EPⅠ×Ⅸ【紅茶の時間《tea×time》】

 かなづちの音、いしだたみを修復するために馬車で運送されているれんれる音、材料と人手を運ぶ機関車の汽笛。

 馬車の運行を制限する警官とぎょしゃごえ、通行止めの看板にいきをつくしんしゅくじょ、割れた窓がらほうきく老年の女性。

 しの水道管にへいせつされた蒸気管からは常に白い蒸気がされ、ロンダニアの街のきりと混じってただよっていく。


 しかし労働する者たちの顔は明るい。きょだいがみが暴れてから二週間。街の修復のため、二人の最高位魔導士と政府がえんきんを出したのだ。

 さっきゅうな街並み復興には必要だと人手を倍に増やし、給料も破格。特に緑鉛玉のごうヴィクトリア・ビヨンドによる仕事のあっせんは大体的に報じられることとなった。

 今も新聞紙のこうこくらんでは人手を求める声であふれている。少女を探すあくどいおもわくなどえるほど、産業革命という発展が生かされている時間。


「全く、最高位魔導士様様だぜ! これで今夜は酒場パブでエール飲み放題! ろうども、気張って直せよ!!」

「いいや女神様も忘れんなって! 丁度こころうきゅうしていたからな! 修復ついでに新品の管とこうかんできるってもんだ!!」


 にぎやかな男性達の声を聞きながらユーナは新聞誌片手に歩き続ける。白いコートに相変わらず短いフリルスカート。横を通った紳士がせきばらいして注意してくるが、気にしない。

 ユーナが見ているのは緑鉛玉の富豪のえんじょというかつやくによってむらさきすいしょう宮の魔導士の字が一つしかない一面でも、けいとうが生産でいそがしいため人手をしゅうする広告欄でもない。

 大人気ぼうけん活劇カロック・アームズ特別出張版のれんさい記事、その最終回である。ユーナは満足そうに読み終えて、次回のカロック・アームズのぼうけんを期待するのであった。


「なーにが、女神様に最高位魔導士だ! ウチの硝子をこわしたのはやつらじゃろうがぁっ! 顔出して謝ら……ったたた、こしが!」

「これこれじいさん。ちゃするもんじゃありませんよ。それより卵とベーコン、それに牛乳が切れましたから買い物に行きますよ」


 大声を出して腰を痛めた夫に対し、おだやかな顔の妻は大きなかごわたす。朝のすいせんたくが終わったらしく、あわにおいが鼻をかすめる。

 かんぺきしりかれている夫は青筋をかべてりながらも、妻といっしょつえを使って歩きながらユーナの横を通り過ぎていく。

 少しダムズ川からはなれた住宅街、道路ではやむなく進路へんこうしていつもより時間がかかっていることにいらっている御者があらい馬車操作で過ぎ去っていく。


 いつもじゅうたいしているロンダニア橋での混雑が目に浮かぶように、馬も興奮した状態で馬車をけんいんしている。四輪馬車クラレンスせいだいな音を立てながら大きな荷物を運んでいた。

 早朝には散水車がしげもなく大量の水を使ってふんを洗い流したあとがあり、水道管が壊れている所では人海戦術として道路掃人ストリートスウイーパー除が片付けた跡も残っている。

 オーダーリー・ボーイという馬糞を拾って箒で掃く少年達も活動はんの変更にこんわくしているようで、馬糞で車輪がすべった馬車がてんとうしている事故も起きていた。


 新聞を移動はんばいする少年が、教えられた通りの見出し記事の要点を大声で宣伝する。貿易商マティウス・アソルダによるばくだいな援助が発表されたとのこと。

 職斡旋をになうギルドホームでは硝子面にマティウス・アソルダから送られたポスターをり始めている。カンドていこく出身の者をほんやくしゃとして採用するという内容だ。

 若手の社員にはいまだ現地の言葉に不慣れな者が多いらしく、友好の意味もふくめての新採用である。裏通りを歩いていたろう者がうわさを聞きつけて、あわててなけなしの金をあつめてだしなみを整えていく。


