EPⅠ×Ⅶ【破壊の女神《destruction×goddess》】

 小さなとう。セント・キャリー・ドック。象牙アイボリーこうしんりょうなどが保管される倉庫が立ち並び、きりが地面をおおう夜では不気味な静けさがただよっていた。

 幼い少女であるメルは熱にかされ、おぼろな視界で起きている物事をながめる。呼吸することすら苦しいが、兄の姿を探そうと必死に意識を保つ。

 メルをいているのはむらさきころもを着用している男だ。ほそったうでだが、針金がからむようにメルをらえてはなさない意思が見える。


「パードリー様。この地で集めし同志たちいかなされましたか? 血を流さずにカーリー様にささげて頂けましたか?」


 冷たい声で問う黒衣の男。手には黄色のスカーフがにぎられており、ひとみは鋼のように強くれいこくだ。

 パードリーはかたうででメルをかかえながら、空いた片手で何度も首をく。つめけずれ、血が流れ始めても気にめない。


「シヴァ神に捧げようとして失敗した。これではカーリー神のせいぎょが……」

「……やはり、貴方あなたは我らが黒き母を利用する心積もりでしたか。降臨ではなくかんかつ下に置こうと」

「はっ、私は魔導士だ! 神の力は借りる物、制御する物だ! そうだとわかっていながら私に助けをうたのはお前達だろう、ザキル団!」


 鹿にするようにパードリーは答える。メルは聞いているだけでとげさるような声に、耳をふさぎたくなる。

 しかし指先すらも思うように動かせない。額がふっとうするように熱く、今にも熱湯のあわの如くはじけそうなあやうさも感じている。

 黒衣の男は深く長く息をし、全てを出しきった後は一息でパードリーにる。ふところしのばせていた小けんで血が流れる首をねらう。


「母に捧げる資格もない者よ、ごくちろ!!」

「いいや、落ちるのはお前だ! ただし水底だがな!! ――きずりめ――」


 短い法則文がつぶやかれた直後、ダムズ川とつながる埠頭の水面から白い手がかびがる。びてきた冷たい白の手に男はとらわれた。

 それでも小剣は離さず、意地であらがう。人ではない力を感じつつも、かいしんでありながらも尊敬にあたいするがみへのしんこうを胸に、る。

 歯を食いしばって一歩だけ前進して、パードリーへときょめる。いくせいを思い出しながら、男はあきらめずに進もうとする。


 カンドていこくが植民地化され、大勢の仲間と首領がしょけいされた。そのうらみと信仰だけを連れてアイリッシュ連合王国に辿たどき、しかし行き場を失くした。

 いつかきっと自分達の行いが女神に届くと信じ、黄色のスカーフをにぎめて諦めず、ほこりも捨てて魔導士の力にすがりつき、多くの新しい同志を集めた。

 そして世界に七人しか存在しない最高位魔導士に言われるがまま、幼いきょうだいだまし、関連する男を殺害し、それでもらずに仲間といっしょじゃものを殺そうとした。


 一人、また一人といなくなるたびに願う。黒き母は我らを見守っている。いつかは我らのためにしんばつを下される。その日までえよ、と。

 じゅんすいなほどのしんこうしん。しかし男をうごかすのはそれだけではない。剣を握る手が力強いのは、消えていった仲間達のがおを知っていて、それを忘れられないからだ。

 縋るしかなかった。信じられなかった。そんな男の本当の狙いに気付き、男はその命だけでもうばおうとやっになる。暗殺集団と言われても、ゆずれないきょうがある。


