EPⅡ×Ⅱ【劇場の少女《theater×girl》】

 クイーンズエイジ1881。十月三十日の昼前。夏も終わり秋が深まる。夜まで活動する警官達の制服は厚手の物へと変化しており、道を歩く女性達も肩掛けを常備していた。

 曇り空が多い季節のため、窓先から空へと顔を覗かせる主婦の顔は憂鬱そうだ。霧の冷たさが一段と濃くなる中、子供達が端切れや木材を集めてはしゃいでいる。

 細長い案山子を作っているようにも見えるが、正確にはある男の人形を造形しているのだ。アイリッシュ連合王国を揺るがす事件を、未然に防いだことを祝うための奇祭。


 それとは関係なく、ロンダニアのガウェインガーデン地区。レオファルガー広場スクエアとシティを東西に結ぶルトランド通り、北に行くと王立歌劇場ロイヤルオペラキャッスルに至るガウストリートが交差した角に位置している劇場。

 名はライムシア劇場シアターである。その建物を前に、カナンの車椅子を押して移動の補助を担っていたユーナは、賑わう人混みの中で杖刀が通行人に触れないように注意する。

 破滅竜の杖刀と呼ぶ黒い外見の長すぎる刀は、触れた相手の魔力を吸収してしまう。魔力が多い者ならば眩暈程度で済むが、少ない者が触れれば貧血状態になって気絶してしまう。


