EPⅡ×Ⅵ【化け物達の登場《monstrum×entry》】

 ライムシア劇場からレオファルガー広場スクエアへと続く道を、飛び跳ねていく白い女性像。夜の十時ともなれば、道の上に立つのは蒸気灯である。

 人間の姿がないのを良いことに女性像は石畳を踏み壊しながら進んでいくが、その後ろはさらに悲惨な光景として広がっていた。


「――霧を走る雷電――」


 視界を覆う霧に閃光が直線として伸びていく。女性像に当たった物もあるが、時には歩道に植えている樹木を裂けるほどの威力を発揮することも。

 騒ぎを怪しんだ住人が窓を開けて様子を確かめようにも深い霧、そして破壊された街並みしか見えない。関わらないでおこうと懸命な判断を下し、再度窓を閉じていく。

 女性像が走る音で地震かと恐れた老人が外に出た瞬間、目の前を爆走した少女の足が曝け出された破廉恥な服装を見て、なにかの祭りかと勘違いして面倒だからと家に戻った。


「意外と速いですわね……寸胴なのに」


 目前の女性像に中々追いつけないユーナは小声で呟くのだが、聞こえていたのか女性像が小さく吹き出した。

 そして挑発するように後ろ向きで振り返り、ユーナの体を上から下までじっくり眺めた後、今度は鼻で笑った。

 頭には輝く黄金蝶の髪飾り、紫色の髪と目。白いコートに腰には黒の革ベルト。短いフリルのスカート。足はさらけ出しているが、寒いので長い靴下を履いている。そして黒のブーツ。


 しかしどれだけ外見を服装や飾りで覆っても、隠しきれない体格。細身と言えば聞こえはいいが、肉付きが悪い体。

 くびれという単語が存在しないように見える、横から見ても平らな体つき。それとは逆に女性像は芸術的な美しさの肉体を象っている。

 全てが白い石でできているが、波打つ長い髪に豊かな胸に腰のくびれが官能的だ。纏う石の衣服すらも皺一つが美しく彫られている。残念なのは、腰から下が台座という点だけだ。


「……悲しいことです」

「ぐっ、穏やかに静かな声で馬鹿にされて哀れだと思われたのがわかる嫌な響きですわね!! しかし……振り向いたのは失策でしたわね」


 女性像から聞こえてきた美しい声に対し、ユーナは額に青筋を浮かべながらも笑う。歯を見せて笑う、獰猛な表情。

 身を震わすことはない女性像は急いで前方へと体の向きを変える。石畳の上に突き刺さる黒い杖刀。魔力を吸い取る、破滅竜の分身。

 それは『化け物モンストルム』には天敵の存在。女性像は慌てて走りを止めようとするが、後ろから追い上げてきたユーナの勢いを感じ取る。


 杖刀の寸前で止まった女性像の背中を、飛び蹴りで吹っ飛ばすユーナ。淑女どころが少女でもない動きだが、追及してくれる人物はいない。

 地面から台座が離れた女性像はそのまま額を黒い杖刀にぶつける。一瞬の触れ合いとはいえ、魔力を奪われて苦しむ女性像。道の上を転がり、口から涎を零していく。

 その間にユーナは石畳の道から杖刀を引っこ抜き、手首を動かして回しながら位置を調整する。まるでバトン操作のような動きだが、華麗と言うには攻撃的な気配を滲ませている。