「故郷に帰る……いや、かせぎの好機!! ああ、神よ!!」


 感動する浮浪者を横目にユーナはねこ顔の商人フーマオを思い出す。色々と言いくるめてマティウス・アソルダに商売を盛り上げることで、だまされたのをにするため提案したのだろう。

 さらに援助を自ら申し出た紳士としての顔と貴族としての責任を保つ。なによりザキル団と関わった件をなかったことにと、必死になっているようだ。

 新聞をたたんでわきかかえたユーナは昼前の散歩を楽しんでいた。目指す時計塔は借家ギルドホームからも見えるが、それはあの塔が巨大であるので近いとは言えない。


 警官達は交通整理に蒸気灯が損失されたしょ、通行止めの配置やそれに関する苦情、地図を片手に次々入る情報を耳に入れながら走り回っている。

 そのためコージも負傷の身ながら指揮系統の一部にまれ、一週間ほど借家に帰って来ていない。電報では何でも屋ギルド【紅焔】のデッドリーが事情ちょうしゅで全てを話してばつかんされたらしい。

 パードリー・クラッカーがたくらんだ悪行全ては小悪党の口から語られ、けいしょ送りはちがいないようである。そのせいであのエール腹がしゃくほうされるのもいささかどうかとは思うが。


 警察に確保されたザキル団は経歴を調べ、軽い罪の者はカンド帝国に強制そうかん、罪が重い者は刑務所で従事となる。特にパードリーにりかかった男は数人はこうさつしており、ジラルドの件もかれわざであると断定された。

 おそらくけいが決定しているが、男はなみだを流して喜んでいた。ずっと信じ続けた女神の姿を焼き付けた目をつぶし、のうでひたすら思い出してえつっているとか。

 目が潰れてはこれまでのような悪行も無理であろう。そしてかんじんの女神カーリーのゆくを、へん一つ残らなかった現場でマグナスに問われたユーナ。


 あくまで黄金りゅうは存在をながなみのような力を持っている。神話にもならない、伝説にも届かない、自身の存在すら世界のはざを歩き続けた先にしかない。

 黄金龍は人すら殺せない。そういう意味では最弱の存在でもある。しかし相手が精神体でも物理体であっても、光のばやさで存在している世界から押し流してしまう。

 機械仕掛けの神代デウス・エクス・マキナで作られたうでめつりゅうと配下である火蜥蜴達が灰も残さず燃やし、残った部分と女神が造り上げていたなどは黄金龍がユーナ達がいる世界からしたのである。


 そして黄金龍がメルをんだのは、カーリーとのつなぎをるため。見えないきばで対象をあらゆる物からかくする、次元すらも断絶する力。

 しかし前述した通り黄金龍は殺す力を持っていない。なのでメルはがれちるうろこで保護しながら元の世界にもどす。メルのりょくによる繋がりが切れたカーリーは存在をとどめる機械の体を捨て、元の『神話レリック』へ。

