EPⅢ×Ⅱ【黒鉄骨の魔剣士《black×iron×bone×soldier》】

 大樹の館ギルドツリー。ロンダニアの心臓部といえる金融街に立ち並ぶ建物と肩を並べるそれは、実はとてもわかりにくい形をしている。

 確かに建物の間に立っているのは間違いない。しかしまるで街路樹を間違えて植えてしまったかのように、影ができる行き止まりの道にその館は存在していた。


 一見は少し大きめの街路樹が枝葉を伸ばしきれずに時間を止めたような、どこか押しとどまった印象だ。だというのに、石畳の上に突き出た根が太く、比例するように幹も巨大だ。

 その幹には赤茶に錆びた銅の扉が取り付けられている。見上げれば枝葉に隠れるように鎖と歯車が動いており、小さな工場のように稼働している音が耳に届く。

 扉を開ければ手動昇降機エレベーター乗り場となっている。大人五人くらいは余裕に入る広さだ。壁代わりである幹の内部に埋め込まれた蒸気灯がぼんやりした黄色で木肌を浮かび上がらせている。


 乗り込んですぐ横にある手回し機を動かしてみれば、鈍い鎖の音と共に降下していく。根を伝うように降りて行けば、少しずつ聞こえてくる騒がしい声が広い地下空間とは思わせない忙しさだった。

 冬眠中の土竜モグラも叩き起こされそうなほど、大樹の館は騒々しい。年末年始だろうが、天主から与えられた祝日だろうが関係ない。総合ギルド【大樹の根幹】とはそういうギルドである。

 今も猫が二足歩行で書類を抱えて走り回っている。足元を通り過ぎる従業員の猫を踏まないようにユーナとアルトは壁際にいる人に配慮しながら避ける。上では枝でバランスをとる鳥達が軽やかな声で番号を読み上げている。


「はいはーい、五百六十番はこちらー。ちゃんと頭の数字は窓口番号って教えたじゃーん。おばあちゃん、そっちは御手洗いじゃないよー」


 内装はログハウスを銀行窓口にしたと言っても差し支えない。木製の床に天井、椅子や机すらも上質な木材で作られている。しかし番号札を配る箱は赤銅の機械仕掛け。

 天井では蔓が網目状に広がっており、等間隔で蒸気灯が輝いている。勘がいい者はここで蔓に見せかけた柔軟性のある蒸気管が剥き出しになっていると気付くだろう。

 枝で番号を読み上げる色鮮やかな鳥も剥製だと間近で見ればわかるだろうが、小首をかしげる仕草や嘴を動かす動作が本物と寸分違わない。今もボケた老人が鳥に向かって話しかけていた。


 あまりにも待ち時間が長い上に、椅子の数が足りない。柱に背を預けて待ちぼうけを食らっているドレス姿の女性は若干苛立っていた。

 窓はあるが、よく見れば描かれた青空だというのがわかる。白い雲はいつまでも動かないし、地上が雨でもこの館には関係のないことなのだ。

 秋だというのに大樹の館内は人の熱気で息苦しいほどだ。そんな中で身軽な少女が触覚のような寝癖を揺らしながら、天井の蒸気管を伝って入り口近くまで移動する。


「あー! ユーナおばあちゃん、っどぁ!?」

「わたくしの実年齢はどうでもいいのです!! リリカルさん、アドランスさんは?」


 突き出されたユーナの拳を軽やかに避けた少女、リリカルは眉尻を下げる。少女の外見は特徴的だ。ユーナよりも短い緑色の髪、それよりも濃いもみあげに見える植物の蔓が耳の傍から生えている。

 同じく緑色の目は言い訳を探すようにあちらこちらと視線を彷徨わせるが、観念したように大きく溜め息をついた。流行のエプロンドレスも室内を動き回っているせいで埃だらけである。

 赤色のスカート部分にくっついた埃を叩き落とし、その後で白いエプロンで手を拭く。そして首からぶら下げている古びた懐中時計を不自然に確認し、回れ右してユーナ達に背中を向けた。


「あ、僕はこれから次の仕事が」

「アドランスさんは?」


 逃げ出そうと考えた少女の首根っこを掴み、ユーナは声を低くして再度問いかける。涙目でアルトへと振り返るリリカルだが、薄情ないい男は肩を竦めるだけだ。


「……ケット・シー……」

「はいはいはーい!! バトラ様ですね? ただいま書類に判子を押す作業十二時間突破したところでございます!」


 書類を抱えた猫が陽気に返事する。二又の尾に羽根飾りの帽子と革のチョッキにズボン、そして誇らしげなほど赤い長靴。他の猫とは一線を画する姿だ。

 それが『化け猫モンストルム』と知っているユーナは、聞こえてきた内容に予想通りという呆れた顔をする。いつでも大樹の館は猫の手を借りなくてはいけないほど忙しいのだ。

 だからといって物理的に猫の手を使っているギルドなど総合ギルド【大樹の根幹】くらいだろう。ある意味リーダーの才覚というか、猫から見ても不憫に思えたのかもしれない。


「にゃんたる悲劇! にゃんたる不幸! というわけでバトラ様は現在生死の境を彷徨っております」

「おじさん、いっつもストレス性胃炎とか流行の風邪とかもらっては動けなくなってるからねー。白魔法を使ってるのにどうしてかな?」

「白魔法はあくまでも魔力で自身の体を最高の状態に維持しているというだけで、魔力での回復が追いつかない体への損害や病に弱いのです。というわけで魔導士に毒殺は有効手段ですわよ」

「それ普通は本人からは語らないと思うけどなー。じゃあ、おじさんが二十五歳の時から変わらない外見なのに四十代に間違われるのは病のせい?」


 それはただの老け顔である、ということを口から飛び出しそうになったのを、ユーナは唇を一文字に結んで我慢した。そして噂をすれば、というように一人の男が受付の奥から現れる。

 ただし扉にもたれかかった死体のような動き、ずり落ちていく泥水が入った布袋、あらゆる嫌な表現が似合ってしまいそうな、この世の不幸を知らず知らず背負ったような男はすぐさま木の床に倒れる。

 しかし誰一人悲鳴を上げることはなかった。むしろ、あーまたかー、と慣れた様子で行く末を眺めている。そして動き回っていた猫達が四つ足に戻り、一斉に男へと群がった。


「にゃー! 旦那さまー、死ぬ前に小魚! 小魚をめぐんでくだせぇ! 我が家には腹をすかせた子猫が二匹も……」

「リーダー殿、爪とぎ! 職場に爪とぎ設置してから地獄へ落ちてください! じゃないとこの爪がリーダー殿の棺桶をひっかくことに……」

「香典は胃薬でいいかにゃー? もしくはそこらの枯れ葉を金に換えて、供えれば……」

「ええい、うっとうしい! 人が死にそうな時に我欲を押し付けるな! 猫部長ケット・シー、部下の管理はお前の役目だろうが!!」


 猫の山から突き出るように起き上がった男は、鋭い爪で引っ掻かれて赤くなった頬も無視して歩みを進める。青い長髪に黒い眼、しかし右目には海賊が着けるような布眼帯。

 緑色の軍服には猫が磁石のように何匹もくっついており、そのせいで細身ながらも筋肉質の長身が生かせずに腰を屈めることに。目元には外見年齢には似合わない濃いクマが青黒く残っている。

 指先もインクで黒くなっており、右手にはペンダコだけでなく判子ダコもできていた。仕事はきっちりこなすアイリッシュ連合王国の国民性とはいえ、男のはどう考えても疲労した仕事中毒者ワーカーホリックである。


 猫に群がられているこの男こそ、あらゆるギルドの始まり、総合ギルド【大樹の根幹】のギルドリーダーであるアドランス・バトラだ。


 威厳は日々の摩耗でこそぎ落とされたようで、彼を見て尊敬する者は稀有である。多くは同情し、休めばいいのにと憐れむだけで終わる。

 なによりこの男は不幸体質というべきか。タイミングが悪いのか、それとも不運を引き寄せるカリスマなのか。今も天井から螺旋が緩んで落下した蒸気灯を脳天に食らった。

 悪運が極まったのか硝子は散らばり、その破片が頭だけでなく背中や倒れ行く床にまで落ちていき、結果的に全身硝子破片人間のような有様となる。


 床に伏して動けないアドランスにそっと歩み寄り、ユーナは少しだけ労わるような優しい声で言葉をかける。


「ごきげんよう、アドランスさん。ヴラド・ブレイドさんの現在地はご存知ですか?」

「出会い頭の惨状を目の前にそれを問うか……」


 硝子破片まみれになりながらも、アドランスは猫の手を借りながら起き上がって床の上に座り、途切れ途切れに返事する。リリカルやアルトが細心の注意を払って硝子の破片を抜いていく。

 南の砂漠で育つというサボテンの硝子棘形態に近い状態のアドランスは、抜かれる痛みに肩を跳ねさせながらも左目の瞼を閉じて少しだけ考え込む。

 粗方の硝子が取れ終わった頃、かすかに聞こえてきた寝息の音に誰もが察する。疲れすぎて考え事を続けながら寝たのだと。ユーナは腰の革ベルトから杖刀を即座に解放する。


「魔力を吸い取って病院送りにしますわよ?」

「ぐがっ、ふ、フローラの病院だけは止めてくれ!! 仕事ができない!!」


 寝ながらも不穏な気配を感じ取ったアドランスは急いで意識を浮上させた。その顔は蒼白を通り越して土気色。死ぬ一歩手前だが、それでもある病院は嫌だということらしい。

 頭上に迫っていた黒い杖刀を見上げながらも、アドランスは避けようとしない。それは反応が遅れたわけではなく、動く必要がないと確信していたからだ。

 ユーナが改めて杖刀を腰の革ベルトに固定するのを確認し、短い息を吐いてアドランスは今度こそ真剣な顔で思い出そうと渋い顔になる。


「ヴラドは確かカストエンドの……阿片窟だったはずだ。なんか手伝いを頼まれたとかで、うんざりしていたな」

「わかりましたわ。それではそちらへ向かいます。ご協力ありがとうございます」

「ヤシロの件だけどな、気をつけろよ。その事件だけおかしい。それだけは例外と考えて動いとけ」


 アドランスはユーナから一切の事情を聞いていない。だというのに、ユーナとアルトがどういった理由で活動し、ヴラドの居場所を探していたかを知っているのだ。


「御忠告どうも。貴方こそ休んだら如何? 白魔法は不死を叶えませんわよ。リリカルさんのために長生きするべきではなくて?」

「……そうだな。さっさとこいつを嫁に出して、私は好みの枯れた感じの熟女を探しに行きたいもんだ」

「バトラ様は心底残念趣味にゃん」

「個人的には黄金律の魔女が一番好みなんだが、ヴラドにはそこだけは末恐ろしいと言われた話をするか?」


 呑気な会話を繰り広げている背後では、頬を膨らませたリリカルが面白くなさそうにアドランスの頭に刺さっていた最後の硝子破片を勢いよく抜く。

 同時に水芸のように噴き出す血が現実感を乖離させ、急激に血を失ったアドランスは杖刀に頼らずとも倒れる結果になった。しかも今度は意識すらも消え失せたようである。

 即座に移動式寝台ストレッチャーが猫達の手によって運ばれ、リリカルは少女の物とは思えない腕力でアドランスを姫抱きした後に寝台へと投げる。ケット・シーが合図の笛を鳴らしながら、剣を片手に先頭を取る。


「いざ、フローラ様の病院へ!!」

『イッエニャー!!!!』

「おじさんの馬鹿ー! 枯れ専ってなんだよー、もー!!」


 遠ざかる移動式寝台に向かって可愛らしく怒るリリカルを横目に、ユーナはアドランスとリリカルの年齢差が二十歳差であることを思い出す。ちなみに年上は少女の外見であるリリカルだ。

 そしてそんな賑やかな猫の行進や病院への搬送にも動じない大樹の館は、たとえリーダーが消えても通常業務を優先する。幹の内側に穴が空いても、根や葉が残って成長を続ける樹木のように。

 たくましいのか、それとも非情なのか。なんにせよ総合ギルド【大樹の根幹】は次々とギルド申請を持ちかける民衆の相手を事務的にこなすのであった。





 本当はもっとアドランスと話したかったユーナは、渋々といった様子で貧民街とも呼ばれるカストエンドへと向かう。ヴェストエンドが富裕層が住む地区との対比として、有名な場所だ。

 グレイベルのように地区名として使われるのではなく、ロンダニアの東という意味で使用されることが多い。グレイベルもカストエンドの一部と言えばいいのか、それは個人の差による。

 ただ工業地帯として、同時に貧民街として、この世の汚泥を煮詰まらせた場所としては相応しい。娼館も多く存在し、道端では服をわざとはだけさせた痩せ細った女達がアルトへと誘惑の視線を送っていた。


「確か傭兵おっさんが住み処にしてる阿片窟なら、こっちだぜ姫さん」


 赤い唇の女性から投げキッスされても、ウインク一つを返すだけでアルトは石畳の道を進んでいく。振り返るのも娼婦ではなく、背後で眉をひそめているユーナだ。

 娼婦達はユーナの短いスカートを見ては破廉恥な同類かと嘲笑の笑みを浮かべる。足を曝け出すなど淑女の服装ではなく、場末の娼婦がやることだと認識している。

 アルトはそんな女に引っかかった若造と侮り、奪い取ろうと何度も誘惑する。しかしアルトが余裕綽々とした態度でその誘いを跳ね除けるので、数名の娼婦は首を傾げたのだが。


「なんで阿片窟に……ああ、気が重いですわ。怪しい酒場ジンショップの方がまだマシです」

「それはそれで文句を言うくせに。それにしても眼帯おっさんの話を鑑みると、チビ助と同様の事件は既に数件起きている、ということだよな」

「でしょうね。そして……気付いています?」

「もちろん。それじゃあ姫さん、逃避行だ!」


 アルトの言葉と同時にユーナは走り出す。廃水で汚れて滑りやすくなった石畳など意に介さず、必要とあらば腐臭漂う塵箱さえも飛び越える。

 背後からアルトを誘惑しようとしていた娼婦たちが悲鳴を上げて自ら働く館へと逃げていく。荒々しい足音がユーナ達二人へと迫るが、距離は開いていく。

 足を止めずに腰の革ベルトから杖刀を解き放つ。自由に動けるようになった杖刀は持ち主ユーナを守ろうと、自らの長い刀身を回転させて追っ手へとその一撃を振るった。


 しかし硬質な音が路地へと鳴り響き、目の前の路地に勢いよく突き刺さった杖刀によってユーナとアルトは進行を妨害された。あまりにも力強く石畳に食い込んだため、杖刀は自力で抜け出せそうにない。

 自ら動くのが可能な杖刀に動じず、魔力を吸われずに対処できる相手など限られている。襲撃者の正体に気付いた二人は振り返らないまま、頭を下げてから近くの建物の壁に張り付くように移動する。

 やじろべえ、という和国の玩具を真似たような骸骨人形。鉄で作られた軸足と腕、その全てが剣のように尖っている。頭となる髑髏は金歯を鳴らして、振動音を言語へと変えていく。


「ヨクぞアラワレた。ワレはワレでアルガユエにワレはコロ、コ、ココ、コロす!!」

「魔道具の自動迎撃人形オートマタ……しかもあれはブッコロくん。ということは緑魔法で『なにかレリック』を宿してる!? 制御権を手放してわざと暴走を!?」

「流石傭兵おっさん! 普通の魔導士が怖がるのを平然で行いやがる!!」


 道の真ん中で独楽のように回転をかける自動迎撃人形ブッコロくんは嫌な風切り音と共に石畳を削りながら移動を始める。柔軟な針金の腕とはいえ、平べったい麵のような剣の形をしていては凶器である。

 ユーナは路地の真ん中に突き刺さったまま動けない杖刀に向かって手を伸ばそうと試みたが、回転した自動迎撃人形ブッコロくんから細長い鉄串が投擲される。一本ではなく、十本ほど無造作に周辺へとばら撒く形で。

 娼館の窓硝子が割れ、建物の壁にはヒビ。屋根に突き刺さっては一部が石畳へと落ちてくる。周辺の被害など考えていない、無造作な攻撃。意思がないというには凶悪すぎる。


「杖刀は諦めろ、姫さん! 赤魔法で速攻だ!」

「……嫌な予感はしますが、やってみますわ。――竜の炎!――」


 煌々と燃える火球がユーナの指先から生まれ、風船のように肥大していく。顔よりも一回り大きいそれは、真っ直ぐに自動迎撃人形ブッコロ君へと迫る。

 しかし自らの回転によって生み出した風を併せて、自動迎撃人形ブッコロくんは火球を真っ二つに斬り裂く。あまりにも鋭すぎる切れ味が、なにかしらの物理法則を歪めた。

 半球となった火は二つとも石畳の上に辿り着く前に小さな灯に変化してから風にさらわれて消える。赤魔法とはいえ、最高位魔導士の魔法を掻き消すという現象にユーナは嫌な予感が当たったと顔を顰めた。


「アルトさん、連携しますわよ! わたくしは火、貴方は水!」

「了解、姫さん! いい男としてタイミングはバッチリ合わせてやるよ!」

「――煮え滾る溶けた岩は波となる!!――」


 ユーナの声に導かれるように石畳の下から噴出した溶岩が、重苦しい動きと共に波打ちながら自動迎撃人形ブッコロくんの頭上を覆う。

 しかしまたもや高速回転して溶岩すらも斬り裂いていく。飛び散る千度以上の熱さが道端に落ちていた藁へと引火しようとしたが、間髪入れずにアルトの声が響く。


「――白波は岩をも砕くってもんだ!――」


 溶岩を辿るように黒い水の奔流が自動迎撃人形ブッコロくん諸共石畳を冷たく濡らす。あまりの温度差に真っ白な蒸気が視界を埋め尽くすが、今度は風で斬り裂かれることはない。

 少しずつ晴れていく目の前にて、水によって無理矢理固められた溶岩が自動迎撃人形ブッコロくんの動きを止めていた。粘度の高い溶岩は軸足だけでなく、体全体に纏わりついて動きを阻害している。

 たとえどんなに鋭い切れ味を誇る剣でも、動かせないならば鉄屑と変わらない。しかし自動迎撃人形ブッコロくんには飛び道具を持っている。それを作動させようとした矢先、頭上から激しく降り注ぐ物体があった。


 溶岩の出現によって壊れた石畳と共に空中に跳ね上げられた杖刀が、報復と言わんばかりに自動迎撃人形ブッコロくんの頭蓋骨を砕く。それだけでなく体の中心、脊髄で作られた胴体や軸足も破壊する。

 体の中心部分を壊され、残された剣の腕は力なく石畳に音を立てて落ちた。遺跡で見つかった骨のように、自動迎撃人形ブッコロくんは動かなくなる。


「……ヴラドさん、苛立っていますわね。普段から問答無用な方ですけど、ブッコロくんを出してくるのは相当ですわよ?」

「そうだな。通常なら部下の誰かを適当に差し向けてくるもんな。どうするよ、姫さん」

「どうするもこうするも……なさそうですわよ」


 背後に感じた殺気と、首筋をなぞるかのように注射針よりも恐ろしい気配を突き刺してくる刃先。ユーナは乾いた笑みすらも零せず、杖刀すらも恐れで駆け寄ることもできない。

 アルトも後頭部に押し付けられた重厚な鉄の塊に、指先が痺れるほどだ。白魔法で死ぬのは免れるかもしれない。ただし一回だけだ。相手は何度も、絶命に至るまで攻撃するだろう。抵抗すればの話だが。


「よお。油断し過ぎだな。平和ボケでもしたか?」


 字面だけなら気軽な様子で話しかけてきたと思えたかもしれない。しかし声を聞けば殺されると確信できるような、死神の声があるならばこの声こそ相応しい。

 漂う濃厚な水煙草の臭い。どこか甘さと辛さ、そして酸味を感じさせて、それなのに背筋を冷やすには充分な死臭が混じっている。腐った肉の臭いに近いとも言えた。

 指先から体温は消えていくのに、汗が止まることを知らずに滲み出てくるのは錯覚ではない。夜の闇と称するには、その気配は重苦しいくらいに淀んでいた。重油でできた底なし沼に沈められていくような感覚。


「ごきげんよう、ヴラドさん。まさか黒鉄骨の魔剣士自らお出迎えとは、素敵なサプライズですわね」

「後頭部からその口と脳味噌を貫く槍が欲しいならくれてやる」


 軽い冗談を口にしたユーナは、返ってきた言葉に危険を感じた。ヴラドが機嫌のいい時を見たことがある者は少ない。ほぼ皆無だろう。

 だからといって出会い頭に知人を殺しにかかる場合は最悪と断言できる。他人に手をかけるのは常時のことだが、顔見知りに関しては気絶くらいには手加減してくれるはずなのだ。

 こうなると最早ユーナ達は相手の言葉に合わせて行動するしかない。戦闘においてヴラド・ブレイドは最強なのである。それは魔法の腕ではなく、純粋な戦闘技術に依存しているのも恐ろしい話だが。


「お前達がこれから発せる単語はYesはいのみだ。いいな?」

「はい」

「お前達が俺の支配下ギルドを重点的に襲ってる犯人だな?」

「……はい?」


 思わず疑問形の返事を口に出したユーナに対し、背後の男は微動だにしないままアルトへと視線を移す。その気配だけで、アルトは肩を震わせた。


「違うのか?」

「なーにいって、どぅおわはぁいっ!?」


 後頭部から聞こえてきた引き金の音に慌ててアルトは外聞も恥も掻き捨てて目の前の路地に這い蹲った。直後に窓硝子を震わせる強い発砲音。

 確実に綺麗とは言えない石畳の路面に顔を伏せたまま、背中にかかる力強い圧力にアルトは顔を上げられない。実際に背骨は軋むような音を耳に届けている。

 鉄板仕込みの靴底。それはアルトが履けば喧嘩用の防具だが、ヴラドが身に着ければ強力な武器だ。一瞬で背中から腹を貫ける鋭い剣と変化する。


「返事は?」

「……はい」


 屈辱を覚えながらも安堵するという歪な状況にアルトはか細い声しか出なかった。ユーナも今回ばかりはアルトに同情した。


「……そうか。結果から見ればお前達が一番の有力だったんだがな。自由発言を許可する。しかし無駄口は控えろ」


 おそるおそるアルトは立ち上がり、ユーナと共にヴラドへと振り向く。今も消えない殺気を携えたまま、男は短銃を下ろさずに無精髭を撫でていた。

 精悍な顔立ち。それは健康そうな美丈夫に適用される単語だが、ヴラド・ブレイドという男にも該当する。ただし彼の場合は少し言葉の印象とは違う位置の顔だ。

 骨格を力強く意識したような顔立ちに、薄くも硬い皮膚が貼りついている。彫りの深い鼻筋に黒い眼と、癖の付いた髪が乱雑に手櫛で梳かれたようだが、湿気で台無しになっている。


 身嗜みに拘らないためか、無精髭は色濃い。黒一色でまとめ上げた衣服の裾は千切れた跡が生々しく、外套の裾が翻れば血生臭さが鼻につく。

 しかしその全てがヴラドという男に相応しいと思わせる色香があった。外見は四十代と三十代の間、だというのに漲る若さは二十代よりも鮮明に強い。

 生命が全力で溢れているのに、浮き世めいた姿。戦場帰りと言われても納得できるし、浮浪者と説明されても問題ない。しかし没落した貴族と称しても信じてしまいそうになる。


 ユーナの好みからは少し外れているが、近くで様子を窺っていた娼婦は火薬のように危険を感じるヴラドを見て胸を高鳴らせる始末だ。どんな熟練の娼婦も春を覚えたばかりの生娘に。

 身長も二メートル近いせいか、手や足も大きい。小さい子供からすれば巨人だが、まず近付こうとは思えない。なにせ両手だけではなく、腰や衣服のポケット、あらゆる場所に小型武器を携帯している。

 しかし一番目を惹くのは背中の鉄塊。荒削りの剣、素材を生かした鎚、岩から作り上げた牙、様々な例え方ができるそれを、ヴラドは大剣のように背負っているのだ。


「ついてこい。どうせそこの娘は阿片は嫌だと駄々をこねるだろうからな」

「……よくおわかりで」

「多分本音は黄金婆さんに後で文句を言われるのが怖っだぁ!!??」


 杖刀を回収して革ベルトに固定したユーナに、小声で耳打ちしたアルトの耳横を掠めた風。薄く熱い一直線の傷を手で押さえ、アルトは一気に流れ出す冷や汗と煩くなる鼓動を制御しようとするが上手くいかない。


「無駄口は?」

「叩きません! はいっ!!」


 使いたくもない敬語を出すほど切羽詰まったアルトの口調に、ユーナは笑いかける余裕もない。いつ殺されてもおかしくない状況で、相手の地雷を踏んだアルトが悪いのである。

 ヴラドの足取りは静かながらもゆっくりとしたものだ。焦っている様子もないどころが、暇潰しのように贅沢な時間の使い方をしている。そして薄暗く狭い道ではなく、普通の道の真ん中を歩く。

 というのも、背負っている武器が大きすぎるために細い道を選びたくないからだ。しかしこの男が闊歩すれば、どんな道もあっという間に気配がなくなる。誰も彼もが恐れて別の道を進む。


「ヤシロも襲われたと聞く。しかしあれは例外が存在する。俺は頭を動かすのが嫌いだ。だったら、俺の下を訪ねる奴が犯人だと決めることにした」

「す、すごい暴論ですわね……カナンさんが聞いたら困りそうな推理ですけど」

「そうだ。その私立探偵に用がある。あいつならば、これくらいの事件は解決できるはずだろう。どこにいる?」

「あー、探偵は今頃ルランス王国であのいけ好かない怪盗の相手してるだろうよ」


 アルトが面白くなさそうに舌打ちを交えながら説明する。拗ねた子供のような話し方だが、ヴラドは特に表情も変えずに聞いていた。


「あら? わたくしはあの怪盗さん嫌いじゃないですわよ。確かに変なこと口走ってましたけど、鮮やかな盗みの手口は美しいの一言でしたもの」

「そ・こ・が!! 気に入らないんだよ! まるで昔から姫さんを知ってるような口振りに、いい男である俺様を出し抜く技術! 思い出しても腹立つ野郎だ!」

「……無駄口は?」

「う、だ、だから探偵はルランス警察の要望でアイリッシュ連合王国にはいねぇよ。帰ってくるのは十月半ばくらいだと思うぜ」


 うっかり話が脱線しかけたことに苛立ったヴラドの一言を受け、アルトは言いたい文句を呑み込んで軽くまとめる。

 ユーナはヴラドの反応を窺いながら、次の問いかけを待つ。一歩踏み出すたびに殺気が増えている。そしてヴラド自体が発する殺気が濃くなっているのだ。

 嫌な予感を覚えながらも薄暗い曇り空の下を歩く。そろそろ雨が降りだしそうな様子だが、地面よりも先に自分の体が冷たくなるかもしれない。


「今日までに鵞鳥頭に襲われた奴は三十五人。その全てが俺の配下ギルドメンバーだった奴ばかりだ」

「新聞では報じられてない情報ですわね。もしかしてそれで……」

「ああ、怒っている。人殺しから足を洗った奴らだが、腕は確かな者ばかり。そんな奴らが――気軽に倒されて生きている事実に、だ――」


 ユーナ達に背中を向けたまま、魔法を使ったヴラド。背負っていた大剣に赤い目と口が宿り、悪魔の笑顔を形作った後に黒い炎を吐き出した。

 それは地面に零れ落ちると同時に鼠の如く石畳の上を走った。黒の炎に囲まれたユーナとアルトは背中合わせになり、周囲を警戒する。

 建物の屋根上や影から傭兵ギルド【剣の墓場】に所属する者達が現れる。その数は優に二十を超えるが、彼のギルド規模から考えれば少ない数であった。


「俺は今から倒された奴らを殺しに行く。ヤシロもだ。負けて息を繋ぐ醜態を、俺自らが清算しに向かう。文句は?」

「大有りですわよ。犯人捜しではなく、被害者を殺す? つまりそれは――報復の準備ってことですわよね!?――」

「――そうだ。奴らの死体から骨を抜き出し剣に仕上げる――その剣で鵞鳥頭を殺す。邪魔をするな、紫水晶」


 会話と見せかけた魔法の呪文。ユーナの言葉によって発生した風が黒い炎を吹き払うが、ヴラドの言葉で無数の剣が宙に浮かんで制止する。

 ユーナとアルトを取り押さえようとヴラドの配下が動き出す。アルトが右手を動かそうとしたが、その手に短剣が突き刺さる。宙に浮かんだ剣はアルトとユーナの動きに反応していた。

 負傷した右手を押さえたアルトの体が捕らえられる中、ユーナは怒りのまま襲い掛かってきた男の頭を踏み台に空中へ踊り出す。しかしヴラドは振り返らずに、頭の上から血を浴びる。


 背中を五本の剣に貫かれたユーナの体が空中で揺らぐ。石畳に落下した瞬間、手の甲、太腿、足の裏、首、あらゆる場所に宙に浮かんでいた剣が突き刺さって動きを止められる。

 標本の蝶のように石畳へと貼り付けられたユーナは顔を上げない。流れ出る血の上に、雨粒が落ちてくる。数人の男に無理矢理抑え込まれたアルトは、口すらも塞がれ始めていた。

 血を拭うこともしないまま歩き続けるヴラドは、耳に届いた扇が閉じる音に反応した。まさかとは思いつつも、恐ろしい可能性を確かめるために振り向く。


 その眼前に、血塗れのユーナが迫っていた。石畳から刃先を抜き出したものの、体全体を剣に貫かれながら走り出していた。そしてヴラドの腰に力強く抱きつく。


 宙に浮かんでいた剣はユーナへと突き進む。それはヴラドへと迫ると同意義であり、何人かの配下はヴラドへと声をかけようとした。

 しかし指を一回鳴らすだけで全ての剣は消失。体に刺さっていた剣全てが消えたユーナは、白魔法を使いながらも雨に濡れ始めた石畳の上に崩れ落ちる。


「ど、くを……仕込んでいました、わね。あの黒い炎は……有毒なる『ヒュドラレリック』の……」

「魔導士には毒。基本中の基本だ。それよりも……何故、黄金律の魔女が持っている扇の音がここに?」


 無力に倒れ込むユーナに目もくれず、ヴラドは周囲を警戒するように首を動かす。その動作はヴラドにしては珍しいものであった。


「おば、あ様……は……」


 言葉を続けようとしたユーナだが、舌が痺れて思うように話せなくなる。後ろの方ではアルトも押さえつける必要もない様子で倒れていた。

 しかしヴラドは容赦なくユーナの襟元を掴み、持ち上げて揺さぶる。傍から見れば少女を追い込む男の図だが、二人の地位を知っている者からすれば最高位魔導士同士の戦いだ。


「吐け。あの音の正体を」

「…………あれは――魔法ですわ――」


 同時に耳横で鳴り響く鮮烈な扇の音に驚いたヴラドが、ユーナから手を離す。またもや石畳の上に落ちるユーナだが、その顔には笑みが浮かんでいる。

 そしてヴラドの配下達はもっと驚愕していた。いついかなる時も冷静沈着で慌てないヴラドが、挙動不審なまま周囲を見回しているのだ。なにかに恐れる姿など、初めて見る配下も多い。


「ふ、ふふ……交換条件ですわ。おばあさまの秘密一つを差し上げます。代わりに、鵞鳥頭の件はわたくし達の主導にする、と」


 出血で体内の毒を薄め始めたユーナは、起き上がれないまま口を動かす。どう見てもユーナが不利の状態だが、ヴラドは忌ま忌ましそうに唇を噛み締めている。


「……わかった。あの老婆の秘密と引き換えなら安い買い物だ」


 そして渋々とヴラドは頷いた。交渉でヴラドが譲るというさらに珍しい光景に、彼の配下達はユーナを恐れた。しかしアルトだけは体を毒で痺れさせたまま、苦笑いを零す。

 本当に恐ろしいのはユーナもヴラドも頭が上がらない黄金律の魔女なのだが、その真相を知るには黄金律の魔女を間近で見るしかない。そして誰もが彼女に恐怖するのである。

 最高位魔導士には基本的に優劣は存在しない。ただし個人の感情という物を含めると、育てられた二人は育て親と言うべき黄金律の魔女には精神的に敵わないのであった。

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