EPⅡ×Ⅲ【子役《child×actor》】

 ライムシア劇場関係者に怒られながら青魔法で壁を直したユーナは、カナンの要望で楽屋裏へと向かう。雑多で狭く、部屋数の関係で複雑な仕組みの廊下。

 ぶすくれた顔のユーナに車椅子を押してもらいながら、カナンは楽しそうに劇で使われる小道具を指差しては解説していく。走り回る役者や化粧係は二人を誰なのだと怪しみ、と不審な目を向ける。

 楽屋を与えられる女優や男優は個室でのんびりとしているが、まだ経験の浅い子役や売れない役者は廊下に座り込んで準備するほどであった。


「いやー、それにしても派手なおばあちゃんやったなぁ。僕は嫌いじゃないで、二度と会いたくないけど」

「その基準でいくとカナンさんに嫌われる人ってどんな方になるのかしら」


 先程の騒動を思い出してカナンは堪え切れない笑いを零す。ユーナとしては次に赤帽子レッドキャップと出会ったら言葉を吐く前に燃やす勢いである。

 壁に飾られた様々な劇に関する宣伝ポスターに名優の絵画を眺め、混雑しているが目を惹かれる裏側にユーナも少しずつ楽しくなってきた。

 そんな時に気の強そうな少女が髪を巻きながら走り、苛ついた様子でカナンの車椅子を蹴った。すぐに去ろうと足を動かした少女だが、さり気なく足を横に出したユーナのせいで、逃亡は失敗に終わる。


「な、なによぉ!? 私の邪魔をするなんて、何処の劇団ギルド!?」

「お生憎様。無礼者に名乗る必要性を感じませんので。どうしてもと言うならば、まずは謝罪を」


 憤慨する少女は愛らしい顔立ちをしていた。輝く金髪に林檎のように艶やかな赤い頬が白い肌に映え、宝石のような青い瞳は美しいの一言。

 着ている衣装も廊下にいる子役達に比べて豪華な布地で作られている。フリルの多いドレスが彼女の愛らしさを引き立たせているが、怒った顔と胸を張る姿勢が全てを台無しにしていた。

 少女はユーナの睨み方にわずかに後退るが、生来の負けん気が作用したが故に舌を出しながら走って楽屋奥へ消える。カナンは間近で行われた女性同士の争いに怯えることもなく、肩を震わせて笑う。


「あんな幼い子にムキにならんでもええのに」

「カナンさんは怒りなさい! あの子はわたくしではなく、車椅子のカナンさんを狙って蹴ったのですから!!」

「僕が怒鳴らなくてもユーナんが激怒するのわかってん。なら僕は逆に喜ぶべきだと思わへん?」

「思いません!!」


 頭から蒸気を出しそうなほど怒るユーナだったが、逆効果としてカナンを大笑いさせる結果を招いてしまう。納得できないが、本人が笑って許してしまうならユーナもそれ以上は言えない。

 頼りない蒸気灯の輝きに目を細め、薄暗い廊下を歩いて行く。曲がり角も多い上に蒸気機関による舞台装置が行く手を遮る時もある。その度にカナンは車椅子のレバーと操作盤を駆使して隙間を縫って進む。

 椅子の大きさが通る場所ならばどこでも進行可能な機械仕掛けの車椅子ギミックチェア。これこそ赤銅盤の発明家マグナス・ウォーカーの趣味が結集した発明品であることを知る者は少ない。


「わたくしがいなくてもカナンさん一人で行動できそうですわね」

「えー!? そんな寂しいのはよしこさんやん!」


 本気で寂しそうな視線を向けてくるため、ユーナは溜め息をつきつつもカナンについていく。小道具と大道具が混じった場所へ入った際は、保存維持による明かりがない薄暗さに戸惑う。

 有名な絵画に似せた油絵のキャンパスに大型の風景画、動く階段に果物籠やベッドなどが無造作に並べられている。不気味な女性の石像もあったが、少し欠けて白い石膏の粉が落ちていた。