「有名劇場に情報提供者? それともわたくしに素敵な劇を見せてくれる建前だったのかしら?」

「あははは、僕がユーナんをデートに誘うわけないやん! 劇場関係者やと言うても、働く人は様々や……ほら」


 カナンが指差した先には淡い色合いのピンクのドレスを着た少女が建物の柱に背を預けながら立っていた。程よく長い桃色の髪を頭上で結い、ツインテールにしている。

 隣には燃えるような赤毛の少年がラフな格好で少女の横におり、不安そうな少女に声をかけては慰めている。そして少年の黒い瞳と少女の青い瞳がカナンの姿を捉えた。

 人の波を用心深く掻きわけて歩いてきた二人の子供を前に、ユーナはカナンに疑いの視線を向ける。それを無視してカナンは陽気な声で少女に声をかける。


「君がシェーナ・ガヴァレッタで、そちらの子は……」

「あ、アタシの幼馴染みのエリック・オペラです! それで、その……後ろの方は?」

「今日の助手やねん。前の助手であるバロックんは忙しい言うて振られてしもうたん」


 目の前にやって来た少女シェーナと少年エリックは同い年くらいの十四歳の子供らしい容姿だ。ユーナとカナンの外見年齢が十六歳であるので、それよりも幼い。

 しかし周囲から見れば子供四人が集まって道の真ん中で談話しているようにしか見えず、からかおうとした破落戸ごろつきの男がわざとユーナの体に自分の体をぶつけた。

 その際に杖刀がさり気なく動いて男の体に触れ、一瞬で魔力を奪い尽くしたため、男は数歩先でいきなり倒れ、通行人の女性から悲鳴が上がった。


「ちょい端の方に向かおっか。騒ぎになると話すこともままならへん」

「あれって事件じゃないですか!? す、推理とか……」

「犯人も手法もわかってる上に、相手の落ち度や。なーに、数十分もすれば目覚める眠りや」


 慌てるシェーナの背中を押すように、カナンは機械仕掛けの車椅子ギミックチェアのレバーを操作して前進する。ユーナは素知らぬ顔でそれについていく。

 ただし腰に付けている黒の革ベルトで固定されている杖刀を、白魔法も加味した強い腕力で握りしめる。杖刀が周囲に気付かれないように小刻みに震えた。

 ユーナとしてはあれくらいの男は容赦なく吹き飛ばすのも容易いので、余計なことで騒ぎを大きくするなと杖刀に宿った破滅竜の意思に無言の警告を伝える。


 四人は劇場横のカフェテリアのテラス席に座る。劇場関係者や愛好家が集まるためか、多種多様な服装や年齢の人々が休憩している。

 カナンは車椅子の左肘掛けにある操作盤に指先で必要事項を入力する。車椅子の座高が調整され、テラス席のテーブルの高さに見合う形となる。

 階段も操作盤だけで誰の補助も借りずに移動できるため、正直に言えばカナンに生活の不便はなく、助手という存在も必要ない。だが必ずいつも助手を付けていた。


「じゃあ僕はコーヒーにしよっかな。あのカフェインが与える脳への刺激が程よく眠気を誘うんよ」

「普通逆ですけどね。わたくしは紅茶で。貴方達も好きなのを頼んでくださいな。お近づきの印にわたくしが奢りますわ」

「いいの!? じゃあ俺はこのローズティーとサンドイッチにスコーンやフィッシュ&チップスと……」

「少しは遠慮しなさい! すみません、エリックって大食いで……あの、アタシもローズティーで」


 顔を真っ赤にしつつも普段は手が出せない飲み物を頼むシェーナに、ユーナは寛大な微笑みで様子を眺めていた。これは普通に可愛いと思っている時の顔だ。

 ユーナの笑みの大部分は恐ろしい事例が多いため、カナンは珍しい笑みを浮かべていると一息ついていた。エリックはシェーナに怒られつつ、腹の虫を鳴らす。

 あまりにも大きい腹の音に、近くを通っていた店員が驚いた目をエリックに向けるが、シェーナは自分のことのように顔を真っ赤にして何度も店員に頭を下げる。


「もう、意地汚い! エリックがそんなんだからアタシが苦労するの!」

「ごめんって! でもお腹が空くのは自然現象じゃん! 大体シェーナだってたまに夜チョコレートを溶かして……」

「もぉおおおお!! 乙女の食事に口を出さない! 本当にすいません、えっと、そろそろ本題に入った方がいいですよね!?」

「慌てんでええよ。見ていておもろいから、見物料払いたいくらいやねん。とりあえず助手のユーナんに君から渡された手紙を見せとくわ」


 カナンは懐のポケットに手を入れる。取り出されたのは使い古された牛革の手帳、そこに挟まれた手紙は綺麗に折りたたまれた状態だった。渡されたユーナは戸惑うことなく開く。

 そこに書かれていた文面は見ていて気持ちの良い物ではなかった。差出人は記載されていないが、受取人名にはシェーナの名前がしっかりと書き記されていた。


「……吸血鬼は乙女へ不幸を呼ぶ。助けを求めるならば、その身を捧げよ……ね。これ、燃やします?」

「証拠品をいきなり焼失案件とか怖い助手やわ、ほんまに。はい、没収」

「だってこれ一枚のはずがないでしょう? 何通送られたかは知りませんけど、探偵に悩み相談するなんて切羽詰まっている証拠ですわ」


 近くを歩く警官を横目で捉えながら、ユーナは呆れたように呟く。公的機関を頼らずに私立探偵に話を持ちかける十四歳の少女。それだけで大体の事情は掴める。

 シェーナは落ち込んだ様子で顔を俯かせるが、隣に座っていたエリックは美人の店員が運んできたスコーンに目を輝かせた。それが気に入らなかったシェーナはテーブル下でエリックの足を蹴る。

