EPⅡ×ⅩⅤ【嘘吐き達の真実《liar×truth》】

 劇の打ち合わせをしていたミレットは台本を自分の足の上に落とす。しかし痛みよりも驚きが勝り、視線が一点から外れないまま目前の光景が揺れる。

 桃色の髪が劇場にできた隙間から吹く風に靡いている。冬に近付いたせいで本格的に冷える十一月七日。一日空いたのは、十一月五日の大騒ぎで街中が呑み込まれたからだ。

 そんなことよりも、ミレットはシェーナの短い髪に驚いたのだ。どこかの魔導士を彷彿とさせるような、淑女としてはあるまじき長さの髪にあらゆる語彙力が消え失せた。




 ロンダニア橋は時計塔に住む時の神クロノス協力のもと再建された。代わりに大量の魔導士が病院送りにされたニュースは三面記事にひっそりと書かれているくらいだ。

 路上に突き刺さった山のような剣、荒れた石畳や破壊跡、なんでこんな所までと言うべき高さの位置にできた焦げ跡。管理ギルド【魔導士協会】は最高位魔導士二人の所業に溜め息をつくしかない。

 街を救うためとはいえ、被害が酷すぎる。これならば潔く『化け物モンストルム』の被害に遭っていたほうが軽かったのではないか、と何人かの事情を知らない下位魔導士は肩を落とした。


 警察とあらゆるギルド、ロンダニア中の組織が結託して被害を一日で回収し、十一月七日には元通りの街並み。もしも近々、次に大きな破壊があれば素直に工事を頼むしかない事態。

 それもこれも『化け物モンストルム』達が後始末もせずに街から消えたからである。詳しいことを知っている紫水晶宮の魔導士は黙秘を決め込み、ドバイカムは怒りのまま提出書作成に追われていた。

 コージも住民の苦情受付や警官達の指示、あれだけの大騒ぎがあったにも関わらず毎日起きる事件に対して奔走している。正直な数字でまとめると、確認されている事件の多くは人間が起こす物であった。


 賑やかな街では十一月五日の青と赤の炎による幻想的な光景と、不可解な化け物達の出現に息巻いていた。あれは本物なのか、それとも一種の演出なのか。

 十月三十一日にダムズ川付近にいた人物達は少年のような吸血鬼が黒幕なのではないかと噂し、中には南瓜頭の生物がハロウィーンを盛り返そうと騒いだなど、推測だけが飛び交っている。

 ただ一つ共通するのは、噂を口に出す人物の誰一人と真実を知らないということ。そして話題はロンダニア・デイズに特別出張連載されるカロック・アームズの最新作について移行する。


 ルトランド通りでは売り切れの苦情を電報で受け取った新聞社や出版社が嬉しい悲鳴を上げ、花を運ぶ馬車がライムシア劇場前で新しい劇のポスターが制作中なのを目にしていた。

 車輪が、靴音が、樽が転がる衝撃すらも、石畳は賑やかに奏であげる。一番被害が酷いと言われたルトランド通りですら、魔導士の力により一日で復活するのであった。

 白い息だけでなく耳まで真っ赤にした人々が厚手のコートを羽織り、曇り空を見上げる。重い灰色の雲からは今にも大粒の雪が降って来そうな寒い日。


 しかし灰光灯ライムライトに照らされた舞台上は大粒の汗が流れるほど暑い。クリスマス前の公演に向けて、役者達は多くのトラブルに見舞われながらも練習を続けていた。

 大不評の上に事件が起きた勇者劇は代役を立てたものの、結局あの一夜限りの探偵劇場再演の声が大きいのは喜ぶべきなのか迷うところである。勇者劇はあと少しで千秋楽最終日を迎える。

 探偵劇場の脚本は練り上げている最中、次の劇はすでに吸血鬼物と決まっていた。しかし肝心の主役である少女が十一月五日に問題を起こし、あえなく降板。


 二連続で主役を担う役者が問題を頻発させたせいか、演出家たちだけでなく劇場オーナーすらも頭を抱えていた。なにか悪い『妖精モンストルム』の仕業にしてしまいたいくらいだ。

 そこで劇場オーナーは子役達が集まっている所に堅パンバノックと上質な牛乳が入った皿を乗せた盆を差し出す。誰かこれを道具部屋の隅に運んでくれないかと。

 多くの子供達は次の劇が予想以上に混乱しているせいで苛ついており、多くは素気無く断る。しかしミレットが勤しんで手を上げ、シェーナも戸惑いながら立候補する。


 道具部屋にはかつて茶色の小人ブラウニーが住んでいた。ミレットのフリルを千切り、最後には光となって消えた『不思議な存在モンストルム』として二人の少女は覚えていた。

 もしかしたら悪戯が成功したように、潰れた果実のような顔で笑いながら出てくるのではないか。またドレスの裾を破るのではないか、と期待と落胆を半々にしながら道具部屋へと向かう。

 薄暗い道具部屋に人の気配はない。無機質な石膏像に精巧に作られた絵画の偽物レプリカなど、雑多に並んでいる。床の穴が空いた場所には板が置いているだけだ。


 床から突き出ていた棺桶は管理ギルド【魔導士協会】が回収してしまい、どこにもない。おそらく魔導士達は吸血鬼が眠っていた棺桶として、資料扱いしていることだろう。

 部屋の隅に盆を置き、ミレットは落ち着かない様子で部屋を見回す。しかし天井、静かな物陰、汚れた壁。どこにも変化はない。やはり劇場に住んでいた『お手伝い妖精モンストルム』は消えてしまったのだろう。