 なので破片だけでも自分の作品をもどそうとなみだになっていたマグナスに対し、ユーナは機械仕掛けの体の行く末は黄金龍の『住み処レリック』と言うしかなかった。


 さすがのマグナスも黄金龍の『住まう場所レリック』に辿たどけるほどの魔力を持っていないため、サハラになぐさめられながら断念した。

 仕方ないのでユーナはあることをすすめた。少し時間がったとはいえ、まだまだ幼く、んでいないかもしれないという心配から時計塔を訪ねるのであった。




 細長い塔の内部、その最も高い位置には船のが規則的に動いている。わたいたのような細い通路を歩き、せん階段に辿り着く。

 かべに沿うようにこうぼうが立ち並び、螺旋階段を中心にかわひもや洗濯ひもなどが繋がっている。細長いつつ内で蜘蛛くもの巣が張った光景に似ている。

 工房にもいくつか種類があり、その中でも少しだけ機材がゆうぐうされた工房からユーナを呼ぶ少年の声。少年は少々慣れたように紐を伝って螺旋階段まで辿り着く。


「ユーナ、一週間ぶり! 筋肉痛はもういいのか?」

「それはお忘れになってジタン。あんなゆうや美しさからかけ離れたわたくしの姿など……」


 ジタンの明るい様子にあんしつつ、ユーナはうめくようにつぶやく。できれば人に見せたくなかったしゅうたいさらしたのである。

 女神が大暴れした翌日から筋肉痛でひたすら痛いとさけびながら動くしかない生活。さらに追加で三日は機械人形のようなぎこちない動き。

 ぼうだいな魔力をあつかうと体に大きな負担がかかる。そのためユーナはなるべく腰の革ベルトに差している杖刀をばっとうしたくないし、本気も出したくないのである。


だいじょう! ユーナのことなんか最初から優雅とか思ってないから」

「おほほほ、いっぱしの口をくようになって、まあにくらしい! このこの!」


 いっさいえんりょを失くしながら親しいふんに変わったジタンの両ほおを引っ張りつつ、ユーナは目の前の少年の体を見る。

 二週間前、ジタンは女神の手で下半身を潰された。それをに『関連する道具レリック』をうらわざせいさせたのがアルトである。

 霊薬アムリタ。それは本来ならば不老不死のみょうやくなのだが、ばんのうやくとしての一面もある。その一面だけを強く突出とっしゅつさせ、飲み薬であるところをることにより別の使い道に発展させる。


 かなりごういんな使い方だったが、ジタンは歩けるまで体が元に戻った。内臓もいびつだったが、時間によって体が勝手に自己修復するとジュオンの経過観察で明らかにされた。

 代わりにせいそうが使い物にならなくなってしまった。こればかりはまるでのろいのように治すことができず、無理なりょう結果となっとくさせるしかなかった。

 しかしジタンの疑問はすぐにはれないじょうきょうで、そくであるはずの自分が何故なぜ生きているかに向いた。それに関してはもう一人の神の仕業である。


「あ、ユーナちゃんだ。おはよう。それともこんにちは?」


 てんじょうの船から落ちてきたかと思いきや空中で静止する青年、実は時の神クロノスである機械仕掛けの神代デウス・エクス・マキナのトキナガだ。

 のんな顔をしているが、ユーナに関わっている、マグナスが気に入っている、色々ありそう、という三つの理由だけで時計塔に訪ねた時からジタンに細工をほどこしていたのだ。

 簡単に説明すると、絶命する一歩手前でジタンの生命時間が止まるようにけていたのだ。そのおかげで助かったと言えばそうなのだが、最初から協力すればいいものをとユーナはふんがいした。


 しかしトキナガいわく、他の『神話レリック』であり特にカーリーやシヴァは規格外だからばれない程度の小細工しかやりたくなかった、という理由だ。

 おかげで目の前のジタンは赤茶の作業着や白シャツなど、つうの子供のように生きている。今は少しすすよごれた顔だが、表情は明るい。

 ユーナはトキナガに向き直り、深々と溜め息をつく。どうにもこうにも神様はまぐればかりで、見守っていると言えばみみざわりはいいが、ぼうかんしてはたまにちょっかいを出す存在ばかりである。


「こんにちは、トキナガさん。マグナスさんとサハラさんはいかかしら?」

「マグナスは発明受注が多くて喜んでるけど、たまにそくたおれてるね。サハラも事務処理続きでてつ三日目」

「フーマオさんも会計処理として臨時やといをされているようですわね。まんぷく屋が特例休業になっていましたから」

「そうだよー。あとね、おばさんと名乗る人物から、ジタンとメルの学費えんもうまれてね……今度から学校に行くんだよ」


 そう言ってトキナガはれいな字が書かれた手紙を出す。そこにはジラルドの知り合いである婦人が、幼いきょうだいのように見守っていた男のために財産を使いたいという好意が静かに語られていた。