 痛みで呻くエリックをそのままに、シェーナは再度顔を憂いに染める。さすがは劇場関係者だと、ユーナは少女ながら女性らしい成長を見せるシェーナに感嘆した。


「アタシ、二年前から舞台に立てるようになった新米役者で、まだ端役しか貰えてないですけど……いつかは舞台の真ん中で歌うのが夢なんです」

「歌劇志望なのですね。素敵ですわ。やはりシェイクボウガンのような正劇の主役を?」

「はい! 悲劇でも喜劇でも……アタシ、あの人のために……」


 そう言って頬を赤らめるシェーナの瞳は輝いている。多感な時期に訪れる目標と恋に踊るその様は、ユーナの胸中に多大な衝撃を与えた。


「ま、眩しい! これが若さってやつなのですね!」

「ユーナんには遥か遠い過去やもんなぁ」

「カナンさん、後で覚えていやがれですわ」


 実年齢は軽く百歳を超えているユーナの地雷原を軽やかに踏んだカナンだが、店員が持ってきたコーヒーカップ片手に余裕の微笑みである。

 さすがは野蛮猿アレと同じ学歴、つまりは同級生で悪友なだけはあるとユーナが感心する中、カナンはシェーナに話の続きを促す。


「頑張るのはええけど、これに心当たりないんは厄介やろ? どうするん」

「えっと、前に相談した通り吸血鬼について知り、きゃっ!?」

「わ。ごめん!」


 エリックがスコーンを食べている際に、肘で自分のティーカップを揺らしてしまい、中身のローズティーが若干シェーナにかかる。

 急いでポケットからハンカチを取り出して服についた部分を拭き始めるエリックに対し、シェーナはエリックに紅茶が零れていないかを確認する。

 仲の良い少年少女の様子にユーナは目を細めながら、魔導士として吸血鬼の情報を思い出していく。


「吸血鬼って大まかに二種類いまして、その内『別世界レリック』に該当する場合、弱点多くて助かるんですけど……」

「ゆ、ユーナさんって魔導士なんですか!?」

「そうですわよ。と言っても紫魔導士資格剥奪寸前ですから、気兼ねなく話しかけてくださいな」


 エリックの驚いた表情に対して、ユーナは親しみが持ちやすいような笑みを向ける。もちろん本当の顔最高位魔導士については隠しながら。

 曇り空の下で飲む温かい紅茶を堪能しながら、エリックとシェーナが落ち着いたところでユーナは話を続けていく。


「問題は『化け物モンストルム』だった場合。これは厄介なんですよね」

「モンストルム? えっと……レリックと具体的にどう違うんですか?」

「そうですわね……まずは魔力の話をしましょう。これに関してはどこまで御存知かしら?」


 流れる沈黙は知識がないことを証明していた。気まずい空気になったが、ユーナは気にせずに笑みを絶やさない。


「魔力というのは物質に宿るエネルギーです。これは空、大地、海だけでなく生物や植物も例外ではありません。目の前にある紅茶の一滴にも微量ながら内包していますの」


 言いながら紅茶を飲むユーナ。エリックが手に持っているサンドイッチを眺めながらシェーナが、これもなのだろうか、という意味で無言のまま指を差す。

 頷きながらユーナは店員に紅茶のおかわりを要求し、ティースプーンを片手にこれにも宿っていると説明する。テーブルや椅子、呼吸の一つにさえ魔力は含まれていると。

 そしてティースプーンの周囲に赤魔法で微細の風を起こす。薔薇の香りが店外に広がり、匂いに釣られた通行人が店の中へと入っていく。


「今わたくしは魔法で薔薇の匂いがする風を発生させました。この風こそが魔力によって『呼び起こした物レリック』ですわ。そして魔法の中には召喚に属する緑魔法と黄魔法という分類があるのです」