 諦めて部屋を去る少女二人の耳に聞こえてきた、皿の音。慌てて振り向けば食い散らかされた堅パンと零れた牛乳。そして怯えたように天井へ姿を消す茶色の影。


「……見た?」

「……うん。見えた」


 少女二人は呆然と天井を見上げ、その後すぐに顔を見合わせる。お互いに頬が紅潮し、緩む口元を押さえようと顔の筋肉に力を入れているせいで、下手な笑顔ができている。

 まるで二人の少女の想いに応えるように、人間が無意識に放つ感情と魔力が形となったように、ライムシア劇場に新しい『茶色の小人モンストルム』が現れた。

 きっとまた物がなくなる。片付けていた部屋が散らかされ、その逆も然り。生活の中に常駐する不思議が戻ってきたことに、二人の少女は吹き出すように笑い声を上げた。


 前の茶色の小人ブラウニーとは違う。それでも欠けて足りなくなっていた破片が、思わぬ所から出てきたような感覚に涙が零れるくらいに笑い合う少女達。

 なんて気紛れ。なんという不可解。それなのに愛しい。もしもここにとある紫魔導士がいれば、人間が大好きな『彼らモンストルム』らしいと微笑みながら説明するだろう。

 しかし二人の少女にとって茶色の小人ブラウニーが住んでいるという事実だけで嬉しかった。今度はきっと名前が聞けるし、怒ることだってできるのだ。


 そんな当たり前が喜ばしいと思える。シェーナは短くなった髪を指先で丸めながら、ミレットに対して歩みを止めないまま振り返る。


「あ、アタシね……白魔法を学ぶことにしたから。長生きして、ミレットちゃんを追い越しちゃうからね!」

「……は? ちょ、え、まっ、わ、私だって!! そう簡単に抜かせてあげないんだから!!」


 白魔法。体を常に最高の状態で維持し、長命となる魔法。魔導士としての資格を必要とせず、魔力さえあれば可能性が増えると一般人にも普及された魔法だ。

 杖刀に触れてお腹を減らしつつ眩暈を起こしたシェーナに対し、紫魔導士が学ぶのを勧めたのだ。天才には敵わないというのは、百年しか生きることができないからだ。

 ならばその二倍、三倍……何倍もの年月と努力を積み重ねればいい。凡人にとって大きな味方こそ、時間なのである。そして時間は金では買えない、尊い物である。


 もしもミレットが五十年で大成するならば、シェーナは二百年使って追い越せばいい。なにより白魔法は人間にだけ与えられた可能性なのだ。

 たとえ『化け物モンストルム』でも不可能な領域。そこに手を伸ばすことで、人として生存を選ぶ。シェーナはその言い方に首を傾げたが、天才を超す可能性に対して素直に頷いた。

 おそらく目の前の魔導士のようにいつまでも少女のまま生きられない。少しずつ、常人よりも緩やかな速度で老いて長生きする。それでもシェーナはいいと思った。


 どんなに皺くちゃの老婆になっても、灰光灯の下で役者として立てるなら。暗闇の中でも、きっと見つけてくれる。誰かとは言わず、シェーナはそう確信していた。

 そのためにはなにがあっても舞台の上に立ち続ける。短くなった髪を再度伸ばすことを決心しながら、シェーナは舞台へと続く細長い道路を軽やかな足取りで進んでいく。

 戻ってきた二人に対し、劇場オーナーが勢いよく人差し指をシェーナに向けた。純朴な心優しい娘役、主人公として舞台上に立つと決められた瞬間であり、異例の大抜擢。


 まさかの盆を供えるおつかいが役決めとは思っていなかった子役達は、シェーナやミレットも含めて大きな驚愕の声を上げる。それを天井裏から眺めていた茶色の小人ブラウニーは楽しそうに笑っていた。





 ルトランド通りにある探偵事務所の寝室で包帯の数を増やしたカナンは新聞を片手に苦笑していた。予備の車椅子と義足も破壊され、外出が困難な状態になってしまったのだ。

 予備が一つしかなかったわけではない。傷だらけで帰ってきた直後、紙巻き煙草シガレットを吸っていたバロックが灰皿片手に全て壊したのである。こうしないとカナンがまた無茶すると理解したが故の思い遣り、というよりは八つ当たりである。

 絶対安静をあらゆる人物から言い渡されたカナンは大量の本をベット横に積み上げ、優雅に時間を潰していた。現在読み返しているのは児童書の路地裏ニャルカさんという小説だ。


 冬に近い低い位置からの日差しが新聞の紙面を照らす。それでは部屋が温まらないため、暖炉には赤い炎が煌々と燃え盛っている。蒸気機関暖房器では、本が湿気る可能性がある故の選択だ。

 新聞の一面には十一月五日に起きた奇々怪々な事件で予想される経済の混乱、警察の見解、魔導士達の動向などあらゆることが記載されていた。しかし流石のロンダニアの記者ですら真実には辿り着いていない。

 大きく紙面を飾る白黒写真フォトグラフには影絵のような宙に浮く案山子と竜、そして白く浮き出る二つの炎。色がないため、実物を見た時ほどの驚愕は伝えられない。カナンは一面を通り過ぎ、連載小説欄を見つめて小さく笑う。