 ジタンはとびらすきから見た体型と緑のドレスから、緑のふくよかおばさんと呼んでいるらしい。的確に思い当たる人物がいるユーナは思わずしそうになった。

 さすが二つ名に富豪がつくだけはあると思いつつ、マグナスが認める若い才能を今の内に確保しようというたくましい商売こんじょう。感服するしかないぎわの淑女の高笑いが頭の中でひびく。


おれ師範学校トレーニングスクール! 本当は私立予備小学校プレパラトリースクールも勧められたけど、実務的なのは師範学校っていうから」

「そうですわね。師範学校はコージさんが通ってたらしいですわ。そしてアルトさんは私立予備小学校から寄宿制私立学校パブリックスクールからまさかの最優大学フォックスオード出身ですわ」

「へー。でもコージの方がまともそうだし、俺ラテン語は興味ないな」


 霊薬を使うために大量の魔力を消費して二日間は筋肉痛だったアルトの人望の低さがうかがれる言葉であった。むしろコージの人望が高いのかもしれない。

 クイーンズエイジ1870に労働者階級にも初等教育を受けさせる教育法が成立していたが、これはしょうではなく、今も働いている子供は多いのが現状だ。

 クロリック天主聖教会がそれまで教育をにぎっていたという背景もあるが、おばさん学校デイムスクールという近所の学歴を持つ婦人の下で勉強をする小さな教室も少なからず存在していた。