 白い手は水にれて気持ち悪いほど冷たい。体の感覚がするような冷たさだが、男は意志の強さでていこうし続ける。

 少しずつ歩みを進める。あかよごれた体、血で汚れた手、土で汚れた足、すすで汚れた顔。それでもなほど心は女神への信仰と仲間へのおもいを抱き続ける。

 尊敬するだいな女神を目の前の男に利用されるわけにはいかない。額に血で第三の目をえがかれた少女さえ失えば、計画はかいする。


「母よ、私に力を!! こんな馬鹿げた計画を破壊する力を、ここに!!」

ほうしんずいを知らぬ者が神の力を望むなど……浅はかな」


 男は大声を上げて体中に力を入れ、力強く進む。あと五歩でパードリーの首が刺せる。女神を守れる。高潔なのように、黒衣の男は前だけを見る。

 だから気付かなかった。水面から伸びる手が増え、男をまゆのように包むほど絡まってくることを。両足さえも船着き場の地面から浮かび、空中へと持ち上げられる。

 わずかに動かせる眼球だけで下を見る。ゆがんだみを浮かべたパードリーが親指を水面、いや水底へと向けている。抵抗も無意味なまま冷たい水へと引き込まれるきょう


 いっむくいることもできずに死ぬのはめんだ。残った力で小剣を投げるが、パードリーがける手間も取らず、剣は地面の上を転がるだけに終わる。

 もうなにも意味をさない。その事実に男は死にたくなるほどのくつじょくこうかい、そして絶望を味わう。アイリッシュ連合王国のダムズ川、冷たい冬の気候では水底までしずんだら助かる保証はない。

 女神に願う。しかし助けの手がべられる気配は感じない。自分の信仰はちがっていないはずなのにと、目になみだにじむ。霧が一段とくなる夜空が最後だとかくした。


「一本筋な生き方にわたくしは弱いのですけど」


 黒いつえ刀で白い手をはらうようにる少女。それでも男が水面にたたきつけられる流れは変わらない。

 そこに犬の耳に近いかざりを付けたしつ風の少年が男の服のすそつかみ、ていはくしている船を足場に移動して船着き場に降ろす。

 男は助かったことを実感できないままあぶらあせを流し、命を救ってくれたであろう少女へと視線を向ける。


「魔法にも負けずに進み歩もうとする姿、わたくし好みでしたわよ」

「暗殺集団を救済するか……馬鹿だろう?」

「わたくし一度もそんなこと言ってませんわよ。かれは正式な場でばつを下されるべきであり、貴方が奪っていい道理が見当たらない。のがしはしない、けど見捨てるのもいや、それだけですわ」


 不敵な笑みを浮かべるユーナの言葉。それがめない黒衣の男は混乱するだけだ。何故なぜかのじょが自分を救ったか理解できない。

 何度もおそった。何度も命を奪おうとした。一度も情けもやさしさも見せたことがない。それなのに助けてくれた。不可解な存在に、黒衣の男は目を奪われる。

 むらさきいろかみに紫色の目。金色のちょうかたどられたかみかざり、白いワンピースコートに黒の杖刀。アイリッシュ連合王国のしゅくじょらしくない姿だ。


「よ、名前も出てこないおっさん良かったな。姫さんに気に入られてなければいまごろできだぜ」

「もー、ユーナちゃんたら悪人でも感情移入しちゃうと助けちゃうのよねん! そして気に食わないとだれだってけんを売っちゃうのよん」

「お姉さまらしくてぼくは大好きです! 正義や常識で語るより、自由ですもの!」


 かいそうに笑うアルト、いつも通りだと期待通りの結果に声をはずませるハトリ、ユーナ全肯定のナギサ。誰か一人くらいツッコミを入れてほしいと思いながら口にしないチドリ。