「バロックん、連載第一回から犯人を当てたら怒るん?」


 ベットの横に置かれた木製の一人用の机と椅子。上等な物なのだが、バロックが苛立ちながら靴を履いたまま机に脚を上げて不貞腐れているため、若干場末の酒場に近い雰囲気だ。

 相変わらず黒い外套を室内でも着崩しており、肩部分がはだけた状態だ。長い黒ズボンに白シャツ、その全てが一級品でありながら皺ができる体勢に文句を投げる相手はこの部屋にはいない。

 しかしどんな荒れた状態でも、バロックという人間には色香が漂い、艶やかな黒髪だけで何人の男を惑わしてきたかは言うまでもない。濡れた黒目も怒りに満ちているが、カナンは特に気に留めずバロックの返事を待つ。


「執筆者にそれを聞くとか、アルトに影響されて性格悪くなったか?」

「だってこれはあの事件を題材にしているやろ? 創作フィクション非創作ノンフィクションの融合なんて、あとで大変やん」

「どっかの原作者が傷を負いそうな言葉だな。しかしこの事件に関わっている割に、全く気付かない張本人愛読者もいるけどな」

「あー……ほんま、なんで気づかんかなぁ。せやろ? カロック・アームズの生みの親さん」


 歯を見せて笑うカナンの額に紙巻き煙草が入った包装箱が飛んでいく。反応できずに軽い衝撃を受け、カナンは片手で額を擦る。


「しかも美人さんと気付く人もおらんな。みーんな、バロックんは神経質そうな細身の紳士というイメージやん。読者の手紙より抜粋やけど」


 シーツの上に落ちた包装箱をバロックへと投げ返すカナン。弧を描いたそれを難なく手に取り、外套の内ポケットへと仕舞う作家は静かに息を吐く。

 細身で長身。その点に関しては間違いはない。しかしバロック・ホームズは『女性』である。それを隠したことも、曝け出したこともない。周囲が勝手に憶測していくだけなのだ。

 初見でバロックの正体を見破ったのはカナンだけである。女性であり、物書きであり、しかも睡眠が充分にとれない人気作カロック・アームズの作者だと。


「そんなことよりもだ。吾輩は今回の事件が知りたいのだ。さあ、吐け。それを物語にするかどうかは吾輩が決めてやる」

「ええよ。僕としても少しまとめたいところやったん。まず……どこから話そうなぁ」


 迷う仕草を見せたカナンだが、最初に語るのはジャック・オ・ランタンについて。聖職者を騙したことにより、天国にも逝けなかった男。

 地獄に向かうには善行を積みすぎだ。そんな彼が『化け物モンストルム』になって与えられたのは、杖刀と同じく魔力を吸う『石炭ジェム』であった。

 それを吊り下げ灯に入れて、現実を彷徨っていた。そして出会ったのがグイ・バッカス。今回の事件の核は、二百年以上前から作られていた。


 グイ・バッカスがただの犯罪者として歴史に名前を残す程度ならば良かった。しかしアイリッシュ連合王国は、事件を未然に防いだ偉業として祭りに仕立て上げてしまった。

 今ではすっかり民衆に馴染んだ祭りだが、友人が何度も人形として燃やされる姿を二百年眺めた『化け物モンストルム』は苦悩した。大好きな人間が、大好きな友人を燃やす。

 何度も迷っただろう。グイ・バッカスが企んだことは悪である。それは擁護できない。しかし百年単位で燃やされる罰が善であるのか。それを祭りとして、盛り上がるのは悪ではないのか。


 愛しい。されど憎い。


 死ぬことができない『化け物モンストルム』にとって、友人が何度も擬似的に殺されていくのを見るのは辛かった。許したい、けれど許せない。相反する気持ちに挟まれて、感情は大きく揺れる。

 そして思いつくのは街を燃やすということ。祭りが二度と起きないように、大好きな人間と共に、最後の手段である自身の消失と引き換えに全てを燃やす。そのためには大きく世を乱す必要がある。

 煉獄の石炭は魔力だけでなく、世界の乱れでも威力を発揮する代物であった。それは杖刀の抜刀と納刀では効果が変わるように、別の側面を持つ内容だった。


 だから古来の祭りであるハロウィーンを利用することにした。境目が薄くなりやすい、旧暦では年の節目。そして『化け物モンストルム』を集める口実になる。

 苦しんでいる『化け物モンストルム』も人間と共に犠牲へ。善行を悪行によって塗り潰す行動方式は大嘘つきの人間時代からの癖なのだろう。悪と罵られることで救済を隠す。

 そして『化け物モンストルム』が集う夜を作り上げ、全てを消す。自分自身すらも。友の後を追いたくても追えない『化け物モンストルム』にとって最大限の足掻き。


 ジャック・オ・ランタンの計画に賛同した者、心酔した者、理解せずに血塗れを望んだ者、最低な光景を見たいと思った者、多くの『化け物モンストルム』が集まった。

 どうせ全て消してしまうなら、先に始末する。そうやって処理されたのがライムシア劇場にいた『四匹の妖精モンストルム』であり、カナンはあれさえも強迫行為だったと説明する。


