EPⅠ×Ⅵ【共同墓地《public×cemetery》】

 グレイベル地区共同墓地。雨は上がったが、うすぐらい夜空模様が赤焼けをしんしょくしつつある。もやのようなきりと蒸気が視界をぼやけさせる。

 あまつぶどろと化した地面の上にチドリと共にジタンは転がされた。コージに買ってもらった衣服やくつ、洗ってれいになった体全てがまたもやよごれていく。

 腹部の傷を白ほうりょうしながらチドリはジタンを背にかばう。ストライプ模様のチョッキが血で色を変えている。仕立ての良いスーツも泥で台無しだ。


 周囲を取り囲むろう者の男たちと、むらさきほうを着た男がしになった首をき続ける。うすかわのようなはだつめあとで赤くなり、血がにじみ始めている。

 じゅうの墓標がとうかんかくに立ち並び、墓地ではありえないようなげが目につく。ジタンはおそろしいほどきょだいりゅうを見たことを思い出し、悲鳴がのどおくまる。

 こつずいが奥から冷えていくような不気味さときょう。蒸気灯がかないのは、じゅんかいの警察官がここに辿たどいていないあかし。チドリは深呼吸してから緑魔法にも必要な法則文を並べようとする。


「――幼子を守りしおによ、その力を」

「――くさりよ――」


 チドリの声よりも紫の法衣を着た男の魔法が速かった。地中から飛び出した鎖にジタンと共にしばられ、首にからみついた鎖によって泥を頭からかぶる。

 たおんだチドリにジタンはだいじょうかと声をかけようとした。しかし泥を口の中からしつつもチドリはなおも別の緑魔法を使おうと言葉を選び続ける。


「――水の竜はを通じて」

「――針よ――」


 やはり男の方が速く、幾千の小さな針がチドリの背中にさる。ジタンは無傷でありながらも目の前で起こる痛みの恐怖にまぶたを力強く閉じる。

 針は少しずつチドリの体の中にしずもうとまっていく。白魔法で反発する代わりに、チドリは別の魔法が使えなくなる。あっとうてきな光景に、周囲で見守っていた男達がかっさいを上げる。


「さすがはパードリー様!! むらさきすいしょう宮の魔導士、その名は伊達だてではない!」

がザキル団の救世主! カーリー様を呼び寄せる希望の光! これで我々のうらみも晴らせます……」


 喝采を上げる者達の中にはなみだしながらひざつく者もいる。よく見れば、若い青年や女性の姿もあり、みな一様に黒の衣服を着ていた。

 焼けた肌はアイリッシュ連合王国のようにくもぞらが多い土地ではあまり見かけない物だ。太陽がかがやく国に似合う姿形だ。

 紫の法衣を着た男以外は汚れて千切れた布地を気にとどめるゆうもないと言わんばかりに、黒の衣服はほつれと破れが目立っている。


「……っ、なにが……救世主だ。こんな小さな子供をせいにするやつが、だれかを救うのにあたいするのか!?」

だまれ!! この国に住まうゆうふくな奴め!! おれ達だって、俺だって……同い年のむすがいた!! そして死んだ!! お前達のせいだ!!」

「そうよ!! かせぎかと思えば、職も、家もうばわれ、国に帰ることもできない!! そんな時、手をべたのはザキル団を率いるパードリー様だけだった!!」

「カーリー様こそこのくさった国をかいし、我らを救うがみ!! ほろべ!! 奪われろ!! 我らは黄色の布にちかう!! 止まらぬことを!!」


 墓場に異様なほどの熱気とさけびがじゅうまんしていく。ジタンはべつの目には慣れていたつもりだった。しかし墓場で輝く目は、恨みとにくしみ、それらをかなえる願いのために犠牲をいとわない物ばかり。

 それらがいっせいにチドリとジタンをにらむのだ。それだけで失神したいが、許容量をえたせいか頭の中が真っ白になったジタンは、全身がふるえて縛る鎖にあらがうこともできない。


「パードリー様はらしいかた! かつての暗殺集団を救世集団に! もうこわくない! だって血を流さなくても、救われるもの!」

にえに選ばれるはめいあるお役目だ!! そのほこりを胸に、神を宿すがいい! お前はほこたかき役目にされた贄の子! だいなるシヴァ神の依代!!」

「そうよ、ぼうや! 苦しかったでしょう? でも全部こわれるわ! 貴方あなたと貴方の妹の手で!! ひんこんゆうも、いえ、この社会全てが破壊されるの! そして新しい社会が来るの!」


