れた時以外は霧もなく快晴だったろ。大体濡れてたら姫さんが滑って転んでたろうさ」

「ナギサさんではありませんけど、流石に濡れた屋根の上はわたくしでも用心しますわね。言っときますけど、屋根は壊してませんから!」


 警官達がドバイカムが警戒していたユーナへと視線を向けていることに気付き、刺々しい大声で主張する。今回はユーナも物を破壊しないように行動していた。

 もしも壊したならばドバイカムからここぞとばかりに説教されるからだ。自分自身が悪かったことは認めるが、説教を受けたいかと言われたならばそれは別問題である。

 コージは弁解の手助けをしようかとも考えたが、日頃の行いからきた疑いなので難しかった。とりあえず目線で頑張れという意思は送るが、効果はあまりない。


「なるほど……幽霊が出るに相応しい仕掛けの意味はわかったん。となると、ドバイカム警部には可哀そうなことしたなぁ」

「どういうことですの?」

「んー、説明すると……」


 カナンが詳細を語ろうとした矢先、大きな声が博物館内部から響いてきた。それは広げるように反復しているらしく、別の声となってコージ達がいる中庭まで届いた。




「大変です!! ウィンダー職員が……二階の陶磁器展示廊下で死体として発見されました!!」




 その報告にコージは鑑識に中庭の保存を頼みつつ、数人の部下を連れて走り出す。それよりも先に動いたのは身軽なユーナとアルトであり、カナンも機械仕掛けの車椅子ギミックチェアの車輪形態を変えて高速移動する。

 座席下から半球が飛び出した形で、車輪は骨組みの腕に変化させている。その球体で滑るように進み、方向を鉄組みの腕で調整する仕組みだ。後ろを追いかけていた警官達は奇抜な仕掛けに開いた口が塞がらない。

 突飛なことに慣れているコージは驚きつつも足を止めなかった。ユーナ達に追いつく勢いで走っていき、二階の陶磁器展示廊下は宝石展示室の近くであり、鉄工芸品展示廊下から遠い位置にある。


 多くの警官が集まっており、青い顔をしたマルコに発破をかけながらも指示を出していくジューダスの姿が見えた頃。同じく床に倒れているウィンダーの姿も確認できた。

 床上に寝ているようなウィンダーの横に立っているバンケットは十字を胸の上で切っており、祈りを捧げているようだ。そして目前まで来たユーナは滑らないように気を付けながら足を勢い良く止める。


 ウィンダーは仰向けに倒れているが、黒い鉄製の棒が首に深く突き刺さっている。棒は抜かれていないため血はあまり出ていないが、即死であることは目に見えていた。

 顔は死んだ瞬間のままかのように目を見開いており、まるで信じられないと物語るような生々しい表情だ。首が刺された様子から、息が苦しかったのか口から舌が飛び出ている。

 髪の毛も乱れており、昼で見た時とは違う印象が浮き彫りになっていた。帽子を被っていたのもあるが、どうにも違和感を覚えた。しかしそれどころではない事態に、ユーナも黙想した。


「私が見つけた時にはすでに……なんと痛ましい」


 ジューダスは沈痛な表情で小声ながらも早口でなにかを唱え、十字架を握りしめる。同じくマルコも小さな本を胸に抱き、黙して祈りを捧げていた。

 コージやアルトも十字を切る中、カナンだけは両手を合わせて数秒沈黙した後、すぐに死体の横まで機械仕掛けの車椅子ギミックチェアを寄せる。

 祈り方が神仏教のやり方であることから、ユーナとしては一言物申したかったが、少しでも早く情報を集めたいカナンには馬耳東風だろうと諦めた。


「首への一突きによる即死。死後あまり経過してへんな。まだ体温かいし、目の瞳孔も広がりきってへん。硬直も起きてへん」


 手袋をしながらまたもや四つん這いで死体に遠慮なく触っていくカナンに、ジューダス達は驚く。しかし出てきた言葉が正確な見分であることから、手帳にメモしていく。

 カナンは大理石の床を注意深く見つめ、周囲を見回す。やはり暗幕がかけられた巨大な絵画が乗っている手押し車が近くにいくつかあり、特に変わったところは見受けられない。


「ジューダス警部、体の枠取った後ウィンダーさんの遺体を動かしてくれへん? あと持ち物の一覧も紙にまとめるんや」

「わ、わかった。バンケット、お前は彼の手伝いを。こいつはやる時はやる男なので、助手とまではいきませんが是非傍に置いて使ってください」

「うぇー!? 俺は警部の横で仕事したいんすけど……」

「バンケットさんはなんだかんだ言って警部が憧れですもんね。同じ宗派にわざわざ変えるったたたたたたた」


 耳を真っ赤にしたバンケットが余計なことを吐き出したマルコの口を両側に引っ張る。二人の賑やかなやり取りに心和む余裕は誰にもなかった。

 カナンもコージに抱えられる形で座席へと戻り、少しだけ考え込む。いつも以上に悩んでいるようなカナンの様子に、コージもわずかだけ意外そうにする。


「ちっ。仕方ない……んじゃあ、よろしく」

「よろしくなぁ。早速やけど僕は鉄工芸品展示廊下に行くんで、君は死体の持ち物見分をお願いな。その前に、ちょい花摘みに行ってくるわー」

「女みたいな言い方すんなよ、探偵。というか大丈夫か? 補助はいるか?」

「ああ、大丈夫やん。痛みさえ我慢すれば少し動くくらいは僕にもできるし。ユーナんとアルトんは先に向かっててなー」


 それだけを言い残してカナンは機械仕掛けの車椅子ギミックチェアをいつもの車輪形態に戻し、普通の速度で宝石展示室前を通る道を選んでトイレへと進む。

 残されたユーナとアルトは、コージに視線を合わせる。コージはジューダスと一緒に現場確認をすると言い、二人はカナンの指示通り鉄工芸品展示廊下を目指せと勧める。

 しかし思い出したようにユーナが笑みを浮かべ、アルトへ視線を向ける。その笑みに嫌な予感を覚えたアルトだったが、回避することはできなかった。


「アルトさん。やっぱりカナンさんには優しいですわね」

「うむ、アルトの気遣いできるところは私も素晴らしいと思う。頼りになる男だ」

「あ、あ、あーっ!! 男前も姫さんも急に俺様を褒めんな!! あ、あれだよ!! 俺様は普段からいい男なんだから、それくらいは……っだぁぁああああああ!!」


 ユーナの生温かい目に、コージの純粋な眼差し。それに耐え切れなくなったアルトは叫びながら鉄工芸品展示廊下へと疾走した。仕方ないと、ユーナはそれを追いかける。

 あまり走ってはいけないと軽く注意しながらコージは二人を見送り、ジューダスと一緒にウィンダーの死体見分へと行動を移す。その横でマルコは誰にも聞かれないように小声で呟く。


「やっぱり…………が殺したのかな?」

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