「ブラウニー達はエリックんへの脅しや。バルトン・グロッカの件も含めてな。自分達は劇場のどこにでも現れて、人間の操作だけでなく同じ存在も消せる、という感じやな」

「……そういえばその少年は顔を真っ赤に染めてバルトンからシェーナを引き剥がそうとしたんだよな? 吸血鬼ならば楽勝なのに、何故顔が赤くなった?」

「ああ、それは簡単や。相手を殺さないように極限まで力加減したからやろなぁ。じゃないとエリックん、シェーナんの傍におられへんやん」


 そして次に吸血鬼の少年の話へと変わる。カナンは吸血鬼の年齢は、とある少女と同い年か、その上くらいだろうと判断している。少女と言っても、二百歳は超えているが。

 クイーンズエイジ1666のロンダニア大火。その直前に人間達の手で棺桶に閉じ込められた吸血鬼。エリックは本名だろうが、オペラは明らかな偽名である。

 少女の傍にいるため嘘を吐き続けた。薔薇を贈っても名を明かさず、正体も告げられず。幼馴染みと思い込ませて、普通の人間として振る舞った。願いはただ一つ。大好きな人間の少女を見守ること。


 ジャック・オ・ランタンがその正体を知ったのは、ライムシア劇場に住んでいたブラウニー達から聞いたのだろう。カナンが会った時点で、ブラウニー達はジャックと吸血鬼の存在を認知していた。

 なにより『化け物モンストルム』は人間が大好きだ。まるで本能に刻まれているかのように。だからこそ『同類モンストルム』にすぐ気づく。人間の中に混じる吸血鬼は目立っただろう。

 逃げることはできなかった。大好きな少女から離れたくなかった。死ぬのは諦めていた。既に何度も試して失敗している。だから真正面から立ち向かうしかなかった。


「……なんか、今回の事件は似た者同士が集まった同族嫌悪集会みたいやん。皆、大嘘つき。平然と騙す癖に、寂しくてたまらん」

「お前自身も含めてな。それで吸血鬼は本当に死んだのか?」


 結論を聞き出そうとするバロックに対し、カナンは曖昧な笑みを浮かべた。新聞の端には、ダムズ川下流で見つかった少年の下半身らしき遺体の詳細不明のまま進展なし、と書かれている。

 真正面から『化け物モンストルム』として戦った吸血鬼の最後を、カナンは直接見ていない。伝え聞いた話と、遺体の白黒写真に載っていた覚えのあるズボンくらいしか判断材料はない。

 それでもカナンは下半身に不自然に空いた穴の特徴は彼の事例と一致する。腰から腹を貫く、細長い跡。それは確かに少女の命を繋ぎ止めた証しであり、決定的な証拠と言える。


「……何度も死のうとした。吸血鬼の言葉を信じるならば、エリックんはジャック・オ・ランタン並みの耐久力があると思うん」

「そうだろうな。しかし下半身を失っても生きている命とは、まともな話じゃない」

「せやけどエリックんはそれくらい、いや、それ以上を試しているはずなんや。だから……一握りの可能性はあるん」


 少しだけ希望に縋るように、カナンは紫魔導士の言葉を思い出す。白魔法は人間の特権だが、偏重した魔力を持つ『化け物モンストルム』はそれ以上の回復力があると。

 頭を半分以上失ってもジャック・オ・ランタンは動き続けていたのはそれが理由だ。だからこそ彼が戦力として求めた吸血鬼自体も、それに近い魔力を保有しているはずである。

 後は回復が間に合うかどうか。もしも『別世界レリック』の吸血鬼ならば流れる水の中は危険だが、エリックは『化け物モンストルム』の吸血鬼。確率は高い。


 それ以上に、自信満々な笑みを浮かべた魔導士の言葉にカナンは脱力したのだが。それは浪漫に溢れていて、現実的ではない夢のような言葉だ。


 ――運命の糸は赤いと言います。それ以上に濃い血の色で繋がった二人なら……これ以上は野暮ですわね――


 まるで魔法の呪文だ。予言よりも不確定要素が多くて、しかし奇跡に近い事象を引き起こす。カナンは頷きたかったが、少し夢成分が過多なため固まった笑みを向けるだけになった。

 カナンも『化け物モンストルム』に関しては詳しくない。こればかりは推測で固めることしかできず、結果を確認するのも難しい。だからこそ明言しない。

 それでも親身になれば、生きていればいいな、と思ってしまう。現実は幸せな結末ハッピーエンドで終わるのが好ましい。物語は真実の終わりトゥルーエンドが望ましいという具合だ。


「まあいい。少女はどうなるんだ? 吸血鬼の血が体に入り、傾いたのだろう?」

「それは解決済み。白魔法を覚えれば人間のまま、と最高位魔導士のお墨付きやん」

「なんだ、つまらん。苦悩する少女も絵的には盛り上がるのだが……いいのか? 吸血鬼が帰ってきても、人間のままで」

「それこそ解決済み。シェーナんは人間として待つって決めたんや。自分の意思で、声に出した。エリックんも、自分のせいでと悩まずに済むん」


 吸血鬼が愛した人間の少女。その形は壊されず、元に戻るかどうかもわからない状況。それでもカナンは笑みを零していた。

 吸血鬼の増え方など広まらない方がいい。孤独でも、吸血鬼は仲間を増やせないのだとしても、そちらが少年少女の望む形に相応しい。

 何故ならば『化け物モンストルム』は人間が大好きなのだ。そして少女は人間のまま『化け物モンストルム』を待つと決めた。ならば話はそこで結末を迎えるのがいい。


「ああでも、あれだ。エリックがいなくなったことを全て終わった後に聞いた彼女! 面白い傑作顔だった!」

「あれには僕も驚いたんけど……考えてみれば、ダムズ川で気絶して目覚めてすぐにジャックとの戦い……確かに知る由なかったん」


 ジャック・オ・ランタンが街から立ち去った直後、いつまでもシェーナの迎えに来ないエリックについて彼女がカナンに尋ねたのだ。もちろんレオファルガー広場にいた全員が目を丸くした。

