スチーム×ライブラ(天秤編・クイーンズエイジ1881の9月)
偽物同士の愛情表現
EPⅢ×Ⅰ【鵞鳥男《goose×criminal》】
クイーンズエイジ1881。夏の暑さが少し残る九月二十五日。スタッズストリート108番の
迫る聖ミカエル祭。それは時に
今年はロンダニアのガウェインガーデンにて赤銅盤の発明家マグナス・ウォーカーの渾身作と、有名作曲家ユースティア・ヴィレッジの新曲公開などの催しも用意されている。
人助けギルド【流星の旗】所属、及び万福屋店主フーマオが出店するという計画にユーナ達が意気揚々と準備を進めていた矢先の出来事。
借家の
先に説明すると、人助けギルド【流星の旗】は総合ギルド【大樹の根幹】から家を借りており、そこでメンバーの数人かはロンダニアに常在している。
そのため貸借料金を年に四回支払う契約をしていた。支払日は季節の節目まで、秋分となる九月二十九日までに入金する必要がある。そしてヤシロは二十五日に支払い先である
大樹の館はロンダニアの中央、シティ・オブ・ロンダニアに
世界規模の金融街。保険ギルド【ローズカンパニー】や大手金融機関も立ち並んでおり、ロンダニア大火記念塔にセントカール大聖堂などの歴史的建築物も威風堂々と建っている。
もちろん警備の人数及び歩く人々の質も違う。まさにロンダニアの心臓部ともいえる場所で、謎の襲撃事件が起きた。その被害者がヤシロなのである。
目撃者によると
不審者は逃亡。今も警察が行方を追っているが、外見が剣と秤と鵞鳥の頭の印象が強すぎるため捜査は難航。目撃者も不審者の特徴はその三点しか覚えておらず、むしろヤシロの外見に驚いていた。
燕尾服を着た少年。こげ茶の髪の頂点にはまるで生えているような犬耳の飾り。なにより目元まで伸びた前髪や肩まで届きそうな後ろ髪など、どう見ても執事らしいとは言えない。
彼は体が小さいのが特徴である。発育不良の男の子が大人の真似事のように執事と見えるような衣服を着ているのだ。目撃者がたまたま事件に遭遇したのは、最初はヤシロを不審者だと思ったからである。
コチカネット
借家で優雅な午後の一時を楽しんでいたユーナ達は驚き、一斉に放心しているナギサの顔を眺めて唇を震わせた。コージが人助けギルド【流星の旗】の大黒柱であるならば、ヤシロは土台である。
どんなナギサのドジもフォローし、料理に炊事洗濯及び借家に関することだけでなく経理や依頼客の対応も行っていた。ハトリはショックのあまりその場で倒れそうになり、チドリが渋々と彼女の背中を支えた。
珍しく借家で大人しくしていたアルトも風刺で有名な大衆雑誌キックを床に落とした。ヤシロが見知らぬ誰かに倒されたこと自体が既に驚きに値すると常日頃から考えているためである。
しかしタイミングが悪い時というのは、とことんまで悪化の一途を辿るのである。電報を握り潰しそうな勢いで眺めていたユーナは紙が二枚あることに気付き、恐る恐る内容を確認する。
ユーナは電報二枚目の知らせに眩暈まで襲ってくると感じた。この問題は世界で七人しかいない最高位魔導士でさえ頭が痛くなるような物であった。
「ヤシロさんが持っていたはずの……家賃がなくなっていた、と……」
ささやかながら重大な
ガウェインガーデン。ダムズ川を流通の道とし、貴重な野菜や果物を売る
クイーンズエイジ1666のロンダニア大火により、東の市場が消失して以来は地位を揺るがされることはない。路上では人形劇といったパフォーマンスも盛んである。
あまりの賑やかさと馬車の多さに、大きな籠を頭に乗せる紳士淑女もいるほどだ。そして九月二十九日の聖ミカエル祭に向けて多くの出店が人よりも大きい手袋に木屑や綿を詰めて形を整えていた。