「貴方がブラウニー達四匹を襲った。相違ないですわね?」

「……はぁ、ぐっ、そうです。私達一派に入るならば……必要なかったことですが」

「一派? 吸血鬼に関係が?」

「お答えする必要はありません。ですよね?」


 女性像がユーナに問いかけるように、むしろその背後に視線を送るように呟く。違和感に気付いたユーナだったが、反応が遅れる。

 杖刀を手にしている腕を背後から掴まれ、物凄い勢いで振り回されて道端の消火栓へと投げ飛ばされる。蒸気機関が内蔵された消火栓が、衝撃で誤作動する。

 勢いよく吹き出された水が霧を払っていく。ユーナがでんぐり返しの途中と言うべき体勢のまま、逆さの視界で二つの姿を確認する。


 一つは女性像。もう一つはそれを起こし上げる毛深い図体の『化け物モンストルム』だ。蒸気灯に照らされたその姿は、人間ではありえない。

 青い毛並みの皮膚に頭上で動く尖った耳。長い鼻面に鋭い眼光。筋肉質の体に相応しい大きな獣の手には驚異的な爪。申し訳程度にズボンだけは履いている。


「……雨樋像ガーゴイル狼男ワーウルフとは、ますます訳がわからないですわね」


 消火栓の水で濡れた体のまま、起き上がったユーナは深い溜め息をつく。正体を言い当てられたガーゴイルとワーウルフは感心したように息を吐く。


「へぇ……俺達のことが一発でわかるなんて、お前さん魔導士か?」

「……最高位魔導士ですよ、あの方。こちらが仕掛けた罠を忌ま忌ましくも探偵と解決していました」

「なんですって?」

「あの男が自分の知識だけで準備したと思いましたか? こちらには火に詳しい御方がいるのです」


 ユーナは目を細める。ブラウニー達は火を恐れていた。ライムシア劇場の事件も、女神像が燃えていた。そしてガーゴイルの発言。

 霧が役目を果たさなくなった道の上で、月が輝く。蒸気灯と対抗するように、舞台の照明のように、不気味なほど強く光る。

 それに負けじとユーナの目が輝く。まだブラウニー達が恐れていた火のことがわからない。しかし仕掛けようとしている者の正体、その糸口を掴んだ。


「そう……そいつがブラウニー達を……」

「貴方が出会うことはないでしょう。なにせ」

「俺がここで殺すからな!! 魔導士ならわかってんだろ? 俺達にゃあ『知らねぇ世界レリック』の力が効きにくいって!!」


 ワーウルフがガーゴイルの言葉を遮って高らかに叫ぶ。魔導士にとって『この世の不可思議モンストルム』は『別の世の常識レリック』とは相反する者として認識している。

 魔導士が使う魔法とは、魔力を自分の意思で変換して『別世界レリック』と接続する。その変換された魔力を糧に法則文に従い『提供元レリック』は力を渡すのだ。

 しかし純粋な魔力は変換された魔力よりも濃密度が高いらしく、純粋な魔力で構成されている『化け物モンストルム』には効果が半減以下となる。


「ええ知ってますわよ。高威力の赤魔法ならば、吹き飛ばせるってことを!!」


 襲い掛かろうとしていたワーウルフの動きが一瞬固まる。彼は知っている。昼間に上空を流れ星のように吹き飛んだ赤帽子のことを。


「――豪快な飛行を楽しみなさい!!――」