 彼女が戦った理由は一つ。美しい薔薇の栞とその成り立ちに感動したから。残りはただの勢いである。美学に従うが故に盲目。だから猪突猛進と言われるのだと、コージですら小さく溜め息をついた。

 カナン達は彼女が魔力を回復するための昏睡状態の中で情報を共有していたので、思わず彼女も全てを知っている上で戦ったのだと勘違いしていたのである。


 そしてシェーナへの対策や、エリックの生存確率について話し終えた後。彼女は黄金蝶の髪飾りの金具が完全に壊れていることに落胆したのだった。

 褒めてと言わんばかりに擦り寄る杖刀すら無視して落ち込む姿は新鮮だったが、それほど大事ならば暴れなければいいのにと言える猛者はいなかった。

 街の惨状よりも愛用の髪飾りで悲しむのは女性らしいのか。やはりどこかズレている状況に、事情を全く知らないまま戦ったのだろうと全員が納得したのである。


「そうだ。それで『逸品ジェム』の話についてだが、どうして石炭が押し負けた? 状況的に優勢だったのはジャックだろう」


 バロックの問いにカナンも思い出しながら答えていく。理由は幾つもあるので、それを順序良く並べようとするが得意分野ではないので少し困惑する。

 まず魔力差。これについてはお互いに大きな幅はなかったとカナンは見ている。というのも、彼女が昏睡した日はジャックも吸血鬼に魔力を吸われながら川に落ちている。

 先に目覚めたのはジャックだったが、それでも吸血鬼が限界まで搾り取っていたとするならば互角。そして鬼火を彼女が来るまでに大量に出して操っていた。


 無限に近い魔力を持っていようが、回復速度は変わらない。むしろ鬼火の操作に魔力を割いていたならば、破滅竜と鬼火の戦いでジャックが優勢に見えていたとしても意味はない。

 本人が所持している魔力のぶつかり合いで『逸品ジェム』の優劣が決まるならば、あの時点で既にジャックは多くの魔力を消費していた。彼女自身も抜刀する魔力がないとは言っていたが、それでも動き回る元気があるのを考えれば比較は難しい。

 基本的にジャックと彼女の魔力量は測定する道具がない上に、カナンの思考範囲を軽く超えている。魔力差による優劣について論議することはこれ以上は無意味だろう。


 次に『逸品ジェム』自体の性能差だが、これもカナンの知識外である。煉獄の悪魔と星を破滅に導く竜、どちらが強いかなどサファイアとガーネットの優美を競うようなものだ。

 ただわかるのは石炭は世の乱れを利用して煉獄の力を引き出すならば、杖刀は抜刀することで破滅竜の力を発揮する。その点で言えば石炭の方が優勢であったのは確実だ。

 あの日はロンダニアの街だけでもかなり荒れていた。黒鉄骨の魔剣士ヴラド・ブレイドが担当した地区では敵も味方も死んで、剣の墓が路地を埋めていたと聞いている。


 このままでは杖刀に勝ち目はなさそうに聞こえるが、最後に重要なのは『逸品ジェム』が常時魔力を吸えていたのか、という点だ。

 そして『化け物モンストルム』の天敵は杖刀であり、同じ存在である石炭もジャックの弱みでもあった。だから吊り下げ灯に入れて、触れないようにしていた。

 しかし彼女は違う。常日頃から身に着け、杖刀が昏睡状態でも魔力を吸うことに文句ひとつ言わなかった。それだけではない。杖刀はそれだけでは終わらない。


 吸血鬼の事件から始まって以来、杖刀は通行人の男、多めの魔力を持っているシェーナ、吸血鬼のエリック、赤帽子レッドキャップ雨樋像ガーゴイル、そしてジャック・オ・ランタン。

 思い出しても恐ろしいほど、あらゆる人物の魔力を吸っている。もしも杖刀がそれらの魔力を刀身に貯めていたとするならば、石炭よりも遥かに優位な位置に立つ。

 それだけではない。杖刀は首なし騎士デュラハンの魔術である濃い魔力を含んだ血からも、魔力を吸い上げている。人を『化け物モンストルム』に変えてしまうほどの膨大な魔力を。


 以上の三点を鑑みれば、杖刀が形を残した理由はカナンなりに納得ができる。区別なく、無差別に魔力を吸い込んだ破滅竜の杖刀。その恐ろしさの一端を垣間見た。


「ふーむ。ま、素材ネタとして記憶の端に留めておこう。そして吾輩は執筆作業を詰め込み過ぎたせいで眠い」

「僕の渾身の説明が素材扱いやなんて、いけずさんかい。って、バロックん……ベットは他にもあるやん」


 欠伸をしながらカナンが上体を起こしているベットに近付き、寝転んで瞼を閉じるバロック。しかも外套を着たまま、袖からわずかに出た指先でカナンの腰を掴む。

 抱き枕にされたが逃げることはできない。義足も車椅子も全て壊され、ベットの上で読書か推理するくらいしかカナンには許されていない。寝息を立てる前に、バロックがひっそりと呟く。