聖ミカエル祭の主催者名は緑鉛玉の富豪ヴィクトリア・ビヨンドと商人ギルド【繁盛組合】の連名だが、実際の指揮は三つ以上のギルドに所属している万福屋フーマオである。
提案者であるフーマオはガウェインガーデンを利用する許可を得るために女王へ謁見できる最高位魔導士と、大勢の商売仲間を集めようと商人ギルドに協力を要請。食材ギルド【豊穣の賜り】もこの動きに参加していた。
雪玉が山肌を転がるように事態は大きくなっていき、農業ギルド、牧畜ギルド、生産ギルド、加工ギルド、流通ギルド、生活の根底に存在する多くのギルドが名乗りを上げていった。
全員の願いは、絶好の儲けを逃す手はない、という商売根性たくましい物である。
しかし一番の騒ぎはガウェインガーデンと呼ぶ際に必ず名前を現す
今回の聖ミカエル祭は三年以上前からの計画として準備は入念に行われていた。しかし四日前となって新たな問題が浮上したことにフーマオは苦い顔をしながら出張万福屋を訪ねたユーナを出迎える。
「ユーナのお嬢、ヤシロの旦那が襲われたってまじですか?」
「事実ですわ。フーマオさんの出張店を手伝う大切な御方でしたのに……」
「姫さん、それだとチビ助が死んでるみたいだから」
涙を拭う動作を見せるユーナに対し、付き添いで横にいたアルトがさり気なく注釈する。しかし今にも瀕死に至りそうな顔をしているのはフーマオである。
細められた猫目に、外に跳ねた黒髪。頭の上には縦長の紙袋のような服と同じデザインの帽子。それすらもふらつくように揺れている。
「……ナギサさんを看板娘にするのは?」
「それだったら本物の看板を作りますよ!! せめてハトリのお嬢をください!!」
ユーナの提案にフーマオは顔を蒼白に染めて、首を勢いよく横に振る。一見コミカルな動きだが、内容は真剣そのものだ。この場にナギサがいたら涙目物ではあるが。
赤い円の中に万と書かれた刺繍がある白い前掛けを腰で赤の布を巻きつけて固定している。だがそれずらもずり落ちそうな勢いだ。黒いズボンと蓁国の薄底の靴など、実はどれも一級品の素材で作られている。
商人がみすぼらしい格好をしていては客との信用は築けない。清潔でありながら印象に残るように、それでいて少し高級。フーマオは金で買えない物を売るのが商売だと常日頃から宣言している証しだ。
「チドリの旦那は!? あの御方ならば店員として外見満点、内面高得点です!」
「もちろんチドリさんは手伝うと言っていました。ただし流れ的に必ずハトリさん、そしてナギサさんが付いてきます」
「ヤシロの旦那ぁあああああ!! なんでこんな時に倒れてしまったんですかい!? ナギサのお嬢をフォローできるの旦那くらいなのにぃいいい!!」
頭を抱えて叫ぶフーマオに対し、ユーナとアルトは同情するように何度も頷く。人助けギルド【流星の旗】一番の破壊天使メイドは、どんな雇い主も顔を青ざめさせる最強ドジっ娘なのである。
まず借家の柱や階段の手すりなど、転んでは壊すのはナギサの役目である。それを補修するのがユーナやヤシロだ。ナギサは天然な性格でほぼ無自覚なまま白魔法を使うため、常人以上の破壊力なので仕方ない。
しかもナギサが慌てて自分で壊れた箇所を直そうとすると、さらに破壊が広がっていく。先手を打って止めた上で別の仕事を割り振ってくれるのがヤシロだけなのだ。
仕事上で常に助けてくれるヤシロに対してナギサは尊敬を抱いている。だからこそヤシロが倒れた今、いつものお礼を返そうと無駄に張り切っている。
流れからチドリがヤシロの代役として店に立つならば自分もと立候補するので、ユーナ達はそのことについてフーマオに報告しにきたのであった。
ちなみにハトリはナギサよりもドジをする事例は少ないが、チドリの意識がハトリに集中していると仕事の効率は極端に下がるだろうという予測は全員が理解していた。