 半減されるならば、通常の魔法よりも二倍の威力で。既に『血塗れ老婆モンストルム』と戦闘済みのユーナにとって、やることは変わらない。

 石畳を剥がすほどの強力な暴風がワーウルフだけでなく、ガーゴイル諸共吹き飛ばしてしまう。そして思い出す。せっかく掴んだ手掛かりを自ら手放していることに。

 しまったと思った時には遅く、夜空の彼方に吹き飛ばされた二つの影は視界に映らない。一人水に濡れたまま、破壊された道の上に呆然と立つ羽目になった。


 とりあえず赤魔法で服を乾かし、周囲の惨状を確認し、ユーナは静かに歩きながらその場を後にしようと振り向いた。矢先、掴んでいた杖刀が大きく動いた。

 手が痺れるほど暴れるので、ユーナは仕方ないと解放した。するとけんけん歩きするように、杖刀がレオファルガー広場に向かって進んでいく。

 帰ろうにもカナンのこともある、ギルドホームに戻っても意味はない、ならば杖刀に従う方が良いとユーナはそれについていくと決めた。




 ロンダニアのマストチェスターに位置する広場。レオファルガー海戦の勝利を記念して作られた場所であり、中央の噴水を中心とした造りになっている。

 有名美術館ナチュラルギャラリーが眼前に聳え立ち、四つの道路が広場を囲む。海戦の英雄であるミレーショ・ナルソンの姿を記念碑として噴水の隣に残している。

 四匹の獅子が提督を守るようにブロンズ像としてこちらを威嚇する。週末には血気盛んな政治家が大声で演説することも多い交流の場でもある。


 杖刀はナチュラルギャラリーに続く北階段前で止まり、ユーナが追いつくとその手の中に吸い込まれるように戻ってくる。

 難なく杖刀を受け止めたユーナは慣れた動作で腰の革ベルトで固定する。不気味なほど、人がいない広場に不信感を抱きながら。

 四つの道路に囲まれていることからわかる通り、この広場は様々な者が行き交い、利用する。夜遅いとはいえ、誰一人見つからないという状況は些か異様だ。


 美術館も営業していない時間のため、霧が蒸気灯の光を拡散してしまい、薄暗さだけが漂っている。息を吐けば白くなって霧に溶け込む。

 余裕があれば美術鑑賞をしたいユーナにとって、今の時間は退屈であった。なにより杖刀の意図が読めず、推理していくしかない。

 杖刀、及び破滅竜は魔力に敏感である。いつも『日常に潜む者モンストルム』に反応するわけではないが、ユーナに敵意を向ける場合は強く動き出す。


 ユーナは階段の上にハンカチを乗せ、そこに座る。霧で隠れる石造りの街。静かな夜半に星空を隠す空気。月の光が時たま虹のように輝く。

 道を照らす灯りからは蒸気が噴き出す音が定期的に聞こえてくる。瞼を閉じれば薄い青空の下でも活気づく人々が歩く広場を鮮明に思い描けた。

 馬車が蹄の音と共に迫る反響すらも耳の奥で再生される。その全てが火で燃えたならば、人の醜さだけを浮き彫りにした絶望が胸に刻まれるだろう。


 ロンダニアの街が石造りになったのはクイーンズエイジ1666のロンダニア大火がきっかけであると言われていた。それまでは木造の建物が多く、道が狭く建物同士がぶつかり合うような街構造。