 今はまだ義務教育無償化は遠い話であり、労働者階級のために作られた基礎学校ボードスクールから寄宿制私立学校への進学はかなわぬ夢でもある。

 メルはもう少し成長してから基礎学校に通学、ジタンは師範学校に通いながらマグナスの教えを受けて発明品を制作するとのこと。


「メルが通学可能になるまで、サハラが家庭教師ガヴァネスやってくれるって」

「……男性家庭教師チューターではなく、女性家庭教師ガヴァネス?」

「うん。よくわからないけど……こだわるポイントだって」


 確かサハラもアルト並みのエリートコースを進んだ良家の出なのだが、相変わらず変なこだわりがあるのにユーナは納得する。

 どちらにせよ、サハラの授業ならば下手な者より格段に成績がびるであろうことは目に見えている。もしかしたらこうけい育成なのだろうかとも疑ってしまうが。

 そんな中、地下からてきたマグナスが水を求めてさまい始めた。いつものことだと慣れた様子でトキナガが螺旋階段の一番下まで落ちていく。


「ユーナ、みんなは? 俺……その……」

「全員元気ですわよ。ただハトリさんとチドリさんが弟がいなくなったみたいでさびしがっていたので、たまには顔を見せてくださいな」

「……でも俺、なにも返せない……もらってばっかりだ」

「じゃあ出世しなさい。胸を張れる大人になって、元気な姿で新聞の一面にる。簡単な道のりではないですけど、やりはありますわよ」


 うつむきかけたジタンの額に軽くデコピンをし、意地悪なみで難しい話であるしゅっばらいを口に出すユーナ。新聞の一面など、世紀の発明でもない限りは無理な話だ。

 それでも額をさえながらユーナの顔を見上げるジタンの目はかがやいていた。自分はこれからの生き方で、そんなこともできる可能性があるのだと知る。

 ひんみんがいのグレイベルで妹をせてその日暮らしをしていたころには考えられなかった、未来の展望。それをあたえてくれた少女に、えつ交じりでジタンは返事する。


「……ありがとう、ユーナ」


 だれにも言えなかった感謝を、ジタンは口にした。ずかしさと、うれしさと、色々な感情が交ざって涙が止まらない。

 ユーナはがおでその言葉を受け取る。ようやく歩き始めることができた少年が、とても小さな一歩をす姿は好ましく見える。


時計塔クロックワークユニバースがんりなさい。なにか困った事態があってもなくても、いつでも人助けギルド【流星の旗】を訪ねてください」

「う……うん。俺、頑張るよ……でも、もうユーナには助けを求めない!」

「あらー? そんなこと強がりでいいのかしら? わたくしはいやと言われても貴方あなたを助けますわよ、いつも通りね」

「だからだよ! 嫌と言っても助けるなら、もう言わない! ユーナが助ける必要がないくらい、立派な大人になってやる!」


 頬をふくらませてじゃっかんおこったように言うジタンに、ユーナはおかしくて笑ってしまう。そう成長するのが一番いいと思いながら。


「だからユーナがとつおくれたら、俺が貰ってるよ! 仕方ないからな!」


 しかし続きの言葉にユーナの笑顔が固まる。工房で無心に発明品や受注品を作っていた制作ギルド【唐獅子】のメンバーもかえってくる。

 今にも暴れ出しそうな黒い杖刀を手で押さえながら、ユーナの口元が引くついた。螺旋階段の一番下にいたトキナガは腹を抱えて笑い出し、マグナスはむなもとで手を組んで気絶した。

