EPⅡ×Ⅴ【推理劇《reasoning×performance》】

 灰光灯に照らされた舞台。見守る客席。役者達が並ぶ姿は背景のようにも見えて、異質な光景を作り上げていた。

 錆びた金色の車椅子が舞台の中央まで移動していく。右肘掛けのレバーで動かす機械仕掛けの車椅子ギミックチェアに座るのは一人の青年。

 劇中に燃えた女神像が倒れて焦げてしまった部分を傍に、役者達を見回すのは助手の少女。舞台の下や袖には警官、ドバイカム警部の指示一つで一斉に動き出すことが可能だ。


「ほんじゃあ、始めよっか。推理劇を」


 わざと上品な逢語を崩した発音で、私立探偵カナン・ボイルは微笑む。しかしてその声は劇場内に大きく響く。

 車椅子の左肘掛けの操作盤により、小型拡声器で声を広げていると知っているのはユーナや警官達だけだ。大きな声で舞台を盛り上げる役者達は、カナンの声の大きさに純粋に驚く。

 一体どんな仕掛けを使っているのかと探る前に、カナンは人差し指を天井に向かって突きつけ、そのまま雷を落とす神のようにとある人物を指差す。


「犯人はアンタや、主役のバルトン・グロッカ!!」


 劇中では勇者であり、女神像に祈りを捧げるが故に指一本触れていなかった人物。その指摘に多くの役者がどよめき、裏方で待機していた道具係達も赤い幕から顔を覗かせた。

 バルトンは突きつけられた人差し指に怒りが湧く。顔を真っ赤にし、大きな足音を立てながらカナンに近付く。最後の理性で殴りかからなかったのは英断と言える。

 しかしカナンの指は一切動じることなく、真っ直ぐにバルトンを示している。いきなり集められた観客達も内容が気になり、劇場眼鏡オペラグラスを用意し始めた。


「素人が劇を開くと聞けば……三流以下の展開をしやがって!! せめて起承転結を意識しろ!!」

「せやけどお客さんの反応は上々のようや。アンタも役者ならわかるやろ、掴みはバッチリ……ならここからが本番やって!」


 舞台だけが明るい劇場内で、観客一人一人の顔を見ることは難しい。しかし大きな流れ、反応、特徴的な動きは舞台からもよく見えた。

 カナンが指を鳴らすと、舞台装置の照明が四人の人物を照らす。一人は最も疑いをかけられた少女シェーナ。そんな彼女の傍から離れない準主役であったミレット。

 残りの二人は舞台袖から顔を覗かせていただけなのだが、急な明るさに照らされて驚く裏方のムルムとドンタコスである。カナンはその四人に舞台中央へ寄るように指示する。


「いやしかしプロの人に素人やと怒られたんで、進行に自信がなくなってしもうたわ。せっかくやし、勇者から犯人大抜擢のアンタがこの劇を進めてみるってのはどうや?」

「……お前はなにを言っているんだ!? 誰がそんな……」

「アドリブ劇やと思えばええやん。それとも僕に犯人と指摘されたんは図星やったんか?」

「いいだろう。お前のその鼻柱を叩き折ってやる!!」


 あっさりとカナンの挑発に乗り、バルトンは舞台の上を指差す。そこには黒く焦げた木目の板。燃えて空洞が丸見えの女神像。

 周囲が濡れたままなのは、消火に必要な大量の水をかけたことと現場保存のためだ。小さな黄色の透明紙セロファンが散らばっている。


「この女神像は木製だ! 舞台装置として移動させる手間があるから軽量化してある! これをどうやって指一本触れずに燃やせると言うんだ!?」


 木製が燃えやすいのは当たり前のことである。しかし自然現象ではないとすれば、如何なる方法で燃やすか。その手段が問われる。

 バルトンの目はシェーナを強く睨んでいる。燃える直前に最も女神像の傍で細工することができ、燃やすタイミングを計れたのも彼女だけ。

 彼女以外に犯人はいない。どうせ反論できないと高を括っていたバルトンの耳に、カナンの信じられない言葉が飛び込んでくる。