 黄色の布が視界をう。黒衣の者達がきょうしながら黄色の布を旗のようにまわす。黄色のらんは薄靄の視界ではあざやかに映る。

 その布には血で文字が書かれている。ガントていこくの文字で「破壊の先に創造を」と。十数の布全てが同じ文言を刻んでいる。

 ジタンはまるでえいあたえられた子供のように、まどい、どう反応していいかわからなくなる。しかし貧困の破壊には胸の奥がらいだ。


 貧しくなければ、豊かな者がいなくなれば、本当に救われるのかもしれない。


 目の前でひんそうな格好をしている者達の気持ちがジタンにはわかる。ジタンもそちら側だからだ。ずっと苦しいのが破壊されて終わる。

 それは痛快だと思う。善悪を問うのではなく、苦楽を選ぶようなもの。しかしチドリの小さな苦痛の声に、思考が目の前にもどされた。

 針はチドリの背中に沈み続けている。あぶらあせかべつつも、彼はあきらめない顔をしながら抗い続けている。そして息も絶え絶えにジタンへ言う。


「まど、わされんな……結局、犠牲に大義をくっつけて正当化しているだけだ。なにより、魔法の心得がない奴に『レリック』を宿せば、主導権どころが生命全て奪われる!!」

「……ほう?」


 チドリの言葉に初めて関心をいだいたパードリー。今まで黙っていたのがうそのように、問いかけてくる。


「よく知っているようだ。そういえばさきほどの法則文は緑魔法に近かったな……お前、緑魔導士か」

「一応だがな。名乗るほど大した奴じゃない。お前と比べられると、ずかしいくらいだ……お前が本物ならば、な」


 ちょうはつするチドリの言葉が気に食わなかったのか、パードリーは早足で近付いて地面の上に浮かばせていた頭をみつけた。

 なんとか顔を横にらしたため、顔の左側だけが泥に汚れたチドリは、痛みにうめきながらも見上げて睨むことを忘れない。


「全員、配置につけ。ゆうちょうにしている時ではない。我らのため、カーリー様降臨のため、シヴァ神のしょうかんを行う」


 静かな声だがどこかとがっているような印象の言葉でパードリーは命令する。黒衣の者達はなおに法則文が刻まれた墓石に散らばっていく。

 見回せば円をえがくような配置。その中心地点にはチドリとジタンがいる。黒衣の中でもろうれいの者達がふところから青錫のかねを取り出す。

 パードリーは背中を向けてチドリ達の前から遠ざかり、円の外側で事態を見守るように木の幹に体を預けて立ち続ける。


「……予定外だが、予備があっても問題ない。青魔法によるりょくでん、緑魔法による召喚! 降臨しきを開始しろ!!」


 パードリーの声に反応して青錫の鐘は勝手に鳴り始める。鐘はほたるの光のように緑色に輝き、その光が黒衣の者達をやわらかく包んでいく。

 光は点となり、つなぐように線を結んでいく。を描いたかと思えば対角線を引き、目の図形がかびがる。指定された者は口から教えられた法則文を唱え続ける。

 真言マントラに似たひびきにチドリは舌打ちするが、ぼうがいにもならない。声にさそわれてほうじんに文字が刻まれ、薄靄すらあわい緑に染まっていく。


 パードリーが九割完成した魔法を見て、ほくそむ。同時に配置していた黒衣の者達が次々とたおれていく。

 まずはひ弱な女性、こうれいの者、そして若い男達も。一人ががくぜんとした目で異常なじょうきょうあわて、すけけを求めるようにパードリーへ手をばす。

 しかし声も出なくなっており、力なく開閉する口では意味をなさない。そんな男へ向かってパードリーはうれしそうにつぶやく。


「贄に選ばれるのは名誉なことだろう? 誇りを抱いてくがいい」


 反論もできずに意識を失った男。ジタンはこの世の終わりが近づいている気分のまま、化け物を見る目でパードリーに視線を向ける。

 ほほんでいる。嬉しそうに、えつむさぼるように。ジタンには信じられなかった、あんな男が女王に一文字を与えられた最高位魔導士などと。

 マグナスに出会った時も疑いの方が強かったが、その比ではない。非道な手段で誰かを犠牲にするような男が、誰かにたたえられるような人間には見えなかった。


 しかしジタンは否定も質問もできなかった。額は焼き石が当てられたように熱く、それなのに意識はユーナのつえがたなれた時のようにえそうになる。

 体中にようがんめぐらされていく心地はぜっきょうしたいほど苦しいのに、声すら蒸発して失われたように喉がれていた。あわったなまつばすらめず、あごを伝う。

 目玉が脈動する血流にされて飛びだすのではないかとするほど、内側からあっぱくされる。手足を必死に動かしても痛みは消えない。体中を掻きむしって血を吐き出したいほどだ。


 骨がきしんで筋肉がれつしそうなほどふくらむ。肌の色が青に染まり始め、腹のおくそこでは岩石がれているようなしょうげき

 ジタンには他の様子をうかがうことはできなかったが、チドリも同じ痛みを味わっていた。それでも目から光は消えない。なにかを待つように、

 体を縛る鎖ががすのも許さない。もうだとジタンは勝手にけいれんする体から意識を手放そうとした。



 黒い流星がほおの横をかすめた。つうれつすずしい風がいっしゅんだけ体を冷やす。



 ジタンの背後で地面に突き刺さる音。揺れる体を押さえこみながらゆっくりとく。

 ぐに伸びた刀身。全身が黒い杖のように長い刀。それは魔方陣を描いていた緑色の光を呼吸するように呑み込んだ。

 しゅんかん、地面は一度だけ大きく揺れた。縦のしんどうだが、まるで上から下に圧しかるような、重力が増えたに近いかただった。


 体から熱さや痛みが波のように引いていくのを感じながら、ジタンは泥の上に倒れ込む。しかし杖刀は勝手に動き、ジタンとチドリの体を縛っていた鎖と、背中にさっていた針をたたとすように触れる。

 けむりのように消えていく鎖と針から解放されたチドリは、痛みをこらえながら立ち上がってジタンをかかげる。ジタンの体から力は感じられないが、しっかりした呼吸音とかろうじて意識は残っている状態。


「――な」

「――風!!――」


 パードリーよりも速い法則文。発動した赤魔法によって、風のかまはパードリーが寄りかかっていた木の上を切断した。

 落ちてくる枝葉をけたパードリーは失敗したことをさとり、表情をゆがめて首だけでなく顔もつめで掻き毟る。眼前には一人の少女。

 白いコートが夜になり始めた空の下でも浮かび上がる。むらさきいろかみに留まる黄金ちょうかみかざり。派手なのに少女のふんに合っている。


 その少女をしたうように黒い杖刀は回転しながらかのじょの手の中にもどる。難なく受け止めた少女は、さやに収めたままけんさきをパードリーに向ける。


にかかるのは初めてですわね。わたくしは紫魔導士ユーナ。人助けギルド【流星の旗】所属……そしてジタンの友人ですわ」

いやなほどにごていねいにどうも。私は紫水晶宮の魔導士パードリー・クラッカー、おじょうさんよりも格上の、最高位魔導士だ」


 肌を掻くのを止めないままパードリーもあいさつする。言葉は丁寧に見せかけた、しかしたがいに仕草はいんぎんれい

 ユーナの背後では今にも倒れそうなチドリをハトリが泥に汚れることも気にせずに支え、ナギサがメイド服の下から白い腕甲冑ガントレットを取り出す。


「わたくし……今おこっていますの。どうしてかおわかりかしら?」

「友人を贄にされたからか。大した正義感……」


 パードリーが鹿にしたように言葉を出していたちゅうで、ユーナは首を横にって否定する。

 少しずつ意識がせんめいになってきたジタンは、友人と呼ばれたことに初めてのかんがいを味わいつつ、ユーナの否定にもんを浮かべた。


「チドリさんの……美青年の顔に泥や傷!! ふざけてんじゃありませんわよっ!! 貴重な常識人わく美形を汚して!! 許しませんわ!!」


 思わずあと退ずさってしまうけんまくだったが、きょを取ってからパードリーは理解が追いつかない顔でユーナをぎょうする。

 正義感や友情で怒る状況ならばなっとくした。しかしユーナの言葉はどこかずれていた。まるで美しい宝石に傷をつけたことに対しげきするような。

 新聞で報じられた貴重な宝物がぬすまれたのを他人事のはずなのに、自分ががいったかのようにふんがいするようなずれ方。しかしそのいかりは本物だ。


 チドリが困ったようにまゆしかめる、ハトリは興奮した様子でユーナに同意している。ナギサは最初からユーナ全肯定派である。

 美意識を傷つけられたとも言うべきか。ユーナは美しい物が大好きであり、特にチドリはギルド内でも外見も内面も申し分ない美青年である。

 おおに表現すると、ふたであるハトリとそろえれば金剛石ダイヤモンドが我が身を恥じてくだり、かざられた花のつぼみが一斉にほこるような青年なのだ。


 しかし今は泥と血で整えられたスーツが汚れているだけでなく、頭には踏まれたあとに口元では泥を吐き出したようなこんせきまで。

 弱っている姿は女性の母性本能をくすぐるが、残念ながらユーナには母性が芽生えている気配はない。


「わたくしの目の前で美しい物を汚すこうなど、不敬ですわ!! ――ゆらゆらとゆらり」


 ユーナが唱え始めた魔法の法則文にチドリだけでなくハトリとナギサも顔を青ざめ始めた。ジタンはどこかで聞いた覚えのある声と単語に首をかしげる。

 そこへさわぎを聞きつけた警官を引き連れたコージ、ジュオンにかたを貸して走ってきたアルトも顔を歪めた。状況がわかっていないのはパードリーとジタン、な警官のみである。

 しかしパードリーは高名な魔導士として慌てることもなく法則文を連ねていく。その間にチドリとハトリも力を合わせて緑魔法と黄魔法を使うため、法則文を唱えていく。


「――瞬神、てん、我が身はすで彼方かなたの地――」

「――てき神様レディにお願いよん! アタシに道具を貸してん! できれば多くの人を守る素晴らしい道具よん!!――」

「――俺の体をたてまつり、そのちからを宿したまえ、救いたまえ、姉の呼び声に応じて道具をばんぜんに生かす力をここに――」


 コージが警察官に倒れている者達をかかえて遠く逃げるように指示し、アルトはジュオンをたたこして黒衣の者達がこんとうしている場所へ走る。

 ナギサも慌てて腕甲冑を装備してから、近くにあった蒸気灯を根元からっこき、パードリーに向かってやりのように鋼鉄の物体を軽々と投げた。


の者はめつを導く竜として流れ星と共に落ちてきた者なり、そのあぎとかられるいきは太陽すらかしつくす火蜥蜴ひとかげ、我が名のもとに竜のほのおなんじに与えよう、破滅よ幸いなれ!!――逃げてんじゃありませんわよ、きょうものがぁっ!!」


 長い法則文に誘われて『この世ならざる者レリック』が姿を現す。チドリに抱えられたジタンは二度と出会うことはないと思った異形の姿にぎょうてんした。

 黒鋼をきたげたかのようににぶく輝くうろこ。黄色くにごったひとみは宝石をはめんだにしてはどうもうの一言。鉄の骨組みと皮で作り上げたと思える固くもうすい質感のりょうよく

 しかし視線が最もかれるのは空を見上げている頭のせいで天高く届きそうな巨大な顎。全てを呑み込んでくだくことも可能と思わせるちゅうるいの口からは黒い靄がこぼれている。


 白く尖った歯が鳴れば、火打ち石がぶつかり合ったように火花が散り、導火線を伝うように黒の靄に赤い炎が走っていく。

 靄からいずり出た真っ赤な炎の蜥蜴達。黄色の目も、口からはみ出る青い舌も、だいだいいろの模様さえも火。全身が燃える異形の生き物。

 じんぞうな火蜥蜴は周囲を見回すが、ものがないとわかると白い霧にむように消えてしまう。そして黒いきょりゅうつかれたような鼻息一つでかえってしまった。


 巨大なかべのようなたてを魔法で取り寄せたハトリと、ジタンを抱えながらも『盾の主レリック』を宿したチドリは、相手が逃げて良かったとあんした。

 コージは自分の横に突き刺さった蒸気灯を見上げた後に、ナギサに視線を向ける。れるのも気にせずに土下座しているナギサが目に痛々しく、早く立つように声をかける。

 盾の裏側ではジュオンとアルトが倒れている人達を集めた警官と共に様子を見ていた。全員意識は失っていたが、魔力が吸い取られただけで命に別状はない。


 ただ一人、ユーナだけが青筋を浮かべながらくやしがっていた。杖刀を振り回し、暴れているとうぎゅうそのものである。危なくて誰も近寄れない。




 数十分後。ジュオンに容態をしんさつされているジタンは、コージから柔らかい説教を受けているユーナの背中を目にする。

 頬を膨らませてくされてはいるが、素直に説教を聞く姿はつうの少女に見える。ナギサは他の警官に蒸気灯を引っこ抜いたことについての謝罪を大声でかえしていた。

 チドリは自分自身の治療に専念するためもくもくと白魔法を行使している。ハトリはそんなチドリを心配そうな目でながめながらジュオンに話しかける。


「どうなのん? ジタンくんは変なの宿してないよねん?」

「……大丈夫だ。チドリといっしょに対象にされたからか、魔力を少し奪われているくらいだ。ま、そこの色男がひそかにかいにゅうして自分自身を犠牲にしようとたくらんでいたみたいだけどな」


 色男と呼ばれるのが気に食わないチドリは無言でジュオンを睨むが、肩をすくめられるだけで流されてしまう。

 ハトリはドレスが汚れるのも構わないまま地面にすわみ、心地よい冷たさとなめらかな質感のぶくろを外してから、白魚のような指先でジタンの頬をでる。

 れいな顔の急接近に頬を真っ赤に染めたジタンだが、次の瞬間に抱きしめられて顔が柔らかな胸の中に埋まるかんしょく。ハトリはやさしい声で言う。


「良かったわん……ごめんねん。ちゃんと守ってあげられなくてん。でも大丈夫よん。ユーナちゃんがいるものん!」

「……別に、あんた達があやまることじゃないじゃん。どうして……どうして助けてくれるの?」


 震える声でハトリにたずねるジタン。こんなに優しくしてもらえるような覚えはない。これが怖くて逃げたのに、まだ優しくされる。

 しかし今度は体をばすことはできない。ハトリの包容力や母親を感じさせるきしめかたに、ジタンは初めて知る安らかさを味わっていた。

 優しいにおいが鼻をくすぐる。このままなにも考えずにてしまいたくなるほどの温かさ。どうの音がもりうたのように耳に響く。


「だってアタシ達はそういうギルドだものん。だから何度だって助けるのよん」

「……俺の方こそ、ごめん。チドリ……俺の世話を見てくれたのに……んで、ひどい目に合わせた」

「それはあのパードリーが悪いのよん! 全く、酷いわよねん!! アタシ達は人助けギルドだけど、悪人にはようしゃしないのん! だから次こそは倒すわよん!」


 打って変わってじゃに怒る様子はジタンよりも子供のようなハトリ。その変化がおもしろくて、ジタンは胸の中で笑う。

 ジュオンはチドリの様子を見ながら微笑ましい光景になごんでいた。チドリも姉の素直な反応に安心している。そこへアルトがやってきた。

 今まで警察から事情を根こそぎ話していたせいで、少しだけ不満そうな顔を見せているが、ジタンの様子を見て意地悪な笑みを浮かべる。


「よぉ、ぼう。女神さんの胸の中はごくらくだろう? 上質なシルクよりも気持ちいいと思うが、それよりもだんりょくについて……」

「あらん? アタシ、アルトくんを抱きしめたことないわよん? ユーナちゃんはいっぱいほうようしたけどねん!」


 アルトの発言に対して天然な言葉を返すハトリ。わずかにアルトの笑みが固まるが、ジタンは思い出したように目の前のきょにゅうに気付く。

 そこからは頭の頂点から蒸気をしそうなほど首まで真っ赤にし、慌てて大丈夫だと告げてからはなれる。それでも顔に残る柔らかい感触が忘れられない。

 さらにからかおうとジタンにせまるアルトだが、白魔法を終えたチドリが立ち上がって道をふさぐ。ジュオンはけんコンビのいつも通りのにらいに息を吐き出す。


「で、ユーナの嬢ちゃんに説明しなくていいのか? 妹がさらわれてヤシロが追っかけていると」

「いきなり言えるか! ただでさえ姫さんのげんが最悪な時に……」

「聞こえていますわよ、ばんざる。どういうことかしら?」


 コージの説教を聞き終えたユーナが背後から幽霊ファントムのように現れる。いつもとちがって音もなく静かに接近したので、アルトの反応がおくれた。

 一体どういうことだとジタンもめたい気分だったが、ユーナのただならぬ気配、というか最悪の雰囲気に口がはさめない。


「姫さん、聞いてくれ。まずはそうだな……ギルドホームばくについてしょうさいな説明を」

「どうでもいいですわ。貴方達を家から追い出してゆくを追った後、しゅうげきするためのけだったはず。なにせ相手には魔法が使える人材がいるとグレイベルからのとうそうげきで知られているでしょうし」


 事細かな説明を頭の中に並べていたアルトは返す言葉もなかった。その間にもユーナは額に青筋を浮かべてアルトへと距離を詰めていく。


「で、フーマオさんの店にんだ後にわたくしからの電話。さらにフーマオさんはマティウス・アソルダに電話したはずですわ。電報よりも速く事態を伝えられますし。そして会うように相手に要求された」

「……そうそう、ねこにーちゃんの店で新しい貿易品が入ったらしくてよぉ。それがマティウス・アソルダの商店から仕入れた宝石だとかで」

「フーマオさんは少なくとも素人しろうとに店を預けませんわ。ということでジュオンさん達と共に野蛮猿は追い出され、次は大逢博物館で働いているロゼッタさん辺りを尋ねようとしたところで襲撃。奪われた」

「俺様の説明なんていらないじゃん! 姫さんもそこまで見通しているならわかるだろう?」


 体がぶつかるくらい至近距離まで迫られたアルトは、ユーナのこしに帯刀されている杖刀に視線を向けてあせをかく。逃げられる距離ではない。

 ユーナはアルトよりも小さいが、ばやさではかく。油断できない状況でアルトは少しでも後退ろうとするが、ユーナの眼光が強すぎてへびに睨まれたかえる状態だ。

 わずかに離れた所から聞こえるナギサの連続謝罪に戸惑う警官の声すらも遠い。周囲に気を配る余裕がないほどアルトは目の前の少女にけいかいしていた。


「……今日の夜。これからカーリー神を宿す儀式が行われる。ジタンをチドリさんごとさらったのもその布石」

「なっ!? メルはこれからあんなつらい目に遭うのか!? あんな、苦しくて、死にそうな……」


 先程の魔方陣で『レリック』を宿しかけたジタンはろうばいする。幼い妹、いまだ病気が治らない少女にはこくでしかない儀式。

 命の危機かもしれないとジタンは走り出そうとしたが、その手をアルトにつかまれてしまう。しんけんな顔のままアルトは静かに告げる。


「チビ助が敵の行方を追っている。どこで儀式をするかは見当がつかない。多分広い場所だとは思うんだが……」

「カーリーって悪い神様なんだろう!? 全部破壊するって言ってた! そんなのをメルに宿すなんて……」

「あら? カーリーは悪ではありませんわよ。むしろあくを倒すという点では、善と判断してもいいと思いますわ。ただ破壊しょうどうおさえきれないだけで」


 危機感とあせりで落ち着かないジタンとは逆に、ユーナはあっさりとした口調で少年が抱いていたイメージを壊す。


「カーリーはシヴァという神の数多い妻の一人で、いくさ女神からぶんれつした存在でもあると言われますわ。その強さは他の神では倒せなかった悪魔を倒すほど。さつりくと血を好みますが、多くの人民にしんこうされてます」

「な、なんで!? だってザキル団は暗殺集団だろう? それでこの社会を破壊するとかなんとかで……」

「カーリーが存在する『神話レリック』において、破壊はしきがいねんではありませんの。破壊と創造、ひょういったいである真理。悪しきを破壊し、善きを創造する。そう考えればカーリーはその土台であると言えますわ」


 ユーナの説明にジタンは疑問符だけが頭の中でめぐる。どうしてカーリー女神は悪い存在ではないのに、こんなにも印象が違うのか。

 警官がコージの指示によりてっ退たいを始める最中、巡回の警官が蒸気灯に明かりを点ける。本格的な夜のやみが空一面をおおい、薄い霧が肌を冷やしていく。


「カンド帝国の地方では山羊やぎいけにえささげます。守護神として敬えば心強いの一言ですもの。そう……人間の信仰と敬意こそが今回のしょうてんですわね」

「信仰と敬意……?」

「なにを信じるか。どう敬うか。それは個人の自由ですわ。しかし自由が他者をしんがいしてはいけない。ザキル団はそれを破った」


 山羊ではなく人を生贄に捧げる教義。それは神にではなく、殺人を行った人間に原因がある。実際に同じ神を信仰しても、全く違うばつができる。

 一神教であるクロリック天主聖教会にも派閥が存在していた。派閥を作ったのは人間であり、誰もが自分は正しいと信じている。そのさつが他者に害をく。


「そしてパードリーは彼らの信仰と神のこうを利用している。誰もが今日を生きるのに必死ですわ。そんな彼らの命を自分の目的のために消費する……許せない悪行ですわ」


 ユーナの目には倒れたまま動かない黒衣の者達が運ばれていくのが映っている。多くのたんと人がい、今後の手当てについて話し合っている。

 杖刀で妨害したため、重度のひんけつに近い状態で動けなくなった程度で済んだが、もしも儀式が成功していれば命は失われていた。十数の命があわのように消える光景はさんだろう。

 彼らに罪はないとユーナは言わない。しかし帰りたいというじゅんすいな気持ち、今の社会に不満を抱く感情、それら全てを利用した男への怒りだけがたぎる。


「ジタン。貴方がわたくし達を信じなくてもいいですわ。巻き込みたくない、優しくされたくない、そう思っても構わない……でも」


 ジタンと目線を合わせるようにかがみ、ユーナは紫色の目に蒸気灯の橙色のあかりを宿す。燃えるような、鮮やかなしきさい


「この件には最後まで付き合ってもらいますわよ。わたくしがパードリー・クラッカーを必ず倒す、その時まで」


 相手は世界で七人しかいない最高位魔導士。恐れるべき名前にしゅくするべき状況で、ユーナは力強く彼の者をとうすると宣言した。

 事情を知らない者が聞けばたいげんそうと鼻で笑って終わりのような言葉。しかし自信にあふれた言葉にジタンはうなずく。初めて心の底から信じたいと思えるような誓い。

 ユーナはジタンが言葉も出さずに頷いたことに満足し、立ち上がって空をあおる。銀色の星々が輝く夜空の闇からこぼちるように、上空からえんふくを着た犬耳執事が現れる。


 空中で回転を決めながら音もなく着地したヤシロは、金色の瞳を長いまえがみからのぞかせながら周囲の様子を窺う。

 慌ただしい状況だが言葉を発しても問題ないと判断し、小さいながらも耳に必ず届くようなこわで、とある場所の名前を手短に呟く。


「セント・キャリー・ドック」

「……なるほど。マティウス・アソルダさんが管理する倉庫がありますものね。よし! 皆さん、そこに向かいますわよ!」

「え!? 小生もか!?」


 完全にぼうかんしゃとなっていたジュオンはユーナの発言に急いで反応する。明らかに自分は戦力外だと言いたい目を片眼鏡しから窺わせている。


「当たり前でしょう! なにかあった時、治療できるのはジュオンさんだけ! 毒をらわば皿まで! コージさんはどうします?」

「私も付き従おう。ゆうかいはんつかまえるじょうは必要だろう? コチカネット警察ヤードとして、なによりギルドリーダーとして、事件の結末は見届けたい」


 反論しようとしていたジュオンはコージの真っ直ぐな言葉にあっとうされ、仕方ないと肩を大きく落として諦めた。

 チドリはジタンを背負い、ヤシロは謝り続けていたナギサに手を貸して立ち上がらせ、ハトリは楽しそうにアルトの顔をのぞむ。

 流れに乗ってきたことを感じ取ったアルトもかいだと笑みを浮かべ、コージは後処理を他の警官に任せると言い残して全員で走り出した。


 暗い夜空の下、霧が蒸気灯の明るさをぼんやりと反射する中、いしだたみの上をユーナ達はけていった。

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