「僕が簡単に捕捉すると、緑魔法というのは物質に『なにかレリック』を付着させる。黄魔法は『道具レリック』を所持する感じやな」

「吸血鬼が『この世界の物ではないレリック』の場合はどうなるんですか?」

「緑魔法で呼ぶ、黄魔法で関連する『道具レリック』を借りる、ですわ……問題はどちらも持続に難ありですわね」


 シェーナが早速『レリック』という単語の扱いに慣れたことに微笑みながら、ユーナは少しだけ困ったように呟いた。

 緑魔法は簡単に言えば憑依なのである。望んだ存在の能力や力を揮うため、体や物質を介して憑いてもらう。暴走する場合とは、意識が相手に奪われてしまうことだ。

 黄魔法は道具の貸与である。神話や伝説に登場する道具を存在ごと呼び寄せ、法則に従って使う。最悪なのは扱いきれずに予想以上の威力を発揮する時だ。


「緑魔法だと『自分ではない意思レリック』を宿し続けるのは、強靭な精神力でも不可能ですわ。まず生きた年数から価値観に視点や本来の機能すら違うのです」

「黄魔法も『相手側レリック』にとっては命に関わる物や世界を揺るがす脅威まで様々やから、長期間借りようにも拒否られるんのは明らかや」

「なによりどちらも長期間もしくは断続的にしろ、魔力が足りないと話になりません。そして『別世界レリック』の吸血鬼は様々な事情から弱体化が進んでいますの」


 神ではない吸血鬼を緑魔法で呼ぶこと自体は難しくない。関連する道具を借りるのも簡単である。問題は役立つかどうかの点であり、これにおいては否定の一言である。

 まず日光に弱い。夜限定の活動となり、うっかり昼に呼んでしまえば緑魔法を使った側が苦しむ上に、二度と応答されない可能性が出てくる。さらにニンニクに苦手など、チャイニータウンの餃子チャオズで即死である。

 極めつけは流れる川が苦手。ロンダニアの街を横断する上に象徴でもあるダムズ川。これがある限り自由行動など夢のまた夢の話である。


 無尽蔵の体力と摩訶不思議な妖術、霧の中に消える体と誰も敵わぬ身体能力。なにより蝙蝠の翼など美点も付加され続けているが、如何せん弱点がロンダニアと相性が悪すぎる。

 特に血を吸って仲間を増やすという増殖効果は心惹かれるが、それすらも処女の血しか飲めないという特性が追加された時点で一角獣ユニコーンよりも役に立たないと言われる始末。

 総じて足し算と引き算が盛んに行われた結果、吸血鬼を呼ぶくらいならもう少しましなのを緑魔法で頼むわ、という終点に誰もが辿り着くのである。


「なのでもしもシェーナさんに『哀れレリック』なる吸血鬼が近づいても、ニンニク投げてぶつければ済むという力技で充分です」

「……アタシの中で吸血鬼像が音を立てて崩れていくようです。劇中じゃ耽美で素敵なのに」

「残虐で強いイメージはモデルとなった女性の拷問趣味と血液風呂ブラッドバス、もう一人のモデルである串刺し公の印象ですわね」

「そんじゃあ他の可能性は?」


 フィッシュ&チップスを頬張りながらエリックが真剣な顔で問いかける。よく食べる少年を視界に入れながら、ユーナは空気を吸い込んでから喋る。


「先程も申した通り、魔力は全てに宿ります。そして……時にそれは強く偏るのです。不可解な土地や自殺が多い名所などは魔力が偏重している可能性が大きいのです」

「実は死体にも魔力は残っていてな、処理されずに埋葬されると異常を起こすことが多いんよ。自殺が多発しているというのは、それだけ人が狂う魔力が残留してる……悪循環の構図が大半やねん」

「そして魔力の偏重は少ない確率ですが、人体や生物にも起こる話なのです。突然変異という形で発生し、時には村全体や個人など形態は様々ですが、普通の人と異なる力を得ます」