「水や」


 多くの観客がざわめく。消火作業を知っている者だけでなく、普段から料理や焚き火をする者、子供でも理解していることがある。

 水とは火を消すものである。決して火を点けるために使う物ではない。あの探偵は気が狂ったのかと、嘲笑の声すら響くほどだ。

 それはバルトンにとっても同じことであり、鼻で笑った後に呆れたように首を横に振る。しかしカナンの笑みは消えない。


「ああ、もしかして可燃性の液体と言いたかったか? 探偵さんよ。今なら前言撤回を認めてやるぜ」

「いいや。正真正銘の水や。なんなら川の水や雨でも構わん。大体、可燃性の液体を木製の像にかけてどないすんねん? 発火の手間が増えるだけや」


 余裕ある返しにバルトンの額に青筋が浮かんだ。最初は笑っていた観客達も、カナンの笑みに背筋を震わせる。


「ま、ちょい下準備は必要やけどね。そんじゃあドバイカム警部、例のあれをここに」


 コチカネット警察を顎で使うような指示だったが、ドバイカムは文句も言わずに黙々と白い粉が入った袋を渡す。

 さらに金属製の桶と木片。そして硝子のコップ内で揺れる水。黒子のように舞台上に立った警官達の手には大量の砂。

 カナンは金属桶に白い粉を入れ、その上に木片を無造作に置く。そして照明が暑いと、額を手で拭いながらコップの水を飲む。


「あー、喉が渇いてたから丁度良かったわ。で、これが普通の水と判明したところで……ほい」


 気軽な動作でコップの水全てを桶の中に注ぎ込んだカナンは、右肘掛けのレバーを操作して桶から少しだけ距離を取る。

 バルトンも仰天しながら大急ぎで桶から離れる。観客達はなにが起きているのかと金属桶に注視した瞬間、木片が勢いよく燃え始めた。

 あまりの熱さに役者達が叫び声を上げ、観客達も混乱して逃げ出そうとした最中、警官達が急いで桶の中へ大量の砂を放り込む。迅速な鎮火作業である。


「これが劇中で女神像が燃えた仕組みや。白い粉は石灰ライムや。ユーナん、舞台照明の話は覚えとるん?」

「ええ。この劇場では昔ながらの灰光灯ライムライトを使用しており、高温によって可視化の光を出しているとか。丁度……一番右端の照明が消えてますわね」

「石灰は酸化カルシウムとも言うんやけど、2400℃まで加熱すると光を放出するんや。そんで水を加えると……数百度の熱を発するんや」


 多くの役者が頭上にある灰光灯を見上げる。劇の最中、自分達を熱く照らしていた光が、そんな仕組みであるのを知らなかったのだ。

 陶磁器や硝子の副原料として使用されていることや、古代から実践されている化学というのも大多数の者は知識になかった。しかし必ず傍に存在する仕組み。

 実際に消火作業の際に火が消えるまで時間がかかった事実を劇場関係者達は見ていた。水をかけても火の勢いが強まる事態さえあったくらいだ。


「熱反応言うんやけど、これだけだと火は出ない。そこで木製の女神像や。つまり右端の照明から抜き出した石灰と水、あとは可燃性物質だけで炎上完成や」

「ちょ、ちょっと探偵さん! この像に使っていたのは石膏の粉だよぉ? 石膏は水で溶ける性質はあっても、熱は出さないんだよ!」

「いつもはなぁ……ドンタコス青年、今日は誰が像の仕掛けを作ったんや?」

「それは……」


 カナンの問いかけにドンタコスは後ろを振り返る。金属桶が炎上した際、舞台端まで逃げた主役の男、バルトンを。

 視線が集まったことを意識したバルトンは急いで舞台中央へ戻る。そして再度顔を真っ赤にして大声で怒鳴り始める。


「確かに! 今日は俺が裏方の仕事を手伝ってやった!! しかしそれは親切心からだ! それだけで犯人と呼ばれたくはない!!」

「僕もこれだけでアンタを犯人と言う気はあらへん。これからやで、主役さんメインアクター! まだ舞台は幕を上げたばかりや!」