 コージはひそかにヤシロに助けられた男に近付き、腕を後ろにまとめておさえつける。まだどうなるかわからないじょうきょうじょうを使うのは行動を制限することに繋がる。

 ジュオンは一番がいが届かない遠い所に設置された木製クレーンの横に立っている。これから起こる事態を考えると頭痛に襲われ、深々といきをついてから諦める。


「メルを返せ!!」


 チドリに背負われたままのジタンがさけぶ。その声でパードリーの腕の中で少女が反応するが、動きはにぶい。

 ユーナはメルの額に血で書かれた第三の目を見る。次に立ち並ぶ倉庫を眺め、アルトが車を出した倉庫がある方に目を向ける。

 するとパードリーの反応はなおなもので、ユーナの視線をさえぎるように移動し、倉庫群を背にしながら首筋を爪で掻きながらするどまなしでにらむ。


「ここまで来た……シヴァ神は失敗したが……もういい。カーリー! 彼女さえ降臨すれば全て終わる! 誰も抵抗などできない!!」

な少女を犠牲に? ずいぶんみみっちいやり口ですわね。本当に世界に七人しかいない最高位魔導士をかたった男とは思えない、頭脳が感じられない浅はかな言葉ですこと」

「どういうことだよ、ユーナ!? だってそいつは神様も呼べるんだろう?」

「確かにカーリー、シヴァ、有名な神々ですが……それくらいなら上位魔導士でもがんれば可能ですわ。最高位魔導士の名はそれほど軽くありませんわよ」


 ジタンの問いにユーナはあきれたように答える。世界で七人しかいない存在、その真価を知っているからこそパードリーはにせものだと断言できる。


「よくて緑鉛……しかし真っ当な人には見えませんし、黒魔導士無資格。上位魔導士としてのしょうごうを考えれば、黒鉄かしら」

「ああ、そこまでわかったか……だったらこのましい紫の服などてれば良かった! なんて下品な色!! じんしんが止まらない!!」


 そう言ってパードリーはくるったように爪で何度も皮膚をいていく。顔も首も、浮かんだ蕁麻疹を消そうと血で赤く染まっていく。

 ハトリが思わず顔をそむけ、アルトがさり気なくナギサの視界をかくす。チドリもジタンが勢いで飛びださないようにしっかりと背負う。

 紫色の髪と目をしているユーナの額に青筋が浮かび、下品と言われたことに対して速急に制裁を下したかったが、メルがいては手が出せない。


「誰も知らぬ最高位魔導士! しかし名前の価値は一級品! ああ狂っている!! じょうも知れぬやからに一字をさずける女王も、私を認めない社会も、全て!!」

「……もしかして、そんな小さな理由でカーリーを降臨させて、機械仕掛けの神代デウス・エクス・マキナを手に入れて、色んな人をんだと?」

「小さいものかっ! 私には才能がある、ほうじんと他人のりょくと体を用いれば天上よりも先『混沌の神々レリック』まで届く! カーリーなどその研究の副産物にすぎん!」


 パードリーの目は興奮で血走り、心臓をき出しそうな勢いでうったえていく。爪は自身の血で赤く染まり、割れているのも見えた。

 霧が濃くなっていく。はだで感じる気温が低くなっていくのを止められそうにないほど、夜が深くなっていく。ユーナの口から白い息がこぼれた。


「ま、カーリーを制御するために上位存在であるシヴァを呼ぼうとか考えるやつの相手はつかれますわね。しかも財力も魔力も他人任せ」

「好きなだけののしると良い……紫魔導士ごときに私の魔法は止められない……止めることなどできない!!」

「――とりあえずあの倉庫を手始めにぶっこわしてみましょう――」


 会話する気も起きなくなったユーナは独り言のようなじゅもんで、パードリーが背にしていた倉庫の一つを魔法で壊す。

 がる小麦粉と香辛料が豊かなにおいと共に視界を隠す。パードリーは傷口に唐辛子レッドペッパーれて、せいを上げながら走り出す。

 メルを抱えてすパードリーが小麦粉によってできたけむりの中に消えていくのを、ジタンは止めようと背中から降りて追いかけようとしたが、チドリがそのかたあわてて掴む。


「やっぱり当てずっぽうじゃでしたわね。だけどこれでパードリーもあれを動かすしかない」

「なにやってんだよ!? メルが……メルが!!」

「あのまま会話を続けてすきうかがおうとも思ったのですが……ヤシロさんがけいかいして動かなかったので、男は少女をたてにしていただけではなかった」

「どういうことだよ? こんな変なみみかざりをつけた執事っぽい奴がなにを考えていたんだよ!?」


 思わずヤシロを指差すジタン。かいな耳飾りと言われた頭に付属している犬耳をさわりながら、ヤシロは小さな声で告げる。


「半分ひょうが始まっていた。第三の目、あれはカーリーを緑魔法で呼ぶ魔方陣の役目をしていたんだ」