「お前が、生きててよかった。当分は書くことに困らない……」

「僕がいなくても、もう一人のモデルがおるやん」

「お前がいい。読者も猪突猛進すぎる主人公など疲れるだろう。なにより……」

「バロックん?」


 言葉の続きが寝息で消えたことにより、カナンは苦笑しながらも自由に動く左手でバロックの細くしなやかな黒髪を梳く。

 改造蒸気機関銃で外れた肩は力技で治されたので無茶はできないが、誰かの頭を撫でるには申し分ない動きが可能だった。

 目元に少し疲れを滲ませたバロックの穏やかな寝顔を眺めながら、カナンはわずかに愁いを含んだ真剣な顔で誰にも言えなかった思惑を口に出す。


「本当は……ジャックはあそこで終わりにしたかったん。だからあの銃を持ち出した……失敗やったなぁ……」


 カナンの思考では、グイ・バッカス・ナイトを終わらせるのは難しい。ハロウィーンがどんなに盛り上がっても、形を残すと考えている。

 それだけアイリッシュ連合王国は歴史があり、伝統を重んじる。貴族制度や騎士が長く続くように、ハロウィーンという古来の祭りが時を経て復活するように。

 つまりジャック・オ・ランタンがもう一度憎しみに駆り立てられて街を燃やそうとする可能性は少なくない。今回の結果は、長期戦に持ち込んだだけの延長だ。


 紫水晶宮の魔導士がいたから止められた。では十年後、百年後、五百年後。その時まで彼女は生きているのか。不慮の事故で死んでしまえば、誰がジャックを止めるのか。

 不死身の『化け物モンストルム』とのケリがつけられなかった。それは未来に問題を残したと同じことだ。魔導士とはいえ、万能ではない。白魔法は不老不死を叶える類ではない。

 だからこそカナンはアルトに禁止された銃を使った。頭半分を消し飛ばしても動いているのを見た瞬間、カナンは諦観に包まれて指先から力が消えた。


 本当は『化け物モンストルム』とはいえ、殺すという行為は恐ろしかった。雨樋像や狼男の時も体が震えたが、公の利益を考えれば非情になるべきだ。

 世の中には生きるべき命も、死ぬべき命もある。残酷な話だとカナンも思うが、戸惑えば犠牲が増えるだけだ。効率と現実を突き詰めていけば、そんな結果しか残らない。

 今のロンダニアには三百万という人間が生きている。それ全てを守るために、友のために戦う『化け物モンストルム』を殺す。合理的な話だ。


 しかし美学に生きる紫魔導士が別の道を選択してしまった。それはこれ以上の犠牲を出さずに、ジャックを生き永らえさせながらも祭りを潰す作戦。

 だがこの選択はジャックを倒して説得の道を選ばせる力を持つ彼女しかできなかった。カナンには無理な話であり、それでも非効率な内容だ。

 因果応報。カナンは事件の犯人と対峙する時、この言葉を胸に刻む、どんな理由があったとしても、倫理を無視してはいけない。それを破った者には、相応の仕置きを。


 カナンは真実が二つあればいいと思う。本当はグイ・バッカスが『化け物モンストルム』として生きていた、という真実が残されていたらジャックが街を燃やす理由はなくなったのだ。

 しかしグイ・バッカスは処刑された。見間違うことなくジャックの目の前で死んだ。そして燃やされ続けた。これがカナンに手渡された一つの真実だ。それしか手元にはなかった。

 どうにもならない。ジャックは殺すしかない。たった一つの真実で見つけられた最善の答えだった。最良で最高の選択は命を奪うこと。綺麗に終わらせる方法。


 カナンは私立探偵であって、殺し屋でもなんでもない。少しだけ頭が回る青年だ。ただし青年と言うには年を重ねていたが。

 口では少女のためと告げながら、そんな綺麗事で目の前の結果を誤魔化す自分に嫌悪もした。しかし頭の奥は冷静に、引き金を動かした。

 理性と感情が膨大な波と岩場のようで、それなのに削り取られていくのは精神である。あとは流れるがまま、ジャックに痛めつけられて殺される寸前まで追い込まれた。


 答えが出せても、結果に辿り着けなかった。半ば予想していたことであるため、カナンは抵抗も忘れていた。それなのに彼女は目覚めただけでなく、カナンがあまり選択したくなかった道を選んだ。

 本人はジャックの友情に感銘を受けたが故の選択であり、カナンとしては良くも悪くもない選択だ。しかし少しだけ安堵している自分がいたのも確かである。

 もう殺さなくていい。長引いてもいい。何度でも彼女が街を守ろうと動き出す。根拠のない断言が、カナンの耳には心地よかった。証拠もない荒唐無稽でも、彼女の言葉なら信じたくなる。