「調子に乗りやがって……大体、女神像に石灰が使われた証拠はどこだ!?」

「これや」


 カナンは白い塊を、手袋をはめた右手で差し出す。それは焦げた床の上に黄色の透明紙と一緒に散らばっている。


「像に使われたんは生石灰、それに水を加えて生成されるのが消石灰。水酸化カルシウムや。これは像が水に濡れて燃えたことで結晶化した、石灰の成れの果てや!」

「な、せ、石膏の塊かもしれないだ、ろ……」

「さっきドンタコス青年が言うたやろ? 石膏は水に溶ける……結晶化なんてありえへん!!」

「う、うわぁあああああああああああああああ!!」


 心に受けた衝撃を声で表すバルトンの声は、劇場内に何度も反響した。しかし耳を塞ごうという者は誰一人いない。

 化学反応、それは魔導士の管轄ではなく錬金術師達の所業。舞台の上に立つ青年は、賢者の石を求める錬金術師の派閥なのかと注目が集まる。


「ちなみに使用されなかった石膏の粉を道具部屋に放置したのはあかんかったなぁ。くっきり足跡が残ってるで……ミレット嬢のな」

「え!? な、なんで私の足跡!?」

「ミレット嬢、道具部屋に牛乳皿をお供えしたやろ? その時に踏んだんや」

「ま、待て!! じゃあそこのミレットが犯人の可能性があるだろ!! 石膏の粉に証拠が……」

「いいや。犯人ならそこを踏む失態を犯さん。何故なら……自分が石膏の粉使わなかったことがバレてしまうからや!!」


 犯人にされかけたミレットは、罪を擦り付けてきたバルトンを強く睨み上げる。バルトンは言葉を失くし、ミレットに突きつけた人差し指を静かに下ろす。


「ちなみに僕の車椅子にも証拠としてミレット嬢の足跡が残っとる。これだけの量を像が倒れた際に発生したとは考えにくい。明らかに別の用途で使うはずの物を、処理に困って捨て置いた結果や」

「ぬぐっ、ぐぅ……し、しかし最初に水をかけた少女が犯人ではないと決まったわけではない!! その細工は少女にも可能な犯行だ!!」

「わざわざ自分に疑いがかかる犯行を選んでどないするねんとは思うけど、一理はあるわな。そこでこの透明紙セロファンの出番や……」


 次にカナンは熱によって反ってしまった黄色の透明紙を取り出す。床に散らばっている物に比べれば大きいが、焼け焦げた跡が現場に落ちていた証拠だと表している。

 なによりも白い螺旋模様が一つ残っている。およそ人の指と同じ大きさで、一体それがどんな証明に使われるのかと、観客達は顔に食い込むほど劇場眼鏡オペラグラスで事細かに見ようとする。


「ミレット嬢にも話したけど、人の体には個性があるんや。耳紋言うて、耳の形が人それぞれ異なるように……実は指にも細かな模様が存在し、それで個人を判別できる指紋が特定できると注目されてるんや!!」

「……はっ、なにかと思えば胡散臭い論説を出して……それは警察で取り入れた調査方法か? 違うだろう!? 聞いたこともないからな!!」

「せやな……僕は何度も進言してるんやけど……指の模様は細かすぎて正確な判断を下せる機械開発に金かかる言うて、聞く耳もたれへん」

「ならばその証拠で俺を犯人と断定できる証拠はない!! お前の負けだ、探偵!!」


 高笑いをするように勝利宣言するバルトンの姿は、舞台で勝ち誇る勇者のように輝いていた。おそらく彼の演劇人生の中でも、最も注目されている瞬間。

 シェーナが祈るように両手を組み合わせて流れを眺めていたが、バルトンの笑い声に絶望する。有名な私立探偵でも、彼の犯行を断定できないと悟った時だった。


「指の大きさ。少女と大の男では明らかに違うやろ?」


 静かなカナンの声に、バルトンの声が止まる。そして舞台の幕が速やかに落とされるように、顔面が青白くなっていく。像に触ったのは犯人、それを証明する手段が目の前に提示された。