「カナンの旦那達は探偵業で忙しいらしいし、このままでは最終手段であるアルトの旦那とユーナのお嬢に手伝いを頼むしか手段がないですよぉ……」
「商売事に向いてないのは自覚してますが、最終ってなんですか。そこまで酷くはありませんわよ」
「最終兵器ではありそうだけどな」
アルトの言葉に対し即座に腰の革ベルトから杖刀を解放し、思い切りよく振りかぶるユーナ。もちろんアルトは身軽に避けているが、フーマオが焦ったように注意する。
ただでさえガウェインガーデンは人通りが多い場所。しかも今は祭りの準備で忙しく、通常よりも二倍近い人が歩いているのだ。そんな場所で魔力を吸う杖刀を振り回すのは言語道断だ。
平均の魔力を持つ者でさえ杖刀に触れれば貧血に近い状態に陥る。以下ならば気絶してしまうし、以上でも眩暈に襲われる。手にして平然としているユーナが異常なのである。
「ちょちょ、ちょーい!! ユーナのお嬢、ここでは杖刀禁止です!!」
「わかりました。拳で野蛮猿を黙らせろということですね」
「店先での喧嘩行為も禁止!! 営業妨害するというのならば、ウチも黙っていませんよ」
杖刀をベルトに固定した後、指を鳴らすユーナ。しかしその耳に金属が擦れる音が幾重にも聞こえてきた。音の発信源はフーマオの長すぎる袖からである。
商売と金に関しては妥協しないフーマオ。彼の店で万引きや窃盗などの犯罪を起こした者は地獄を見る。それを証明するようにいつもは糸のように細めている金色の目から怪しい光が放たれていた。
決してフーマオは強いわけではない。それでも敵に回せば恐ろしいことはユーナも承知している。だからこそ味方であれば心強い相手ではあるのだが。
「命拾いしましたわね、野蛮猿。それでフーマオさん、ヤシロさんが襲われた際にもう一つ問題である家賃がなくなっていまして」
「金貸し業はしていません」
「いえ、金の無心に来たわけじゃありませんから」
「猫にいちゃんなら不審者の心当たりないかな、と聞いてんだよ」
金に厳しいフーマオの発言を軽く流しつつ、ユーナとアルトは眉根を寄せる。その反応にフーマオは首を傾げ、もしかしてと表情を変える。
「聖ミカエル祭に関係がある、と?」
「目撃者によれば鵞鳥の被り物をしていたと。そして剣と秤。聖ミカエルを基準とした姿というのはすぐわかりましたわ」
聖ミカエル。守護天使、四大天使の一人、熾天使、天使達の長、堕天使ラファエルの弟。様々な立場を持つ世界でも有名な天使であり、クロリック天主聖教会でも多くの崇敬を集める天使として重要な存在だ。
その容姿については諸説あり、共通事項は右手に剣と左手に秤。悪竜退治で名高く、運命の日には秤で魂の罪を量って人間の行く末を決めると言われている。
秋のことをミクルマスと呼ぶのは、聖ミカエルの休日を由来にしているという説も語られているほどだ。故に九月二十九日はアイリッシュ連合王国でも祝日と定めている。
そして鵞鳥は聖ミカエル祭にとって重要な三つのG、その一つである。つまり
手袋には保護、愛、約束、決闘の意味合いが含まれ、左手の手袋は高貴も追加されている。紳士淑女が手袋を着用しているのは肌の露出を抑えるためと、それらの意味を理解しているからだ。
この手袋を店先に飾ることで王や領主達は市場を開くのを許可の約束とし、商売や取り仕切りする者達は売り上げの一部を慈善事業に渡すという契約だ。
生姜は秋となって体調が崩しやすい時期の薬用植物として重宝され、聖ミカエル祭でも様々な調理法に使われる。かつて大流行した
新鮮な生姜は九月が一番美味しいと信じられており、また病からの守護という点で聖ミカエルと関連付けられたのかもしれない。修道院でも多くのハーブと一緒に生姜を育てている。