 からかわれたと思ったジタンは怒り続けるが、ユーナは深々と息をいてからなるべく言いたくなかったことを口にする。


「あの……わたくし、こう見えて百さいは軽くえていますからね?」

「え!? ババアじゃん!!」


 失言を口に出したジタンは頭上に重いげんこつらった。最高位魔導士による大人げないきょうれついちげきだが、手加減はしている。

 そして始まるユーナの弁明という名の言い訳。子供に気をつかってもらうほどもらがないわけではなく、好きで独身でいるのだと大声でる。

 ジタンはジタンで涙目のまま、子供だけれどすぐに大人になると反論。最終的にジタンがユーナよりもてきな女性を見つけてやるという一言で激論は終幕と相成った。


「はぁ、はぁ……それじゃあけっこんしきには呼んでくださいな。と言っても、わたくしよりらしい女性が貴方に探せるかしら?」

「ユーナより大人しくてわいくて綺麗な人なんていっぱいいるもんね! 見てろよー、絶対に良いおよめさんをめとってやる!」

「出世と合わせて長い人生の楽しみとさせていただきますわ!! それではごきげんよう!」

「ユーナ!! あのさ……俺、ユーナのこと他人に話す時どう言えばいいの!?」


 細長い渡り板を歩いていくユーナに声をかけたジタン。相手はただの少女ではない。だからこそ迷ってしまう。

 人生を変えてくれた恩人か、助けてくれたやさしいギルドの人か、それとも世界にほこる最高位魔導士と呼べばいいのか。

 なやむジタンに対し、ユーナは扉の前まで歩いた後、静かにり返って不敵な笑みを浮かべながら告げる。


むらさき魔導士ユーナ、貴方の友人ですわよ。それでは」


 そう言いながらポケットに入れていたチケットを赤ほうによる風に乗せながらジタンへ渡す。そして扉は閉じられた。

 友人。かたうずいて仕方ない、ずかしい単語にジタンはどうようしながらチケットを見る。周囲には紐を伝ってきたギルドメンバー。

 赤と緑のさいしきで刷られた食材ギルドの特売チケットである。しかも人気の商品で、一年前から予約しないと手に入らない貴重品。


「クリスマスの……ちょうの丸焼き」


 想像でしか味わったことがない、夢に見ていた食べ物。いつか妹のメルに食べさせたいと、願うしかできなかった特別。

 チケットのうらめんにはギルド証明の判子と、小さな文字が書かれている。貴方の友人サンタより早めのプレゼント、と。

 涙をやわらかい紙の上にこぼさないように、ジタンはチケットをにぎめる。一生分の優しさを貰った気分で、鼻水も止まらない。


いきなことをするねぇ、さすがは美学で動く女」

「サハラ氏!? ちょっと受注品多くて嬉しいけど、死にそう!」


 いつの間にか現れたやつれ顔のサハラが泣いているジタンの頭の上に腕を乗せる。手には濃いコーヒーが入ったカップ。

 そして階段を動くしかばねのようにがってきたマグナスが叫ぶ。最高位魔導士というかたきが地下深くにめられているような姿である。


「仕方ないだろう? 女神の一件で機械仕掛けの神代デウス・エクス・マキナの販売制限かけられたんだから! やっぱ人間、欲で判断しちゃだねぇ」

「ぐずっ……ん? そういえばサハラはユーナが最高位魔導士とわかってたの?」

「当たり前だろう。けどあの子が広めたくない、そう言われたくない、と嫌がるから知らない振りに付き合ってあげているのさ」


 あきれながらコーヒーを飲んで顔をしかめるサハラ。ある意味で、最初からユーナが最高位魔導士として名を告げていれば利用されなかった件でもある。

 しかし本人が名前を放置するというならば、商売や取り引きの点では活用するしかない。マグナスは涙目で「その名前が出れば必ずユーナ氏が関わるじゃん」とくずれている。

 自信作が宣言通り灰も残されなかった心痛は工房を持つギルドメンバーは察することはできるが、サハラやトキナガは仕方ないと苦笑いするだけだ。


「さ、きびきび働こうじゃないか! 泣いているひまがあったら開発生産! それが制作ギルド【唐獅子】ってもんさぁ!!」

「うう……ジタン氏、死ぬ気で頑張ってね」

「は、はい……」


 コーヒーのように黒いブラック職場という営業体制を改善するため、サハラは心血注いで事務処理を再度こなし始める。

 しかしその働きぶりが逆に周囲をんでいると考えたカグツチが、力ずくで気絶させるまで三時間もなかった。




 ユーナは再度新聞を見ながら歩く。もう一度カロック・アームズの活躍を読みたかったからだ。そしてセント・キャリー・ドックへ続く道を進む。

 かなりかいされたが貿易としての重要な場所であるため、特に人手が集まって船の修復や倉庫のばいしょうなど賑やかになっている。しかしユーナの足はそちらには向かない。

 それよりも手前、女神と破滅竜が相対した道路であり、パードリーが女神の血を使ってなわかしてとうそうもくんだ場所に辿り着く。


 血が付いた縄を中心に四角形のほうじんが刻まれ、角には青錫の伝播する鐘チェインベルを鳴らし続ける四人の上位魔導士。

 常に断続的な魔力供給が必要とされる結界において、そのどう具は魔導士達の魔力差を埋める素晴らしい道具であった。そして二人の魔導士が近寄るユーナを止める。

 青と緑、色はちがえど同じ形のローブ。それは最大手の管理ギルド【魔導士協会】の制服であり、全ての魔法に関する事柄を管理する政府にも認められたギルドメンバーの証明である。


「ここから先はいっぱんじん立ち入り禁止……」

「ああ。わたくしはこういう者ですわ」


 新聞を畳みながらやる気のない様子のまま紫水晶で作られた竜のブローチをわたすユーナ。紫魔導士のあかしであり、その形によって上中下が明示できる。

 卵が下位、魚が中位、鳥が上位。そして竜は最高位魔導士の形。受け取った緑色のローブの男は動揺し、魔導士の資格を落としそうになる。


「し、失礼いたしました!! まさか貴方が有名な……」

「そういう扱いがきらいだから名乗りたくないのに。で、縄の様子は?」

「血が少しずつ縄全体に広がり、もう黒くうごめき始めてます……あの、あれは女神の血を受けた縄ならば聖遺物になるのでは?」

「貴方もパードリーと同じかんちがいしているのですね。カーリーは『神話レリック』においても血を流したという確証はない。血にまみれた黒いはだ……その血は全てあくの血」