 思わず軽く手の甲で叩いたユーナに対し、カナンが珍しく注意の声をかけてきた。その目は真剣である。


「いつか指の模様、僕は指紋と呼ぶ奴で犯人特定できる日が来るん。そんな時この劇場で殺人が起きた場合、ユーナんを容疑者リストに加えてしまうかもしれん」

「それは頼もしい。是非最新技術で真犯人を捕まえてくださいな。疑われるくらいどうってことありませんもの。だってカナンさんが必ず真実を掴んでくれますから」

「……ずるいなぁ」


 拍子抜けの気持ちを味わったカナンは肘掛けに寄りかかる体勢になる。勝ったと言わんばかりのユーナによる御満悦な笑みに文句すら出てこない。


「で、こんな裏側に来たのはそんなことを説明するためでしたの?」

「まさか。さっきのおばあちゃんについて詳しく聞きたかったんやけど、あれは『魔法ではない存在モンストルム』であってるん?」

「ええ。本来『向こう側レリック』の赤帽子レッドキャップならば聖書や十字化が効いたりするんですが……杖刀が触れた時の反応が顕著でしたわね」

「そういえば緑魔法で『どこかのレリック』を憑依させている相手に杖刀で接触するとどうなるん?」

「魔法が完成する前なら魔力を吸い上げて強制終了キャンセルできますけど、その後は『相手レリック』が阻害するみたいで杖刀も魔力が吸えませんわ」


 カナンは話を聞きながら先程の赤帽子を思い出す。けたたましく笑う小柄な老婆は嬉々として血塗れの斧を奮っていた。

 あれを『違う世界の者レリック』と思うのも怖いが、そうでない可能性である『この世界の者モンストルム』というのも嫌な話である。

 しかしユーナが激怒したせいでどこか遠い所に吹き飛ばされてしまったので、誰かが被害に遭わないことを願うのみだ。


「ただし先程のレッドキャップはしっかりと魔力が吸えました。だから相手はお腹を抱えていたでしょう?」

「そういえば涎も垂れていたし、苛ついた様子やったな。どういうことなん?」

「実は『魔力偏重生物モンストルム』は魔力を奪われると、酷い空腹に襲われますの」


 ユーナの説明にカナンは渋い顔をする。肩から力が抜けていき、あまりにもくだらない生態に汚れた木の床を見つめてしまうほどだ。

 木の床は建築当時から何度も張り替えたように、色合いから木材まで継ぎ接ぎの印象を与えてくる。クイーンズエイジ1765が劇場の歴史始めとされ、今の姿は1834に遡る。