「ジュオンさんがりょうしていたのは、魔方陣で体内の魔力を意図的にカーリーにむように乱されていたのを治していた……けど」

「ピンボケおっさんでも手に負えなかった。あいつは確かに小物だけど、意外と魔法の研究はゆうしゅうなようだぜ? ずっと半憑依のまま意識を保っていたのは運が良かった」


 目が覚めない少女。それはねむっていたのではなく、意識が乗っ取られないように体の防衛反応に全力を注いでいたあかし

 ジュオンが行っていたのはその防衛反応をかたわりしつつ、少女の体内に馴染みつつあった異質な魔力を取り除いていた、細かな白魔法。

 それはおおざっで派手な魔法を得意とするユーナや、自分自身の白魔法しか得意じゃないナギサではできない所業。目に見えない形でのぎょうである。


「確かさっき『深淵に住まう神々レリック』について研究していたとか。つまり目とは、混沌をのぞく光であり、信号である。なるほど……副産物とはよく言ったものですわ」

「目で円を描き、世界を形作り、穴や通路の役目となり、出入り口にする。そういうことかよ、姫さん」

やみを見る時、闇もまたわたくし達を見ている。ばんざるの言う通り、目こそが奴の研究課題! 第三の目ともなれば、それは世界に光をもたらす真実であり、世界そのものである」

「ど、どういうことだよ!? 結局はなにが起きるんだよ!? 小難しいのはいいから、説明してくれよ!!」


 小麦粉の煙が晴れていくと同時に、鈍い金属が動く音がする。工場で聞くような歯車と蒸気のにぎやかな音。

 しかしそれが歩くように近付いてくる。耳で感じる音が大きくなるたびに、地面にふるえが走り、埠頭の水面にもんいくつも発生する。


「とりあえず簡潔に言えば、大ピンチですわ」


 簡単に事態をまとめたユーナの言葉にジタンは反応ができなかった。首が痛くなるほど見上げたせいで、開いた口が塞がらない。

 さすがにユーナもしぶい顔をしており、コージ達も視線を向けたまま言葉が出てこない。壊れた倉庫の屋根が落ちて船着き場の足場をくだき、次にきょだいな腕でつぶされる。

 黒衣の男は霧の中でも蒸気灯の明かりで浮かび上がる姿に感動し、涙を流す。恐怖と感動、と敬意、待ち望んでいた破壊の女神が目の前に現れたのである。


 つんいの黒いきょじん。しかし正確には四つの手で地面をいずりまわっている、半分人の皮に包まれた半分機械のきょたい

 まるで機械油をったようなしっこくの皮膚と、赤茶のそうこうが入り混じった姿。四本の腕は完全に機械の腕であり、足は形成ちゅうなのか姿は見えない。

 顔は鉄組みの丸いとりかごに似ており、それに生々しい三つの眼球がくっついては器用に鳥かごの周囲に沿って動き回っている。とびらと思われる部分には人肉をつなわせたような長く青い舌が垂れ下がっていた。


 その籠の中で緑の光に包まれたメルがまぶたを半分閉じた状態で浮いている。無気力な表情で、暗い光を宿した目で見下ろしている。

 少しずつ籠の頂点からは波打つくろかみが生え始め、籠も黒い皮膚で覆われ始めている。首と思われる部分にはがいこつを連ねたくびかざり。

 骸骨は歯を鳴らして賛歌をかなでる。その声に黒衣の男が続くように歌う。かんきょう、全てを内包したとりはだが立つほどおぞましい声。


「ああ、我らが黒き母よ! 破壊の女神よ! あくたおたけだけしいおとよ! 血は全て貴方に! 黄色の布でいけにえを!!」

「あれを見ても信仰できるって尊敬に値しますわね。とりあえずやかましいからだまってくださいな」


 感心しながらもやっかいになると考えたユーナは、黒衣の男に杖刀をぶつける。魔力を奪われてこんとうする男は涙を流した笑顔のまま倒れふくす。

 三階建ての建物よりも高く、埠頭に止まっているどの船よりも大きい。セント・キャリー・ドックが小さな埠頭とはいえ、船よりも巨大なのは圧巻である。

 今は足が形成されていないため動きは鈍いが、もしも足が完成してしまえば大陸が壊れることだろう。何故ならばカーリーは悪魔を倒したこうようで、大地をらすほどらしたのだ。


「な、なんだよ……なんで、メルはあそこに……頭が痛い。この歌声、気が狂いそうだ」

「首飾りは悪魔の首を再現しているはず。ならば歌うのは『悪魔に並列する存在レリック』です。あそこにも魔力をいているおかげで、足が未完成であるのはぎょうこうですわ」

「どこがいいんだよ!? 結局メルは生にえにされた!! 悪いことばっかだ!!」

「言っときますけどカーリーの足は世界を壊しますわよ。それを止めるためにシヴァが自分の腹をませるほどですし。ああ、でも腕はすで機械仕掛けの神代デウス・エクス・マキナであるわけですから……」