 血にれて笑いながらようせる女神。しかし返り血にっているだけで、傷ついていない。なにより血が出るほどの深手なら、おどゆうはない。

 シヴァが止めるほど暴れたカーリーならば、傷など負わない。細かく追求すると機械仕掛けの女神となっても、血を零したのは髑髏されこうべの方。

 賛歌をかなでる髑髏。血を流したのは悪魔。その結果がわかった男は、結界でおさえつけている血が付いた縄を振り返るが、ユーナの説明は終わらない。


「そして……破壊の女神でしか倒せない悪魔。それだけ強力な悪魔なのに、名前はない……それもそうでしょう。本来ならばその『神話レリック』には存在しないのですから」

「ど、どういうことですか!? パードリーは確かに女神の血でシヴァの第三の目を得るために、あの血を求めたと……」

「あれも鹿ですわよね。彼が探求した『混沌神話レリック』の一部こそが、目の前にあるものだというのに」


 言いながらユーナは綺麗にたたんだ新聞を、言葉が出ない男に渡す。連載記事は後でスクラップブックにまとめるため、汚さないように注意する。

 異形であるが故のりょく、混沌とおくそこよどきょうであるからこそのすうはい、言い知れぬる存在であるからしん。その『神話レリック』はユーナもできれば関わりたくないものである。

 だからこそ女神が暴れていた時、火蜥蜴と破滅竜を使って全て血を燃やしくしたというのに、パードリーの小細工によって後始末をけられることになった。


 つかれていて縄の存在を忘れていたというのも失態だった。早くジタンを安心させたかったというまんしんもあった。

 コージが縄を回収しようとしてひだりうでめ千切られ、今もかたうでを蘇生しながらの仕事を続けている。ジュオンがさっさと解放しろと泣きつくほどだ。

 ユーナは手に握った杖刀で結界にれる。展開していた結界にめぐらされた魔力が杖刀に吸われたしゅんかん、縄は生き物のように蠢き、ねた。


 上位魔導士が使用していた伝播する鐘はいっせいくだかれ、そのどうたいはらうようにはじばす。二メートルちょうの黒い紐は、声もなく暴れ始める。

 しかし新聞を預けられた男は安心していた。紫水晶宮の魔導士、その活躍は杖刀という武器を抜刀することにより破滅竜の魔力を得ての高火力戦。

 法則を重視する青魔法の精密な操作と魔力を重視する赤魔法の素早さをわせた、そっこう総力戦。それが目の前で見られるのだと期待した。


 しかしユーナは刀をかず、さやに収めたまま黒い縄に上段からのこうげきを試みる。縄はゆがんだが、すぐに刀をけてしまう。


「ちょっとぉ!? 貴方、さっきそれやばいものって説明しましたよね!? なんで抜刀しないんですか!?」

「疲れるんですの!! 二週間前もそれで醜態を晒したのに、これ以上わたくしの主義に反することはしたくないのです!!」


 へびのようにからみつこうと動く縄をかがんではけて、下からせまってきた際はり、上からやりのように降る場合は横へちょうやくする。

 動きはじゅうなんで素早さははちのようにするどい。杖刀とぶつかれば鋼鉄のようなかたさを打ち付けた時と同じしょうげきが、ひじまでしびれさせていく。

 今は一番近くにいるユーナにねらいを定めているようだが、目も顔もないので行動が読めず、紐形態であるため打点も通りにくい。


「早く破滅竜とか出して燃やしてくださいよ! その方が絶対速攻でかっこいいのに!」

「それも黄金龍に魔力うばわれ過ぎてねています! 杖刀として守ってくれますが、どんなに魔力を渡しても応じないでしょう!」

「……まさか貴方、実はけんの達人とか!? 和国にはさむらいという……」

はんな技術を得た半人前ですけど、なにか!? もうだまっていてください、気が散ります!!」


 叫ぶように話しながらユーナは紐の片方のせんたんつかみ、白魔法で強化した筋力で地面へとたたきつける。その姿は剣の達人ではなく大猩猩ゴリラである。

 すぐさまユーナは紐を手放すが、縄は動きをゆるめずにかのじょみぎうでに巻き付く。腕に沿うように杖刀が縄との間にはいみ、千切られるのを防ぐ。

 しかし破滅竜の鱗で作られたため折れはしないが、きしむ音を響かせる杖刀。腕の方はすでに骨がふんさい骨折され、なんたい動物のように柔らかくなっている。


 痛みで額にあせにじむが、ユーナは負けじと左手で杖刀を掴む。縄は好機と見たのか、その胴体を伸ばしていき、ユーナの体全体に巻き付き始める。

 腰も足も絡めとっては骨を砕こうといずる縄。首や頭にもめつき始め、木乃伊みいら人間を作るようにユーナの外見を黒い物に変化させていく。

 ユーナは全魔力を左手に集め、現在使える最高の白魔法で杖刀を引っ張ると同時に、逆に縄を千切ろうとする。しかしゴムのように伸びた紐が、あざわらうようにける力を強める。