「もしかしてそれが『普通じゃないモンストルム』と?」


 シェーナが口元を押さえながら震える声で尋ねる。ユーナは物わかりの良い少女に対して重々しく頷く。エリックも食事に伸ばす手を止めていた。

 あっという間にスコーンとサンドイッチとフィッシュ&チップスを食べ終えていた少年の真面目な顔を眺めながら、カナンはユーナに続きを促す。


「この『化け物モンストルム』には先天性や後天性もあるのですが、詳しいことは別にして。その『異常モンストルム』が吸血鬼だった場合の話ですわ」

「そういえば魔法だと持続できないんですよね? 弱点も多くて、ニンニクで対処できてしまうとか」

「弱点がない。それこそが『厄介モンストルム』ですわ。偏重した魔力でほぼ不老不死、魔法ではなく魔術を扱う、上級魔導士でも手を焼く案件ですの」


 魔導士には白魔法という魔法がある。これは赤魔法や青魔法も含めた四つの魔法とは違い、隔離された第五魔法と呼ぶ研究者もいる。

 白魔法の大きな特徴は自分の保有する魔力で肉体に直接作用する効果を得るのだ。これにより魔導士だけでなく一般人も習得希望が多く、若く長く生きられる結果に繋がる。

 百歳越えのユーナが十六歳の少女という外見でいられるのも白魔法が関係している。今のアイリッシュ連合王国、その三分の一に相当する国民は白魔法で長命を得ている。


 だが『モンストルム』は魔法を習得する必要がない。体内にある人間以上の魔力が、勝手に体を最高の状態で保持するのである。

 さらに彼らは『レリック』に干渉せずとも、世界にあり得ない現象を大量の魔力で引き起こす魔術使いだ。長い呪文も、法則も必要ない、速攻と高火力だけではない自由性。

 最大の特徴は共通する弱点どころが、固有の致命的な決定打も皆無である。倒すには、ただ『相手モンストルム』が滅ぶまで攻撃を続ける。それだけが対抗手段なのである。


「もしも『この世界モンストルム』の吸血鬼ならば、その生物の美点だけを抜き出した最強。ニンニクも、流れる水も、日光も……クロリック天主聖教会の十字架も効かないですわ」


 天を統べる主の威光も届かない存在。常日頃から天主へ感謝を捧げる教えを受けてきたアイリッシュ連合王国の民ならば、身の毛がよだつ事実である。

 シェーナは手紙に書いてあった吸血鬼の文字を思い出して震える。両手を組んで天主へと祈るが、それが無意味だということに気付いて震えを大きくしていく。

 気を遣ってエリックが躊躇いがちにシェーナの肩を抱くが、それでも少女の細い肩は強張り続ける。ユーナは深く息を吐き、カナンへと視線を向ける。


「吸血鬼とは言いましたが『この世界モンストルム』の場合では、血を吸うのは魔力補充程度くらいで大きな意味がない上に、吸血行為は生理的欲求ではないという点ですわ」

「……へ?」

「いやだから、生まれながらに血が吸える牙を持つ、だけなのです。後はまあ……魔術が使えるくらいで、人間の中で普通に幸せに生きていける特殊ケースなのです」


 ユーナの説明にシェーナの肩の震えがあっさり止まる。ぞんざいでざっくりとした言い方に、エリックも思わず口を開けたままユーナの顔を見つめる。


「魔術で仲間を増やすのも可能かもしれませんが、普通に噛んでも吸血鬼の仲間にすることはありませんし、太陽の下で歌いながら泳げますわよ。あら、そう考えると可愛らしい生き物ですわね」

「多分この世で吸血鬼を可愛いとか言って笑うのはユーナんくらいだと思うで。それで僕が気になるんは、魔力補充という点なんやけど」

「体の維持に大量の魔力を消費するので、食事だけでは足りなくなる場合があるのです。その時、最も効率が良いのは体中に栄養と魔力を運ぶ役目を担う血液を奪うこと」


 血液を奪うという言葉にシェーナが顔を青ざめさせる。近くのテーブルに座っていた紳士も、一体なんの話をしているのかと振り向くほどである。


「血は生者にも死者にもありますし、一定量を超えなければ死に至ることもない。わたくし達で言い換えれば命の水オー・ド・ヴィー……いわゆるブランデーですわ」

「医療現場で使われるアルコールの中でも度数強いもんなぁ。ガツンと頭を揺らすから僕は苦手やけど」

「じゃ、じゃあ……アタシ、もしかして血を奪われてしまうの!?」

「……あの手紙の文面を思い出すとそれも少し不思議なんですけど……一つ、試してみましょう」


 ベルトの留め具を外し、ユーナはテーブルの上に黒い杖刀を置く。光沢のある滑らかな黒は、丁寧に仕上げられた逸品であることを証明している。

 驚くべきはその長さであり、和国に伝わる刀と比べても長く、細い。まるで杖と呼称する方が正しいと思わせるが、内部に秘められた刃の気配がそれを許さない。

 ユーナが触るように手ぶりで示すと、シェーナだけでなくエリックも杖刀に触れた。瞬間、シェーナは眩暈で頭を押さえ、エリックは驚愕したように手を離した直後に腹の虫を鳴らした。