 小さなパン屋から起きた小火が、街全てを呑み込む大火へと変貌した。ユーナはその話を育て親である黄金律の魔女から何度も聞かされた。流行病を断絶する、歴史の劫火だと。

 鼠を媒介とする黒死病ペスト。最悪な環境と汚染が生み出した大量の死。皮膚が黒く染まる死の病。まるで炎が喰らうように消えていった伝説の病だ。


 公式ではロンダニア大火の死人は十人にも満たないと言われている。しかし記録されていないだけで、死体が残っていないだけで、その数全てを知る者はいない。

 人々は消火に勤しむのではなく、家財を持って逃げ出すことに従事したらしい。川に貴重品を投げ込み、ひたすら西へ広がる炎から逃れようと必死だったと言う。

 その火は四日間続いた。王族すらも動き出す事態に、人々は絶望しかけていたが、浄化の炎と広まることにより新しい街構造へ意欲を見せた。


 死人が少なかったのも要因だが、一番は流行病が燃え尽きたように息を潜めたからだ。石を敷いた、積み上げた、重ねて、広げて――変えていった。

 ユーナが知っている街並みはロンダニアの住民が築き上げた歴史の変革だ。火を恐れない、火を怖がらない、火に立ち向かう。だからこそユーナはロンダニアの街が好きなのだ。

 美しいと感じる人々の営みが息づく街。煙る霧すらも、騒々しい人の騒ぎ声や静かに響く石畳の足音も、その中で人間の傍で隠れ住む者達全てすら愛おしいほどに。


 車輪が迫る音がする。ユーナは粛々と立ち上がり、ハンカチを綺麗に折りたたんでポケットにしまい込む。霧を裂くようにカナンが姿を現した。


「探したで、ユーナん! いきなり飛び出すからビックリしたやん!」

「あら、それはごめんなさい。それはそうと……わたくしの不手際で貴重な情報源を逃がしましたわ」

「あちゃー、まじかいな。ま、仕方あらへん。シェーナんはエリックんに任せて家に帰したわ。ミレットんがついてくる煩かったけど、なんとか撒いてきたわー」

「……そうですか。それにしてもよくこの場所がわかりましたわね」


 ユーナは腰に帯刀している杖刀を手で押さえ込みながら、階段を下りていく。いつもの機械仕掛けの車椅子ギミックチェアに座っているカナンは、いつも通りに笑いかける。

 車椅子の仕掛けなのか、左肘掛けの操作盤で蒸気手提げ灯スチームカンテラを取り出し、それを椅子の取っ手にひっかけて明かりを確保していた。


「そら、破壊の跡を辿れば一目瞭然やん。相変わらず派手やなー、全く。それよりユーナん、一つ聞きたいんやけど……もう吸血鬼が誰かはわかっているん?」

「……貴方こそ、わかっているのではなくて?」

「いや、僕は『化け物モンストルム』は専門外やし、他の魔導士に聞くよりユーナんが断トツやん! この世で七人しかいない最高位魔導士、僕が知っている中でも一番や!!」

「あら、嬉しいことを仰るのね……本当に、残念ですわ――偽物さん――」


 会話に混ぜた呪文によって発生した赤魔法の刃が車椅子ごとカナンの体を貫く。布切れのように細切れになっていく体に向けて、ユーナは冷たく呟く。


「カナンさんなら、ミレットさんがついてくるなら喜んで受け入れたでしょう。あの人は寂しがり屋ですから」

「な、ん……」

「それにカナンさんはからかう以外でわたくしを最高位魔導士と指摘することはない。他の魔導士と比較することもない。そして私の上には黄金律の魔女おばあ様がいるのも知っている」

「っ……」

「ふざけてんじゃねぇですわよ。わたくしが、仲間を見破れないとでも!?」


 刃が無尽蔵に増えていき、針山のように積み上がっていく。英雄たる提督の像よりも高い位置まで引き上げられ、体を裂かれていくカナンの偽物。

 霧を突き抜けて星空に辿り着かん勢いで伸びていく刃の頂上で、笑う気配が滲む。車椅子も、衣服も、体も、青い炎に包まれて消えていく。

 エラを張った顔に色濃く影を落とす整えられた黒髭。中世の紳士を思わせる羽根付き帽子と貴族服。痩せ細った体を隠すように衣服が覆う中、捻れた首だけが蒸気灯で照らされている。


「……グイ・バッカスのつもりかしら。かつてロンダニアを火薬で吹き飛ばそうとした、事件の象徴と言うべき男の姿を模しているなんて」

「あの男に敬意を示して。事件が未然に防がれたのは我が目から見ても大変惜しい物であった。しかし約六十年後、結局街は火に覆われたのだがな」


 刃先に爪先で立つ男は、片足で均衡を保っている。ユーナは躊躇いなく針山にベルトから解放した杖刀を突き刺すようにぶつける。瞬時に砕け散る水晶の如く、白い刃が乱れ舞う。