「そんな!? 最高位魔導士でも……」

あきらめるのが早いですわよ、へっぽこ!! 貴方は黙ってわたくしの新聞を守ってなさい!!」


 叫んだユーナの口元めがけて縄の先端がとっしんしてくる。入ればそのままのどを通り過ぎて後ろ頭をつらぬくことができる。

 ざんな結果が現れる前に杖刀が反応し、ユーナの手から離れて縄をみながら一回転して弾き飛ばす。だが結果的にはユーナの腰の骨から折れる音が聞こえた。

 が割れたような小さな音が、人の骨が砕けたのとわかった男は倒れそうになったが、ユーナは足に力をめてまま立ち続けている。


 全身が黒い縄でおおわれようとも、むらさきいろの目から光が消失することはない。そして同じ黒でも、杖刀はユーナの目とそっくりな輝きを宿す。


「――はらはらとはらり、桜の花はほこって散る、その下にある消えた命をとむらうように、これからく命をかんげいするように、ありとあらゆる希望のために絶望をさらっていく! ぶきは津波の如く、風は春のぬくもりと共に、大地を白く染め上げる! 感謝はなんじの養分にするがいい!――消えなさい、『恐れるべき神話レリック』よ!」


 黒い縄が動きを止める。動き回っていた物体が少しずつはかない白の花弁となって剥がれ落ち、どこからともなくいた風によって散らばっていく。

 ロンダニアの街にけぶる霧と共に青空へとがっていき、花弁は消えていった。ユーナは息をしながら、白魔法で体の骨が折れた場所を治していく。

 数分後には右腕の調子を確かめるためにまわし、腰の折り曲げをかくにんするついでにくっしん運動を行うユーナが元気に砕けた石畳の上に立っていた。


「……今のは?」

「魔力を別の形に変化させる魔法ですけど。相手の魔法にかいにゅうする時はこれですわね」


 事もなげに言うが、新聞紙を預かっていた男は知っている。相手の魔力や魔法にかんし無力化する場合、相手より魔力や魔法のりょくなど優位に立っている必要がある。

 血は少量ではあるが、濃い魔力で魔法もなしにけんげんした『混沌の欠片レリック』である。それを相手に上回る魔力を、抜刀もせずに持っているという事実。

 せんとう後に何事もなかったように白魔法で体を元に戻す魔力も加算していくと、男は手の中にある最高位魔導士の証明、竜の形を誇る資格に納得がいく。


「もしもあれが正式な手順をんだ魔法で呼ばれていたらやばかったですけど。様々な条件の下、わずかに勝利でしたわ」

けんそんを……」

「わたくしけんそんとかじょうだんは苦手ですの。あれはまぐれもなく危険だった。そうでなければわたくし自ら始末なんてめんどうなことしませんわよ」


 言いながら男から新聞を受け取り、カロック・アームズの記事面が無事か確かめるユーナ。命がけの戦闘後とは思えない姿である。

 そして男に簡単な礼をわたしてから歩き出す。もうそこにはなんの問題もないと確信し、自分の出番は終わりだと言わんばかりに。

 しかし男は慌てて追いかける。ユーナが魔導士の資格である紫水晶のブローチを忘れたからだ。受け取ったユーナも、記事に夢中になってぼうきゃくしていたと若干照れる。


「では、さようなら。わたくしはこれから優雅な紅茶の時間ティータイムがありますから」


 アイリッシュ連合王国らしい別れの言葉を残し、ユーナは借家ギルドホームへと帰っていく。時計塔から正午を知らせるかねがロンダニア中にひびわたった。

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