「うっ……なんか急激に気分が……エリック、あれだけ食べてまたお腹を空かせたの?」

「あんなんじゃ足りないよ! これは偶然!! それにしてもなんだよ、これ!? 普通じゃない!!」

「この杖刀には触れている相手の魔力を吸う特徴がありますの。人間は急激に魔力をなくすと、貧血に近い状態になりますわ」

「血液から魔力を奪ってるんやな。それにしても倒れないなんて、君達二人は魔力が多いんとちゃう?」


 血の気を失くした顔のシェーナと店員に追加のメニューを頼んでいるエリックに対し、カナンが感心した様子で呟く。その間にユーナは杖刀を再度ベルトの留め具で固定する。

 ハムとチーズとレタスが挟まれたサンドイッチが山盛りの皿が並べられ、エリックはシェーナに一つ渡してから次々とサンドイッチを食べていく。あまりの食欲にカナンの言葉が止まる。


「エリックがメニュー追加してすいません。あ、あの、少ないですけどアタシも払います!」

「遠慮なさらず。体が魔力を欲しているようなものですし、シェーナさんも健康管理のため好きなだけ食べていいですわ」

「で、ユーナんはわかったことあるん? 僕はちょいと面白くなってきたところや」

「意地悪な人。でもそうですわね……わたくしも興味が出てきましたし、もう少しお付き合い致しますわ」


 試すような笑みを浮かべるカナンに対し、ユーナも獰猛な笑みを見せつける。二人の笑顔の意味を知らない少年少女は呑気にサンドイッチを頬張り尽くした。




 シェーナの勧めで十月三十日夜公演のチケットを貰ったユーナ達は、舞台は見え辛いが個室に近いプライベート・ボックス席にいた。

 壁際の席からは、一番高値の正面ストール席や次点のバルコニー席、指定席であるドレス・サークル席やアッパー・サークル席も一望できた。

 最安席である天井浅敷ギャラリー席まで見ることは不可能だったが、そこはエリックが舞台を眺めるという。舞台が遠くて高く観劇しにくいの苦難三拍子の位置である。


 カナンは事前にプライベート・ボックス席をシェーナに頼んでいたようで、車椅子を揺らしながら観劇客が入る前の劇場を見下ろす。

 今夜の劇は評判が良くないので、関係者割り引きで安くボックス席を貸し切りにできたとシェーナは言っていたが、それでも金額は端役の子供には大きい物だろう。


「脚本は見たこともない新米に、演出家もこれが初めての舞台。コメディを目指しつつシリアスに挑もうと大失敗した劇と大評判やって」

「大声で言う内容じゃないですわよ。しかもそんな楽しそうに……さすがは野蛮猿の唯一の親友ですわね」

「でもなぁ……シェーナんはこの劇でバックコーラスの役を手に入れたんや。それはもう嬉しそうになぁ……だからこの劇は大成功してるんや」

「そうですわね。誰かにとっては記憶にも残らない物であっても、あの舞台の上に立つ者からすれば全て大事ですわ」


 一人の少女が努力して手にいれた役は、まだまだ端役と言うべき場所だ。それでも少しずつ確実に駆け上がっていく様は、さぞ輝いて見えるだろう。

 ユーナは瞼裏にその姿を思い浮かべて物思いに耽る。背後の赤い垂れ幕が動き、音もなく忍び寄る存在に気付いた瞬間に、瞼を開けたユーナの紫色の目が鋭く光った。

 交差する杖刀と赤錆に塗れた斧。醜い老婆の甲高い声が個室に響き渡る。赤い帽子からは気持ち悪くなる程濃い血の臭いが漂い、鼻を掠めて吐き気を催す。


「そんな舞台を邪魔しに来たのかしら? 赤帽子レッドキャップさん」

「きひっ、きひひひ、ぎししししししししししししししししし!!!! あたしゃあの名前を御存知とは恐れ入るねぇ! あたしゃあの斧を防ぐなんて、良い武器を持ったお嬢さん!!」