蓁国の医術の中に登場する漢方薬でも生姜は材料として幅広く活用されている。また加熱するか否かで効能も変わってくる食材として、民衆に馴染み深い物だ。
最後に鵞鳥は豊穣や母なる大地を思い起こさせる存在であり、収穫期には丸焼きにして食事に出すのも好ましく、様々な調理法でも活躍することができた。鵞鳥が食べられない者は鵞鳥の羽根を飾った鶏肉料理を食した。
一流の
流通が難しい新鮮な果物を鵞鳥肉料理に添え、粛々と机へと運び、独自の包丁捌きで部位を切り分ける。そして首級ともいえる頭はその場で最も栄誉ある者の皿に置かれる。
さらに聖ミカエル祭に鵞鳥を口にすれば一年を通じて悪運と縁が切れる、と信じられていたので、ミカエル祭の祝宴には必ず食べるのはほぼ常識に近い。
八月に鵞鳥が南へ渡ると、厳しい冬がやって来るという言い伝えも。これは少しでも早く温かい土地に移動するため、鵞鳥達が身に着けた知恵のような物である。
しかして鵞鳥には家禽として面倒を見なくてはいけない故に愚鈍、鵞鳥の祖先は渡り鳥であることから風、他にも亡霊、雪、自惚れ、用心深さ、雄弁、生命と再生など様々な象徴として扱われる。
ヤシロを襲った相手の特徴を聞いた後、ユーナは相手の狙いに聖ミカエル祭が含まれていると判断した。縁起物を、悪行により貶める行為に近い。
「最初は『
「とんでもないビッグネームを出してきましたね、ユーナのお嬢」
「大体悪竜退治が目的なら狙われるべきはチビ助じゃなくて姫さんだもんな」
「ええ、アルトさんの言う通り……まあ襲ってきたら迎撃しますけど」
聖ジョーギア。アイリッシュ連合王国を含めた多くの国で守護聖人と扱われ、世界規模の西では十四救難聖人に数えられている。異教徒の王による改宗に屈せず誇りある尊き殉教者。
ビリシァ王国の語義でジョーギアは大地で働く人、農夫を意味すると言われている。そのため民衆にも絶大な人気を誇っており、彼の伝説は寝物語として少年達がせがまれるほどだ。
彼の最も有名な伝説は毒を撒き散らし生贄を求めた悪竜退治。愛馬を引き連れて槍片手に勇猛に立ち向かう軍人。伝説の経緯から家畜や兵士の守護も担う偉大な人物であり、白地に赤い十字は彼の象徴として扱われる。
「となると、やはり聖ミカエル……鵞鳥の被り物からして祭り関係であるのは明白ですわ」
「あー……心当たり、残念なことにあるんですよねぇ。はいこれ」
渋々といった様子でフーマオは長すぎる袖から紙を取り出す。一枚ではなく、十数枚の簡素なメモ。どれも適当に破いた後で丸めたような跡が残っている。
あえて粗雑に扱うことで元のメモを辿れないようにしているらしい。四次元なのではないかと疑いたくなるフーマオの袖を無視し、ユーナは一番近い位置にあったメモを取り、その皺を伸ばしながら読む。
アルトも横から紙面を覗き込み、目を輝かせた。ただしユーナは明らかに面白くなさそうな顔をして、眉を八の字に下げているフーマオの顔を注視した。
聖ミカエル祭を中止しろ。さもなくば天罰が市場を焼くであろう。
そう書かれたメモをもう一度、しかし力を込めて丸めた後に軽く宙に放り投げ、素早く腰の革ベルトから解放した杖刀を使って遠くに打つ。紙は無力にダムズ川へと落ちていった。
この場に私立探偵がいたら慌てて止めそうな動きだったが、アルトや商人であるフーマオは幾分かすっきりした顔で眺めたまま口を閉ざしていた。野球やクリケットはアイリッシュ連合王国でも好まれているスポーツだ。
ある意味場外ホームランを行ったユーナは普段と変わらない様子で杖刀を再度腰ベルトで固定し、一息ついた後に地底から這いずり出てきた屍のような声で呟く。
「次から次と性懲りもない……」