 重力に任せて男が片足立ちのまま垂直に落ちていく中、刃を足場として駆けあがるユーナが黒の杖刀を手にしながら、厳しい表情で男を睨む。


「わたくしを侮辱し、カナンさんを騙った報い……その体で受けてもらいますわよ!!」

「おお怖い。もっと陽気に行こうじゃないか! 明日は『化け物モンストルム』が集う夜、恐ろしくて浮き足立つ古来の記念日、ハロウィーンなのだから!!」


 杖刀を振りかぶったユーナに手を向ける男の周囲に青い炎が浮かぶ。踊る火の玉として、自在に動く姿は異形。そして銃弾の速度で、数千の数が襲い掛かる。


青い鬼火ウィルオウィスプ!? しかも『この世の力モンストルム』でも『別の世の力レリック』でもない!?」

「御明察! それでは潔く、死んでくれ給え」


 驚くユーナの体を呑み込むような青火の津波。広場全てを燃やさんばかりに広がり、地面を舐めるように高熱で這う炎。

 その上で浮かぶ男は片足立ちのまま微笑んで美しい光景を眺める。橙色や薄い黄色を宿す蒸気灯よりも鮮やかに目に焼き付く輝き。最高位魔導士すら倒す圧倒的な力。

 しかしその炎を呑み込む巨大な口が、石畳を突き破って現れる。黄金の目が宙に浮かぶ男を強く睨み、黒皮と骨組みで作られたように薄く広い翼が炎を掻き消す。


「……破滅竜。噂には聞いていたがこの炎にも動じないとは」

「当たり前でしょう? 星を滅する炎を操る竜なのですから」


 火傷一つしていない姿で青火の中に立つユーナが呆れたように呟く。周囲では彼女を守るように赤い炎の蜥蜴が陣を描くように蠢いている。

 青火と拮抗するために火蜥蜴は、その青い炎すら食していく。赤と青が鍔迫り合いする光景に、男は舌打ちする。予想通りだが、忌ま忌ましいことこの上ない。


「これで終わりですの? ジャック・オ・ランタン……冥府に嫌われた『不死なる大嘘つきモンストルム』よ」

「恐ろしいな。そこまで正体を見破られるとは。しかし、だからこそ! 我が身が不滅と知っているはずだ!!」

「地獄の業火を宿す石炭を持つ男。天国の門も地獄の門も通れぬ哀れな嘘つき。ですが……わたくし、正直に言えば貴方よりも凄い『不死鳥の男モンストルム』を知っているので、驚き半減ですわ」

「ぬわんだとぉっ!? そこは驚こう!! 鮮やかなる黒幕の登場なのだから!!」


 正体を見破られたという事実よりも、大したことがないと告げられた方に衝撃を受ける男、ジャックは余裕の態度を崩した。ユーナは面倒そうに溜め息をつく。

 自ら黒幕を名乗る時点で色々と言いたい内容はあったが、それよりも重要な事柄が存在すると赤い炎に守られながら問いかける。


「貴方がガーゴイルにワーウルフ、そしてレッドキャップ……彼らを従え、ブラウニーを殺すように指示した張本人で間違いないですか?」

「御明察!! 全ては年の節目、慣習という名の法則が働き、魔力が最も乱れる明日! そのために必要な犠牲だった!!」


 高らかに宣言されたことに、ユーナは笑う。氷が瞬時に沸騰する寸前の、底冷えするような熱気を孕んだ笑い方。同調するように火蜥蜴達がざわめく。


「……では、貴方はわたくしの敵です」


 破滅竜が巨体全てを使った咆哮を夜空に轟かせる。雷が落ちたような衝撃と熱を含んだ、激しい声。その叫びと共に顎から零れていく黒い靄。

 白い歯が鳴れば火花が生まれる。石畳に広がる靄を伝い、火花は炎となっていく。炎は蜥蜴に形を変え、生物のように縦横無尽に動き始める。その中心に立つのは世界に七人しかいない最高位魔導士の一人。

 紫色の髪と目が炎に照らされて明るく映える。髪飾りの黄金蝶すらも熱を持ったように強く輝き、夜の下で白いコートが力強く浮かび上がる。


 圧倒的な存在感と共に、ユーナは笑みを消した。同時に踏み出した足の力で石畳が砕け、火蜥蜴が数匹煽られて体を散らす。白魔法で強化した体を跳び上がらせて、ジャックの眼前に姿を現す。

 怒気を纏った姿は少女と呼ぶには禍々しい。杖刀を強く握りしめて相手の体を吹き飛ばすため横へと薙ぎ払う。しかしぶつかった感触はなく、青い火の粉だけが花弁のように散る。

 片足立ちのままさらに上空へ回避するジャック。破滅竜に視線で合図を送り、竜の翼で発生した背後からの猛烈な風に乗ってユーナは追いかけていく。


 少女の頬に、赤い滴が触れた。


 真っ赤な雨。洗い桶をひっくり返したような、凄まじい血の雨粒が散弾のように降り注ぐ。白いコートが気持ち悪い赤へと変貌していく。

 宙に浮かぶジャックの隣には首のない馬と首を抱えた騎士。あまりにも夜の闇に同化した姿は、星の光すらも吸い込んで潰している。

 足場のない空中では踏み止まることもできず、ユーナは雨に押し流される形で炎が燃え盛る地面へと落ちていく。火蜥蜴達はその雨で少しずつ形を小さくしていた。


 火蜥蜴が消える頃には青い炎もジャックと一緒に姿を消し、残っていたのは地面に大穴を開けたユーナと破滅竜の舌打ちしそうな様子だけである。

 警官の笛が聞こえることから、騒ぎを聞きつけた巡回の警官が仲間を呼んでいるようだ。血塗れの姿を見られては困ると、ユーナは破滅竜を『元の場所レリック』に戻し、急いで走り去る。