 ジタンに説明を続けようとしたユーナだが、霧によって星の光さえ遮る夜空から黄色のせんこうと共に二本の曲刀が落ちてくる。大きさは大人三人分。

 二つの下腕は地面を這いずり回りながら、じょうわん二つは曲刀を掴む。ユーナは寒さが原因だけではないかんに、頭が痛くなる思いだった。

 骸骨の首飾りが恐怖で震えながらも賛歌を続ける。その歌を聞いて興奮した機械仕掛けの女神カーリーは、青い舌をまわしてたけびを上げた。


「黄魔法で自分の武器をしょうかんしましたわね!? 全員、全力でとうそう! あれは悪魔の首をねる切れ味ばつぐん、語られぬ『女神の武器レリック』ですわ!!」


 ユーナが大きい声で注意した直後、コージの頭上に曲刀がろされた。風圧と巻き上がるふんじんによって視界どころが行動さえも奪われる。

 いっしゅんで霧がはらわれる剣圧。せんめいになった夜空の下、黒衣の男とコージを肩にかついだヤシロが埠頭の水面から顔を出す。水にんでしょうげきやわらげたらしい。

 しかしヤシロの頭からは血が流れており、水中で泳いでいる際にんだれきが頭を強打したのか意識がもうろうとしておぼれかけている。アルトがジュオンに声をかけ、木製のクレーンの操作座席に乗る。


「ナギサのじょうちゃん、クレーンの上へのぼれ! かいりきで三人をげろ!」

「わかりました!」

ふたぼうを守れ! 小生はげまくるが、したら言え!」


 続く第二撃でジュオンの体が倉庫の屋根まで吹き飛ばされ、アルトが操作しているクレーンもきしんだ。白い腕甲ガントレットを装着したナギサがスカートも気にせず、クレーンを走り昇る。

 ヤシロは意識があるコージの助けを借り、ばりのように垂らされたクレーンの鎖縄チェーンを掴む。せんたんに辿り着いたナギサは両手でびた鎖縄を握りしめ、一息で頭上へといっぽんりした。

 空中ゆうしている標的に向けてカーリーはもう一回曲刀を奮う。それを船から助走してちょうやくしたユーナが杖刀で跳ね上げるが、その勢いでユーナの体も空高く吹き飛ばされた。


「ユーナ!?」

「――もう一度貸して、あの強きたてを!!――」

「――乙女よ、すまないが気高きたましいをこの体に宿してくれ!!――」


 ジタンがユーナを見上げている間にカーリーのやいばが勢いをつけてせまる。それをハトリとチドリが『盾の乙女レリック』の武器と存在を魔法で引き寄せる。

 ありとあらゆるじゃあくさいやくはらうとうたわれる神の武器を、双子のれんけいで全力まで引き出した。しかしたったいちげきで盾はくだかれ、ジタンはハトリとチドリに抱えられて吹き飛ばされた。

 砕かれた盾がアルトとナギサがいたクレーンに当たり、続く曲刀の風圧で今度こそかんぺきはらわれる。停泊してある船も逃げようとしているように波に揺られては、外観を削られている。


 たった四回のこうげき。それだけでぜんめつあっとうてきかいりょくを見せつけた女神はかんだかく笑う。


 霧の中から傷口が唐辛子でれ始めたパードリーが姿を現す。誰もが倒れ、見るも無残な埠頭の光景に快感すら覚えながら。

 忌ま忌ましい色を持ったユーナも、じゃをしてくるギルドの者も、自分を殺そうと動いた黒衣の男も、逃げ続けたぞうも、全てが無力に。


「ふは、ははは!! ははははははははは!! ああこれが破壊の女神の力! 制御などいらないじゃないか!! 抑えつけるなどこうだった! これで全ては終わる!」


 女神の声にならうようにパードリーは笑う。異常事態をぎつけた警官が警笛を鳴らしながら走ってくるが、それすらもカーリーの力で無力化される。

 窓からカーリーの姿を見た者は悲鳴を上げ、家財全てを置いて一つで逃げ始める。本能的に恐怖を覚える姿、抗えない自然災害の如き強さ。

 ここには女神を止められる神はいない。足が生えれば女神はその巨体で立ち上がり、おどりを始めるだろう。世界を確実にめつさせる死のようを。


「……メル……」


 だけれど起き上がったジタンはそれを知らない。神も、神話も、伝説も、専門の知識など一つもない。ふらつく頭をさえながら、抱えながら気絶したハトリの腕からす。

 みぎうでは着地の衝撃で動かなくなった。左足も引きずりながら痛みをこらえて歩く。ただひたすら、鳥籠のような丸い頭の中心部で生贄にされた妹の姿を瞳の中にとらえながら。