 頬を流れる汗は、熱で光り輝く灰光灯のせいだけではない。カナンは優しくシェーナを手招きし、黄色の透明紙に残っている指の模様。その裏側から右手の人差し指を当てるように指示する。

 黄色とはいえ透明紙。表にある指の模様とシェーナの指の大きさを一発で見分けることができる。シェーナの指よりも大きい指の模様を確認した役者達は、感動の声を上げた。


「準備はええか、男優アクター。このセロファンに触ったのはシェーナ嬢よりも指が大きな者……つまり大人に限られるんや!!」

「ぬなぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

「流れでアンタが容疑をかけたミレット嬢も疑いが外れる! ついでに先手打たれる前に言うとくけど、アンタが石灰の仕組みを聞いたムルム女史も指はシェーナ嬢より細いため、除外や!!」

「な、う、嘘だ、そんな……あ、うあ……」


 バルトンはドンタコスの傍で状況を眺めていたムルムを見る。羽ペンを思わせる細身の女性。確かにその指先は、お金を貯めるために絶食しているせいで少女よりも細い。

 しかし諦めてたまるものかと、ドンタコスに視線を向ける。血走った目に射竦められたドンタコスは短い悲鳴で喉を詰まらせるが、カナンが冷静な様子のまま言葉を続ける。


「ドンタコス青年は常人よりも太い。比例して指も横幅に広がる。なんなら……シェーナ嬢みたいに比べてみるん?」

「は、ぁ、う、そだ……違う!! 俺じゃない!! 俺じゃないんだぁああああああああああああ!!!!」

「最後に痛い目見てもらって、アンタが犯人だと決定的にしよか。ドバイカム警部、水桶の用意を」


 カナンに言われるがままドバイカムは警官達を使い、舞台に四角の小さな机を置き、その上に水を大量に含んだ桶を設置する。

 机上の水桶に近付いてカナンが最初に両手を水に触れさせる。冷たく濡れただけの両手には一切の変化はない。次にドバイカムが両手を入れて正常な水であることを証明する。


「ほんじゃあ、シェーナ嬢、ミレット嬢、ムルム女史、ドンタコス青年……最後に主役であるアンタに両手ではっきりさせてもらおうか」


 指示通りに順番に水桶に両手を何事もないと実証していく様を、脂汗を流しながらバルトンは眺めていく。

 一歩ずつ下がり、耐え切れないと判断して振り返った先には鮮やかな紫色の髪。少女が立っている。誰も逃がさないようにするために、最高位魔導士が立ちはだかっていた。

 ドンタコスが冷たい水に心地よさを感じ、何事もないと観客席に向かって両手を見せる。それだけで拍手が沸き起こる状況まで舞台は発展していた。


「大詰めや、主役。無実なら水にはなにも変化はあらへん……けど、犯人であれば水には変化が起きる」


 逃げられないとわかりつつも、バルトンはなんとか反論しようとした。しかし水に仕掛けが施されていないのは、先程警察が証明している。

 魔女裁判のようなやり口に異議を申し立てるしかないと心に決めた矢先、笑顔のカナンが目に映る。犯人を鋭く見据える、狩人の眼。


「さっきも言ったように……石灰は水と熱反応を起こし、高温になる……つまり犯人は手を洗い流せんかった」

「あ、うあ……ああ……」

「透明紙に指の模様が残ってる、ということは迂闊にも素手で作業したんやろ。拭いたとしても、爪の隙間や指の模様は小さな溝になってて……そこに残留してるはずや」

「い、嫌だ……違う、俺じゃないんだ……だって俺は、違う、こんな、こんなはずでは……」

「シェーナ嬢の腕に赤い跡が浮かび上がってるけど、これは強く握られての鬱血跡ではなく、軽い火傷や。そしてこの濡れた腕に荒々しく触れたのは誰やったかな?」


 バルトンの言葉が風前の灯火のように消えていく。シェーナは慌てて自分の腕を見る。バルトンに犯人扱いされ、強く握られた赤い跡。

 動揺と痛み、混乱で正常に熱を判断できなかった。しかしカナンの説明を聞いた今ならば理解できる。あの時、濡れたシェーナの腕を掴んだバルトンの指先に、石灰が残っていた。

 高温でも手を離そうとしなかったのは、意地でもシェーナを犯人に仕立て上げるため。その執念に鳥肌が立つほどの恐怖を覚えながらも、シェーナは行方を見守る。


「自分が犯人じゃないと言うなら、水桶に手を入れてみい!! それで全てが証明されるんや!!」


 追い詰められたバルトンは自分の両手を見る。指先は真っ赤になっており、明らかに異常があったとしか思えない状態。

 爪の隙間と指の細かな溝に残る白い粉。それは少女を陥れ、舞台を壊し、そして今自分を窮地に立たす化学の産物。犯行に利用した薬品。

 もしもバルトンが親切心でドンタコスの手伝いをしたというのが真実ならば、指の溝に残っているのは石膏だ。しかし犯人であるならば、石灰。


 石膏ならば水に溶ける。石灰ならば想像を絶する熱湯へ変化。


 生唾を呑み込み、バルトンは水桶が置かれた机に近付く。冷たいはずの水が、変哲もない水が、凶器に見えてくる。

 バルトンは自分が犯人ではないと否定し続けた。だからこそ証明しなければいけない。自分は犯人ではないと、証拠を突きつけなければ。

 一思いに両手を水桶の中に突き入れたバルトンは、肌を撫でる冷たい水の感触に歓喜の声を上げようとした。


「や、あ、ぎぁゃぁあぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 絶叫が木霊する。冷たい水は石灰に反応し、瞬時に皮膚では耐えられない熱を伝えてきた。シェーナの腕を掴んだ時は怒りと勢いで誤魔化せたが、逃げ場を失くして弱った今では叫ぶしかない。

 目の前で湯気が立つほどの熱湯に変化した水桶の中身を見て、ドバイカムが容疑者確保を指示すると同時に、部下へ氷水の用意をするように指示しようとして迷う。水に反応するならば、氷も無効だ。