それは今まで解決してきた事件、それとこれから起きるであろう騒動に対しての言葉であった。
秋の装い。そろそろ冬の定番として使っている白コートが恋しくなってきたユーナは、歩きながら店の硝子窓越しから見える愛らしい洋服に目を向ける。
今のユーナの服は黒い歯車模様が描かれた白い羽織、その下に茶色のベストと白シャツを着ており、相も変わらず下は短い紺色のスカートである。念のため薄手の膝上靴下は履いているが、太腿は曝け出されている。
ブーツは黒に赤いラインが入った物で、最近は靴底がすり減っているため買い替えかもしれないと苦悩しているところだ。それもこれも一ヶ月に一回の頻度で起きる大騒動のせいで暴れ回るせいだ。
そんなユーナが年中変えないのは紫色の髪に映える黄金蝶の髪飾りと黒革ベルト、そして刀と呼ぶには長すぎる杖刀である。特に黄金蝶の髪飾りは赤ん坊の頃からの付き合いである。
この三つと組み合わせるとなると、どうしてもドレスが似合わない。なにより長スカートは動きにくいと、ユーナ自身が恥を忍んで短いスカートを穿いているのは自業自得とも言えた。
最近では不思議の国アマリリスという童話による影響か、子供用のエプロンドレスでお洒落を演出しようという動きが盛んだ。今も通り過ぎた子供のフリルが秋風で軽やかに翻ったところである。
「で、姫さん。どこへ向かってるんだよ?」
「貴方についてきてほしいと頼んでませんわよ、野蛮猿。まずは大樹の館……そして傭兵ギルド【剣の墓場】の借家へと」
後半は言いにくそうに小声で呟いたのだが、アルトは聞こえてきたギルド名に対して一瞬だけ笑顔を固くする。木枯らしで飛びそうになっているハンチング帽子は辛うじて手で押さえた。
アルトの外見は街角で新聞を売り歩く少年のように、白いシャツに茶色のサスペンダーと七分丈のズボンにブーツである。シャツ以外は淡い茶色で構成されているため、アルトの濃茶色の髪と調和が取れていた。
ただしサスペンダーは片方を腰から垂れ下げているような状態で、あまり身嗜みが整っているとは言えない。夜になればジャケットを着こむ必要があるだろう。
「まじか? 姫さん、まじか? あの……傭兵おっさんに会いに行くつもりなのか?」
「もしもヤシロさんを襲ったのが聖ミカエルを模した犯人なら、狙うは悪……つまり命を奪う行為を常日頃からしている者の方がわかりやすいでしょう?」
「確かに監獄にいる奴には手出しできないし、傭兵おっさんの所ならば黒魔導士が集まってるからなぁ……ただどの借家かわからねぇだろ」
「ええ……ヴラドさんは複数の借家を保持している、かつ、何処もきな臭いという……」
ヴラド・ブレイド。世界で七人しかいない最高位魔導士の一人、黒鉄骨の魔剣士。そして傭兵ギルド【剣の墓場】のギルドリーダーであり、あらゆる戦争に彼の影は色濃く落ちる。
最もアイリッシュ連合王国に貢献している、が、数えるのも躊躇うほどアイリッシュ連合王国の法を無視している、と言われている。その最大の理由が、彼自身が最強の
魔導士とは資格を有する者だけが称号として使える。しかし世間一般の常識から、魔法を使う=魔導士、という認知から生まれた名称が黒魔導士である。
つまりは資格無くして魔法を行使する者。それは最初の魔導士と言われる黄金律の魔女が現れた時代から存在する不届き者のことだ。しかして彼らに脅威はなかった。
管理ギルド【魔導士協会】が資格を持たぬ者を処罰してきたからだ。身内の不始末は身内で片付ける、といった具合に国王からも特別に制裁を認められている。
しかし事態は一人の男が戦場に現れたことで一変する。それは川に小石ではなく、穏やかな海洋に隕石が落ちたのと同じ衝撃と驚きが広がった。