 感情に動かされる彼女だから、非効率でも迷わず選ぶ。横暴だが、憧れてしまう。しかし誰もがああも好き勝手に生きていたら世の中は回らない。


「……結局僕も彼女に負けたようなもんかぁ。あー、敵わん!! 完敗やん!!」


 バロックを起こさないように小声で叫びながら、両手を上げて背筋を伸ばす。どんなに思い返しても、結果は変わらない。全ては過ぎたことなのだ。

 先の話を考える。クリスマス間近になったら、ローストビーフが美味しいカプソンズにユーナ達と食事し、その後はライムシア劇場でシェーナが活躍する劇を見るのだ。楽しい未来をカナンは今から心待ちにしていた。

 暇を潰すために読みかけていた本を手に取り、カナンは和やかな昼を過ごす。そして夕方までバロックが起きることはなく、同じ姿勢のせいでカナンの腰辺りが痛くなったのは別の話である。






 食卓机の上に載った大皿を掴み、まるで飲み物のようにクッキーを貪る紫魔導士、もしくは最高位魔導士、時には紫水晶宮の魔導士、噂の少女であり彼女、ユーナはやけ食いしていた。

 魔力は既に常時と変わらない位置まで回復しているのだが、大事な髪飾りの金具が壊れただけでなく、その飾りを片手に野蛮猿ことアルトが何処かへ出かけてしまったのである。

 ヤシロとチドリが怒りを恐れてケーキやスコーンも作っていくのだが、ユーナの両側に座るハトリとナギサの食べる勢いに若干負けていた。女子の胃袋はお菓子に関しては底なしのようである。


「なんか今回も大変だったわねん。アタシなんかドキドキしちゃって、まるで恋してる気分だったわん!」

「ぼ、僕は借家ギルドホームが壊れないかドキドキでした……あわわわ、ヤシロさんやっぱり僕も手伝った方が……」

「そこで大人しく食べていてくれ」

「姉貴もな」


 部屋に新しい菓子皿を持ってきたヤシロは、疲れた表情でナギサの手前にシフォンケーキを置く。今はドジッ娘の後始末はできない、という暗黙。

 同じく双子の姉の面倒を見る余裕はないチドリも念を押すように畳みかける。頬を膨らませたハトリの前には蜂蜜入りの紅茶が差し出された。

 そして無言で食べ続けているユーナは、紅茶を酒でも飲みほすかのように一気に喉へと流し込む。淑女という単語が裸足で逃げ出していくのが見えるかのような光景だ。


「それにしてもあの髪飾りって不思議よねん。ユーナちゃんいつも着けてるのに、壊れないものん」

「そういえば二百年以上経過しているのに、劣化もないです……お姉さま、なんか心当たりは?」

「あったら良かったんですけどね。でもあれはわたくしの半身のようなものです……野蛮猿め、質屋に売り飛ばしてたら息の根を止めてやる」

「似非お嬢様口調が崩れてるぜ、姫さん」


 いつの間にか帰って来て背後から現れたアルトへと振り向き、ついでに杖刀を室内で振り回すユーナ。持ち前の反射神経で屈んで避けたことに舌打ちが三つ響く。

 アルトは薄情なヤシロとチドリに対して軽く睨みつつ、ユーナへと黄金に輝く飾りを投げる。新しい金具がついた黄金蝶。変わらない輝きが手の平に重さを伝えてくる。

 金属用の油と布で磨かれたのか、細かい汚れや煤も取り除かれている。防水加工もされており、金具も前より丈夫になっている。ちょっとやそっとでは壊れないように。


「……これ、アルトさんが直しましたの?」

「俺様がぁ? 姫さんのために俺様がそんな手間をかけるとでも?」


 からかうような口調だったが、部屋の中にいた全員が頷いた。照れ隠しが通じないことに、アルトは気まずそうに顔を背ける。

 もしも店でこんな注文を頼めば、もう少し時間がかかる上に大金を請求されてしまう。短期間でここまで器用に仕上げができるのは、アルトくらいのものだ。

 ユーナは少しだけ口元を緩め、慣れた手つきで紫の短髪に黄金蝶の髪飾りを着ける。妥当な場所に収まったように、蝶は黄金の輝きを鮮やかに煌めかせた。


「ありがとう、アルトさん。で、見返りは?」

「流石、姫さん。よくわかってんじゃねぇか」


 穏やかな笑みを浮かべて礼を言った直後、すぐさま鋭い目でアルトを見つめるユーナ。それが嬉しいアルトは一枚の紙を前に差し出す。

 最高位魔導士の一人、緑鉛玉の富豪からの調査依頼。死体が動き出すという噂の墓場、その真偽。やはりかと、ユーナは溜め息をつきながら渋々了承する。

 詳細に調べて調査書提出までが達成条件であり、報酬は高額。おそらくアルトがかなり交渉を重ね、他にも問題が起きること前提で受けた内容だ。


「今夜早速墓場散策デートしようぜ、姫さん」

「全く……忙しいですわね。チドリさんとハトリさんは明日、制作ギルド【唐獅子】に蒸気機関暖房器の様子を尋ねに行くんでしたよね?」

「そうよん! だから……夜更かしできないのん! アルトくん、抜け駆けずるいわよん!」

「安心してくれよ、女神さん。俺様は胸なし暴走大魔神のことなんか」


 言葉途中で杖刀が顔面めがけて迫る。アルトは身軽に避けながら、体の調子が戻ったのを確認する。回復力の速い野蛮猿だと、ユーナは怒り心頭のまま睨む。

 ヤシロとナギサは買い出しや掃除があるため留守番をすると言い残し、被害に遭わない壁際までさり気なく移動する。ユーナの追撃は五回で打ち止めになり、壊れた家具はなかった。