 石すらも焼けたレオファルガー広場は血塗れの惨状として、警官の何人かは胃液を吐いた。しかし駆け付けた外勤主任のコージは、おそらくユーナが関わっているだろうと見抜き、小さく残業に思いを馳せた。





 コートの替えを取りに行こうと借家ギルドホームへ向かうユーナの前に、壊れた消火栓を眺めるカナンがいた。斧で叩き潰されたせいで水すらも出ていない。

 ユーナはさりげなく手にしている杖刀の様子を確かめる。先程は偽物カナンに反応して暴れたのを抑えたのだが、今は無反応である。それでも油断せずに声をかける。


「なにをしているのですか?」

「……ん? ユーナん!! 僕を一人ぼっちに置き去りとか酷いやーん!! いけずさんかい!!」


 車椅子を動かす右肘掛けのレバーを勢いよく前に倒し、突撃するように抱きついてくるカナンの反応を見て、ユーナは疲れた表情を浮かべながら本物だと断定する。

 常に助手を連れているカナン。別の助手が必要なのではなく、一人で行動するのが嫌いなのである。孤独が苦手というか、極度の寂しがり屋なのである。

 座った姿勢のままユーナの腰に抱きついているカナンが警察も認める私立探偵、ということは今の状況では口にしにくいのであった。


「ミレットんはお母さんと一緒に家に帰り、シェーナんはエリックんに任せてきたわ。しゃーないからユーナん探そうと動いてたら、街のあちこちで消火栓が壊されてるのを見つけたんよ」

「……そうですか。わたくしは黒幕っぽいのと出会いましたわ。とりあえず情報共有したいですけど、わたくしの服が酷い有様ですし、夜も遅い。借家ギルドホームへ一緒に参りましょう」

「せやな。ヤシロんとナギサんの二人っきり空間にお邪魔しよか」


 明らかに茶々を入れようとやる気を見せているカナンだが、ユーナからすればヤシロに睨まれるだけで終わるので止める気も起きない。

 スタッズストリート108番へ向かう道を歩きながら、ユーナはカナンの車椅子を押していく。段差が存在していても、カナンの機械仕掛けの車椅子ギミックチェアにかかれば無力同然だ。

 普段よりも穏やかな気配に包まれた借家の玄関前に辿り着き、血の臭いに反応したヤシロが窓硝子から銃口を向けてユーナ達を確認し、そのまま窓から飛び降りてくる。


 犬の耳に近い形の飾りを頭の上に付け、こげ茶の髪を肩近くまで伸ばしている。長い前髪からわずかに覗く金色の目は鋭い。

 執事らしい燕尾服を着ているが、外見はユーナと同じくらいの十六歳に見えるが、実年齢はもう少し高い。白手袋をしている手には愛用の長銃。

 血塗れのユーナに驚かず、だからといって客人であるカナンに笑顔を向けることもない。無愛想な態度のまま声を出す。


「なにがあった?」

「色々と。ナギサさんにわたくしの着替えを用意してもらえるよう伝えてください。わたくしはお風呂場で血を洗い流しますから」

「承知した。カナンはコーヒーだったか?」

「さすがヤシロん! ついでに僕の話し相手になってくれへん? 一人は寂しいんよ」


 無言で頷いたヤシロがカナンの車椅子を押していく。二階の居間パーラーへ進む手助けをするのだろう。機械仕掛けの車椅子ギミックチェアならばそれほど苦ではないはずだが、少しでも客人を労ろうということかもしれない。

 ユーナは一階に設置されている小さな浴室へ向かう。ユーナの我が儘で浴槽も完備した場所だ。血塗れになったコートを赤魔法で燃やし、細かい端切れだけを誰の手にも触れないように小型の箱に入れる。