 表は客の目を意識して華やかで格調高い外観に飾っているが、役者達や小道具が常に行き交う内側は中々調整できないことを如実に表している。


「つまりおばあちゃんはお腹が減って苛立ったわけだと。もう少しカッコイイ存在でいてほしかったわぁ」

「……カナンさん。あそこになにかありますわ」


 部屋の隅に置かれた清潔な牛乳皿と堅パンバノックに、ユーナは周囲に視線を張り巡らす。そして薄暗い天井を這いまわる影を見つける。


「なんや、あれ?」

「……茶色の奴ブラウニー、家の手伝いをする『身近な妖精モンストルム』ですわ」


 名前を呼ばれた影は天井から宙返りする形で床に着地する。七十センチ程の小柄な体型に、布切れを纏った姿。なにより特筆するべきは醜い顔。

 ひしゃげた果実に鼻と口と目を付けたに等しい顔だが、先程の血塗れ老婆レッドキャップと比べればまだ愛らしい顔立ちだ。

 全体的に茶色の色彩を持つブラウニーは、大きな茶色の瞳でユーナとカナンを用心深く見据える。怯えと好奇心が入り混じった、人間を焦がれる表情。


「ぼく知ってる? あなたはだあれ? ああでもまって。こわい。その杖? その刀? 怖い」

「申し遅れましたわね。わたくしは紫魔導士ユーナ。人助けギルド【流星の旗】の一員ですわ」

「同じくカナン・ボイル。本業は私立探偵や」

「かなんにゆーな。おぼえた。けどわすれる。だってあなたたちは衣服をあたえてくれない」


 そう言ってブラウニーは二人の横を通り過ぎて牛乳皿に入っていた質の良い牛乳を一気に飲み干し、堅パンを噛み千切って咀嚼する。

 一息ついてから再度振り返って近づいてくるブラウニーは、大きな瞳であちらこちらを眺める。他に誰もいないことを確認して、口を開く。


「ここいい場所。家じゃないけど、ごほうびくれる。でもそろそろ出たい。衣服ほしい、だあれかに衣服をもらわなきゃ」

「……どういうことやねん? 僕には全く意味がわからん」

「ブラウニーは家や建物を出入りする人間の思想、感情、それに纏わりつく魔力から生まれる『妖精モンストルム』なのです。だから人の影響が強く反映されます」


 小声で話しかけてきたカナンに対してユーナも小声で応じる。落ち着かない様子で周囲に視線を張り巡らすブラウニーは、なにかを掴み損ねたように手の指を動かしている。


「えーと、つまり童話に出てくる悪戯妖精ピクシーと同じやの?」

「そうです。悪戯することもありますけど、報酬さえ用意すれば基本は人の役に立つ存在ですわ。どうやらここの劇場主任は彼を信じ、報酬を小部屋に置いていたようですわ」

「うん。美味しいクリームかミルク、堅いパン、それさえあればかたづけるよ。でもきれいすぎるとおちつかない。そうなるくらいならよごしちゃう」

「そして衣服を与えられると出ていく。だけど他に住み心地良い場所があるとは思えませんわ。なにか理由でもあるのかしら?」


 ユーナの指摘にブラウニーは困ったように頷く。そして表情を窺うように上目遣いをしながら近づき、囁くように言葉を出す。


「あのね、燃えるの。ぜんぶ、ぜんぶ、燃えてしまうの。だから逃げなきゃ。あいつにはかなわない」


 自分の言葉に怯えて体を震わせ始めたブラウニーは小声で部屋の隅から誰かを呼ぶ。すると三匹の『不可解な生き物モンストルム』が顔を出した。

 一匹はクルーラホーン。酒好きで酔っぱらうとペットや家畜の背中に乗って騒ぐが、たまに酒蔵の掃除をする存在だ。大きな鼻は赤く染まっており、歩き方も千鳥足。恰幅の良い老人に似た小人だ。

 もう一匹はジミー・スクウェアフット。アイリッシュ連合王国とカイルランドの間にあるアン島、そこに住む巨人の家畜で乗り物と言われた存在だ。しかし主人の失踪と共に彷徨い歩き果てた末に二足歩行を獲得した。その姿は二本足で歩く大型の豚である。


 最後の一匹は憎たらしい笑みを浮かべるスプリガン。他の三匹と比べて明確に人間に害をもたらす悪戯好きで、人間の子供を誘拐するだけでなく畑を荒らすこともある。

 毛虫と猫を組み合わせたような黒い姿で、二本足で歩けるのにわざと四つん這いで動いている。歯を見せながら笑う姿は猿に近い。

 ブラウニーを含めた四匹は全員が燃えるという単語で震えはじめる。ただしクルーラホーンに関しては酒の飲み過ぎによる指先の震えだったが。


「ういぃいっく! 酒蔵が、全ての酒が燃えちまう! ブランデーにスコッチ、ジンにエール! ああ、使用人の盗み飲みを一回だけ見逃すから、皆持って逃げてくれねぇかなぁ!!」

「海を渡ろう! 主を乗せる時と同じように! 人を乗せよう! 大丈夫、自分は人畜無害! 牙はあるけど、人は襲わない! だから海を渡ろう!」

「駄目だ、駄目だ! もう終わりだ! 嵐を起こしても煽るだけ! あの火は止められない!! 最後に赤子をさらおう! 親は死んでも血が残る! ロンダニア全ての赤子をさらおう!」

「怖い。怖い。でもね、ぼくはここが好き。とてもにぎやか。赤い幕がひらくとあかりがあふれて、にんげんのえがおがみれる! ああでもぜんぶ燃える。衣服、あの子の衣服をもらおう!」


 喧噪を繰り広げる『人間が作り上げた妖精モンストルム』達は、意見を統一しないまま動きだそうとしては、部屋の中を走り回ってお互いにぶつかってしまう。いくつか置かれている道具が揺れた。

 全員が一メートルも満たない身長で暴れるので、ユーナは見下ろす首が痛くなってきた。車椅子に乗っているカナンは愉快な見世物を眺める観客のように余裕を持っていた。


「一つお尋ねします。貴方達は人間が好きなのですか?」

『大好き』


 走るのを一斉に止めて声を揃えたブラウニー達。愛くるしい顔の者はいないが、ユーナを見上げてくる瞳は純粋そのものである。


「人間は酒を造る! だけど管理が難しいし、人目を盗んで飲む奴もいる! 栓を閉めないともったいない! だから儂は生まれた! 陽気な『化け物モンストルム』として!」

「巨人がいたよ。主は素晴らしい御方! だから人間は思った、きっと素晴らしい家畜、海を渡る豚がいるはず! だから自分は生まれた! 素晴らしい『化け物モンストルム』となって!」

「古い城跡に塚、そこから風に乗って赤子のような声! だから人間は考えた、あそこには赤子をさらう悪い奴がいる、畑を荒らす奴がいる! だから俺は生まれた、必要な『化け物モンストルム』だ!」

「どんな家にもほこりがつもる! けどみえない場所でだあれかが掃除してくれるかも! かんたんなごほうびとかたづけられないりゆう、くつしたがかたほうなくなるのはぼくのせい! だからぼくはうまれた! かたすみにいる『化け物モンストルム』なんだよ!」


 四つの口全てから語られた『化け物モンストルム』が生まれた理由。それは人間が生活をしていく中で培った神話に近い伝説、いや、童話のようなささやかな物。

 人間のそんな物語が声として空気を震わせる都度、子供へ寝る前に話す内容を考えるたび、魔力を伴って生まれてくる『力なき者達モンストルム』は今も高らかに叫ぶ。


『だから大好き! 人間、大好き!!』


 靴下が片方見つからない時、家の片隅から感じる謎の気配に存在を掴もうとする仕草すらも魔力に変換されて彼らに力を与える。

 麦畑が強大な嵐で駄目になった時、大きな風が障害物にぶつかって唸り声のような風音を出すのを聞くことすら魔力に変わって彼らが生まれる。

 酒蔵で使用人がワインを盗み飲んでいたのを虫の知らせで見つけた時、直感という名の魔力が命を授けて存在を作り上げていく。


「お見事ですわ。わたくし大変感動しました。ですので、わたくしにできることがあればなんでも叶えて差し上げましょう」

「ユーナん!? 相変わらず美学ちゅーか、好き勝手に動くなぁ。でもどうすんのん?」

「要は彼らが怯える全て燃やす存在とやらを倒せばいいのでしょう。ならば話は簡単。わたくしの全力で……叩き潰す」


 黒い杖刀に手を触れてユーナは宣言する。世界で七人しかいない最高位魔導士の言葉と知っているカナンとしては、頼もしさよりも恐ろしさが勝る。

 しかしブラウニー達は杖刀を見て悲鳴を上げる。天敵、大口を開けた蛇、巨大な熊、勇猛なる獅子、あらゆる強さと死の恐怖を混じり合わせた存在を感じ取るように。

 そしてまたもや部屋中を走り回ってはお互いにぶつかりあってしまう。ブラウニーは懐に入れていた白く可憐な布地を落として、慌てて拾い上げてしまい込む。


「……そういえば、実体のない『見える存在モンストルム』は魔力を失うと消えてしまうのでしたわね」

「ああ。それで怯えてるんか。僕も杖刀には触れたくないなぁ。ん? ということは彼らは魔力で実像を作り上げているん?」

「そうですわ。魔力が偏重して結晶化したに近いと言うか、魔力に宿った意図が姿を整えているというか……触れますし、お腹も減る。けれどその全ては魔力というエネルギー生物ですわ」

「具体的に説明し辛いわけや。そういえばさっきご飯を食べてたのも、体の維持に必要な行動だったんやね」


 目の前で走り回る子供のように動く『妖精モンストルム』達を見て、カナンは興味深そうに観察していく。

 足音も聞こえれば、床を軋ませて埃を跳ね上げる。声が空気を震わせて、暴れるたびに風が起こる。エネルギーの塊と言うよりは、確かに生物と言った方が近いだろう。

 カナンは一通り動き回って疲れたブラウニー達が止まったのを確認し、おそらくライムシア劇場で一番長く住んでいるであろうブラウニーに近付く。


「なぁ、この劇場でおかしなことは……いや、人間の基準はあかんね。具体的に言うと、あの床は最近新しく修理されたように見えるんけど、何年前のや?」


 カナンが指差した先には継ぎ接ぎの印象を受ける床の中でも、一番綺麗な白い床板だ。縦に長く、横には細い。棺桶の形に近い直され方だ。

 ただし石膏像が倒れたのか、白い粉が散らばって踏み荒らされた跡がある。そのせいでユーナはカナンが指摘した床に気付いていなかった。

 ブラウニーは大きな目でカナンと床を見比べる。そして困ったように首を傾げて、木の枝のような細長い人差し指で頭を揉む。


「あれは二年前だったとおもう。あのね、あの子がはじめて舞台にたてた日。きらきらしてた。あそこからね、はいでたの」

「……なにが?」

吸血鬼ヴァンパイア


 ブラウニーの言葉が終わると同時に、部屋の片隅で物音が。四匹の『化け物モンストルム』はあっという間に姿を消してしまう。

 音が聞こえてきた方へユーナは用心深く近寄る。しかし大道具が倒れた音かと、床の上で横になっている女性の姿を象った石像を見下ろす。

 美しい女性の石像に壊れた箇所はない。ユーナは持ち上げて元の位置に戻そうとしたが、楽屋に鳴り響く入場音ブザーに手が止まる。


「どうやら始まるようやね。ユーナん、席に戻ろうか……っと、その前にさっきの女の子に会おう」

「さっきのって……車椅子を蹴った無礼者!? なんで!?」

「あん時な、彼女の衣装が一部破けてたんや。白いフリルで可愛いのに、不思議やったんけれど……その答えはここにあったんや」


 そしてカナンは天井の裏側、隙間から顔を覗かせてくるブラウニーに微笑む。もちろんすぐにブラウニーはどこかへと消えてしまう。

 ユーナは少しだけ理解した様子でカナンの車椅子を押し始める。入場音は開演二時間前を表す合図に近い。役者は化粧メイクと衣装によってはそれ以上時間がかかることもあるが。

 先程一度会っただけの少女がいるであろう楽屋に向けて、カナンはユーナに方向の指示を出していく。たった一回、しかもほぼ通りすがりの相手を覚えている記憶力にユーナは驚嘆した。





 今まで以上に慌ただしい様子の楽屋裏で、少女の怒鳴り声が響き渡る。あまりの声量に額縁が傾くほどである。

 多くの役者が集まって噂を立てる中、カナンとユーナは人混みを掻き分けて大部屋へと入り込む。中には大量の花と衣装が無造作に並んでいる。

 その室内で先程カナンの車椅子を蹴った少女は、衣装を脱いで泣き喚いていた。簡素な衣服を身に纏い、ポスターを破って丸めてから壁に向かって投げつけるほどの癇癪だ。


 転がってきた紙くずを拾い上げたカナンは、余裕を崩さないまま部屋の中央へと進むようにユーナへ指示する。できれば少女に近付きたくなかったユーナだが、カナンの意思を優先した。

 部屋の中では多くの劇団員が狼狽えていたが、役者達に紛れ込むシェーナが同い年の少女ということで呼ばれたらしく、背中を押されて説得するように老年の男性に頼まれている。

 しかし少女の勢いは留まらず、近くにあった花を千切って鏡にぶつけていく。赤い跡がついた鏡の下に置いていた化粧道具が床に落ち、女性団員が悲痛な息を零した。


「……有名劇団ギルド【一角獣ユニコーン】の花形子役、ミレット・ヴェルガーノ嬢」

「っ!? な、なによぉ!? あ、アンタはさっきの廊下を塞いでいた車椅子男! それと足ひっかけ女!!」

「覚えて頂き光栄や。どうやら衣装が破けていたことにご不満の様子。この私立探偵カナン・ボイルに相談してみいひん?」


 足ひっかけ女と呼ばれて車椅子の押し手を軋ませたユーナを気配で抑えつつ、カナンは人の好さそうな笑みをミレットへと向ける。


「……なんで私が劇団ギルド【一角獣ユニコーン】所属だって知ってるの? それに名前も……もしかしてファンなのかしら?」

「お恥ずかしいことに無知でしたわ。けど楽屋に貼られているポスターに描かれた一角獣、そこで微笑むミレット嬢の愛らしさは誤魔化させんよ」

「む……じゃあ私の衣装が破けているのは? ただ衣装が気に入らなかっただけなのかもしれないじゃない」

「さっき僕の椅子を蹴ったんは、他の役者の邪魔だと思うた劇団員としての気質からやろ? そんな役者として成熟しとるミレット嬢が、衣装が気にくわない、という理由で泣き喚くとは思えん」


 丸められて投げられたポスターの皺を丁寧に伸ばしながら、カナンは穏やかな口調で微笑む。その仕草や行動にミレットは少しずつ話を聞いていく。

 車椅子を動かして、腰を曲げて床に落ちていた少し年季の入った衣装を拾い上げたカナンは、直された跡があるフリルを指差す。ただしかなり歪な直され方である。

 さらにフリルの布地についた指の形をした血の跡に、それを拭こうと失敗したハンカチ。部屋に飾られた白黒写真フォトグラフには似た衣装を着て髪をまとめ上げた美しい女性。


「母親が昔着用していた服をやるっちゅーことで、仕立て直しされたんちゃう? 耳の形がよく似とる。知ってるん? 耳紋言うて、個性はあるけど耳の形は親子で似るんよ」

「そ、そうなの? いつも目の色が同じって褒められるから……気付かなかったわ」

「直そう思うたけど演劇一直線人生で、御針子おはりこなんてやったことあらへん女優の卵。他の衣装は着たくないけど、血の跡は誤魔化せへんと苛立ったわけや」

「うっ……わ、悪かったわね! どうせ不器用ですよ!! でもこの衣装だけは、母様かあさまが慣れない針で作ってくれた衣装だけは!!」


 愛らしい大きな瞳に涙を浮かべ始めるミレットは、顔を真っ赤にしてしゃくり上げる。舞台では大人顔負けの子役も、裏では年相応の意地と顔を見せる。

 大部屋が先行きのわからない演劇として完成されていくように、全ての空気をカナンは掴んでいた。そしてミレットにとって一番痛いところを突いていく。


「あと二時間しかないことに、ストレスを感じたのは理解できる。けどな、一流の役者なら他の役者に迷惑をかけてもいいとか思ってるん?」


 その言葉にミレットは初めて周囲を見回した。不安そうな顔をする同じ劇団ギルドの仲間、劇場で働く作業員スタッフ、この舞台で人生初の役を得る子供達。

 あらゆる人々が少女の癇癪に付き合わされて準備の手を止めている。舞台に立つよりもどうしようもない緊張と、失敗したと感じた心でミレットは言葉が出なくなる。

 手が震え、涙を零しそうになる。しかし涙で解決するものでもない。止めようにも、自然と溢れてくる熱い滴をせき止められない。ミレットは目元を擦ろうとした。


「役者は顔が命や。泣き止む時間や、女優アクトレス。その誇りがあるなら、舞台の構成を思い出しとき」

「ど、どうするのよ……水で濡らして血を落とそうにも、時間がない……今日は母様がこの衣装を着た私を見に来るのに……」

「血は跡が残る。なら最初から失くせばいい。シェーナん、針は得意?」

「え、あ、はい!! 昔から近所の子供の世話で繕いをしてたから……」


 急に声をかけられたシェーナは慌てながらも応じる。その答えに満足した笑みを浮かべたカナンは、フリルと布地を繋ぎ止める糸を外し始めた。

 衣装が解体されると思ったミレットは悲鳴を上げかけたが、シェーナが衣装箱から予備の布地を出してくる。細長い安物のレースだが、代用としては申し分ない。

 千切れた部分だけのフリルを直すと、全体に違和感が出る。だからカナンはフリル過多の衣装のフリルを全て外し、楽屋の外にいた衣装係に声をかける。


「二時間しかない? いいや、二時間あるんや! 力を合わせれば怖い物なんてあらへん!! 舞台を知るミレット嬢には痛いほどわかるんとちゃう?」

「う、うん……わかる。だって一人じゃ……舞台は成り立たない。小道具一つ、照明一つ……その全てに人の手が宿るもの」

「せやろ? 裁縫が得意な人に任せて、指の血を止めるといい。大分深く刺して痛いんやろ? あちこちに跡が残ってるもんなぁ」


 カナンは手が空いている者に医療箱を持ってくるように指示し、ミレットがずっと左手で隠していた右手の人差し指をハンカチで軽く覆う。

 千切られて投げられた花にも確かに血がついており、その量は多い。丸められたポスターや鏡にも付いていた血から、カナンは全て見通していた。

 涙を止めたミレットはカナンとシェーナの顔を眺める。シェーナは交友関係が広く、多くの者が自ら力を貸そうと声をかけている。


「あ、ありがとう……そしてごめんなさい」

「んー、気にせんといて。どうせなら舞台で輝くミレット嬢が見たいだけなんやから」


 非礼を詫びたミレットに対し、ようやくユーナの怒りが治まったことに気付いたカナンは一息つく。ずっと後ろから怒っている気配が続いていたのだ。

 ミレットは同じ劇団ギルドの者に化粧を施すと言われて移動を始める。シェーナは真剣な目でフリルの取り付けを衣装係と共同作業で進めていく。

 もう自分達は必要ないだろうと、ユーナはカナンに指示されるまま大部屋を後にする。楽屋裏からプライベート・ボックス席へと向かう最中、ユーナが思い出したように尋ねる。


「もしかして彼女の衣装が破損してたのが気になって、ブラウニーがいた道具部屋へ?」

「そうや。ひっかけて破けたというよりは、力任せに千切られた跡やったから……誰かに襲われて苛立ってたと思ったんやけど……違ったなぁ」


 苦笑いで推理が間違っていたのを口にするカナンだが、その顔に悲痛さは一切ない。ただ純粋に勘違いした推測が証明されたことに喜んでいる顔だ。

 ユーナはブラウニーの性質や言動などを思い出して納得する。つまりブラウニーはミレットの服を手に入れて、劇場から出ようとしていたのだろう。

 しかし衣服は与えられないと効果をなさない。結局は役者の衣装が破けただけで終わったので、ある意味『悪戯妖精モンストルム』の面目躍如だろう。


「なんで彼女が道具部屋にいたと?」

「黴臭い埃と油絵の具の臭い、薄かったけど石膏の粉がついた靴裏。そんなのが付着するのは薄暗い道具部屋だけや」

「すれ違いざまにそこまで理解するとは……」

「いやだってほら、ここ足がぶつかった場所に粉がついとるやろ? そういうことやん」


 カナンが指差した先、車椅子の下部に白い粉の靴跡。ただ蹴られるだけで終わらないカナンに、ユーナは深く感心する。


「彼女はどうして道具部屋にいたのかしら?」

「ここの劇場主任はブラウニーを信じてるみたいと話したやろ? せっかくやしミルクと堅パンを置いて来てと言われたんやろうなぁ」

「もちろん証拠は?」

「あるに決まってるやろ。ミルクの中に埃は浮いてなかった、近くにミレット嬢の靴跡がついた粉が散らばっていた。その下が最近修理された木の床やったん」


 新しく運ばれた牛乳皿から石膏の粉に残っていた小さな少女の靴跡。そこからさらに他とは違う木の床を判断する眼力。さすがだとユーナは微笑む。

 話している間に赤い幕で隠された個室席に辿り着く。ただし今度は壁を破壊されたことで警戒している劇場関係者達が外で見張るらしく、黒服の男がユーナを睨む。

 仕方ないとカナンは苦笑いし、ユーナは肩を竦めながらも仕切り幕の向こう側へと進む。ライムシア劇場夜公演、間もなく座席が埋まり、役者達が舞台へ集う時間になる。


 そして有名劇場の舞台が悲鳴で彩られるまで、あと二時間である。

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