 真っ赤になった両手を握りしめることもできずに舞台を転がるバルトンに、一人の少女が近づく。彼女は大きな溜め息を吐き出しながら、静かに赤魔法を発動させる。


「――乾いた砂が我が身を癒やす、夜空の砂漠――」


 バルトンの体全てを覆うように大量の和やかな色の砂が降り積もる。砂は両手に付いた水を吸収し、バルトンの動きも同時に止める。

 警官達は必死に砂からバルトンを掘り当て、大量の砂が圧し掛かったことで気絶した彼に手錠をかけた。犯人逮捕の瞬間に、観客全てが立ち上がって声を上げた。


「私立探偵カナン・ボイル推理劇、これにて閉幕や! 御清聴、ありがとうな!!」


 盛大な拍手と共に赤い幕が舞台を隠していく。現実の事件を舞台で再現された貴重な時間を胸に、観客達は満足そうに劇場を去るのであった。




 しかして大盛況で終わった推理劇の裏側にて、ドバイカムが角を生やしそうな勢いでカナンとユーナに向かって怒鳴った。


「やりすぎだ!! 少しは我らの事後始末を考えろ!!」


 別に誰かが死んだわけではない。多少の怪我人が出ただけで、一番の被害者が百度近い熱湯に手を入れた犯人となってしまった事実。

 現在バルトンは警察署に馬車で護送中だが、砂まみれ、両手は見るも無残な火傷、意識は朦朧としていて話ができるか怪しい。

 そんな状況に追い込んだのは誰か。自分が叱らなくてはいけないとドバイカムは怒るのだが、カナンは苦笑しており、ユーナは顔を背けている。


「だって、あの人にムカついたんやもん……動機ならば知ってるで。せっかくの主役舞台なのに評判悪かってん、壊そうとしたんや」

「わたくしも別に助ける義理はなかったところを、見捨てるのも忍びないと施しを与えただけです。むしろ褒めてくださいな!!」

「黙れ、無駄にポジティブ魔導士!! 言っとくが、始末的に一番酷いのはお前の魔法だからな!!」


 ドバイカムの正論にカナンは反論することはない。しかしユーナは聞く耳はもたないと言わんばかりに素っ気ない態度を取る。


「殺人未遂で扱うかどうかで議論も起きそうなのに……頭が痛い」

「あれは別に殺人を起こそうと思ってなかったん。あえて言うなら、舞台壊して、劇を殺そうとした……演劇殺人事件でもええで!」

「演劇は人じゃない!! 放火容疑を被せようにも、水をかけたのが少女となると……しかし利用されただけで……」

「計画的犯行として悪意はあるはずや。そこから攻めてみると良いと思うん。ただシェーナんは無実やから、容疑かける言うなら僕がしゃしゃり出ていくで」


 カナンの警告に、肩を落としながらもドバイカムは仕方ないと頷く。今回の事件は単独犯としてバルトンを追求し、シェーナを被害者として取り扱うことにした。

 時刻はそろそろ夜の十時になる。残業確定だとわかったドバイカムは観念し、煙草を吸うために叱るのを止めて、劇場の外へと向かう。

 ようやく解放されたとユーナはカナンの車椅子の取っ手を掴み、劇場内を移動していく。今は役者達が集う楽屋にて、夜とは思えない賑やかさを楽しむ。


「自分が像を造った後に細工されたと言われたら、どうするつもりでしたの?」

「シェーナんは多くの役者と打ち合わせしてたし、開演二時間前はミレットんのドレスを直してた。アリバイはしっかり確保されとる」

「なるほど……しかし錬金術師と勘違いされてましたわね。カナンさんは碩学の徒ですのに」


 碩学とは修めた学問が広く深いことを意味する。ユーナがその単語を使うのは、カナンが稀有な知識量を保持していると知っているからだ。


「ええなぁ、錬金術探偵……せやけど、僕は石ころから金塊を作るなんて荒唐無稽はできへんから、やっぱ私立探偵でええわ」


 面白がるようにカナンは自分の探偵という職業に冠する名前を思案する。しかしいつもそうやって考えては、私立探偵に落ち着くのだが。

 安楽椅子探偵はと言われても、明らかに行動派な車椅子。アクション探偵と宣伝するには、若干行動力が足りない。ハードボイルドを名乗るには外見が若すぎるし、雰囲気に合わない。

 諮問探偵が一番近いのではとも提案されたが、世界で最も有名な人が物語にいるから辞退すると笑う始末である。名探偵を自ら豪語するのは恥ずかしいとか。


「他にも相手がなに言うても論破することは可能やったし、本人の指先に決定的な証拠があるんやから問答の多くは無意味やん。なにより真実を冒涜した男と長く話す趣味はあらへん」