 パードリーはかいだった。いまさら少年一人が歩み寄ったところで女神は止まらない。それなのに前進する姿は、取るに足らないとはいえ見ていて気持ちのいいものではない。


 れいだったシャツやズボンはどろまみれ、肌すらも血やきずで汚しながらもジタンは巨大な女神へ歩を進ませる。今も体中が震え、したいと脳のおくが訴える。

 だけれど妹を置いてはいけない。血は繋がっていない、親の顔も知らない、それでもジタンがじんな社会で生き続けた理由の中に、少女は不可欠な存在だった。

 機械の腕で潰されてもおかしくない距離。ジタンは目元が腫れあがってきたのを感じながらも、笑顔を作ってゆいいつ動くひだりうでを伸ばす。


「メル……兄ちゃん、もっと頑張るから……いつかクリスマスに鵞鳥がちょうの丸焼きを食わせてやるから……帰ってこい」


 雪が降るクリスマス。身を寄せ合いながらまどしに眺めたことがある特別な食事。丸々と太ってあぶらが乗った鳥一を焼いた、遠い存在。

 おなかを鳴らして見続けた。いつか給金が大量にかせげたクリスマスに買ってみようと提案した時、少女は涙しながら笑った。夢想して、かなわないと知りながら、信じるように。

 今は雪が降るかどうかのぎわの寒さ。死神の足音がせまっている。予感を表すように白い霧が周囲をおおかくし、体を冷やしていく。それでもジタンは大切な少女のために夢を語る。


 女神の動きが止まる。曲刀がえて、黄色い光が煙のように立ち昇る。パードリーはあせったが、カーリーの制御はできない。

 顔の鳥籠の中でメルは兄の顔を見る。親の顔は知らない、けれど彼の顔は知っている。どんな時でも守ってくれる、優しくて唯一の家族。

 メルは静かに瞼を閉じる。滲んでいた涙がしずくとなって落ちていく。ジタンは全てを許す顔で手を伸ばし続けた。




 ジタンの体は両側から迫った機械の腕でたたつぶされ、足と上体が離れていく。あまりの衝撃に痛みも感じずに意識が遠のいた。




 両手についた血を青い舌でめとりながら女神は歓喜した。久方ぶりの血、異界の血、生々しくて熱く若い血。上体をらせて星空に笑い声をひびかせる。

 余りにも大きな笑い声にきんりんの家の窓がらは全て割れる。いしだたみの上に雨のように落ちていき、蒸気灯も耐えられずに硝子をはじばして明かりを消していく。

 女神が止まることはない。制御できない破壊の女神、止められる神もいない、贄にされたメルも気力の限界で意識を手放した。閉じられた瞼は動く気配を見せない。


 世界が終わる。決定的なしゅんかんに、パードリーはほくそ笑んだ。




 ジタンは耳の奥で無音の世界で感じるような耳鳴りを聞く。次に体全体が鈍く動かないと気付き、重い瞼をこじ開けてかがやく星空を見る。

 星空の下でチドリとハトリが心配そうな顔でのぞみ、あせだらけの顔でジュオンが白魔法を使い続けている。アルトが黄魔法で霊薬アムリタを取り出そうと力をくす。

 下半分の感覚がないジタンは顔を動かそうとした矢先、静かにチドリに止められる。全員がまんしんそうな状態で、遠くからは笑い声と破壊音が絶え間なく続いている。


「目が覚めたようですわね。思い出さなくて結構、今からわたくしの問いに答えなさい」


 つかったような声をジタンは初めて聞いた。いつもは自信満々の少女なのに、めずらしいと思わせるほどしょうすいした声。


「カーリーはこのままでは止められない。かんじんのパードリーも停止する気がなく、共にがいせん中。あと三十分で足が生え、世界は女神の舞踊で終わる」

「……別にいいよ。それでも。おれには関係ない」

「おそらくこれから最高位魔導士全員が引き止めるとは思いますが、下手すれば最低のはんないでアイリッシュ連合王国を中心とする島々はかいめつ。それでも?」

「もういいよ。全部ほろびればいいんだ。ザキル団も言ってた、破壊の先にしか創造はないって。今の社会がなくなれば、もしかしたら俺も幸せになるのかも」


 投げやりな少年の言葉。誰にも救いの手を伸ばされなかった少年は、幸せの形を知っても、社会を信じることはできなかった。

 全てを失う。しかし少年が持つ全ての数は絶対的に少ないため、通常と大差ないと言える。少女は深く溜め息をつき、その場を去ろうとした。


「……でも、メルは駄目だ」


 しかし少年の言葉に少女は足を止める。血を吐きながら力強く、少しずつよみがえる痛みにのうしながら少年は告げる。


「メルはまだなにも知らない。俺以上に、幸せも、社会も……世界も!! クリスマスの食事だって夢想するだけだった! 鵞鳥の丸焼きがどれだけしいか知らない!!」

「……」

「綺麗な服も、誰かに認められることも、メルはなにも知らない!! 知らないまま死ぬのは駄目だ!! まだ五さいなんだ!! これから、これから俺が幸せにするって……思ってたんだ」

「…………」

「それなのに世界が終わる? 駄目だ!! こんなくそったれな社会も世界も終わってもいい!! けどメルは駄目だ!! 俺が不幸でもいい! けどメルは……メルだけは!!」


 ジタンの口からせいだいに血が吐き出され、けいれんで体がバウンドする。その際に潰れてあとかたもない下半身が霊薬によって修復されていくのを見てしまう。

 思い出す。潰されたのだ。死ぬはずだった。けれど誰かがジタンを生かそうとしてくれている。なにも返すことができない、お礼も言えないジタンを、助けてくれる。

 だけれどジタンにとって一番大切なのはそこではない。朦朧とする頭でジタンは見えない少女へ左腕を伸ばす。もう一人の少女にも伸ばして、握り返されなかった手を。


「お願いだ……ユーナ。たすけて」


 初めてだった。誰かをたよるのも。助けを口にするのも。断られたらどうしようという恐怖がうずき、視界が涙で滲む。


「今更なにを言っていますの?」


 ああやはり駄目だった。諦めようとしたジタンの左手を誰かが握る。少し冷たく、少女らしい手。

 そして額に小さな衝撃。デコピンをされたのだと気付くのに時間がかかる中、視界に広がるあざやかな紫に涙が零れる。


「当たり前でしょう。最初にわたくしが言ったこと、忘れましたの?」


 ――わたくしは貴方がどんなに嫌がっても助けますわ――


 それは魔法の呪文のようにジタンの頭の中に広がる。ユーナはずっと宣言通り、ジタンを助けてくれていた。

 世界が終わる寸前の今でもそれは変わらない。しゃくりあげるようにジタンは幾つも涙を零す。等身大の子供のように、えつを上げながら。

 ユーナも満身創痍だ。傷だらけの体で立ち上がり、進行を止めようとふんとうしているヤシロとナギサがいる方向、機械仕掛けの女神に強い眼差しを向ける。


「それでは本気を出しますわ。アルトさん、霊薬の補助が不要となりだいこちらのに」

「あいよ、姫さん。おおせのままにってな」

「ハトリさんとチドリさんはジュオンさんと共にジタンを。手が空き次第コージさんと共になんの手伝いを」

「わかってるわん! ユーナちゃん、あんな機械ぶっ飛ばしちゃってねん!!」


 ハトリからのじゃいかりを感じながら、ユーナは優しくほほむ。そしてこしに杖刀を改めて帯刀し、一歩むような構えを取る。

 それは和国では王道のばっとう体勢。深く、心臓の奥まで届くように息をみ、全てを吐き出すように息を出す。一秒、呼吸が止まった。

 いどむは破壊の女神。助け出すは幼い少女、そしていたいな少年の心。目標が迷いなく決まり、ユーナは笑みを浮かべながら黒い杖刀のを握る。


「――抜刀――」


 そしてりゅうきばみがき、きたげた白い刀身が姿を現す。霧がけぶるロンダニアの街に向かい、ユーナは走り出した。

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