 力強い斧を弾き飛ばすように杖刀を振るうユーナは、目の前の『化け物モンストルム』の姿を用心深く眺める。

 背が折れ曲がった小さな老婆。赤い帽子が特徴的で、血で濡れ固まった長髪に、黄色く濁って飛び出た赤目、鷲鼻の下には分厚い唇からはみ出た長い歯。

 その歯をカスタネットのように音を鳴らして笑う姿は異形と称するに相応しい。赤黒く汚れた布切れを纏い、斧を掴む枯れ木のような腕と尖った鉤爪が割れ砕けた手。鉄製の長靴が嬉しそうに床を踏み鳴らす。


「ほー、初めて見るんけど……アンタがシェーナんを狙う犯人かいな?」

「きひっ! あたしゃあが? あんな小娘を? 冗談はおよし! あたしゃあが欲しいのは真っ赤な血! 鉄臭い血! 熱くて心地いい血!! 苦くて甘くて気持ち悪いくらい美しい大量の血さ!!」


 車椅子ごと振り返ったカナンの問いに対し、レッドキャップは怒りながら小躍りするように血を求める。あまりにも鉄製の靴が石の床を鳴らすので、騒動に気付いた劇場関係者が部屋に入ろうと声をかけてくる。

 人の気配に喜んだレッドキャップはユーナ達に背を向けて斧を構える。その背中を突き刺すようにユーナは杖刀を納刀したまま振り下ろした。背骨の隙間に食い込んだ感触が返ってくる。

 しかし老婆は痛みの悲鳴を上げることはなかった。忌ま忌ましそうにユーナへと向き直り、急いで杖刀から離れて腹を抱える。涎を垂らし、唾を吐き散らしながら叫ぶ。


「ああ! ああああ!!?? なんだい、なんだい、それは!? あたしゃあは陰惨で派手に吹き飛ぶ血が浴びたいだけなのに!!」

「わたくしは見たくありませんの。美しくない」

「じゃあ、あたしゃあがお嬢さんを美しくしてやろうじゃないか! この醜女ブス!!!!」

「あ」


 怒りに任せて軽率な発言をしたレッドキャップに対し、初めてカナンが冷や汗を流した。個室内の気温が一度ほど急激に上がる錯覚。

 下降ではなく上昇したのは、気まずさの空気よりもユーナが激怒する空気が勝ったからだ。個室に入ろうとしていた劇場関係者も殺気に恐れ、赤い垂れ幕に触れかけた手を引っ込めた。

 斧を振り上げて飛びかかってくるレッドキャップへ向けて、杖刀を棍棒のような掴み方で振り回したユーナが赤魔法を発動させる。


「――貴方に言われたくありませんわよ、残虐ババア!!!!――」


 怒りの叫びを魔法の呪文に変え、狭い室内で暴風を発生させた。レッドキャップの体は個室外の壁、それすら壊して劇場の外まで飛ばされた。

 荒い息を吐いて肩を上下させていたユーナは、つい汚い言葉使いしたことを反省したが、劇場関係者や至近距離にいたカナンはそれどころではない。

 小さい人型の穴が空いた壁に、天井から零れる埃だけでは収まらない弊害。役者達の動揺や外の騒ぎが広がる中、車椅子ごと床に倒れたカナンが仰向けのまま呟く。


「やっぱユーナんはトラブル招く天才やん」

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