 杖刀を携えてシャワーの蛇口をひねる。お湯が出てくると思っていたユーナは、いつまでも冷たい水の様子に首を傾げつつも体全体を洗い出す。


 排水口に流れていく血から魔力を吸収する杖刀を確認し、ユーナは頬を打つ水滴のリズムに合わせて考え事をする。敵の正体が判明し、やりたいこともわかった。

 しかし目的に辿り着かない。冷たい水が思考すらも止めようと体を震わせ始める。仕方ないと浴槽に水を溜め、それを赤魔法で適切な温度に変える。

 身に染みる温かさに体を揺蕩わせながら、少し汚れ始めたタイルを眺める。ヤシロがこまめに掃除しているとはいえ、年月の経過は誤魔化せない。


首なしの騎士デュラハン……身近な死を知らせる『怪異モンストルム』まで何故? しかも本来の生存理由から外れた行動まで」


 独り言を呟いたユーナは、濃密な魔力が込められた血の雨を思い出す。魔力は偏ると『化け物モンストルム』を生み出すように、自殺の名所など土地自体にも影響を及ぼす。

 血の雨はデュラハンの魔術である。だから破滅竜の配下である火蜥蜴と相殺し合った。魔法と魔術は相性が悪い。ほぼ真逆の存在であり、普通の魔導士では抵抗することもできずに圧倒される。

 そして普通の人間ならば、あれだけの量と濃密な魔力を体に受けたら酸素中毒のような症状が現れ、最悪死に至る。馬鹿なほど無尽蔵な魔力を保有するユーナですら、胸やけがするほどだ。


 その血の魔力も破滅竜には御馳走なので、杖刀は嬉々として吸い取ってご機嫌である。白い肌を熱で薄紅に染めながら、ユーナは一息つく。

 脱衣所から忙しない足音とナギサが大声で慌てている様子が聞こえてきた。ヤシロが落ち着いて行動するように窘めているが、それすらも耳に入っていないパニックだ。

 なにかの拍子で足を滑らせたのか、盛大に転んだナギサが浴室の扉を壊して滑り込んできた。愛らしいメイド服がびしょ濡れになり、ナギサの肢体に密着する。


 白タイツや黒のメイド服、白のエプロンさえも水のせいで酷い有様だ。薄い桃色が入った白髪もしっとりと濡れて、ナギサの白い肌に張り付く。

 困ったような黒目が全裸のユーナを視界に入れた途端、強く瞼が閉じられる。両手で目を覆っているが、指の隙間から覗こうとしている。


「す、すみません、お姉さま!! ぼ、僕決して覗こうと思ったわけじゃなくて、滑って転んで……あわ、あわわわわ!!!!」

「はぁ……ヤシロさん、ナギサさんにタオルをあげて着替えてくるようにと。ついでにわたくしも浴室から出ます、タオルをこちらに」

「……了解した」


 ナギサから目を逸らしつつ、ユーナに関しては動じずに視線を向けたヤシロが白のバスタオルを投げてくる。それを難なく受け止めたユーナは胴体を隠す。

 そしてタオルを巻いたことで白いドラム缶のような直線を描く自分の体と、理想的な柔らかい胸の膨らみと気持ちよさそうな太腿の肌触りが服の上からもわかるナギサの体と見比べる。

 細さではユーナの勝ちだが、柔らかさや山あり谷ありならばナギサの圧勝である。少女らしい可愛い肉体は、ヤシロの目には毒らしい。


「ほら、ナギサさん。そのままだと風邪をひきますわよ」

「あわわ!! き、着替えてきまーす!!」


 顔を真っ赤にして大声で走り出すナギサの賑やかさに若干癒やされながらも、ユーナは深刻な表情を浮かべつつもナギサが用意した新しい白のコートを身に纏い始めた。

 女王を尊敬するユーナは同じデザインの白コートをいくつも所有しているため、外見に変化はない。血に濡れた黄金蝶の髪飾りから血を拭き取り、錆防止の処理を施す。

 傷一つ見当たらない輝く髪飾りを紫色の髪に留め、最期に杖刀の表面を大雑把に拭く。腰のベルトに帯刀すれば、いつもと同じ紫魔導士ユーナが鏡に映っていた。


 夜が進む。嫌な空気を漂わせる朝に向かって、時計の針は動いていく。その前にと、ユーナはカナンが休んでいるであろう二階の居間へと足を向けた。

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