 夕日が静かに沈んで紫色の空も通り過ぎていき、星が輝くのを霧が隠す街中を進む二人。いつもと変わらないロンダニアの街が冷たい静寂を石畳の上に佇ませる。


 そして墓場に辿り着いたユーナは絶句する。迫る腐乱死体、死体、死体。これならば『化け物モンストルム』と戦った方がましな、酷い腐臭と光景。

 文句をアルトへとぶつけようとしたが、にやけた顔で観戦しようと逃げたので、仕方なく杖刀を振り回して撃退していくがキリがない。

 さらにはユーナを盾に移動したり、わざとユーナの方向へと死体を向かわせたり、とにかくユーナが被害に遭うように行動するアルトに対してか細い堪忍袋の緒が切れる。


「この野蛮猿がぁああああああああ!!!! 尊い犠牲となって散りなさい! ――ゆらゆらとゆらり……」

「ちょ、姫さん!? その魔法は墓地でぶっ放すにはやりすぎっ」


 慌てるアルトのことなど気に留めず豪快に破滅竜を顕現させるユーナ。死体が赤い炎に包まれて勢いよく燃えていき、炭すらも残らない。

 白い霧に隠れて動いていた事態など気付かないまま、怒りに任せてアルトをなんとか再起不能に追い込もうとする。しかし野蛮猿と名付けられるだけあって、逃げ足が速い。


「こんな依頼を受けるんじゃありませんでしたわ!」


 髪飾りを直してもらったお礼というには酷い有様に、怪物と称されたユーナは魔法を思う存分奮うのであった。

 そして『事件』は吸血鬼から女神へと続く。そのことを知らないまま、とある少年は目の前に出てきた巨大な竜に驚いて気絶するのであった。







 さらに時は経ち、女神の事件が新聞を飾る頃。花屋の主人が店番を担っていた少年に真新しい劇場の絵画ポスターを眼前まで持ってくる。

 短い桃色の髪の少女と、輝く金髪の少女。二人の子役が主人公として盛り上げる吸血鬼を題材にした劇。それを宣伝するための物だ。

 販売台の上に寄りかかるように片肘をついていた赤毛の少年は、思わずポスターに手を伸ばす。そして穴が空きそうなほど見つめる。


「私は昔からライムシア劇場の愛好家ファンでね!! 前回の勇者劇は残念だったが、今度はお姫様役だったミレット・ヴェルガーノがダブル主人公の片割れなんだよ!!」


 赤茶色の豊かな口髭が生えたふくよかな店主は、うっとりとした様子で喜ぶ。他にも何枚か貰ってきたのか、店の壁にポスターを飾るほどだ。

 その様子に少年は思わず笑みを零してしまう。口元から覗く八重歯は少しだけ尖っているが、誰かを傷つけようという意思は見られない。


「あの劇場には花の配達もしていてね、君も今度一緒に行こう! もしも気に入った女優アクトレスがいたら、すぐに渡せるように薔薇を一つ持ってね!」

「……」

「今、商売根性が逞しいなぁ、と思っただろう? 当たり前だろう、御贔屓は大事に!」


 無言になった少年に対して店主は商人らしい笑みを浮かべ、鼻唄を店内に響かせながら花の調子を確かめていく。

 川から拾ってもらった少年は店主の性格を好ましく思う。帰る場所がないと勝手に勘違いし、店員として住み込み雇いをしてくれたのだ。

 もう少し警戒心を持った方がいいのではと心配になるが、むしろそんな店主だから常連もできるのだろう。今も万福屋のフーマオという者から、大量の花の注文がやってくる。


 クリスマスリースが必要な時期が差し迫っていると、店主は忙しくなる気配に嬉しそうに笑う。もうそんな時期かと、少年は時の速さに置いていかれそうになる。

 気付いたら、十一月十日。なにもかも終わっており、また死に損なったと思いながら上半身の服しか体を隠す物がなかった時の羞恥心は忘れたい。

 水底に沈んだ体は、時間の経過で浮かんだらしい。しぶとい体は無くなったはずの下半身を再生していた。そんな所を店主に見つけられ、今に至る。


「それにしてもミレットちゃんと肩を並べるこの子は誰かな? 新人?」

「シェーナ・ガヴァレッタ」

「ん? おんやぁ……もしかして好みなのかい! 名前まで覚えとくなんて、やるじゃないか!!」


 普段は反応が薄い少年に対して、店主はおもちゃを見つけたと言わんばかりにからかってくる。少年は思わず顔を真っ赤にし、それでも笑いながら告げる。


「うん……好きなんだ」

「これはますます品卸しの時が楽しみだ! しっかり薔薇を渡すんだぞ、エリック!!」


 名前を呼ばれた少年、エリックは力強く頷く。死に損なったことに対して、こんなにも嬉しいと思ったのは初めてだった。

 もう一度、少女の夢を見守る。吸血鬼の少年は微笑んだ。今度は嘘を吐かずに、正直に出会おう。

 そして一輪の薔薇を君に。とある『化け物モンストルム』は小さな花屋の店番をしながら、大好きな人間の顔を思い浮かべた。

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