とある異教徒による大きな暴動を治めるべく、軍が敵地へ向けて進行していた時だ。兵士達が目撃した光景は今でも様々な絵画に残されているが、内容は統一されている。
敵地は小さな村だった。火に焼かれ、女子供の首は門に飾られ、男達の頭は葡萄のように紐で組み上げられて馬の首に吊るされていた。そして胴体は全て無惨に捨て置かれて野犬に食い散らかされた。
集まった野犬を殺して笑いながら食する異教徒達が崇めていた邪神の存在すらも忘れるほど、進行していた軍は目の前の光景を心の底から恐れた。骨で作り上げられた剣に貫かれながらも、異教徒は生きていたのである。
生存したまま積み上げられ、無数の剣に刺されながら、苦しみに足掻いても動けず、腹が減れば積み重なった上下の仲間を食す。時には他人の糞尿を喉に詰まらせて自殺しようとした者もいたほどだ。
――生きるがいい。村人の恨みを、悔しさを、哀しみを、怒りを、その身に全て受け止めて生きるがいい。ここは剣の墓場。生きながら死ね――
そう告げた男は異教徒が用意した傭兵だった。出生も経歴も不明の男は、ただただ山の頂点で異教徒達を見下していた。自殺したくても、できない。そんな状況を作り上げた元凶。
軍人達は気付く。異教徒達を貫く骨の剣は、村人の骨であったことに。子供の骨も、女の骨も、老人や赤ん坊の骨さえも、全てが剣として鋭く砥がれていた。そして黒鉄で補強されていた。
狼に食い荒らされた肉も、馬の首に飾られていた頭も、門に掲げられた首も、全てひとまとめにして盛大に焼かれていた。その火で黒鉄は鍛えられ、力強くも恐ろしい輝きを宿す。
異教徒達は死者への供物であり、墓標だった。この全てを魔法で成し遂げた男の出現に軍は恐慌状態に陥り、一戦も交えることなく撤退する事態になった。
その知らせは当時の国王へと届き、二人の最高位魔導士にまで話が及んだ。しかし白銀砂の貴婦人レディ・シャーロットは要請を拒み、黄金律の魔女グランド・マリヤが村へと赴くに至る。
黄金律の魔女がどのような手段を取ったかは明かされていない。だが傭兵の男、当時は名前を持たなかったヴラド・ブレイドは首都へと連行された。
あらゆる法廷、裁判、尋問、神の御前、幽閉塔、王の眼前を巡った男は処断されなかった。当時、次期最高位魔導士と評された青錫杖の僧侶ツァン・マキナですら驚くべきことであったと語る。
男は魔法を学んだのではなかった。教えられた事実もない。しかし男は物心ついた時から魔法を使っていたと語る。実際に男の魔法は黄金律の魔女が公表した五大魔法の系統から大きくずれていた。
本来魔法は魔力を用いて『
貸借ではなく強奪。それを成し遂げられる魔力量を生まれながらに保有し、実行できるという鬼才。天に愛されたというには、あまりにも恐ろしい才能だった。
そして男の罪を問うことも難しかった。殺人は罪、しかし男は軍が討伐しようとした異教徒を殺している。もしも男を処断するならば、軍にまで被害が及ぶ。
なにより男の才能、才覚を国王が惜しんだ。村人のために異様でありながら異教徒を討ち取った功績も、いつしか人々の間で悪の英雄譚として持て囃されていった。
正義ではない、確実な悪。それでありながら裁くことができない。男は無関心に全ての流れを周囲に投げていた。殺されるならば、敵も味方も殺害して生き残る。剣の墓場を積み上げる。それが男の生き様だ。
男を中心に国内で争いが起きようとした間合いで、黄金律の魔女が男の身柄を預かると宣言した。曰く、魔導士としては最悪な一流に育て上げたい、とのこと。
名前を与え、教育を仕込み、そして黄金律の魔女は見事に男を最高位魔導士として昇り詰めさせた。最強で最悪の無資格魔導士、黒鉄骨の魔剣士という称号を国王から授かるところまで。