「とりあえず今回はカナンさんを怒らせてはいけないと学びましたわ。浅くない付き合いですけど、まだまだ知らないことばかりですわね」

「せやから楽しいやん。あー……それにしても道具部屋が気になるなぁ。ユーナん、ちょい『朗らかな化け物モンストルム』に会いにいこ」


 車椅子の上で考え込む仕草をしながらカナンが告げた言葉通りに、ユーナは車椅子を押していく。その最中、後ろからついてくる気配に二人で振り向く。

 すぐに隠れたつもりなのだろうか、縫い合わせたばかりのドレスの裾が見えていた。さらには少女二人が押し合う小声も丸聞こえである。


「なにしてるん?」

「べ、別にアンタ達に興味があるとかじゃなくて……か、監視よ! また事件が起きたら嫌だもの!!」

「僕が行く場所全てで事件が発生するわけやないんけど……ま、ええか。フリル剥ぎ取り事件として、被害者に付き添ってもらう感じやな」

「やっぱり事件があっ、というか適当なことを事件にしてるじゃない!! ……って、ええ!? 犯人!?」


 騒がしい声でミレットがカナンへ近づく。その後ろを濡れた衣装から着替え終えたシェーナもついていく。手には火傷を隠す包帯が巻かれている。


「あ、あの……ありがとうございます! おかげさまで明日も公演が決まりました。今日の事件で注目が集まるからと……」

「ええって。それに僕はまだシェーナんの依頼を完遂してへん。吸血鬼ヴァンパイア……の尻尾も掴めてへんもん。散々な遠回りしとるくらいや」


 頭を下げてお礼を言うシェーナに対し、カナンは少し憂いを含めながら返事する。何故か依頼を受けてから二つくらいは小さな事件が挟まっている。

 ユーナも同じことを感じており、やはり探偵という職業のせいではないかとも思うが、口には出さない。ただ一人、なにも知らないミレットだけがカナンに何度も視線を送っている。


「あ、アンタ……役者に向いてるんじゃない? 斡旋してあげてもいいわよ、役者仕事。朗読係とかね」

「遠慮しとくわぁ。正直、舞台の上なんて暑くてかなわん……あいたたた……気温差で足が痛むのは結構辛いんよ」


 歩み寄りを見せたミレットに対し、カナンは苦笑しながら太腿を擦る。額には汗が滲んでおり、歯も食いしばっている。

 車椅子とカナンの痛む足を見比べて、ミレットはそれ以上は勧めなかった。少しだけ寂しそうな横顔を見せるが、すぐに気分を変えてシェーナへ振り返る。


「し、シェーナ……も。もし困ってるなら、助けてあげるわ……か、勘違いしないことね! 私は借りを作りたくないし、アンタは私の好敵手ライバルなんだから!!」

「えぇ!? あ、ありがとう……じゃあミレットちゃんって呼んでもいい?」

「いい、わよ……わ、私は呼び捨てだからね! 友達とか、そんな、嬉しいはずがない、わけじゃないけど……」


 顔を真っ赤に染めながらも否定を繰り返すようで肯定にしてしまうミレットの態度に、ユーナは微笑ましさを感じつつも面倒さも覚えた。

 同じギルドメンバーである野蛮猿アルトがもう少し素直で純情で可愛げがあったらこんな感じかと、カナンと同一のことを考えるほどだ。

 少女二人の微笑ましい光景に目を細めつつ、少しずつ薄暗くなって道幅が狭くなる廊下を進んでいく。道具部屋まであと少しの距離。


 ユーナの腰で大人しくしていた杖刀が暴れるように動き出す。初めて見る無機物の動きにミレットは悲鳴を上げそうになった。

 しかしカナンの車椅子を押すのを止めて、ユーナは一目散に走りだす。向かうは道具部屋、四匹の『賑やかな妖精モンストルム』がいるはずの場所。

 カナンは少女二人に離れないように告げて、用心深く後を追う。そして部屋前で立ち尽くすユーナが握った拳を震えさせていた。


 押し潰された四つの体が塵屑のように部屋の中で転がっている。人間が大好きだと叫んだ口は、もう動くことすらできそうにないほどひしゃげている。

 酒好きの老人も、畑を荒らす悪い毛玉も、巨人に仕えた家畜の二足歩行の豚も、人を助ける茶色が特徴の者も。四匹全てが瀕死の状態で倒れていた。

 四つの体が少しずつ光に包まれて薄くなっていく。傷が補修できないほど魔力が零れていき、実体が保てずに消えていく間際なのだとユーナは知っている。


「……あ。嘘やろ?」


 カナンは音もなく消えていった酒好き妖精クルーラホーンを見て、痛ましさで顔を歪める。次に巨人の優秀な家畜妖精ジミー・スクウェアフットが姿を消す。

 背後から部屋の中を覗き込んだミレットとシェーナの眼前で、今度は畑荒らしの妖精スプリガンが消失た。ユーナは重い物が落ちてきたと思われる床板の惨状を眺める。

 箇所によっては穴が空き、床板の下に土があることがわかる。その中で、一つの穴から顔を覗かせていたのは棺桶の角だった。わずかに蓋が開いている。


「……だあれ?」


 ひしゃげた口を懸命に動かし、茶色の妖精ブラウニーが声を出す。カナンは慌てて傍に近寄り、ユーナが抱きかかえたブラウニーの顔を眺める。

 元から潰れた果実のような顔であったが、それをさらに踏み荒らしたような凄惨さ。ミレットとシェーナは思わず顔を背けるが、ブラウニーは顔の歪みによって飛び出た目玉でミレットを視界に捉える。

 そして懐から千切れた白い布を取り出す。ミレットはそれを見て、フリルを千切った犯人が目の前で死にかけている生物だと知る。


「ご、めん……ね。てんじょうで……きいたの。大切……な服。ちぎって、ごめんね……どうしても、ほしかったから……」


 まともな音にもなっていない声で、死の間際だというのに、謝罪を口にするブラウニー。ミレットは涙を我慢し、白い布を掴む潰れたブラウニーの手を、両手で包み込む。

 温かい人肌に、ブラウニーは嬉しそうに握られた手に少しだけ力を込めた。滅多に触れることができない、優しくて綺麗な人の手。白くて幼いけれど、労わりを感じる素敵な手。


「あ、げるわ……それくらい、いくらでもあげる!!」

「ほん、とう? 嬉しいなぁ……これで、やっと……」

「だから……っ!?」


 包み込んでいた感触が消える。千切れた白い布が床に開いた黒い穴の中、土の上へと落ちていく。どこにも『喜ぶ化け物モンストルム』はいない。

 言いたい文句があった。ドレスに手を出したことを怒りたかった。貴方は一体誰なのだと問い詰めたかった。その全てが消滅の二文字で消え去ってしまう。


「名前くらい……教えなさいよ……ばかっ」


 ミレットの頬を透明な涙が辿っていく。シェーナも口元を押さえ、目の前で起きたことに衝撃を受けて涙を浮かべる。

 カナンが胸の上で十字を切って祈りを捧げる中、ユーナだけが黒い杖刀を手に小さく呟く。湧き上がる感情を無理に抑え込むような、噴火前の火口に近い雰囲気だ。


「人間が好きだった貴方達に、わたくしは感銘を受けました……そして新たに誓いましょう。貴方達を怯えさせ、手を出した輩を叩き潰すと」

「……ユーナん?」

「重ねて宣言しますわ。人の目を誤魔化せても、魔導士を欺いても、破滅竜の前では全てが無意味だと!! そこですわ!!」


 ベルトに抑えつけられていた杖刀の留め具を外し、杖刀を自由に動かすユーナは道具部屋の一点を指差す。それはブラウニーと別れる際、不自然に倒れた女性像。

 黒の杖刀は迷うことなく砕こうと像に向かって空中を突き進む。重い音を立てて、無機物であった像は回避した。姿形は変わらないまま、銅像がそのものが動くように。

 飛び跳ねるように走り始めた女性像は、杖刀の攻撃を避けて道具部屋から逃げ出す。重い音が遠ざかっていく最中、紫色の目を怒りで滾らせたユーナは叫ぶ。


「絶対に逃がしませんわよ!! カナンさん、わたくしは敵を追いかけます!! 陽気な彼らを襲った相手を見逃すなど、わたくしの美学が許さない!!」


 猪突猛進と呼ぶに相応しい勢いで、杖刀を握りしめたユーナはライムシア劇場を飛び出す。夜、霧が深いロンダニアの街で異様な追走劇が始まった。

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