男がまず行ったのは無法者の溜まり場として自らギルドを作り上げること。そしてあらゆる黒魔導士が彼の下に集まった。こうして彼の登場により、黒魔導士はわずかながら脚光を浴びる。
管理ギルド【魔導士協会】はもちろん頭を抱えた。彼の影響で黒魔導士の質が上がってしまったのだ。簡単に処罰することもできず、中には上位魔導士よりも強い黒魔導士がいる。
最高位魔導士に届く実力者を保有する傭兵ギルド【剣の墓場】はこうして誕生した。悪徳も、罪悪も、あらゆる汚れと不浄を受け止めて膨れ上がるが、爆発せずに統制されたまま。
なにより恐ろしいのは、ヴラド・ブレイドを追い越す魔導士が色に関係なく数百年現れないのだ。直接的な戦闘力と攻撃に関する魔法ならば、最高位魔導士の中でも随一。
謎は多いが暴れると酷い被害をもたらす紫水晶宮の魔導士、誰もが認める魔法の祖である黄金律の魔女。この二人でさえ、ヴラド・ブレイドと闇打ち込みの戦闘でも勝てないと語るほどだ。
しかし彼は何故かアイリッシュ連合王国が行う戦争に加担する。従事と言うわけではないが、ギルド内で編成した傭兵隊は大きな戦力として重宝される。
そしてヴラド・ブレイドが前線に出た戦いは勝利を約束されたも当然、と称賛される。そのせいで軍からは嫌われており、激戦地区に派遣された傭兵隊が飛ばされることも常時だ。
激戦地区に配置された傭兵隊は確実に戦果をあげる。だがそれは敵も味方もほぼ全滅という状況だ。そして彼らが戦った場所には人骨で作られた剣が墓標として立っている。
クイーンズエイジ1853に起きたクリオネ戦争でも多大な被害が出た。この戦いはアイリッシュ連合王国がルランス王国と共に横槍したような物で、ヴラド・ブレイドは参戦していない。
しかし彼の配下である傭兵隊は幾つも壊滅しており、特に黒鉄剣隊と呼ばれた傭兵隊は最も犠牲が酷かった言われている。それでも傭兵ギルド【剣の墓場】は揺らがず、存続を続けている。
黒魔導士の犯罪率を上げ、質向上による被害の拡大に、彼に憧れての無資格者増大。しかし戦いの場において、彼らほど凶悪で頼りになる者もない。捨てるだけの安い命を、ただでは捨てない。
善悪で語ると、彼らは難しい。利益の話でも収支はつかない。信用や信頼、絆でも表現するのは困難。しかし背筋が震えるほど魅力的なのだ。
そんなヴラド・ブレイド率いる傭兵ギルド【剣の墓場】は大所帯なので幾つも借家を持っているが、これが墓場の近くやジンショップに阿片窟など。薄暗くて危険が多い場所ばかりなのだ。
しかも大体が地下に続く細い階段を下りた先にしか存在せず、迷い込んだ旅人などは泣くだけで済むならば僥倖と言うべき荒くれ者が集まっているくらいだ。
一番の問題は、何処にヴラド・ブレイドがいるか把握しているのは総合ギルド【大樹の根幹】のギルドリーダーだけなのである。
「……眼帯おっさんが血を吐いて倒れてたらアウトだぜ?」
「それでもアドランスさんしか居場所を知らないのだから、仕方ないでしょう。あの御二方、思想は正反対なのに考え方や合理的なところはそっくりですから」
向かうはシティ・オブ・ロンダニア。全てのギルド申請を受け付け、あらゆる補助を約束する総合ギルド【大樹の根幹】の本部、大樹の館へ。
ただしそのギルドの頭がストレス性胃炎持ちである上に、三日に一度は病院送りにされている。日々の騒ぎで威厳は半減。ロンダニアに雨が降る頻度で病院に向かうリーダーは二十四時間年中無休状態だ。
しかも送られる病院で花と鳥の名前を冠する看護婦長がいるが、クリオネ戦争で天使と謳われた彼女の本質を知っているユーナとアルトは病院送りにされていないことを切に願った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます